過去のノート
2002・12 |
おかしいな、と思ったのは火曜日の夜。放鳥の時に体を膨らませていたのだった。それでも羽のつやも良く、クチバシの色も赤く、食欲も落ちていなかった。その前日までは、まったく普段と変わらず新聞紙と格闘などをしていたものだから、深刻には考えなかった。しかし水曜日の夜には一段と弱弱しくなり、エサを食べる以外は手の上でジッとするようになってしまった。あの子煩悩なヘイスケが、抱卵にカゴに帰ろうともしない。クチバシは、健康そうな色のままだが、これはただ事では有り得ない。非常に心細い思いで木曜日の朝をむかえ、カゴをのぞき、巣箱に指を入れてみると、ヘイスケはまるで力なく指をかじるのだった。 それが最後のあいさつとなった。夜帰宅すると、ヘイスケは巣箱の中で冷たくなっていた。巣箱の奥から少し身を乗り出して、首を横にするようにして眠っていた。満7歳だった。 結局、飼主としては、何もできなかった。曜日の関係もあって、あたふたすることすらできなかった。原因もわからない。実に急激に、静かに逝ってしまった。これは…、私の個人的な思想でいえば、まことに見事な最期というべきであった。 あとから思えば、最近不思議なことはおこっていた。ブレイがヘイスケをメスとみなして、交尾をせまったり、巣箱に夜這いをかけたりしていたのだ。ブレイの奴が色ボケしたものと思っていたが、ヘイスケの変化が前提としてあったのかもしれない。人間の目には元気そのものだったが、『老い』が確実にせまって、好色ブレイの目にはメスと映るくらいに大人しくなっていたのかもしれない。 ヘイスケという文鳥は、私個人にとって格別な存在だった。彼は、私なりに文鳥を責任を持って飼うことにした時に、はじめに購入したヒナであり、今いる一族の始祖鳥であったが、それよりも、私にとってはさえずりの『弟子』であり、私のことを信用し、心配してくれる弟であった。彼だけが、一度も「飼主」から羽を切られることがなかった。何かあれば、「どうかしたの?」と言いたげに肩の上にやって来る彼の羽は切る必要がなかった。彼は家の外に出ても、私のそばから飛んでいくことはなかったかもしれない。そんなふうに思っていた。 我がヘイスケは逝ってしまい、新しい生命誕生作戦の方も停滞している。今シーズン二度目の産卵をしたセーユ。それは立派な卵、最初のそれの二まわりはあろうかという物を、いとも簡単に8個も産んでくれた。夫グリとの共同作業も完璧なものとなり、交替で抱卵をする。理想的なつがい。さらに念には念を入れて、卵の半分を、育ヒナの天才であるサムにまかせてもみた(万一8個ヒナとなったらセーユたちは大変なので)。卵が有精卵であれば、まず間違いなく孵化する体制、ところが、すべて無精卵なのだから世の中おもしろい。 それでも、気晴らしにペットショップ巡りをしてみた。この時期、ヒナは各所で売られている。しかし、桜文鳥の成鳥はお目にかかれない。やっとみかけたJR東戸塚のペットショップでは、手のりヒナの売れ残りが2500円、一羽でさびしげにさえずっていた。色素が濃い個体で、ほっぺたに黒い斑点があり見栄えが悪い。この黒い斑点は成長とともに取れるはずだが、若すぎるのでおよびでない。 それにしても、ただでさえ三年ほどヒナの餌付けをしていないので、その禁断症状が出ている時にヘイスケがいなくなり、意地でもヒナの顔が見たくなってきている。この際、クルかソウが有精卵を産んだら、孵化させようかと思う。 |
2002・11 |
