突発性一日放浪記 ~嗚呼青春のひとり旅~

はじまりはいつも思いつき
全ては一枚の切符から始まった。9月10日でその効力を失う一枚の切符。 それは今年の夏、長崎駅で購入した、あと1回分残された青春18切符だった。 本来であれば、すでに5回分の切符は使いきってあるはずであった。しか し、どういう手違いからか、私の手元には1回分。ほんの1回分だけ切符が 残っていたのであった。そして、もう私には時間が残されていなかった。 残った切符をチケット屋に売るという選択肢がふと頭をかすめた。しかし、 そのあまりにも安直な方法を選ぶことを潔しとしない私がどこかにいた。 私はほんの少し悩んだ。そして結局、私は最後の一枚を使って放浪の旅に 出る決心をしたのだった。

旅立ちの朝
その日の朝がくると、僕はまずカーテンを開き。。。なんぞと悠長なこ とをやっている暇はなかった。その日の朝、目が覚めた私は、あせった。 うお。もうこんな時間。。。そう、いきなり寝坊してしまったのである。 時計の針は6時を指していた。予定ではもう大阪駅に立っていたはずの時 間である。とるものもとりあえず、阪急石橋駅へと急いだ。そして丁度 やってきた電車にとびのり、梅田へ。JR大阪駅にたどりついたのは7時10 分だった。ひとまず、駅の改札口をくぐり、電車の案内を見ながら、考 えた。 「さて、どこへいこう」
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そうだ、広島へ広島焼を食いにいこう!
そして私の旅は始まった。

広島の空
駅前旅館をバスが。。。ではない。別に修学旅行などに行くわけでは ない(そもそもこんなネタ誰が分かるんだ)。
とにもかくにも、大阪発姫路行きの快速電車でひとまず姫路を目指した。 加古川を過ぎたあたりで、私は重大なミスに気がついた。 しまった。カメラを忘れた。。。まてよ、た しかスケッチ用の鉛筆を持ってきていたはず。お、あったあった。し かし、しかしである。今度はもっと間抜けなことに気がついた。 スケッチブック忘れた。。。 まったく早起きは三文の得とはよく言ったものである。ついうっかり朝寝 坊してしまったがために、カメラもスケッチブックもない旅になってしまっ た。という訳で、この旅行記に現地の写真がないのはそういう理由だった りするのである。本当はもっとビジュアル的にすごい旅行記を作るつもり だったのに。と、まぁそれはともかく、私の旅はひたすら電車にゆられて その幕を開けていったのだった。
途中明石を通りかかったとき、脳裏に閃いたことがある。帰りに時間があっ たら、明石で下りて明石焼食って帰ろうっと。姫路駅から備中高梁行きの 電車に乗って岡山にむかう。広島へ行くのはいいとして、それ以外の計画 を何も考えていなかったことに気がついた。電車の中で鞄の中から時刻表 を取り出して頁をぱらぱらとめくる。ひとまず、家まで帰りつける最終の 電車の時刻を調べておく。次に広島の到着時刻を見る。ふむふむ13時過ぎ にはつくのか。丁度昼飯の時間だなぁ。時刻表を眺めているうちに、また しても私の頭に閃きが走った。普段からこれくらいの閃きがあったなら、 研究の方ももっとスムーズに進んでいたものを。。。という愚痴はさてお き、広島で飯を食ったあとは、安芸の宮島に向かうことを岡山駅に到着す る寸前の列車の中で決めたのだった。岡山で列車を乗り継ぐ時、一瞬行き 先を備中高松に変更しようかな。などと思ったのだが、結局最初の予定通 り広島を目指すことにした。その後は糸崎で、列車を乗り継いでひたすら に私は広島をめざした。途中、福山駅に列車が入ったとき、電車 の窓から、駅のすぐそばにある城が目にとびこんできた。うーむ。帰りに は是非ここで途中下車して、あの城跡を散策してやろう。そう心に決めて、 再び私は電車に揺られはじめた。そして、ようやく広島にたどりついたの である。広島の空は。。。どしゃぶりの雨の中 だった。。。
広島駅周辺探索行
傘をさしながら、駅から外へと出てみた。うむ。なにやら向こうに商店街 が見えるぞ。あそこら辺なら広島焼の店のひとつやふたつありそうだぞ。 とりあえず商店街にむかって進んでみた。
う。。。なんだかえらく寂れた感じだなぁ。。。なんぞと思いつつ、閉まっ た店の多くたちならぶ商店街をぶらぶらとしてみた。開いている店といえ ば、パチンコ店とか、呉服屋さんとか、普通の食堂(店頭のメニューに広 島焼はなかった)とかそういう店ばかりで、広島焼の食えそうな店はみあ たらなかった。ふと、私の脳裏に、博多駅周辺でラーメン屋を捜しまわった 挙句、結局見つからず、チェーン店のラーメン屋で食べたという忌しい 記憶が蘇える。まさか。。。あの悪夢再びか?そう思いつつ、駅まで戻っ てみた。すると、するとである。駅を出たときには全く気がつかなかった が、広島駅に隣接してでっかい駅ビルがあるではないか。もしや。そう思っ て駅ビルに入ってみた。案内板によると、2階に広島焼の店があるらしい。 ひとまず2階へ。2階へ上がってみると、あるわあるわ。ほとんどそのフロ アーは広島焼の店で埋まっていたのだった。

