〉大化の改新
ドラマ的には40点。史実的には20点、というところでしょうか。入鹿と鎌足の友情での生きるか死ぬかの葛藤にほろりとさせられたところが一箇所だけ。でも岡田君にはちょっと荷の重い役立ったかな;;;。
第一、車持君与志古と鎌足と入鹿が幼馴染と言う時点でかなりの無理が(^^;)。でも真相的に宝皇女と軽皇子に入鹿が踊らされた、という解釈は書紀どおりに読めば案外そうなのかもなあと思ってしまいました。
・・・マリリンはもう大丈夫ですか?お元気?
きんたろうさん、前半だけ見たってことは「後半は見るまでもない」ってことなんでしょうか(^^ゞということは100点満点で50点以下の出来ということですね。
そういえば、前回の聖徳太子、私は前半しか見ませんでした(^^ゞ
Syoukoさん的には100点満点で何点くらいのドラマでした?>大化の改新。
結局、大化の改新は録画して見ませんでした(笑)
ナニワ金融道を見ていました。世の中の恐ろしさをじわっと感じさせてくれました。マルチ商法に恋愛勧誘商法。。。。そして簡単そうなキャッシング。うーん。怖い。。。。。人間って簡単に洗脳されるものなんだと思いました。気をつけねば(^^ゞ
今年もよろしくお願いします♪
「大化の改新」、主人は三文芝居だとぶちぶち言いながら付き合ってくれました。まあ、突っ込みどころは多い作品でしたが、あれはあれでありかな(笑)。古代史のドラマ自体が少ないから。
・・・でも刺激されて作品書きたくなっちゃいますね^^。
おめでとうございます。
この正月は天気がまずまずだったのですが、結局家でのんびりしていました。
ので明日から、フル活動が出来るきにはなれません^^;;
「大化の改新」の前半部分は見ましたよ。
時輔がこの前は「光秀」をやっていましたが、今度は「蘇我入鹿」なんですね。
今日は、「大化の改新」の放送日ですね。見ようか、録画しようかそれが問題です(^^ゞ
菊地さん、おめでとうございます(^^ゞ
紅白歌合戦の視聴率が40パーセントを切ったそうです。
K−1とプライドの二大格闘技番組にすっかり視聴者を奪われてしまったようですね。
大晦日から新年へという行事も時代が代わって別の形を求めるようになったのでしょうね。ここ数年で新年の迎え方もかなり変わってきてしまいました。元旦から営業している店の多いこと。。私のお店が元旦から営業を始めたころは、百貨店もスーパーも飲食店もみんな三が日はお休みでした。開いているのは神社の近くのドライブインぐらいでしたか、今は休んでいる店を探すほうが難しいくらいです。
子供の頃、正月にお年玉をもらってから、祖母にねだって姫路の駅前に行ったことがあります。お年玉を散在するつもりで出かけたのですが、商店街のお店というお店は全て休業中、いつもと違う駅前の風景が衝撃的だったのをはっきりと覚えています。あんな風景を見る事はもうないのでしょうね(^^ゞ
謹賀新年
いつものことですが、今年も愚説を語ると思います。
皆々様。今年も宜しくお願いします。
hn2602さん、みなさま、
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたしますm(__)m
と、いいながらいつもと同じペースで働いています。
年中無休は辛い(^^ゞ
本年は、大変お世話になり、有難うございました。
新年も宜しくお願いします。
ラベンダーの香り。。
確かにトイレの消臭剤にありがちな香りです。
この原作が書かれた頃に比べるとラベンダーの香りはあちこちからしてきますね(^^ゞ
でもその度に。。。以下略(^^ゞ
kitunoさん、こちらではおひさしぶりです。
マリゴンはクリスマスどころの騒ぎではありませんでした。
18日くらいから、風邪をひき、ずっと小児科通いでした。
20日くらいから連日40度前後の熱を出しぶっ倒れていました。24日のイブになっても熱が下がらず、赤十字病院に回されて診察、レントゲン検査、血液検査を経て再び診察の後、点滴。
朝の10時に小児科にいって大きな病院に行ってくださいといわれ、赤十字病院に行って全てが終わって帰宅するともう夜の7時という有様でした。あと二日ほど遅れると肺炎を起こしかねないような状況だったのでした。
