Africa



アフリカ大陸を東西南北、中央に分けてまとめています。西の情報に乏しいので、お教え下さい。


North

Center

East

West

south

How to go

陸路では、北アフリカから。エジプトへはヨルダンのアカバから船で。イスラエルからも入れるが、北アフリカへ 行く予定なら支障をきたす。チュニジアへは、イタリアなどから船もある。ドーバー海峡を渡ってモロッコへの ルートはポピュラー。ほかに、スペインのマラガなどからフェリーが出ている。直行便は少ない。ドバイなどを 経由してケニアのナイロビか、南アのヨハネスバーグなどへの便がある。 アフリカの旅行は、北は他の中東諸国と同じ感じ。南アなどはヨーロッパクラス。(予算があれば...)中央は トラックなどを捕まえて行く。現在、ザイールの情勢がなかなか落着かないので 北から陸路で降りてゆくのは結構難しいかもしれない。スーダンがネックに なるので、確認されたい。しかし、リビアに入れるようになったらしいので、チャドへ降りて、西へ行けるかも。 でも、その後はマリから上がるか、西サハラを通れなければ、どんずまり。ただし、現在は ガイドつきの歩きで西サハラ-モーリタニアの国境は通れるらしい。車が無いと西サハラはヒッチらしいが、詳しい ことは不明。南へはコンゴ(旧ザイール)に入れなければ、やはり飛ぶしかない。

How to exit

南アから、南米へ飛べる。J.バーグかケープタウンから、リオデジャネイロへ。私の経験では、何故か ケープタウンで買った方が安かった。

北アフリカ

アクセス...How to go参照。中央から登るには、チャド経由でリビアに行ける可能性がある。 中央アフリカからは、スーダン経由でエジプトへ、また、エチオピアからも。西からはマリ経由でアルジェリアか、 西サハラ経由でモロッコだが、マリ北部がトゥアレグ族の反乱などでなかなか落ち着かず、通行が難しい。 西サハラは通れるらしい。(モブツも通ったらしい)いずれにせよ、サハラベルトを通る難所ばかり。

VISA...モロッコ、チュニジア以外は必要。アルジェリアに関しては、現地での取得の場合、 大使館のレターが必要になるケースがある。現在、政情不安のため、VISAの取得は難しいと言われている。 代わりにリビアの入国がかなり容易になったと言う情報を聞いている。スーダンは、出したり、出さなかったり は相変わらずの様。発行するにしても、恐らくけっこう待たされると思う。スーダン国内を旅行するには、ハルツームで 旅行許可を取らなくてはならない。(ハルツームへ行くのにも許可をとった)これでかなり時間をとられるが、ここで 観光するようなところはない。美術館のようなところはすべて閉まっていた。そして、行く先々で泊るときは、現地の 警察で許可を取ってからでないとホテルにも泊れない。中央アフリカへ抜ける時は、西方の町、El fasherで 許可をとるが、雨季になると通行できなくなるため、許可が下りない。許可が取れても、雨季が近いほどに通行は きつくなる。ちなみに、ザイールのVISAはハルツームで取ったら1ヶ月シングルで、$6ほどだったが、現在は 知らない。

おかね...B.M.はあまりない。‘93年、アルジェリアには少しあったが、正規に換えても生活は できた。Declareがあるので持ち込みには注意。現金は、US$で良いが、チュニジア、アルジェリアなどではフランが 良いことがある。リビアは未確認。

