過去のノート
2009・12

 生後半年ほどのノコリは、おそらく4歳のコウと夫婦となった。巣作りもする。抱卵も手伝う。しかし、夜になると元のカゴに戻さないと眠れない・・・。そして、朝になって飼い主の顔を見れば、コウの待つカゴに連れて行くように要求し、望みどおりにしてやると、つぼ巣のコウのもとに「グルルルル〜」などとのどを鳴らしつつ入り込むのだ。あれは、「飼い主に違うとこ連れてかれちゃうんだよ〜」などと言っているに相違あるまい。
 何と面倒なことか、飼い主はウンザリしながらも、このような行動は長くは続くまいと思っていたが、きっちり1ヶ月も続けてくれた。そして、まさに5日、本日ただ今、コウのカゴに放り込み、どのような要求(カゴの前面に連続文鳥キック)があっても無視し、正常な夫婦生活に入らせたのであった。

 自分の毛布を持ち歩く小僧のようなノコリだが、生意気にもコウの産んだ卵は有精卵であった。しかし、孵すにしても、ノコリがもう少し落ち着いてからの方が無難なので、春まで待つつもりだ。
 一方、いつでも孵化歓迎のアトとメイの卵は、ことごとく無精卵となっている。これでは顔も態度も大きなアトの子孫を残すのは難しいと考えていたところ、アトの母、つまりは顔の大きな元祖であるマルが、21日に亡くなってしまった。
 衰弱して運動困難になりつつも食欲が維持されていた様子は、ソウやカンと酷似しており、やはり胆のう腫だったのではないかと思われる。前日、上段の止まり木に行けないようなので、下段にもつぼ巣を設置したが、そこで静かに亡くなっていた。
 マルがまさに目の色を変えて産み育てたアトは、子孫が残せないなら残せないで、長生きして我が家で君臨してもらいたいと思う。
 マルに先立たれたシンは、一羽あぶれているメス、シナモン文鳥ニッキと夫婦にさせようという、飼い主のあからさまな思惑を完全に無視し、桜文鳥と白文鳥の亭主持ちのメスばかりに興味を示している。今後どうなるものか、先行き不明だ。

 11月下旬、「文鳥団地」の室内温室化した。つまり、ビニールカバーをかぶせたのだ。今年は暖冬では無さそうな気配だが、元気で寒さを乗り越えてもらいたい。
 なお、有り難いことに、運動障害になりバリアフリーカゴに居住するオッキが、寒さに負けずに元気だ。毎晩テーブルの上を徘徊し汚れてしまうので、一週間に一回ほど、人肌のお湯に頭以外を浸して洗ってやることにしたのだが、血行を良くする効果があったようだ。さらによくなって欲しいが、とりあえずは高望みせず、現状維持を願っておこうと思う。

2009・11

 10月9日夜の放鳥時間中、我が家の最長老ノロが家人の手の中で亡くなった。
 今年の初め頃から、飛んで上昇が出来ないといった老衰現象があらわれ、徐々に運動障害が進行していたが、それでも食欲はあった。しかし、前日夜から元気がなくなり、翌日重態化して静かに亡くなったのである。
 我が家に来て約8年、猫背で小柄なのんびりとした愛嬌のある文鳥であった。合掌。

 さて、死あれば生ありで、アトとメイの2世の誕生を、昨年来待っている。何しろアトの父は白文鳥で、妻のメイも白文鳥となれば、これは白文鳥のヒナを久しぶりに育てられる可能性が高いはずなのである。もちろん当てが外れて父似の顔の大きな桜文鳥が生まれてきても、それはそれで喜ばしくなるものなので構わない。
 このように期待しているのだが、昨年順調に孵化したヒナは、生ゴミとして箱巣の外に片づけられてしまい、飼い主が気づいた時にはカゴの底で息絶えていた。その後は無精卵が続き、春には産卵すらしなくなった。
 産卵しなくなった理由はわからないが、実はメイが高齢なためではないかと疑っていた。その場合2世誕生は難しいことになる。しかし、産卵数が減っていったり、卵が小さくなるような前兆もなく、産卵が止まると言うのも妙なではあった。
 そして、今シーズン。先月の最後に触れたように、メイに産卵の気配があり、巣ごもりを始めたので、今度こそはと抱卵開始から数日待って検卵したところ、・・・卵がなかった。卵がないのに巣ごもりするとはどう言うことだろう?やはり食卵だろう。そこで、何もなかった箱巣に擬卵を置いてやったのであった。
 中旬には、おそらく擬卵効果で、卵は食べる物ではなく温める物と認識を改めた夫婦が、新たに生み足した卵を熱心に抱卵するようになってくれた。さてこそ、と思ったのだが、数日後、これがすべて有精卵ではないことが判明する。
 無精卵なのか、それとも受精はしていても抱卵に問題があって細胞分裂が起きないのか。とにかく、この夫婦の抱卵能力は疑わしいので、11月になって新たに産んだ2個は、抱卵中のテン・カエ夫婦に預けることにした。受精卵なら5、6日すればはっきり有精卵とわかるはずだ。もし、無精卵なら、この夫婦の2世計画は、いちおう諦めるしかないだろう。

