山田真哉工房 Home お知らせ 女子大生会計士の事件簿 etc  
・各話あらすじ ・Web版「北アルプス絵葉書事件」 ・登場人物紹介 ・人気投票 ・メルマガ


Web版「北アルプス絵葉書」事件  
   1  
   トゥルルルー トゥルルルー
 ホテルの電話が鳴り出した。
「……はい、柿本ですけど」
 僕はとりあえず受話器を取り、今日の第一声を発した。
「あっ、カッキー、ちゃんと起きているの!? ここでの監査は今日一日しかないのよ。だから、今日は七時にホテルのロビーに集合って言っておいたでしょう!」
 朝っぱらから、かわいい甲高い声が受話器を通して聞こえてきた。
「萌さん、朝からテンション高いですね」
「カッキー、そりゃそうでしょう。だって、今日一日で<例のアノ件>を片付けなきゃならないのよ! 一日じゃ絶対足りないわ」
「はいはい。わかりましたよ、萌さん。じゃあ、すぐに着替えてロビーに行きますので、ちょっと待っていただけませんか」
「<すぐに着替えて>ってあんた、さっきまで寝ていたの!?」
「あぁ、すいません、すいません。今すぐに行きますので。でも、二日酔いでかなり頭がガンガンするのですが……」
「もう、うるさいわねぇ。今日は本当に時間ないんだから、とっとと来るのよ!」
 そう言うと、萌さんは一方的に電話を切ってしまった。
 ピッピッピッー ピッピッピッー
 今度は枕元にあるデジタル時計が鳴り出したので、スイッチを押して音を止める。
 眠い目をこすりながら、辺りを見まわす。
 二つあるベッド、木目調の立派な机、大きなお風呂、何だかよくわからないが高そうな絵画、そして窓から見えるのは北アルプスの山々。
 絵はがきでも買いたくなるような素晴らしく綺麗な景色だ。
 今、僕は出張先のホテルにいる。
 職業は会計士。
 身分は下っ端。
 そんな下っ端にもかかわらず、今回の出張ではツインの部屋を用意された。
 一人でしか泊まらないのに、である。
 毎回、いい部屋に泊まれるわけでは決してない。
 ただ、こういうときもたまにあるらしい。
 まあ、僕は入所一年目だからすべて聞いた話に過ぎないのだが。
 仕事は各企業の監査。
 職場は主に東京。
 東京にある中堅飲料水メーカー大伴飲料株式会社の監査を担当しているのだが、今日はそこの監査の一環として、主査の萌さんと二人で同社の製造工場がある北陸の富山県に来ているのだ。
 <萌さん>こと藤原萌実さんとは、僕と一緒に出張に来ている公認会計士で、入所四年目。
 大伴飲料の主査としてここに来ており、僕の上司に当たる。
 <主査>とは監査の現場監督のことで、大伴飲料の現場については萌さんが責任者なのである。
 萌さんは全国最年少で公認会計士二次試験に合格し、今も現役の女子大生というのだからずいぶんと若い。
 それに引き換え、入所一年目の<僕>こと柿本一麻は今年で二十九歳の会計士補。
 大学三年の就職活動の時期になっても進路を決められず、親から何か就職できる資格でも取りなさいと言われたため、絶対就職できるという文句につられて会計士試験の勉強を始め、七年目にしてついに合格したという経歴だ。
 新入社員が二十九歳というのも一般企業ではあまりないと思うが、会計士業界では別に珍しいことでもなんでもない。
 一年上の先輩には三十八歳で合格という人もいる。
 だから、上司のほうがずいぶんと年下というのもなんら不思議な状況ではないのである。


 
   2  
   すばやくスーツに着替えてロビーに出てみると、萌さんはソファーに座って自分のノートパソコンを見ていた。
「カッキー、おはよー」
 萌さんはさわやかな笑顔で挨拶をしてくれた。
 一方、僕は二日酔いなのでかなりやつれている。
「おはようございます。それにしても、萌さん、あれだけ飲んでいたのに全然平気なんですか」
「当たり前よ。あれくらいで酔っていちゃ、会計士なんてやってられないわよ。カッキーは<会計士に必要なのは、一に体力、二に筋力、三、四がなくて、五にお酒>って会計士受験の専門学校で習わなかったの?」
「習ってるわけないじゃないですか。だいたい勉強は必要ないのですか」
「朝っぱらから、ごちゃごちゃとうるさい男よねぇ」
「そんなこと言われても」
「もう、まあいいわ。じゃあ、<例のアノ件>についてちょっと話し合いたいから、そこのレストランで一緒に朝食でも食べない?」
 萌さんは笑顔でそう言うと、ノートパソコンを閉じて立ち上がり、ホテル内にあるレストランへと向かって行った。
「それでねぇ、<例のアノ件>についてなんだけどぉ」
 朝食バイキングで取ってきたポテトサラダを口に入れながら、萌さんが話を切り出した。
「私たち確かに聞いたわよねぇ」
「ええ、聞きました。ほとんど寝ぼけていましたけど、はっきりと。畠山工場長が言いました<UKから払うぞ>と―――」
<UKから払うぞ>

