1、ヒナ鳥購入の顛末

 ついに再興の時は来た。1995年夏、ひまな大学院生だった私は思った。再び文鳥を飼い、自家繁殖させて代を重ねるのだ。
 もともと我が家では1980年頃から、自家繁殖で生まれたヒナを餌づけして、成長すると外部から嫁や、婿を迎える形で、五代にわたる系譜を誇っていた。普通、人間が餌づけした文鳥(手のり)は人間のつもりでいるから、巣箱の中でじっと卵を温めたりしない。鳥カゴの前の人間に、遊んでもらおうとして巣箱から出てきてしまうので、当然卵は孵らない。
 だから手のりでの繁殖は難しく、これを五代に渡って成功させたのは、自慢できることだった。ところが、このブクという名のオスの手のりを始祖とした文鳥の王朝は、五代目のコボというオスをもって断絶してしまい、すでに二年以上が過ぎていた。
 ついに伝統のある我が家の文鳥も、コボの未亡鳥一羽だけとなっていた。しかしこの未亡鳥は手のりではなかったから、私は手のりに飢えていた。小さい頃から手のり文鳥を部屋に離して遊んできたので、この空白は寂しい。しかも唯一残った未亡鳥も、すでに五歳を過ぎていた。このままでは、我が家から文鳥がいなくなる。これは何となく取り返しがつかないことであった。
 一刻も早くペットショップでヒナを買い、それを手のりの初代とした文鳥王朝を構築しなければならない。私は固く決意した。しかし、それには問題があった。文鳥の繁殖シーズンは秋から春にかけてで、暑い内はけっして巣作りをしない。当然卵を生むこともなく、ペットショップにヒナが並ぶこともない。この辺は見境のない人間とおおいに違っている。
 私は小鳥でも文鳥にしか興味がない。インコのようなくちばしの曲がった、色の派手なのは嫌いだ。私はヒナが売り出される秋を、イライラと待つしかなかった。
 ところが、この年の夏は十分に義務を果たした。異常な孟夏で、勤勉に暑く、我々に夏というものがどういったものかを、必要以上に思い知らせてくれた。電器店からはエアコンが消え、東京電力は消費電力の増加に冷や汗をかかされた。しかもこの夏の性格はしつこく、いっこうに涼しくならなかった。
 私は九月となると、早くもヒナ用の餌などを買い込み、『フンゴ』というワラ製のおひつのような蓋付きの入れ物に市販の干草を敷き、ヒナの受け入れ体制を整えていた。しかし自然の摂理には逆らえない。それらをいじりながら残暑を呪う以外に仕方がない。
 もちろん、その間に何件かのペットショップをのぞいてはみたが、
 「あらぁ、こう暑いと鳥も卵を生まないのよねえ。このままだといつ(ヒナが)入荷するか分からないわねえ」
 といった、店員だか店主だかのおばさんの返事をきくだけだった。あるお店のおじさんはヒナの入荷は十月になる断言した。じれったく思いながら、それまで我慢するしかない。
 十月、学問の秋。本来ひまとはいえ学生だったので、週に一、二度は学校に行かなければならない。大学は九月の半ばには始まっていた。文鳥のヒナには餌づけが必要となり、二週間ほど、朝の七時三十分頃から三時間半おきに五回程度、口の中に餌を押し込まなければいけない。だから、常識的にはヒナを買って育てる時間などない。しかしじらされて、ますます文鳥に固執してしまっていた私に、そんなことは通用するはずもなかった。十月となると『フンゴ』を持って、手当り次第にペットショップなどを巡回せずにはいられない。
 しかし、なかなかヒナは出回らなかった。すべて勤勉な夏のせいだ。ようやくある小鳥屋さんの店頭に、『文鳥のヒナあります』という、うれしい文字を見つけた時は、すでに十月も中旬だった。
 少しさびれ加減のN橋商店街にあったその小鳥屋さんは、いかにも、動物好きのおばさんが、半ば趣味で開いているといった風情で、いかにもありがちな様子だった。とにかく、ヒナを見せてもらう。大きな『フンゴ』の中で、非常に小さなヒナが二羽うごめいていた。卵から孵って二週間そこそこといったところか。一羽はほとんど羽毛もはえていないし、目も開いたばかりのようだ。白文鳥と桜文鳥のヒナだった。
 文鳥には全身の羽毛が純白の白文鳥と、およそ頭と尾が黒、腹部が桜色、頬と下腹部が白、他の部分がメタリックな灰色といった素敵な配色を持ち、胸部の灰色部分に混じった白模様が、桜の花びらのように見えることから桜文鳥と呼ばれる種類がある。最近ではこの二種に加えて、『シナモン』というのも売られている。これは桜文鳥の配色を、セピア色化したような外観だ。シナモン、つまりニッキだから、ニッキ飴の色からきた名称だろうと思う。シナモンからニッキ飴を連想する事に年齢を感じないでもないが、ともあれ、これらの種類は単に毛色の違いによる区別に過ぎず、人間の肌の色と同じで、みな文鳥に変わりはない。
 「今朝入荷したばっかりで、まだ餌もあげてないのよ」
 午前十時過ぎだった。昨夜親鳥から引き離したものとすると、相当空腹しているはずで、確かに喉元の餌を貯めておく部分(そのう)には、何も入っていなかった。おばさんはせわしく餌の用意を始めていた。
 普通こんな小さなヒナは売り出されないものだが、これも勤勉な夏の結果だろう。しかし、餌づけについて準備満帆、自信過剰ぎみの私としては、むしろ幼くて手垢のついていないほうが良かった。しかも、桜と白文鳥のヒナを一羽ずつ買って、それがオスとメスに育ったら(ヒナの時には性別は不明)夫婦にしてしまおうと当初から算段していたので、これはまさに天の配剤、迷う余地などなかった。
 「二羽ともください」
 おばさんはピストン式の給餌器で、手際よく餌をヒナの口に放り込みながら、入れ物はどうするかと訊いてきた。私はナップザックから例の『フンゴ』をごそごそと取り出す。
 「あらっ」
 年季の入った『フンゴ』をもった妙な客に対して、さまざまな備品を売りつけるのは不可能だと悟ったのだろう。おばさんは若干腹を満たしたヒナをひっくり返して、おしりを見せた。ヒナが下痢だとおしりは汚れるから、玄人はおしりを見て健康を確認したりするのだろう。別に下痢でも良かった基本的に素人の私は、適当に相槌をうって、
 「いくらですか」
 とせかすようにして、二羽で千数百円を払い、『フンゴ』を抱えて家路を急いだ。

