縄文人はどこからきたか?

勇者ロトさん、日本民族・日本語・日本国家の形成についての愚説をぼちぼちと開陳させていただこうと思います。

余りまとめたことがありませんので必要な文献等も揃っていません(今回いくつか前に読んで確かに購入した覚えのある文献をいくつか探したのですがほとんど出てきませんでした)。ゆっくり書き込ませていただくことにかるかと思いますが宜しくお願いします。

とりあえず私の民族形成期と考える弥生時代の前の縄文時代の列島の居住者「縄文人」の起源について今回は考えを述べたいと思います。

縄文人のイメージとしてはいわゆる北方系モンゴロイドー新モンゴロイドの特徴を持たない彫りの深い南方風の古モンゴロイド系の人々を一般にイメージされることが多く、何となく南方系モンゴロイドと考えられることが多いようです。

しかし縄文時代(新石器時代)以前は明らかにシベリア起源と思われる

「細石刃」が列島で広くおこなわれており、縄文以前の無文土器や隆線文土器の時代を含めてシベリア〜北アジアからおそらく沿海州・樺太を経て北方ルートで縄文人の先祖のほとんどは列島に入ったと考えて良いと思います。

モンゴロイドの平坦な顔は強い咀嚼力への適応として発達し,北方系モンゴロイドのより平坦な顔は強い咀嚼力と二次的な寒冷適応の結果とされています(「モンゴロイドの地球@アフリカからの旅立ち、第2章、p84〜85、馬場悠男)。

習俗等より明らかに北方系と考えられるアイヌ民族などが余り北方系モンゴロイド風の容貌を示していないことから、スンダランドから南方系モンゴロイドがアジア大陸東岸沿いに北上し、沿海州から樺太周りで南方系の特徴を残したまま日本に入ったといういわば南方系モンゴロイドの北回り列島移住説がありますが、

「熊祭り」その他沿海州・シベリア方面とのアイヌ民族の習俗との共通性から考えていささか無理があるように思われ、

アイヌ民族と縄文人の関係は別として、縄文人主流の東北日本の縄文人については素直にシベリア・沿海州ルートで日本に入ったと考えるべきでしょう。

一方、西南日本の特に太平洋岸沿いには、一万年以上前に

「貝(殻)文土器」

を持った南方系モンゴロイドの集団が移住し、南九州を中心に北方の縄文文化と異なった文化を育てつつありましたが、相次ぐ噴火、ことに鬼界カルデラの大噴火により7500年以上前に大打撃を受け、日本列島は全体的に縄文文化に覆われることになります。

しかし西南日本からの移住者集団は「根栽培」(芋)や後には雑穀として「焼畑農耕(陸稲栽培)」も列島に持ち込んでいたと考えられます。
 
さて細石刃文化を列島に持ち込んだ北方系モンゴロイドは列島中央部以北で「ナラ林文化」を形成しましたが、三内丸山に代表されるように遅くとも縄文中期には「部族」を形成し、おそらくは「部族国家」を形成していたのではないかと思われます。

即ち縄文時代にはすでに「支配」と「被支配」の階層(階級)分化が成立していたと考えられます。

この細石刃文化をもたらした北方系モンゴロイドは、「スンダランド」を通過したのではなく、西南アジアのモンゴロイド東進開始後、南方系モンゴロイドと別れて、中央アジアを通りシベリアに達したものと思われます。

勿論数波に分かれていたことでしょう。

その2

縄文人を北方起源(西南日本の貝文土器所有者の先祖は南方系ですが)とした場合、何時日本列島にその祖先集団が入ったかということですが、根井正利は1993年京都で行われた「現代人の起源」に関するシンポジウムで縄文人の「北東アジア起源説」を仮説として提唱しました。

直接その文献に当たっていないので誤解している可能性がありますが、宝来聰氏の「DNA人類進化学」(岩波書店、1997)に引用されているその要旨は

@日本人の祖先は約3万年前に北東アジアから日本にやってきた。

A日本列島がアジア大陸と最終的に分離した約1万2千年前までは、北東アジアから時折人々の流入が続いていた。

Bアイヌと本土日本人は縄文時代初期に分岐し、琉球人は比較的最近に本土日本人の祖先系列より枝分かれした。

C弥生時代以降の渡来人は大きな文化的貢献はしたものの、現代日本人の遺伝子プールにはほんのわずかの影響しか与えなかった。

の4点にまとめられています。この「北東アジア起源説」ではアイヌ、琉球人、本土日本人は、すべて北東アジアに起源するとされ、縄文人の東南アジア起源は否定され、特に埴原和郎氏の「二重構造モデル」を完全に否定しています。

このCの部分について宝来氏はミトコンドリアDNA(MtDNA)のデータを提示して反対し、現代の本土日本人における弥生時代以降に渡来人によてもたらされたMtDNAの割合を算出し65%(即ち縄文人1対弥生人・古墳人2)と算出しています。

この試算は荒っぽく厳密な検証には耐え得ないように思われますが、概算として弥生人と縄文人の影響を観るにはとりあえず使用しても良いと私は考えます。

また宝来氏のアイヌのMtDNAのデータでは、アイヌ自体に異なった二つの起源があるように読み取れ、同氏は「アイヌ集団の約四分の一と琉球人集団の三分の一は遺伝的に共通項がある」としており、弥生時代の移民が起り始めたころにアイヌと琉球人が分岐したとは考え難く、弥生時代には、琉球人の祖先の一部は西日本にとどまっていたかもしれないが、アイヌの祖先集団はすでに東北や北海道などの北日本で生活していたと推測しています。

