勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 28日 16時 58分 31秒

白い巨塔

今、毎週木曜日夜10時からテレビ放送している「白い巨塔」にはまっています。

なんとなく嫌らしい石坂浩二がいいですね。嫌らしいことをしても爽やかにみえてしまう前田利家も頑張っています(笑)

勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 28日 14時 34分 06秒

まあ、神様なんだから、誰が大事にしようと神様には違いないと言ってしまえばそれまでです(爆)

勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 28日 14時 19分 09秒

大和朝廷が出雲神を尊重する理由

大国主に代表される国津神たちは、もともと精霊信仰の延長線上にいてこちらが神としての本分。

天津神っていうのは、それを意識しはじめた最初から祖先信仰の象徴でこっちが本分。

この二つの信仰が混じってしまった結果が記紀神話に登場する神々の性質なんではなかろうかと。。。。

国津神は天津神に合わせて祖先神的要素をアトヅケされた。
天津神は逆に国津神と呼ばれる神の影響をうけて、精霊信仰的要素をアトヅケされた。

後に国津神、出雲神と分類される神のほうが、氏族、部族に関わらず倭国に暮らす人々に普遍的に信仰されていただけ。つまり、天津神の子孫とされる人々も自らの祖先神への信仰とは別に、普遍的な精霊神(後に国津神・出雲神と分類される神)信仰の中で生きていた。

と、仮定すると、出雲族だろうと非出雲族だろうと、後に「出雲神」と分類されるようになる精霊信仰的要素を持っていた神のことを信仰していてもおかしくないんじゃないかと思ったりします。

つまり、全ての民が信仰すべき神=出雲神であって、氏族が尊崇すべき神=祖先神というすみわけができていた。

この区別が仏教神という新たな異概念が導入されることによって、かき混ぜられ、記紀神話の神代にみられる神概念が登場した。

仏教神は、それまで出雲神が立っていた「民が信仰するべき神」の立場に立つことになり、主な立場を失った出雲神は祖先神的要素が濃くなった。

しかし、仏教導入の頃の恒例として行われていた公的神事は出雲神に対してのものが多い。そしてそれは「前例の神事」として残った。

結果として天皇家は祖先神と共に出雲神への祭祀を存続させることとなった。

勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 28日 07時 18分 05秒

やっぱり触れないと、テレビで見てるのとかわらないのかな(^^ゞ

姫路には、サファリパークもあれば、動物園、水族館、科学館(プラネタリウム)、天文台、武道館、遊園地、体育館、球場、音楽ホール、と一通りの施設は揃っています。どれも中途半端な印象はぬぐえませんが(爆)

今度は遊園地にしようと思っています(^^ゞ

ペギラ さん (pegira@nifty.com) 2003年 11月 27日 16時 58分 36秒

動物園か、、遠い昔の出来事だな。
それよりも姫路に動物園があることにびっくり!

我が家の娘たちも檻の中の動物たちを見ても
ふ〜ん。てな感じでしたな。

そうだそうだ。思い出したぞ。
さわらせてもらえる うさぎのコーナーなんかで
うひゃうひゃしてたな〜。うさぎのふんを踏みまくり。(笑)



勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 27日 14時 19分 06秒
URL:http://www.city.himeji.hyogo.jp/dobutuen/

昨日の昼から、マリゴンを連れて家族三人で姫路動物園(上記URL)へ行って来ました(^^ゞ

夏前にも一度連れて行ったのですが、動物をみせても反応があまりなく、象を見ると怖がっていたくらいだったのですが、今回は象の檻の前で、象が食事しているのを熱心に見ていました。

動物園の動物は檻の中でじっとしているのが多く、今1つ興味が湧かないようです(^^ゞ

象、カバといった巨大な動物はじっとみていましたが、虎やライオン、レッサーパンダのような動物には興味が無さそうで、むしろ、近くをうろうろしている鳩や、池にいる鯉などに興味がわいているようでした(^^ゞ

動物園の中や、商店街を走りまわっている方が楽しそうだったような??

ということは、2歳未満のうちはまだまだ公園で十分だったのか(爆)

きんたろう さん 2003年 11月 25日 22時 34分 23秒

あらら
Sinさん、体調を壊したのですか??
大丈夫ですか??