 ―――話は昨晩の話にさかのぼる。
 昨日、萌さんと僕は東京での仕事を夕方には切り上げ、羽田発富山行きの最終便の飛行機で富山入りした。
 空港には大伴飲料富山工場の畠山工場長と経理課の神保課長が迎えに来てくれて、その日は歓迎の意味を込めて食事会が催された。
 この場合、大伴飲料さんのほうが僕らにおごってくれる。
 まあ、うちの業界ではよくある話である。
 高級レストランでの食事会も無事終わり、<それじゃ、軽く一杯>ということで、次は高級クラブで飲むことになった。
 もともと酒に弱い僕は最初の三十分で<おやすみモード>に入ってしまったが、酒には滅法強い萌さんは夜中一時過ぎまでガバガバ飲んでいた。
 そして、お勘定というところで、畠山工場長が言ったのだ。
「神保、まだ<UK>は余ってるよなぁ。ここのは<UK>から払うぞ―――」
 普通の食事の場合、会社側(ここでは大伴飲料)はちゃんと領収書をもらい、<交際費>としてちゃんと帳簿に載せている。
 しかし、クラブやキャバクラといったところで飲んだ場合、なかなか帳簿に載せることはできない。
 なぜなら、帳簿は会計士や税務署員といった外部の人間が見ることができるからである。
 だから、そう言う場合は、地位の高い人が自腹を切るか、会社に裏金を用意しておいてそれを使うしかない。
 <UKから払うぞ>―――この言葉は、おそらく酔っ払った畠山工場長が口を滑らせて言ってしまったのだろう。
 <UK>―――これは明らかに裏金を示唆している。

「それで、萌さん、今日はその<UK>について調査するんですか」
 僕はソーセージを頬張りながら訊いた。
「カッキー、当たり前でしょう!? 会社の裏金なんて私は絶対許さないわ」
「でも、どこの会社でも大なり小なり裏金なんて作っているでしょう? ちょっとぐらいなら見逃してあげてもいいんじゃないですか」
 僕がそう言うと、萌さんはちょっと怒った顔になった。
「バカね、あんたは。嘘が書いてある帳簿を見せられても悔しくないの? みすみす騙されろって言うの? 信じられないわ、そんなの。少なくとも、私の前では一切の隠しごとは許さないからね。私に黙って裏金作りをするなんて上等じゃない! 今日は徹底的に調べてやる! 裏金<UK>とやらのカラクリを」
 普段はかなりかわいい顔をしているだけに、怒るとけっこう怖い。
「……ええっと、萌さん。それにしても、裏金ってどうやって作るんですか」
 僕は何とか話をそらした。
「そうねぇ、裏金って言うのは、基本的に二パターンあるのね。入金があるのにないように見せる場合と、出金がないのにあるように見せる場合ね」
「入金があるのにないように見せる場合ってどういうケースなんですか」
「売上があったのを内緒にしておけば、その売上代金が裏金になるわね。簿外入金というのよ」
「なるほど。じゃあ、出金がないのにあるように見せる場合というのは、どういうケースなんですか」
「そうねぇ、この場合は偽の出費を作るの。例えば、本当は出張なんかに行っていないのに飛行機代やホテル代を出したように見せかける<カラ出張>とか。そうすれば、その飛行機代やホテル代を裏金として貯めることができるでしょう。こういうのを架空出金というのよ」
 とても女子大生がする会話とは思えないが、会計士という職業がそうさせるのであろう。
「――それで、カッキー。<UK>って一体、何の略称だと思う?」
 萌さんはいつになく真剣な様子だ。
「売掛金だから<UK>ではないんですか」
「そうねぇ。可能性としては考えられるから、それは私が調べてみるわ。じゃあ、ほかにないかしら?」
「ユナイテッド・キングダムで<UK>というのは?」
「イギリスね。確かにそれも考えたわ。でもさっき調べたんだけど、この工場、海外との交流はまったくないの。だから、ちょっと考えにくいわ」
「じゃあ、ウラガネだから<UK>っていうのは?」
「ウラガネだったら、<UK>じゃなくて<UG>でしょう」
「あっ、そうか。それじゃあ、浦和高校で<UK>」
「どうして、高校が関係あるのよ」
「宇宙人交流会で<UK>」
「それは一体何なのよ!」
 僕らはこのように情報の整理を行い(?)、ミーティングを兼ねた朝食を終えた。