トランスポート...モロッコではバス。アルジェリアでは、沿岸では列車もあり、やはりバスがメイン。 チュニジアもバス。エジプトは、ナイル川沿いに列車が走っている。他はバスか乗合。モロッコ−アルジェリア、または アルジェリア−チュニジアの越境は、列車ごとも可能。何か、けちつけられても、列車は待ってくれない上、この国境の カスタムは、他の越境ポイントよりも厳しめだと、私は思う。エジプト−スーダンはフェリーでナセル湖を渡ってゆく。 イミグレは双方の上陸地点、フェリーは冷房が効きすぎ、でも割と空いてる。スーダンの上陸地点、ワジ-ハルファから 首都のハルツームまでは、毎日トラックを改造したバスが走っている。席が取れなかった場合は一泊することになる。 砂漠の、何もない集落だが、食堂も泊るところも一応ある。飯はエジプトに比べてもかなり品素、宿泊は夜になると 家の軒先に木とひもでつくったベッドを出してくれるだけのもの。ここの星空はかなりきれいになる。バスは4t トラックに覆いをつけて座席をむりやりはめこんだもの。横一列に六人並ばされるキツさ。これを3泊4日続ける。 昼は50度を越える猛暑で、トラックが止まって風がとまると汗が吹き出してくる。夜は気温変化で強い風が吹き荒れる ことが多かった(ハブーフ)。サハラの粉のような砂を巻き上げるので、外で寝るのはかなりの苦痛。トラックは ハルツームの、ナイルの対岸、ウムダーマンに着くと思う。ハルツームから東西、又は南へ行くには、ハルツームの バスターミナルから。西へは、エル−オベイドまでは、日本のてこ入れでアスファルト舗装されている。その先は トラックを捉えて、アフリカらしくなってくる。砂漠の放電現象も、この辺でかなりきれいに見えた。 ニアラから先は、雨季が近くなると国境のアム−ダフォッグまで1週間もかかる。水を含んだ砂漠は スポンジのようにフカフカで、トラックはたびたび落とし穴に足を取られてそれを掘り出すという作業の繰り返しで 時間をとられる。この間にマラリアに憑かれると死にそうになるので、注意。やはり、トラックの人もそんなに時間が かかるとは踏んではいないので、(普段は2日ぐらいで行ける)食料もなくなってくる。積み荷のたまねぎなどをかじったり しているが、そのうち行き交う遊牧民から羊を買ったり、牛乳を買ったりする。でも、羊はその場で捌いてすぐ食べるので 私には野生くさくてたべられなかった。周りはうっそうとした熱帯雨林のような風景なのだが、焚き火をしようとして石を 探したが、小石ひとつみつからなかった。本当にここは砂漠なんだと、このときはじめて気が付いて、いままで想像も しなかった光景に驚いたことを覚えている。乾季はここから1週間で 中アのバンギまで行ける。アム−ダフォッグは、池を越えた中ア側の村も同名だが、イミグレは66キロ先のビラオで 行う。スーダン側はわりと活気があって、それなりの村なのだが、雨季になると人が移動してゆき、ゴーストタウンになる。 私は、実はここへ着く途中にマラリアにかかって、VISAが切れたにもかかわらず警察の駐在所に1週間も泊めてもらった 。たまにイミグレの係官がやってきて早く出ろというのだが、このとうりマラリアだからたのむといって、出国続きだけ して、居させてもらった。ちょうど雨季が迫っていて毎日村を見ていると、毎日何人も家をたたんで出てゆき、どんどん 村がさみしくなってゆくので、心細かった。でも、何と電気が通っている。ヂーゼル発動機があって、夜2時間くらいだけ 明かりがある。昼間は、警官のこどもが京セラのソーラーパネルを持ってきて、ラジカセを聞いていた。村には薬屋 (村人はホスピタルといっていた)や、飯屋も一応あったが、私が村を出たころは、ほとんどなくなっていた。 雨季の、この先の行き方はcenterの章を参照。
注意...完全に雨季に入ると、ニアラから先への旅行許可証が発行されなくなり、この越境もできなくなる。

ごはん...パスタの細かいのみたいなクスクスが珍しい。その他は西アフリカ原産といわれるお米が主食。 モロッコでは、ヨーロッパ並みにウサギなどを食せる。あとは鳥肉などがポピュラー。イスラム圏なので、酒類はない と思うが、モロッコには輸入酒があり、アルジェリアではビールとワインを造っている。エジプトではレバノン産の アニス酒などが買える。エジプト産のビール、ステラは、実にまずい(エジプトはビール発祥の地らしいのだが...) エジプトでは、エジプトらしい食物を食べた覚えがない。レストランはウエスタンばかり。市場などでおばちゃんが 売るロールキャベツなどぐらい。あと、イスラエルにもあるファラフェルは、コロッケみたいなもの。これをおかずに ごはんを炊けば、一応の食事になる。あとは、フルーツジュースぐらいしか特筆するところがない。




