文鳥問題.

《文鳥の迷信》

 どこの世界にも、まるでそれが本当のことのように流布している迷信があります。ちょっと注意して聞けば間違いに気づくのですが、何となく聞き流し、いつの間にか信じ込んでいるといったものです。一度信じたことを客観的に考え直すのは、人によってはなかなか難しいことかもしれません。しかし、飼い主がいつまでも迷信に引きづられると、飼っている文鳥たちに悪影響を及ぼす危険があります。ここでは、すでにたびたび取り上げてきた文鳥をめぐる迷信の一部を、この際、あらためて論理的・科学的・客観的・具体的に説破したいと思います。【2005年8月】

文鳥は「トリ目」「トリ頭」だ! 白も桜も「パイド」だ! 文鳥は病気を隠す!
文鳥はおしっこをしない! 文鳥は卵や雛を選別する! お米やカナリアシードは太る!
     

アイリングで性別がわかる!


文鳥は「トリ目」「トリ頭」だ!

 「トリ目」とは、薄暗い程度で物が見えない病気(夜盲症)のことです。鳥には暗いと見えない種類が多いので、そのような比喩表現がなされたわけです。しかし、もちろん鳥類の中にはフクロウの仲間のように夜行性のものもいますし、そもそも文鳥など昼行性の小鳥たちにしても、薄暗い程度なら見えているので、この例えは事実ではありません。
 飼育観察をしていると、文鳥は人間並みには暗くとも物が見えているのがわかってきます。例えば保安球がともるだけの薄暗い室内でも、エサを食べたり飛んだりすることも何とか可能です。なかなかカゴに帰らない文鳥に対して、私は一瞬電気を消して捕まえますが、当然私にも文鳥の姿が見えなくなるくらいでないと察知されます。照明を消す前に確認した文鳥の位置をもとに、感覚で捕まているだけで、文鳥以上に夜目が効くわけではないのです。
 つまり、文鳥を「トリ目」と考えるのは間違いで、迷信以外の何物でもありません。ところが文鳥の飼い主がこの迷信を信じてしまうと、少し暗いだけでエサが食べられなくなるといった誤解が生じます。そして、暗いと見えず食べられないから、明るくしないといけないといった短絡的な大誤解に進展することになります。結果、飼い主の強制する朝晩明るい環境で、朝と夜の周期性に乱れが生じ、健康を害することにもなりかねません。

 「トリ頭」などという言葉は、辞書にはない低俗な言い回しです。そもそも語源が不明瞭で、「鶏は三歩歩けば忘れる」と1990年頃に誰かが言い出し(『岩波ことわざ辞典』)、それがいつの間にか、そうした行動を生み出すニワトリの脳みそに当て付けて、忘れっぽい人間を揶揄するのに「トリ頭」という言葉が使用されるようになったようです。
 まるで軽薄な言い回しですが、その成り立ちを見れば、とりあえず「鳥頭」ではなく「鶏頭」が正しいのは明らかなところです。ここでもし、「ニワトリも文鳥も鳥だから頭の中身も一緒だ!」、などと考えてしまう人がいたら、それはあまりにも-軽率です。なぜならそれは、「ネズミも人間もほ乳類だから頭の中身も一緒だ!」と主張するのと、何ら変わりがないからです。「あんたの頭はネズ公レベルだ!」と言われて、良い気分の人はあまりいないでしょう。
 ほ乳類では、その種類ごとに違いを認識できるのに、鳥類はみな同じように考えてしまう人が多いものです。しかし、その考え方は客観的に間違いですし、鳥の飼い主がそのように考えてしまうと危険ですらあります。なぜなら、飼育上、あの鳥の種類で当てはまっても、この種類では当てはまらない事のほうが多いからです。
 例えば、犬を飼っていても、普通の人は馬を飼う自信はもてないでしょうし、そもそも犬を診療できるから、馬の診療も出来ると胸を張る獣医さんすら、まず存在しないでしょう。ところが、鳥類に関しては十把一絡げなのです。実際、文鳥を飼ったから大型インコを飼えるものではないですし、大型インコの飼い主が文鳥飼育のことなど知るわけがありません。獣医さんにしても、両者で同じ診療は出来ないのは、本来当たり前かもしれません 。

