520,000きり番(2010.5.19到達)
〜♪切り番さんはこんな方♪〜
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ハンドルネーム(お住まいの場所):
チャン ≪石川県(能登半島、和倉温泉で有名なところです。)≫
私が知的障がい者の生活支援活動を始めた頃、K君より親しみをこめて呼ばれてから30数年。
自慢の愛称です。周りからは○○チャンと呼ばれていましたが彼には「チャン」これ以上長い言葉が難しかったのです。
A『そよ風の手紙』初回アクセスのきっかけ:
一昨年夏。
地域の「手をつなぐ育成会」の50周年記念誌の搭載記事の依頼を受け、最近の世間情勢を少し参考(ぱくれる言葉はないかと・・・・)にとWeb検索していたところ目に留まったのが『そよ風の手紙』でした。
原稿の事は忘れ数時間陶酔させられた記憶が残っています。
Bどのコーナーもしくは具体的にどのページが好きですか?:
りょうまの元気日記 通勤電車の中で拝見する機会がおおいのですが涙が溢れ恥ずかしい思いを何度もさせられました。
『297号父として、母として』、きり番に紹介されるリンク記事を再読し泣いています。
今回私がきり番を狙ってみようと思ったきっかけにもなった
・・・・続・父のひとりごと【第313号】横浜駅のホームにて(2010/5/6)・・・・・
この出来事について本コーナーをお借りし、私達の活動と思いを述べさせていただきたいと思います。
C好きな言葉や夢を教えてください:
好きな言葉は、 共育:共に育む
私の知的障がい者との出会いは二十代前半、先輩H氏(印刷業)に誘われ中学校特殊学級(その当時地元には養護学校はありません)のカレンダー作りのお手伝い(私は足を引っ張るだけです)に出向いたのが始まりです。最初は何を話していいのか緊張していましたが卓球(ラリーのないピンポンです)などを通じて彼らの笑顔に魅かれていきました。
その後、卒業生達が参加している青年学級の運営を手伝うようになり(その後は乗っ取ってしまいました)遊びの中から社会のマナーを学んでいます。「ありがとう」「おもしろかった」
一言をいえるのに5分、10分みんなで待ちます。我々の誘導もあるのですが仲間の前での一言が言えると笑顔と自身が芽生えます。毎週行ってるスポーツ教室に参加しても体育館の隅で持参した本を見ているだけの青年もいます。でもお母さんには「スポーツ教室へ行く。」と意思表示をしているようです。
上から目線での対応では、彼らの心はつかめません。ボランティア感覚での活動では継続は出来なかったと思っています。彼らの「心」・「笑顔」に私達も多いに教えられました。振り返れば感謝の一語です。
長年お付き合いさせていただいている家族の方々の苦労、悩みを乗越えた強さを『そよ風の手紙・・・りょうまパパ』の言葉に感じ取る事ができます。これもまた共育だと思います。
夢は、 妻との祭り巡り旅行 (なかなか叶いません)
もう一人の私:「祭り命」人間。(妻も娘2人も同類です。)ゴールデン・ウイークに開催される「青柏祭:でか山」12m・20tの曳山を狭い街中を100名以上の人々で曳く盛大な祭りに没頭しています。G・Wは祭り。旅行に行ったことがありません。日本の祭りを巡る旅行をするのが二人の夢です。
一度だけ二人で旅行しました。それは次女がインターハイに出場した時に四国まで応援にいきました。努力・精進の娘に感謝です。
時間の有る方、興味の有る方はYouTube 【青柏祭orでか山】で検索してみてください。
Dりょうまと父に一言:
りょうま君へ
高校入学おめでとう。マイペースでかまいません。周りの人たちにお世話をしてもらってください。りょうま君の半歩の成長が「感動」と言うプレゼントを贈ることになるのです。
りょうまパパへ
これからも訪問されている皆さんに「生きる」力や「憩い」のひとときを提供してください。HPには掲載できないいろんな感情が渦巻くことと思います。強い父、優しい母、二役は大変だと思いまががんばってください。
『田舎の応援団長』としてこれからも訪問させていただきます。
E自己紹介(家族紹介):
チャン(56歳)
イチローさんにお世話になっている某電気通信会社のサラリーマン。
大好きな祭りと知的障がい者との活動により充実した生活を送っています。
チャンの愛妻?(55歳)
最高の理解者・相棒です。人見知り(?)な私と違って、誰とでもすぐに友達
になれる特技をもっています。活動の際には男性には出来ない女性への配慮・
支援をしてくれます。普段は私を野放しにしてくれ、暴走の際にはきっちりとブレ