尤も、さすがのSinさんも明け方の4時まで頑張っていればさもありなん^^;;

kituno さん 2003年 11月 25日 14時 40分 58秒

国譲り33をプリントアウトしました。
新兵器登場にはビックリです。^^;

Sinさん、具合が悪かったのですか?
お大事に。

勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 25日 09時 09分 01秒

ええ!!体調が良くないの?>Sinさん。

それは、知りませんでした(@_@)
あまり長い間見かけないので、心配していました。

そろそろ、メールでもだそうかとおもっていたところでした。
体調がよくなったら、また夜中に登場してくださいね(^^ゞ

って、こんなことしてるから体調が悪くなるのか(自爆)

Sin さん 2003年 11月 24日 23時 56分 30秒
URL:http://sin_f_007.nce.buttobi.net/

きんたろうさんは生活が不規則なだけでしょ(笑)
私はここのところ体調がイマイチなのでひかえてるけどねぇ(笑)

きんたろう さん 2003年 11月 24日 21時 01分 57秒

かつて私も夜更かし大王の座を巡って熾烈な争いをしたものですが。。。(爆)

Sinさんには到底かなわないと思いました(;^_^A

勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 24日 14時 13分 36秒

きんたろうさん、何時もお手数おかけしますm(__)m

昨日、20世紀の過去ログを読んだのですが、その頃もリズムが壊れていると(^^ゞ

そのリズムがきんたろうさんにとっては普通のリズムだと言ったのはSinさんでしたっけ(^^ゞ

きんたろう さん 2003年 11月 24日 01時 24分 53秒
URL:http://www5d.biglobe.ne.jp/~kintaro2/roto38kuniyuzuri.htm

大物主10はここです^^

生活リズムがまたまたずれてしまいました、自爆

勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 22日 15時 00分 55秒

ところで新庄は東京はじめ関西以外の土地では注目されてるんだろうか(笑)
こっちでは、ハム違いの話はかなり広まっているそうなんですが。

勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 22日 14時 59分 06秒

おっSinさん!!

最近ご無沙汰ですね。夜中の出勤も休まれてるのですか?

Sin さん (sin-f@pep.tok2.com) 2003年 11月 22日 13時 44分 16秒

新庄だからねえ。
何をしても仕方ないよね。
明日も勝つのジンクスは継続しそうだけど

勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 22日 12時 47分 40秒

姫路あたりでもっともらしく語られている新庄ネタ。

記者「新庄選手!まだ正式ではないのですが、日本ハムへの入団が決まったそうですね!」

新庄「はい。背番号は1です。バランスが良いから。1って立ててもこけそうにないでしょう?」

記者「正式やないっちゅうのに背番号まで言うてしもてええんですか?しかもなんやねん、その理由!!」

新庄「えっ?だめなの?」

記者「・・・ところで、日ハムの選手で気になる選手というかこの人とポジション争そいしてやるぞ!と思ってらっしゃる選手の名は?」

新庄「ハムの人」

記者「は???だからその中で誰かって」

新庄「別所さんっていう名前だったかな?」

記者「どあほ!それは選手やないやろ!CMのタレントや!しかも日ハムと違(ちご)て、ライバル会社の丸○ハムのCMやんけ!」

新庄「だってハムっていったらそれしか、思い浮かばなかったんだもん」

いいのか?日ハムに札幌市長。
こんなのが札幌ドームの顔で(笑)

まあ、お客さんに聞いた話なんで尾ひれがついてるかもしれませんっていうか、多分ついてるんだろうけど。。。

日本ハムのCMと丸○ハムのCMの区別がついてなかったということだけは事実らしい(笑)

勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 21日 11時 12分 11秒

菊地さん、hn2602さん、小鼓さん、返信が遅れました。良い調子で冒険小説が進んでいたもので(^^ゞ

現在きんたろうさんにアップして頂いているのは32話までですが、36話目までできています。

私も甲類、乙類は「ぱっ」とは解かりません(爆)
語路合わせを考え付いた後でも確認すればいいのではないかと思います。私は大三元さんに教えてもらった事典の甲乙の一覧をコピーしています。

九州弁と東北弁。ローマ字でかくと全然違うんだろうなぁと思ったりして(^^ゞ

hn2602 さん 2003年 11月 14日 00時 04分 00秒

菊池さん
「火の国」の「火」を好字で表わしたものが「肥」だと思われますので、「ヒ」の甲乙類の問題とは、無関係のように思いますが。つまり「火」が「ひ乙類」の発音になってから、その音を「好字」で表わしたものが「肥」と解釈されます。

