文鳥問題. |
某飼育書が、文鳥の歴史経過を次のように説明していた。
江戸時代初期より原種の色彩の文鳥が飼われていたが、普及による個体数の増加に伴い、白い差し毛のある「現在で言う桜文鳥」が出現し、江戸時代末期には白文鳥も作り出された。
これは、このホームページの『文鳥の歴史』で触れた、原種から桜、そこから白が作られたとする進化説だ。
しかし、私はこの説を絵画史料等の証拠がないことと、社会的環境、及び弥富町が生産を独占した遠因、また原種から桜が生じたものであれば、なぜ桜から原種が頻繁に生まれないのかといった交配的な理由から採用せず、原種から白文鳥が生まれ、白文鳥の固定化のための原種との交雑の中で、いわば必要悪として桜文鳥が出来あがったものとしてしまっている。
私としては、自説にこだわる必要はないのだが、その飼育書の記述には特に根拠が明示されていないので、黙って信じるわけにもいかない。しかし「江戸末期」は根拠があって書かれているはずであり、その根拠は私の知らない決定的なものに相違ない。私の場合は、学術論文でも、それを書いて得をしているわけでもないので、根拠に納得がいけば、さっさと自説は引っ込めて訂正しようと考え、根拠をご教示頂くように返信用の封筒を同封して著者に手紙でお願いした(例の『文鳥の歴史』の一部も参考にプリントアウトして同封)。
絶対に迷惑に思われたはずだが、このあつかましい一読者の質問に対して、半月程してご返事を頂いた。これは私信だが、自らが行った公の論述に対する説明なので、公開しても問題ないだろう。ただ、原文のまま載せるのは少し失礼な気もするので、箇条書きに直して明示したい。
A @によれば明治維新直後から白文鳥の輸出が始まった(輸出先はほとんどフランス)。 B @によれば柴田氏の祖父が並文鳥に白い差し毛が現れたものから、白文鳥を作り出した。 C Bの時期はAが可能であるためにはそれ以前でなくてはならない(つまり江戸末期)。 D @によれば白を作り出す過程では「白毛一枚に対して一朱」とされていたらしいので、 |
はっきり言ってしまえば、拝読した私はがっかりした。ようするに「@によれば」、柴田初太郎という人の話が根拠のすべてで、しかもそれは祖父から聞いた話、伝聞にすぎないのだ。
そんなものをどうして安易に信用できるのか、むしろ不思議でならず、正直に言えば多少腹も立ち、すぐに批判の手紙を書く事となった(今度はご教示を仰ぐわけではないので返信用の封筒はなし)。これも私信だが、私の書いたものだし、個人的な話題ではないので公開しても構わないだろう。それは以下の内容だった(原文にわかりやすいように着色)。
再啓 猛暑の季節となりましたが、ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。 先日は、厄介な質問でお手数をかけ、まことに申し訳ございませんでした。ご丁寧なお返事を賜りまして恐縮致しております。しかしさらに疑問は残っておりますので、非常にご迷惑とは存じますが、「ご意見を聞かせて頂きたい」との先生のお言葉に甘えて、再度、愚見を申し上げる次第です。 参考までに、一九二六年刊石井時彦著『文鳥と十姉妹』を引用します。 従って一個人の伝聞から、「突然変異によって並から白が出来たとは考えられません」と断定するのは多分に無理があるように思います。 中略 以上、胡錦鳥やインコといった羽装変化の遺伝研究の進んだ現場にいらっしゃる先生に、一文鳥愛好家が意見がましい事を申しますようで、失礼以上にその無謀を恐れますが、何卒ご寛如のほどよろしくお願い致します。 敬具 七月十七日 |
ようするに、どちらかに特定する事は出来ない状況であるにも関わらず、何で確信を持って断定してしまえるのか不審極まりないという趣旨だが、今見なおすとかなりきつい言いかたをしているように思える。
繁殖家の人なら「私は極一部に白い差し毛のある個体から、白文鳥を作り出したぞ!」といって、写真でも見せるくらいの証拠があるに違いないと信じていただけに、案に相違した安易な史料依存を当然の事のように見せつけられがっかりしたのだ。期待が大きかっただけに落胆も深くなったと言える。
伝聞推量形の話は、最も慎重に取り扱わなくてはならない。これは歴史史料に対する際の初歩なので、「70年前にある人が60年前の話を聞き書きしているのが証拠で間違いないのだ」ではお話にならない。『歴史畑』ならぬ先生にしてみれば、悪気はなかったに相違ないが、これは証拠価値が甚だ低いと言わざるを得ない。
小鳥の中には良く一部に白羽が混ざったものが現れるという。これは事実だろう。しかし、そこから単純に敷衍して、白羽を代を重ねるごとに増やしていき、純白に仕立てたと言い切るのには、実証が必要なはずだ。それでなければ、たんなる思いこみと指弾されても仕方がないのではなかろうか。
