過去のノート
2007・12

 互いの伴侶を失ったキューとメイ。このまだ若い2羽が仲良くなってくれさえすれば、すべては丸く収まるはずだった。ところが、キューは白文鳥を嫌い、それどころか同じ生き物と認識もしない様子であった(人間は仲間と思っているのだから、人知では理解できない)。従って同居を試みても、若くていい男に喜ぶメイを一顧だにせず、とりあえずメイのカゴのつぼ巣とブランコを占拠し、その保持に専心、近づくメイに容赦ない制裁を加えるのみで何の進展もなかった。
 独身貴族でいてくれるなら、それはそれで有難いのだが、生憎そういったストイックな信条の持ち合わせないようで、妻のセンがなくなった翌日には、他のメス桜文鳥を誘惑し始めていた。しかも、本命は実母のサイなので始末が悪い。考えてみれば、もともとサイが好みだったから、それに外見の似た文鳥を探してきたわけで(カナ・セン)、これは当然の結果ではあった。
 このキューという文鳥は、基本的に異性に淡白で強引なことをあまりしないのだが、徐々にサイへのストーカー行為を募らせ、飼い主の焦燥も募ることになった。遂には、サイがカゴへ帰るのを追いかけてカゴに侵入、箱巣の中をうかがうまでになってしまった。身持ちのしっかりしているサイが、巣から首を出して威嚇するので、それ以上の事態とはならないが、もしキューがサイの夫で実父のヤッチの排除を始めたら、いったいどのような結果となるだろうか。何しろヤッチと言えば、換羽で性格を豹変させた、常識では計れない繊細な精神の持ち主なのだ。波風を立てないで欲しい。
 止むを得ない。キューの後妻を探すことにする。
 なお、キューはサイ、カナ、モレ、カンに言い寄り、一方のメイは元々ペアで売られていたシンとよりを戻して毎晩浮気し放題だったので、この際マルとシンを離婚させ、それぞれ再婚、つまりペアの組み換えをしようかとも考えた。しかし、マル・シンは当時育雛中のため、その実行にはヒナの成長を待たねばならず、育雛が終わった早々に強制的に組み替えるのに対し、ドライな繁殖家たり得ないおそらくまだ普通の部類に属する飼い主として抵抗があり、やはり避けることにしたのだ。
 
 9日、家での仕事があり、ポンとテンの餌付けも続いていたが、時間を縫うように嫁文鳥探しを決行する。その気になれば、卸売り会社から仕入れることも可能だが、「自家消費」するの者は、やはり小売から買うのが筋だろう(将来どうなるかは知らないが・・・)。
 まず歩いて行ける老舗の鳥獣店(最寄り駅は市営地下鉄の蒔田)。ノロの出身店で、ここは衛生面は実に芳しくないが、必ず文鳥がいて、稀に好みの文鳥がいるので、やはりチェックしなければならない。しかし、今回は数が少なく、ペアで売られていた桜文鳥の容姿には魅せられるものがなかった。次へ行く。
 京急弘明寺駅から金沢八景へ向かい、16号線沿いを南下して小さな小鳥店に着く。ここはケイとカナの出身店であり、やはり必ず文鳥が売られている。しかも、美鳥率がきわめて高い(あくまでも個人的趣味の姿をした文鳥という意味)。しかし、店内に桜文鳥の姿は少なく、ペアが一組いるだけだった。とりあえず店主のおじいさんに尋ねると、メスは大きな巣で抱卵中のその1羽だけとのことであった。店でペアになっている文鳥の仲など断ち切っても罪悪感はさほど感じないが(速成カップルに過ぎないから)、さすがに抱卵中の夫婦の仲を裂き、抱卵していたメスだけを連れ去ることは出来ない。あきらめる。
 ここで帰宅しなければならなかった。仕事と餌付けする必要があったのだ。
 それらを済ませて、また歩いてみなとみらい地区のホームセンターに行く。ここはミナの出身店で、必ず白と桜とシナモンの成鳥が売られているという、実にありがたい店であった。ホームセンターのペットコーナーには、衛生管理面で怪しいところも多いが、この広からぬペットコーナーは、かなり衛生的でもある。この日も、オスとメスに分けられたカゴに、それぞれ、白3、桜3、シナモン1の文鳥が入っており、説明書きには静岡県産で6月生まれとあった。これが事実なら、生後半年未満でまだ幼いことになるのだが・・・。とりあえず桜文鳥の品定めをする。確かに若そうだ。それは置いても、皆少々白い差し毛が多いタイプなのが、キューの好みを考えれば減点対象になる。・・・畜産全書という手引書に、静岡県浜北の文鳥生産農家の事例が詳細に載っていて、そこではすべて白と桜をペアにしていたようなので、あまり濃い桜は生まれにくいのかもしれない。などと漠然と思いつつ、他の文鳥たちから迫害されているらしい様子の最も色の濃い桜文鳥に注目する。テンのように端正な顔立ちではないが、小柄で何か共通する雰囲気がある。若すぎるのは気にかかるが、その分順応性も高いかもしれない。第一、次の場所は期待薄で、そこにたどり着くには体力の限界が迫っていた。買う。
 低脳な官僚と無能な議員によって作られた(改正された)珍妙な法律のせいで、署名やら何やら求められたのをこなし(・・・動物愛護法には生体売買の際に品種についての説明をし、それを受けたことを証明するため署名等により顧客の確認を取り、台帳に記載し5年間保管することになっている。しかし「等」とするような曖昧な点を残しており、署名者の本人確認も要らなければ、署名の原本も残さずに済むため、いくらでも偽造可能であり、なおかつ数千円小鳥と数万円の犬などと同じ枠にはめており、小さな小鳥屋の正直じいさんに順守させようとすること自体に無理がある。ようするに、実態や問題点など何もわからず、何を取り締まるべきかのビジョンも欠いた、いったい何がしたいのかわからないどうしようもない法律であると、どさくさに紛れて言ってしまおう)、足を引きずりつつ家に帰った。
 新入りはシズと名づけ(静岡出身だから・・・)、数日の隔離の後キューと同居させたが、これは大成功であった。お互い一目で気に入ったようで、好奇心旺盛なシズはキューの後をついて回り、ケンカをしたり仲良くしたり、一緒に手の上でヒナたちの残りの湯漬けエサを食べたり・・・、そう言えば、店員のお嬢ちゃんは、確かに三度荒鳥で人間に慣れないと言っていたが、シズは初放鳥から「手乗り」であった。これはおそらく、生産農家の経済的理由で人間から餌付けを受けた経験があるためではないかと思われる。そもそも、文鳥のヒナの餌付けは、生産農家が繁殖サイクルを縮めるために編み出した方法の副産物と考えられるのだ。その疑惑の手乗り文鳥のシズは、つぼ巣だと精神年齢の若いキューと場所争いをして騒々しく、はたから見ると暴力的で恐ろしくもあるので、箱巣に切り替えた。すると、キューはせっせと巣作りに励み、シズも下旬には産卵を始めてしまった。
 実に早い展開だったが、とにかくうまくいったと言って良さそうだ。

 そうした騒動の中、次代を担うヒナたちは着実に成長し、ポンもテンも、孵化35〜37日で餌付けさせてくれなくなった。
 それと入れ替わるように、13日に親鳥から引継ぎ餌付けを始めたアト(ポン・テンの後に生まれたから)も順調に成長し、12月5日現在にはひとりエサ目前となっている。
 何となくすべてオスのような気がする3羽が、いたずらし放題に縦横無尽に飛び回る日々が、しばらく続くことになるだろう。

2007・11

 何ともめまぐるしい1ヶ月であった。

 5日に孵化したデコとカナのヒナは、両親の元で危なげなく順調に成長していった。この夫婦は、交代制できっちりと育雛するのだが、朝のエサ交換の10分ほどの間だけ、必ず夫婦そろってカゴの外に出てくるため、毎日ヒナの様子を観察(すばやく撮影するだけ)することが出来た。これは奇跡的にありがたいことであった。
 遅れること数日、9日にキューとセンのヒナが孵化した。こちらは主に父のキュー、従に母のセンが育てる感じで、やはり順調に成長していった。この夫婦の場合は、キューが巣籠りし、休憩時にセンが交代する形になっており、毎日様子を確認することが出来なかったが、活発なヒナらしく、エサをねだる鳴き声が聞こえていた。
 20日朝に予定通りデコとカナのヒナを引き継ぎ餌づけを始めた。今回はフゴをガラスケースの中に入れ、底面と上面から保温を行ない、上部ヒーターはサーモスタットに接続した。そして外から見えるようにセンサー式温度計も設置、ついでにガラスケース内の保湿のため、100円ショップのタオル掛けにぬらした布巾がかけた。さらにその木製の外枠のあるガラスケースを、遮光のためダンボールの中に入れるという、結構な育雛室を用意した。エサの方もアワ玉をメインに、スペシャルパウダーとして、何やらいろいろ入っているパウダーフード(『フォスター』)50gに、米ヌカ10g、ボレー粉5g、煮干し5g、カトルボーン5g、ソバ粉5g、を加えたものを用意しておいた。
 つまり、まったく隙のない布陣でヒナを迎えたのであった。

