元気日記(第451号:春をさがしに)2/21(日)24:00更新
そよ風親子は、アウトドア派。
ですので、外が天気であれば、寒さはなんのその。
こうやって、りょうまが幼児のころから過ごしてきました。
そんなわけで、春の訪れにはワクワクするのです。
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【マスターにほめられ「にこっ」】
りょうまは小さい頃、髪を切られるのがとても嫌いな子でした。
とにかくじっとしていられないので、最初は何とか切ってくれていた理容室からも、遠回しの言葉で断られたりしました。
そんなことから、父は店での散髪は諦め、家のベランダで逃げ回る小学部低学年のチビりょうまを追いかけながら、切ってあげていたのです。マテー!((((; ̄  ̄)/ ≡≡≡ヘ(*゚∇゚)ノ
その頃の髪型ときたら、本当に「りょうま、父のカットが下手くそでゴメン!」という感じだったことを思い出します。
でも、多動がおさまり始めた高学年くらいからは、嫌々ながらも施設Bさんに来てくれる理容師さんから切ってもらえるようになりました。
そして現在は、父の友人であるバーバーのマスターのところで散髪してもらう彼がいます。
でも、ここでの散髪も、最初から一筋縄にじっとしていたわけではありません。
気分が乗らず、両耳をふさいでイスに座るのを断固拒否したり、すぐに立ち上がってしまったり、襟足を触れられると首をすくめてしまったり、そんなことの連続でした。
でも、マスターはありがたいことに、そんなりょうまが落ち着くまで待ってくれていたのですよ。
本当にありがたいです。(感謝です)
で、徐々に慣れて行き、(ここで髪を切ることは、怖くない。心地よい空間だ。)なんて感じてくれているのか、今ではイスに座り、落ち着いて髪を切ってもらうりょうまが目の前にいます。
今回は特に表情も良く、笑顔が出るくらいでした。
着実に散髪に慣れてゆく、りょうま。父も驚きです。(⌒▽⌒;)ビックリ
散髪後、マスターから、
「りょうまクンはちゃんと切ることを分かって、じっとしてくれているよ。以前のように、動かなくなったよ。」
とお褒めの言葉。
そして、父にも褒められ、満足顔なのでした。
本当に「ローマは一日にして成らず」ですね・・・。
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【春をさがしに】
週末日曜。関東南部は良い天気。
冒頭でも書きましたが、こんな日は「春をさがしに」出かけます。
で、今回向かったのは東京八王子の長沼公園。野猿峠ハイキングコースも歩きます。
良い天気とはいえ、まだ冷たい空気。
でも、自宅からここまで来る道のりでは、梅や桜の花も咲いており、着実に春は近付いています。
公園では、まだ冬の落ち葉もあり、りょうまは時々寝転んでは、落ち葉の中に埋もれておりました。ヾ(^o^;アノーモシモシ?
ペースはゆっくりですが、ヒモを持ちながら公園散策を楽しんでます。
ここは広いので、りょうまがこんなに(↓下の写真)遠くにいても心配ありませんでした。
おーいりょうま、こっちだよ〜!!(でも何で、戻っちゃうんだろう?)
なんだろう?何か来た道を戻っちゃうんだよな・・・
ふと気付くと、りょうまが一言。「いと〜!」※「いと」とは、りょうまのこだわりの「ヒモ」のことです。
ん?りょうまの手を見ると、先ほどまで持っていた「ヒモ」が無くなってます。
そうか!!! りょうまは、どうやら、途中で手に持っていたヒモを落とし、捜してたんだ!
落とした「ヒモ」は見つからなかったので、予備の物を渡したところ、ようやく落ち着くりょうま。
ちゃんと、理由があるんだね〜。
でも教えてくれたことに対し、「エライぞ!」と、もちろん褒めてあげたのでした。
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【理解すること、理解しようとすること】
きっと、私にりょうまという息子がいなかったら、「人の気持ちを理解しよう」ということを、少なくとも今よりもしなかったかもしれません。
「何でできないの?」
自分たちができる一般的に言われる“常識”というものは、必ず誰もができることではないのです。
それは、最近認知症が進み、物忘れがひどくなってきた祖父にも言えることです。
「何で忘れちゃうの?」と言われても、忘れてしまうことは、仕方のないことなのです。
努力をしても、どうやっても、忘れてしまうのです。
そんな人に「何で忘れちゃうの?」なんて言うことは、とても相手の状況を理解できていない、理解しようとしていない考えだと感じるのです。ある意味、残酷な言葉です。
話を戻せば、自閉症や発達障がいのある人に 「何でできないの?」
と言うことが如何に身勝手な、「できる人たち側から見た常識」なのだ、ということがわかります。
これは、何にもつながるのではないかな?と思うのです。
人と違うことに対し、自分の考えと違う人を誹謗中傷すること。
これも同じだと感じます。人が100人いれば100通りの考え方がある。
僕はそれでいいと思います。
多数決で「多」が「少」を支配し、「多」が「少」を排除しようとする考え方。
多数決で決めざるを得ない、議会制民主主義の政治の議決では仕方のないことです。
でも、少なくとも“生き方”の部分では、あってはならないことであると感じます。
「みんな違って、みんないい。」はずです。
相手の気持ちをたとえ理解できないとしても、理解しようと努力はできるはずだと、感じる今日この頃なのです。
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数日前からの顔への爪立の自傷のあとが痛々しかったりょうま。
しかし、その痕とは逆に、いたって穏やかな週末のりょうまなのでした。
色々なことを教えてくれる、りょうまに「ありがとう」と言いたい自分です。
次回更新は、2/28(日)深夜 の予定です。宜しければまたお会いしましょう。
※ 皆さんからメールを頂いているにもかかわらず、なかなかお返事ができず申しわけございません。
頂きましたメールはしっかりと、拝見しております。本当にありがとうございます。