元気日記(第90号:待ってあげること)  3/23(日) 26:00更新

 

 3月も後半になりました。ぽかぽか陽気とともに、週末には近くの公園でも、桜のつぼみが膨らんできております。静岡ではこの休み中に、もう桜の開花宣言がされたとか・・・。自然は不思議です。毎年忘れずに春がやってきて、木々や草花は新しい命を芽生えさせてゆきます。

 そんな平和な日本とは逆に、中東で戦争が始まってしまいました。人間はなぜ、こうも愚かなのでしょうか?なぜ繰り返すのでしょうか?また、人のエゴイズムで人が死んでゆきます。残念でなりません。これは、9.11や世界中のテロや戦争も同じことです。様々な考えがあると思いますが、私はフセインをはじめとした独裁者は、悪の元凶であると思います。しかし、それを戦争で解決しようとするアメリカのやり方も支持できません。争いは争いを呼び、憎しみは新たな憎しみを呼ぶ、これは繰り返され、やむことなくスパイラル現象を起こすことでしょう。そして、悲しみ・怒りは、たとえ薄れても消えることはありえないでしょう・・・・・・・。

 

 さて、少々本題がそれてしまいました。すみません。元気日記で書く内容ではないですね・・・・・・・・・・・・・。

 本題に戻したいと思います。

 

 

 さて、りょうまの2年生の生活もあと僅かとなりました。本当に月日が流れるのは早いものです。

 そんな中、水曜日に養護学校にて、2年生を締め括るお楽しみ会、そして2年生最後の懇談会が行われました。私(父)はもちろん会社を休んで、行って来ました。

 お楽しみ会で久しぶりに会った子供たちは、すっかり大きく成長していて驚きです。先生のピアノの音楽にあわせて太鼓を叩いたり、アルゴリズム体操をしたりと私(父)は、その子供たちの姿をとてもうれしい気持ちで見ていました。クラスの雰囲気も良く、充実した1年間であったことが伺え、更に嬉しくなってしまったのであります。りょうまも良い表情でいました。

 お楽しみ会も終わり、そのあと先生との懇談会がありました。2時間以上の間、様々な話をすることができ、とても意味のある、時間を戴いた気がいたします。その中で最も大きかったのは、先生方にりょうまに関するあるヒントをいただいたことです。最近りょうまは、何かと抵抗することが多く、じい・ばあの手を焼かせることが多かったのです。力での抵抗はもう高齢の2人にはどうすることもできません。

 それに対し、先生方から戴いた言葉『待ってあげること』です。

 今まで”りょうまの時間に合わせず、大人の時間に合わさせていたのではないか?”という反省点を浮き彫りにしただけでなく、”りょうまは、ちゃんと分かっているんだ。”という事に気付かせてくれた言葉でした。何か後頭部を思い切り叩かれた様な、そんな言葉でした。

 早速、帰宅後、じい・ばあにこのことを伝え、理解してもらい実践することとなりました。

 りょうまに言葉でゆっくりとはっきり伝えて、今まで力づくで動かしていたことを全くせずに待ってみました。すると、どうした事でしょう。不思議なことに、今まで、抵抗して岩のように動かなかった彼が、自ら動くではありませんか!どうした事でしょう!

 これは、翌日の朝じい・ばあの学校へ行くまでの毎朝の抵抗にも効果がありました。今まで苦労したことが嘘のように自ら靴を履き、車のドアをガンとして閉めさせなかった突っ張り脚は柔らかい脚に変身。本当に驚いてしまいました。

 彼のことを今まで解ってあげていなかったと、反省仕切りです。

 トイレに関しても、あせらず地道に行きたいと思います。 

 

 週末、3連休を彼と過ごしながら、”彼の目線に今一度戻ってみよう”と思った父なのであります。

 

 

 

 次回は、3/30(日)23:00頃更新の予定です。宜しければまたお会いしましょう。