中部アフリカ

アクセス...コンゴ(旧ザイール)が落着かない現在、中央部の旅行は難しい。ここには入れた頃の情報を 記す。北部と重複する部分は略します。東からは、ウガンダのカセセと、コンゴのベニの間のカシンディにイミグレがある。 ナイロビからベニへの飛行機があると聞いたことがある。その他、ブルンジ、ルワンダからも入れるが、しばらくは 難しい様。南はザンビアからルブンバシへ。ナミビアからアンゴラへのルートが開くと言ううわさを、‘93年頃聞いた ことがあるが、どうなっただろう。

VISA...すべて必要。ザイールのvisaは高価なことが有名。パリでは3万円ぐらいしたと思った。 ところが私は、スーダンのハルツームで、1ヶ月シングルをUS$6ほどで取ったことがあるので、結局あちこちで 大使館を尋ねてみるのが良いように思います。たいていの国では大使館は固まって存在するので、試してみる価値は あるとおもいます。安く入れたら、延長はザイール国内の、できるだけ田舎のほうのイミグレオフィスで行うと、安く あがる。ブンバなど、田舎で、空港があるようなところはねらい目。キサンガニなどでやると、料金はベルギーフランで 固定されていて、高く付く。その他の国は$30とかなので、そんなに心配は要らないと思う。中央の方ではわりと袖の 下を要求される機会が多いようなので、注意。払わなくて良い時は払わないように、払えば何とかなる時は、値段を 交渉して、安く上げたい。払い過ぎは後の旅行者がめいわく。でも、確かにExit Visaは割と存在するので、 それと間違わないように、料金表をみせてもらったり、レシートをもらうようにしましょう。

おかね...中央部では、CFAフランで1フランスフラン=50CFAで固定なので、BMはない。でも、 銀行になかなかめぐり逢えないことがおおいので、現金は欲しいところ。特に、CFA圏はフランを持ってると、普通の 商人とも正規レートで交換できる可能性が高いので、細かいフランも重宝する。(ちなみに、こういうところでは US$は非常に不利。)ザイールもCFA圏に接しているところは、フランが強い。CFAも使えるので、少し持ち込 めば安心。ザイールは貨幣のレートの変動が激しいので、注意したい。また、銀行が機能している事はなかなかないので トラックを持ってる商人などと交渉することになると思う。T/Cとカードはなんの効力も持たない。