 本来トリ頭は「鶏頭」であって、ニワトリ並みに頭が悪いという意味だとして、それを文鳥に当てはめる人間は「単細胞」と言われてしまうでしょう。冗談で言っているつもりでも、言葉がひとり歩きし、「トリ頭だから文鳥は馬鹿」という迷信となってしまえば、飼い主として多くのことを見失いかねません。本当はいろいろな意味を持つ文鳥の行動を、「馬鹿」の一言で済ましてしまっては、もはや何をかいわんやなのです。
 なお、「馬鹿」という言葉を、馬や鹿のように頭が悪い意味だと勘違いしている人がいますが、語源をたどれば、鹿を見て馬と言い張る人間のことのようです。つまり、「馬鹿」とは人間内部での評価であって、他の生き物と比べると言った性質のものではないのです。ニワトリにしても、文鳥に比べれば、原始的な脳みその持ち主であることは科学的にも明らかですが、これは脳みその構造が単純なだけで、より「馬鹿」であると見なすことは出来ません。そもそも、たかが猿頭の人間ごときが、他の生き物の知能の多寡を云々できると考えること自体が、生命に対して不遜だと私は思います。
 文鳥は「トリ頭」では有りません。文鳥という生き物として行動しているだけで、人間的な身勝手な尺度で「馬鹿」かどうかを考えるべきではないのです。迷信を信じて、飼育における観察の目を曇らせないようにしたいものです。

余談
 以前ある女性芸能人が、「私、アヒルが好きで飼ってました!」と言った舌の根も乾かぬうちに、「私、カモ肉が大好物です!」と言っているのを聞いた時、私はかなり驚きました。なぜなら、鴨(カモ)を家畜化したのが家鴨(アヒル)で、両者は合いの子(合鴨・アイガモ)が生まれるほど非常に近い関係にある生き物だからです。アヒルをペットとして飼育しつつ、その兄弟を食べてしまうとは、一体どのような感覚でしょう!
 しかし、驚く必要はないかもしれません。きっとこの芸能人は、アヒルはアヒル、カモはカモ、もっと言えば、自分のアヒル以外に親近感は持たずにすむ、主観的、もしくは合理的な精神の持ち主なのです。例えば、朝鮮には犬を食べる習慣があり、愛犬家には気色の悪いものがありますが、それは愛犬家が犬に対して特別な親近感があるだけのことで、それを持たない人に同じ感覚を強制するのは不当です。また日本にはクジラを食べる伝統があり、欧米の牛食い人種を辟易とさせますが、100年前まで鯨油目的で乱獲していた欧米人の寝言を押し付けられるのは迷惑です。しかし、韓国で犬料理を食べた日本人が、日本に戻ってその話を愛犬家の友達にすれば、嫌な気分にさせることは明らかです。また、鯨肉好きの日本人が、欧米でそのうまさを吹聴して回っても、得られるのは反感だけでしょう。その辺りは、主観による良し悪しではない、バランスのとれた判断力が必要となるものと思います。
 文鳥愛好者の私は、文鳥の解剖図などを見ると嫌な気分になりますし、同じスズメ目の小鳥の丸焼きも、すすんで食べたいとは思いません。しかし、トリ肉は好きです。「ハマケイ(横浜市近郊ローカルな惣菜屋の名前)のカブト焼きはビールのつまみに最高です!」などと推奨する時に、家の文鳥たちに対する後ろめたさは微塵もありません。また、そのように第三者に言えるのは、小鳥を飼うのに鶏肉好きであることが、他人に不快感を招くことは少ないだろうと考えているからです。
 なぜでしょう。私の認識では、文鳥とニワトリはまったく異なる生き物で、近縁性がまったく無いので、そこに主観的な親近感を持っていないからです。そもそも、文鳥も鳥類、ニワトリも鳥類、従ってニワトリが食べられないくらいなら、人間もほ乳類、牛豚もほ乳類、こちらのほうがよほど気色悪くて食べられなくなってしまいます。また、一般的な食料である鶏肉を食べたところで、「文鳥が好きなのに!」といった反感は、鳥類全部を混同して親近感を持ちながら、自分と同じほ乳類を食べる矛盾に気づかない、ごく一部の人間以外には受けずに済むと考えているわけです。この判断はバランスを欠いているでしょうか?

