朝鮮半島東南部(辰韓・新羅地域)に於ける倭人の動向(0-1)

  投稿者:hn2602  投稿日:2013年12月 8日(日)23時02分39秒
   朝鮮半島東南部、後漢時代から中国の三国時代、朝鮮半島における「三韓」時代の「辰韓」地域即ち、後の半島三国時代(高句麗・百済・新羅、実際には、伽耶諸国を含めると「四国」時代?)の「新羅」領域に相当する地域に於ける「倭人」の動向を、主として、半島の正史である『三国史記』新羅本紀を資料として語って行きたいと思います。

『三国史記』は、統一新羅が崩壊し、その末期に再現した後三国時代(王建の高麗、後百済、残存新羅)を再統一した高麗の王氏王朝下で、新羅王家金氏の末裔金富軾らによって、編纂されましたが、その時期は、1145年と日本の記紀に比して、400年以上も遅いものです。しかし、高麗ではその百年以上前から史書を編纂すべく、史料蒐集その他の努力が重ねられていました。


勅撰史書である『旧三国史』が存在し、他に『東海古記』『三韓古記』『新羅古事』『新羅古記』『鶏林雑伝』『花郎世紀』など、多くの史料が存在し、それ以外に、中国の史書類も参考にされています。日本の記紀などの史書類が、参照されていたかは、引用がありませんので不明ですが、高麗と日本は、遂に正式の国交を持たなかったので、少なくとも日本側史書が重視されて、その見解や内容が、直接的に反映されている、と言う事は余り無さそうです。

即ち、『三国史記』新羅本紀の倭人関連記事が、日本側の史書の影響を受けた可能性は極めて少なく、従って、記載されている辰韓地域、初期新羅時代の「倭人の記事」は、概ね新羅人の伝承に基いていると考えられます。

このような状態での、新羅初期の歴史(実際には「伝承」でしょう)に於ける倭人、倭」の大きな存在(存在感)は、注目に値します。最近、怪しげな、半島系或いは在日韓国朝鮮人や、一部のトンデモ古代史研究者らによる日本列島内での、半島系渡来人や帰化人の影響を過大視する言説が、儲け主義の出版社や左翼系マスコミなどで、喧伝されていますが、まず、彼らに「半島の正史」にどう記載されているか?を真摯に反省して、正しい歴史観を持つように、また日本人が騙されて変な嘘話を広げないためにも、日本の史料ではなく、半島側の史料での「倭人」についての「半島東南部の倭人の歴史」を述べたいと思います。
 

これに僧一然が遅れて表した『三国遺事』の記事で補足しつつ、論を進めたいと思います。
 『三国史記』新羅本紀は、平凡社「東洋文庫」版『三国史記』(井上秀雄、鄭早苗訳注、全4冊)の第一巻(新羅本紀、1980年2月29日初版第一刷発行)を使用します。

朝鮮半島東南部(辰韓・新羅地域)に於ける倭人の動向(O-2)

  投稿者:hn2602  投稿日:2013年12月12日(木)19時41分23秒
   高麗の高僧一然が、正史『三国史記』の記載を補うべく編纂した『三国遺事』は、『三国史記』以上に、新羅正統史観を採り、更に、一然が僧侶であった事と、高麗が北方からの圧力に常に晒されていた事もあり、新羅及びその後継国家高麗が「佛国土」であると言う強い思想・信念に基いて、編纂されているとされます。有名な「檀(壇)君神話」では、檀君王倹が、仏教の護法神である帝釈天の孫(天孫)として、語られています。

この神話から、仏教的色彩を拭い去って、日本神話の天孫降臨と関連付け、しかも、檀君神話が先行した、とする説が存在しますが、実は、ツングース諸族などの「獣祖伝承(獣祖神話)」(ウデゲ族の熊祖伝承など)が、高句麗支配下のツングース諸族にあり、高句麗後裔を当初唱えた王氏高麗が、望ましい「神話」として、創作した可能性が高いと考えられます。日本の記紀神話の千年近い後になって、それまでの中国・半島の史書になかった「神話」が突然登場するのです。


