酔棋プロフィール

本名/増山雅人(号・酔棋)

◆1949年、東京に生まれる
◆1972年、明治大学政治経済学部卒
◆1974年、2年弱のサラリーマンのあと、フリーの校正マン
◆1977年、駒作りを始める
◆1982年、編集プロダクション「逍遙舎」設立。後に棋書も編集
◆1991年、100組駒制作の個展を開く

イラスト/永島慎二作

将棋関連/

 小学2年生のときに亡くした父から、小学校に上がる前に将棋を教わる。比較的早く覚えたほうだが、本格的に将棋を指すのは、大人になってからと意外と遅い。高校時代(2級)に将棋愛好会で少し指すが、大学に行ってからは麻雀ばかり。再び将棋を始めた社会人のとき、主に棋書で勉強し道場で鍛える。振り飛車党から居飛車党に転向し、四段となる。ただし、本で覚えた将棋は終盤が甘く、やがて指し将棋に限界を感じはじめる。そのころに「駒作り」と出合う。

駒関連/

 1977年、熊澤良尊氏主宰の「駒づくりを楽しむ会」の会員となり、アマチュアとしての駒作りの第一歩を踏み出す。当然なことに彫り駒からスタートし、数を作るうちに彫り埋め駒、盛り上げ駒とステップアップするが、盛り上げで失敗を重ね、一時期あきらめたこともあるが、後にそれを克服し盛り上げ駒を得意とするようになる。1988年、北田義之氏主宰の「将棋駒研究会」に参加し、駒に関する活動がより活発になる。1991年、個展開催。1993年4月〜2000年3月、『NHK将棋講座』で駒シリーズを連載。1996年、将棋駒研究会の有志7人と『駒のささやき』(駒研出版会)を制作し、その編集長を務めた。

駒  銘/

 2000年になって、自作の駒が200組を超えたのを期して、それまで使用していた駒銘を右から左ものに変更した。

遊  印/

 私の駒作り仲間に、漫画家の永島慎二氏がいる。駒作りとしては私が先輩だから、当初は年齢が逆の奇妙な子弟関係ではあった。しかし、やがて駒を通じて心がふれあい、永島氏の漫画作品に似たほのぼのとした友情がいつの間にやら生じていた。また、創造的な喜びや厳しさなども教わり、そのことは私の駒にもかなり影響している。現在では、永島氏は私の精神的な支えといってもよい存在だ。

  
これらの遊印は永島氏が私に作ってくれたもの


好きな言葉/

「棋は鼎談なり」(将棋は対局者二人と盤駒三者の話し合い)
「使われてこそ名駒」(いい駒も飾っておくだけでは、名駒にはならない。使われてこそ味が出る)

漫画家・永島慎二駒語録

駒の詩