 10月30日、最大の過失事故を起こしかける。朝、いつものように一部の文鳥たち、出す順番で言えば、ノコリ・イブ・シュー・ラック・キュー・シズ・アト・ポン・テン・デコ・カナ・ハルをカゴから出し、エサの交換と青菜の設置を行っていた。
 その作業の最中、ボンヤリと別のことを考えていたのは、完全な油断であった。位置を変えようとした右脚の裏に、スリッパ越しに軟らかいものの感触がして、とっさに降ろしきる前に持ち上げた。そこにはカナが一瞬倒れていて、拾い上げる前にバタバタと1メートルほど飛んで奇声を上げた。
 とんでもない事になった。産卵間期で動きが少々鈍いカナは、そのくせ巣材を求め、スリッパか靴下をねらって後ろから忍び寄ったのにまるで気づかず、いつものすり足を怠って少々足を持ち上げていた下に入ってきたわけだ。
 捕獲してざっと見るが、特に骨折した様子はない。開口呼吸もしていない。完全に踏まなかったので、体内の気嚢がエアバックの役割を果たし、内蔵を損傷させるに至らなかったのかもしれない。とりあえず、カゴに戻す。
 後から気嚢破裂が起きるケースがあるらしいので、ショックのためか、それとも気嚢の空気が圧力で散じた影響で元気がないカナを不安な気持ちで見ていたが、2日後にはほぼ正常に戻り、3日目には元通りになってくれた。
 今後はさらにすり足を徹底したい。

 さて、夫に先立たれたコウは、一週間ほどまるで喪に服しているように静かだったが、その後ボーイハントを始めた。濃い桜文鳥のオス(実はメスにも・・・)の近くに寄って胸を張るのだ。本命はポンらしい。しかし、しばらくして生後約半年のノコリの方から、コウに接近していくようになった。
 コウはおそらく4歳だ。亡くなった夫のノロとは、年齢に差のある夫婦だったが、それにしてもノコリは亡父のひ孫である。釣り合わないだろうと飼い主は思ったのだが、ノコリの方が執拗に同居させるように要求するようになったので(放鳥時間にコウのカゴの上に居座る)、11月に入って同居させた。しかし、これもノコリの希望で(夜にコウのカゴに入れると落ち着かない)、夜は別居させる中途半端な状態だ。
 今後仲の良い夫婦になってくれるのか、先が読みにくいだけに興味深い。

2009・10

 9月8日夜になって、動きが悪くなり、翼を垂れ、眠たげな芽で、軽く開口呼吸をし、食欲がないゲンに気付き狼狽した。それでも天井近くの掛け時計まで自力で飛べるほどであったが、翌朝にはカゴの底で冷たくなっていた。何とも急であった。
 急に亡くなる文鳥は親思い、長患いの末に亡くなる文鳥は親孝行だと思っている。親とは育ての親の飼い主のことだが、急死は多大の衝撃をもたらすものの、それ以前の物理的・時間的な負担は少ない。長患いは物理的・時間的負担となるが、それだけ心の準備も出来てくる。
 親思いのゲンが旅立ったことで、同居鳥のシナモン文鳥ニッキが独り身となってしまったが、ケンカはしないものの夫婦といった感じでもなかったので、特に何の感慨もないにようだ。その後、夜な夜な精力を余している若い文鳥(特にラック)との不倫関係を続け、夜の放鳥を心待ちにする生活となっている。
 ゲンの息子のヤッチが独り身なので、これと一緒にするのが順当なのだが、あいにくヤッチはニッキの存在など眼中にない。また、心身ともに病んでいるように思われる我が家の箱入り息子は、前妻のクチバシにおびえた過去もあり、無理に同居させれば、どういった事態が惹起するのか予測出来ず、危険なことは避けたいところだ。とりあえず、ニッキにはしばらく独身生活を楽しんでもらおうと思う。
 一方、長患いで親孝行を続けているオッキ。劇的に回復することはないものの、悪化する様子もなく、運動障害を抱えながらも食欲旺盛で、むしろ頼もしげではある。まさか体調を崩した妻オッキを邪険に扱った夫ゲンが先立つとは思わなかったが、先立った元夫の後をすぐに追う気遣いはなさそうだ。ただ問題は、冬の寒さになるかと思われるので、今後さらに気をつけたいところだ。

 秋、繁殖シーズンとなった。初産卵となるシューも、顔色一つ変えずに7個産卵したし、12代目に母になる予定のマキも8個産卵した(1個が異常に小さい)。何があるかは予測できないので、可及的速やかに子孫を残した方が良いのだが、定員(20羽)を大きくオーバーしているので、今シーズンは孵化を控えねばならない。
 文鳥をたくさん飼育していると、何かすごい事のように思ってしまう人がいるかもしれないが、増やすことなど簡単で、ある程度の数でキープする方がはるかに難しい。何しろ飼い主のコレクター的欲求としては、いろいろな品種を飼いたいし、お店でかわいいヒナを見かけたら連れて帰りたくもなる。当然、特に深い考えなしであっても、買えば買っただけ増える。しかも、繁殖上手のペアがいたら、年に3回5羽ずつ孵化させれば1ペアで15羽増えることになるのである。
 我が家の場合だと、現在6ペアとしても1年で90羽の「生産能力」があるわけで、100羽にしようと思えば数ヶ月で目標達成可能なのだ。
 ヒナに餌づけする楽しい夢と、文鳥たちで部屋が埋まり満足に世話できなくなる悪夢を比べつつ、さらにせっかく続いている血脈を継続させようとするのは、なかなか難しい話と言える。とりあえず、さらに誰か亡くなるのを待つようで、その点心情的には如何なものかと思わないでもないが、現実を冷静に受け止め一年は我慢だろう。
 さはさりながら、アトとメイの2世計画だけは先延ばしに出来ない。何しろ、メイが産卵をやめる気配があるのだ。それに、この夫婦の子なら、白文鳥が生まれる可能性が高い。そして、そうそして、その子がメスになってくれたら・・・、きっと、ヒナ換羽を終えて絶好調のノコリと夫婦になってくれるはずだ。何しろ、ノコリはアトを師匠とあがめて付け回しつつ、その女房のメイにはさえずっているのだから、どちらに似たところで好みなはずなのだ。
 そういうわけで、飼育羽数の抑制を肝に銘じつつ、アト2世の女の子の誕生を祈っているのだが、今日10月5日まで産卵なし。もしかしたら、産んでも食べる食卵癖の疑いもありそうだ。今年ヒナの顔を見るのは難しいかもしれない。