嗚呼広島焼
もうほぼ1時半になっていたせいか。どの店もそれなりにすいていた。ひ ととおり店を見てまわったあと、適当に一軒の店を選んではいってみる。 鉄板を前にして、おばちゃんが3人ばかり忙しくこてを動かしていた。 おすすめはスペシャルなのか。ふむふむ。じゃあこのスペシャルのAと いうやつをください。注文したあと、私はしばらくおばちゃんたちが 広島焼を焼く姿を飽きることなく眺めていた。
なにやら生地を鉄板の上に薄くのばしたなぁ。お、次は野菜ですか。あ、 そんなに山のように。ほうほう。生地の上にのっかった野菜の山に蓋をし て。。。蒸らす訳ですね。返す刀いやこてでそばを炒めはじめると。あ、 卵を唐突に鉄板の上に落とした。こてで広げて、なにやら薄い皮っぽくな りましたな。蓋を取ってそばと卵でできた皮をのっける訳ですか。で、噂 にきいた通り、こてでぎゅっと押さえこむと。
そして目の前には一人で食いきれるのかしらと思うような広島焼が現われ た。いっただきまーす。そしてまずは一口。 うむ。うまい。大阪のお好み焼きとは確かに少し違うな。そもそもこりゃ。 "こて"では食えんわ。感じとしては、薄生地に挟まれた野菜炒め with そば という感じ。このソースもなかなか。ほう自家製ですか。しかし、この量 は尋常じゃねぇな。はむはむ。ようやく半分食いきったか。はむはむはむ はむ。そして皿は見事に空いた。げぷ。満腹満腹。ごちそうさまー。代金 1050円を払って店を出る。ふらふらと駅ビルを歩いてみながら、ふと気が ついた。広島といえば牡蛎もあるじゃないか。 しかし、まだ9月。Rのつく月に突入した矢先。まだ旬というにはちょっとと いう気がしないではない。 しかも私の腹 はもはや満腹。しゃあない。牡蛎はあきらめよ。
そして、私は土産物屋で紅葉饅頭を5つ買い、電車に乗りこんで宮島口を 目指して再び移動を開始したのだった。
雨の宮島は遥かに霞みて
しかしよく降る雨だ。宮島口の駅にたどりついたときにもまだ雨は止むこ とを知らないくらいにざぁざぁと降っていた。まったく。よりによって、 なんで今日になって降りはじめるかなぁ。そのような愚痴は横に置いてお いて、日本三景のひとつ安芸の宮島である。駅を出て傘をさしながら一人 とぼとぼとフェリー乗り場を目指した。駅から海まではほんの数百メート ルほどでたどりつけた。途中若いカップルがソフトクリームを食っている のを見かけ、なんだか食いたくなる。しかし、そこはぐっと我慢して、海 をめざした。フェリー乗り場まであと少しという辺りに、宮島焼の店があっ た。これは是非とも帰りに立ち寄ってみよう。そう思いながら、雨の中を 行くうちに、フェリー乗り場にたどりついた。ふむ。このフェリーに乗れ ば、宮島まで連れていってくれる訳ですな。でも、なんとなくフェリーで 島へ渡るよりも、対岸から雨に煙る宮島を眺めていたい気分だったので、 フェリーには乗らないことに決めた。時間も少し心配だし。
灰色の空から雨が尾を引きながら落ちていく中、濃い緑色に輝く海の向こ う側にかすかに鳥居の姿を認めることができた。そしてその鳥居の背後に は、黒い島がどっかりと腰を据えていたのだった。島の高い部分には低く たれこめた雨雲が白い傘となって、島の全景がさらされるのを阻んでいた。 埠頭にしばらくたたずんで、雨の宮島に私は見とれた。晴れていれば、そ れはそれで、綺麗な風景だったろうが、雨に煙る宮島も捨てたものではな かった。いつまでもそうやって眺めていたい気分を押さえ、私は駅の方へ と歩き始めたのだった。