グリとセーユの卵はすべて無精卵だった。なかなか思い通りにはならない。10月に入って暑さが復活した気象の影響もあるのかもしれない。ソウなどは卵を産み始めたものの、2個で止めてしまっている。例によって、すべて偽卵とすりかえてしまう。 産卵といえば、今年6歳になるチビもまだ産卵している。例年真っ先に産卵するのに、今年はのんびりくつろいでいるので、さすがに、もう産卵はしないのだろうと安心していたのだが、そうでもないらしい。年齢制限はないのだろうか。 中旬になる頃、ようやく南関東も涼しさが戻ってきた。気が早いので、真冬の支度を始めておく。鳥カゴの置かれた『メタルラック』を12月くらいになったら温室化するための準備だ。といっても、ビニールカバーを買いに行くだけの事だが・・・。 月末になると、まったく極端に、急激に、いまいましく寒くなったが、温室化はまだ早いと考え、それより別の問題を解決することにする。最近底に敷く新聞がびしょぬれになる問題。これは、文鳥たちの水浴び器(『アウターバードバス』)の使い方が悪いせいだ。開口部側に頭を向けて水浴びする限り、さほど外に水が飛び散ることはないのだが、お尻を向けると、水を外にかい出すようになってしまう。「行儀の悪い奴らめ!」と舌打ちして注意しても、まったく改めてくれそうもないので、新聞紙の下に犬用のペットシーツを敷くことにした。 月末には偽卵を回収し、アワ玉と『カルシウムバード』を与えて、次の産卵に備える。文鳥たちは元気に跳ね回り、実に豪快にトウミョウを食べ散らかす。ゴンはカゴから出るとオス(ガブ)に尻尾をふり、カゴの中では他のカゴのオス(サム)のさえずりに合わせ、歌っている(さえずっていると表現すべきだが…メスなので…)。頭が痛くなるので無視をする。グリとセーユは相変わらず仲良くしている。セーユは色々なものをせっかちに食べ歩いて、ずっこけたりしている。 |
2002・10 |
今シーズンは久しぶりにヒナの餌づけをするつもりでいる。新たにカップルとなったグリとセーユ、ゴンとノロ、グリとハンのうち、当然五代目のゴンのヒナが望ましいのだが、ゴンは同居中のノロなどには目もくれず、ガブやサムといった好みのオスに尻尾をふり、メスのハンにも色目を使っている。去年のセーユのように、自分の卵を温める手伝いをしてくれそうな鳥を探しているのだ。まったく、考えることが、文鳥離れしている。 「ノロが夫としての自覚をもてば良いのだ」と思うのだが、彼は、なぜか眠い目で換羽を続けている。恐ろしく栄養状態の悪い環境にあったらしい彼は、昨年買ってきた時から、羽がボロボロで薄かったから、生えそろった状態には中々ならないのかもしれない。ガサガサだったハバキ(脚の角質)は、だいぶ滑らかになってきたが、何やら人間の肩の上でボーとしているし、本来のあるべき姿になるには、あと一年はかかるように思われる。つまり、ゴンに対して亭主関白になれる日は、あっても、はるかな先のことで、ゴンにとっては好都合な『主夫』になるほどの『自覚』も、巣草で遊んでいる彼には難しそうだ。 もう一羽の五代目、オマケは、あこがれのハンと同居するようになった。あこがれていたのだから、文句があろうはずもない。あれやこれやと気を引いて、ハンを巣箱に誘い込み、底の新聞紙を引きちぎろうと奮闘し、あまりに騒々しいので、巣草を入れると、実に勤勉にせっせと運びこむ。年下のオスにつくされるハンは、はじめこそ迷惑そうだったが、ブランコに一緒に乗るなど、まんざらでもない。これなら良い夫婦になるだろう。しかし、このカップルの卵は孵すことは出来ない。ヘイスケの娘のハンと、ヘイスケの玄孫で孫でもあるオマケでは、あまりに血が濃くなりすぎるのだ。なかなかうまくかないものではある。 四代目のガブの娘も息子も、期待薄なので、別系統に注目するしかない状態。ガブの兄はグリだ。彼と前妻フネとの間に子孫を残さなかったのは、ガブたちの系統が先に生まれたので、飼主が偽卵とすりかえてしまったためで、彼自身に健康上の問題はない。