2009・9

 8月4日に冊子の飼育本を作ろうと突然に思い立ってしまい、その後ちょこちょこと書いてはいます。
 日の目を見るのかは不明ですが、当然ながら、いらない細部ばかりばっちり考えています。例えば、名称は『文鳥と暮らすための本』、著者名は文鳥屋雀坊とするつもりです。しかし、知らない人には絶対に怪しまれるので、いちおう著者プロフィールとして本名を書き、ついでに何の関係もない学歴もあれば喜ばれるかもしれません。いや、むしろ個人名より『文鳥屋出版部』監修、などと適当に書いてしまった方が、何となくありがたく感じる人がいるかもしれまいぞ、と言った感じです。
 著者名は後で考えることにして、もっと余計な表紙の絵柄(白黒である)を真っ先に考案し、おそろしく単純なデザインに気をよくしてから本文に取り掛かりました。そして、難渋しています。本文は散々書き散らしている内容なので、迷わずに書けるのですが(誤字脱字などの見直しはまったくしていない)、ページの隅に貼り付ける写真に少々手間取っています(ほとんどのページに無意味かもしれない白黒写真を貼り付ける)。昔の写真を掘り起こすのが楽しくて、選んでいるうちに書くのを忘れるのです。
 おかげで、前文・1〜3章・後文のうち1章の3分の2ほど、ページにして25ページの下書きしか出来ていません。どれくらいの量になるのか正確にはわかりませんが、まだ6分の1くらいでしょうか。期待して待たれる奇特な方がいても、完成ははるかに遠そうです・・・。長すぎる目で見て頂ければと思います。

 例年よりはしのぎやすい日が多かったようで、文鳥たちにも、特に問題はない一ヶ月だった。
 事件と言えば、オッキがつぼ巣の裏に挟まった件くらいだろうか。あれも発見が遅れたら、大事件になっていたには相違ない。
 オッキは相変わらずで、飛べない鳥になっているものの、食欲は旺盛で換羽も続いていた。やはり暖かいと動きやすいのか、好調な日も多く、何とか飛ぼうとリハビリをするような時もあった。そして月末29日。朝、窓を開けオッキのカゴを見ると、姿が見えない。これはいつものことで、つぼ巣の奥にいると見えないのだ。この日もそれだと考え、一部の文鳥たち(ハル・キュー・シズ・デコ・カナ・ポン・テン・アト・ノコリ)をカゴの外に出し、エサの交換と小松菜の設置を行っていた。
 通常は、この作業中にオッキはつぼ巣から出てきて、新しいエサを食べつつ、カゴから出て湯漬けエサをもらうのを待つのだが、この日は姿を現さない。ここでようやく異変に気づき、カゴの中をよく見たところ、つぼ巣の後ろからこちらに向かってクチバシを開け必死の形相をしたトゲトゲの頭を持つ物体の存在に気づいた。気づいたと同時に肝をつぶしたのだが、行動としては速やかにカゴに手を入れ、その物体を救助した。
 その物体、オッキは、つぼ巣を少しずらすと自力でよろけ出て、片方に傾きつつ片翼を少し持ち上げるしぐさを繰り返す。とりあえず、他の文鳥たちが放れているので、そのままにして作業を急ぎ、ノコリ以外を帰宅させてからオッキを取り出した。
 有難いことに衰弱は激しくなく、湯漬けエサは少ししか食べなかったが、湯漬けエサの「青汁」を給餌スポイトから何回も飲んでくれた。
 その後、つぼ巣に戻して安静にしたところ、数時間で本復した。
 目撃談によれば、オッキはその早朝に自主トレなのか、飛び跳ね行動を繰り返していたそうだ。結果、それが成功したのかたまたまなのかは知らないが、下段のつぼ巣の上に飛び乗ることに成功したのだろう。ところが、降りようとした際によろけてしまい、つぼ巣の裏に脚を落とし、もがくほどにつぼ巣とカゴ側面のすき間を押し開けるようにジワジワとはまり込んでしまい、そこを発見されたわけだ。
 助かれば笑い話だが、寝坊して発見が遅れたら取り返しが付かなかった可能性がある。そこで、早速つぼ巣の上に棚を設置して隙間のないように改良した。これにこりずに、自主トレに励んでもらいたい。

 ノコリはアトの弟子となり、当然のようにブレイ流をほぼ習得し、ヒナ換羽も終わりに近づき、当然ながら、手の中に入ったあの天使の面影は消え失せている。
 一時的に帰宅拒否の「不良」となりかけたが、嫌々ながら指に乗って帰る素直さは残ってくれた。現在は、親指に欲情し交尾の真似事をするようになった。・・・育ての親として成長を喜ぶべきなのか、遠い過去を思って悲しむのが普通なのか。やはり、喜ぶしかないだろう。