「ホ」にさかのぼれば、「ホ(火)」と「ホ(穂/秀)」(「秀真伝」の「ほ」です)の問題がありますが、「ホ」には甲乙の区別がないので、火=穂という解釈は成立すると思われます。物部氏の同族「穂積氏」の「穂」は「ヒ(火)」の古語「ホ」だったのではないでしょうか?私は、「物部氏」という氏の名の起源は新しい(少なくとも天皇氏の覇権確立後に、伴造諸族の統率を任された氏族が名乗った姓氏でしょう。即ち大伴氏=大部氏と同時期に成立した氏姓だと思います)と考えられますが、それでは、本来物部氏になる前の氏族名は?というと、「穂積氏」であり、それは「秀(ほ)津(つ、おおやまつみ、ワタツミのつでしょう)見(み)」氏か「ほ(火)つみ」氏だったのではないかと思っています。

菊池元宏 さん (kki856@gaea.ocn.ne.jp) 2003年 11月 13日 23時 02分 26秒

hn2602さん
先代旧事本紀でも風土紀でも、肥「ひ」国はもともとは火国という記述が見られます。

火という語が「ほ」から「ひ」に変化した時期が卑弥呼以前であれば、火巫女を「ひみこ」と読む可能性が出てくるとかすかに期待してます。

両書共編纂時期が3世紀よりずっと後ですが、
記紀神話とてたいして変わらないと思いますので。

hn2602 さん 2003年 11月 13日 22時 07分 49秒

↓の「甲乙類の違いはほとんどない」ように見えるという意味は、「上代日本語」の中央方言と東国方言の間で同源の語彙に、「一方が、甲類で一方が乙類と言う例がほとんどない」ように見えるという意味です。

hn2602 さん 2003年 11月 13日 22時 01分 38秒

「こころ(こころ)」kokoroが、琉球語では、「くくる]kukuruであるのは、有名ですが{同様に「ところ(所)」tokoroは、「つくる」tukuru)、上代日本語東国方言で、「けけれ」kekereであるのは、そんなに知られていないようです。

上代日本語東国方言の「くむ」kumu(雲)、「けとば」ketoba(け乙類、と乙類)(言葉、こ乙類、と乙類)、「こよ(越よ)」koyo(こ甲類、よ乙類)(越ゑkoye、こ甲類)などの語形を見ると、「ひ」の甲乙類の差など小さいようにも思えますが・・・。ただ、今挙げた万葉集からの上代日本語東国方言でも、甲乙類の違いはほとんどないように思えますので、やはり無視できないようですね。

菊池元宏 さん (kki856@gaea.ocn.ne.jp) 2003年 11月 13日 16時 37分 28秒

小鼓 さん。ありがではなすきがせでもらった。んで。

(小鼓 さん。ありがたいお話を聞かせてもらいました。
では。また)

小鼓 さん 2003年 11月 13日 13時 18分 06秒

あ、ばってん、今菊地さんの書き込みで気付いたとですが、
「はひふへほ」が「さしすせそ」になまって聞こえることはあるかもしれません。

よう九州で言うですたい。「そやんかしと」=「そんな人」。鹿児島・宮崎辺りはまた方言の難しかけん、そげん発音ばするかもしれませんて。
(と、九州弁で語らせて頂きました)

またまた、そのうちお邪魔しますね。お元気で。

小鼓(syouko) さん (r.maki@384.jp) 2003年 11月 13日 13時 12分 37秒

お元気ですかー?ご無沙汰してます。
いずれゆっくり読ませていただきたいと思いながら、年末に向けて内業に追われていまーす。;;;年明けたら、スサノオ系譜について教えてくださいね。

歴史も迷宮にもぐりこんで分かりませーん。ちょっと落ち着いて勉強してやり直そうと思いながら、ついついkitunoさんに引っ張られて懲りずにとんでもを繰り出しているお馬鹿者です。もう呆れられていることでせう。
(やめときゃいいのにね)

〉九州弁の「ほ」が「ひ」に聞こえてしまうことは・・・。

そげんこつはなかて思いますバイ。九州弁は「ばびぶべぼ」の強調に見るごて、「はひふへほ」は比較的きちっと発音ばしますけん。昔は分からんと思いますばってん。
(と、九州女の私がお答えしましょう。)