 

2、ヘイとゲン

 つれ帰った二羽のヒナを、満足気に眺めていると、白文鳥のヒナよりも一回り大きいが、数百円安い桜のヒナが(白文鳥のほうが人気があるからだろうか)、「おまえは何だ」といった様子で、こっちをまじまじと見つめかえしてきた。きっとこいつが養い親かと確認していたに違いない。
 白文鳥のヒナ毛は背中の一部が灰色である以外は白で、くちばしはピンク色をしている。それに対して桜文鳥のヒナは全身灰色、それも成鳥のメタリックな灰色ではなく、くすんだ黒っぽい色で、しかもくちばしは黒い。いかにも醜いアヒルの子といった容姿をしている。私はこの綿ゴミのような桜文鳥のヒナのほうが好きだ。
 桜文鳥はヘイ、白はゲンと名付けた。白といえば源氏の白旗を連想したのでゲン、源氏ときたら平家なのでヘイとしたのだ。大した意味はない。ただ私が日本史の勉強をしていたので思いついただけだが、大体、小鳥の名前は簡単なほうがいい。なぜなら、たとえマルクス・エンゲルス・トンチンカンなどとつけても、マルちゃんと通称されるのは目に見えている。ましてヒナの性別不明なので、エリザベスだとか花子だとか権作だとかの名称もつけられない。
 私はすでに買い込んでおいたヒナ用の餌を湯づけにし、その粒餌を、やはり用意しておいたプラスチック製のピストン状の給餌器で、毎日せっせとヒナの口の中に押し込み、幸福であった。
 ところで、数種類市販されているヒナ用の餌は、どれも鶏卵の黄身を粟にまぶして乾燥させたもの(粟玉)を基本としているが、いろいろ付加価値がついている。あるものは葉緑素入りとしてあり、あるものは各種ビタミンを含んでいるという透明の粒『マイクロカプセル』が混ぜてある。
 私が与えていたものには、薄茶色の顆粒の入った小さな容器が添付されていて、粟玉を湯に浸した後にこれを一かけすることになっていた。何でもその顆粒には、白子エキスが入っており、その成分?DNA(袋にはそう書かれているが、DHAだと思う)は頭を良くするといわれるものだ。鳥が餌に混じった薬物で利口になって、人類にとってかわるという手塚治虫のマンガがあったが、この顆粒にそこまでの効用を期待したわけではない。ただ『マイクロカプセル』より安く、何かその無意味さも感動的だったので、使用することにした。もちろん懐疑的傾向のある私は、宣伝文句通りの栄養がそれに添加されているとは限らないと思っているので、カキ殻を砕いた市販のボレー粉や、小松菜を擦り鉢で、擦りに擦り込んで餌に混ぜることを怠りはしなかった。
 『フンゴ』の底に敷く切りワラも、しょっちゅう取り替えられ、まったく至れり尽くせり、おそらくこれ以上はない環境のもとで、二羽は成長していった。その間やむを得ず大学に行くときは、餌づけを大家さんに頼むことでしのいだ。すでに、大家のおばさんには、まっとうな人間なら確実にかわいいと思うであろう、丸い目で大口開けて、シイシイ、ピーピー餌をせがむヒナの姿を見せつけていたので、積極的に協力してくれたのだった。おかげで、いざとなれば、『フンゴ』ごと学校に持っていって、教授その他に、動物愛護の精神を思い知らせてやろうという私のたくらみは、未遂に終わった。
 さて十人十色、人間の性格もさまざまなように、動物にはそれぞれ個性がある。ある人はアリにすら個性があるという。アリについては分からないが、私の観察では金魚にも性格の違いがはっきりわかった。もちろん文鳥も一羽一羽違う。購入当初からヘイは少食で、人の顔をジィーと見つめているような様子だったが、やがて、好奇心旺盛でそこら中を飛び回って遊ぶ活発な鳥に成長した。一方のゲンは大食だったが成長は遅く、成長してものんびりで、人の手の中で眠る甘えん坊だった。
 文鳥はあっという間に成長し、生後一月もすると自分で粒餌を食べるようになるが、外見から性別を見分けるのはほとんど不可能に近い。いろいろ微細な外見上の見分け方はあるが、非常に不確実だ。結局。求愛の歌であるさえずりをするのがオスで、さえずらないのがメスとする以外にない。ところが、オスがさえずり出すのは、生後三カ月以上たってから。だからこの不明の時期には、かってに性別を推測して楽しむことになる。我が家の人間は、一回り小さなゲンに餌を与えるようなそぶりを見せるヘイを、メスに違いないと思っていた。人間の女の子がままごとをしているような態度に見えたのだ。一方性格の反対なゲンはオスと決めてしまった。小さい頃、女の子の方が活発で、男の子の方がおとなしいというのはありそうな話ではないか。
 オスとメスなら、購入当初の目論見が、見事に図に当たる事になる。まんまとうまくいったと喜んでいたら、二羽はグズグズとぐずり始めた。若鳥は初めからきれいな声音を出せないので、いろいろと喉を鳴らしてぐずりながら、自分流のさえずりを編み出すのだ。間違いなく二羽ともオス。計画倒れにはショックをうけたが、私は二羽の悩める青少年にさえずりの模範を示してやることにした。
 「ピー、ピピヨン・ピピヨン・ピピヨン。
     ピー、ピピヨン・ピピヨン・ピピヨン。」
 口笛でやる。ちょうどホトトギスの「ホー、ホケキョ」に似た調子だ。これは断絶した先の文鳥王朝の始祖ブク(なんと安直な名前だろう)のさえずりを、当時小学生だった私が一所懸命まねしたものだった。余談だが、このさえずりを聞いた巨人ファンの隣家のおじさんは、
 「ジャイアンツ、ジャイアンツ、と鳴く鳥がいる」
 といっていたく喜んでいたものだった。
 さて二羽を手に乗せ、繰り返し、繰り返し口笛を吹く。
 『なんと素敵なさえずりだろう。』
 痛く感動したらしい二羽は、小首を傾げながら、微動だにせず聞き入り、一所懸命まねし始めた。それぞれ練習しては、手本の口笛に耳を傾け、また練習。鳥カゴの中でも、一日中、口笛の調子に近づこうと努力している。その様子はなんともいじらしい。
 数週間の努力の結果、ヘイとゲンは自分のさえずりを確立した。ゲンのほうがオリジナル?の口笛に近い。一方のヘイスケ(オスとわかってからはスケ付きで呼ばれるようになった)は、明らかに無理をした『裏声』で、その音色はかすれ気味のハスキーなものになっていた。

