以上は現状の話。甚だ遺憾ではあるけれど、ABや町のペットショップの中でも良心的な(従って非商売的な)小さなお店は消えていき、巨大な総合ペットショップと、もともと鳥屋だったのに、店主にちょっと商才があって、今風のこじゃれたペットショップに改修したような雰囲気の店だけが、残されるような気がしてならない。
 そうした大型店や小奇麗な店が、システム的に充実したもの(動物病院を併置するとか保証制度が充実するなど)になっていくなら、むしろ歓迎すべきかもしれないが、
多種多売の軽薄長大かつ無責任な大衆迎合に終わるだけのような気がしないでもない。

 思うに、ペットショップとは、本来購買者と繁殖家(ブリーダー)の仲介者として存在すべきもので、店内のせまいオリの中に動物を押し込めて、消費者に売りつけるような真似をすべきではないのではなかろうか。これだけ情報化社会が進み、流通も円滑な社会で、大昔の見世物小屋か、さびれた地方都市の動物園ではあるまいし、動物を展示販売する必要など何もないはずである(お店を冷やかして回る趣味が出来なくなるので個人的には悲しいが)。

 大体日本人というのはペット(というより動物一般)に対して無邪気で無自覚すぎる。平気で、生後一月そこらの子犬をショーケースに放りこみ、衆人環視にさらしているのが一般的なのはひどすぎる。人間に幼児期のトラウマがあるように、犬だって乳離れするはずもない時期に母犬から引き離されれば、犬としての自覚が欠如した動物となり、権柄症(自分が家族で一番偉いと錯覚してえばり散らす)などの問題を引き起こすのも当然であろう。板ガラスの前で「かわいい」などとのたまわっている場合では全くないのだ。
 さらに文鳥のヒナに関しては、一般的には一つの生産地(弥富)から全国に出荷しているように思われているが、実際は弥富の文鳥生産は衰微の一途をたどり、去年(1999年)の出荷は4万羽(最盛期の十分の一)に過ぎない(詳細は近日中『文鳥問題』にて)。弥富産が後退した部分は、庭に禽舎があるような小規模な繁殖家から供給されているものと想像されるが、一体問屋を介在としたものか、直接ペットショップへ流通するものかわからないので、買う前に、どこから仕入れたか、お店の人に訊いてみても良いかもしれない。直接繁殖家から仕入れたものなら、責任の所在を明確に出来る可能性があり、また遠方の生産地から過密状態で問屋を通して小売へと流通するよりも、病気に感染している可能性も低いものと思われる。

 ただし、これは欧米のスタイルを基準とした優等生的な正論、文鳥のヒナに関しては事情が変わってしまう。なぜなら、いちいち注文に応じて文鳥のヒナを一羽ずつ仕入れるというのは、コスト的にも現実的ではない。おそらく欧米はあまり文鳥飼育が盛んでないらしいのは、このヒナ段階での店頭販売という習慣がなく、従って手乗り化を気軽に出来ないことが、一つの大きな原因となっているものと思われる。何しろヒナへの人工給餌によって人間並に愛着が増すのが、それ自体良いか悪いかは別として、文鳥の大きな特色で、人気のかなめなのである。
 つまり店頭販売による手軽さが、日本における手乗り文鳥の普及に大きく貢献しており、多くの悲劇を伴うものの、より多くの人に文鳥とふれあう時間をもたらし、その愛好者を増やしているのだから、それ自体もはや必要悪といわねばならない。

 私は日本以外の国の文鳥飼育の実態をまるで把握していないが、たとえばイギリス人のマニュアル本の日本語訳『飼い鳥』(小学館1985年)などを見ると、その内容で、文鳥の飼育の参考となるものはほとんどない。何しろ「けんかをせず他の鳥と仲良く暮らす」などと文鳥を説明しており、理解度には多大の疑念が残る(おそらく禽舎飼いばかりで、カゴ飼いの知識が不足しているものと思われる)。さらに「アメリカ合衆国では輸入を禁止している」ともある。それは一般人のカゴ飼いをも禁止するものかわからないが、禁止の理由は、野生化し稲の害鳥となるからであろう。ヨーロッパ産の動植物を人為的に導入して、生態系を壊してしまった過去がある国にしては、ずいぶん厳重なものだが、そのような阻害要因もあってか、手乗り文鳥に関しては欧米は無知といえるレベルで、プロの繁殖家がインコやカナリヤ同様に、色変わりを作り出そうと血眼になっているのが現状のような気がする。日本のような、手乗り文鳥を家庭で楽しむ姿はほとんどなさそうなので、そのまま手本とするのは無意味なようだ。

 こうして考えていくと、日本のペットショップの文鳥にとってのあるべき将来像は、かなり難しいものがある。文鳥の成鳥についてはインターネット的なものを利用しつつ、アジア的な店頭展示販売を減らしていった方が良いとしても、完全に注文取次ぎ販売になると、少なくとも生産地から問屋へ大量に卸すスタイルは不可能となり、手軽さが失われれば、おそらく需要は低下するはずなので、採算面から近隣の繁殖家も激減、結果、文鳥飼育自体が衰退してしまうかもしれない。
 さらに現在売れ残ったヒナは、そのまま成鳥として販売する道が残っているが、店頭販売がなくなればその道も閉ざされてしまう。

 「小鳥くらいは店頭販売したほうが良いのかも…モニョモニョ…」
 というようなあいまいな考え方(個人的な本音だが)が許されないとすると、もはやペットショップがなくとも、飼鳥団体が一般化して十分なネットワークのもとに、個人飼育者を掌握しないことには、どうにもならないかもしれない(現状の飼鳥団体は
セミプロの親睦組織の側面が強い気がする)。しかし、そのような理想の実現は困難この上ない。

 とりあえず、『良心的な趣味のお店』という本来あるはずもない形態が、少しでも長続きするように、また、ひどいお店を排除されるように、選択するように心がけるくらいしかないのかもしれない。


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