 しかし、すべてが順調と思われた20日、まさにその夜に変調は静かに始まっていた。夫に子育てを押し付け、と言うより熱心すぎる夫から追い払われるようにして、必ず遊びに出てきたセンが、その日は出てこなかったのだ。姿は見た。放鳥開始時に、キューと箱巣の入口にいて、センが箱巣に入り、キューがカゴの外に出てきたのを見届けていたのだ。いつもとは逆なので不思議に思ったが、深刻には考えなかったのだが・・・。
 21日昼、センが体を丸め気分が悪そうにしているのに気づく。育雛中であったが、次の産卵を始めて卵づまりになったものと判断し、サプリメント(ネクトンMSA)などを混ぜたエサに替えて様子を見る。エサは食べていて、悪化する様子はない。夜には遊びに出てきた。ただ、やはり調子は悪そうなので、通院と育雛中断を考えはじめた。
 22日朝、回復の様子はない。卵づまりなら、それが出てしまえば元に戻っているはずなので、かなり心配になる。しかし、エサは食べ、軽く水浴びまでしていた。何とも判断に悩むところだが、午後になって動物病院に連れて行き診て頂いた。結果は卵づまりではなく、病原菌は特定できないようだが、胃腸に問題がありフンの状態が良くないとのことで、薬の処方を受けた(1日2回5滴ずつ点滴)。
 まだ獣医さんに抵抗するほど元気であったセンを連れ帰り、投薬治療と育雛は両立しないはずなので、孵化14日目のヒナ(「テン」)を引き継ぐことにする。その「テン」はとにかく口を開く性格だったので、餌づけは初めからスムーズだったが、育雛から解放されたセンの容態は夜になって急激に悪化、眠る頃には生命の危険を思わせる状態となってしまった。
 23日早朝、嫌な予感に苛まれつつ様子を見に行くと、センはエサ箱に頭を入れて食べていた。この日は回復はしないものの悪化もせず、終身時間となっても前夜よりも安定している様子で、長患いになるかと思われた。
 24日朝、センの姿が見えないので箱巣を開けると、そのことにさえ気づかず寝入っていた。寝入る、はっきり死を迎えようとしていたと言った方が良いかもしれない。そこで今後の対応を少し考えた。途中で死んでしまう可能性が大きい重篤な状況での通院は考えないことにする。もし高齢なら、放っておくという選択肢もあり得たが、若いだけに一縷の望みは残したい。そこで、マス箱に入れ、電気ストーブの前に置いて温めることにした。マス箱には牧草を敷き、マス箱の上には保湿用にぬれタオルを掛ける。そうしておいて、スポーツドリンクで脱水と低血糖症状を防ぎつつ、自力でエサが食べられるようになってもらおうといった考えだ。
 ほとんど無駄だと思っていたのだが、センはよく頑張った。しかし、午後2時半には点滴も飲み込めない状態になってしまっていた。・・・こうなると、奇跡を起こす淵源もないだろう。そこで、キューが待つ元のカゴに戻してやることにする。カゴの底をバリアフリー化しつぼ巣を設置し、そのつぼ巣の中に入れたのだ。その後、キューにちょっかいを出されつつ、危篤状態ながらつぼ巣から出たり入ったり、保温器の側に移動したりしたセンは、結局最後は保温器の近くで息絶えていた。午後6時頃のことだった。
 センの病気が何であったのかはわからない。わからないので、自家中毒と考えておくことにした。元々今回は3個しか産卵せず、1個は難産でカゴ底に産み落とし、残った2個のうち有精卵は1個と、昨シーズン顔色を変えずに産卵を続けたのとは大きく違っていたので、元々何か体調に問題があったのかもしれない。そこに育雛の心労が重なり(と言ってもキューの手伝いだったが)、何らかの自家中毒状態に陥り、自己の体内物質で胃腸の内壁が荒らしてしまい、栄養の吸収が難しくなることで、衰弱してしまったといったあくまでも素人の勝手な推測だ。
 センは、実に安易に見つけて迎え入れた文鳥だった。探すのが面倒なので大きなペットショップに行ったら、個人的に最も好みとする姿形をした文鳥がいて、大喜びして買ってきた鳥だ。何とも残念至極だが、やすらかに。

 母鳥は亡くなってしまったが、「テン」は旺盛な食欲を示し、何の患いもなく、先輩の「ポン」の横で成長していった。さらに29日には、前回失敗したマルとシンの卵も孵化した。これら当初の計画通り誕生して力強く成長していく生命がある一方で、11月3日、あのオマケが急死を遂げた。予兆の欠片もない目の前での出来事であった。
 放鳥開始は、飼い主がカゴの開閉口を洗濯バサミで開けていくことで始まる。しかし、オマケは妻のメイが飛び立った後もつぼ巣に残って抱卵を続け、小1時間ほどしてから出てくる。この日もそういった顔つき(「邪魔すんなよお前」という態度)でつぼ巣の中に留まっていた。こちらは、珍しくマルが始めから外に出たので、ヒナの「アト」をすばやく撮影することに気をとられていた。それを素早く済ませ、テーブルの定位置に戻って腰掛け、ミカンを文鳥たちに振舞い始めたのだが、そこで変事が起きてしまう。
 間もなく右1.5mほどの『文鳥団地』より「ヒャァ」といった音が連続して聞こえ、視線を向けると正面のつぼ巣の中のオマケがもがいていたのだ。もがくといってもそれほど激しいものではなく、何かを脚に引っ掛け、つぼ巣から出られないといった感じであった。ところが、よく見るとクチバシに血がついていたのだった。
 3月に急死していたグリは、喀血していた。同じだ。とにかく血が器官をふさいでしまわないようにしなければならないのではないか。つぼ巣からオマケをつかみ出し口を開ける、かなりの量の血が指先にこぼれたが、オマケは目をつぶったままで動かない。そしてそのままであった。
 甲状腺腫で吐血することはあるらしいが、そのての病気が何の前兆もないままに、ある日突然に大量吐血による急死を招くようには思えない。では何だろう。一羽だけ中毒死はしないだろうから、心肺に関連する何らかの破裂だろうか。このような最期は2羽だけ。オマケは系図上グリの甥だが、白羽の多い外見や人の二の腕や手首にたたずむ態度など、実は隠し子である可能性が高いと見ていたので(孵す予定がなかったので、目の前でソウがグリに襲われても、強くは止めなかった)、体質を受け継いでしまっていたのかもしれない。
 オマケと言えば、査察の後にソウが産んだ卵から孵化した文鳥で、選ばれて残った姉のゴンとは対照的な容姿を持ち、そのゴンを敵視し、それだからと言うわけではないが、飼い主の姉の家庭に養子に出され、幼い頃耳にしたブレイ流さえずりを独習し、幼かった姪たちの指や口をかじるカミカミ魔に成長したが、たまに里帰りをすれば「チィヨン!」と返事をしつつ右手と左手を往復するといった芸当を披露し、里帰りの際のカゴに入った青菜がパリパリに枯れ果てているのに怒った飼い主が、姉たちから有無を言わさず飼育権を剥奪してからは、口先番長として文鳥社会に君臨し、手のひら水浴びで飼い主とノロを喜ばせつつ、濃い桜文鳥には見向きもせず、同居させたセーユをいびり出し、白い羽の多いメスだけを追いかけ、ハン、ガツ、クルと自分の意思で夫婦になっては先立たれ、白文鳥(シロ・メイ)を迎えてくれば張りきり、その浮気に悩むといった一生であった。昨年末あたりから運動能力が落ち、このまま順調に老化していくものと期待していたが、終末は意外にも急なものとなった。何とも名残惜しいが、やすらかに。

 かくして企図したとおりの3増、想定外の2減といった事態の中で、新たな展開が始まることになるのであった。

2007・10

 文鳥のヒナを見なくても、一年は我慢できる。しかし、それ以上となると禁断症状が起き、三年は我慢出来ない。昨シーズンは我慢した。来シーズンまでは待てないし、待つ気も無い。今シーズンはヒナの顔を見なければならないのだ!そのような、他人の預かり知らぬ葛藤の末、今シーズンは3ペアの卵を孵化させることに決めてしまった。
 まずキューとセンの二世。これは我が家の血統的な後継者、10代目の若君なり姫君になられるお方なので、是非ともこの世に出現してもらわねばならない。次にデコとカナの二世。こちらも、無事お育ちになれば我が家のヘイスケ系の9代目、ノロ系の5代目になられる、いとやんごとなき文鳥様なので、始祖のノロが健在の間に、この世にお出まし願いたいところだ。そして、この2ペアの子供が無事に育ち、オスとメスで夫婦になれば、飼い主の遠大な計画は見事成就することになる。考えただけでも、めでたい話だ。
 そして、もう1羽がマルとシンの二世だ。これは蛇足と言っても良いのだが、この2羽はどちらも我が家に血縁がないので、生まれる子供は異系として心強い存在になる。なおかつ、この両羽の間からなら、ゴマ塩柄になる可能性が高い。これは、ゴマ塩柄も好きな飼い主としては、見逃せない点と言える。さらに、マルという文鳥は、一度くらい育雛させてやらないと、後々祟りそうな気迫をみなぎらしており、一度はチャンスは与えようと思ったのだ。

 このように、繁殖計画の段階でいろいろな想定をしつつ悦に入っていたら、なぜかサイが片脚を引きずって歩くようになっていた。引きずらずに跳ね回る時もあるので、骨折しているとは思えなかったが、数日たっても引きずっているので、8日に動物病院に連れていくことにした。例の阪東橋の野戦病院だ。
 普段は意地でも乗らないタクシーで朝一に出かける。正規の診療時間が始まる前に着いたが、すでに診療は始まっていて、主に犬が列を成していた。鳥患者はいなかった。
 幸い重篤な犬はいなかったようで、さほど待たされること無く順番となった。ここの獣医さんご夫婦のご主人の方は、世に隠れ無き小鳥の専門医だが、やはり名医の奥様が受け持たれる小汚いの犬猫がどっさりやってくるためか、ろくに知りもしないくせに五月蝿いだけの最近の鳥飼い主が居つかないようで、比較的に混まない。実によろしい。せっかくなので、毛並みの悪い秋田犬でも入口につないでおくと良いかもしれない。
 触診の結果、骨折はしていないとのことであった。ただ、産卵期間でもあったので、カルシウム剤とビタミン剤を頂いた。10分とたたずに診察は終わり、結局取り越し苦労だったのだが、万一を考えれば仕方があるまい(たまには病院の様子を確認したかったのでちょうど良かった)。また、タクシーに乗って帰宅する。なお、診察費・薬代は1300円で、当然のように往復のタクシー代より安かった。
 