 

3、嫁取りの一件

 同性が同棲しても、くだらない洒落になるだけで、子孫は出来ない。私の目的が、文鳥の代重ねにある以上、次には嫁を迎えなければならない。そこで一羽は夫に先立たれ、寂しくしている祖母のもとに送り、メスを一羽買って夫婦とすることにした。
 ヘイとゲン、どちらを残し、どちらを養子に出すか。活発なヘイスケのほうが家族内の人気は高い、一方おとなしいゲンは年寄り向きかも知れない。また以前に祖母が飼っていた文鳥は白であった。こうした思慮に基づき、私は回りを紙で目隠しした小振りの鳥カゴの中にゲンをいれ、横浜から東京千駄木の祖母の家に向かった。およそ一時間半くらいの間、目隠しのない天井部分から外の様子をうかがい、箱入り息子のゲンはそわそわし通しだったが、なんとか無事に祖母に手渡すことが出来た。
 もうすぐ夏だった。いや実際はようやく五月の下旬であったが、私は嫁捜しを開始した。。一年中発情している人間と違って、文鳥は涼しくならなければ卵を産まないから、本当はまだ暑くもならない前に、メスを買ってきても仕方がない。しかし善は急げ、思いったったら吉日というではないか。第一大事な息子の嫁だ。十分に下見するべきなのだ。私は電話帳『タウンページ』で調べて、またしてもペットショップの冷やかしを開始した。
 器量も気立ても重要だが、それ以前にヘイスケは桜だから、嫁は白の方がいいと思った。なぜなら、飼育書によればこの組み合わせによって、白と桜両方が産み分けられるとされていたのだ。一粒で二度おいしい。昔、これを信じて桜のメスに白のオスを買ってきて夫婦としたら、ゴマ塩頭の子供となったが、これはきっと何かの間違いに違いない。
 文鳥は性格の激しい小鳥で、性格の不一致は途方もない喧嘩を引き起こす。一方が一方を追いかけ回し、夫婦生活どころではない。そこで、婿取り、嫁取りの際はお見合いさせるのが望ましいとされている。ペットショップに愛鳥を同道し、相手と一つのカゴにいれて相性を見るのだ。
 「後は若い二人だけで。」
 といったところだろうか。しかしこの見合いについて、私は否定的だ。手のりにした愛鳥は、初めてのペットショップという環境に、落ち着くはずもないから、キョトキョトしてしまって短時間で相性なんて分からない。大体ヘイはまだヒナ毛の抜け切らない小僧、いわば声変わりしたての中学生だから、見合いなどまさに十年早い。ペットショプの店員に何をいわれるか知れたものではない。第一下見だ。
 確かに下見のつもりだった。しかし京浜東北線S駅の、繁華な商店街の外れにあるペットショップで、すばらしくきれいな白文鳥を見てしまったのがいけなかった。外見でオスかメスか分からないからおばさんに訊くと、残念ながらオスだったのだが。この時点で、何となく早くメスを買いたくなってしまった。おばさんはメスを仕入れてくれるという。しかしこのお店は値段が割高で、しかも仕入れたメスが、この素晴らしいオスのような外見である保証は何もない。せっかく仕入れてもらって、気に食わないと言い切る厚かましさの持ち合わせはないので、とりあず断って、他をあたることにした。
 横浜線K駅、ここに来たのは初めてだったが、調べは十分に尽くしているので駅近くの小鳥屋さんはすぐにわかった。割に大きなそのお店の中の大きな鳥カゴの中に、十羽以上の白文鳥が入っていた。カゴにはオス◯◯円、メス◯◯円と値札がついていた。文鳥の場合、卵出産の際の事故(卵が産道に詰まってしまう)の多いメスのほうがいくらか高いのだが、それにしても安い。二千五百円くらいだった。普通は四、五千円するから、これは破格といえる。
 「これは買いだ!」
 私の心が叫んでいたが、何の気もない様子で、おばさんにどれがメスなのか聞いてみる。これこれがメスだという。私はあらかじめ目印(脚環をつけたりする)がつけられているのかと思ったが、どうも外見だけで判断しているらしい。尊敬と疑惑の念が同時に起こる。確かにメスだといわれた鳥はそれらしく見える。私は、目の回りやくちばしのつややかに赤いのがオス、ピンクがかったのがメスだと見なすが、まったくあやふやで、外見で完璧に区別する事は不可能と信じていた。ところがこのおばさんは・・・。きっと店の奥に老夫婦がいるところからして、この人は老夫婦の娘で、小さい頃から小鳥を数知れず扱っていて、ものすごい識別能力を有するにいたっているのかも知れない。きっと結婚して近くに住みながら、両親の店を切り盛りしているのだろう。などとかってに想像しながら、とりあえずメスと指摘されたうち、最も容姿端麗の一羽を購入する。
 いい買い物をした。小一時間かけて家に戻った私は、別々にして、数日様子を見るべきところを、早速ヘイスケのカゴに『嫁』を放り込んで、様子をうかがった。仲は良さそうだ。ヘイがからんでいっても相手にしない。容姿も良ければ、性格も良い。しかも割安。完璧だ。私は多いに満足し、小松菜、ボレー粉、粟玉を与えた。
 翌日、朝日を浴びて『嫁』は気持ち良くさえずり出した。おそらく生まれてはじめての、栄養満点の食事をとった『嫁』のくちばしは、つややかに赤くなっていた。オスだったのだ。唖然とする人間など無視して、彼はまるでアメリカのセミのような甲高い声で、実に気持ち良くさえずり続けた。
 いかに完璧でもオスに用はない。私は小鳥屋さんに電話して、メスに取り替えてもらう事にした。うまい話には気をつけるべきだ。忸怩たる思いで『嫁』を連れてK駅に向かう。 恐縮した小鳥屋のおばさんは、じっくりと観察した上でメスと思われる二羽の脚に目印をつけて待っていた。一羽は小振りにまとまった鳥だが、オスの可能性があるように映った。もう一羽は大振りで、ほっぺたが奇妙に膨らんでいて器量は数段劣っていたが、いかにもメスといった感じだった。おばさんも、こちらがより確実だという。どうもこのおばさんの鑑識眼は私とたいして変わらないようだ。
 この際メスならなんでもいい。嫁は子供を産めばそれでいい。何やら大時代的な、どうせ成人すれば都会で悪さするに決まっているのに、跡継ぎ、跡継ぎと、目の色を変えている、おもに田舎に少数存在するらしい人のような考え方となった私は、もはや見栄えなどどうでも良くなっていた。わたしは、おばさんがお詫びとしてくれたボレー粉を片手に握り締め、
 「電車賃にもならないじゃんか。まったくまたオスだったらどうしてくれよう。」
 などと不満と不安と不穏な思いを抱えながら、そのお多福鳥を連れ帰った。
 お多福は図太いというか、おおまかというか、ヘイスケにいじめられてもまったく意に関せずといった感じで、その点たくましかったが、何しろ『嫁』が抜群に器量が良かったのと比較すると、ため息が出てしまう。それでも一カ月たってもさえずり出すことはなく、メスであった。とにかく卵を産めばいい、私は自分を慰め、お多福顔の嫁にフクと名付けた。