さらにそれが実証できたところで、史料から綿密にその実現した人、柴田初太郎氏の祖父なら祖父、海阜某なら海阜某で、その人が実行した、少なくとも状況証拠くらい提示しない限り、実際にどうであったか確定的に言えるものではない。それらがそろって始めて論理的で確実性の高い解釈として通説の域に達し、とりあえず断定的であっても許されるのではなかろうか。
何しろ、一部白羽が出るのも事実なら、稀に純白の個体(非アルビノ)も出現するのも事実だ。白文鳥が貴重であった初期に、白と並の交雑によって生じた中間雑種(容易に安価に手に入ったと思われる)から白を復元しようと、いたるるところで努力されたはずであり、柴田氏のいう祖父も、石井氏のいう海阜某も、そうした多くの事例に過ぎないように、突然変異個体の出現を支持する者としては思える。一体そのように批判された場合、進化説を唱える人は、伝聞推量の薄弱な根拠だけをもって、どれほどの抗論ができるのであろうか。
「考えられません」はいろいろ考えた結果として使用すべきだといわざるをえない。
なお著者のご説明では「明治維新直後に輸出するためにはそれ以前に作出され数も増えていたはず」との一文があった。しかし維新直後が明治何年なのかわからない。「直後」が初年をさすのか、五年か、十年か、見当がつかない。さらに文鳥の量産などは、数年あれば十分であろう(極めて単純に子供が10羽産まれるものとすれば、孫世代は100羽、曾孫世代は1000羽、玄孫世代は10000羽、そこまで有する歳月は五年以下だ)。
むしろ『朱』という江戸時代の貨幣単位で云々される点を強調した方が、江戸時代出現説を補強するかもしれないと私は思う。ただし1850年代、60年代の貨幣制度は大混乱の中にあり、あまり今の感覚で考えない方が良く、さらに『朱』が廃止されるのは明治四年の新貨条例を待たなければならないので、一概に江戸時代とは言えないかも知れない。なお一朱は16分の1両、銭250文で、普請人夫の日当に等しいという(東京堂出版『日本史小百科貨幣』)。
1927年発行の本に載っている柴田初太郎という人の談話によれば(伝聞)、その人のお祖父さんが(先祖の功名)並文鳥から人為淘汰で白文鳥を作りだし、明治維新直後あたりに(不明瞭)外国に輸出していた。したがって、江戸時代には作り出されていたはずだ(推測)。しかも談話によれば(伝聞)、その当時は(不明瞭)白羽一枚に一朱という基準があったので、これは人為淘汰が行われた証拠だ(不確定)。 |
くどいようだが、要約すればこれだけだ。これがすべてで結論とされてしまっては、あまりに困ってしまうではないか。より綿密な証拠固めをしてもらいたいと願う次第だ。もっとも、一般書の中で一々論拠を挙げる必要は無いだろう。しかし、論拠がなくまだ確定しがたい事に対して、さも絶対的な結論のように扱うのは不適切であり、影響力のありそうな人がそのように扱う事によって固定概念を形成してしまっては、多くの事を見誤る危険があることも確かであろう。
さて、このように書くと特定の飼育書を非難しているようだが、はっきり言ってどの飼育書もこの歴史については五十歩百歩で、深く考えずに無邪気に扱ってきているのが本当のところだろう。
私は全体として、その飼育書を、他より素晴らしい点が多いと思っている。たまたま著者は、文鳥の歴史については些末な問題としてそれほど注意しなかっただけであり、また文鳥を現在飼育するのに、過去の歴史などは何ら関係のない話題に過ぎないのだから、その注意不足も責める筋合いのものではないと思っている。重箱の隅をつついても意味はない。
ただ『専門家』と見なされる立場といっても、専門外では素人に過ぎないのだから(この場合おそらく著者の専門は小鳥の繁殖飼育)、根拠なく断定的な物言いは避けるべきであろうし(自戒含む)、この点は読む側も心得て、活字の内容が問題がないなど思いこむべきではないだろう。
ようするに白文鳥の起源を確定する論拠など、今のところ何もないらしいのだ。この問題についても、さらに検討の余地ありとして、研究者や物好きな暇人が精査する余地が多く残されているといえよう。
繰り返しとなるが、実際問題として、私は人為淘汰で進化しようと突然変異であろうとどちらでも構わない。ただ私的に興味を持ってしまって、大まかに調べた範囲では、突然変異と考えた方が説明がつきやすいというだけの話だ。完璧と言えるまで調べ尽くしているわけではないので、全然固執する気はない。第一、こんな事をいうと煙たがられるだけで何の得もない。
しかしこの話も、当然のようにまかり通っている話でも、少し裏返すとそれほど確実でもないという、事例の一つくらいにはなるだろうと思う。
2000年8月19日、著者よりご返信を頂きました。この拙いHPをごらん頂いた上に「お互いに推測ですが今後も研究して真実を確認していきたいですね」とのことで、今後メールでも折に触れご批判頂けるとのことでした。一読者の区々とした指摘に対して、これほど真摯な対応をしめされる著者には尊敬の念を禁じ得ません。
現在『進化説』の論拠は案外薄いようですが、これを期に論理的、史資料的な補強がおこなわれるようであれば、この指摘も無駄ではなかったかも知れないと思いました。