文鳥問題.

《文鳥の迷信》増補1


アイリングで性別がわかる!(2006・8)

 小鳥屋さんにメス文鳥を買いに行った。さえずればオスと断定出来るが、観察している間にさえずらないからといってメスとは断定出来ない。そこで店主にどれがメスか尋ねたところ、一羽ずつつかみ出し横顔の確認をはじめた。
 店主は何を見ていたのだろうか?まずは、環境省がペットショップのために作成した『ペット動物販売業者用説明マニュアル』に書かれている文鳥の雌雄判別方法を確認してみよう。 →環境省のページ

 「雄の嘴は濃い赤色で大きく、上嘴が盛り上がっています。雌の嘴は上嘴がなだらかで雄に比べて細長く色も淡い赤色です。目のまわりの赤色も雄の方がはっきりして濃い色をしています。成鳥ならば雄はピーヨピヨピヨとよくさえずり、ピョンピョンはねるようなダンスをします。これらの違いで雌雄の判別をします」

 この販売店用のマニュアルによれば、普段さえずりの有無を確認しなくとも、客に言われてからクチバシと目の周り(アイリング)の確認といった外見上の相違で判断することが出来ると見なせる。
 しかし、実際にはクチバシの小さなオスも、アイリングが赤いメスもいるので、外見だけで判断するのは不可能である。特に栄養状態の悪い店では、オスでもクチバシやアイリングの色が薄くなるのは当たり前で、外見的基準で即断するのは一層困難な環境と言わざるをえない。つまり、行政側が本当にオスかメスか客に間違いなく売るように指導したいのであれば、外見的相違では見分け難い点に注意喚起をした上で、一度栄養価のあるエサ
(アワ玉など)を与え、さえずるかどうか確認するように求めるのが、妥当なところのはずである。
 もちろん、文鳥の性別の判定を外見で行うことを不可能とするのは、私の個人的な奇抜な見解ではない。例えば今でも版を重ねている飼育書にも、「外見からは、いくつかの見分けるポイントがありますが、いずれも100パーセント確実というわけではありません」
(高木一嘉『かわいいブンチョウの飼い方』)とあり、さらに大正末年、今から80年も前の飼育書(石井時彦『文鳥と十姉妹』)でも明瞭に指摘されている。この80年前の飼育書はなかなか面白い文章なので、長めに引用しておきたい(読みやすいように少し修正した)

 「文鳥は一体に雌雄の見分けがつきにくい鳥でありますから、さえずりを聞けば問題ありませんが、見ただけで確かに雌雄を区別することはちょっと困難です。というのは、文鳥はあの通り雌雄共に色彩が全然同様ですし、大きさも大小いろいろで、雄だからといって、必ず大きく、雌だからといって必ず小さいともいえませんから、雄はかくかく、雌はかくかくという標準が一概に定まりません、それで手飼の鳥でもややもすると見違えることもありまして、百発百中適確に見極めることはまず困難といわねばなりません。しかし一般的にはクチバシと目の縁とで見わけます。嘴でわける場合には大きくて太くて丸みが強くて隆起の高いものは雄、丸み少なくほっそりして小さいものは雌と見るでありまして、目の縁で見わける場合には色が濃く太く滑らかに全周一様に出来ているのは雄、色やや淡くどこか一ヶ所でも欠刻のあるのは雌ということになっていますが、もとよりこれには時々例外がありまして決して一律には参りません。ある鳥はクチバシにおいてより多く雌雄の性徴が現れており、ある鳥は目の縁においてそれがはっきりしていますが、また両者があわせ備わってるものも少なくありません。そしてこの両特徴がよく現れている鳥は顔付きが雄はどことなくきつくて男らしい所があり、雌は反対にやさしくて威厳がありません。」

 外見での性別判断は難しく、詳しい人が自分の文鳥に対してさえ「時々」間違えるほどだと言うのである。しかも、「ちょっと困難」とか、「標準が一概に定まりません」とか、「先ず困難」などと繰り返しあるのを見れば、この「時々」はごく稀にといった意味ではなく、しばしば間違えてしまうという意味であるのは疑いのないところであろう。
 このように外見的特長で文鳥の雌雄を見分けることの不確実性は、大昔から「専門家」の間で認識されていた常識でありながら、現代でも公的機関が平然と推奨して、実際に冒頭のまじめな店主のように、必死でその外見上の違いを見つけようと努力する人も存在するのである。まったく、一度根付いてしまった迷信の執拗さにはあきれる以外にない。文字だけ学問の人
(もしくは検証能力のない人)が間違った昔の記載を鵜呑みにして、「専門家」ぶって一般に紹介することで、迷信などというものは拡大するものだが、とりあえず、現在の環境省様がその役割を担うのはお止めいただきたいものだと思う。
 総じて言えば、オスのほうが大きく、クチバシも立派で、クチバシやアイリングが赤い。メスは小柄で、クチバシはほっそりしていて、クチバシやアイリングはピンク色であることが比較的多い。これは確かにその通りで、多少経験があれば誰であっても承知しているだろう。しかし、それは比較出来る経験があって初めて成立する話であり、なおかつ何十パーセントもの例外の存在を認識した上での話なのである。そのような曖昧なものを、一般的な文鳥の性別判断の基準とされては迷惑であろう。