 少し気がかりなのはノロとクラだ。
 おそらく9歳になるノロは、徐々に運動能力が低下し、飛行困難になりつつある。それに比べればまだ若いはずのクラは、片目が外傷性の白内障で失明状態のため強く飛べなかったためか、こちらも飛翔能力が低下し、放鳥時間もカゴから出てこない引きこもり文鳥となっている。
 老いは止められないが、ゆっくり年をとって欲しいところだ。

 そのクラの後妻であるミナは、長らく続いた禿げ状態を脱し、まともな白文鳥に戻ってくれた。クチバシが小さく頭は扁平のちんくしゃ顔だが、それはそれで愛らしい。
 今のところ老け込んだ夫を無視して浮気をするようなこともなく、時折カゴに戻って夫の様子をうかがう姿は感動的だ。この際、夫のデコの前でも平気で複数のオスと浮気しようとするカナに、爪の垢を飲ませようかと本気で考えている。

2009・8

 わりに平穏な一ヶ月だったかもしれない。
 もっとも、7月末になって放鳥部屋のテレビを新調したのが文鳥たちに甚だ不評で、まだ元通り安心した状態になっていないので、文鳥たちにとっては平穏でもなかったかもしれない。

 オッキの体調は少しだがよくなっているように思える。相変わらず、バリアフリーのカゴで生活、朝、午前、午後に手の中で湯漬けエサや枝豆を食べる生活を続けているものの、夜の放鳥時間はほとんど手から離れてテーブルの上を動き回り、それもゆっくり歩くのではなく、気持ちが急いてバサバサと翼で歩くような感じになっている。
 一時収まった換羽が再開し、時間をかけて完全に生えそろうようだ。とりあえず真夏でも20W保温電球をつけっぱなしにしているが(たまに保温器の近くにたたずんでいる)、冬場にはより強力な保温体制が必要になる。今から考えておかねばなるまい。

 ノコリは順調だ。決してその姿を飼い主には見せないが、さえずりの秘密特訓をしている。当然のように、まったくもってのもっての外の腕白で、オッキのエサを掠め取るは、尾羽を引っ張るは、あらゆるカゴを冷やかして回るは、挙句に我が家ナンバー1の暴れ者アトに弟子入りして、その後を付け回す始末だ。
 ヒナ換羽中で頭の後ろ半分が真っ黒になっている。問題はアゴが父に似て白いか、母に似て基本的に黒いかなのだが、これはまだわからない。飼い主は、アゴが半月状に白い方が好きなので、そうなってくれたらと思っている。
 当初ノコリとオッキが同居できないものかと考えていたし、何故かノコリはオッキのカゴが好きで留守中に入り込んでは、エサを食べ散らしブランコにケンカを売り巣を破壊し、を繰り返している。そんな暴れん坊と病鳥を一緒には出来ないので、同居などと言う選択肢は宇宙の彼方に破棄し、ノコリのカゴを置くために以前使用していた『メタル室内温室』を復帰させた。これで冬も大丈夫だ。

 ノコリのかごの横にスペース、その下にもスペース・・・。3つカゴが置けるが、誘惑に負けず、今年は繁殖を控えねばなるまい。

2009・

 一年ほど硬直化していた、初心者を意識したと言うか、いろいろなことをおちょくってやろうとする底意地の悪い飼育本的書き物『「教えてさん」ど〜んと来い!』を少し書き進めました。

 オッキの体調は悪くもならないが良くもならず、バリアフリーのカゴで生活、朝、午前、午後、夜に手の中で湯漬けエサや枝豆を食べる生活を続けていた。
 それが7月になって調子が良くなってきたらしく、積極的に手から離れて動き回り、上方を見つめて飛びたそうにするようになっている。もしかしたら、より回復して健常に近づいてくれるかもしれない。期待したいところだ。

 ノコリは順調に成長し、あっさりひとりエサになってしまった。
 今はまだ手の中に自分で入ってくる、天使の贈り物であるが、悪魔的なつねり攻撃も習得して悩ませてくれてもいる。性格は賢く手間がかからないが、結構気の強い面もあり、手の中でエサを食べるオッキに嫉妬してか、わざと踏んづけて行ったりする。
 こうした態度は、人間ならどちらかと言えば女性的?かもしれないが、手の中でギャルギャル威嚇鳴きをするのは、文鳥のオス的だ。外見は少し小柄で引き締まった母似のオスになるのではないかと予想している。ビジュアル面に優れたジャニーズ系だろう。

 シンは我が家に来て丸2年になるが、この間おやつのあふれるテーブルの上に降りて来ず、放鳥時間中お腹が減るとカゴに戻って食べるという生活を続けてきた。それが、何をきっかけにしたのか、一週間ほどの間、降りて来ようとテーブル上を旋回したり、近くから見下ろしたりした挙句、降りて来るようになった。今では、テーブル上のエサに味をしめ、お腹が減ると降りて来て食い散らしている。シンは姿が立派で美しい白文鳥なので、近くで見られるようになりうれしい。
 一方、一緒に我が家にやって来たメイは、テーブル上に何の興味も示さず、放鳥中カゴに戻ってエサを食べるようなこともしない。これはかなり変った文鳥かもしれない。
 我が家にやって来て数ヶ月のマキやニッキもテーブルに降りて来ないが、こちらは時間の問題のような気がする。マキは自分でカゴに頻繁に帰るので、テーブルに降りる必要性は無さそうだが、最近テーブル上空を旋回することもあり、一方のニッキはあまり利口ではなさそうなので(外掛け水浴び器をはずして出入り口を開けないと外に出られない。隣の開閉口は開いているのにである)、そのうち落下してきて何となく常習化するように思える。
 早く朱に交わって赤くなって欲しいものだ。もしくは、郷に入らば郷に従ってもらいたい。