菊池元宏 さん (kki856@gaea.ocn.ne.jp) 2003年 11月 13日 13時 08分 21秒

「ヒ」「ホ」に限らず
倭人伝での国名・人名発音と日本語の関係を詳細に研究してみなければなりませんね(苦笑)

話が変わりますが、
新羅の装いを見て思い出しましたが
「ツヌガアラシト」
倭人は本当は「ツノガアルヒト」に見えただけだったりして(笑)

勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 13日 11時 37分 27秒

>外国人には九州弁の「ほ」が「ひ」に聞こえてしまうことはないだろうか?

もちろん、そういう指摘もありましたが、その想像を裏付けるとまでも行かなくても、そう想像してもおかしくない例を見つけて提示できないと論としてはどこまでいってもトンデモなわけです。

菊池元宏 さん (kki856@gaea.ocn.ne.jp) 2003年 11月 12日 16時 41分 53秒

>火(ホ)と日(ひ)甲類、乙類の発音にたいして有効な反論が加えられないというのが最大の点。

太陽(陽)に対して火(陰)で両者共同じ気だと思いますが、発音が違がってしまったのですね。

外国人には九州弁の「ほ」が「ひ」に聞こえてしまうことはないだろうか?

勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 12日 14時 43分 43秒

おっと、まもなく{555555}誰が踏むんだろうか(笑)

勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 12日 10時 47分 58秒

hn2602さんも、読んで頂いてるのですか!
ありがとうございます。漫画チックでしょう(^^ゞ

勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 12日 10時 45分 57秒

火(ホ)と日(ひ)甲類、乙類の発音にたいして有効な反論が加えられないというのが最大の点。

火山祭祀というのがあったとして、卑弥呼がその祭祀に関わるものだと仮定した場合に限って言えば、卑弥呼=邪馬台国の祭祀っていうのは渡来系の祭祀ではないという方向で考えた方が良いのではないかと思います。まあ妄想ですからこんな限定の仮定は意味を持たないかもしれませんが(^^ゞ

hn2602 さん (hnanba@muf.biglobe.ne.jp) 2003年 11月 11日 23時 53分 33秒

「国譲り」最初から読みはじめています。まだ、4話までですが、楽しんでいます。

私は「漫画を読む大学生」のはしりでしたので、星野之宣「ヤマタイカ」、安彦良和「ナムジ」「ジンム」は、読んでいます。安彦氏の漫画は、確か原田常治氏(だったと思いますが、原田氏の説そのものは読んだことがありません)の説に基付いたものだとの解説があったように思います。

ところで、卑弥呼=火巫女説のついては、「ヒ」の甲乙類の違いの他に、もともと「火(ヒ)」の古語は「ホ」であると考えてられていることから、私は否定的に考えています。「日(ヒ)」fiは、ヒ甲類、「ヒ(火)」fiは、ヒ乙類で音が違うとされていますが、ヒ甲類には、「霊(ヒ)」、「氷(ヒ)」「杼/梭(ヒ)」もあり、「日」の神〜巫女だったアマテラスの分身とおもわれる織女が、「梭」でホトを衝いて死亡したのも「ヒ甲類」の同音の語の掛詞であろうと思われます。他にも「ヒ甲類」には、「ヒノキ」の古語である「ヒ(檜)」があります。これに対し「ヒ乙類」はまことに寂しく「火」の他には「樋」しか辞書には載っていません。

ご承知のように私は倭人北方起源論ですので、倭人(その支配部族・氏族を天孫族と考える)の山岳信仰は、「火山」ではなく、部族・氏族の始祖の父である天神の降臨する北方の山岳が原型だと考えていますので、高千穂も火山ではないと考えています。勿論列島渡来後に「火山」信仰に変容した可能性はあり得ますが。

勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 11日 16時 37分 14秒

久しぶりに自分の投稿を見ると、妙に恥ずかしいですね(自爆)

勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 11日 16時 32分 00秒

井沢板に投稿した卑弥呼=火神子説をコピペしてみました。以下。

みなさん、こん@@は。今日は卑弥呼が火御子だとしたらという考察をします。

卑弥呼は、一般的に「日」神に対する巫女または「日」神の御子として考えられて
います。しかし「日」が「火」だとするとそのイメージは著しく変わってきます。
「火」の神といえばイザナミの子神として記紀に記されていますが、生まれ出る時
にイザナミ女陰を焼き、これがもとでイザナミは病を得て死んでしまいます。
日神でなく火神だとすると、凄惨なイメージに変化します。