 さて、そのような予想外の出来事もあったが、繁殖計画の方は順調に進んでいた。
 箱巣に切り替えてから始めに産卵を再開したのは、やはりマルで、10日に初卵を産み、14日に抱卵を開始した。そして、18日に7個の中に有精卵を確認し、21日に1個のみ残した。
 一方、カナは12日初卵を産み、19日に抱卵を開始した。そして、25日にやはり7個の中から有精卵を1個残しておいた。
 少し遅れたセンも、19日に初卵を産み、22日は抱卵開始した気配だったが、翌日難産となり巣外で産卵した。結局それを含め3個しか産まなかったものの、28日有精卵が1個確認された。

 文鳥は抱卵開始から15・16日後(16・17日目)に孵化するものだが、抱卵開始の見極めが良くわからない。それでも検卵した際の血管の成長度合いなどを見れば、後からでもかかなり正確にわかるはずだが、あいにくそういった探究心がないので、大雑把にしか把握できない。何しろ、箱巣をのぞき見る時は「早く元通りにしなければ!」といった強迫観念にとらわれており、じっくり観察するどころではないのだ。
 今回は、とりあえずマルの卵の孵化予定日を10月1日(実は9月30日で数え間違っていた)、カナが5日、センが8日と見なした。いちおう有精卵は、抱卵7日後にはかなり赤っぽくなるといった経験則があるので、それにも矛盾していなかったのだ。

 それで、10月1日になったが、マルとシンの卵は孵化しなかった。そして、抱卵を完全にやめ、擬卵をひとつ外に放り出した(次の産卵の邪魔になるので捨てるらしい)5日、ゴマ塩になるはずだった卵を撤去する。・・・孵化数日前の段階で中止卵になったようで、腐敗から乾燥しつつあった。
 シンがまるで巣作り出来ないので、可能性は低いが抱卵しにくいのも一因かも知れず(文鳥生産農家では巣作りなどさせはしない。箱巣は上ブタなし、産座はワラジだ)、産座に敷く『ワラジー』を皿巣(外周を一周ほど取り除き、結び目を結んだもの)に切り替えてみることにする。すり鉢状になっているので、こちらの方が、営巣しなくとも産座は安定すると思われる。
 一方、5日朝、エサの交換時に夫婦そろってカゴの外に出てきてくれるので、その留守にデコ・カナの箱巣をのぞき見すると、前日の朝には卵だったものが、赤むけのヒナになり動き回っていた(ひっくり返ってバタバタしていたようだが、カメラを取って構えると正常に復していた)。カナの奮闘と、とりあえずデコの協力を期待したいところだ。

2007・9

 気温分布図は赤くなり、東京電力は青くなる猛暑続きでだったが、文鳥たちはまったく無関係に産卵を続け、トウモロコシとエダマメを食べ、概ね元気であった。

  例年夏は騒がしく、放鳥の際は抗争が起こるものだが、若いメスたちは産卵・抱卵に忙しく、抗争と言えば、自然木止まり木にあるつぼ巣をめぐって、オマケとゲン・オッキ夫婦が争ったのと、朝、浮気症のハルを監視する妻のカンが、カナを追い立てていた程度と言える。
 まず前者。ゲン・オッキには、カゴに設置されたつぼ巣に小松菜を敷き、そこにフンをして発酵させるという、一体何が目的なのか不明な悪趣味がある。交換したそばから、自分たちでそうするのだが、彼ら自身居心地は良くないので、何となく繁殖を意識し始めた時に、外のきれいなつぼ巣を営巣場所と決めたのではないだろうか。実に身勝手な困った夫婦だ。そのつぼ巣は、オマケが根城とするものだったので、当然ながら熾烈な抗争は避け難い。具体的には、ゲンとオッキが立てこもるつぼ巣の中に、オマケが踊りこむという、実に果敢なものであった。しかし、寄る年波に勝てない小柄なオマケは、2日間の抗争で疲れ果て、巨漢夫婦を敵に回して争うのをあきらめ、抗争はあっさり終結した。
 後者。朝のエサ交換の短時間、外に出してやるのが、ヤッチ以降の我が家生まれの文鳥たちの習慣となっている(カゴに帰る習慣を身につけさせようと、意識的に短時間放鳥を行なった名残り)。そのうちヤッチは、先の換羽で極度の人間不信となった影響で外に出なくなったので、ハル、キュー、デコ、そして我が家生まれではないのにカナを出していた。その際、ハルが平然とカナを誘惑し、それをカゴの中から遠望するカンが騒ぐようになってしまった。これは、一緒にいる夫がしっかりしていれば問題ないはずだったが、何しろデコは少し抜けているので、浮気者を女房に監視させるためカンも出すようになった。その結果、カンが大威張りに威張り、カナを少々迫害するまでになったのだった。しかし、これもカナが抱卵のため出てこなくなると治まった。
 我が家にしては、産卵はあるものの、少し物足りない、平和な夏だったかもしれない。

 今年はキュー・セン、デコ・カナ、マル・シンの3カップルのヒナを、また1羽ずつ孵化させようと考えていたのだが、やはり箱巣にして営巣させた上で、浮気に目を光らせて進めたほうが良いと判断し、9月2日に全面的に箱巣に切り替えた。
 目論見どおりにいくかは、まるでわからない。

2007・8
 HP『bu n cho の館』と、ブログ『チィと私と』とリンクしました。

 上旬、顔の大きなメス文鳥マルによって、放鳥中に新妻メイの近くにいる権利を奪われたオマケは、つぼ巣を拠点に巻き返しをはかった。マルがものを食べにメイの側を離れた隙に、メイをつぼ巣に誘い込もうと言うわけだ。確かにつぼ巣の中なら、後ろや上空からの攻撃がないだけに、敵への対処も容易には相違ない。ケンカが弱く、年齢的に体力に自信のないオマケは、実は非常に賢いのであった。
 この、文鳥を知らない、もしくは甘く見ている人間には、信じられないようなオマケの計略は、数日にして見事に成功し、メイを取り戻したのであった。

 さて、レスボス島の住民なら学識が高くて結構だが、女同士の関係を解消し、とりあえず各々の「家庭」に戻ったマルとメイは、中旬にはそろって産卵を始めた。
 例年、7、8月は産卵休止期間なのだが、今年は若いメスが多いため、その相乗効果があるらしく、真夏でもお構い無しに産卵をはじめている。カナは換羽が終わるのを待ちかねたように、マルやメイより一足早く産卵を開始していたし、一時は離婚の危機にあったサイも、一足遅れて産卵を開始している。それらの動きに刺激され、センも産卵を開始、コウ・カン・オッキも追随する様相を深めている。また、換羽になりかけていたミナも産卵継続の気配だ。つまり、今年は盛夏を迎え、全面的な繁殖期に移行してしまったわけだ。困った展開となった。

 そのような中、唯一産卵の気配が見られないのがモレだ。これは彼女の旦那のシマが、換羽中のためと思われる。
 このシマは、3年前の夏に我が家にやって来たのだが、それ以来はっきりとした換羽をせず(年中繁殖期にあったのではないか?)、徐々に頭がはげていき、ついにはコンドル文鳥と呼ばれるに至っている文鳥だ。元々容姿が優れているから、わざわざ三島から連れて来たにもかかわらず、その面影はまるで無くなっている。それが、ようやく頭のハゲ部分から筆毛が見られるようになったのだから、実に喜ばしい。
 しかし、周囲の繁殖熱に乗せられて、換羽が中断されるのではないかと、心配している。

2007・7
 文鳥動向をブログ化しました。

 換羽の影響で、人間不信症と女房恐怖症に陥ったヤッチは、6日に卓上水浴びをして身も心さっぱりしたらしく、自信を取り戻していった。やれやれと安心していたところ、9日になって女房のサイを攻撃し始めた。その攻撃は息子のキューとそっくりで、相手が翼を広げて逃げようとすると、風切り羽を引きちぎるようにかじるといったものだ。
 換羽中に妻にいじめられた思い込んでいるヤッチが、自信回復とともに反撃に出ているに相違ないが、サイにしてみれば何がなんだかまったくわからないだろう。やむを得ず、気の毒なサイを別のカゴに移動し別居させることにした。
 その後何度か同居を試みたが、換羽中でもあるサイがヤッチを警戒し、その態度にヤッチがまた攻撃を始めてしまい失敗した。放鳥時間中もお互いに無関心で、それどころかサイは息子のキューの追っかけをする始末であった。これでは「文鳥団地」史上初の離婚も考えなければならないと危惧しながら、23日よりカゴを隣り合わせにし、26日に同居させたところ、何とかケンカせずに収まってくれた。離婚回避だ。