 

白も桜も同じ品種「パイド」だ!

 白も桜も「パイド」という同一品種でくくられるべき存在だ、という斬新な説を私が目にしたのは、『文鳥の本』(1999年ペット新聞社刊)がはじめだったと思います。そこでは「桜文鳥と白文鳥は同じパイド系の内種なのです」とされています。目新しい解釈であるため印象に残るのか、それともその後も雑誌で紹介されているためか、この説を自明の理のように信じている人が今でも多いようです。しかし、残念ながら、完全に見当違いだったと見なさざるを得なくなっています。
 たびたび指摘していますが、この説は繁殖実験の結果に照らして科学的に考えれば、成立しようがないことは誰にでもわかる話なのです。もし、いまだにこの説を積極的に唱える人がいるのなら、不勉強で繁殖実験結果など知らないか、その意味を考える能力すらないだけと言っても良いくらいです。〜さんが言おうと、〜と言う本にあろうと、そんな事に意味はありません。論理的に間違っていれば終わりです。それが科学です。それだけのことです。

 この迷信の根拠は、おそらく白と桜を組み合わせると、さまざまに白斑の混じる文鳥が出現することにあると思います(もしくは欧米でそのように区分されているから?)。たまたま白斑が多く出るか少なく出るかであれば、遺伝子的には同じ品種だと見なす以外にないと言うわけです。
 ところが、大昔から知られるように、弥富産の白文鳥と桜文鳥のペアからは、中間の色のまだら模様は出現せず、両親のいずれかに似た子供が生まれます。このことは、研究雑誌の『畜産研究』47−2、より一般的に誰もが図書館で確認できるものとしては、『畜産全書』
(1983年農文協)という指導書に示される、愛知県農業総合試験場養鶏研究所における繁殖実験によって明らかです。それによれば、白と桜のペアから生まれた約1500羽の子供は、ほぼ半数ずつ白か桜となっており、研究報告者は、白は白を発現させる遺伝因子、桜は桜を発現させる遺伝因子があり、下図のように、親の持つ遺伝因子をひとつずつ継承した結果、色彩が決定されていると結論付けています(つまりメンデルの優性法則に基づくもので、白因子は有色因子より優性な存在であるため、有色因子の形質が押さえ込まれている)
 当然ながら、異なる遺伝子因子を持つものを、「同種」などとするのは、科学的に無茶苦茶な話となります。そもそも桜同士のペアから生まれたヒナ396羽には、1羽も白文鳥は現れていないと同報告にありますから、この繁殖結果を正しく認識していれば 、「同品種」の偶然による色彩変化など考える余地すらなかったのです。

弥富系白文鳥 × 桜文鳥 弥富系白文鳥 桜文鳥

白因子+

有色因子

有色因子

有色因子

白因子+

有色因子

有色因子

有色因子

 また、白文鳥同士から桜文鳥が生まれるという、一般の感覚では不思議な現象も、上記のような遺伝因子の関係を踏まえれば、何の不思議もないことがわかります。下図のように、もし弥富系の白文鳥同士を繁殖させると、両親から白因子を引き継ぐ仔、一方から白、他方から有色を引き継ぐ仔、両親から有色因子を引き継ぐ仔があらわれます。そして、両親から有色因子をひとつずつ受け継いだ子は、それが対になり、桜文鳥になるのは当然の帰結で驚くことではないわけです。
 なおこの場合、上記の繁殖研究報告によれば、白因子同士の組み合わせは卵段階で成長が止まり、孵化には到らないとされています
(優性ホモ型の致死遺伝)。従って、白文鳥同士の組み合わせは繁殖効率が悪いと見なされているわけです。