 

4、ヘイスケの狂乱

 まだ梅雨にすら入らないうちから、ヘイスケとフクには高たんぱくで発情を促す粟玉や、健康に良い小松菜をたっぷり与え続けた。九月になると、すぐさま巣箱を鳥カゴに入れて、巣作りに使う巣草(シュロという南方系の植物の表皮に生えている毛質のもの)も用意し、卵産め、卵産め、とせき立てたが、ヘイスケにはその気がない。初めて見る巣箱にいぶかっていたが、やがてそこを自分の城と決めこみ、フクが近づくことすら許さない。明らかにフクを煙たがり、巣作りどころではない。
 十月になっても、十一月になっても状況は変わらない。外に出てきては、私の口笛によるさえずりに耳を傾け、人の食物をねだり(豆類や柑橘系が好物)、人の手の中で水浴びをし、ハチ鳥のように空中静止など高度な飛翔能力を駆使し遊び回っていた。普通、遊び回って捕まらなくなると、羽根を数枚切って、飛翔能力を落とさなければならないが、何しろ、口笛を吹くと飛んでくるヘイスケは、簡単にカゴに入るので、生まれてから一枚の羽根も切られていなかった。手のりでないフクは、逃げ回られて怒った私にほとんどの羽根を切られ、飛べない鳥化しているのとは対照的だった。飛びながら直角に角度をかえられる彼の飛行は、まさに芸術であった。
 飛行能力が優れていても、繁殖能力は怪しかった。奥手なら良いが、ひょっとしたら女性嫌い、変人、いや変鳥かも知れない。ヘイスケが不具であったら、私の代重ね計画は根本から崩れてしまう。当初嫁のフクがいわゆる『ウマズメ』だったら、たたき売ってやろうと良からぬ考えを抱いていたが、フクには問題はなさそうだった。彼女はしきりに巣箱に入りたがり、ヘイの留守中は入り込んでもいたのだ。ところがヘイスケは追い出してしまう。
 これは駄目だと思い始めた十一月の終わりのある夜、またしても留守中に巣箱に入り込んだフクをヘイスケが追い出そうと言い争う?声が聞こえていたが、しばらくすると静かになった。おやっと思っていたら、翌日からヘイスケの態度は豹変した。
 彼は超ハイ状態となり、死に物狂いで巣作りを始めた。もういても立ってもいられないようにそわそわし、用意した巣草はすべて巣箱に運び、外に出してやれば、ちり紙でもお札でもレシートでも、輪ゴムでもシュガーパックでも何でもかんでも巣箱に持ち去ろうとする。人間の食べ物をむさぼり食べようとし、台所をデモ飛行して水浴びを要求する。なんとも滑稽で目まぐるしい。ようするに、前夜、彼は男になったのだろうが、これほど分かりやすい奴も珍しい。とにかく妙なものを巣箱に運ばれては危険なので、新聞紙をちぎってやると、これもバンバン運んで、もっとよこせと要求する。とっくに巣箱から新聞紙がはみだしているのだが、やめようとしない。
 毎夜毎夜、外に出たヘイスケはこうした狂乱を繰り返したが、数日するとフクと交代で巣箱に入るようになった。相変わらず外に出て狂乱、狂奔はするが、三十分もすると巣箱に戻って、変わりにフクが羽を伸ばしに出てくる。交代で卵を温めているのだ。だいぶ常軌を逸しているが、なんて偉い奴だろうと人間たちは感動した。これほど熱心な父親もいないだろう。
 努力のかいあって、十二月の中旬ヒナがかえった。巣箱からシイシイ餌をせがむヒナの声が聞こえてくる。ヘイスケは一段と人間に食料をせがむようになり、特に焼魚を見ると、狂気の目の色で食いついた。そんなものをヒナに食わせてもらっては困るので、ビスケットなどを与えるようにしたが、その食べっぷりは鬼々せまったものだった。おそらくいろいろな変わったものをヒナに食べさせなければならないと信じ込んでいるらしいヘイスケは、ビスケットに飽きたらず、血走った感じの目で餌を探し回った。ヘイスケが帰ると、ヒナが餌をせがむ声が聞こえるから、きっとビスケットなどを吐き与えているのだろうが、大丈夫なのだろうか。