 
   3  
   八時過ぎ、僕らはホテルからタクシーに乗り、二十キロほど離れた大伴飲料富山工場へと向かった。
「ほら、萌さん、見てくださいよ。この絵はがき。さっき、ホテルで買ってきたんですよ。北アルプス山脈がすごく綺麗でしょう」
 僕は隣に座っている萌さんに話しかけた。
 タクシーの中では会社についての話題をするのは厳禁なので、通常こういったたわいもない話をよくする。
「そうねぇ、確かに綺麗ね。それで、カッキー、その絵はがきを誰かに出すの?」
「もちろん、<柿本一麻>宛てに富山から出すんですよ。ちゃんと切手もさっき買ってきましたし」
「あんた、自分から自分に絵はがき出すの!? そんなことして楽しい?」
「別にいいじゃないですか。出張から帰ってきて二、三日経ったあと、ふと郵便受けを見るとそこには、美しくそびえる北アルプスの山々が。ねっ、いい感じでしょ」
「ねっ、じゃないわよ。いい年した大人が! だったら三日後、事務所にあるカッキーのレターケースに絵はがきを入れておいてあげるから、その切手、私に頂戴よ」
「切手をどうするんですか」
「もちろん、売るのよ。五十円の儲けだわ」
 萌さんは年の割には意外とせこいことを考える。
 もう少し若い女性らしくしてもいいんじゃないだろうか……。

 八時三十分過ぎに海辺にある立派な工場に到着した。
 出迎えには、昨晩一緒に食事をした経理部の神保課長が来てくれた。
 玄関で軽く挨拶を済ませると、工場の離れにある事務センターの会議室へと通された。
 今日の仕事場はこの会議室である。
 監査の仕事では、通常その監査先の会社の会議室等を借り、そこにさまざまな会社の資料を持ってきてもらって僕らが作業をするのである。
「それでは、神保さん。この一年間の会社の帳簿類をすべて持ってきていただきませんか」
 萌さんは、会議室に着くとすぐに神保課長にお願いをした。
 これが監査の開始の合図である。
「藤原先生、経理部はこの会議室のすぐそばなので、いくらでも持ってこれますから。それじゃ、よろしくお願い致します」
 作業服に身を包んだ痩せ型の中年男性である神保課長は、そう言うといそいそと会議室を後にした。
「じゃあ、カッキーはパソコンの準備をして。毎月の試算表の数字をすべてパソコンに打ち込むのよ」
 いうわけで、僕に今日与えられた最初の仕事は、この毎月の試算表を会社からお借りして、数値をひたすらパソコンに打ち込むという<月次推移表>の作成になった。
 四月の売上は一五○○万円、五月の売上は一七○○万円、六月の売上は一四○○万円……。
 このようにひたすら数値をパソコンに打ち込み、月ごとの動きや特定のある月に異常な数値が出ていないかを調べるのである。
 こういうのを<分析的手続>といい、監査で重視される手法の一つである。
 二時間ほどして、エクセルへの数値の打ち込みを完了した僕は、データをプリントアウトして、さっそく萌さんに見てもらった。
「うーん、おかしいわね。費用にしても収益にしても何らおかしな変動はないわ。じゃあ、カッキー、今度は五年分の試算表をもらってきて、それを打ち込んで」
 今度の仕事は五年分の数値を打ち込んで<年次推移表>を作成し、その変動を見るという<分析的手続>だ。
 また、二時間ほどして、エクセルへの数値の打ち込みを完了。
 出来上がった表を、また萌さんに見てもらった。
「うーん、ここ五年間で見てもおかしな数値は発生していないわね。ということは、毎年決まった金額だけ裏金を作っているということかしら」
 萌さんは困った顔をしていた。


