1995.11.4(土曜)
鈴鹿マイレッジマラソン公式練習
徹夜明けで名古屋を出発。仕事の関係で今回参加はマネージャー市川、ドライバー中島の2名だけ。朝7時過ぎにはもうピットは満員。
他のマシンの「小ささ」にぶったまげる。それにしても、2人だけのチームなんて他にいないぞ。
居場所が無くてやむなくパドックへ。晴れてヨカッタ。(^^;
午前3周、午後3周。驚くべきコトにノントラブル。ドノーマルエンジンなのだから壊れるところはないか?HONDAエンジン恐るべし!
ストレートは50キロがやっとでした。ところで、ノントラブルだとヒマですよね。
1995.11.5(日曜)
いよいよ決勝の朝。今日はピットがすいている。この日は助っ人佐藤が名古屋より駆けつけてくれて3人チームに。ゼッケン499番だから、スタートはずーっとあと。ゆえにすることがない。ヒマー。
(でも前夜は曲がったハンドル・バーの交換とホイールのフィルム貼りをやったので、実は超ねむい)
午後3時いよいよスタートの順番が。。。
え?なんでもっと深く乗り込まないかって?実はシャシーの設計ミスで、これ以上腰が入らんのですよ。
決勝もノントラブル。ゆうべ貼ったフィルムのお陰(?)で、ストレートでは55キロを記録。不思議なくらい快調に走行し、無事フィニッシュ。
188.9 km/l で、参加593台中273位でした。まだまた走行抵抗が大きすぎます。
それはそうと、フィニッシュ後マシンを移動させようとギアを1速に入れたら、シフトリンケージが折れました。あーコワ。完走はビギナーズ・ラックってやつですね。
これを翌年以降いやというほど思い知らされることになろうとは・・・