トランスポート...トラックの荷台が主。目的地を明らかにして探していると、なんとなく見つかるもの。 料金は住民も利用するため、こなれていて納得できる。ミシュランの地図は必携。難所まで細かく書いてある。目的地 までのトラックがなくても、途中の村までならいけるという場合、地図で場所を確認できる。距離から料金もおおまかに 割り出せる。その他はピックアップが走っている。乗り心地は悪いが、足がはやいし、定期的に走っているので便利。 コンゴ川(ザイール川)には船が行き来している。大きな船はなかなか来ない上、来てもいつ出港するのか わからない。すべて船長の気分しだい。でも、大きな貨物船の方が料金の面で信頼がおけるし、他の住民からも確認できる ので安心できる。あんまり船が来ないとついモーター付きのカヌーに乗ってしまいがちだが...田舎のほうでも、物資の 輸送のために小さなカヌーが行き来しているが、貨物船が来る時はそういったカヌーも貨物船に縛り付けて川をのぼって ゆく。そのほうが安上がりなのだと思う。実際、この貨物船で川を溯ってゆくと、途中の小さな村から手こぎのカヌーで けんめいに漕いできて、乗り移ってきたり、失敗して流されてしまったりという、ここならではのアフリカらしい風景が 見られる。船の旅は長いので、甲板上は市場の様相で、上陸までにひと稼ぎしようという人々でごったがえしているが、 上陸が近くなると食料も乏しくなってくるので、何か少しは持ち込んだほうが良い。オレンジなどはお勧め。ちなみに 川魚などを甲板で開いて干し魚を作っているが、一度ひっくり返して見ると良い。蛾がたまごを産み付けて、幼虫が 無数に這っていることがある。国内は、飛行機のわりと飛んでいるようで、LPに書いてあるキンシャサで学生証を とって、学割で飛べると言う話は本当にあったようだが、現在は不明。ウガンダからキサンガニまで来て、川下りをして キンシャサまで行き、学割でブカブまで飛んで、陸路でナイロビへ帰ったという人に、93年頃会った。 キサンガニからの出方は、南へルブンバシまで降りるか、東へブニアのほうへ出て、ウガンダかルワンダ、ブルンジなどへ 出る。しかし、南下ルートはミシュラン地図を見ても分かるように、道路の状態はかなり悪く、何百キロだか歩くと言う 話を聞いた。当時、イスラエル人だかがここを通ったということで、現地で大分有名人になっていたから、それだけ容易でない ということがうかがえる。東へのルートはいってみればポピュラー。だが、雨季はやはり難所が多くなる。Adulaと 珍獣オカピーを飼育してるstation de caputure d‘Epulu の間がいちばんきついようで、泥に 埋まったトラックを掘っては出し穂っては出しを繰り返すので、トラックが一台隠れてしまうくらいの大穴がいくつも 空いてしまっていて、これを越えるのに難儀するのだ。なお、ウガンダとの国境近くの高原になってくると、背の低い ピグミーたちが目立ってくる。また、東へ行くほどに村に活気があり、交易の盛んなことがうかがえる。私はベニから カシンヂの国境を目指した。実はこのとき私のvisaは切れていたのだが、わりとイミグレはずさんなようで、このとき 一緒だった他の旅行者の与えたプレゼント(薬品など)に気をとられていて、気がつかなかったようだ。国境をこえると でこぼこ道は途絶え、ウガンダ側はまっさらなアスファルト舗装が敷かれている。東アフリカへ来たのだという実感を ここでしっかりと味わえる。北アフリカの章で書いた、雨季のスーダン−中央アフリカの抜け方だが、アム−ダフォッグ からビラオまでは歩くしかない。ポーターなどが居るが、逃げられない様に、信用できそうな人と一緒に行ってもらえる と一応安心できる。わたしはアム−ダフォッグの校長先生に随行した。道案内は要らない気もする、一本道だが、やはり 一人では心細い。アム−ダフォッグを出たところに、雨季にだけあるらしい川だか湖だかがあって、これを越えるのに だいぶ時間がとられる。ちゃんと、ちいさなカヌーが置いてあって、荷物を載せてガイドが運んでくれた。その後は 一本道だが、そこは自分でパックを背負った。沿道には小さな村が幾つもあって、どこから見ても異国人の私を小屋へ 招き入れて、雨宿りさせてくれたり、マニオックを出してくれた。それでいて何を話すではなくベッドをすすめたり、 雨をながめたりしていた。こんな歓待を、私は世界中のどんな国でも受けたことがなかった。あまりに自然で、善意に 満ちていて、私には大きな驚きであった。この辺では普通のことなのだろうか、または、相互援助、というよりすすんで 助けてゆくということがなければ、この厳しい環境では生き抜いてはいけないのかもしれない。そしていつか、そうする ことが当たり前になっているのかも。昔の日本人にも、 そういった気概はあっただろうが、いきなり言葉どころか顔も肌の色も違う外人が出てきたら、逃げ出してしまったに 違いない。ところでガイド氏はさっさと先を歩いていって、雨が止んだ後歩いていくと大体次の村で雨宿りしているの だった。全然ガイドの仕事をしないので、ビラオについた後、ガイド代を半額にさせた覚えがある。二泊三日の行程で ビラオに着き、教会に泊めてもらえる。