 それにしても、定員20羽のはずが27羽になっている。個々に見れば必要性があってのことだが、やはり来シーズンは繁殖を控えねばならないだろう(我が家の飼育環境で産卵を止めるのは不可能なので、卵を擬卵に換え続ける)。少し残念ではある。

2009・6

 激動の1ヶ月、そして現在も進行中だ。

 今年になって運動障害(飛行困難化)の症状が見られたオッキが、換羽中の11日になって一気に危機的状態となった。クチバシを軽く開け閉めして呼吸し、歩行もままならなくなってしまったのだ。はっきりと危篤で、外に持ち出し途中で暴れられたら心臓が止まるように思われたので、通院はやめた。病院に行かない後悔と行った後悔は誰しも両方感じる可能性があるが、通常病院に行かない後悔の方が大きいように思える。だが、個人的には行った後悔だけはしたくない。
 とりあえずカゴをバリアフリー化し(つぼ巣を下段にも設置し、床面を上げ、エサや水を摂りやすくする)、養生に努めてもらうことにした。
 そして、幸か不幸か、オッキは急逝を免れ、療養生活に入った。当初、オッキとゲンの夫婦は、幼友達でもあり、仲が良く、お互いの毛繕いが高じてハゲてしまうほどであったから、ゲンは病気の妻の心配をし、その養生の妨げになるのではないかと思われた。ところが案外冷淡で、自分の隣にいて毛繕いをしたりされたり出来ない限りは、妻として認めない、といった態度を示す。下段のつぼ巣には寄り付かないのだ。
 我まま気ままな性格の方が、むしろこちらは気が楽だが、離婚状態となれば同居にこだわる必要は無い。オッキの方も、別にゲンに未練は無さそうなので、一羽にした方が食事などの邪魔をされずに養生できると考えた。

 しかし、すぐに別居させてしまうと、換羽が終わり元気はつらつな大男ゲンが、後妻探しを始めてしまう危険が非常に大きい。ほとんど必然といっても良い。となれば、候補のメスはみな夫持ちなので(独身のメスなし)、これは騒動とならないはずがない。しかも、恋愛対象を絞った後になると、その文鳥に外見的に似ていないと、いかに外部からメス文鳥を連れてきても相手にされない可能性が高まる。
 そこで、15日に鶴巻橋(最寄り駅は蒔田町)の鳥獣店に行き、シナモン文鳥のメスらしき者を買ってきた。マキを取寄せてもらった際に、この店にやたらシナモンがいたのを見ていたので、後妻にするなら今まで我が家にいなかったシナモンにしようと思ったのだ。
 お店では、同居しているオスらしきシナモンと仲が悪い様子であったことから、メスかどうか懐疑的であったが、我が家に来て隔離中もさえずることなく、めでたく21日にゲンと同居させることが出来た。
 名前はシナモン=ニッキの一種なのでニッキとした。なかなか丈夫そうな体格で、色合いも悪くない、赤い目をした、人間のことが大嫌いで、お粗末な飛翔能力で、少々頭の回転が鈍いらしい文鳥だ。
 当然のように、当初ゲンに迫害されていたが、6月5日現在、かなり仲良くなってくれている。

 さて、この騒然たる状態の最中、まさにオッキの急変の翌朝、オッキが亡くなっているのではないかと心配している飼い主の耳に、幼いヒナの鳴き声が聞こえてきた・・・。またやっちまったか、と思いつつ隣カゴのつぼ巣を覗けば、赤剥けのヒナの姿があった。ハル・エコの検査漏れした1個の卵が孵化したわけだ。
 このヒナ、残りものから生まれたのでノコリ、通称ノコは、隣カゴのオッキの世話で騒々しい中でも何の問題もなく育ち、25日に親鳥から引き継いだ後も(「発覚」時には既に孵化数日経っていたようで、この日孵化16日目のヒナの外見となっていた)、特に何の異常も見せずに成長し、6月5日現在、羽ばたき練習を始めるまでに育ってくれている。
 静かで少しおっとりしているものの、姿は端整で賢げで、将来が楽しみだ。

 オッキは、1羽でのんびり療養生活を送っている。病中も食欲はあり、手の中で食べるエダマメと湯漬けエサをことのほか喜び、換羽も進行しハゲは隠れたが、病状は徐々に進んでいるようで、6月5日本日、多少排泄困難の様子を示すようになった。
 正月から嫌なのでしっかり見ないが、やはり胆のう腫の線が濃いのかもしれない。ヒナの時からよく食べ巨体であったオッキには、食べ続けて欲しいところだ。

2009・5

 季節の変わり目だ。
 6日に箱巣をつぼ巣に換え、11日に家の外にヘビの忌避剤を撒き、14日に「文鳥団地」のビニールカバーを撤去した上で、土台の板を取り替えた。・・・この月の前半の活躍で、飼い主の余力がゼロとなったのは言うまでもない(カゴの掃除を順次しないといけないのだが・・・)。