 文鳥は普通神経質なので、やめたほうがいいが、相手がさえずりの弟子であるヘイスケと鈍感なフクなので、私は巣箱の上ぶたを開けて、ヒナをのぞき見ることにした(こういったことが容易なので、繁殖にはつぼより箱を使う)。ヒナを抱きかかえるフクを割箸で強引におっぱらうと、イモ虫のようなものが三つうごめいていた。他に卵が三つ残っている。六つ卵を産んで、三つかえった。孵化率五十パーセント、上等上等と思いつつ、二日後にまたのぞいたら(今度はヘイスケがヒナを抱えていたが、こちらを見ると、どうぞご覧なさいとばかりに、遊びに行ってしまった)、イモ虫状のヒナは四つに増えていた。文鳥は一日一個ずつ卵を産んでいくから、すぐに卵を温めると、孵化日もそろわず、ヒナの大きさもまちまちになってしまうので、数個生まれてから温め始めて、同じ日に孵化するようにするというから、この二日遅れのヒナはその後に産まれた卵だったのだろう。
 翌日またしてものぞき込んだ私は、孵らない卵を中止卵と見なして処分した。腐った中止卵が割れたりしたら、せっかくのヒナが死んでしまうかも知れないので用心したのだ。ところが割れた中止卵を良く見たら、グロテスクな話だが、二つともヒナの形になっていた。中止卵ではなかった。フクの出産間隔にはムラがあったようだ。かわいそうなことをしてしまったが、後悔しても遅かった。まあ、六羽成長されても困るし・・・。それにしても受精率百%とは異常なくらいに優秀な夫婦だ。
 確かに出産と、孵化させることにかけて、この夫婦は天才だったが、育児には問題があったようだ。十二月下旬、計算すると、孵化後十五日ほど経ったので、手のりにするため親から引き取ることにしたが、どうもヒナは小振りで、喉元にあって餌を貯めておく袋(そのう)の中は緑色だ。どうも小松菜ばかり食べさせているらしい。そういえば、小松菜を入れてやると、ガツガツ食べてはいた。夜ヘイスケが与えるビスケットと、小松菜が主食では成長も遅れるだろう。感覚のずれた親からは一刻も早く引き離すべきだ。即座にヒナを『フンゴ』に移した。
 せっかく努力して育てたヒナを取り上げられれば、さぞかし親鳥は悲しむだろうと思ってしまうが、そういった情は文鳥には多分ない。不思議なことだが、ヒナがいたことさえ忘れてしまうようだ。『フンゴ』に移したヒナを見せても、ヘイスケは怪訝な顔して近づかない。ヒナに餌をやっていても無関心。フクも必死に子供の行方など探さず、まったく淡々としていて、張り合いなどない。昔、手のり十姉妹(ヒナの時に耳かきなどで餌づけした)を飼っていた時、その中でチビクロという名のオスなどは、ヒナでさえあれば、なさぬ仲でも、異種族でも、シイシイと餌をせがまれれば口移しで与え、実にかいがいしく世話をしたものだが、文鳥はそういったことをしない。自分の巣の中にいなければ関係ないらしい。
 その後春までの間、この夫婦は六、六、七と十九個も卵を産み続けた。もちろんこれが全部ヒナになったら、露店でも開いて商売しないといけなくなるから、産む都度人(鳥)口統制を実施し、処分した。あまり日を置いて処分して、ヒナの形になっていると、また罪悪感に苦しめられるので、早めに処分したが、とりあえず、受精卵かどうかは確認してみた。すると最後の七個のうちの二つ以外には血管があり、受精卵だった。単純に考えれば十七羽だ。驚異の多産系だ。フクはよほど丈夫なのだろう。ヘイスケが春まで巣材集めに狂奔したことは、いうまでもない。

 