ここでは物資も乏しく(雨季だったからか)飯屋も無いので、ストーブがあると 重宝する。でもキャンピングガスは異常に高かった。 寝床を決めてからイミグレへ行くが、ここは外国人がめったに来ないのと、来てもトラックで通過するだけ。そのせいか 私にはかなり厳しく、結局袖の下を払うはめになった。 雨季にはトランスポートはないので、バンギを目指すには一番 近いところで南のバンバリをめざす。が、途中かなり歩きとなるらしい。飛行機は、月イチ位しかない上、ほとんど Full状態のようだった。VISAは1ヶ月しかないし、早々に歩きを決意したくなる。以前のLPには書いてあったが 、ウラ技がここにあって、駐留フランス軍のカーゴが時たま飛んできて、軍の物資をもってきて、帰りは空なので、のせて くれることがある。しかし、この機とて月イチ程度しかなく、乗せてくれと交渉するのは、機長と直にするしかないようで 、その上、飛行機はいつ来るのかまるで情報がないのに、空港は村から12キロも離れている。これに乗るにはかなりの 強運が要ると思う。が、私はなんとこれに乗れた。教会に無線機があって、仏軍の無線を傍受していて、もうすぐ来ると 言う。みんな行くのなら俺も一緒にと言ったのだが、希望者が多くてこれ以上車に乗れないと断られた。仕方ないので 歩いていこうとしたら、村の真ん中で車に乗った 白人さんにばったり出会い、フランス人だった。ビラオに滞在している人のようで、 彼も荷物が届くので、これから空港に行くという。ここで初めて空港まで12キロもあることを知る。ランクルをとばして 空港に着くとじきに飛行機がやってきた。空港といっても、森のなかに、降りれるだけのスペースを開けてあるだけで、 森のむこうに着陸したなーと思って、しばらくするとジャングルの向こうから巨大な尾翼の一部が近づいてきた。 うっそうとしたジャングルと、鉄の翼という 異様な取り合わせに驚きつつ、ここまでたどり着けたことだけにも、感謝の気持ちがこみあげてきた。仏軍が物資を 降ろすのを眺めながら、そんなことをぼんやり考えていると、例のフランス人が背中をたたいて「はやく行って交渉 してこい」という。はっとして、フランス語がほとんどわからないのもかまわず、4、5人の兵士がかたまっているところ へ近寄っていって、精いっぱいの笑顔で「こんにちは、乗せてもらえませんか?」と フランス語でいってみたが、まるで通じず、これで終わりかと思ったらむこうから「Speak engrish?」と きた。おもわず飛び上がりそうなほどうれしかったが、ここまで来たいきさつと、乗せて欲しいということをつたえたら 一人の兵士が「よし、俺が機長に交渉してやるから、待ってろ」と言ってくれた。しばらく離れて待っているが、何の 反応もない。そのうち、現地の地位の高そうな黒人たちも乗り込みはじめた。 いつか、周りには私同様ただ乗りしたい連中でごった返して いた。飛行機に乗り込んでいくひとたちは、一部の役人と、その家族のようで、雨季を避けてバンギへ引っ越すようだ。 おおきな家財道具もいっしょに、後部のハッチから悠々と入ってゆく。これは私も行かなくてはいけないかなと思い、 おずおずと近寄っていくと、兵士がそっとやってきて、「乗せてあげられるから、少し待ってろ」と耳打ちした。 そうかと思い、振り返ると、後ろで控えていた現地人たちがそれ遅れまじと駆け寄ってくるところだった。なるほど ここで一般旅行者の私を乗せると、パニックになるに違いない。私が戻ると、その人たちも何だという顔で戻ってゆく。 待っていると、とうとう後部ハッチが閉まってプロペラの回転があがり、機体はゆっくりと滑走路へ機首を向けてゆく。 やっぱり、この状態ではだめか。後ろで待っていた人たちも、あきらめ顔で、早々帰ってゆく人たちもいる。人込みの なかに、教会の青年も認められたが、さっきのこともあってか、近寄ってはこない。ぼんやりと、それでも飛行機を 見送っていると、突然横の小さなハッチが開いて、兵士が「来い!」と叫ぶ。あわてて飛行機を追いかけて、それでも 最後にここまで送ってくれた仏人に手を振ろうとちょっと振り返ると、残っていた現地の人たちがみんなで追いかけてきた 。うわーと思いながらやっと手を振り、ハッチから手を伸ばす軍人の腕を掴んで引き上げてもらう。もうあとを振り返る のも恐かった。兵士がハッチを閉め、バックパックをくくりつけてくれる。兵士はそのまま引き下がり、みんなどこへ いったのか機内は黒人さんたちだけ。私はさっきのことで、まだどきどきしていたが、みんな愛想も無く、目を合わせる でもない。簡単なベンチに並んで座り、カーゴの見えにくい小さな窓から外を見ると、地平線までうっそうとした密林の ようだ。ここを何日も這い回るところを、機上の人となってひとっ跳びにバンギまでいけるとは、なんだか信じられない 気分だった。着陸近くなって兵士たちが出てきて、あわただしくなってきた。「乗り心地はどうだった?」などと聞いて くるが、力なく笑顔をつくるのが精いっぱいだった。機を降りる時、近くにいた一人の兵士にやっとお礼を言えただけで、 他の兵士は任務に忙しそうで声もかけられず、機長にもついに逢わずじまいに終わってしまった。空港を出ると辺ぴな ところだったが、そこはまぎれもなくバンギだった。