オスだかメスだかわからなかったり、ゴマ塩頭でなければ嫌だとか、ガブの奇怪な子孫はこのさい、脇に置いておくのが賢明というものだろう。 面白いもので、メスの浮気についても、個性がある。ブレイの妻であるチビは、夫以外に尻尾をふることはない。ガブの妻のソウもふらない。サムの妻のクルは浮気者で、さらにヘイスケの後妻のナツにいたっては、さえずられると見境がない。 9月末、グリとセーユは卵を産むまでは問題なかったが、抱卵をはじめない。夜な夜な連れ立って遊んでいる。どうも自分の鳥カゴの位置が、正確に把握できず、帰れないようだ。確認すると卵が4つあった。ヘイスケとナツ、クルとサム夫婦も、ともに4個で抱卵をはじめているので、卵をすり替えて温めてもらう事にする。つまり仮母、仮親というべきか。さらに、一週間ほどして有精卵と確認できたものを1個か2個残すことにしようと思う。何しろすでに16羽いて、気楽に増やすわけにはいかない。また、たくさん孵化させて、お店に売るのも気が重い。極端な産児制限も致し方あるまい。『一人っ子政策』だ。 |
2002・9 |
人間の方は結構忙しかったが、文鳥たちの日常に変化はなかった。ただ、今年の夏は、まったく、どうにもこうにも暑かったので、熱帯原産の文鳥たちも、少しはバテていたような気がする。しかし、繁殖期ではないこの季節は、文鳥も飼主であるところの人間も、のんびり出来て、基本的に気楽だ。ただし、そんな季節は長続きしないのだった。 8月下旬、残暑は十分殺人的だったが、文鳥たち、特にオスたちは、徐々に色気づきだした。さえずりが頻繁となり、メスを追いはじめる。暑さは相変わらずだから、繁殖期への移行は、日長の変化をもとにしているに違いない、などと考えつつ、準備を始める。
決定的なシーンも目撃した。メスのゴンのさえずり。つぼ巣の中のノロに対して、姿勢をかがめて「チュチュッ・チュチュッ・チュチュッ」とさえずっている。ノロも「チュピー・チュピー・・・」とさえずり返している。前々から、ゴンはたまにさえずろうと努力をしていたので、オスだと勘違いしてオカマ文鳥なのだと決め付けていたが、ここにきて、一段と上達したらしい。 セーユはゴンのことを慕っていたのだが、ゴンがセーユを嫌いだし、最近では対立関係に入りつつあるのも興味深い。 |
2002・8 |
赤えんどう豆の栽培経過を『その後』に補足しました。また文鳥の羽毛色遺伝についての、推定表を改良しました。結局、文鳥の色彩変化は人間の髪の色と同じでメラニン色素の濃淡(真・亜メラニンの比率)だけだと思うのですが、それでも、その遺伝の話となると面倒です。お気づきのことがありましたら、ご教示ください。 七夕はカップリングには吉日かもしれない、と突然思いたち、ゴンとノロ、グリとセーユの同居を開始させた。天の川の二人は、また別れるのではなかったかなあ、などと不吉な気持ちに変わりつつ様子を見ていたが、特別争いは起きなかった。これは存外手間いらずだ。と喜び始めたら、雲行きが怪しくなってきた。ノロが生意気にもゴンを威嚇している。これはゴンの方が実力が上なので、放っておいても問題はないが(ゴンはエサだとか、自分の方の都合がない限り争わない)、グリがセーユを追い払い出しはじめたのは計算外だった。 同居1週間、特に仲良くもなければ、ケンカするわけでもない。どちらのカップルもそういった感じだ。ケンカしないなら、そのうち何とかなるだろうとポジティブに考えることにして、鳥カゴを置いているスチール棚の改良という前々からの構想を実施することにした。 スチール棚は幅78cmと90cm、奥行きはともに35cm程度あるので、まず、それにみあった家具が必要となる。「求めよ、さらば与えられん」はウソだと思うが、この場合はネットで手ごろなものが見つかった(幅86cm・奥行き40cm・高さ43.5cm)。