私は縄文人の先祖集団が列島に入ってきた時期については根井説を援用し、

約3万年前(貴人的にはもう少し後ではないかと感じていますが時期を特定する論拠を持っていませんので上限3万年下限2万年くらいと大雑把に考えています)から1万2千年前にシベリア・沿海州ルートで「細石器文化」もしくはその前段階の文化を携えて列島に入り、無文土器・隆線文土器を経て縄文文化を草創したと考えています。

これはユーラシア全体の歴史とのかかわりでいえば「マンモスハンター」の中央アジア経由のシベリア進出の流れと一致していると思われ、この「東北アジア起源」の縄文人の先祖は西南アジアから中央アジアに入った集団(ヨーロッパのマンモスハンターがいたウラル山脈南方から黒海までの集団も参加したと思われます)で東南アジアやインド亜大陸を経由した可能性はないと考えられます。

この集団は列島に入る前から階層〜階級分化していた可能性があり(ヨーロッパのマンモスハンターの住居の考古学的研究では貧富の差が認められています)縄文文化は最初から「身分制」が存在しそのバンドはすでに「氏族」というべき構成を持ちかなり早くから(遅くとも中期には)部族国家と言い得る段階に至っていたのではないかと考えます。

以上は主に東北日本を中心に発展した縄文人についての現段階の私の考えです。西南日本の南方系モンゴロイドについてはまた項を改めます。

次に西南日本(というよりも南九州、南四国、南近畿、東海、関東南部などの太平洋にそった沿海部(縄文海進で関東地方のかなり中央部まで太平洋にせっしていたと考えられるので全般にいわゆる太平洋沿岸部よりかなり内部に遺跡は見られると思います)に南方よえい黒潮に乗って渡来した集団は、東北日本の縄文人とかなり異なった土器文化をもっていたと考えられ、この集団(土器の特徴に従って「貝文土器(貝殻文土器)文化人」と表現します。

まだ完全に認められた用語か否か私には判断できません)は、後のオーストロネシア(南島)語族の前身と起源を同じくする南方系モンゴロイドだった可能性が強いと思われます。

その列島移住は12,000〜13,000年前に南九州に遺跡が認められていますが、おそらく列島への移住の開始はその前の15,000年くらい前にさかのぼり、列島への北方からの移住者とほぼ同時かそれより少し遅れた程度だったとおもいます(北方からの移住者を30,000年くらい前とすれば南方からの移住も同じくらい前だった可能性も」ありえます)。

この南方系系モンゴロイド集団は西南日本(関東以南の表日本)にその分布域を拡げ、植生としては「照葉樹林帯」に適応し、ちょうど裏日本から東北日本にかけての「ナラ林樹林帯」に適応した北方系モンゴロイドの縄文文化とともに列島内で発展をとげつつあったものと考えられます。

このままいけば日本列島内で二つの土器文化圏が競合しつつ発展したのでしょうが、10,000年前の桜島、6,500年前の鬼界カルデラの大噴火の打撃(特に後者)で壊滅的状態となり、東北日本から西南日本へと浸透した「縄文文化」に完全に吸収され、その一地方文化となるに至ったと思われます。

さてこの南方系モンゴロイドの原郷地はどこに求めるべきでしょうか?おそらく後の南島語族が形成されたと考えられる台湾から福建省あたりの南中国の一部と考えるべきでしょう。

スンダランド仮説(南方系モンゴロイドの原郷地としての)は、この前の「二地域進化説」(馬場悠男氏らが唱えていた、ホモ・サピエンスのアフリカ単一起源説と他地域起源説の折衷説で、アジアの新人であるモンゴロイド特に南方系モンゴロイドやオーストラロイドはアジアのホモ・エレクトゥスとアフリカ出自の新人の両者の血を引く)は提唱者の馬場氏が謝りをついこの間認めたことにより、かなり信憑性に疑問があり、最近のMtDNAについてのNHKの番組のようにほとんどの日本人の母系の祖が中央アジアに比定されることからも(南インドにも一つありましたが)、再検討が必要だと思います。

余談ですが、もとから「怪しい」と思っていた「二地域起源説」(「モンゴロイドの地球@第2章で馬場氏が論じています)よりもびっくりしたのが「犬」の起源(狼の家畜化)が「東北アジア」らしいという最近の研究にはびっくりしました。

これまでの各地の犬はその地の狼の子孫であるという説をひっくりかえしたのですから。詳しい発表が待たれます。モンゴロピドの起源や北方系モンゴロイドの移住経路に重大な示唆を与える事実です。

これまで日本の在来犬が南方系か北方系かというのも論点の一つでした。あるいは北回り(中央アジアルート)でシベリアに達したホモ・サピエンスの集団が狼を家畜化して犬を作り、その一部が犬とともに南下して「南方系モンゴロイド」になった(先にオーストラリア原住民やッメラネシア人の先祖となる集団が南周りで到達しており、これと混血して南方系モンゴロイドが形成された)という可能性が高まったように思われます。

そう考えると宝来聰氏のアイヌと東南アジア人、縄文人骨がMtDNAで同じクラスター(グループ)に属し、しかももっとも新しく分岐したグループに属する、という事実も矛盾なく説明できます。縄文人と南方系モンゴロイドは同じ頃にシベリア〜モンゴリアのモンゴロイドの原郷地を出発して、東西に分かれ、東方派は日本列島(及びアメリカへ?)に西方派は中国大陸を南下して長江流域から更に東南アジアに到達したと考えるべきでしょう。


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