 
   4  
   十二時半頃、会議室に海の幸がふんだんに盛り込まれた立派なお弁当が運ばれてきた。
 僕らはお弁当をほおばりながら、午前中の監査について話し合った。
「……それで、萌さんのほうは何か成果が上がりましたか」
 萌さんは、売掛金などを絡めた簿外入金のほうについて調べていたので、僕はその結果について訊いてみた。
「こっちも成果はないわね。この工場の売上はすべて東京の本社に対してなの。だから、東京本社の仕入金額とこっちの売上金額が一致していなければ不正の疑いがあったんだけど、いくら調べても完璧に一致していたわ。ほかへの売上も考えにくいから、簿外入金の可能性は低いわね」
 時間はもう一時をまわっている。
 萌さんは今日はどうしても六時までにはここを出て東京に戻らなければいけないと言うので、タイムリミットはあと五時間ということになる。
「仕方ないわね。あとは、架空出金のほうをなんとしてでも見つけるしかないわね。カッキー、最終手段に出るわよ―――」
 神保課長に頼んで、<証憑類>と書かれた大きなファイルを数冊持ってきてもらった。
 この<証憑類>のファイルには、すべての出費についての証拠となる資料、具体的には領収書や納品書、請求書などが入っている。
 これは、会社が出金したときに相手の会社からもらう書類なので、出金したという事実を示す動かぬ証拠になるのである。
 つまり、帳簿上は出費があるのに、領収書などがないものがあれば、それは架空出金の可能性が高いのである。
「それじゃ、カッキー。手分けして、すべての出費について調べるわよ。私は仕入をやるから、カッキーは販管費をやって」
 販管費とは、「販売費及び一般管理費」の略称である。
 一言で販管費といっても、<販売促進費><賃借料><給料手当><福利厚生費><リース料><通信費><旅費交通費><交際費>などなど……と無数にある。
「えーっ?! これをすべて一つ一つ調べるんですか」
「当たり前でしょ、それくらい。カッキーには真実を追求する会計士としての根性はないの? 専門学校で習ったでしょう<会計士は、一に辛抱、二に忍耐、三、四がなくて、五にど根性 >って」
「そんなの専門学校時代に聞いていたら、受験する気なんてなくすじゃないですか。だいたい、朝と言っていることが違いますし」
「あー、つべこべ言わない! もう、さっさと始めてよ。今晩は東京で大事な用事があるんだから本当に時間がないのよ!」
 萌さんはそう言い放つと、さっそく自分の仕事に取りかかった。

 ―――三時間後。
「ふっー、萌さん。全部調べましたけど、すべての費用にちゃんと領収書がありましたよ。カラ出張もなかったですし。どれひとつ不審なものなんてありません」
 僕は徹底的に調べたのだが、費用のほとんどすべてに領収書がちゃんとあり、領収書がないのといえば、千円程度の交通費ぐらいであった。
 こういった細かい交通費については、領収書がないのも仕方がない。
「うーん、困ったわね。私のほうも、おかしいものがないのよねぇ。どうしよう、もう四時をまわったし」
 萌さんも腕時計を見ながら困り果てていた。
「ちょっと質問してもいいですか」
 僕はちょっと気になったことを聞くことにした。
「いいわよ、何?」
「領収書が絶対もらえない出費ってないのですか」
「まあ、交通費や募金とかだけど、領収書がもらえないのはどれも少額の場合だけだからね。とても飲み代を払えるだけの裏金を作るのは不可能だわ」
「じゃあ、領収書があってもお金を払わなくてもいいものってないんですか」
「領収書があってもお金を払わなくてもいいものねぇ。架空の領収書とかだったらそれも可能だけど、これまで 調べた中では偽造領収書もなかったしね」
「それじゃあ、えーっと、えーっと……」
「カッキー、もうネタ切れなの!?」
「そんなこと言わないでくださいよ! 萌さんのほうこそ、何かないのですか」
「そうねぇ――北アルプスって本当に綺麗よね」
 萌さんは窓のほうを見つめながら言った。
「萌さん! 現実逃避しないで真剣に考えてください!」
「わかっているわよ――でも、ちょっと待って。北アルプスに、綺麗な山脈、絵はがきのような風景――あっ、わかったような気がする」
 萌さんはそうつぶやくと、もう一度ノートパソコンを開いて<年次推移表>のデータをまじまじと見つめた。
「そうよ、そうよ。なるほど、これは確かに<UK>よね。それに、この工場にこの数値は確実におかしいわ。毎年ほぼ同じ金額だけど、この金額は大きすぎるし」
 萌さんはそうつぶやくと、僕のほうを振り返って真剣な顔で言った。
「カッキー。畠山工場長と神保さんを呼んできて! あと、北アルプスの絵はがきも準備しておいたほうがいいかもね―――」