大きさはほぼ理想的、値段は1つ5000円、高いとはいえない。こういった買い物は、来て見てがっかりすることも多いものだが、届いた商品は期待を裏切らなかった。適当に安っぽいが、組み立て家具としては、それなりにしっかりしていた。 先月からはじめたトウミョウの自家栽培、国産赤えんどう豆も青々と育った。通販のえんどう豆に比べて、成長が遅いかわりに、茎が太く葉が濃い。あまりヒョロヒョロと高く伸びないかわりに、非常に丈夫だ。文鳥たちにも好評であった。 トウミョウ栽培の研究をするつもりはないが、真夏の暑さでくさらないように工夫する必要がでてきた。何がくさるのか。根というより豆本体がくさってしまうのが問題なのだ。市販のトウミョウも、刈り取った後再成長させようとしてたっぷりの水に浸したりすると、すぐにくさる(昨年までは。赤土の中に植えていた)。 7月下旬になって、セーユがようやく、華々しく換羽をはじめた。それも影響したのか、グリがまたセーユを追いはじめた。それほど悪質ではないが、セーユの換羽が終わるまで別居させることにした。グリのカゴはセーユの隣り置く。このカップルも、まだまだ紆余曲折ありそうだ。 |
2002・7 |
ずいぶん前から、書こうと思っていた鳥カゴについての私見を、ようやく『文鳥問題』に載せました。また、新しい文鳥の飼育本についての感想を『文鳥学講座』に付け加えました。さらに、トウミョウの栽培について『その後』に載せました。 換羽が華々しく展開している。羽毛が舞っている。先月悲惨な状態になったガブはすっかりはえそろったが、グリ・オマケ・ノロはゆっくりと継続し、ブレイ・チビ・ナツ・ソウ・ゴンが換羽最盛期をむかえ、あの外見抜群のゴンが、かなり貧相な状態になっている。ヘイスケ・マセ・ガツ・サム・クル・ハンも換羽に突入。残るはセーユのみだが、やたらと毛並みが良い。いまだにオスのさえずりに尻尾を振ったりしているが、換羽するのだろうか。 セーユがグリと暮らすようになると、ゴンと同居しなければならないノロだが、運動神経に難がある。いまだにまともに飛べない。一度何かに驚いてテレビの後ろに墜落した時はこまった。絶対に自力で飛び上がれないので、助け出さなければならないのだが、他の文鳥たちを帰宅させないと、大変な状況になってしまう。少し様子を見ていたが、何の音もしないので、他の連中を何食わぬ顔で鳥カゴに戻してから、テレビ台となっている食器棚の後ろをのぞいてみたが、ノロの姿は見えない。ガタガタ動かしても反応がない。まさか打ち所が悪かったのではないかと心配になって、その家具をどかしたら、ホコリまみれの文鳥がのっそりと顔を出した。暗いところで、怖くて震えていたと言うより、ボーとしていたのだろう。これでは、目を離した時にどこかに落ちたら、完全に行方不明になるに違いない。ボケキャラには注意が必要だ。 トウミョウの自家栽培は、あっけないくらいに簡単だった。文鳥たちにも好評だ。ソバもやしも頼りなげに成長したが、こちらはなぜかガブだけが興味を持ち食べている程度であった。ソバはスズメにでもやってしまおう。 |
2002・6 |
HP『文鳥幼稚園』とリンクさせて頂きました。文鳥の大きさはまだ幼稚園クラスですが、研究心豊かな内容に感心させられるホームページです。 そろそろ産卵も終わる頃なので、巣箱からつぼ巣に切り替えた。いい加減暑苦しいので、温室まがいに鳥カゴを囲っていたビニールも片付ける。もう夏のような陽気だ。換羽がはげしくなっている。 ゴンも換羽。外見は飛びぬけて美しく立派な彼女だが、ついに頭がはげた。いらつくらしく、夜遊び後、ブランコについている鈴を「ガチャン・チリリン」と鳴らしている。 