ごはん...中部アフリカでは、お米よりも、マニオックという芋から作ったでんぷん質のものを、葉っぱで くるんでちまき状にしたものが主食としてポピュラー。決してうまいものではない。その他のものは、ごった煮か、フライ のようなもの。フライは、川の魚、とくにナマズが多かった様に思った。干し魚は、わけあって食べられなかった。 ごった煮の材料としては、肉の種類はさまざま。車で走っていると、沿道で、森で捕まえた動物を売りに来る人たちが いる。猿とか、アンチロープ(でっかいねずみだか、ちいさい鹿だかよくわからない動物)が印象的だった。また、沿道で 朝などは屋台を出して、コーヒーとサンドイッチを食べさせてくれるところが、中アでは目立った。酒類は 中央アフリカにはビールがあった。まずまずの味で、バンギで$1くらい。他の村ではもっと高くなるのは、コーラ なども同じ事。また、現地でアフリカンビールといって売っていたのは、やしの実のジュースをポリタンクにいれて醗酵 させたもので、めずらしくてうまかったが、お腹が痛くなる確立は高かった。とうもろこしからつくったという蒸留酒は 道端で一杯ずつ売っているが、かなり高いアルコール度だった。そのためか、これでお腹をこわしたことはなかった。

ねるところ...中部では教会のお世話になることが多い。タダのこともあり、どちらにしても安い。 ホテルがないような辺ぴなところでも立派な教会はあったりするので、たずねてみるとよい。ところで、キサンガニの 教会では、驚いたことに日本人の修道女の方がおられた。キサンガニの前はアンゴラにおられたというから驚く。 こんな方の体験談などを聞ける機会があったら、すごい幸運だと思う。また、余談だがバンギへ行くことがあったら 日本大使館には顔を出したい。旅行者日誌が置いてあって、ここを通った旅行者の様々な体験談が読める。皆、さみしい 為か、かなりの長文も目立った。


東アフリカ

アクセス...スーダンからは、エチオピア経由で下りてこれる。中央からは上記を参照。南部からはザンビア、 マラウイ、モザンビークから、タンザニアへ入れる。タザラ鉄道はザンビア国内と乗り入れで連絡している。マラウイ から行くには徒歩で越境してバスを乗り継ぎ、ムベヤから列車に乗るのがよい。バスもあるはずだが、かなりきついという 話だ。モザンビークとタンザニア間の越境はあまりポピュラーではなかったが、不可能ではないようだ。途中の川をカヌー で渡るのだそうだ。マラウイ国境のキエラとムベヤの間のバスまたはトラックは本数が少ないので注意。また、 タンガニイカ湖のフェリーでザンビアからタンザニアへ渡れる。飛行機ではナイロビが基点となり、他の大陸、または アフリカ内の国々と多く結んでいる。