檀君神話が、日本神話の「元ネタ」であった可能性など皆無ですが、それでも、『三国遺事』には、日本との関係で見過ごせない重要な記事や異伝が、記されています。それらについては、『三国史記』に記載されている倭人の動向を軸にしつつ、その補足を『三国遺事』で行なう、と言う基本的姿勢で、論じたいと思います。

 よく『三国史記』は『日本書紀』に、『三国遺事』は『古事記』に、喩えられることがありますが、実際のところは、『三国遺事』は、『先代旧事本紀』と『古事記』の信頼性を足して2で割ったようなものだろうと考えています。個々の収載された「伝承」などは、貴重ですが、史書としての信頼度は、『三国史記』よりも低い、と言うのが、正直なところだと思います。

朝鮮半島東南部(辰韓・新羅領域)に於ける倭人の動向(0-3)

  投稿者:hn2602  投稿日:2013年12月29日(日)19時38分30秒
   本論に入る前に、もう一つ肝腎の「倭人」或いは「倭」とは何者か?と言う定義なり、議論が必要です。以前、ロトさんの掲示板で議論させて戴き、HPのコーナーに収載されている当時の論考は、分子人類学データがタンパク質からDNAに切り替わった直後の時代のデータに基いていましたが、当時はまだDNAデータは、ミトコンドリアDNA(以下mtDNA)と言う、女系を一系的(単系)で追えるものの、男系は追跡できないと言う欠点を抱えたデータしか、入手できませんでした。更に問題だったのは、mtDNAの極く一部の「遺伝子をコードしない」『非コード領域』であるDループやV領域と言った極めて突然変異を蓄積しやすい領域に限られていたと言う欠陥がありました。当時でも、既に核ゲノム染色体の内、遺伝子数が少なく、また小さい染色体である男性特有の性染色体Y染色体のDNA(以下YーDNAと略)の研究も行なわれ、所謂YAP(Alu挿入)と言われる重要な突然変異が発見されており、科研費から支出された「モンゴロイドプロジェクト」(NHK出版から五冊刊行された『モンゴロイドの地球』シリーズにその成果が収められています)の中にも、ちらりと思わせぶりに、「日本人とチベット人のみに発見される極めて珍しい変異」などと記載されていますが、その詳細なデータの公表も無く、当時の私などには現実的には使用できませんでした。


 結局、mtDNAデータについては、当時一般向けに出版された『イブの7人の娘たち』(ブライアン・サイクス)を読んだ時点で、まだ使用に耐え得るデータではないと判断できたので、『モンゴロイドの地球』収載のmtDNAデータとともに、日本人の起源・形成論の論拠には使用せず、DNAデータではなく、蛋白質データであり、父母両系から遺伝する双系的なHLAのデータが最も信頼出来ると判断し、主にHLAデータを民族・部族集団の追跡子(tracer,marker)として使用して、遼河流域から倭人が、日本列島に弥生時代に到来した、と結論を出したのです。これは、HLAの各型の組み合わせ(ハプロタイプ)中で、日本人最多頻度の型が、モンゴルあたりとも共通し、モンゴルでもおそらく最多頻度であると考えられることが、大きな根拠となっています。要するに日本民族の形成は、日本語民族の形成であり、日本語が倭人の言語であろうと考えられ、且つ縄文時代にまでは遡り得ないだろうとの合理的推測が、立てられる事からの推測でした。この場合、日本列島と蒙古高原の何れか一方から他方への移住と言うよりも、その両者の中間地域からの両地域への移住の可能性をも考慮して、遼河支流域を、移住の基点の可能性が最も高い地域と考えたのです。



