■「水無瀬」の由来
16世紀末に「将棋駒の銘は水無瀬家の筆をもって宝とす」といわれたように、能筆家で知られた公家の水無瀬家が4代にわったて駒銘を書いた。特に水無瀬兼成(かねなり)とその孫の兼俊(かねとし)がよく知られ、現在の大阪府三島郡の水無瀬神宮にその作品が残されている。もちろん当時は盛り上げ駒の製法はなかったから、漆による書き駒だ。これらの水無瀬駒は、駒木地も現代とは異なりかなり大きくまた肉厚であった。
ちなみに下記の写真の「玉将」と「歩兵」は、熊本市本妙寺にある加藤清正公遺愛の中将棋のもの。これも水無瀬兼成の初期の作品と考えられている。この駒の復刻版(中将棋水無瀬書)をかつて私は作ったことがあり、それを元に「清正好」(清正遺愛)という、普通の将棋駒の書体も制作した。また、「水無瀬」に関連した市販されている書体としては、他に「水無瀬兼成」「古水無瀬」などがある。
ただし、古来からのも含め紹介したいずれの書体も、プラスチック駒などで一般的によく知られている「水無瀬」とはかなり異なっている。私の制作した写真(上)のなじみ深い「水無瀬」は、実は出所不明の書体なのである。先の水無瀬駒の書体を、多くの駒師たちが何代にもわたって駒字として洗練し築き上げたものではないかと推測できるのだが……。
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