VISA...ブルンジ、ルワンダ以外は、難しいことはない様子。モザンビークは、今は自由に旅行できる ようになっている様。

おかね...タンザニアなどに少しBMはあった。他は大したことはないが、生の$は持ちたい。フランは 東では用なし。

トランスポート...東ではトラックヒッチをすることはめったに無いといって良い。主要ルートにはバスか 乗合ピックアップがある。タンザニアは東の中では一番道路状況が悪いが、タザラなどの鉄道が通っているので、これを 利用すれば大変なことはない。鉄道のないところは、我慢してバスで行く。モザンビークへ行く場合などはかなりきつい 旅行になるようだ。ちなみに、タザラ鉄道は一部ゲームパークを通るので、面白いものが見れるかもしれない。わたしは キリンを見ました。タンガニイカ湖のフェリーは面白いと言う話。海の方は、ダルエスサラームとザンジバルの間に フェリーが通っている。ザンジバルはタンザニア国内のはずだが、島に出入りするとき出入国スタンプを押される。また、 フェリーの到着が夜中となるときは、港の沖合いで停泊して一夜を過ごすことになる。甲板で寝ることになると思うが、 一応水分の用意を。ケニアのラムーからは、ツアーでソマリア国境近くにある島までゆける。木でできた、一応ヨットと 呼ぶべき船で行くので、アフリカの漁師になったようで面白い。ツアーといっても、ボートの船長が客を集めてきて やっているだけのことである。が、ここで日本人と出会うことはかなり難しいと思う。肩身の狭い小旅行になるかも... できれば、テントと寝袋の用意を。

ごはん...マトケとか、シーマとか、国によって呼び名は様々だが、とうもろこしの粉をお湯にぶちこんで 練りに練ったものが、東から南にかけてポピュラーな主食。色が黄色かったり白かったりする。そんなにうまいものでは ないが、慣れるとインドのカレー同様、もみごこちと食感が心地よくなり、炊き立てを渇望するようになる。ごはんも あることはあるが、用意している飯屋が少ないことがある。おかずとしては、やはりごった煮のようなもの。小麦粉と 砂糖を練って油で揚げたものは、アフリカにはどこにもあって、ここにもあるが、朝飯として良い。その他はウエスタン となる。フレンチトーストとか。東では、酒類を飲んだ覚えがない。ないことはないと思うのだが、 とりあえずタンザニアはイスラム国なのでない。




西アフリカ

アクセス...北から入るのは結構きつそう。だが、今は西サハラがモロッコ領なっているようなので、 モーリタニアに入ってから結構歩くらしいが、通れるようだ。西サハラ分はヒッチになるらしいが。 中央からは、チャドからチャド湖を渡ってニジェールなんてのがきつい らしいが、チャド−カメルーン、チャド−ナイジェリア、中央アフリカ−カメルーン−ナイジェリア、コンゴ−カメルーン などがポピュラーな様。

VISA...西は特に国が多くなるのでVISAでも結構おかねがかかるらしい。しかし、取得は一部を 除いて比較的簡単で、フランス大使館で一括しての取得も可能なようだ。モロッコからモーリタニア に入る場合、モーリタニアのVISAがモロッコでは取り辛いらしい。要確認。

おかね...西アフリカCFAで、フランとのレートが固定されている。1フラン=50CFAのはず。 CFAには、そういいうことでB.Mはないが、フランは持ちたい。US$も当然ほしい。Declareがある場合が多い様 なので注意。辺ぴな国境などでは兵隊にちょっかいを出されたという話も聞くので、袖の下も必要になることがあるようだ。 西では、とくにCFA圏では物価に泣かされるのは常識のようになっている。