 ヤッチとサイの離婚危機以外にも不安要素があった。オスを求めて甲高い鳴き声を繰り返すマルと、白文鳥ミナに付きまとい始めたオマケだ。この場合、伴侶を失った同士が同居してくれれば簡単なのだが、あいにくオマケは濃い桜文鳥のメスを憎んでおり、昔マルに外見が似ているセーユを徹底的にいじめた前科もある。
 一方のマルは、先立たれた夫のグリがゴマ塩文鳥であったのを忘れたのか、現在の本命がキュー、押さえがクラらしいところを見ると、濃い桜文鳥が好みとなっているように思われる。オマケはゴマ塩柄だ。この2羽を同居させてうまく行くはずはなく、若さでも腕力でも劣るオマケが悲惨なことになる可能性が高そうに思われた。
 この際、飼い主権限でクラとミナの夫婦関係を解消し、オマケとミナ、クラとマルで同居させる作戦も考えたものの、この場合クラの動向が予測出来ない。ミナに監視されつつマルと浮気をしているが、ミナと別居となればどうなるだろう。そもそも、彼がオマケの妻であったシロに露骨過ぎる略奪愛を仕掛けたために、マルやミナはこの家にいるのだ。同じ轍を踏むわけにはいかない。
 いっそ、例の1羽では売らない店で白文鳥ペアを安く購入し、それぞれオマケとマルに配したらどうかと考えてみる。オマケは白ければ小躍りして喜ぶはずで、マルが選り好みなどしたら・・・、その時にまた考えれば良いだろう。しかし、数は増やしたくないのだ・・・。

 22日、その店に行く。本当は別の用事があったのだが、気が変わったのだ。しかし、正直に言えばあまり買う気持ちはなかった。その店は必ず白文鳥ペアがいるわけではなかったので、いなければ思い悩む必要もなくなり、もし売っていても気に食わない容姿なら買わずに納得出来るといった、どちらかと言えば購入しないことの理由付けが目的であったと言える。ところが、こうした消極的な時に限って、見事な白文鳥のペアがいるのである。
 文鳥は白文鳥のペアのみだった。なぜか白文鳥の価格表記(ペアで5500円!)のあるカゴにはセキセイが数羽いて、白文鳥は隣のカゴに入っていた。ともにわずかに有色羽毛が存在するが、これは若いことを証明するだけで、むしろ利点と言える。オレンジ色の脚輪をしたメスらしき文鳥も悪くないが、オスにしか見えない文鳥の素晴らしさと言ったらどうだろう。光沢のある羽毛、あくまでも赤いクチバシ、大きな目とそれを包む赤く厚いアイリング・・・。
 どちらも頭頂部の面積が狭く、正面から見れば三角形型顔である点が、個人的好みに反する。しかし、これはあくまで好みの問題で、そのオスが客観的に出色な存在であることを否定するものではない。ようするに、少しでも買う気があるなら買うしかないのだ!
 店内に入り、お婆さんに「外の白文鳥のペア・・・」は売り物なのかと、値札のないカゴにいるので尋ねておこうと思ったのだが、皆まで言う前に「今持って帰るの?」などと言葉を返されたので、簡潔に「はい」と答える。すると、お婆さんはボール紙の小さな箱をあまり器用ではなさそうな手つきで2つ組み立て、片手に軍手、もう一方にはゴム手袋という重装備を身につけて、外へ出て行った。それなら大型インコでも何とかなりそうだと内心冷ややかに笑いつつ、作業を見に行く。
 重装備が邪魔したのもあって、お婆さんは散々追い掛け回しつつ捕獲、羽を広げた無茶な姿勢のままつかみ出し、縦に置いたボール箱の中にねじ込むように押し落す。恐ろしく荒っぽいやり方に寒気がしたが、さらに縦に置いたボール箱を、無頓着にくるりと横に回すのを見て、尊敬の念さえ沸き起こった。その程度ではケガはしないとしても、生き物が中にいると思えば、なかなかそうは出来ないものだろう。
 大きな紙袋を惜しんでいるらしいので、小さなビニール袋で良いと言い、代金5500円を支払うと、他の用事を投げ出して帰宅する。
 購入した店の並びの神社の名前にちなみ、「シン」「メイ」と名付けられた新入りたちは、1羽ずつカゴに入れ、「文鳥団地」から離れた場所で数日様子を見ることにした。兄弟姉妹である可能性もあり、我が家で今後夫婦になることはないはずなので、始めから別々のカゴに入れる必要があるのだ。
 お互いを伴侶としている文鳥のペアを、別々のカゴに入れると鳴き交わしたりするものだが、シンとメイにはそれがない。おそらく一緒に生活を始めて日が浅く、伴侶とは見なしていなかったのだろう。実に好都合であった。

 27日朝、シンとメイを「文鳥団地」に移動する。移動と言うより、今回はオマケのカゴにメイ、マルのカゴにシンを有無を言わさず入れてしまう。
 まずメイの脚輪を切りはがし、風切り羽を両翼3枚ずつ1枚おきに切って、プラスチック升箱に入れて体重を量る。24g。そのまま「文鳥団地」へ運び込み、オマケのカゴと隣接させて升箱から追い出す。・・・案の定、オマケは大喜びで、この自分好みでしかも若い白文鳥を迎え入れた。
 次にシン。同じように羽を切り、体重を量る。27g。なお、脚輪は個体識別のために必要なものだが、顔つきで判断できるので必要としない。羽は、毎晩室内を飛び回る際、飛び慣れない文鳥がスピードを出しすぎで衝突事故を起こさないための処置だ。この程度のクリッピングは減速効果しかないので、ちょうど良いのだ。
 シンもマルのカゴに追い出す。マルの反応は・・・、真横に体を押し付けつつ首を伸ばすようにして迫っている。この文鳥はオスなら何でも良いのだろう。とにかく大成功だ。

 確かにカゴの中でのそれぞれの生活はうまくいっている。オマケとメイはつぼ巣の中で一緒に昼寝をしているし、マルはシンのさえずりダンスに尻尾を振っている。ところが、夜の放鳥時間が妙なことになってしまっている。なぜかマルとメイが仲良しというより露骨に恋ビトになり、双方の夫が介入出来なくなっているのだ。マルはオスばかりか、メスにも言い寄ったのだ!
 オマケがメイの横に行くとマルに弾き飛ばされ、シンがマルをつぼ巣に誘えば、なぜかメイとマルに威嚇攻撃される始末だ。メイはどうやらシンのことを嫌っていた気配で、これを一緒に攻撃してくれる相手を求めていたようだ。しかし、それになぜマルが同調するのか!
 今や、あの人間の目から見れば不器量とも言えるマルが、年下の美しい夫を持ちながら、その幼友達のメスと両思いの関係にあり、なおかつクラとは愛ジン関係を続け、実は本命らしいキューにも色目を使っている。
 ・・・現実は恐ろしい。ハン、ガツ、クル、シロ、何と5羽目の妻を迎えたオマケが、謎の浮かれ女マルから新妻を奪還しようと力を振り絞るのが心配の種となろうとは・・・。

2007・6

 換羽による影響が現れた。中でもヤッチの変化は前代未聞のもので、大いに戸惑わされている。
 もともとは、台所で手の平水浴びをする極めて人間好きの文鳥だが、4月下旬頃から態度がよそよそしくなり、手の平水浴びもしなくなり、5月になるとカゴの外に出なくなってしまった。何しろ、人間がカゴに近づいただけで騒ぎまわり、手の上に乗るどころではない。掃除する際に恐がってカゴの外に飛び出しても、テーブルの上にすら降りて来ない。それは良いとして、手によって送迎されてきたお坊ちゃんの彼は、自分でカゴに帰ろうともしないので困ってしまった。やむなく捕まえようとすると逃げ惑い、何とか電気を消して捕獲すれば、「ギャ〜!」と断末魔の叫びをあげ、飼い主の心胆を寒からしめる始末だったのだ。
 5月下旬に換羽の最高潮を迎えた彼は、人間より恐ろしい存在をカゴの中に見出した。女房のサイを恐れ、サイが動くたびに逃げ回りカゴにへばりつく。もちろん、サイは何も危害を加えていない。それどころか、逃げ惑う夫に、どうしたのかと不審そうに近寄ろうとしているだけなのだ。
 「きゃ〜!クチバシがとがってる!!」といった感じで逃げ惑うヤッチは、カゴの中から人間に助けを求めるようになった。手を出さない限り、いくら顔を近づけても逃げなくなり、それどころか目の前の金網にすがりつくようにして、「ここから出してくれ!!」と切実な目つきで訴えてくるのだから、こちらも当惑するばかりだ。
 サイにとってあまりに理不尽でもあり、環境を変化させることで異常過敏状態のヤッチに妙な影響が出ても困るので、別居はさせず様子を見ていた。その後、飼い主を味方と思い直したのか、それとも換羽が峠を越えてゆとりが出来たのか、放鳥時間にも自主的に出てくるようになっていたヤッチは、6月になると名前を呼べば肩に飛んでくるようになった。それでも相変わらず女房は恐いようだが・・・、手の平水浴び再開も近いのだろうか。