弥富系白文鳥 × 弥富系白文鳥 中止卵 弥富系白文鳥 弥富系白文鳥 桜文鳥

白因子+

有色因子

白因子+

有色因子

白因子+

白因子+

白因子+

有色因子

有色因子

白因子+

有色因子

有色因子

 私が小学生の頃から愛読していた飼育書(『かわいいブンチョウの飼い方』有紀書房)では、白と桜のペアからは、白と桜が生まれるとありました。確かにこの愛知県での繁殖実験を見れば、その記載が正しいのは明らかです。ところが、実際に私がこの組み合わせで繁殖すると、いかにも両者の合いの子(雑種・ミックス)といった姿のゴマ塩柄の文鳥ばかり生まれました。このゴマ塩も桜文鳥の一種と見なしても良いかも知れませんが、それならなぜ、半分は生まれるはずの白文鳥が一羽も出現してくれなかったのでしょう?
 ミレニアムの始まりである2000年、その疑問について思い悩んだ私は、弥富とは別系の白文鳥の存在を想定し、下図のような関係を考えました。もちろん素人の想定に過ぎませんでしたが、2001年に発表された「台湾産ブンチョウの羽色の表現型とその活用法」
愛知県農業総合試験場『研究報告』第33号)に載せられた台湾産白文鳥と桜文鳥との繁殖実験で、この仮説は証明されたものと考えています。
 インターネットでも確認出来るその繁殖結果によれば、台湾産の白文鳥同士からは、桜文鳥が一羽も生まれず、白と桜のペアからは、「大量の白い刺し毛を有する」子供が生まれています。これは、この系統の白文鳥には有色因子が存在せず、その白因子は有色因子に対して優性ではないことを示しており、遺伝子的には弥富の白文鳥とはまったく異なる系統の存在を考える以外には無いのです
(実際報告者もそのように考えている)

関東系白文鳥 × 桜文鳥 ゴマ塩文鳥

白因子−

白因子−

有色因子

有色因子

白因子−

有色因子

 この台湾産と、南関東在住の私が飼っていた白文鳥は、同様の繁殖結果から見て、同じ遺伝子的特徴を持っていたと推定出来るものと思います。また逆説のようですが、関東では昔からそうした白文鳥が一般的で、私の言うところのゴマ塩文鳥が出現していたからこそ、「白と桜は同じパイド、なぜなら中間のゴマ塩柄もいる」、といった弥富産の繁殖結果を無視した説が出現したのではないかとさえ思います。
 しかし、このゴマ塩文鳥は、雑種であって本来桜文鳥と見なすべきではなかったのです。その点も、同報告の繁殖結果を見れば明瞭となります。もし、ゴマ塩がパイドの色彩変化に過ぎないなら、似たもの同士の子は、やはりほとんどゴマ塩になるはずです。ところが実際には、この組み合わせの子供の25%は白文鳥になっています。この結果は下図のように、異なる種類の両親から生まれたF1
(雑種第一代)同士からは、祖父母と両親の姿に産み分けられると言う、メンデル遺伝における分離法則の典型例として説明すべきものです(ただし報告者はゴマ塩を桜文鳥としか考えないため、桜が75%生まれたとしている)

ゴマ塩文鳥 × ゴマ塩文鳥 白文鳥 ゴマ塩文鳥 ゴマ塩文鳥 桜文鳥

白因子−

有色因子

白因子−

有色因子

白因子−

白因子−

白因子−

有色因子

有色因子

白因子−

有色因子

有色因子

 こうした繁殖結果を見ていけば、弥富産であれ台湾産であれ、白文鳥と桜文鳥を「パイド」などと一括するのは、まったくの非科学と見なさざるを得ません。遺伝子型が異なる以上同種ではありえないのです。また、雑種であるゴマ塩文鳥を桜文鳥に含んでしまうような感覚は、それぞれの品種の純系を確立しようとの問題意識もなく、何となく異品種間交雑を続けた悪弊の所産のようにも思われてくるのです。
 まともな繁殖家であれば、品種の純系を守るべきでしょう。ところが、白も桜も同じパイドなどとしてしまえば、それを交配しても異品種交配にはならず、結果生まれた何となく白い差し毛が多い個体も桜だろう、などといい加減なことになってしまいそうです。そのような悪弊の温床となりかねない「パイド」などという迷信は、この際断じて否定されなければならないと思います。

 

文鳥は病気を隠す!