5、第二世代のそれぞれ

 取り出した四羽は、ヘイスケの時と同様の行き届きすぎた餌を与えられた。また北国でもないのに、防寒用に電機アンカを底に置き、夜にはこれでもか、これでもかとばかり、十重二十重の毛布で包まれた『フンゴ』の中で、文字通りぬくぬくと成長した。残された写真の日付からその経過を正確に記すと、十二月二十五日のクリスマスに取り出されたヒナは、明けて一月六日には歩き回るようになり、九日には飛び跳ね、十二日には飛び回り始め、二十日には我が物顔に横行、群れ飛び遊ぶようになっている。
 名前は適当にトン・クロ・ゴマ・チビとつけた。トンは目の上の白い毛が眉毛のような模様となっていて、村山元首相(トンちゃんというあだ名だという)のようだったことに由来し、クロは一番黒いのと、感じがヘイスケに似ているから、ヘイスケのクローンという意味を込めて、ゴマは、単純に頭が胡麻塩模様だから、チビはより単純に、二日遅れで産まれて、一番小さかったといったところが、ネーミングの理由だった。桜文鳥のヒナはみすぼらしい灰色一色でくちばしが黒、白文鳥はは背中以外が白く、くちばしはピンクでなければならないが、四羽はその中間だった。クロは桜に近かったものの、ヒナ毛の時から頬は白かったし、くちばしにピンクの部分があった。あとの三羽は完全に合の子といった容姿だった。桜と白との組み合わせでは、胡麻塩が産まれるのが真理のようだ。
 三月ごろまで、四羽は遊ぶのが仕事と心得、傍若無人に行動した。ねらわれたのはヘイスケだった。何やらせわしく働き回っている変なおじさんは、ちび鳥四羽の興味の的となり、付け回されるようになった。
 「ガー」
 ヘイスケの威嚇などはまったく通用しない。ヘイスケの台所水浴びも、くつろいだものではなくなった。チビどもがまねをし、まして数に任せて実父のヘイスケを押し退け、押すな、押すなの修羅の場となったのだ。実子などという観念のないヘイスケとすれば、一体どこからわいてきたチビどもかと、まったく迷惑に思っていたことだろう。
 四羽はそれぞれに個性的だった。トンは一匹狼タイプで、小さくてとろいチビをいじめたりもした。反対にクロは親分肌で、トンからチビをかばったりしていた。また手の中で眠ったりして、最も人間うけが良かった。いわゆる優等生タイプだ。ゴマは変わり者で、暖かい電気ポットの上を自分の居場所と決め、回転式のミニ鏡を、くるくると回して遊ぶという芸当もあり、見ていて飽きなかった。チビはのんびりしており、動作も鈍く、何度も人間に踏まれかかり、一時は人間不信に陥り、近づかなくなった。私などが椅子に座って、脚をぶらぶらとさせていると、わざわざ足下にやってきて、蹴飛ばされて悲鳴をあげるのだから、よほどの間抜けだ。
 四羽いるから、どれがオスで、どれがメスかと楽しみにし、オスにはまたさえずりの講習をしようと思っていたが、一羽もぐずり始めない。おかしいな、と思っていた五月に事件は起こった。
 鳥カゴの方から、ギャ、ギャという音。鳥の祖先が恐竜というのもうなずけるけたたましい声だ。私はぞっとした。きっと、ちびどもが大喧嘩したに違いない。昔、二羽の兄弟が、妹を取り合って、人知れず死闘を演じた挙げ句、気づいた時には二羽とも重傷、一羽は死んでしまい、一羽は片足になったことがあったのだ。三角関係になってしまう構成に気づかず、三羽を同居させていたために起こった悲劇であった。
 飛んでいく。夜だ。暗くて良く見えないが、一羽底に落ちている。クロのようだ。えらいことになった。近づいて取り出そうとして、思わず手を引っ込めてしまった。蛇だ。とぐろを巻いた蛇がクロをくわえて、こちらをにらんでいる。
  「食事中じゃ!」
 奴はそういっているようだった。しかしその食物はかわいいクロなのだから、失礼しましたと引き下がるわけにはいかない。
 「ヘビ、ヘビ!」
 かなり狼狽しつつ蛇を引きずり出す。クロは自分の身に起こっていることを理解できないらしく、じっとしている。ギャ、ギャ、と悲鳴をあげたのは他のちびどもらしい。あつかましい蛇はクロを離さない。一メートル以上あるそいつの尻尾を持って、振り回してみる。離さない。どうしたものか、毒があったら困るし・・・。
 「離さんなあ。」
 とりあえず手近にいた親父に蛇を渡してみる。親父はクロをくわえたままの蛇の頭を、思うさま床に叩き付けた。
 「馬鹿野郎め。クロまで死んじゃうではないか。」
 口に出す前に、クロは逃げ出していた。こうなれば何の憂いもない。親父から蛇をひったくると、嫌というほど床に叩き付け、ついでに包丁で斬首の刑に処した。哀れな蛇の末路ではあった。隣家のヒヨコでも狙えば良かったのだ(ここは大都市横浜の真中だから不思議だ)。
 蛇は青大将ではないようだが、種類は分からなかった。一メートル以上の大物は久しぶりに見たが、どうやって家の中に入り込んだものか。カゴの隙間から入れる大きさではなかったが、チビどもをのびのびさせてやろうと、二つの鳥カゴを連結させていたのがいけなかった。その連結部分から這い入ったようだ。
 蛇には毒はなかったようで、クロはかまれた跡から、少し出血しただけで助かった。ところが数日後、今度はゴマが病気になってしまった。くちばしが青ざめてきた。食あたりであろうか。隔離して、ヒヨコ電球という保温用の電球で温めたりしたが、あっけなく死んでしまった。原因は水浴びのし過ぎか、蛇にあったショックか、蛇の呪いか、あっけないものだ。
 六月になっても残る三羽はさえずらず、みんなメスであることが確定した。そこで次に、代重ね計画推進のためには、三羽の内の一羽に婿を迎えなければならない。しかしその前に、一羽を千駄木の祖母のもとに養子に出さなければならない。実は祖母のもとに養子にいったゲン(年寄りが白いペットと見ると必ず名付けるチロちゃんとなっていた)が、ちょっとした隙に逃げ出してしまい、祖母は悲嘆にくれていたのだった。文鳥はインコ類と違って、油断するとすぐ逃げ出すから注意が必要となる。
 私は白文鳥よりも桜のほうが好きなので、桜に回帰させたい。メンデルの法則でいくと、雑種である胡麻塩に胡麻塩を掛け合わせると、桜と白と胡麻塩ができるような気がするが、それは文系の私の関知するところではない。最も黒っぽいクロに桜の婿を迎えるのが確実だろう。トンかチビを養子に出そう。クロとチビは仲良しだが、チビとトンは犬猿の仲。三者の関係を考えた上でトンを養子とすることにし、また私が運搬にあたった。

 