 この点については、その後のY染色体DNAハプログループ(複数のハプロタイプを、同じ起源のもの同士でまとめてグループ分けしたもの。これもY−DNAと以後省略します)のデータ公表に伴い、男系を単系的に追える事と、言語の拡散が多く父系制氏族社会下で起こっている事からY-DNAのハプログループ(その下位分類・上位分類含む)と言語集団(語族など)との一致が特に東部アジア地域では有効だと考えられ、従来のHLAデータ(これも血清型からDNA型にデータが精緻化された)から、Y-DNAハプログループに基いて修正し、渤海湾沿岸部東部地域が、日本語民族(日琉祖語系統の諸言語・諸方言)の移動・拡散の基点だと考えるようになっています。HLAデータ時代の基点より、東南方に位置が変っていますが、勿論、倭人「諸部族」の一部は、当然その「基点」から東北方に移住し、満州に入った部族もあったと考えられます。(『後漢書』鮮卑伝の倭人国など)

 尚、mtDNAの非コード領域のデータが使用できないと考えたのは、それらの領域が、基本的に自然淘汰を受けないために、変異の蓄積が大きくなり、独立して同じ変異が、別個の地域や集団内で生じるために、「一系(単系)的」である筈なのに、系譜が辿れなくなるという欠陥があるからです。現にサイクスの本では、(A,B)と言う二つの突然変異を持ったmtDNAの祖型が、一方のみの変異を持った(A、−)と(ー、B)の何れであるかを決められず、結局「両者が祖型」であると言う系譜を作る着想を得た経緯を、とくとくと書いていました。私はこれを見て、「生みの母親が二人いる」などと言う生物学的にあり得ない馬鹿げた着想にあきれ果てて、この問題が解決するまで、mtDNAは使用できないと判断したのです。
まあ、最近は、ミトコンドリア遺伝疾患の女性のために、健康なミトコンドリアを持つ女性の卵子から細胞核を除去して、代りにミトコンドリア疾患の女性の卵子からの細胞核を移植する治療が行なわれていますので、「生みの母親」と言うか、母系からの遺伝子源が、1人ではなく2人、と言う症例も出るようになりました。しかし、それでも、「ミトコンドリアDNA」については、供給者(母)は、ただ1人です。



 近年のmtDNAについては、mtDNAの全領域をチェックして、ハプログループ分類していますから、勿論、民族や人種の起源論に参考になります。ただ研究が最初にアメリカ先住民から着手された事もあり、A,B,C,Dの順番がアメリカ先住民に最初に割り当てられたために、mtDNAの各ハプログループの記号を一見しただけでは、分類やその水準がわかりにくいと言う欠点があり、その点を考慮してYCC Consortiumを結成して、統一的に命名されたY-DNAハプログループのデータ群が、判りやすいという利点もあり、先に述べたように、言語との関連もmtDNAより密接なので、分子人類学データに言及する時には、主にY-DNAについて触れる事になります。


現時点では、Y-DNAデータからは、Y-D2系統が縄文系で現代日本人男性の約1/3〜最大40%まで、渡来系弥生人主力のY-O2b系統が、約1/3、残りは種種雑多という事になります。


日本列島に日琉祖語系統の言語を持ち込んだのは、Y-O2b系統の集団であり、日本列島では、これに弥生人化〜倭人化された「在来系弥生人(先住縄文系)」を加えたものが、「列島の倭(人)」という事になります。
半島では、Y-D2系統は極く少ないので、Y-O2b集団の一部が、「倭人」であったと考えられます。

実は朝鮮半島では、Y-O2b系統が、韓国人男性の最多集団なので、この系統が「韓族」⇒韓国朝鮮民族のマーカーでもあると、以前は考えていましたが、最近では、どうもY-O2b集団は、本来日琉祖語系統のマーカーであり、半島に残留したY-O2b集団は、他言語集団(例えばY-O3a系統の中の一集団)などの支配下にあって、「韓族化」「朝鮮民族化」された可能性もある、と考えています。



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