 捕食動物にねらわれないように「元気なふり」「食べたふり」をするという話をたびたび耳にし、私もたびたび「そんなものはウソ」だと指摘しています。
 この小話が、いかに現実離れしているかは、冷静に考えれば誰にでもわかると思います。「調子悪い・・・。でも調子が悪いのがばれたら、他の動物に食べられちゃう。無理して元気で振舞おうっと!」などと、デェズニーのアニメキャラ並みに文鳥が思考すると本気で考えているのでしょうか?残念ながら、いくら病気のその文鳥君が無理をしたところで、捕食動物は人間ではありませんから、「食べてるから元気ね!」などと間抜けにだまされてはくれません。病気で動きが悪ければ食べやすくなるだけです。それが厳しい野生の世界であり、「ふり」などしている暇も、それをする意味も、どこにも存在しません。
 野生では、病気になっても人間のように布団をかぶって眠ってはいられません。生き長らえるためには、全力で飛び、力を振り絞りエサを食べなければならないのです。栄養を体内に貯め込む仕組みを持たない文鳥のような小鳥では、なおさらそうです。その病気の中で必死に食べようとする姿を見て、「元気なふり」「食べたふり」などと言ってのけるのは、あまりにも生命に対して無理解というものではないでしょうか?また、もしそのような普段とは違う様子を見逃すようでは、毎日観察している飼い主としては、おのれの注意力不足を宣伝しているに過ぎないことになります。文鳥のせいにしている場合ではないのです。 

 文鳥が本当に病気になったら、「元気なふり」などしません。いつもの行動が、いつものようには出来なくなるだけです。文鳥自身は、病気を人間並みに論理的に自覚はしないはずですから、いつもと同じように行動しようとしても、症状が現れ同じようには動かないだけです。そこに周囲をだます意図など微塵もありません。エサも普通に食べようとしますが、食べなければ死んでしまいますから、それは当たり前です。いつものように食べようとしても、病気で力が衰えているので、いつものように食べられないだけの話なのです。

 一体なぜ、このようなくだらない迷信が、まことしやかに流れるのでしょう?
 ひとつは文鳥にしろ何にしろ、生き物を飼ってその最期を看取った経験の少ない人が、想像で話すのが大きいと思います。こうした人たちはリアルな経験が無いので、おとぎ話と現実の区別がつかないのではないでしょうか。
 また、もしかしたら、根本にちょっとした科学的知識があるのかもしれません。それは、シギなどの鳥に見られる『擬傷』と言う行動についての知識です。『擬傷』とは、外敵が巣に近づいた時、ヒナを守るため、親鳥が外敵の前に姿をさらし、あたかも負傷しているふりをして見せ、外敵の注意を誘い、巣から離れた場所へ誘導するといったものです。つまり、まさしく鳥が外敵をだましているわけです。
 しかし、これはヒナという自分の分身を守るための親の本能であって、計算ずくでだましているわけではありません。自分の子供を守る手段としての無意識な行動と、見た目を繕う「元気なふり」とは次元の違う話です。

 文鳥は病気を隠しません。もし、後から考えて隠していたように思えたとしたら、それは文鳥自身も気づいていなかったか、飼い主が不注意だっただけです。
 文鳥という生き物は、人間の十倍ほど早い時間の流れの中で生きています。それだけに病状の変化も急速です。さらに食べられなければ死んでしまい、動作が散漫になれば捕食されるか弱い小鳥です。したがって、ぎりぎりまで症状が出ない、これは意識的に出さないのではなく、無意識に出ないようになっているはずなのです。つまり、症状が出ないのは、隠しているわけではなく、まして、飼い主を捕食動物と認識してだます気もなければ、江戸っ子の職人ばりにやせ我慢で意地を張っているわけでもありません。
 生命としての意地と言うものは、隠すも何もなくなった状態、闘病でヨレヨレになった末に、飼い主はまざまざと見せつけられます。客観的に助かりそうに無くとも、懸命にものを食べようとし、もう力も出ないはずなのに飼い主の手をはねのけ、逆にもう余力も無いのに飼い主の手を待って力尽きます。現実は、隠すなどという迷信のような、悠長なものではないのです。この点は理解しておいた方が良いと思います。

 

文鳥はおしっこをしない!