 
   5  
   畠山工場長と神保課長が僕らのいる会議室に入ってきた。
「藤原先生、柿本先生、お疲れさまです。今回の監査はもう終わられたのですね。それではもう飛行機の時間もあることですし、タクシーのほうをご用意致しておきますから」
 畠山工場長は丁寧な口調でそう言うと、タクシーを呼ぶために会議室を出ようとした。
「畠山さん、ちょっと待ってくださいませんか」
「えっ、藤原先生。まだ終わられていなかったのですか」
「いいえ、監査はおかげさまで終了致しました。実は、ちょっとお願いしたいことがあるのですが」
 萌さんは上目遣いをして言った。
「おや、それは一体なんですか」
 畠山工場長が尋ねた。
「誠に申し訳ないのですが、うちの柿本が絵はがきを出したいと言っているのですが、もしよろしければ切手を一枚頂戴できませんでしょうか」
「えっ、萌さん! 僕、ちゃんとさっき切手を買ってきましたよ」
 僕は驚いて、萌さんに小声で耳打ちした。
「カッキーはちょっと黙っていて! あとで事情は説明するから」
 萌さんに逆にそう耳打ちされて、僕は黙っておくことにした。
「藤原先生、切手ですね。いいですよ、安いものですから。一枚でいいんですよね。神保課長、経理部から切手を持ってきてくれないか」
 畠山工場長は神保課長に命じた。
「あっ、神保さん、ちょっと待っていただけませんか。できれば、ついでにこの工場にあるすべての切手を見たいのですけど、よろしいですか」
 萌さんは笑顔で、畠山工場長や神保課長に了解を求めた。
「……すべてですか」
 笑顔の萌さんとは逆に、畠山工場長と神保課長の顔面がみるみる蒼白になっていった。
「ええ、切手をすべてです」
 萌さんが相変わらず最高の笑顔で、しかし念を押すように強く言った。
 僕らは経理部の中へと案内された。
 そして、神保さんは壁際にある戸棚の引出しの一つを開けた。
「切手を保管している場所はここなのですが……」
 神保さんは恐る恐る萌さんに言った。
「そうですか。それでは、柿本さん、切手の枚数を確認してもらえませんか」
 そう言われて、僕は引出しの中から切手を取り出した。
「ええっーと。五十円切手が五枚と、八十円切手が三枚。そして、二○○円切手が一枚ですね」
「柿本さん、ありがとう。金額ベースでいうと全部で六九○円ですね、神保さん」
 萌さんが神保さんのほうを直視して言った。
「……」
 神保さんは沈黙している。
「あれっ!? おかしいですね。確か、試算表では郵便などの通信費は毎月一○万円から二○万円ほどになっていたはずですが。それも領収書を見ましたら、そのほとんどが郵便切手による購入のようでした。ということは、よっぽどここの工場では郵便物が多いのですね」
「……」
「でも、手元にある切手がわずか六九○円って、おかしくありません? 毎月一○万円以上も購入するのでしたら、もう少しここに多く残っていてもいいのではありませんか?」
「……」
「もしかしたら、もう全部切手は使い切ってしまったのかしら? そういえば、この工場がDMを大量に発送しているという話はまったく聞いておりませんが―――購入した月一○万円の切手がどこへの郵送に使われたのか、教えていただけませんか」
「……」
「<郵便切手>については、購入時には領収書をもらえますが、使うときは手紙に貼ってしまうので、使ったという証拠が残らないですよね。だから、私たちが調べても切手の行方はわかりませんでした。もしかしたら、この工場のどこかに <郵便切手>だけ残っていません?」
「……」
 畠山工場長と神保課長はずっと沈黙を守ったままだった。
「―――も・し・か・し・て、<郵便切手>を大量に買って保管しておき、切手の使用は領収書がいらないことをいいことに、使い終わったことにしているとか―――」
 萌さんは再び上目遣いで二人を見た。
 しかし、彼らは顔面蒼白で黙ったままだった。
「つまり、私はあなた達が通信費という架空の出金をでっち上げている、って言っているのよ」
 それまで丁寧だった萌さんの口調が明らかに怒りを含んだものに変わっていた。
 畠山工場長と神保課長の表情は完全に凍りついていた。
「あのー、萌さん。裏金作りに切手を使っていたというのはわかりましたが、いまいちそのカラクリがわからないのですが……」
 沈黙が支配する雰囲気の中、僕は恐る恐る萌さんに訊いてみた。
「仕方ないわねぇ、カッキー。じゃあ、説明するわよ。まずね、郵便局とかで切手を大量に買うじゃない。例えば、ひと月に一○万円ね。そして、その切手一○万円分は通信費として使ったことにしてしまうの。次に、一○万円分の切手を格安チケット屋に持っていって換金すれば、一○万円の切手なら九万五○○○円くらいで売れるじゃない。これを繰り返せば、一年で一○○万円くらいは軽く貯まるでしょ」
「なるほど、実際に出金して買った切手をまた現金に戻すことで、架空出金にするんですね。領収書は切手を買ったときにもらえるから、切手を使ったかどうかなんて全然気にしなかったですよ。でも、萌さん、いつそのカラクリに気が ついたのですか」
「今朝、カッキーが北アルプスの絵はがきの話をしたとき、私が言ったでしょ。<切手を売って五十円儲ける>って。切手は換金しやすいってことを思い出したのよ」
 萌さんはそう言って僕にウインクした。