 ヤッチが神経過敏で臆病になったのに対し、その息子のキューは凶暴になった。そして、こちらも前代未聞の過激な行動をしてくれたのだった。つまり、妻のセンに対するドメスティックバイオレンスだ。
 センは元々かなり飛びまわれる文鳥だったのだが、巣ごもりするようになり、気が付くとあまり飛べない鳥になっていた。なぜ飛べなくなったのか不思議に思っていたが、先月の失踪事件を受けて風切り羽を調べたところ、切った覚えのない羽までが乱雑に切れている。これは実に剣呑ではあったが、とにかく早く飛べるようにしようと、残った羽軸を抜いてやった。
 それから10日ほど経ち、新しい風切り羽が生えてきて飛翔能力も確実に向上して喜んでいた5月のはじめ、翼を確認すると、またもや風切りが切り取られていた。どのように考えても、昼間センを追い掛け回しているキューの仕業に相違なく、これではきりがないばかりか危険でもあるので、風切り羽を再び抜いたセンをを別居させることにしたのだった。
 その後両者とも換羽が本格化し、センは日々飛翔力を取り戻し、キューは指とブランコに一方的で激烈な攻撃をしかける日々が続いた。そして、ようやく6月になって換羽が終息に近づき、キューがセンと同居を望む気配になったので(センのカゴの上に乗り飼い主を威嚇する)、この乱暴者をセンが住む「文鳥団地」左棟の3階に移した。息をつめて様子をうかがうと、キューは何やら威張っているが、ドメスティックバイオレンスを繰り返す気配はなかったので、このまま同居させることになった。

 その他、マルはすでに換羽が終わり、ゴン・オマケ・カン・ゲン・オッキ・ハルもだいぶ生え変わった。それに少し遅れて、モレ・サイ・デコ・カナが換羽の真っ最中となっている。一方、ノロ・コウ夫婦とクラ・ミナ夫婦は産卵を継続し、まだ換羽にはいっていない。
 理解に苦しむのは禿げシマで、日々に、さらに、ますます禿げ上がっているが、はっきりとした換羽に入ろうとせず、そり上げと言うかモヒカンと言うべきかとにかく文鳥離れした顔つきになってきている。困ったものだ。

余談】
 我が家の文鳥の名前は、何代目になるか、どこで購入したか、もしくはその時の性格や印象から呼びやすくカタカナ2、3文字でつけることになっている(初代のヘイスケはもともとヘイだったが、なぜか「スケ」が付け足された)。長く難しい名前にしても、フルネームで呼べず通称となるのは目に見えているので、はじめから通称的な名前をつけたほうが楽だと考えているのだ。
 しかし、表記の際に漢字にするのも趣き深い。そこで人真似をして、歴代の文鳥たちに漢字名をつけてみたので、備忘のため記しておく。

 陛佑(ヘイスケ)、富久(フク)、紅路(クロ)、智美(チビ)、武励(ブレイ)、名通(ナツ)、真世(マセ)、範(ハン)、牙都(ガツ)、久琉(クル)、佐夢(サム)、聡(ソウ)、具理(グリ)、雅武(ガブ)、婦音(フネ)、権(ゴン)、小魔華(オマケ)、聖遊(セーユ)、乃魯(ノロ)、慧(ケイ)、勢矢(セイヤ)、奇多(キタ)、功等(クラ)、敢(カン)、彦(ゲン)、裳麗(モレ)、乙貴(オッキ)、資真(シマ)、八智(ヤッチ)、覇瑠(ハル)、彩(サイ)、示露(シロ)、摩留(マル)、巧(コウ)、魅南(ミナ)、揮遊(キュー)、弟乎(デコ)、嘉納(カナ)、潜(セン)

2007・5

 HP『兎鳥庵』にリンク致しました。

 上旬、センの失踪事件が発生する。
 いつの間にか飛べない鳥になっていたセンが(夫のキューに風切り羽を噛みとられていたらしい)、放鳥時間の終わりになって姿が見えないことに気づき愕然とした。何しろ、2ヶ月前にシロを遭難させてしまっているので、一瞬にして余裕など欠片もない心理状態に陥ったのは止むを得ないところだろう。しかも、血相を変えてしらみつぶしに探したものの見つからなかったのだから、その時の絶望感たるや思うべしである。
 最後にセンの存在を認識したのは、写真手前のイスの上に着地する音だった。姿は見なかったが、バサバサとセン以外ではあり得ない羽音がしたのだ。テーブルの奥に座っていた飼い主は、そこからテーブルの上にやってくるだろうと思っていたのだが、結局現われなかったので、帰って行く羽音には気づかなかったが、きっとカゴの方向に戻り、カゴとカゴのすき間にでもいるのだろうと軽く考えていたのだった。
 あの飛べない鳥が、気づかれずにどこかへ行けるものだろうか?どこにも行けるとは思えないのだが、どこを探してもいない現実の前に、心底げんなりした飼い主は、夜11時に捜索を打ち切った。日が昇らなければ目の届かないところもあるので、それを待つしかないと判断したのだ。
 気分が重たいながらもしっかり眠り、翌朝6時に放鳥部屋へ出てくると、「文鳥団地」を区切るすだれ近くの床に、うろつく灰色の物体!心底ほっとしつつ地をはうセンを簡単に捕獲し、キューの待つカゴに帰す。
 一心不乱にエサを食べるセンを見ながら、いったいどこに潜んでいたのか考えた。見ると、写真手前のイスに敷かれたクッションの上に数個のフンがあった。さらによくよく見ると、現場写真のように、テーブルの下というか横に少したわんだ状態の電気コードが、まさにクッションの真上の位置にあった。つまり、クッションに着地したセンは、テーブルの上に這い上がれず、その途中の電気コードにしがみついたまま、その後物音一つさせず、2時間近く目の前をウロウロ、ガチャガチャと探し回る飼い主に発見されなかったようなのだ。まさに、灯台下暗しであった。

 センの失踪は笑い話で済み、激しくなる換羽の中で、安穏と4月は過ぎてくれると思われた30日、キタが急逝した。
 前夜までは何の異常もなく飛び回っていた。換羽でアイリングは薄くなってはいたが、クチバシの色などは正常であった。朝、エサを交換する時も異常には気づかなかったが、午前9時30分に何気なく見ると、底網の上にじっとしていたのである。あわてて、とりあえず市販のサルファ剤(『トモジン=ネオ』)を水に溶きシリンジに吸い取り、キタを取り出す。息はあり目も開いていたが、逃げる元気が無いどころか(彼は非手乗り)、すでに体が硬直化してきていて冷たい。これは衰弱しきった時の容態に相違ない。
 薬をクチバシの横にたらすと、飲み込んでくれた。つぼ巣に戻し、初夏のような陽気だったが保温電球を点け、バリアフリー化したカゴの用意をする。原因はわからないが危篤状態の現状では、通院する余力はないと判断したのだ。
 10時頃、キタをバリアフリー化したカゴの下のつぼ巣に移す。15分ほどしか経っていないが、さらに硬直化していて、ほとんど絶望的な容態であった。どうしようもないので、せめて一時的に元気づけようと、ポカリスエットとオレンジ100%ジュースを買ってきて、ジュースを微量加えたポカリスエットを、キタのクチバシ横にたらす。彼は数滴飲んでくれた。
 つぼ巣に戻ししばらく様子を見ていたが、何の変化もなく、荒い息をする力もなく少し口を開いたままぐったりしている。そして30分ほどの用事を済ませて戻ってみると、すでに亡くなっていた。
 明らかに病気などで衰弱し、心拍が微弱となった時の状態だったが、それが何の前触れもなく突然起きてしまったのは不思議だ。チアノーゼは起きていなかったので、呼吸器の問題ではなく心臓発作の一種と考えるべきだとは思うのだが…。わからないことはあまりにも多い。しかし、わかっても仕方がないことのようにも思える。

 プランターの埋葬地は、数週間前に黒御影の墓石も置かれたミニ墓苑に整備されていたが、ゴンの写真を彫り付けたその墓石の下に(縁起でもない気もしたが、生前墓はかえって縁起が良いとする考え方の方も存在するので、そちらの解釈をとってしまうことにした)、初めに眠るのがキタになるとは…。キタにはゴンの老後の世話を期待するばかりで、その妻より早く亡くなってしまうとは、夢にも思っていなかった。
 あまり自分の文鳥の死を経験していない人には不謹慎に思われるかもしれないが、私には老齢や病気の文鳥について、その生前に死後どのようにするか考えておく習慣が出来ている。その方が実際に亡くなった時に、いく分とも気分が楽で、生きている文鳥たちにとって必要な処置を実行しやすくなるからだ。当然ながら、現在最も高齢で運動障害まで起こしているゴンが亡くなった時のことは考えておかねばならず、キタはマルと夫婦にして…、と想定していたくらいだった。
 命数など順番もなくわからないものだ。やすらかに、やすらかに。

 彼岸へ飛んで逝く生命があれば、生まれ出づる生命もあるはずで、秋にはキューとセンのヒナの誕生を待ちたいところだ。
 ところが、換羽でイラつくキューはブランコにケンカを挑んで大騒ぎし、やはり換羽で神経質になっているらしいセンはその周囲を逃げ惑い、それがあまりに目障りなのでキューが突付き、さらに騒ぎが大きくなるという具合であった。もっとも、キューには欠片も悪意がなく、センはいじめられつつもキューが好きらしいので我慢していたが、毎日繰り返すので別居に踏み切った。センをゴンの隣カゴへ移動させたのだ。
 換羽が終わった頃に、新しい少し大きめなカゴで同居を再開させようと思う。

 従順な年下の夫に先立たれたゴンは、換羽中でもあり心配したが、それほど落ち込んだ様子は無い。キタが危篤の時に、その様子をつぼ巣の上に止まって見ていたので、何となく事態を把握しているのかもしれない。
 ただ、上段のつぼ巣の上でじっとしていて、下段に降りて配合エサを食べる様子がないので、上段にもエサ入れを置くことにする。 墓石のモデルには、まだまだ長生きしてほしいところだ。

2007・4
 HP(ブログ)『るみの楽しく暇つぶし日記』にリンク致しました。
 『文鳥の系譜』を書き足しました。また、容量の関係もあり長らく懸案となっていた若手文鳥たちの『写真館』も、それぞれ作成しました。