 厳密に言えば正しい話です。なぜなら周知のように、鳥は体内の不要物質を「尿酸」という形で排泄し、これは液体ではなく半固形物だからです。フンを見ると白い部分がありますが、それが尿酸部分、つまり、おしっこなのです(アドルフ・ポルトマン『鳥の生命の不思議』どうぶつ社など)
 動物は、日々新陳代謝、ようするに新しい細胞が出来ると、古い細胞
(プリン体)は老廃物(窒素化合物)となる循環を続けていますが、この老廃物こそが尿酸です。不要な老廃物は体外に排泄する必要があり、人間やほ乳類の場合、そのほとんどが余剰水分と混ざり、おしっことして排泄されます(多くは尿酸よりも水溶性の尿素)。一方、鳥の場合は、尿酸がより濃縮され固形となってフンと結びついた状態で排泄されるわけです。

 しかし、これは老廃物を排泄する手段としてのおしっこの話で、水分の排泄をしないという意味ではありません
 乾燥帯原産であるセキセイインコなどは、もともと飲水量自体が少ないので、水分を多く排泄すれば異常と言えるかもしれませんが、水浴びが大好き、野菜大好きで、普段から飲水量も多い普通の文鳥では、過剰に摂取した水分をそのまま排泄する必要も出てきます。つまり、ほ乳類のようにおしっこに老廃物を混ぜるのではなく、純粋に過剰な水分だけが排泄されるわけです。これは現実に文鳥を飼育して観察していれば、日常茶飯の当たり前だと気がつくはずで、それ自体何の異常でもありません。

 初心者ながら、いろいろ調べて知識のある人はほめられるべき存在です。しかし、付け焼刃の知識に振り回されると、余計な気苦労が多くなるだけにもなります。文鳥が水分の多いフン、と言うより明らかに水分だけのおしっこをしたところで、それだけで慌てふためく必要などどこにも無いのです。
 つまり、文鳥がおしっこをしないというのは、科学的には正しくとも、飼育観察上では迷信といって良いでしょう。文鳥は、水分排泄と言う意味でのおしっこをする生き物なのです。この点を誤解してはいけません。

 

文鳥は卵やヒナを選別する!

 文鳥には抱卵中の卵の中身が正常が否か判断でき、将来異常児となりそうな卵は捨て、また、孵化しても異常のあるヒナは排除されるのだそうですが、もちろん、たんなる迷信です。文鳥どころか、そのような超能力を持つ生き物は、おそらく地球上に存在しません
 芥川龍之介の『河童』という小説に、産まれそうな河童に産まれたいか否か問いただし、産まれたくなければ消滅するという、何とも胸苦しくなるお話があったと記憶しますが、生まれいずる悩みは産まれてから起こるもので、産まれる前にはどうしようも無いのが現実です。
 少し冷静に考えれば、迷信であることは誰にでもわかるでしょう。もし、文鳥にそのような超能力があれば、人間がすり替えた擬卵、プラスチックのまがい物の卵などに、だまされるわけがないではありませんか?

 文鳥には、抱卵中に卵を捨ててしまったり、育雛中にヒナを巣外に捨ててしまうものがいます。その理由は計り知れませんが、少なくともその卵やヒナが異常だからではありません。なぜなら、生存に不適当な異常があれば、孵化したところで育たないだけで、いちいち親鳥がそれを選別してやる必要が無いからです。
 抱卵拒否や育雛拒否が起これば、まず繁殖環境に問題がないか、飼い主が邪魔をしなかったかを考え、問題があれば改善し、無ければ、文鳥夫婦がだんだんと上手になっていくことを祈るまででしょう。そこに奇怪な迷信を介在させてしまい、考えるべき問題点を考えないと、いつまでも繁殖がうまくいかないと嘆くことになるかもしれません。

余談
 文鳥にいまだ科学では解明できない特殊な能力がないとは言えません。しかし、それは大昔から人間が作り出した自然界には存在しない想像物としての「超能力」とは違うでしょう。冷静に見てご覧なさい。いかなる動物が念力で獲物を倒すでしょう。いかなる動物が予知能力で外敵を避けるでしょう。いかなる動物がテレパシーを使って遠くの仲間と連絡するでしょう。そんなもの、10円玉が動いて間抜けな芸能人と茶の間のお子様が喜ぶ程度にしか意味のない能力なので、進化しなかったと考えるのが適当なところです。
 動物に関しては、災害を予測する能力があると、よく言われています。しかし、少なくとも地震の予知能力を鳥に期待するのはお門違いではないでしょうか。彼らは、グラッと揺れたところで空に飛び立てば良いのですから、地震など有っても無くてもその生命には直接影響しないはずです。自分には関係も無いのに、わざわざ予知しても意味がないように思います。

 

お米やカナリアシードは太る!