 
   6  
   その後、畠山工場長、神保経理課長はともに裏金作りについてその事実を認めた。
 もう十年以上前からやっていたことらしく、裏金の総額は三千万円以上。
 あまり堂々と表で使えない費用については、すべてこの<UK>と呼ぶ裏金を使っていたそうだ。
 どうして<UK>かというと、<郵便切手>だから<UK>だそうだ。
 僕にはどうでもいいことにしか思えなかったが、萌さんは<郵便切手>だったら<YK>じゃない! と最後まで工場長に噛みついていた……。

「あっー、もう六時半じゃない! 運転手さん、富山空港まで死ぬほど飛ばして!  もう赤信号なんて無視していいわ、私が許す」
 萌さんが腕時計を気にしながら、タクシーの運転手に向かって命令している。
「……萌さん。あなたには道路交通法を無視してもいい権力なんて持ってないでしょ。無茶を言ったら運転手さんに悪いですよ」
「なんなのよ、カッキー。感じ悪いわねぇ。私はどうしても早く東京に帰りたいの! あなたに私の合コンを邪魔する権力なんてあるの?」
「えっ……萌さん、もしかして今日は合コンが入っていたから、朝からずっと時間を気にしていたのですか!?」
「しまった、つい言ってしまったわ―――」
「萌さん、また合コンに行くんですか」
「また行くんですか、とは失礼ね。今日はちゃんと作戦を考えてきたから大丈夫よ。今回はスチュワーデスのふりをするの。帰りの飛行機でスッチーの仕草とかよく観察しなくっちゃ」
「また、職業をいつわるんですか? いくら女性会計士が堅そうだし年収も高いから男性から敬遠されるとはいえ、嘘をつくのはよくないと思いますよ」
「もう、うるさいわねぇ。私たちって飛行機の出張が多いからスッチーみたいなもんじゃない!」
「いいえ。たとえ飛行機の出張が多いとはいえ、スッチーとはまったく世界が違います」
「だいたい、世の男性にスッチーとか看護婦みたいな制服好きが多いのがよくないのよ! 私たち会計士にもかわいい制服があればいいのに〜」
「嫌です。制服なんて死んでも嫌です」
 タクシーの中では、監査の話をしないのは鉄則である。
 僕は思った。
 だからといって、こんなどうでもいい話をしなくてもいいのに、と。

――終――

 
  (Illustrated by さくらあやと)

 
 
あとがき
この作品は、私が一番最初に書いた『女子大生会計士の事件簿』なので、とても思い入れがあります。
また読者の方の反響も大きく、「こういう切手の使い方を教えてくれてありがとう!」というお便りも頂きました。悪用されていなければ、いいのですが‥‥(^^;

なお、このWeb版はサイトの都合上、実際の原稿よりも短くしておりますので、完全版をご覧になりたい方は、 『女子大生会計士の事件簿 DX1 ベンチャーの王子様』(角川書店)をご覧くださいませ。



Copyright Shinya Yamada. All rights reserved.