 くたびれ果てた飼い主に対し、文鳥たちの多くも換羽のため、パワー全開とは言いかねる状態であった。ただ、キューなどは、むずかゆさからのイライラを、飼い主の指で晴らそうとするので、飼い主にとっては、勝手に飛び回られる方がましな状態と言えた。
 そのキューの換羽は平均的に豪快で、ざっと抜けどっと生え、イライラしながらも徐々に元の姿や態度に戻ってきている。そのキューの父のヤッチはジワジワと換羽を続け、はなはだ活動的ではないが、とは言え精神衰弱に陥ることも無く、水浴び場を他の文鳥たちに譲らない意地悪ジイさんの態度を示している。そしてその父のゲンは、前頭部のハゲが治るなど順調に換羽が進んでいる。また、ヤッチの母のオッキは、息子以上に飛翔がヘタな文鳥になってしまったが(歩くのは早いんだな、これが)、食欲もあり元気ではあるようで、尾羽から換羽し始め、頭部のハゲも換羽する気配だ。
 その他も今年は換羽が順調で、5月初旬現在換羽の様子が見えないのは、昨年生まれの3羽と、産卵継続中のエコとマキ、それと得たいが知れないクラくらいだ。最も換羽して欲しかったミナ、産卵を続け、ハゲ過ぎて文鳥外生命体に成り果てていた彼女も、今年はかなり大掛かりに換羽してくれている。また、お腹がむき出しになる派手さで、一気に換羽したシンは印象的であった。

 そんな中マキは換羽せず、相変わらず抱卵に励んでいるのだが、今回の卵ははっきりとイブのものであるらしい(交尾したか否かは不明。マキがイブの卵と思って産んでいるらしいといった意味)。
 前回の抱卵中は、同居のイブが巣の上を定位置として巣の中にはこだわらなかったため、巣を守護してくれていると思い違いをしてくれ、おそらくイブ以外のオス(ラックか)との間の卵を独力で暖めつつ、イブに好意を寄せるにいたるという、不可思議な現象が起きた。
 その間イブの方はまるで無自覚で、弟分(当然オス同士)のラックを慕い続け、放鳥時は付け回し、隙あらば一緒のカゴに入ろうと努力を続けていた。しかし、マキの抱卵が終わり、次の産卵行動に移った際に、一方的な好意の的となっているので気が変わったらしく、マキとの仲が急速に縮まり、一方でラックとは距離を置くようになってきている。
 これはまさに飼い主にとっては好都合な展開で、マキが産卵を切り上げ、夏に換羽を終えてくれれば、秋には12代目という段取りになってくれるものと、期待しているのであった。

2009・4

 月の前半に、やりきれない急死が続いた。

 まず3月6日サイが亡くなる。3日まで何の兆候も無かったが、4日朝、前日の放鳥終了後に閉め忘れ、洗濯ばさみで開けられたままになっていた開閉口で、サイが気分悪そうにたたずんでいるのを発見した。
 クチバシの表面にすりむいた跡が見られたので、ビニール温室内で暴れて体力を消耗したのではないかと考えた。「文鳥団地」を覆うビニールは透明なので、文鳥にしてみればそれを通過できないのはおかしな話でぶつかって跳ね返されることでパニックになる可能性は大いにあるのだ。しかし、7時に起きる飼い主より、はるかに早く、ほとんど日の出と同時に起き出している家族は、暴れる文鳥を目撃していないので、体力消耗はパニックの結果ではなかったのかもしれない。
 とにかく、一時的なものと見なし、夜には調子悪そうな様子ながらも放鳥に出てきていたので、徐々に回復するだろうと楽観視していた。ところが翌朝には悪化し、昼にはもはや病院に行って云々とは、あくまでも個人的な尺度ではあるが、考えられない状態になり、夕方には危篤状態と言えるまでになった。
 そして6日朝にはカゴの底で冷たくなっていたのだった。
 4日の朝にパニックを起こしたのか、それとも産卵に伴う何らかの要因が重なったのか、そう言えば似たような経過をたどったセンは育雛中だった。産卵や育雛の際に、何か歯車が狂い、免疫システムが悪循環にはまってしまうようなことがあるのだろうか?

 サイのオチョコで頭浴びが見られなくなり残念だったが、残された夫のヤッチが大いに心配された。何しろ「神経衰弱」の彼を認めてくれ、彼も同居を許す文鳥はサイくらいなものなので、また、途方も無く落ち込むのではないかと思ったのだ。
 しかし、基本的にドライなのか、元々クチバシのとんがった生き物が苦手なのか、ヤッチは妻を求めてさすらうことも無く、かえって元気になった印象さえある。草葉の陰でサイは怒っているかもしれないが、このヤッチの態度は飼い主的にはありがたいことだ。

 続いてシマが10日に亡くなった。軽く口を開けたままの呼吸をし、放鳥にも出てこずにカゴで静かにするようになったのは8日だが、その1、2日前から少し飛んだだけで軽く開口呼吸をしたり、数日前から飛翔能力が低下していたので、徐々に症状が進んでいたのかもしれない。ただ、1月に愛妻のモレに先立たれた後、ずいぶんと物静かだったシマは、換羽開始の傾向が見られていたので、いよいよ換羽の本格化を意味するものと見なしていたのだ。
 とにかく8日夜につぼ巣にたたずむ姿を見た時は、生命の危機だと悟った。似たような症状を見てきているが、結果はみな同じだからだ。翌9日には絶望的な状態で、夜には次の瞬間には亡くなるような状態であったが、基礎体力があるに違いない彼は、10日の朝を向かえ、前夜飼い主がお供えするようにつぼ巣に置いた枝豆を食べ、午後5時までがんばった。
 ハゲ頭が続きまともに換羽しなかったのは異常だが、やせることなく、血色もよく、指摘出来るのは軽い呼吸器症状のみで、はっきりした原因は分からないのだが、妻を失った傷心で、まさにハートブレイクしたのだと考えることにしたい。