点滴が効いたのか、25日の昼には熱も下がり、食欲も出て今は少し咳きが残っているくらいで元気になりました。
プレゼントは「点滴」でしょうか(^^ゞ
サンタさんからは、病気が治るというプレゼントをもらったようなものです。
当初予定していたのは、kitunoさんちと同じ、アンパンマンのブロックか、お料理セットです。
買いに行きそびれたので、お年玉の替わりにしようと思います(^^ゞ
お気に入りはアンパンマンですね。
昨年から、毎週一回放送のあるアンパンを録画して繰り返し見ています。
先月くらいからアニメが始まるとあらすじというか、登場キャラクターの名前を教えてくれるようになりました。
「ジャスミンさん出てくるよ〜」
とか(^^ゞ
それと、「アルプスの少女ハイジ」のアニメです。
関西地区では今ちょうど再放送しているところなのでこれも録画しています。
服とか靴とかはキティちゃんのマーク入りが大のお気に入りです。
しかしアンパンマンって子供はみんな大好きですよね(^^ゞ
ところで、マリゴンちゃんへのサンタさんからのプレゼントは何だったのかな〜。(^_^)
ちび姫は、アンパンマンのブロックをもらって大喜びです。
おじいちゃま、おばあちゃまからも、アンパンマンのお料理セットをいただいて、私が料理をしている脇で、
「ちび姫もお料理、お料理」と張り切っています。
つい最近まで、「いないいないばあ」のうーたんやワンワンを抱いて寝ていたのに、最近は急にアンパンマンを抱いて寝るようになりました。
アンパンマンのアニメの内容がわかるようになったからなのでしょうね。(^_^)
マリゴンちゃんのお気に入りは何ですか?
また「親ばか話」を聞かせてくださいね。(*^_^*)
ロトさん、先日はご心配いただき、ありがとうございました。
今日、今までの悩みを一気に解決できるようなことがあり、穏やかな気持ちで新年を迎えることができそうです。
ず〜っと悩んでいたので、皆さんに「メリークリスマス」のご挨拶もできず、私の掲示板やトピックに書き込みしてくださった方々への返信もできず、とても申し訳なく思っています。
少し気持ちが楽になったら、何だか桜小径の香りがとても懐かしくなりました。(*^_^*)
そのうち、送ってもらおうかな。
>ラベンダーのにおいでもしてきたの(^^ゞ
トイレの芳香剤のにおいがしてきたんですよ(爆)
それって、尾道三部作の時をかける少女?
ラベンダーのにおいでもしてきたの(^^ゞ
私たちの世代にとっての加賀まり子がそれにあたるかな>バラエティで変なことやってる「おばさん」
もっと上の世代の人からみたら加賀まり子も美人若手女優だったんだろうなぁと(^^ゞ
杉田かおるは美人ってかんじゃあないけども。
「時かけ」って「時をかける少女」の事でございます。
今の子供にとっては「杉田かおる」ってバラエティで変なことやってる「おばさん」というイメージかもしれませんね。
「時かけ」って「時をかける少女」の事?
確かに、テレビの原風景って年代によって違いますよね。アイドルとか歌手も当然違ってくるんだろうなぁ。
「杉田かおる」なんて今の子供にとっちゃ、何の感慨もないんだろうねぇ。
そもそも、TVがまだ存在しなかった頃に物心がついた世代ということになる。
ちなみに、私のHNについている数字は、皆さんお察しの通り?生年を意味しています。
つまり、皇紀2602年生まれということです。
力道山や木村・遠藤幸吉らのプロレス、あとは、月光仮面といったところが、TVで覚えている主な番組です。
アニメとかテレビの話題って年齢差がホントに出ますね。
先日痛感したのが会社の同僚の5歳ぐらい年下と雑談してたとき、「時かけ」ネタが理解されなかったとき。
冷静に考えてみりゃむこうが小学1年の時自分は小学6年か中学1年だ。
そもそも、子どものころに、TVでアニメなど見た覚えがない。
漫画の本はそれなりに読んだのですが、小学校時代は「貸し本屋」で、中高時代は、読まずにまた大学に入ってから、当時最先端?の「漫画を読む大学生」の仲間入りをした世代です。
う〜ん。ジェネレーション・ギャップが大き過ぎる・・・。
上記 URL 発見!