古代人にとって「火」は「太陽」程ではなかったかもしれませんが、畏れ敬う対象
でした。火は物を焼き尽くすこともしますが、土器・青銅器の作成、料理など生活
に密接に関したものでもあります。火とふれる事により、万物は滅んだり、再生し
たり、また変化したりします。まさに神の所業です。

縄文時代の前期から中期の遺跡から当時の人口密度(つまり遺跡の数)を推測する
と、当時は縄文海進により現在の山間部(当時は海辺?)特に火山帯の周辺に人口
が集中していた形跡があります。つまり縄文人は火山の近くで暮らしていたという
事です。

火山の噴火は現代の人間がみてもある種神々しいものでもあります。この姿に神を
見たのかもしれません。

火の神の子が卑弥呼=火御子だとすると、邪馬台=山処は火山であるといえるかも
しれません。とすると畿内地方には火山がありません。一方九州は火山のメッカと
もいえるでしょう。とくに阿蘇は世界一の火口をもつ事で有名です。

「卑弥呼」が称号であるということには、私も賛同しています。しかし、魏志倭人
伝と古事記にひとつの一致点を見出してから、私の中でひらめいたものがあります。
それは「伊都」です。魏志倭人伝においては「伊都国」、古事記においては「伊都
之尾羽張神(いつのおはばりのかみ)」と記述してあります。

まず「伊都国」ですが、これは前原市に比定されています。ここには大集落遺跡と
もいわれる「三雲遺跡」があり、この遺跡が「伊都国」の中心地とされています。

次に、「伊都之尾羽張神」という神ですが、これは「国譲り」で有名な「タケミカ
ヅチの神」の父としてえがかれている神でもありますが、注目したいのは、この神
はイザナギノミコトの持つ「十拳剣(トツカノツルギ)」の別名でもあるのです。
イザナギはこの「トツカノツルギ」でイザナミが死ぬ原因となった火の神を斬り殺
します。

また、「伊都之尾羽張神」は「天之尾羽張神(あめのおはばりのかみ)」ともいい
ます。ここから「伊都国」は「天国」つまり「高天原」につながるのではと考えて
います。

天孫は高天原から降臨しますが、この高天原こそ伊都国のことではないでしょうか
?イザナミとイザナギは夫婦神とされていますが、姉弟ではないかとも考えられて
います。神話における最初の結婚は兄妹婚または姉弟婚というパターンが多いから
だそうです。

卑弥呼には男弟がいます。イザナギとイザナミが姉弟だとすると卑弥呼と男弟との
関係にるのではないかと推測しています。

イザナギノミコトの剣が、伊都之尾羽張という事はイザナギノミコトは伊都国の
出身であるということではないかと考えています。
そして「伊都之尾羽張(いとのおはばり)」という言葉は「伊都之大祝(いとのお
おはふり)」につながるのではないでしょうか?
「大祝」とは神道において神職を表す言葉であり、禰宜につづく次官にあたります。

ここから、イザナギは伊都国の次官もしくは副王、皇太子というbQの地位にいた
のではないかという推測しています。

伊都国の長官は爾支(ニキ?)と魏志倭人伝に記されていますがこれは禰宜(ネギ
)に通じるのではないかとも推測しています。また副官はシマコ、ヒココと記述さ
れていますが、これについてはまだ考察できていません。

伊都国は、帯方郡の施設が倭国と行き来する時に常駐する国でもあり、三雲遺跡か
らは、大陸製の鉄器や青銅器が多数出土しているところから推測しても戸数こそ2
千戸ですか、軍事、政治、そして交易上の重要拠点であったと思われます。

私が伊都国にこだわるのは、伊都国こそ大和朝廷の原型ではないかと考えているか
らです。それは、イザナギとアマテラスの関係が伊都国と大和朝廷の原型の関係だ
と思うからです。