 一方、新入りのマキはすでに誰かの卵を産み、イブと同居している。
 ラックを慕うイブは元のカゴに帰りたがっているが、別居させた理由はシューがイブのアイリングを食いちぎろうとしたことにあるので、同居は認められない。つまり、イブ(♂)とシュー(♀)のラック(♂)をめぐる争いは、同居が許されない危険領域に達してしまったのだ。
 マキは同居してくれるなら誰でも良いらしく、イブの子ではないことだけは確かな卵を温めつつも(擬卵と交換した)、イブが同居するのを歓迎している気配だ。イブにその気はゼロだが、つぼ巣の上を定位置にしているので、マキは、つぼ巣を外敵から守ってくれていると誤解しているらしい。
 この2羽も、早く本当の夫婦になって欲しいところだ。

2009・3

 月の初め、なじみと言えばなじみの鳥獣店に、メスの桜文鳥の仕入れを依頼した。しかし、実際にやってきたのは中旬を過ぎてからだった。
 この間、数回電話で確認し、一度電話で報告を受け、また、一度は自転車でお店に出向いた。このように書くと、ずいぶんと熱心なようだし、店側はそのように思ったはずだが、実は嫁文鳥を迎える必要性は薄らいでいたのだった。何しろ妻を亡くしたシマは、他の家庭を壊して略奪愛を遂げる気力を見せず、また、イブとラックはオス同士ながらやたらと仲が良く、あわてて嫁文鳥を迎えて、結果仲の良い2羽を引き離す必然性は特になかったのだ。
 しかし、数千円のことでお店側が尽力してくれていたので、途中で知らぬ顔も出来なかったのだ。つまり、成り行きで電話をしていたのだ。そして、通常の仕入先には若いメスがいないが、東京の仕入先に当たったら近く入荷すると言われれば、「いらない」とは言えまい。さらに、入荷したが爪傷(つまきず。爪や指が外相で剥落している状態)が見られたので交換になった、などと説明されれば、「他で見つけた」(実際にこの間ホームセンターに良い感じの桜文鳥のメスが入荷しているのを発見していた)とは言えた立場ではないだろう。別に早めに迎えても問題ないはずなので、尽力してくれる気持ちは無にすべきではない。
 それで、返品されたと言うつま傷文鳥の代わりがやって来るという20日、早速自転車でお店に迎えに行った。2つがい仕入れたそうで、桜文鳥が4羽いた。確かに見れば、内2羽はメスに見える。どちらも好みの容姿だが、小柄で小顔でより確実にメスに見える方を購入して帰った。
 名前、最近は購入したお店に因んだ名前にしている。その方がどこで買ったか忘れないし、ボケて名前が出てこなくなった時、どこで買ったかで逆にたどれる。今回の場合、最寄の駅は蒔田町(マイタチョウ)で鶴巻橋(ツルマキバシ)という小さな橋のたもとにあるお店なので、候補はマイかマキになる。ツルでも良いが、つるっとしたヒナの名前にとっておきたい。そして、「イ」はサイ・メイ・アイと重なるが、「キ」は我が家にはいないのでマキに決める。

 数日の隔離後、我が家の文鳥社会に合流させたのだが、現在まで思惑と反する状態となっている。
 まずシマの好みとは少し違っているらしく(顔に少し白い模様が多いのが問題か?)、熱烈アタックして後妻として迎える様子はない。一方のイブは、まだ異性にさほど興味を示さず、無理に同居させるても、元のカゴに帰りたがる始末だ。
 それならそれで、しばらくマキには独り暮らしを続けてもらえば良いはずだが、イブの弟分ながらラックはより早熟で、飼い主の許しなどまるで無いのにマキと恋仲になってしまった。相思相愛の状態だ。
 これは最悪の事態と言えよう。もしこの関係を認めれば、せっかく一羽メスになってくれたシューの行き場がなくなってしまうではないか!ラックには、是が非でも、何が何でも、どうなったところでシューと夫婦になってもらわなければ困る。
 しばらく、早熟なラックの恋路を邪魔しつつ、わりに晩生なイブ・シューの成長を待たねばならなそうだ。

2009・2

 キューと先妻センの孫であるイブ、一方はキューと後妻のシズの子であるシュー、ともに我が家では天才と呼ばれるキュー様の血を受け継がれるお坊ちゃまとお嬢ちゃんは、なぜか犬猿の仲となり、一時は別居必至の状態となった。しかし、対立は少々納まり、いがみ合いつつも同居は可能な状態となっている。冷戦という感じだ。基本的に似ているので、近親憎悪かもしれない。