こんな時代だよ。
白黒アニメかぁ。。。
唯一記憶が残っているのが「のらくろ」当然、夕方とかの地方局の予算削減用の再放送で見たのでしょうけど(^^ゞ
これもうちのテレビが白黒テレビだっただけで、本当は色付のアニメの放送を見ていたのかもしれないけれど(^^ゞ
極めて不謹慎な発言ですけど、
平成の世だっていつまで続くかはわからない。
いずれ、私も昭和の化石と呼ばれるんだろうなぁ。
そうなれば、昭和40年代生まれも昭和50年代生まれもたいして変わらないですね。
リアルタイムに白黒のアニメを見ている世代。
今のデジタルハイビジョンがうそのような世界。
私が「懐かしいアニメ」と言われて思い出す作品は「とんでも戦士ムテキング」「未来警察ウラシマン」ですね。
タイムボカン限定だとあまり記憶がないですがタイムボカンシリーズと言うことになるとかなり覚えてます。
この前の戦争といわれて思い出すのは応仁の乱(嘘)
ちなみに、40年代生まれだと、巨人の星、アパッチ野球軍とかタイムボカン。
50年代生まれだと、ガンダム、イデオン、あさりちゃんとかを挙げる人が多かったような。。。
まあ、私の近辺だけの話ですけどね(^^ゞ
昭和で区切ると、、
それはあるかな。
自分の体験でいうと、昭和の49年生まれまでと50年以降生まれでは、「懐かしいアニメ」という話をすると挙げる作品が違ってたような気がする。。。
昭和生まれでも20年代生まれと30年代生まれはやっぱり違うなぁって感じがします。
昭和29年生まれと昭和30年生まれには1年以上の開きを感じてしまいます。
それをいったら、昭和生まれと平成生まれは10年以上の印象度の違いがあるのかもしれませんね。
たったの1年違いでも。。。
年代というのは幅広いもんです(^^ゞ
昭和60年代だと狭くなりますが(笑)
70年代といっても、0から9まで幅広いですからねぇ(^^ゞ
やっぱり年齢の話題というのは地雷だったようで(笑)
わたしゃ1970年代生まれだからまだまだ年齢を気にするところまで言ってませんが(笑)
厄年ってやっぱり嫌なことが起こるのかな。
と、思ってしまう今日この頃(^^ゞ
精神年齢が娘さんと同い年なわけですね(^^ゞ
まだまだ先だと思ってた40を超えて数年。。。。。。。
恐ろしさは開き直りになる。(ノ^o^)ノ オオオオオオォォォォォ〜♪
もう娘が二十歳なんだもんな。
精神年齢は二十歳を目指していたんだが、
本当の二十歳を目の前にすると。。(苦)
あらためて、自分の年を考えるともう三十代の後半。。
まだまだ先だと思ってた40まで後数年。。。。。。。
恐ろしいなあ。
で、ロトさんとペギラさんはお幾つになったんでしょうか(笑)
…禁句?