 文鳥という生物は、別名ライスバードと言うくらいで、インドネシアの稲作地帯原産の小鳥です。したがって。本来主食はお米と言っても良いくらいだと思います。また、日本でもくず米や青米を飼料の一部として用いられ、その飼料で数百年も繁殖してきているのも、疑いようの無い事実です。
 そもそも、お米を食べて太るという考え方自体が、世界的に見て日本人の一部だけが持つ無根拠の迷信です。実際は、カロリーで考えれば、ご飯1杯
(150g)は6枚切りの食パン1枚と同じですから、ご飯は太るからパンを2枚食べたのでは、まるで逆効果となります。むしろお米のでん粉に多く含まれるレジスタントスターチは、難消化性のため血糖値の急激な上昇を起こさないので「腹持ちがよく」、そのため少量で満腹感を覚え、ダイエットには適していると見なすのが、現在では普通と言えます。
 栄養成分的にお米を検討すれば、低脂肪で、アミノ酸のバランスの良いタンパク質を含み、レジスタントスターチには整腸作用もあり、もし、自分の文鳥が食べるのなら、これを与えない理由はないように思います。
 ただし、白米は栄養豊富な胚芽部分がないので、玄米にすべきで、また炊いてしまうとでん粉質が糊状になり
(アルファ化)文鳥の消化には良くないと見なされますから、生で与えるべきでしょう。

 カナリアシード(カナリーシード)は昔は脂肪価が高いと見なされてきました。しかし、その明確な根拠を示されたことはないようですから、文鳥が好むので脂肪分が多いのだろうと言った当て推量だったのではないかと思います。
 カナリアシードの栄養価については、いろいろな数値があり、どれを基準とすべきか悩ましいところですが
(カナリアシードに限らず、雑穀の栄養価は産地や季節でかなり変動するようです)、参考までに飼料会社が商品に明示している数値と、栄養成分表から他の穀物や種実の数値を挙げると次のようになります。

※カナリアシードが他の穀物と栄養的に大差がないことは、飼育書の『文鳥の本』(ペット新聞社)が指摘されています。また、HP『Japanese Rice Bird』さんは、ポリフェノールを含むと推測され、むしろ老化防止効果が期待できる食べ物ではないかとされています。その主張は憶測の域を出ず、また、寿命に関連付けるのはいかがかと思いますが、今後は肯定的な側面も大いに考えられていくものと思います。

カナリアシード以外は五訂栄養成分表、カナリアシードは飼料会社(『ペッズイシバシ』)の表示、カッコ内は『原色飼鳥大鑑』(ペットライフ社)の数値

    カロリー タンパク 脂質 炭水化物 ビタミンB1

 

カナリア
シード
kcal

13.3 %
(14.0)

6.2 %
(6.0)

60.6 %
(55.0)

?
精白ヒエ 367 kcal 9.7 %
(9.0)
3.7 %
(4.0)

72.4 %
(62.0)

0.05 mg
精白アワ 364 kcal 10.5 %
(10.0)
2.7 %
(4.0)

73.1 %
(64.0)

0.2 mg
精白キビ 356 kcal 10.6 %
(13.0)
1.7 %
(4.0)
73.1 %
(58.0)
0.15 mg
白米 356 kcal 6.1 %

0.9 %

77.1 % 0.08 mg
玄米 350 kcal 6.8 %
(7.0)
2.7 %
(2.0)
73.8 %
(77.0)
0.41 mg
そばの実 364 kcal

9.6 %

2.5 %

73.7 %

0.42 mg
えん麦 380 kcal 13.7 %
(11.0)
5.7 %
(5.0)
69.1 %
(56.0)
0.2 mg

エゴマ 544 kcal 17.7 %
(26.0)
43.4 %
(38.0)

29.4 %
(10.0)