 さて、16日にモレが手の中で亡くなってしまった。
 モレは望まれ期待されて生まれた文鳥ではなかった。すでに7代目となるカン・ゲンを育て、正当な跡継ぎと見なされていた5代目ゴンの子も期待される中、その年には間違いなく6歳になっていたナツが、思い出したかのように産んだ卵が孵化したのだった(検査が甘くなり、検査「もれ」した1個の卵だったのだ)。飼い主の唖然驚愕の中、この世に生を受けたわけだ。
 当然、しばらくして親鳥から引継ぎ差し餌をして育てたのだが、途中人間の家族が入院し、職場に連れて行くか、一回の差し餌が遅れさせるかの選択を迫られるようなこともあり、わりに苦労して育てた文鳥と言える。生まれつきなのかは不明だが、一本指を欠いており、小柄ではあったが、賢げな目をした真っ黒なヒナであった。
 長じては、何を考えているのか良く分からない文鳥となり、飼い主に親しげに近づいているかと思えば、ほとんど寄り付かないこともあり、また他の文鳥など相手にしないかと思えば、案外騒乱の渦中には必ずいる、やはりよく分からない面白い文鳥だった。
 夫のシマとの関係も、熱烈に愛している様子を見せないのに、気がつくといつも2羽で掛け時計の上にいて、そもそもシマの禿げはモレが作り出しているに相違ないのだが、人前でしつこく毛づくろいする様子はないのだから不思議だ。
 さまざまな不思議を残して亡くなってしまった。最期もどうしたいのか良く分からず、飼い主を悩ませたが、結果的に見れば、初めから手の中を臨終地に選んでいたようで、きっちりとその意志を押し通し、それが可能な時間に亡くなった。冥福を祈りたい。

 一羽亡くなれば、パワーバランスがくずれる。夫婦の一方が亡くなれば、残された一方が何らかのリアクションを起こす。
 我が家の過去の例では、伴侶が亡くなれば(死を明確に認識出来ないはずなので、おそらく「蒸発した」「家出した」といった感覚でとらえることが多いような気がする。ただ遺体を突いて助け起こすような事もするようなので、何らかの悲しい異変が起きていることくらいは認識しているようにも思える)、次の伴侶探しに前向きに突き進む者が多かった。男女ともにだが、特にオスはそうだ。
 ところが、案外シマは冷静で、数日は喪に服すかのように静かに過ごし、その後亡妻にタイプの似ているエコを第一候補として誘惑しているものの、略奪を企むほどの執念はなさそうだ。案外良くできた婿鳥と言うべきだろう。

 しかし、今後どうなるかわからず、また遅かれ早かれイブの嫁を探さねばならない(アトの2世が誕生しそれがメスなら良いのだが、不確定要因が多すぎて計算出来ない)、と言ったことを名目として、東西南北、暇を無理やり見つけては出掛けて行き、ペットショップにシマが気にいる可能性が高そうなメスの桜文鳥で、なおかつ11代目の嫁にしたいような文鳥を探したが、「これぞ!」と思えるような出会いは無かった。
 そこで、それなりに近いお店にメスの桜文鳥を仕入れてくれるように頼んでみた。どうなるかは皆目見当がつかないが、とりあえず何か騒動が起きた方が面白いので、お店には忘れずに手配して欲しいものだ。

2009・1

 「文ヒナ三日会わざれば刮目して見よ(文鳥のヒナに3日も会わなかったら、まるで変わっているはずなので目をこすって注意深く見るように)」と今自作した格言にあるように、文鳥のヒナの成長は早い。この一ヶ月の間に、眠たげだったイブの目は祖父キューの先例どおりにつり上がり、ぐぜり始め、ラックとともに切磋琢磨してさえずりを完成させようとしている。そして、あれほど仲の良かったイブとシューが犬猿の間柄ともなっている。そのシューのみがぐぜる様子がなく、メスである可能性がかなり高くなっているのは、喜ばしいところだ。将来的にはラックと夫婦になってもらえれば、成功と言えるだろう。
 もちろん3羽はすでにヒナ換羽を終えつつあり、みなはっきりした桜文鳥の姿になってきている。シューのみ胸にぼかしが見られ、後の2羽は残念ながらぼかしはなさそうだ。
 問題は紅一点と思われるシューが疎外され、イブとラック、オス同士が仲が良いことだが、成熟すれば変わってくるだろう。

 おとなの文鳥たちは特に変わりはない。
 不安があるとすればマルで、一時体調を崩したような様子を見せ、その後カゴの中では通常通り の生活をしているが、放鳥時の飛び方が重たげだ。我が家に来て3年なので、推定4歳としていたが、すでにお店で産卵経験があったので、実はすでに6歳くらいで老化しているのかもしれない。春まで産卵していたのに、秋からは産卵しなくなったのも、老化によるものなのかもしれない。
 となると、アトは貴重な存在なのかもしれない。大きな顔して巣材を散らかしまくっても大目に見てやろう。

【1/18補記】
 神の啓示か魔が差したのか、12月初旬とにかく突然文鳥の絵画が欲しくなり、インターネットで探し、バリ島の画家さんが描いた花鳥画(プンゴセカン)の小品を購入した(右下はその後入手した銅細工)。
 実物を手にし、とても気に入ったので、玄関により大きな絵画を飾ろうと画策し、まず飾る場所を整備し、ついで手持ちのビール券を質屋に持ち込むなどして金策し、小品を買ったお店
アート・ルキサンで、今度は少し大きめの絵画を買ってしまった。
 とんでもない散財だったが、後悔はしていない。それどころか、小さいものをもう一枚くらい欲しいと思っている・・・。
 インドネシアのバリ島と言えば文鳥のふるさと、よりたくさん絵画なり芸術の主題としてもらいたいと願う。


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