 3月10日、グリ急逝。
 8歳を過ぎても何ら衰えもなく、一歳下のゴンやオマケが飛行障害が起きているのに対して、何の煩いもなく飛び回っていた。当日も、いつものように敷き新聞紙を引っ張り出す作業に精を出し、1時間前まで何の変調も見られなかったが、午後7時、カゴを開けに行ったところ、仰向けに倒れすでに亡くなっていた。
 喀血しており、直接的にはそれで窒息したのかもしれない。喀血の理由はわからない。
 最後までつやつやのピカピカで元気そのものだっただけに、とても意外であった。きっと10歳を過ぎれば、白文鳥になるだろうと期待していたのだが…、安らかに。

 グリの急変中、妻のマルは箱巣で抱卵中で、飼い主が気づいて遺体を収容している時も顔を出さなかった。つまり、夫のグリに何が起こったのか知る由がない。
 さてどうなるか、 翌日になり夫が帰って来ないことにようやく不審を覚えたらしいマルは、放鳥時間にあちらこちらと飛び回り、夫を探していた。その様子に、ものの哀れを感じつつ、箱巣をつぼ巣に取り替え、気分を一新してもらうことにする。
 12日、帰って来ないものは仕方がないと割り切ったらしいあくまでポジティブなマルは、感傷に浸らず、新たなオスを求め始めた。甲高い声で、オスを誘うの だ。日中それを続け、放鳥時にはオスたちの物色どころか、大いに交尾をせまっている。実にたくましい。人間に置き換えるとどんなものかと思わないでもない未亡鳥の行動だが、やはり文鳥はこうであった方が健康的だ。
 彼女の本命はキューらしい。続いてクラ。…どうやら面食いらしい。しかし、キューは何しろムラッ気が多く落ち着かないので、クラが情夫となった。考えてみれば、マルはクラの嫁候補としてやって来た文鳥なので、当初の目的どおりになったと言えなくもない。ただ、遺憾なことに、クラにはミナと言う妻がすでにおり、 そのミナは、日に日に嫉妬の炎をたぎらせ、不倫の卵を産みつつも、さらに遊びまわるマルを敵視し、追い掛け回すようになっている。
 いっそやもめ暮らしの白が好きなオマケとミナを同居させ、一方、クラとマルを同居させると丸く治まるかと考えたが、今のオマケは飛行が不自由な引きこもり鳥になっており(カゴの中ではブランコに乗り回り、人間の指にケンカを売り、まるで変わらず元気)、若いメスと同居するような状態では無さそうなので、やめておく。
 今後、何か波乱があるかもしれないが、とりあえずこのままで様子を見ようと思う。

 下旬、キューがセンを邪険に扱い、追い掛け回す様子が見られるようになった。どうやら、抱卵を独占的に行いたくなったようで、目障りになるようだ。
 憐れなセン、ドメスティックバイオレンスに苦しめられ居場所がない。4月5日(つまり今日)、たまりかねて日中センを別のカゴに移す。センは追いかけられなくなり、落ち着いて擬卵を温め(わざわざ移動先のつぼ巣にも数個入れておく)、エサもゆっくり食べている。キューは、抱卵に熱中して、特に帰らない女房を心配するでもない。
 放鳥時間、キューは抱卵にいそしみ出てこない。センは危うげに出て来ているが、どうも落ち着かないので、捕まえてキューが抱卵中の元のカゴに帰してみる。すると、センは大喜びで甘え声を出しつつつぼ巣に入っていくではないか。一方キューは、交代が来たと言う現実だけとらえ、当然のようにカゴの外に出てきてしまう。残されたセンは、また一羽になるかと心配になるのか、そわそわと落ち着かない。これが惚れた弱みか、それにしても、キューは淡白だ。
 とりあえず、日中問題があれば別居させる程度で大丈夫そうだ。

2007・3

 HP『文鳥飼育情報館!!』と『愛・文鳥』にリンク致しました。

 「ひやり・はっと」が続き、これを事故の前兆と警戒をしていたにもかかわらず、極めつけの大事故が起きてしまった。シロが夜の放鳥時に遭難し、それに十数時間も気付かず捜索が遅れた結果、タンスの裏で遺体を収容することになったのである。

 かつて、我が家の文鳥たちの始祖である白文鳥のフクは、カゴから飛び立った際に正面の壁面に激突して即死した。おそらく鏡の反射を、その数十センチ横の放鳥部屋の明かりと見誤って猛スピードで当たってしまったものと思う。
 それ以来、幸運にも大きな事故の無い歳月が8年以上続き、再び起きた事故の被害者が久々の白文鳥のシロなのだから、話は出来すぎていると言えよう。
 ただフクの場合は、飼い主としての呵責はあまり感じずに済んだ。何しろ、自分で飛んでぶつかっての即死だったので、救いようが無かったのだ。とりあえず、鏡の位置が良くなかったと反省し、壁にはめ込まれているその鏡をタオルで覆っただけだ。
 しかし、シロは即死ではなかったはずで、実に至近の位置で苦しんでいるのにさえ気付かずにいたのだから、これは実にやるせない。

 ことの経緯を整理しておきたい。
 2月21日夜の放鳥時間、私は放鳥部屋に背を向け、「文鳥団地」右側の6つのカゴの底網交換と卵検査を行った。そして、左側は明日に残し、水を交換してから放鳥部屋に戻ったのだった。その間約20分、これは定例行事であった。
 さて、時間となり帰宅させることになり、はじめて違和感を覚えた。シロがいないのだ。シロは自分でカゴに帰れないほとんど唯一の文鳥なので(後は新入りでほとんど外に出ないのセンのみ)、帰宅の際は電気を消して捕獲してやらねばならないが、その日は姿が無かったのだ。
 当然ここで所在を確認すべきだったが、安易な方向で納得してしまった。シロはちょうど産卵期となっていたので、抱卵を開始し、巣籠りをしているものと考えたのだ。確かに、巣籠り中のシロが放鳥時間に出てこないことは過去にもあった。しかし、近くで底網の取替えといった騒々しい作業をしているのに、静かに抱卵しているようなタイプであったか?といった疑問は頭を瞬間よぎってはいた。ところが、数日前から急激に老衰したのか、放鳥時間もカゴに引きこもるようになっているオマケに負担をかけたくないとの気持ちが優先し、箱巣を開けて調べるのを避けたのだった。
 翌朝、エサを取り替えながら、オマケとシロの姿が無いので不思議に思いつつ、きっと産座で寝坊しているのだろうと、無意識のうちにさらに安易に考えた。実際そういった夫婦ではあったのだが…。
 昼過ぎ、雑務が終わって様子を見に行くと、オマケの姿はあったがシロの姿が見当たらない。さらに昼食を摂りつつすだれ越しに様子を見ていたが、やはりシロは姿を現さない。「まさか…」と記憶をたどると、前日の3時頃、いつものように箱巣の入口から頭だけ出して寝ている姿を確認して以降、まったくシロの姿を見ていない事実に行き当たる(このような姿勢で寝る文鳥は我が家には他にいない)。
 あわててカゴを取り出し、カゴの外恐怖症のためブランコから離れようとしないオマケを(この数日前に放鳥時の飛行中に動悸が起こり、それがトラウマになったらしく、以来引きこもっている)、カゴの上部ごと片手で持ちつつ箱巣をのぞく。シロは産卵中であったし、クチバシが妙に伸びたり羽毛がくしゃくしゃになったり、体は丈夫そうではなかったので、箱巣で急変したのではないかと思ったのだ。
 ところが、箱巣には影も形も無かった。引きちぎった新聞紙と擬卵と卵だけだ
 これは、箱巣で死体を見るよりも衝撃の事態であった。普段から冷静を保ちたがっている人間ではあるが、ほとんど度を失ったと言って良い。あわてふためき捜索を開始する。何しろ、この場合、昨晩の放鳥の際に失踪したと見なすのが自然で、それが今まで人目に触れないとなると、尋常な事態ではないはずであった。
 放鳥部屋の家具類の裏、隣のキッチンの家具類、冷蔵庫の裏、ユニットバスに洗濯機と調べつくし、家人の寝室のベットの布団その他を放り捨て、ベットの下などを見渡したが見つからない。探しあぐねて2階に行き、やはりどこにも姿が無いのでベランダに出てあたりを見渡す。しかし、万に一つも外に出ることは無いだろうと、やや冷静さを取り戻し放鳥部屋に戻り、探していない場所を考え、再び放鳥部屋のタンスを動かし、そのタンスの裏のガラスの引き戸を開けた先を探していないことにようやく気付く。
 この引き戸の向こうには家人の寝室の衣装ダンスが背中合わせに存在する。そのタンスの横側は部屋の壁面に沿っているのだが、そこに2、3cmのすき間があった。そして、床から1mほど、30cmほど奥まった場所に、こちらに背を向ける形の白い物体がそこにはさまっているのを発見した。
 そのすき間は下にいくほど狭くなるX字型をしていて、シロは完全にはさまってしまっている。針金ハンガーをこわして差し入れ引き寄せるが、一縷の望みもむなしく、硬直しきっていたのだった。