我が家の文鳥の夜食の1つである(夜に野菜をやるのは良くないと、最近発売ののアニファの文鳥飼育本に書いてあったようだが、気にしない)トウミョウは、自宅で栽培する人も多くなっている様子なので、マネしてみようと思う。夏場は根が腐ってしまうので、一度刈り取った市販の物を、赤土の中に植えたりしていたのだが、家で栽培できればその方が楽な気がしたのだ。100円ショップで水切り容器などを買ってきて、えんどう豆(ついでに「ソバもやし」もつくってみようとソバの実も注文する。文鳥が食べるかは知らない)を通販で頼む。成長してくれるかはお楽しみだ。 |
2002・5 |
内容の一部を他のサーバに移しました(URLが変わりました)。無料サーバもあるけれど、自分のホームページに広告がまとわりつくのは目障りなので、普通のプロバイダ会社にしました。せっかくなのでEメールアドレスを文鳥にちなんだものにして、そちらを表示することにしました。 文鳥たちを『帰宅』させた後、まれにカゴの出入り口を閉め忘れてしまうことがある。そんな時は、翌朝、捕獲しなければならなくなる。この間は三姉妹のガツが逃げ回り(昔から一番やっかいな奴)、えらく手こずってしまった。 今年もボチボチ換羽が始まり、産卵の季節も終ろうとしている。昨年の秋以来、すでに5歳のチビも、相変わらず毎月産卵を続けていた。昔の文鳥たちはこんな歳まで産卵しなかったと思うのだが、いったい何歳まで産むつもりなのだろう。さすがに、最近は中身のない卵などがあるから、そろそろ限界ということにして欲しい。 |
2002・4 |
飼育法のページを少し改良し、写真館の画像などは全面的に貼り替えました。ブロードバンド時代は画質を向上しなければ…と思ったら、サーバの容量(10M)を超えてしまいました。そのうちに、部分的に他のサーバにデータを移す必要がでてきそうです。 えこひいきしているヘイスケが、何をしようと気にならないのだが、一つだけやめてもらいたいことがある。それは、ビスケットやら煮干のかけらなどをクチバシにくわえて、わざわざ飼主の頭の上に運び込み、ゆっくりと食べる習慣だ。他の文鳥に邪魔されずに、ゆっくり食べたいのはわかるが、おかげでこちらの頭はビスケットまみれになってしまう。髪をレインボーカラーにも出来ないので、あきらめるしかなさそうだ。 さて、見ていて飽きないセーユだが、夜遊びの時間にまったく出てこない日があった。フネの事もあるので少し心配になり、巣箱の入り口から指を入れると、強烈にかみつかれてしまった。セーユの場合つつくのではなく、ガジッとかむ。文鳥のことだから痛くともたかが知れているのだが、そんな日が3、4日続いた。 からかって楽しいオマケも、夜遊びの時間に気づかずに出てこないことがある。こちらはオスで、しかも独身だから、大して心配しない。二羽用のカゴで一人暮らしのオマケは、巣箱で一人で熟睡しているに相違ないのだ。夜遊びは大好きだが、出入り口が開いたのに気づかないだけなのだろうから、「オマ、オマ!」と呼んでみる。よほど、寝込んでいるらしく反応がない。巣箱に指を入れると、卵を守る母性などないから、寝起きであわて騒いで飛び出してくる。 |
2002・3 |
フネが亡くなったので、追悼ページをつくりました。 フネが死んでしまった。1999年の6月くらいにホームページを始めてから3年近く『団地』に死が訪れることがなかったのだが・・・。もっとも、その間、蛇にかじられたのはいたけれど・・・、真冬に蛇が出てきたら、幽霊よりも恐ろしい。巣箱で死後一日は経過して冷たくなっているフネを片付け、巣箱の掃除をしながら、原因を考えた。抱卵中なので卵詰まりではない。何かに脚が引っかかり餓死してしまったわけでもないようだ。病死としか考えようがない。 