 上記のマニュアルは最近のものらしく、それ以前に何をもって販売業者が外見で文鳥の性別を判定出来ると信じここまされたのか不明だ(何らかのマニュアルがあったと思う)。しかし、この迷信のせいで、昔から間違った性別で売られ、今後も取り違えが頻発するのは明らかと言えよう。実際、個人的に3回以上文鳥の性別間違いで返金や交換してもらったことがあり、ご丁寧にもすべて別々の小鳥屋さんでのことであった。そういった経験を持つ者が、小鳥屋さんの性別判定能力など信じる方がおかしいと考えるのも、あながち無理はないように思える。何しろ、判断基準が上記のようなあいまいさなのだから、外見で判断しようとした時点で間違えられることを覚悟するしかないと、この際断言してはばからない。
 一般の人は、販売業者なら数多くの鳥を見てきたプロなので、外見による性別判定も可能と素朴に思うだろう。それは当然だし、私も昔はそのように考えていた。しかし、経験も知識も増えたはずの今現在、もしその場の外見で文鳥の性別を判断している店の者を見れば、それはプロどころか、情報の末端で不可能なことを不可能であることも知らずに試みている姿にしか映らないのである。
 この点で、少し古い飼育書
(宗こうすけ『ブンチョウ』)が、「オス同士やメス同士を買ってしまっても、あとで片方を取り換えてくれるよう店に約束してもらうのがいちばんです」とするのに、心から首肯しなければなるまい。つまり、小鳥屋さんも間違えるといった前提をもって、購入の際に用心するのが、むしろ本来あるべき鉄則と言えよう(性別が違えば交換するのは義務です)

 さて、クチバシの形やアイリングの色の違いも、雌雄の判別基準としてあいまいで当てにならないが、さらに不可思議な性別の外見的基準が存在するかのように信じられている。実は冒頭のお店で、手にした文鳥を照明の下に連れて行き、それこそ目を皿のようにして見ているので、一体何をもってオスかメスか判断しようとしているのか、念のため尋ねたところ、「メスには目の周りに切れ込みがある」とのお答えであった。つまり、その切れ込みを探していたわけである。
 このメスのアイリングの一部が欠けているという話は、先に引用した80年前の飼育書でも「どこか一ヶ所でも欠刻のあるのは雌」と明確に紹介されているように、昔から伝わってきた基準と言える。最近でも、『手乗り鳥の本12号』
(2001年発行)において、某飼鳥団体の役員をされている方が「(メスは)アイリングの一部が欠けている個体が見受けられます」とされているように、広く信じられている。しかし、そのような決定的な先天的相違が外見上確認出来るのであれば、それだけ見れば文鳥の性別など一目瞭然で何の苦労はいらない。先天的相違がないから、苦労しているのである。
 論より証拠で、我が家の文鳥たちを見ていただきたい。

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 写真1〜7がオスで8〜15がメスだが、8〜15のアイリングに切れ目を見つけられるだろうか?

 白状すると、私は小学生の頃に、文鳥のメスにはアイリングに途切れた部分があると信じ、冒頭の小鳥屋さん同様に一所懸命アイリングに切れ目を探していた。何しろ当時の愛読書(高木一嘉『かわいいブンチョウの飼い方』)にオスの特徴として「切れめのないマブタ」とあったので、切れ目があればメスだとわかるはずだと信じて疑っていなかったのだ。しかし、残念ながら、思い描く切れ目をはっきりと確認出来たことはなかった。
 確認出来るはずがない。写真のように、文鳥のアイリングはオスでもメスでも切れ目などないのだから!

