元気日記(第140号:りょうまのいない週末)  3/7(日) 24:50更新

 

こんばんは。

この土日は、りょうまは、施設“T”にお世話になり、家にいませんでした。

理由は、父がこの土日の2日間、熱海(静岡県)で研修会があった為です。

りょうまと全く会えない週末なんて、いつ以来でしょうか?もしかしてこの3年間、いや5年間くらい無いのでは???

まだ、3人家族だったころも週末は、必ず父と2人で出かけたものです。ですので、りょうまにとってみれば、学校へ行かない日=外出する日になっている気がします。

よりによってこの2日間天気もよく、恐らく施設“T”の職員の手を引っ張って『外へ遊びに行こうよぉ』とでも言わんばかりの、行動をしているに違いありません。

通常であれば、活動的に父と過ごす週末。職員の方も手を焼いたことでしょう。そう思うと、ちょっと胸の痛む週末なのです。

 

 

そんな訳で、りょうまの元気日記を更新するにも、今日はりょうま抜きの日記なのです。

 

こんな日だからこそ、ちょっと違う話でもしたいと思います。

 

りょうまが、自閉症と診断された日のことを、ふと思い出すことがあります。

私もりょうまの母親も医師からその言葉を聞いた時、目の前が真っ暗になったことは、『りょうま怪獣の足あと』にも書かせて頂いたとおりです。

調べれば調べるほど、この漢字3文字の障害が大変なものであること、そして完全には治らないことを知った時、私の頭の中をよぎったのは、

「俺たちが死んだあと、この子はどうなってしまうのか。」という何十年も先のことです。

恐らく、ほとんどの自閉症児の親が、これと同じようなことを少なからず考えると思います。

でも、これって凄いことだと思いませんか?

もし、健常児の親であったら、何十年も先のことって考えるのかな?と思うのです。

それも自分が老人になり死んだ時のことを、子供が3歳や4歳の時に親が考えること自体、通常ではありえない話です。

でも、それが現実なのです。

そんなどん底からのスタート。でも、どん底ならばそれより下には下がらない。上がらないかもしれないけど、下がりはしない。

上がったり下がったり、すると思うけれど、どん底までしか下がらない。

実際、私自身もその後、様々なことがあり、上がってもどん底まで何度も落ちたと思います。

でも、そんな中で、通常では出会えない人たちと出会い、通常では考えもしない様なことも考え、通常では行動しないようなことも行動し、ここまで来たような気がします。

その中でも、りょうまやその親である我々をサポートしてくれる多くの人々と出会えたこと。このことは、りょうまのみならず、その親である私やじい・ばあも感謝の気持ちでいっぱいなのです。

毎日のように、暗いニュースが飛び込んでくるこの時代に、まだまだ人は捨てたものではないなと、思ってしまいます。

 

現在りょうまが通っている養護学校の先生に、感謝の気持ちを話すと「仕事ですから。」と、笑って答えてくれます。

養護学校に限らず、施設やサポートハウスでも同じ様な回答が帰ってきます。

養護学校をはじめ、施設、サポートハウス、友人、そよ風の手紙をご覧の皆さんなどなど、感謝の気持ちでいっぱいなのです。

多くの人に支えられて、りょうまも家族も生活できるのだということ、それは当たり前とは決して思わないのです。

 

そんな人々との出会いは、りょうまからもらった大きな宝物です。

そして、りょうまがいてくれること、このこと自身に感謝したいです。

 

 

熱海ではもう桜が咲いていました。

もうすぐ、そんな人々との別れや新たな出会いの交錯する季節がやってきます。。。。

 

 

 次回は、3/14(日)23:00頃更新の予定です。宜しければまたお会いしましょう。