ーキをかけてくれます。
チャンの両親(83歳・77歳)
借地の畑で野菜・花作りをケンカをしながら楽しんでいるようです。二人とも健康でなによりです。
長女M、次女H
共に結婚し頑張っているようです。二人はサークルの元アイドルであり知的障がい者の理解者です。
孫とのスリーショット
大切なサークルの仲間たち(20代〜60代)
特殊学級、養護学校卒業の知的障がい者の人達
・現在20名程度 生活支援センタ(授産施設)にお世話になっている人、一般就労で頑張っている
人達。
・過去にお付合いした人達・・・数え切れなくなってきました
仲間たちの家族(40代〜80代)
行事には多数参加して楽しく過ごしてもらっています。そのときには私達や親どうしの情報を共有し、
彼らの生活の一助となっています。(これもまた共育です)
私たちの会の仲間たち(50代〜60代+仲間の子供たち)
創設時(30数年)からの気の合う仲間たちです。(いざ鎌倉も含め10数名)
F私たちの活動です:
月二回・日曜日の活動内容
・大運動会・・・(地域の支援センタの仲間たちや家族、職員の方々100名程度が参加)プログラムの選択から始まり競技担当者の説明の練習に一ヶ月前から準備をします。勿論彼らが運動会を運営していきます。我々は補助者です。
運動会
・料理教室・・・自分たちでメニューをきめ、買い物にもいきます。野菜を洗い、肉を切る。みんなで作り、食べる料理は最高です。(家で作った事がない・・・・・・妻の一言)
・秋の大旅行・・・日帰りのバス旅行です。ゲーム、カラオケでバスの中は盛り上がり、バスガイドさんの説明を真剣に聞く最高のお客さんだと思います。長年の経験で観光地でのフリータイムの使い方も旨くなりなり集合時間には全員集合です。最初の頃は街中を走りまわった記憶があります。行き先を計画するのが私の使命?であり長年続けていると行き先が無くなり困っています。
・大宴会・・・自分の給与(一生懸命働いた自分へのご褒美のために)から毎月貯金をし、和倉温泉の旅館で大宴会を行い親睦を図っています。皆さんがやっている宴会と同じです。カラオケを早くやりたくてうずうずしてる人。出された料理を一気に食べてしまう人。注意するのはビールの一気飲み。最後はみんなで大合唱です。(音痴の人が多く何の曲か分からなくなりますが楽しくてたまりません。)部屋へ戻っての二次会も盛大です。大浴場での入浴指導も欠かしてはいけません。普段家庭での入浴のため、出来ていない入浴時のマナーの徹底を厳しく実践しています。『僕は海がみたくなりました』の旅館で健常者の苦情と同じケースもありました。我々に非がない様に努力もします。しかし正当な権利はきっちりと主張します。旅館の責任者も私たちの味方をしてくれました。感謝です。それと私たちの継続してきた活動が実を結んでいると自負しています。
大宴会でのもう一つの重要な行事です。翌日旅館の一室をお借りして次年度の役員選挙を行います。会長、副会長、事務局長、会計、体育部長、レクレーション部長、生活文化部長を会長から順番に一役ずつ投票します。サークルの仲間、家族の方、そして我々の仲間。同じ一票です。昔は我々の組織票と事前運動(投票前にA君がいいな・・・と発言)により操作が出来たのですが最近
は個々人がきっちりと自己判断で投票します。結果については納得です。宴会時、お酒を注ぎながら「体育部長になりたい」等の買収もOKです。自己主張ができるようになった事が成長です。
・その他、クリスマス・パーティ、新年会、ボーリング大会、キャンプなど1年中遊んでいます。その中には彼らが地域社会で生活していくための訓練がてんこ盛りとなっています。
スポーツ教室・・・毎週水曜日(19:30〜21:00)小学校体育館にて
彼らの移動手段は徒歩、自転車が中心です。突発的な体の防御、交通事故への対応を主目的に体力の強化・維持に励んでいます。10分間の持久走から始まり、ラジオ体操、ダッシュ、柔軟体操、腹筋とハードなメニューをこなします。その後にバレーボール、ドッジボール、キックベースボール等で楽しい時間を過ごします。時には恐怖の『鬼増やし』があります。体育館を幼少に帰り駆け巡るのは楽しいですが息切れで苦しみます。その後全員で体育館の掃除をします。私は現在金沢市まで通勤している事により
スポーツ教室には参加していません。完全なメタボのためたまに参加すると息切れで彼らについていく事が出来ません。継続は力なり。彼らの体力はすごいです。 私達は小学校、公民館等の公共施設をお借りするときには必ず掃除をしています。一生懸命活動していることが認めら、学校長、公民館長が替わられても快く貸していただいています。