 シロの遺体は、片翼が閉じきれず持ち上げた形で、片脚が伸びきった状態であった。
 翼がつかえ、脚が地につかず、苦しく声も出なかったに相違ない。何しろ30cm先は家人が寝ているベッドなのだ。もし、ハルやキューのような暴れん坊がこの状況となったとしたら、もがきにもがいて片翼をつぶしても前進して助かっただろう。しかし、シロはもともと運動能力が劣り、産卵期間中でもあったし、性格的に困れば動かなくなる文鳥だったのだ。
 我が家での生活に慣れてからのシロは、水浴びの順番争いをしたり、夫の横で不倫をしたり、ずいぶん勝手に振る舞っていたが、我が家に来た当初は緊張と他に文鳥の姿がない寂しさから硬直したように身動き出来なかったくらいに、実は繊細な面があった。おそらく危地に陥って、むしろ静かに静かに静かにしていたのだろう。何とかわいそうなことをしたことか。

 そのような苦しい状況にある文鳥が、放鳥部屋で座っている自分のイスの背後、直線距離にしてわずか1mにいたことに気付かないような飼い主は、後悔や反省を免れることは出来ない。また、後悔や反省をしなければ、よほどどうかしていると思う。
 しかし、忘れようとする努力はことごとく無駄(意識するだけでかえって忘れられない)であるのと同様に、忘れないようにする努力は個人的に無意味(意識しなくとも完全に忘れ去ることは無い)と心得ているので、周囲を驚かすような悲嘆などはあり得ない。時間の経過とともに薄らぐ記憶とともに後悔や反省を引きずっていくのみだ。

 とりあえず、シロのような事態が起こらないようにしなければならないが、それは(少なくとも即時的には)放鳥部屋の家具を2、3cm動かすだけで完了するものであった。
 なぜそれで済むのか、なぜそれで済むことをしなかったのか、ここで、あまりくどくどと書くのも言い訳がましいが、このままでは何のことかわからないはずなので(サイトで公開する以上、他人が読んでいることを意識せざるを得ない)、現場の状況から遭難の経緯をどのように推理したか整理しておきたい。

 まず放鳥部屋の上方の写真の黄色く着色したあたりが、文鳥たちの行動範囲となっている。おそらく、私が鳥カゴの掃除を始めた時、その気配に箱巣から出てカゴから飛び出していったシロは、「着地目標」に向かったと思われる。ところが、身重のためか寝ぼけていたのか飛行ルートが右に大きくそれたのではなかっただろうか。そこでシロはいったんカーテンが手すりにかかっている「避難地点」へと進路を変えたのではなかったか。そして、やはり寝ぼけていたとしか思えないのだが、そのまま「避難地点」の横にある幅2〜3cm(現場での復元検証では23mm)、縦10cm未満のすき間に飛び込んでしまったように思われる。このすき間こそ、その裏の寝室の衣装ダンスの側面のすき間に直結しているため、そこに墜落したというわけだ。
 この推測は、ちょっと無理があるように思われるかもしれない。第一、飛行している文鳥が23mmの隙間に直接飛び込めるであろうか?しかし、それはおそらく可能なのだ。飛行中の文鳥を写真に撮ると、翼を閉じて空中を浮遊しているような姿になっていることがあるが、短い距離を飛ぶ時は頻繁に羽ばたくので、一瞬羽を閉じた状態があり、その姿勢であれば23mmでも入り込めるはずなのだ。
 もちろん他の可能性も考えた。例えば、避難地点にいるシロを他のオスなどが襲い、それを避けるため隙間に入ってしまった可能性はどうか。しかし、我が家のオスで白文鳥に興味を示すのは、シロの夫のオマケと情夫のクラだけで、シロが襲われる追われる可能性はゼロと言って良い。また、そもそもある程度の勢いが無ければ、約30cm奥まで到達はしないだろう(事故後に前進した痕跡は無かった)。
 さらに、隣の寝室に迷い込み、衣装ダンスの上から墜落した可能性も考えたが、この衣装ダンスの上には使っていない座卓が裏返しに置いてあり、壁面とのすき間は5mm程度で文鳥が上から落ち込む状況ではなかった。また、寝室側から入り込んだとすれば、頭は放鳥部屋の方向になるはずである。
 したがって、左手に家具がある場所を飛行しつつ、その家具と密接した23mmの隙間に飛び込むという、常識的には考えにくい離れ業が起きたと判断せざるを得なかったのだ。
 この23mmの隙間の存在を、私は完全に忘れていた。この空間は右側にあるカーテンを手すりに引っ掛けるために、家具をわずかに左にずらしたために生じたものだと思うが、この程度のすき間に文鳥が落ち込むとは夢にも思っていなかった。もしも手すりにかかったカーテンに止まって、この頭が入る程度の隙間に興味を示す文鳥がいれば注意もしたはずだが、そういった文鳥は一羽もいなかったのである。

 遭難そのものの状況は、上述のようなものと推測され、いまだに信じ難いものだが、現実としてそれは起きてしまった。しかも奇妙なだけに、一般的な教訓は見出しにくいように思える。
 25gの生き物が落下する危険を、家庭内から完全に排除するのは難しい。ある程度の危険地点は必ず存在するし、不運にも遭難することもあるだろう。これは鏡に衝突したフクの場合も同じだった。鏡そのものが危険なわけではないので、やはりフク自身が不運だったと言うより無い。つまり、こうした特殊な事故から、鏡はすべて危険とか、すき間が無い場所で放鳥しなければならない、といった大きなくくりでの一般的教訓は導き出すのは軽率に思われる。
 当然、それ自体は可能性が減るように出来る範囲で対処しなければならないが、結局のところ、事故そのものの可能性がゼロになることは無い。この点は責任のがれのようだが、あきらめねばならないと思う。しかし、今回の場合、何よりも気付くのが遅すぎたのが、返す返すも悔やまれるところだった。
 例えてみれば、海なり山なりでの遭難は起こり得るもので、だからと言って海で泳ぐなとも山に登るなとも言うべきではないが、万一遭難すれば、迅速な救助活動が必要とは言えるはずなのだ。一般的な教訓があるとすれば、そういった点ではないかと思える。つまりは、放鳥中の文鳥からは目を離さないという、今さら繰り返すまでも無い当然の話(理解はしていても完全に実行出来ない瞬間もあるそれ)以外ではなくなってしまう。

 さて、ある日、夜遊びに出かけた若い女房が帰ってこなくなった夫、オマケ。彼に女房は事故死してしまったと説明しても理解はしない。いったいどのように考えているのか測り難いが、特に気落ちした様子は見られない。不倫妻は情夫と蒸発したと思って、諦めているのだろうか?
 それ以前に、放鳥中に動機息切れを起こしたほうがショックで、放鳥拒否症になっていたことの方が、彼としては重大なのかもしれない。しかし、若い女房の不倫に身を焦がす必要も無く、巣作りのため敷き新聞紙を引きちぎる重労働もせずに済むためか、むしろ色つやは良くなり、態度もでかく(指に威嚇する)、カゴの中ではブランコにのって元気そうだ。
 何羽もの妻に先立たれたオマケには、長生きして欲しい。

2007・2
 文鳥の魅力には待っていく様子が頼もしいHP『神経衰弱』とリンク致しました。

 ふりかえれば、実に「ひやり・はっと」の多い一ヶ月だった。

 まず、キューとデコの入れ違え事件。
 朝のエサ取替えの間10分ほど、ヤッチ・ハル・キュー・デコの4羽(+カナ)はカゴの外で遊ぶ特権を有している。ヒナの頃から頻繁に出入りさせていたので、昼間でもカゴに帰すのに困らないのでそうなっているのだが、エサを交換し青菜を入れ、さて各々をカゴへ送迎する際に、キューとデコを間違えて反対のカゴに入れてしまった。
 その時にすぐ苦情申し立てなり、諍いがあれば気がついたはずだが、何となく静かに収まっており、近くで朝食をとっていながら見逃し、何と午後3時になって、午後の遊びにまた10分ほど4羽を連れ出そうとした時に驚いたのだった。「なぜ、デコのカゴにキューが???」
 耳をそばだたせる争いこそなかったものの、キューは抱卵中のカナから脚元への突き攻撃を受けたようで、翌日まで脚を引きずり加減になってしまった。さらに、飼い主に不振の目を向けつつ(そのように見える)戻った自分の巣は、「きれい好き」のデコによってすっかり片付けられてしまい、努力して集めた巣材は跡形もなかったのである。彼の無念や思うべしだ。
 わびるとともに、新たな巣材をご提供申し上げたのは言うまでもない。以後気をつけねばなるまい。

 続いてシロのクチバシ事件。
 普通文鳥のクチバシは、多少変形して見えても、エサを食べる際にすり合わせることでもとの姿に自然に戻るものだが、シロは妙な癖がついてしまったのか、先天的に問題があるのか、下クチバシが受け口状になって元に戻る気配がない。むしろ、時間が経つにつれ上下の噛み合わせが左右にずれてきてしまった。このままではますます変形してしまい、やがてものを食べるのも難しいという事態になるかもしれない。
 そこで、数ヶ月前も下クチバシの先端を切ったのだが、さらにゆがみの原因と思しき箇所(下クチバシの先端へと続く部分)を人用爪切りで整形してみた。ところが、この際に少々深く切ってしまい、血がにじんできたので慌ててしまった。
 今思えば、にじむ程度だったので放っておけば良かったのだ。しかし、慌てた頭で線香で消毒は難しいとまず考えてしまい、さらにヨード傷薬が目の前にあったのがいけなかった。気軽にちょっと塗っておこうとして、引き結ばれたクチバシ横に一滴たらそうという瞬間に、シロがそれを吸ってしまったのだ。ちょっと垂らして、すぐ逆さにすれば飲み込まずに済むと何となく思っていたから、さらに慌てることになった。クチバシ横についた液体を飲み込むのは条件反射のようなものなので、ここはティシュにヨードを染ませて、患部に当てれば良かったものを!と舌打ちしても手遅れで、ヨードを半適ほど飲み干したシロの身を心配することになったのだ。
 結局、毒物というものでもなく量も少なかったので、シロは元気でクチバシの変形も収まったのだが、思い付きの行動の危険を、改めて反省しなければならない。