イザナギはイザナミと別離しますが、この状態こそ邪馬台国との決裂を表している
とかんがえています。

イザナギは火の神を斬る事により、火(火山)をまつる祭祀との決別を宣言したの
です。北九州の弥生時代の人口密度は阿蘇山の周囲に集中しています。(弥生遺跡
からの推定)そして縄文遺跡も同じように阿蘇の周囲にひろがっています。
なぜ、弥生時代になっても縄文時代とおなじ阿蘇周辺から移動しなかったのでしょ
うか?すぐ北には、筑紫平野がひろがり、西には熊本平野があります。
農耕に適した平野に移らずに阿蘇の近くに居つづけたのは、そこに火山信仰があっ
たからだと考えられるのではないでしょうか?
もちろん弥生後期には、平野部にも人口の広がりが進んでいます。しかし阿蘇周辺
に居つづけた弥生人が減少したという事ではありません。
新しく増えた勢力が平野部において、環濠集落を形成しひろがっていったという事です。

卑弥呼はアマテラスや太陽信仰の巫女など、日に関わるものとしていろいろと議論
がなされていますが、太陽はすべての日本各地の王権に平等に恩恵を与えるものな
ので、なかなかに太陽信仰によって治められた土地を特定するのは無理があると考
えていました。そこで、卑=火=火山と考える事ができ、かつ整合性をもった解釈
ができれば、邪馬台国のおおまかな位置を推測できると思ったのですが、どうも
難しいようです。
安部さんから古代人の「ヒ」の発音は2種類あったとヒントを頂き、Toshyさ
んからも、東北のお年よりは「火」を「フィー」と発音するとの意見も頂きました。
そうすると、卑弥呼は「ヒミコ」ではなく「フィミコ」と読めるのか、ということ
も考えなければならず相当混乱してきました。

もし、卑弥呼が火神子ならば、記紀におけるイザナミとそれに続く系統が邪馬台国
を表し、イザナギから続く系統が大和朝廷の原型となるのではないかと考えています。
つまり、邪馬台国とは、大和朝廷によって統合される前の地方王権の一つであり、
そのイメージは出雲=黄泉の国に象徴されているのではないか?という事です。

畿内地方と九州との一番の自然環境の違いは活火山があるか、ないかという事であ
ると思います。もちろん、平均気温その他違うところはほかにもありますが、目に
見えて違うのはこの点だと思います。

火山信仰と巨石信仰(黄泉の国の蓋)両方が存在する土地という事で九州地方に
邪馬台国があり、大和朝廷はそれを併呑し日本列島統一を進めていったと推測して
いますが、今の時点では整合性をもった解釈ができませんでした。

勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 11日 11時 33分 49秒
URL:http://www.gyakusetsu-j.com/bbs/library/ag1_izw/1999_05.html

>菊地さん

卑弥呼の卑が日ではなく、火ではないか?

という提言はかなり昔からあると思います。
有名なところでは、漫画なのですが「ヤマタイカ」(星野之宣だったかな?ちょっと下の名前の記憶が怪しいです。)というのがあります。これはかなり昔に出たまんがだそうですが、私は数年前に古本屋で手に入れて読みました。かなり面白い漫画です

私の小説はこの漫画と、安彦良和氏の「ナムジ」「ジンム」という漫画から、影響を受けていると思います(^^ゞ

主人公は当初の予定の崇神からアジスキにかわったのもその影響の一端です(笑)

上記URLは、井沢元彦氏の公式掲示板の四年以上前の過去ログなのですが、邪馬台国とか卑弥呼=火神子説について語った部分です。火神子説が論としては挫折した経緯が解かると思いますので、ぜひご一読ください。

井沢掲示板では最初、「勇者ロト」ではなく「さっちー」と名乗っていました。この頃の井沢掲示板にはきんたろうさんたちも投稿してらっしゃるので面白いと思いますよ!