宮島焼の手触り
駅へ向かう途中、先程見かけた宮島焼の店に入ってみた。 宮島焼というのは決して食いものではない。 陶器のことである。何も私は別に食ってばか りいる訳ではないのである。実は私はこの店を見かけるまで、宮島焼なん ぞというものがあるなんてことは知らなかった。店に置いてあったちらし によると、結構有名らしい。御砂焼とも言うのか。ふむふむ。昭和二十年 頃までは宮島の土で焼いてたのね。ほう。厳島神社の御神殿の下の砂を使って 祭器を作ったのが始まりですか。あ、今は別なところの土を使ってる訳で すか。うーむ。勉強になるなぁ。それにしても、なんともいえずいい色の 器が多い。本当はお金もあんまりないし、見るだけのつもりで立ちよった のだが、見てるうちにむしょうに欲しくなってしまった。しかし、店頭に 並んでるものはほとんどが数千円から数万円という品。とてもそんなには 出せません。どうしよう。そんなことを思いつつ、この機会に目の保養だ けでもと店内をうろうろしていると、レジ近くの一角に、数百円の器が並 んでる棚を発見。なんだちゃんとお手頃な値段のもあるんじゃないですか。 ようし、ここでお土産を買っていこうっと。そう思いながら、その一角に 置いてあるものを物色しはじめる私。近くにあった茶碗をふと手にとって みる。お。これは。。。なんとも手によくなじむのである。次々と茶碗や ら、酒杯やらを手にとってみる。どれもこれも、実に手にしっくり来る。 この数百円の棚に置いてあるのは、釉薬が少しはげていたり、釉薬の小さ な塊が表面に浮いていたりしているあまりできのよくない品ばかりが置い てあったのだが、その形にしばらくの間私は魅せられていた。色々と物色 した挙句、私は350円の小皿を二枚買って帰ることにした。茶碗とか酒杯 を買って帰ろうと最初は思っていたのだが、その小皿がなんともいえず気 にいってしまったのである。これまたなんともいえずいい色の小皿であっ た。私は非常に晴れやかな気分で、雨の宮島口を再び歩みはじめたのであっ た。