あ、ペギラさんにロトさん、お誕生日なんですね。
おめでとうございます♪
・・・で、『穴』で語らった事が全んど出てる^^;。ロトさんが珍しく煮えたぎっていますね。私に火が点くより先に、ロトさんに火が点いてしまった(爆)。
おおおっ忘れていました。昨日が13日だったのですね(^^ゞありがとうございます(^^ゞ
忘れないうちに言っておこう(^^ゞ
ペギラさんもおめでとうございます(^^ゞ
ハピィバスディ
[377] 聖徳太子の地球儀 投稿者:勇者ロト(管理人) 投稿日:03/03/04(Tue) 12:28 <URL>
一昨日のテレビで、この地球儀の作製年代が明らかにされた。
地球儀の材質は珪素だった。
珪素は江戸期の医者が薬を作るのに使用されていたらしい。
また「墨瓦臘尼加」という文字が地球儀に記されていたということも明らかになった。といっても最初の3文字、「墨瓦臘」だけが見えたということで、残りの「尼加」は部分的にしか見えず、推測だということらしいが。
江戸時代の初期に中国大陸で刊行された世界地図「坤輿万国全図」=「マッパムンディス」に「墨瓦臘尼加」という文字が見える。南方にある巨大な島のことでで「メガラニカ」と読む。マゼランの名から名付けられたそうだ。これは南極大陸だとも南アメリカ大陸のことだとも言われている。
太子の地球儀には「墨瓦臘尼加」と書かれていたと考えてもいいだろう。
西川如見による「華夷通商考」(1695刊行)には、すでに「墨瓦臘尼加」の文字が見えるのではないか!これは江戸時代以降に作られたものだったのだ!!!
ということらしい。名前は失念してしまったが作成者の名前にまで言及していた。
「聖徳太子の地球儀ではなかった」。。。なかなかに面白い番組でした。
ちなみに「特命リサーチ200X」という番組です。
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[378] Re: 聖徳太子の地球儀 投稿者:ペギラ 投稿日:03/03/04(Tue) 17:42
偶然途中から見ました。テレビ。
面白かった。やるもんだ!
これからは、聖徳太子の地球儀って言えなくなって、
どうするんだろう。
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[381] Re^2: 聖徳太子の地球儀 投稿者:勇者ロト(管理人) 投稿日:03/03/05(Wed) 13:14 <URL>
> これからは、聖徳太子の地球儀って言えなくなって、
> どうするんだろう。
これからは「日本製地球儀第一号」となるのかな?
地球儀だったことははっきりしてしまったわけですから(^^ゞ
信長が先に作らせてるのかな?
天海と光秀そして快川紹喜。
こいつらがつるんでたのかとも思ったりもする。
天海っていう人は、禅宗も修めてたとされる。
禅宗を学ぶ。足利学校で、という伝説もある。足利の紋が天海の廟についてあるから足利と関係のある人なのかもしれない。
誰に学んだのか。
当然、禅宗の僧侶だろう。
叡山を焼け出された天海は武田を頼り、甲斐に。
甲斐には信玄の師ともいわれる快川紹喜がいる。
天海が本当に甲斐に潜伏していたとしたら、当然、快川紹喜にも会ってるだろうなあ。当代一の禅宗の大家が近くにいるのに会わないってことはないだろう。
信忠と光秀が快川紹喜に会いに行く。
いくら何でも最初っから焼き殺すつもりは無かっただろう。
信忠の甲斐仕置きに協力しろとまずは言ったんじゃないか。
が、ここできっぱりと断られてしまう。
で、逆上した信忠は
「ええい、寺ごと焼いてしまえ!父上も逆らうなら討てとおっしゃった」
とか、なんとか。。。。
それを制止できず、横目で見ていた光秀。
光秀は「何時までも、この調子でいいのか?」とか思い悩んだ。
その一部始終を隠れてみていたのが天海。
天海は夜中にこそっと、光秀の陣へと。。。。。
そこで怪しげな話をして、オフ会であったネットの友達のごとく、二人で盛り上がる。
光秀は、天海の教養の深さに一緒に京都に戻らないかと誘うが、信長の近くに行くなんてトンでもないと断られる。
光秀は、家康の接待のとき、家康に世間話として天海という面白くも凄い賢人がいるとぼそっと漏らす。
さて、本能寺の変が終わるやいなや、家康は甲斐、信濃へと触手を伸ばす。
そこで、「はた」といっても秦氏とは何の関係もないが実はあったりして、、、天海は秦氏の末裔だ!なんて。。。
おっと話がそれた。
「はた」と光秀の言葉を思い出す。
「秦」いや「はた」と思い出した家康は天海を探し出し、自分の顧問として迎えようとした。
もったいぶった天海は、これに乗った。でも時間をくれという。一旦断って、快川紹喜の弟子虎哉禅師を頼ってに奥州に。。。
ここで伊達政宗とあったとか会わなかったとかいう話がでてくる。
で、家康にきっちりと召抱えられる直前、川越にいたらしい。
何をしに川越に?