「眼の周囲の紅色が淡く、ど
こか一か所が切れている」

 さて、宗こうすけ氏はその著書(『ブンチョウ』)で、大正時代の石井時彦氏の飼育書そのままに、「オスのほうは眼の周囲(紅色をした輪の部分)が完全なリング状ですが、メスのそれはどこか一ヶ所切れめがあり(注:例外もあります)、輪の紅色もオスのほうが濃い」とされ、図示もされている(P43右は参考までに目の部分を再現した図【元図は無着色】)。しかし、この図こそナンセンスといわざるを得ない。
 このように先天的にアイリングに欠けた部分など、私の経験上は例外なく存在しない。従って、もし実例の提示もせずに、伝聞を元に切れ目があると強弁するのであれば、それが飼育書の著者であろうと繁殖家であろうと獣医であろうと、私は事実をもって完全に否定せざるをえない。
 そして、むしろそれが、その人にとっての飼育の先輩から受け継いだものであっても、自分で迷信か否か十分に検証せず、一般の販売者なり飼育者に迷信を流布するのであれば、徹底的に非難したいと思う。そもそも、大正時代から「例外がある」と誰もが疑問を感じていたにもかかわらず、それを放置し続けたのは、あまりに先例重視の怠慢であり猛省すべきではなかろうか。

 私は、なぜこのような現実的でない迷信があるのか不思議に思い、アイリングはかじられると案外簡単に欠けてしまうので、後天的にそうなることを意味するのかと考えてみたことがあった。しかし、それではたんなる偶然であり、偶然を性別の基準に出来るはずはない。また、そもそも後天的な外傷と言うことであれば、アイリングが欠けている個体はオスにも存在するはずであろう。
 何らかの事実誤認が訂正もされずに何となく伝承されてきた、これでは完全なる迷信としか言いようがない。

「目の回りの赤い輪が途切
れている」

 しかしながら、迷信として伝統的な判定法を否定し去ることはせずとも、事実に近づけるために解釈を変えようとする試みはあったように思える。そもそも、オスの特徴として挿し絵を使い「切れめのないマブタ」と説明している高木さんにしても、本文中では「オスの眼のまわりは、紅色が切れ目なく染まっています」としているのである。オスが「切れめのないマブタ」なら、メスは「切れめのあるマブタ」となるが、「紅色が切れ目なく染まったマブタ」なら「紅色が切れ目なく染まっていないマブタ」、つまり「色に途切れのあるマブタ」と言うことになり、アイリングそのものが欠けているのではなく、色が薄い部分があるという意味とも思われるのだ(しかし、一般読者はそこまで勘繰らず「切れめのあるマブタ」を探す)
 この点、後に『文鳥の本』
(ペット新聞社1999年)という文鳥飼育の専門書(ただし雌雄判別方法には触れていない)もお書きになっている江角正紀氏は、『楽しい小鳥の飼い方・育て方』(永岡書店1996年)において、オスが「目の回りの赤い輪が途切れていない」とし、一方のメスは「目の回りの赤い輪が途切れている」として図示されている(P152右は参考までに目の部分を再現した図)
 複数もアイリングが欠けているという想定は現実的ではないので、おそらくメスには血色が悪くなっている部分が何箇所かあり、アイリングがまだらに見えることを想定されているものと思われる。実際の我が家の写真では4が最も近いといえる・・・、しかし、それはオスの写真なのだ!

 確かにメスのアイリングはオスに比べ総じて淡い色をしており、血色の悪い部分があることも多い。例えば写真の8、10、15などはそういった姿であり、アイリングそのものの一部が欠損しているという迷信よりも、はるかに現実的な基準と言えよう。しかし、それも例外が多すぎてあくまでも傾向程度のものに過ぎず、性別を判定する基準とは見なしがたい。何しろ、間違いなくメスである9、11、14のアイリングが真っ赤で染めむらがないオスの特徴を現しているように、全体の何十パーセントもの「例外」がある。そのようなものを基準としては、性別などかえってわからなくなってしまうであろう。

 それでは外見ではまったくわからないかと言えば、そうとも言えない。大正時代の石井さんはオスはきつくて男らしく見え、メスはやさしげに見えるなどと言っているが、数見ていくと確かにそういった『感じ』が『何となく』わかってくるのである。しかし、それは体格やクチバシ・アイリングの形や色といった外見のみならず、しぐさなどからの雰囲気といったさまざまな要素の組み合わせなので、極めてあやふやであり、これがこうならオス、あれがああならメスだとは言えない。
 結局のところ、お店で外見でわかるような基準など何一つなく、ましてや、一羽一羽捕まえてパーツの特徴で判断しようとすればかえって間違えることになるのは疑いのないところなのである。

 最後に繰り返さねばなるまい。外見で文鳥の性別を判断しようとする人を疑えと。

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