文鳥問題.

《文鳥生産地》

 愛知県海部郡弥富町は別名「文鳥村」と称され、白文鳥の故郷であり、日本最大の文鳥生産地として、文鳥愛好者の間では知らぬ人はいない程に著名な存在だ。ところが、この地の文鳥生産は確実に年々衰微しているというのである。

 さて、はじめから身もふたもない言い方をすると、私は生産地における文鳥の大量出荷などという姿が、健全なものとはどうしても思えないので、もし弥富町の商品文鳥生産自体が消滅したとしても、何の感慨も起きない。
 ただし、それは文鳥の入手が困難にならない限りの話である。何しろ、弥富の文鳥生産は
国内シェアの80%を占めるといわれているので、もしこれが消滅したら、文鳥が容易にペットショップに並ぶ事などなくなってしまうに違いないのだ。そうなってしまったら、すべての文鳥愛好者にとって一大事ではないか!

 そこで騒いでも仕方がないので、実際のところはどうなのか、生産量に関する記事などを拾ってみる。

    生産者数 文鳥の飼育数 出荷数 全国生産 出典
@ 1970年頃 約250人 5万箱(つがいが基礎なのでおよそ10万羽)     『畜産全書』
A 1979年 135人 3万1185箱(およそ6万羽)   80% 『畜産全書』
B 1993年頃 60戸程度 約1万2000つがい 12万羽 80% 『畜産の研究』
C 1999年 20戸 4000つがい 約4万羽 80〜90% 畜産会の返信

 1970年から1979年までのおよそ10年で四割減、それからおよそ15年で半減、それから6、7年で三分の一に激減している。もはや存亡の危機の状態である事は一目瞭然だ。しかし、私は妙なところに気がつく性分なので、この推移を見ても違う点に気づいてしまう。
 注意すべきは全国生産の80%というのが全く変わっていない点だ。なぜ、弥富の出荷数が最盛時のおそらく十分の一程度にになっているのに、
シェアだけが変わらないのだろうか。
 非常に不審で、正直言うと、はじめから80%という数字を疑っていた私は(
横浜市辺には近所の繁殖家からのヒナが多いようなので)、いきおいで愛知県の畜産会にメールしてお聞きすることにした。

 「生産農家:24戸年間出荷羽数:5万羽国産文鳥でのシェア:90%以上」(※畜産会のホームページにこのように書かれていた)とありますが、このシェアとはどのような意味合いのものでしょうか。全流通量に占める割合ではないような気がするのですが、どのような統計に基づくものかご教示頂けませんでしょうか。
 また、『畜産の研究』47ー1(1993年)には、
 「文鳥組合を核に60戸前後約1万2000つがいが飼育され、全国生産の80%12万羽が生産されている」
 とありますが、これも
何と何を合計した生産量に占める割合なのか良くわからず、さらに貴ホームページの数字とはかなり違っておりますが、これを飼育数の激減と判断してよろしいのでしょうか。あわせてご教示頂ければ幸いです。

 きっと畜産会の方は、「つまらない質問しやがって」と思ったに相違ないのだが、丁寧な返信をくださって、「文鳥の国内飼育戸数・羽数は昭和50年代をピークに激減しており、国産雛の生産量も当然ながら激減しています。現在、本県外では静岡県浜北市、岡山県にて数戸飼育農家がいらしゃる程度で」とされた上で、上記Cの2000年の統計を掲げ、さらに次のように説明を加えられた。

 なお、国内全流通量では台湾を主体とした輸入鳥が流通しますので、シェアは40〜50%と推定されています。(輸入鳥の羽数が統計的にはっきりとは把握できていない。)また補足ですが、以前は輸入鳥に東南アジアで捕獲された野生鳥も含まれていたそうですが、ワシントン条約関連で輸入国である日本も指摘され、中継基地的なニュアンスも含め台湾での生産輸出が主体になったそうです。

 餌付けの必要な文鳥のヒナを国外から輸入するのは、検疫も必要なはずなので無理だと思うが、その点は誤解だとして、とりあえず、いわゆる普通の意味でのシェア、文鳥のヒナの流通量は把握できないものの、少なくとも流通の80%を占めるような状況ではない事は確かなようだ。
 つまり、弥富が文鳥生産の80%を占めるというのは、把握できる限りの
国内の『生産農家』の生産総量からの数字に過ぎないわけで、別に文鳥の流通量が激減していることを意味してはいないのだ。これは生産地から問屋卸しを通じて小売店へ、という流通形態が減少し、副業的な小規模繁殖家からの流通が増加したものと判断しても良いだろう。
※ 輸入に関して上記の私の認識は誤っていた。『ペットデータ年鑑&ペット産業25年史』(1997年野生社)には、櫻商事と言う会社が取り扱った小鳥の数値が載せられているが、そこで示される「文鳥」と「手乗り文鳥」はその輸入量を示すものと思われ、1996年それぞれ、年間1万羽足らずと年間約2万羽となっている。細かな検疫をせずに航空便で輸入しているものと思われる(『動物検疫年表』から、九官鳥以外では鳥類の留置検疫は行われず、一部のサンプリング検査のみ実施していると考えられる)単純にこの1996年の輸入3万羽と1999年の弥富産4万羽の合計7万羽で市場が構成されているとすると、弥富のシェアは57%となり、副業的な小規模繁殖家の存在も考えると、40〜50%との御説明も妥当なものと思われる。しかし、弥富からはあまり出荷されないシナモン等が市場にまん延しているのを見ると、さらに現実の市場における弥富のシェアは限られたものとなっていると判断した方が良いかもしれない。(2000・10・24)