6、選ばれた婿殿

 またしてもペットショップ巡りだ。これはもう趣味といわざる得ない。今回のターゲットは桜文鳥のオス、色が濃いほうがいい。もうタウンページに載っている店で、未踏のものは数件に過ぎないので、この際全部行ってみることにする。
 なかなか眼鏡にかなったオスは見つからない。大体オスとメスを分けずに売っている不届きな店すらある。姿がいいのでオスかメスか聞くと、ある店の二代目(昔から知っている店)など、分からないと答えてきた。
 「おまえ、そんな商売の仕方でいいのか。プロだろ。ええっ。」
 といった嫌みは、ペットショップのしらみ潰しが済んだ後に、めぼしいのがいなかった時までとっておく事にする。確かに外見で性別を判定するのは不可能に近い。それならさえずるか否かを観察するぐらい、商売人は責任持つのが当然だろう。それが面倒なら、商売替えすべきだ。
 まだ六月だというのに、台風が関東地方に接近していた。風が強くなりつつある中、よせばいいのに、私は京浜東北線T駅に降り立った。調べはついている。橋を渡った先の商店街に目的地がある。河口にかかった大きな橋の上は、台風の前触れの横風が吹き抜けており、雨が降るのも時間の問題の空模様で、さすがに帰ろうかと一瞬思ったが、突き進む。
 鳥屋だった。私は普通、ほとんど小鳥を商っている店を小鳥屋さん、いろんな生物を売っているのがペットショップ、と分類している。しかしそこはその範ちゅうではなかった。薄暗い店内には、小鳥ばかりでなく、ニワトリや伝書鳩(レース鳩)が並んでいる。伝書鳩を陳列している店というのは非常に珍しい。しかもこの薄暗い雰囲気。東南アジアでワシントン条約を無視した商売をしている鳥屋をほうふつとさせる。ここは鳥屋以外の何ものでもない。店内に入った私は顔にこそ出さないが、ひどく感激してしまった。二十一世紀になろうとする今日、経済大国ニッポンの三百万都市に、このような素敵な店があろうとは。
 こうした店の主人はアンちゃんやネーちゃんはおろか、おばさんであってもいけない。ステテコに腹巻、くわえ煙草(ハイライトが望ましい)のオヤジでなければならない。果たして、オヤジだった。さすがにステテコ腹巻姿ではなく、煙草も吸っていなかったが、さわやかさのない、いかにも鳥屋のオヤジといった風情で、一べつした私はすっかりうれしくなってしまった。もちろんそんな心中の思いをおくびにも出さず、私は無頓着に店内の文鳥の有無を確かめようとした。
 実は店先の鳥カゴに見栄えの悪い文鳥が二羽ほど売られており、この店もたいしたのがいないと思いつつ、確認のつもりで店内に入ったのだ。壁際の鳥り入れ(鳥カゴではない)を見ていくと、なぜか店の奥に、一羽だけ隔離された桜文鳥がいた。格子越しにじっと品定めしていると、なれなれしく近寄って来る。体格が立派で、毛並みも素晴らしい。アーモンド型の目が好きな私としては、そのまん丸の目は気に食わなかったが、いろいろ見てきた中で一番いい文鳥であることに間違いはなかった。これはオスだろうと思いつつ、とりあえず、この鳥の性別をおじさんに訊く。はたしてオスだという。再び無言でオヤジに背を向け、しばらくためつ、すがめつ見入る。
 「後一軒未踏のペットショップがあるから、そこを確認してからのほうがいいかも知れない。しかしこれ以上の文鳥はいないだろうな。またここに来るのも面倒くさいし・・・」
 などと心の中で葛藤しながら、オヤジに正対し、この鳥が生まれて何年になるか訊く。文鳥の寿命は大体六、七年だ。私の勘(全体の雰囲気のほかに、爪などの伸び具合とかでおおよそ判断している)では、二年弱、まだ若いと見て取っていた。ところがオヤジは…、まだ一年経っていないというではないか。一年未満でこれほど成長するものか疑わしい。しかしこの店では、六月末期のこの時期に、文鳥のヒナが売られていたりする。普通春までが繁殖シーズンで、こんな時期にヒナがいるのさえ不思議だが、入れ物にぎゅう詰めされたヒナは、ずいぶん丸まるとしていて大きい。秋から何度目かの卵から孵った春のヒナは、ただでさえ秋生まれより小さいとされているのだが。どうも常識でははかれないものがあるのかも知れない。買うことにする。
 少し通ぶってやろうと思って、家が遠いから鳩用の入れ物にしてくれるように頼む。普通に小鳥を買うと、手のひらサイズの小さなボール紙の箱に入れてくれるのだが、かなり窮屈なので、輸送に時間がかかったり、炎暑の時には、二まわり大きい鳩用の箱に入れてもらう事があるのだ。オヤジは何やらうれしそうな様子になった。鳩用の箱に、キャベツ(水の代わりとなる)と粒餌を放り込み、九州まででも大丈夫な支度を整え、
 「文鳥のオスはいくらだったかな。」
 とおよそ外見とは不釣合いな、愛想のいいような感じでつぶやきつつ、店先の鳥カゴに貼られた値札を見にいく。何か不思議でうさんくさい雰囲気なのだが、理由が分からない。静観して、会計して、箱を抱えてさっさと外に出る。
 少しの間に、いっそう台風接近の気配が漂う中を、大急ぎに家に帰る。折よく母親がいたので、なかなか素晴らしい文鳥を買ってきたと吹聴して、鳩用の箱から外に出す。少なからず息子の行動にあきれているであろう母親の心情など無視して、素晴らしい買い物の自慢をしようと思ったのだ。そいつはバサバサと出てきた。大きい。いや、でかすぎる。薄暗い鳥屋の奥で、しかも一羽だけ隔離されていたから気づかなかったが、我が家の文鳥より二回りは大きい。ちょっと、私の文鳥に対する概念を破るサイズだ。
 「何だこの大きさは。」
 自慢するつもりが、かえって薄気味悪くなってきた。一体こいつは何を食って成長したのだろう。
 しかもこの婿殿はなれなれしかった。初めての環境に物怖じなんてしない。まして人の肩にのってさえずり出した。
 「ホエ、ホエ、ホエ、ホッポポケケチィーヨ」
 何なんだ、このジャングルの手長猿のようなさえずり方は。大体なんで肩にのっかっているのだ。私の頭は混乱した。
 「あら、手のりなのねえ。」
 母親は言う。確かに奴は手のりだったのだ。母親はむしろ喜んだが、私は唖然としてしまった。お互い手のりの夫婦では、外で人間と遊ぶことばかり考えて、まじめに卵を温めたりしないことが多いのだ。まさか手のりの成鳥が売っているとは。訊きもしなかったが、あのオヤジは何にもいわなかった。きっとこいつは、手のり用ヒナの売れ残りで、そのままあのオヤジが飼い育てたものだろう。きっと閉店後には外に出して遊んでたんだろう。だからこそ奥に一羽でいたんだ。手をかければかわいくもなるが、売れ残りは売れ残り、どうしたものか考えているところに、何やら文鳥の事に詳しそうな客が買ってくれたものだから、喜んでいたんじゃないだろうか。いい養子先だと。…仕方がない。
 それにしても奴はあつかましかった。初日から、その巨体にものをいわせて小柄なヘイスケを追い払い、メスと見れば見境なくモーションをかける。ぴょんぴょん跳ねながら、
 「ホエ、ホエ、ホエ、ホッポポケケチィーヨ」
 を繰り返す。繰り返す。もうしつこいくらい間断なく繰り返す。ヘイスケが、作り声でさえずるのに一所懸命で、ぴょんぴょん跳ねることを忘れてしまっているのに比べれば、まったく天衣無縫、野性のまんま好き勝手、といった感じだ。少しは遠慮しろ。
 奴の名前はブレイとした。