トランスポート...海岸沿いは大方良いようだが、サハラベルトはやはり難所となるようだ。

ごはん...不明。酒類に関しても、イスラムの国が多い様なので期待できないかも。


南部アフリカ

アクセス...陸路では、タンザニアからの南下で、ザンビアにはタザラ鉄道で直行できる。マラウイへは ムベヤで途中下車してバスかトラックで国境のキエラへ行く。タンザニアからモザンビークへは入れるようだが、南下して ジンバブエや南アへ抜けられるかは未確認。空路は、他の大陸からは南アのJ.バーグやケープタウンが出入り口になると 思う。南米からの便、リオなどからのは両都市に降りる。ナイロビからも、ここに降りるのがポピュラーなようだ。 アンゴラは入れるとか入れないとか、ウワサの域を脱しない。行った人教えてください。

VISA...ジンバブエ、南ア、ナミビアなどは不要。レソトも不要。スワジランドは入国拒否の話をまだ聞く。 その他は必要であるはず。VISAで苦労した話は聞かないが、Caprivi stripを抜けたところのザンビアの イミグレの、よくない話を聞いたことがある。

おかね...闇は無いと思うが、モザンビークもないらしい。持ち金はUS$で良い。南ア、ナミビアは とにかく物価に泣かされる。西洋文化が恋しくなってお金に余裕があるなら長居しても良いが、そうでない方はジンバブエ で我慢しましょう。でも、南アでも、生きられなくはない。ドミに泊って自炊に徹し、移動はヒッチにするか、電車で できるだけ長距離走るようにすれば、かなりおさえられる。服飾はかなり高いが、その他は大体日本の1/2から1/3 くらい。ケープタウンなど、インド洋沿いの町で、良いドミがあったら長居しても良い。かなり良い保養になること 請け合い。ナミビアは物価にそぐわないものばかり。砂と風の印象しか残っていない。車があれば、結構面白いようだが。

トランスポート...マラウイはまともなバスが走っている。マラウイ湖の船は有名だが、私は乗らなかった。 ザンビアはトラックヒッチ、有料。またはタザラ鉄道の延長に。バスもところどころあり。ジンバブエはバスと列車が あるはずだが、私はヒッチだけでほとんど済んでしまった。一回だけ乗った列車はコンパートメントでかなり良かった。 ルサカから入ったときの国境、chirunduを越えた場合、マナプール国立公園が近いので、沿道でも何かいるかも。 私は象を一頭見た。実際、象などは増えて困っているという話を聞いたことがある。 南アのヒッチはかなり悪くなってきた様。私は全てヒッチで越えたが、後悔しか残っていない。ヒッチ 泥棒にも逢ってしまった。トホホ...。列車が良いようです。でも、ナミビア方面へ行くならヒッチせざるを得なくなると 思う。ウインドホックと南アの町を列車やバスで結んでいるので、それを利用することをお勧めします。キャプリビ ストリップはやはりヒッチになると思う。たまにしか車は通らないので、もし止められたら有料でも交渉して乗ろう。 料金は現地の人が大体の値段を知っているので、聞いておくと良い。

ごはん...南アなどは自炊ばかり。ルサカのT.ボーンステーキは、何故か日本人にばかり有名。$1、2で 大きなステーキが食べられる。日本大使館の近所の屋台がおいしいと評判?酒類は、南アなら何でも、日本酒まで手に入る。 ビールもまともで、缶ビールを飲める。ジンバブエにもあり、少し安い。南アで、屋外でビールを飲んでいると、 おまわりさんに怒られるので注意しよう。

ねるところ...南部では、寝袋はもちろん、テントもできれば持ちたい。安宿がなくても、南アではあちこちに キャンプサイトがあり、車なしならかなり安く泊れる。プール付きのすごいところもあるので、楽しめる。南アでなくても、 動物のいない国立公園などで泊る時はやはり必要になってくる。ルサカにもホテルがなく、サルベーションアーミーに とまるのが一般的で、ここは駐車場みたいなとこでキャンプすることになっている。