 さらにデコのパニック事件。
 朝のエサ交換時間、キューとハルが連れ立って床をウロウロしていた(飼い主は横でエサを交換している)。そしてキューが飛び立ち、続いてデコが飛び立った時、異変が起こった。と言っても、間抜けにもデコが目の前のカーテンに阻まれて前に進めなくなったに過ぎない。これは間仕切りのカーテンで、上も下も開いているのだが(この間仕切りの下を徘徊していたのである)、かなり鈍くさいデコはそのあたりの事情など飲み込めず、カーテンの向こう側でホバリングを続けるばかりだ。
 カーテンのこちら側でそれを察知し、早々に、しかし驚かせないように、カーテンを出来るだけゆっくりと開けてやったのは言うまでもない。ところが、嗚呼!神よ!何ということか、かえってデコは視界が開けたことに驚き、回れ右をしてあらぬ方向に飛んでいってしまったではないか!
 混乱した彼は風呂場へと入っていったので、湯船に残り湯があったら一大事と考えて後を追う。幸い、残り湯はなかったが、おびえた表情のデコがこちらを見ている。困った。放っておくと永久に出てこない気がするので、とりあえず、何とも甘い声で呼びかけつつ、極々ゆっくりと右手を差し出してみた。しかし、悪魔よ、やはりと言うか、デコは猫なで声の飼い主の脇をかすめて飛んで出て、天井近くを周回・・・そして落下音を残して姿を消したのだった。そして静寂が訪れた・・・。
 デコという文鳥は、そもそも初飛行で家具の裏に入り込み、さらに以前にも同じような状況でユニットバスの裏側に落ちたことがあった。従ってこちらも、慎重に対処したつもりだったのだが、結局同じ事態に陥ってしまったのは、実に遺憾千万なことと言えよう。
 腹が立ったのでしばらく何もせずにいたが、物音一つしない。そうなると、避けようもなく不安がのしかかってくる。墜落の際打ち所が悪かったのではないか 。
 これは是が非でもその姿を確認しようと、狭いところを覗き込んでみる。しかし、死角入っているようで、ますます焦燥は募るばかりとなった・・・。
 結局、近くの窓を開閉したところ(網戸付き)潜んでいたデコが驚いて飛び出し、「文鳥団地」裏にやって来て、ビニールシートの向こうに落ちた。そして、こちらに来れないともがいているのを、舌打ちしながら何とか追い出し、指に乗せてご帰還頂いた。当然ながら、見慣れた場所なら手を出しても逃げないのだ。
 デコの場合、わざわざすき間をついて落ちていくので、完全に防御するのは難しい。とりあえずパニックにならないように、さらに慎重に対処せねばなるまい。

 最後にキタの失踪事件。
 キタは夜の放鳥時間の終盤になると、自主的にカゴに帰っていることが多い。帰ると飼い主の目線より高い位置にあるつぼ巣に、妻のゴンとともぐりこんでしまうので、その所在を確認することは難しい。
 昼、家人が呼ぶので行ってみると、ダイニングと言うより放鳥部屋をキタが飛び回っている。カゴには特に問題はないし、キタには開閉口を持ち上げて家出するような器用さはない・・・。
 不思議に思いつつ、とりあえずゴンの待つカゴの開閉口を開け、キタを「文鳥団地」方向へと追い立て、しばらく放っておく。ゴンがカゴの外に出て、迎え入れる形でたたずみ、キタも少し離れた位置で落ち着いた様子になったところで、ゴンのカゴに向かうように軽く追い立てるようにして促す。すると、簡単に自分でカゴに入ってくれた。そして、帰ったキタは、一所懸命エサを食べているではないか!
 そうなると、かなり長い時間外に出ていたと考えた方が良さそうだ。するとこういった推理が成り立つ。前夜、放鳥時に隣の部屋(家人の寝室)に入り込み、朝「文鳥団地」や放鳥部屋で例の若文鳥たちが遊んでいるのも気にせず逼塞していたキタは、昼間になって空腹に耐えられなくなり、ようやく人の気配を感じて飛び出した・・・。
 何しろこの文鳥は、家に来た当初飛び慣れずに妙な所(ベッドのすき間)に落ち込み、身動きせずに(なかば出来ずに)いた危険な過去があるのだ(デコ同様にもがいて自力脱出を試みるようなことを一切しないので、物音がせず、どこにいったか探知するのが難しい。この時は、散々いろいろ探し回り、ベッドの上に乗って見回してもいたので、その足元にはさまっていたのを発見した時はぞっとした)。
 やはり、なるべく帰宅確認につとめねばなるまい。

 いずれも大事故にならなかったが、油断は禁物だ。心せねばなるまい。

2007・1
 人々をひきつけて止まない白文鳥君たちの姿が堪能できるHP『文鳥の尻尾に恋してる』とリンク致しました。

 デコの嫁候補は白羽の多い大柄な文鳥にしようと考えていた。何しろ、ゲンやヤッチに憧れ、憧れるどころゲンの上に乗ろうと試みるほどだから、それがタイプに相違ない。ところが、色の濃い細身のカナにかしづくのだから、世の中わからない。
 一方のカナは徐々にデコへの親近感を強めつつ、実は外見的にはキューの方がタイプらしい態度を示す(デコを置いてキューに付いて行こうとする)。 ところがキューの方はドライで、こだわって付きまとうようなことは一切せず、回転鏡に映る自分の姿にアタックを繰り返すばかりだ。
 このままよくわからない三角関係が続くだけなら良いが、何らかの拍子に、何となく仲の良いキューとデコがいがみ合うようになってはつまらない。この際 もう一羽迎え入れ、とりあえず四画関係にしてしまうべきではあるまいか?

 飼い主としては、あまり同じタイプばかり増えるのも剣呑なので、白羽が多いゴマ塩的な文鳥を探したいところだった 。しかし、現在進行形で色の濃い美形タイプを追い掛け回すデコに、そういった文鳥を見せても相手にしない恐れが多分にある。一方、色が濃い自分の姿が最も好きなキュー に至っては、霞みのごとくに無視する可能性が高いように思われる。やはりカナと同じような姿のメスの桜文鳥が無難だろう。
 そこで、7日、センター北に行く。ここには大きなペットショップがあり、常時数羽の文鳥がいるので、あまりいろいろと見て回る時間がない時は重宝なのだ。
 ・・・いた。オスとメスに分けて入れてあり、それぞれ白、桜、シナモン、シルバーと全色一緒に入っている中に、桜のメスは2羽。そのうち 1羽は一目で合格、もし以前の嫁探しの折に見かけてもすぐ買ったと思われる私のタイプの顔つきだ。もう一羽の目の小さな桜の脚には、弥富産シールがあるが、 この気に入った方にはそのシールがない。説明書きには値段3990円とあり、台湾産となっている。もしかしたら台湾産かもしれない(台湾産は白文鳥が主になっていると考えている)。しかし、どこで生まれようと 個人的にはどうでも良いので、店員のお姉さんに購入の旨を伝え、そのご親切なマニュアルにそったご説明を受けた後、中型インコなどを入れる大き目のダンボールに入った文鳥を持って一目散に帰る。

 セン北出身の2羽目、はじめはキタと名づけたので、今度はセンとなるのが運命だ。
 このセンを数日間隔離している間も、情勢は変動していった。とにかく黙って付き従う、実にうっとうしく見ていていら立つようなデコの戦術が功を奏し、ついにカナと一緒につぼ巣に入るまでにな ったのだ。一方のキューは、相変わらず鏡と戯れている・・・。
 11日にセンを「文鳥団地」に移し初放鳥。そこでセンに近づくデコに(動作が鈍いが恋愛は素早い)カナが嫉妬する様子が見られ、キューには特に変化が無く無関心なので、デコとカナを「文鳥団地」左棟3階左で同居させ、1階のキューの横にセンのカゴを置いて、お見合い状態にした。
 キューとセンのカップリングには時間が必要になると思っていたが、ここで恐ろしい偶然が起きる。実に都合の良い事に、センが放鳥時にいまだ誰も止まらなかった自然木止まり木でくつろぐようになり、その枝元に設置してあるつぼ巣を根城とするキューと接近するようになったのだ。お互い意識すれば、カゴも隣合わせなのだから、若いふたりの接近も早かった。14日には、一緒にその枝元のつぼ巣を他の文鳥(カン・ハル)から守ってきずなを強め、そのまま一緒にそのつぼ巣に入り、ここぞとばかり同居させると、たやすくそれは成功したのだった。
 そして、3階だとデコが帰宅拒否をするので、1階に移し、一連の嫁取り騒動はめでたく終結した。結果よければすべて良しだ。

 その後、カナは15日頃には産卵を始め、センも28日頃には産卵を始めた。キューもデコも抱卵を交代で行い、巣作りに励んでいる。特にキューは、ヘイスケ系の後継ぎにふさわしく、つぼ巣にあふれんばかりの巣材を詰め込み、妻よりも熱心に抱卵している。
 孵化させたい気持ちもあるが、すでに限界基準の20羽を超え22羽となっているので、それぞれの二世の誕生は、秋まで待つことにする。この若いカップルから同時期に1羽ずつ孵り、それがオスメスで仲良しなら100点満点だ。正月なので夢を描きたいところだ。

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