後悔する部分を多々思い悩みつつも、では、何が出来たかといえば、何も出来はしなかったと結論した。そして、かなり現実主義の飼主は、自然界の現実(死なない生き物などない)に嘆き悲しむよりも、次のことを考え始めていた。最愛の妻を失ったグリが存在している。これが現在と未来の課題なのだ。 家の中で放して遊んでいると、行方不明になることがある。この間も、ノロの姿が見えなくなり血の気の引く思いをしたが、彼はただ、高所の板の上でたたずんでいただけであった。経験上、こういった時は、静寂にして文鳥の発するわずかな物音を探知するのが良いのだが、物静かな文鳥が暗く狭いところにはまってジッとされてしまうと、お手上げ状態になる。しらみつぶしの探索が必須となってしまう。 |
2002・2 |
HP『伊万里の洞窟』とリンクさせて頂きました。波照間島旅行記などいろいろなエッセイが楽しめるホームページです。 ゴン(ナ)の奴はシングルマザーを決め込むことにしたらしい。同居中のノロを無視して巣作りに励み、当然ノロとは無関係の卵をせっせと産んだ(やっぱりメスだったのだ、などとまだ考えている飼主)。さらに几帳面に卵を温め…、さて、ノロとしては何やらせわしなく働いていた同居鳥が巣箱の中に引きこもりだしたから、不思議に思うのも致し方がないだろう。ちょっとのぞいてみる。すると、ゴンナが火の玉のような勢いで飛び出してきて、手ひどく追い立てかみ付くではないか。 シングルマザーなどと言っても、一羽で卵を温めるのは大変だろうに、と皮肉な目でゴンナの様子に注意していたら、その点はすぐに本人も自覚したらしい。何しろ、交替して抱卵してくれる鳥がいないと、安心して外出(夜遊び)出来ない。この困った事態に、ゴンナは隣りの鳥カゴに住んでいる元の同居鳥(本来は妻)セーユを夜遊びの時間に自分の鳥カゴに誘導し始めた。 『卵を温めるまで、セーユのことなど気にもとめなかったくせに…、ヘルパーでも雇うつもりか…。』 自分の遊んでいる間、子守を頼もうとしているに相違ない。油断のならない文鳥だ。 しかし、そのセーユも卵を産みたくなってくると事情が変わってくる。といっても、これまた『婿』であるはずのオマケの子供ではない。何しろ、同居中の威張り鳥オマケの奴は、相変わらず巣箱を占拠し、『妻』とすべきセーユを寄せ付けもしないのだ(本当にごま塩頭が好きらしい)。仕方がないのでセーユは鳥カゴの下段に設置したつぼ巣に、2個ほど卵を産んだ。しかし、同居のイバオマの存在に将来の不安を感じないわけがない。 飼主はこの予想しないでもなかった事の推移を目の当たりにしつつ、責任問題が自分に及ぶのを避けようと、責任のほとんどをオマケに押しつけることにした。 2羽の間抜けなオス鳥に文句を言っても何にもならぬ。この6代目繁殖計画の重大局面にかんがみ、飼主はいかなる行動をとるべきか。…そう、こういった時は何にもしないのが一番だ。さじを投げて、春まで放っておくのが唯一の平和への道だと確信してしまう。 |
2002・1 |
鳥カゴや備品について、勝手な意見を書き散らそうと思っていたのですが、パソコンを替えるドタバタの中で、下書きのデータが消えてしまいました。せっかくなので、鳥カゴについて何か意見があればお聞かせください。 とりあえず、『文鳥の系譜』でノロ購入の話を載せました。 年の瀬はいろいろだった。 メスであったゴン(「ゴン子」ではあんまりなので、「ゴンナ」と愛称することにした)には婿を迎えることにした。10羽を過ぎた頃から一羽も増やしたくないと思いつつ、これで17羽目となってしまう現実に臍(ホゾ)をかむ思いだが、もはや致し方ない。 数日様子を見つつ、抱卵3週間ほどのゴンとセーユから偽卵を取り上げ、1日置いて、ゴンとノロ、オマケとセーユをペアにして同居させた。 |