 とにかく、弥富の生産低下が、そのまま文鳥人気の低下を示しているわけでもないらしい事がわかって、私はホッとせずにはいられなかった。

 さて、「弥富の文鳥80%」が一般的な流通量とは別次元のものだという事はわかったが、それでは一体本来の流通量のどの程度を弥富産の文鳥が占めているのか、これがさっぱりわからない。
 例えばBでは弥富の文鳥の出荷先が、京浜地区25%・阪神地区35%・中京地区25%・その他(
岡山、広島、高松、福岡など)15%とされている。これはおそらく出荷先の問屋の所在地で区分しているものと思うが、東北と北海道はどうなってしまったのだろう?しかも、一番消費するはずなのに、「阪神地区」以下「中京地区」並の「京浜地区」をどの程度がカバーしているのだろうか。
 
わかりやすいように、こうした数字を身近におきかえてみよう。まず、Cの約4万羽の25%がいわゆる首都圏だけで消費されるとしても、その数は1万羽、わかりやすく単純に計算してしまえば、一ヶ月の供給量は1000羽未満、一日30羽程度となってしまう勘定となる。これが非常識なくらい人口過密で無分別に消費する首都圏全体の話なのだ。いくらなんでもこの数倍の需要はあるだろう。
※ ただし人口比からして、首都圏の出荷比が低いのは、100年近く前から、この地方の「鳥飼い」(プロ的飼鳥家)に「名古屋方面からの移入物」を「十分警戒」すべきだとする思想があり(石井時彦著の感想を参照)、その意識が弥富産の流通を抑制していた特殊事情となっている可能性があると思う。つまり他の地方では、首都圏よりも弥富産の占有率は高いものと推測される。

 結局、「弥富の文鳥80%」というのは、既に全く実体がなくなっていると言わざるをえない。かの地が白文鳥発祥の地(私の理屈でいくと必然的に桜の発祥地でもある)で、文鳥の普及に多大の貢献を果たした事に疑いはなく、そのことは一つの歴史として忘れるべきではない。当然、文鳥愛好者はその故地に敬意を払うべきだし、資料館などで、小鳥の生産と言う一つの、おそらく世界的に考えても特異で興味深い産業があったことを、地元では誇りとし長く伝えていくべきだと思う。しかしその姿が、現在そして未来にわたって必要なものであるかは、別次元の話である。
 一つの歴史は、既に幕を閉じている。未来の問題は消えていく弥富の生産農家にはないと言える。


〔無責任な提案〕

産業としての生産の維持は不可能なので、完全に観光資源と位置付ける。
典型的な文鳥舎を保存しながら、観光客が飼育の様子を見学できるように改良する。
繁殖した文鳥は由緒正しいプレミアブランド
『弥富の文鳥』として現地限定販売する。
 
※ ヒナではなく手乗りでない成鳥の方が良い。ブランドだから割高であった方が客は買いやすい。
取っ手のついたごく小さな藤か竹のかごにいれて売ると、絶対喜ばれる。

(以上本気、実現すれば私も行きたい)

後記【2003・6】
 文鳥を愛することと、弥富生産農家保護が混同される傾向を感じて書いた話ですが、ずいぶんきつい書き方をしています。しかし事態は着実に進行しており、愛知県農林水産部畜産課の統計によれば、平成13年度、愛知県の文鳥飼養戸数は17戸、つがい数1728、「生産量」は13825羽にまで落ち込んでいるようです(http://www.pref.aichi.jp/chikusan/index.html)。シェアうんぬんは完全な絵空事なわけです。貴重な弥富の文鳥を『生産農家』という形にこだわらず、守ることを考える必要が出てきているのではないかと思います。

後記【2005・2】
 上記ホームページの統計によれば、平成16年度の愛知県の文鳥飼養戸数は13戸、つがい数2810、「生産量」は14243羽となっています。今現在弥富産には脚輪シールがつけられ、ある程度ブランド化した効果もあったものか、生産数は下げ止まっています。零細生産者が撤退し、比較的大規模生産者に集約されてきているのかもしれません。
 なお、図書館で昭和15年刊行の『愛知県史4』(P481)を目にしたので、備忘のため記します。
 「特に小鳥は文鳥・カナリヤ・錦花鳥・十姉妹等の愛玩用のものが多く、尾張部特に中島・海部の二郡が盛況を呈してゐる。大正十四年度の小鳥羽数は28820羽、價額114161圓」
 「小鳥羽数」は生産数と思われるので、他の小鳥を含めて3万足らずは、当時の日本の人口が現在の半分以下であることを考慮しても多いとは言えないと思います。また値段は単純に割り算すると1羽4円弱となりますが、これは現在の価値で考えると言えば1万円程度と見なせ、流行していたとはいえ、わりに高級品だったようです。


表紙に戻る