6歳〜7歳の足あと
療育センターは基本的に、小学校就学の1年前までである。従って、りょうまの進路を考える上で、幼稚園に行かせるか?1年間は家で見るか?迷った。結論として、幼稚園に通わせる事にした。理由は、恐らくりょうまは、小学校にあがっても健常児とは関わりを持てない可能性がある。であれば、この1年間はりょうまの人生の中における健常児との関わりを持てる時間にしてあげたい。という事からであった。そして選択したのが、市立の小学校付属幼稚園であった。ここは、川崎市内でも珍しい、障害児を受け入れてくれる幼稚園であり、健常児にも障がい児と分け隔てなく関わりを持つ園風?があった。
りょうまの障がいは重く、結局幼稚園に通いながら1ヶ月に2回療育センター(ダンボグループ)にも通う事となった。また、彼自身もなかなか幼稚園という子供の集団に入り込めなかった。しかし、徐々に環境に慣れ、少しづつではあるが他の子供達との関わりもでき始めた様である。
病院も都立病院に変え、少しでもりょうまが良くなる様、様々な点で試行錯誤を行なった。そんな中、11月再びマンションの階下から電話によるクレームがついた。再び妻の精神的疲労は頂点に達した。そして、私は1戸建への早急な検討をはじめ、すぐにマンションの買い手を見つけ出すことができた。しかし、既に妻の精神状態は限界点を超えており、りょうまに対する負担を取り除かなければ、大変な事になると直感で感じた。そして、最良の方法を考えに考えた結果、離婚し、りょうまを引取る事が、BESTではないがこの時点で考えられるBETTERな選択肢であると結論付けた。
そして、2001年初頭、りょうまと私の新たな生活がスタートした。りょうまは4月から横浜市内の県立養護学校に通い始め、生き生きした生活を送っている。 新生活の数ヶ月間で落ち着きも取り戻し、笑顔が声が出始めた。今私は、どんな荒波が来ようと彼を守ってあげたいと思う。
『頑張ろうな、りょうま。』

養護学校の運動会での1コマ