体育館の清掃(年一度感謝をこめた大掃除)
F続・父のひとりごと【第313号】横浜駅ホームのような出来事を無くす施策:
・通勤・通学の人たちで混雑するホームでの出来事(抜粋) 声がわずかに聞こえた、「ここが、どこだか分からない!誰も教えてくれない!」(泣き叫ぶ青年) 周りの人たちは誰一人として、知らん顔であった。でも、都会では当たり前の風景である。
ホームにいた多くの人たちが、青年を助けてあげたいと思っていたと思う。 |
ヘルプ・カードの発行について・・・横浜駅ホームでの出来事を少しでも無くするために・・・
全国的にも多く取り組んでいる事ではありますが私達も知的障がい者がヘルプ・カードを所持する施策を計画中で、最後の詰めに入っています。
地元市役所の福祉課が実施している障害者連絡協議会(身体・知的・精神・児童)に参画し、諸問題に対峙しています。
若いお母さんより困ったときにちょっと声をかけてもらえるきっかけとなる「ヘルプ・カード」を所持できればとの意見がでました。その一環として福祉イベントにおいてアンケートを実施したところ88%の人が「知的障がいを分かる、なんとなく分かる」と回答していますが40%の人が「困っているかどうか分からない。」と回答しています。助けたい気持ちはあってもどのように対応すればよいのか分からないのが現状です。ヘルプ・カードを持つことにより、問題を解決できる事例は少ないと思いますが、施策を展開する上で地域の皆さんの理解を得、協力をしていただける為に、いろんなコンテンツを用いて啓発活動が出来ればと思っています。
地元行政の障害者計画『スマイルハートプラン』の中で障害者福祉施策の組織化として、障害者福祉団体連絡協議会を組織し自助【本人や家族の自助努力】、共助【地域、ボランティア等の支え合い】、公助【公的・行政の援助サービス】の重なり会う協議のもと、計画の推進を図ります。と大きく唱っています。【公助】は規則に縛られ迅速に対応できないのが現状です。世間の動きは「障害→障がい」ですが条例など変更しなければいけない事が多く煩雑で時間がかかる。担当者には手におえません。【自助】においては地域の「手をつなぐ育成会」の組織の弱体化。地域に養護学校(現:特別支援学校)の誘致、通所、入所支援センタの開設において中心的な活躍をしたのが育成会でした。その後子供たちには安心できる施設があり、積極的に活動する必要がなくなり、また学校関係者とも疎遠になり、若い保護者の方々は育成会の存在も分からないのが現状です。今後の「親無き時代をどうすごすのか」等の問題も間近に迫っています。【共助】の一つである私達の仲間においても次代を担う若者はいません。「3助」ともにヘルプ・カードが起爆剤となり活力を取り戻すべく協力していく様意識を会わせていた中で「横浜事件」を目にしました。先日も警察に保護された知的障がいと思われる青年の連絡先が分からなとの事で各施設へ照会が回ってきています。我々の仲間も一本道を間違えて30km歩き続けました。
ヘルプ・カード所持の展開は間違いないと改めて認識し、「そよ風」の訪問者・りょうまパパにもお伝えしたく、長々と書かせていただきました。
都会、田舎に限らず「障がい者」は明るく一生懸命生きています。彼らが過ごしやすい社会は我々健常者も過ごしやすい社会のはずです。
・・・・・・誰が努力をするのですか・・・・・・
ヘルプ・カード(案)名刺サイズを予定しています※長谷川 等伯は地元が生んだ桃山時代の代表的絵師です。
チャン様 へ
言葉がありません。本当に嬉しいの一言です。ありがとうございました。
人生の大先輩であるチャン様よりこのような素晴らしいメッセージを頂けたこと、
私が今まで続けてきたことは、しっかりと意味があったのだと、今、感じています。
これからも、自分が思い、そして感じたことを発信してゆくことが、今の私にできることです。
一人でも私の発信する想いに、何かを感じて頂けるならば、それに費やす時間など何ら惜しくはありません。
私は、理論よりまず行動に移してしまうような、まさに体育会系の人間です。
いくら、素晴らしい理論でも、そこに“心”が無ければ、何も動かないと感じています。
ヘルプ・カードの発行、素晴らしいです。
こういう皆様のお心が、人を心を動かすのだと思います。
そして、何よりもありがたく、嬉しく感じるのです。
最後には、「人の心」。
これからも、お訪ねいただいた皆さまの心を動かすような、そよ風を吹かせてゆきたいです。
チャン様、本当にありがとうございました。
2010.6.6 りょうま父