笹の香りと宮島との別れ
駅で岡山行きの電車を待っている間に、ふと売店で売っていたあなごの蒸 しおこわというのに目がとまった。そういえば、さっき、「宮島名物あな ごめし」とかいう看板の店を見たなぁ。あなごって宮島の名物だったのか。 1個340円か。これは食ってみてもいいな。丁度小腹もすいてきたところだ し。そういう訳で、さっそく売店のおばちゃんに声をかける。ところが、 商品が丁度売りきれてしまって、今から本店に取りに行くところらしい。 しかも、笹蒸しおこわはもしかしたら本店でももう切れているかもしれな いとのこと。とりあえず5分くらいで帰ってくるから待っているように言 われて、おとなしく待つことに。どうせ電車の時間まではまだ少しあるか らいいか。なんぞと思いつつベンチに腰かけて待つこと10分あまり。そう いえば、この店。レジとか置きっぱなしなんやけど、店空けても大丈夫な んかな。とか思いながら待っていると、先程のおばちゃんがでっかい紙袋 にお弁当の類を詰めて帰ってきた。幸いにもあなごの笹蒸しおこわは残っ ていたらしい。ひとまず一個買って、改札をくぐり、ホームへ。少し待つ うちに岡山行きの電車がゆっくりとホームに滑りこんできた。電車の中は かなり空いていたので、ゆったりと座って、さっき買ったばかりの蒸しお こわを食べることにする。丁度栢餅くらいの大きさの笹にくるまれたおこ わを頬張る。笹の包みを解くと、なんともいえない笹の葉のいい香りが鼻 の奥まで広がる。おこわを一口食ってみる。う。うまい。3口くらいでお こわはなくなってしまった。ひときれ乗っかっていた穴子もなかなかに美 味。しまった、こんなことならひとつといわず、あと一つくらい買っと けばよかった。しかし後の祭である。列車は雨の宮島口を後にし て、岡山へと向かっていた。
城のある町にて
穴子の笹蒸しおこわの余韻にひたったり、広島で買った紅葉饅頭を2つほ ど食べたりしているうちに、いつしか列車は広島を過ぎ、三原、尾道と、 福山に徐々に近づきつつあった。そういえば今回の旅では温泉に寄らな かったなぁ。などと思いながら窓の外を見ていたときのことである。あれ は確か三原駅ではなかったかと思うが、「温泉」という文字が目に飛 びこんできた。お、温泉があるならここの駅で下りて入って帰ってもいい なぁ。そう思って、その案内に私は目をこらした。「本郷温泉 駅から 6km」 ........結局諦めて、当初の予定通り私は福山をめざしたのであった。
やがて、電車は無事に福山駅に到着。時計の針は午後5時過ぎをさしていた。 福山駅の改札に向かう途中、駅の中の案内板にふと目がとまる。神辺方面 行きのホームの案内だった。神辺といえば、これまた昔城のあった地名じゃ ないですか。ちょいと心がひかれる。しかし、時間が時間なので、予定通 り福山城址の散策に。駅から徒歩1分ほどで、城のある丘の麓に到着。そ こに城の由来を書いた看板が立っていた。それによると、天守閣等は第二 次大戦時等に焼失してしまって、後で復元されたものらしい。しかし、櫓 のひとつは、焼失を免れて、昔のまま建っているのだとか。その櫓は秀吉 の作った伏見城のものをそのまま持ってきたらしい。これはちょっと楽し みだな。などと思いつつ、城のある丘を登っていく。少し登ると門にたど りついた。おお。なかなかいい感じではないですか。門をくぐると、そこ はちょっとした広場になっていた。あんまり大きな城ではないみたいで、 広場の向こう側には、天守閣がそびえたっている。確かにぱっと見ただけ で、あまり古くないのが見てとれる天守閣だった。私はしばらく、城内を うろうろと散策することにした。これが伏見城から持ってきたという櫓で すか。こちらが湯殿を再現したもの。そしてあっちが鐘楼と。月見櫓とい う名前にひかれて、一角にある櫓に近づいてみる。どうやら望楼らしい。 観月会が仲秋の名月のころになると催されているとかいう説明を読んだり、 櫓のまわりをまわってみたり。しかし、この櫓も昭和に入ってから再建さ れたものらしく、朱塗りの欄干なんかが新しかった。
内堀、外堀共に現在では埋めたてられてしまっているせいもあると思うが、 篭城するには少し頼りないような印象を受けてしまった。まぁ戦国乱世に 建てられた城ではないので、それも当然かもしれない。なんどと勝手なこ とを思いつつ城跡のあちこちをうろうろ歩きまわっているうちに、30分ほ どがあっという間にすぎてしまった。辺りは少し薄暗くなってきている。 私はそろそろ駅へもどろうと思い、来た道とは違う道で城をおりていった。 電車の時間にはもうすこしだけ間があったので、駅の構内に露店のような 古本屋があったので、本を見てすごす。文庫本平均1冊400円は少々お高い んではないの?とか好き勝手なことを思いつつしばらく物色してみるが、 これといったものは見つからず。そうこうしているうちに、電車の時間が 近づいてきたので、ホームへと上がって電車を待つ。何分も待たないうち に岡山行きの列車がホームへと滑りこんできたのだった。
そして帰還
岡山行きの電車に揺られること約1時間。岡山駅にたどりつく直前に近く のおばちゃんたちと車掌さんの会話から重大な情報を得る。この電車は岡 山でそのまま姫路行きに変るらしい。それなら始めから姫路行きと行って くれればいいのに。とこれまた勝手なことを思いつつ、岡山で10分ほど停 車したあと、列車は再び動きはじめる。1時間半弱で姫路駅に到着。ここ で乗りかえのために20分ばかり待つことに。結構な数の人達の中で持って きた文庫本などを読みながら時間をつぶす。そうこうしているうちに新快 速電車が静かにホームへ滑りこんでくる。どやどやと入口に群がる人々に 混じって電車にのりこむ。幸い座席が空いていたのでゆったり座って大阪 を目指す。途中、明石駅を通ったときに、脳裏をよぎる朝の記憶。。。そ して思ったこと、明石焼食いそびれた。 まぁ、仕方ない。明石焼はまた今度にしよう。そう思いつつ再び文庫本に 目を落とす。結局この旅の間に私は読みかけていた文庫本を二冊読み終え たのだった。そして電車は大阪駅に滑りこみ、そこで私は阪急に乗り換え、 一日の旅を終えるべく家を目指していったのだった。

-完-


追記:旅の友達

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