hn2602さん。
どうやら、ものすごい古代史マニアから挑発を受けてるようですね。
長いといっても4ページの会話モノですので、読むのにそう時間はかからないと思います(^^ゞ
織田信雄か。
面白い人ですね。
確かに秀吉も家康ももともとは織田家の子分。
べつに彼等に忠節をつくす筋合いはなかったにかもしれませんね。
長編小説のようですので時間がとれたら読んでみます。
今回の小説を書くにあたって初めて織田信雄の人生について調べましたがとても面白い人生を送ってますね。「第六天のような人生」とはこの人のことじゃあないかと思ってしまいました。
父織田信長に伊勢の国をあてがわれ、
後ろ盾の父が居なくなって、
秀吉、家康の間をうろうろしたあげく、
秀吉に伊勢・尾張その他合わせて170万石を献上され、
大大名となり、
亡き父に迫る正二位内大臣という高位につき、
落ち着くかと思いきや、
秀吉に東北に流されりして。。。
普通はここで終わってしまう人が多そうですが、
戻ってきてから大阪城で秀吉のお伽衆になってたりする。
秀吉が死んでから関が原で西軍につき領地没収されても淀君の顧問のように居座ったあげく、
大阪の内情を家康に告げ口して、
家康に大阪につけ込む隙を教えたりしてる。
一見するとなんて節操のない人間なんだということになる。
でも、彼から見ると家康も秀吉も父の子分。
いうなれば、こいつらの方が付きまとって、
ああだここだと言って来る、と思ってたりしてたんだったりして(^^ゞ
家康なんて秀吉に買収された信雄を罵倒してたのにも関わらず、
ちゃっかり後で仲良くなってたりする。
信雄からみればこいつらの方が節操のないやつらだと思ってたに違いない。
信長の子供でしかも他人の言いなりになるところがあり利用価値があるから生き延びた。のかもしれない。
でも、この人自身に直接触れ合った人でないと感じられない「利用価値がある」という以上の人間的な魅力があったのじゃなかろうかとも思えてくる。
殺されてもいい場面はいっぱいあった。なのに生き延びてる。不思議な人です。
hn2602さん、長い作品を読んで頂いてありがとうございました。
奇蝶をアマテラスに、、、というのが光秀の願いでしたってそんなわけないか、子孫がいないのに。。。(^^ゞ
生駒(吉乃)亡き後、いや生きてるうちから、信忠、信雄兄弟の教育とかは濃姫に責任があったんじゃなかろうかと。。。。
1566年に吉乃は死去。信忠はまだ10にも満たない年頃ですし、信雄もちろんです。彼らにとっての母とは濃姫のことだったのではないかと思うのです。
吉乃の産んだ子が兄弟の中で特に優遇された。というのは単に年が上で信長存命中から働けたという事、吉乃を愛していたから、という理由以上に「正室濃姫が可愛がっていたから」というのが大きな理由ではないかと思うのです。
「本能寺殺人事件」読破しました。
まさか、常真さんが黒幕だったとは!
でもありそうですね。
光秀は、実際には、奇蝶の従兄弟ではないのではないかと、私は考えていますが・・・。
しかし、美濃人で、明智氏の末の一族だったとすれば、本家筋の奇蝶に頭が上がらなかったかも知れない。
本能寺殺人事件の4にも書きましたが、織田信長と聖徳太子は同じ年齢で同じ干支に亡くなりました。
とすると、干支による運勢も同じとなる。
あたっているでしょうか?上記URLは干支占い。
私の計算が間違ってなければ「甲午」のはずです(^^ゞ
本能寺の移転の歴史を発見。上記URL。
最初は本応寺と書いてたようですね。
三箇所もあるのは知りませんでした(^^ゞ
信長の死んだ本能寺が、どっかから移転してきてたってことなんでしょうね?