邪馬台国についてはこの前月分の過去ログから議論が始まっていますので、そこから読んでいただけたらご理解頂けると思います。

菊池元宏 さん (kki856@gaea.ocn.ne.jp) 2003年 11月 11日 09時 39分 18秒

ロトさんの小説通り、
卑弥呼国家が太陽信仰国家の日巫女ではなく
火山信仰国家の火巫女と考える人いるようです。

倭人伝では阿蘇の「蘇」のつく国名も目立つことだし、
阿蘇山を思い浮かべると、九州で火山信仰が興らない方が不自然。
この卑弥呼=火巫女説に乗っかろうと。

勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 09日 12時 34分 14秒
URL:http://www.ne.jp/asahi/ballpython/net/kousetu.htm

上記URLは、蛇の交尾の画像。確かに縄を結んだように絡んでます(笑)

この画像では注連縄ほどからまってませんが(^^ゞ

勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 08日 15時 17分 37秒

ますます冒険活劇的になってきてしまいましたが、本当におもしろいのか、自分ではよくわかりません(自爆)

きんたろう さん 2003年 11月 08日 13時 21分 31秒
URL:http://www5d.biglobe.ne.jp/~kintaro2/roto37kuniyuzuri.htm

タカヒコの大冒険9を載せました^^
とても面白くなってきましたよね。

勇者ロトさんの筆力がますますパワーアップした感じがします^^

続きを頑張って下さい!!

菊池元宏 さん (kki856@gaea.ocn.ne.jp) 2003年 11月 06日 11時 23分 30秒

外国人陳壽がどれだけ、列島の地理を把握していたかという問題があるんではないかと考えてます。

列島が倭人伝通り南に延びた島で、会稽東治の東に邪馬台国があったという程度の認識であれば、
7万戸を抱えていた邪馬台国と北部九州の大きな女性首長勢力を誤って重ねてイメージしていたのかもしれないのかなとも思えます。

また、「女王の都する所」とは女王の居た所ではなく、
女王が日本の都と考えていた場所が大和だったと解釈しようかなとも迷っています。

卑弥呼政権は半島でいう任那のような政権で王国として認められていたんだけど、魏と大和双方に二重朝貢していたんだったりしてね(笑)

しかし不思議ですね、古代の半島では大きく4つの地域で王国が存在してるので首都が4つ存在しますが、
古代日本は首都と思われる場所が何処だか論争になってしまう。
どうだったんでしょうね。

というか、悩みを投稿してるだけでした。(自爆)

勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 06日 09時 28分 44秒

菊地さん、

>卑弥呼がいた場所=首都=最大の都市としなくても良いのではないかと

こう考えるためには、どういう理屈をつけて説明すれば良いと思われますか?

勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 06日 09時 27分 16秒

>アメノトリフネ

すいません。饒速日はアメノイワフネでしたm(__)m

アメノトリフネは、タケミカヅチと共に出雲国譲りに登場した神のことでした。またオオナムチもこの船を使っていたとか。。。。。。。。

菊池元宏 さん (kki856@gaea.ocn.ne.jp) 2003年 11月 06日 09時 08分 53秒

>さて、邪馬台国の最大の都市がどこにあるか?ととわれれば、畿内大和だろうなあと思いますが、卑弥呼が居たところはどこにあるかと問われれば、北九州だったら良いのになぁと思っている、中途半端な状態です。

卑弥呼がいた場所=首都=最大の都市としなくても良いのではないかと思ったりもして(爆)

このお考えには賛同します。
今では、邪馬台国論争は両者引き分けでもいいと思ってます。
いつの間にか、ロトさんとの共通点が見出せていたようです。

kituno_i さん 2003年 11月 05日 19時 54分 55秒

基礎知識をプリントアウトにやってきました。^^

私が初めて「国譲り」を読んだときと比べて随分古代の登場人物のことが理解できるようになったと、自分に感心しています。(^^;;)

間が開いたので、話をちょっと振り返ってみました。
ファイルは膨大な量になり、3冊目です。^^

勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 05日 17時 03分 35秒

国譲りの真相の基礎知識3

邪馬台国は何処だったか

国譲り小説では、記紀の神代から神功・応神までの年代を、卑弥呼から倭の五王以前の間の出来事として基本的には解釈しています。

現在の小説中の時間は、西暦300年ころのつもりです。

さて、邪馬台国の最大の都市がどこにあるか?ととわれれば、畿内大和だろうなあと思いますが、卑弥呼が居たところはどこにあるかと問われれば、北九州だったら良いのになぁと思っている、中途半端な状態です。

卑弥呼がいた場所=首都=最大の都市としなくても良いのではないかと思ったりもして(爆)

勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 05日 16時 49分 54秒

途中で送信してしまった・・・・・。

アメノトリフネに乗ってやってくるところから、渡来神的な性格を感じさせるが、その渡来が神武以前に設定されているところから、古さと土着性を主張しているようにも見える。

