元気日記(第143号:心の中の涙) 3/28(日) 26:00更新
涙なんて、ずっと昔に枯れ果てしまった・・・・・・。
そう思ってました。
でも、どうやらまだ残っていたみたいです。
20代の頃に完全に無くなったと思っていたのに・・・・。
3/22。T養護学校で、りょうまの送別会がありました。
父もその会に参加させて頂きました。その日、雪もちらつく寒い天気にもかかわらず、子供たちのお母さん方も全員出席してくれました。
送別会では、先生方、子供たち、お母さん方の温かい気持ちが十分に伝わってきます。
その嬉しさと、何でこんなに素晴らしい先生や友達とりょうまを別れさせなければいけないのか、という何ともいえない寂しさ、無念。
先生方や、お母さん方の涙。
父は、顔は笑顔でいましたが、心で底で泣いていたんです。
男なので、泣き顔は見せられませんが、心の中は涙していました。
心の中でとはいえ、涙するなんて、10年以上無かった気がします。
この十数年間、どんなに辛いことがあろうと、どんなに悲しいことがあろうと、自分の中でさえ感情を出すことはありませんでした。
でも、今回の件は、一生開くことが無いと思われたカチカチの心の涙腺を、りょうまがこじ開けたのです。
突然のことですが、りょうまは4月から、3年間お世話になったT養護学校を転校することになりました。
ばあの足の状態。高齢のじい・ばあと日々力が強くなり成長してゆくりょうま。そして、父子家庭という我が家の家庭環境。
半年間、ショートステイの形での施設“T”との契約も切れ、考えに考えた末、新たなる道を選択することとなりました。
4月からは、施設“B”に入所、D養護学校に通うこととなります。
でも、今まで同様、週末には父とともに過ごすつもりです。形としては今までと変わりないです。
ただ、残念なのは、T養護学校からの転校です。
T養護学校での3年間は、りょうまにとっても、本当にすばらしい3年間でした。
熱心で、明るく、心のこもった指導をしてくれた先生方。
ひとりひとり個性がありながらも、それぞれに良い関係を築いていた同級生の子供たち。
りょうまにとっては、この学校は第2の我が家であった気さえします。
3年前、まだまだ小さかったりょうまの手を引いて、T養護学校の門を通ったことを今でも鮮明に思い出します。
そのりょうまもいつの間にか4年生になります。
これまで多くの人々と出会い、助けられてきました。決して、自分たちだけで生きてきたのではないと思っています。
多くの人々の力が無ければ、ここまで来れなかったと思うのです。
4月からの新たな生活も、また多くの人々に助けられて生きてゆくと思います。
神奈川県北部では、別れと出会いを象徴するかのように、桜の花が少し寂しそうに、でも新しい未来を応援するように咲いています。
次回は、4/4(日)23:00頃更新の予定です。宜しければまたお会いしましょう。