0.54 mg
ゴマ 578 kcal 19.8 % 51.9 %

18.4 %

0.95 mg
麻の実 567 kcal 19.3 %
(19.0)
49.1 %
(32.0)
21.8 %
(18.0)
1.61 mg

 私が目にしたカナリアシードの脂肪価の最大値にしても8%台ですから(最低は2%台)、40%に達するエゴマや麻の実のような種実と同列に論じることは出来ないのは明らかです。
 最近では、脂肪価はさほど高くないとことが知られてきたためか、「高カロリーで太る」などと言う主張が目に付くように思えます。しかし、カロリーとは、食品に含まれる三大栄養素それぞれに、定数をかけて足し合わせたものに過ぎず、端的に言えば、脂肪価が高いものが高カロリーになる性質のものです。
 具体的には、タンパク質と炭水化物1gは4kcal、脂肪1gは9kcalとして計算するのですが、例えば玄米は、【タンパク質】6.8×4+【脂質】2.7×9+【炭水化物】73.8×4=346.7となります。上記に掲げた栄養成分表の350kcalと若干異なりますが、これは三大栄養素以外の微細な部分を加味するようになったためで、ほとんど誤差範囲と言う程度の相違です。
 つまり、脂肪価が低ければカロリーも低くなる性質のものですから、「脂肪価は大したことはないが、カロリーは高い」などと言う矛盾は通常ありえません。したがって、脂肪価がさほど高くないカナリアシードも、カロリーが高くなるわけがないのです。上に挙げた飼料会社の裏書にはカロリーの数値がありませんが、計算式を当てはめれば、【タンパク質】13.3×4+【脂質】6.2×9+【炭水化物】60.6×4=351.4となります。この数値は、他の穀物と何ら変わらないと言えるでしょう。つまり、カナリアシードは脂肪価もカロリーも高いとするのは、非科学な迷信に過ぎないのです。

※別の飼料会社(『NPF』)のカナリアシード単品の裏書は、タンパク質13.6%、脂質4.9%、炭水化物51.6%になっていました。(2005・8)

 結局。脂肪もカロリーも科学的には問題ないのです。それでも、迷信という先入観にとらわれた人の中には、こればかりを食べていると太る傾向にあるような「気がして」、今の科学では解明されていない何らかの肥満物質が潜んでいると想像するかもしれません。しかし、冷静に考えれば、配合飼料にカナリアシードが含まれ、大多数の文鳥はそれを食べて問題となっていない現実や、海外の小鳥はより多くのカナリアシードが配合されたエサで、何も問題視されていない事実を、どのように考えたら良いのでしょう?たまたま身につけた迷信にとらわれる前に、現実を直視すべきだと思います。
 当然ながら、偏食により、食べ物が一種類に限定されると、細かなところで
(アミノ酸構成や微量元素含有量は穀物個々で異なる)バランスが悪くなり、体調に影響してくる可能性は考えられます。しかし、それはカナリアシードに限った話ではありません。

 本来、自分の文鳥が太ってしまえば、運動不足と野菜不足を考えるべきでしょう。むしろそれ以外の原因は、先天的な代謝異常くらいではないでしょうか?
 ところが「カナリアシードは太る」などと言う迷信を持つと、「不足」を起こした飼い主側の問題を考えもせずに、短絡的に文鳥から好物を取り上げ、「ダイエット」などと思い込むことになります。これは文鳥にとって、はなはだ迷惑な話です。

 

結語

 以上、冷静に考えれば、いちいち取り上げるまでもないような迷信ばかりですが、そうした迷信が何となく飼い主の頭にあると、現実の飼育において飼い主の判断を誤らせるような、悪影響が与える可能性があるわけです。つまらぬ迷信で問題を起こさないように、我々飼い主は気をつけたいものだと思います。
 なお、明示した論拠などから、誰でも内容は検証できるものと思いますので、論理的な矛盾があったり、別のより良い考え方が出来るとお考えの方がいらっしゃれば、ご指摘いただければ幸いです。ただし、「誰それの話では〜」など、私のあずかり知らぬ権威をもって、論拠不明のまま無責任な受け売りを展開されても返事のしようがありません。誰それから聞いた話が正しいか否か、その論拠から
(論拠も無いものを信じられる方が不思議です)自分なりに検討出来ていなければ、それをもって他人と議論など出来るものではありません。その点はご認識いただきたいと思います。

→ 補足「アイリングで 性別がわかる!


表紙に戻る