国譲り小説では、魏国からの渡来人という設定にしましたが、何処から来たのか結局は不明です。また私が小説の中で魏人とした理由は、面白いから、です(爆)

物部氏には軍事、祭祀を司る氏族というイメージが付きまといます。しかし、各地の物部氏の祖伝承と理解しても良いような伝承をみていくと、「開拓民」というイメージも強い。彼らがはるばると海を越えてまでやってきたのは、物部祭祀布教のためではない。当時としては最新の技術力を擁し新天地を求めてやってきたのだろう。最新技術を持ちながら新天地を求める理由は、「故郷に居られなくなった」から。それで当時の最先端の文化を誇っていた中国北部の出身としてみました。すいません。ご都合主義です(^^ゞ

勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 05日 16時 31分 55秒

国譲りの真相の基礎知識2

ニギハヤヒについて

ニギハヤヒといえば、古代史ファンなら誰でも知っている「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」というビッグネームの持ち主です。

その名から、太陽神として理解されている。

記紀神話では神武天皇に東征の以前にアメノトリフネに乗り大和の国にはいり、在地の豪族ナガスネヒコの妹を娶り、大和の国の王のような立場に立っていたとされている。

先代旧事本紀などの古文献において物部氏系豪族の祖とされ、「元伊勢」と称される丹後籠神社から出た海部氏系図によると海部氏、尾張氏の始祖として記されているらしい。降臨の際、彼が持ってきた宝を称して「十種の神宝」という。

天照国照という名から皇祖アマテラスの原初形態であるという説もある。俗に言う「アマテラス男神説」は、太陽=男性的にモノの象徴という民俗学的指摘を受け入れ、それを文献的に探すとこの神が「男神アマテラス」に想定されるのだろう。

火明(ホアカリ)という名をその長い名称の中に含むので降臨した天孫ニニギの兄弟神であるという説、播磨風土記のオオナムチの子神であるという説などがある。

異本とされている但馬故事記では、国土創生の神といった扱いが見えるそうです。

また、先に挙げた籠神社の秘伝として巷間ささやかれているものに、賀茂別雷神の異名同神というものがあるらしい。

饒速日については、神奈備さんのページの物部氏のコーナーが物語的にはとても詳しいのでそちらも参考にしてください。




勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 05日 15時 10分 46秒

国譲りの真相の基礎知識

まず、主役のアジスキタカヒコについて、、、

このモデルになってる味鋤高彦根神は出雲大国主神と宗像の三女神の中の多紀理姫との間の子神です。妹神がいまして、これがアメノワカヒコの嫁となるシタテル姫です。アメノワカヒコの葬儀場面にアジスキが登場し死んだはずのワカヒコと間違われて怒りだし喪家を切り倒す神話は有名な神話です。

しかし、事代主やタケミナカタが登場する「出雲国譲り」には登場しません。

別名「賀茂大神」とも呼ばれ、葛城の高鴨阿知須岐託彦根命神社でまつられており、一説には四国の土佐大神もこの神の別神名とされています。

「賀茂大神」という名前から幾流にも分岐する賀茂(加茂・鴨)族の祖神と考えられている神であり、山城の賀茂族の祖先神とされている「賀茂武角身神」とも異名同体という説もあります。

賀茂武角身神の異名同体神として有名なの神が、熊野の地で頓挫しそうになった神武東征の道先案内人として颯爽と登場する「ヤタガラス」です。

アジスキ、タケツノミ、ヤタガラスを三者一体の同一神として見る説もあり、賀茂の道もこれまた深そうです。

このあたり、もっと詳しく知りたい方は、ペギラさんが深く潜行しながら探索なされていますので、ペギラさんにきいてみましょう(^^ゞ

私の小説では、全て別人として描いています。
基本的に神武〜崇神を全て同時代に集約した解釈の上で話を進めていますので、系譜の順番と人物の登場順番がかなりあやふやです(自爆)

勇者ロト(管理人) さん 2003年 11月 04日 23時 19分 39秒

菊地さん、読んで頂いてありがとうございます(^^ゞ

あと二回くらいは週刊ペースを守れそうです(笑)

菊池元宏 さん (kki856@gaea.ocn.ne.jp) 2003年 11月 04日 13時 05分 21秒

30,31読みました。
「タカヒコ殿。三輪の宮までもう一息だ。がんばって下さい。」

Return