 

7、三代目の誕生

 ブレイは、私から尻尾を引っ張られたり、息を猛烈に吹きかけられたり、捕まってていびられたり、果ては輪ゴムの的にされたり(ごくゆるく)の迫害を受けたが、まったくこたえず、かえってかまってもらって喜ぶ始末だった。我が家の名物台所手のひら水浴びも、すぐにマスターするし、一日何十回も精力絶倫にさえずり、まして、わざわざ人の耳元で大きくさえずった。お返しに口笛でさえずってやると、感極まったのか、かみついてくる。
 奴は、人間の食事には何でも手を出すくせに、初め、小松菜をどうやって食べるのか分からず、悩んでいた。さらによく見ると、目が赤い。どういう食生活、教育をしやがったんだ、あのオヤジは。私は多いに不審の念を抱いた。こんな奴を婿にするのは、はなはだ不本意だが、とりあえず、秋になるとクロと一所の鳥カゴにして巣箱も入れた。そして、もしクロが卵づまりで死んだら、赤目の無礼者はミンチにしてやろうと、半ば本気で考えていた。
 ブレイはメスには優しかった。巣作りもした。しかし家庭に安住するタイプではなかった。クロは卵を生んだが、交代で温めるという発想がブレイにはなかった。クロは健気にも温めようとしたが、手のりなので外で遊びたいことに変わりはない。我が家では毎晩一時間以上カゴを開けて、外であそばせる(人間が遊んでもらっているともいえる)。この時、ヘイスケのようにある程度遊べば、巣箱に戻って托卵を交代するのが望ましいのだが、ブレイは遊びっぱなし。我慢できずにクロも出てきてしまう。これでは卵が孵るはずがない。
 しかもクロは体調を崩してしまった。どうも蛇にかまれて以来、病弱になってしまったらしい。繁殖はあきらめて隔離して療養させる。何しろブレイの精力は異常で、この夏に、前文鳥王朝の後家として、生き残っていたバアさん鳥が推定年齢七歳で死んだので、その亡骸を取り出すと、近づいてきて交尾しようとするほど見境がなかった。文鳥に人倫の道をいっても仕方ないが、まったく飛んでもない奴で、病気のクロにも何するか知れたものではなかった。
 クロには小鳥用の胃腸薬を与え、ヒヨコ電球で温める。冬の間何度もクロはこの飲水に混ぜる胃腸薬の世話になったが、近所のペットショップのおばさんの話では、完全な医薬品は獣医からでないと買えなくなっているという。まったく役所はよけいな規制をする。小鳥を扱う獣医がどれだけいるだろう。ましてそこらの薬屋が、小鳥の胃腸薬を扱うだろうか。緊急の場合どうしてくれるのだ。
 生意気にも、うすのろのチビは色気づき、ブレイがさえずりつついい寄ると、尻尾を振って、交尾を促したりしているので、いっそ夫婦にしてしまった。姉の旦那だったわけだが、人間ではないからいいだろう。卵は生んでも、どうせ育てないだろうから、巣箱も撤去し、ツボ巣に替えた。クロに比べればチビは人間うけしない鳥で、どちらかといえばやっかいもの。憎悪されているブレイと一緒に、何の期待も出来ない夫婦と投げやりに決め付けた。
 そこで私は、またしてもヘイスケ・フク夫婦に期待する。やはり、夫婦ともに手のりでは繁殖は難しい。特にメスが手のりというのは不利なように思える。ぜひともフクにヘイスケの息子を生んでもらわねばならない。勝手にこのように判断したのだ。ところが問題があった。一年経って、夜一時間以上鳥カゴから外に出してもらえるというライフスタイルになれたフクは、手のりでもないくせに遊び回って、卵を生もうとしない。
 夜遊びに心奪われたのか、フクは水浴びもせず浮ついている。白いものだから汚らしい。十一月、卵も生まず、汚いフクを苦々しく思っていた私は、フクを捕まえて、石鹸をつけてお湯でごしごし洗ってやった。この強制洗浄で、まさに死ぬ思いをしたフクは心を入れ替えたらしく、いつまでも外で遊ばず、自主的に巣箱に戻るようになった。何が幸いするかわからない。そして十二月、去年の異常な行動ほどではないが、相変わらずのヘイスケの献身的な協力によって卵が生まれた。
 卵は五つあったが三つ孵った。普通だろう。去年がおかしかったのだ。のぞいてみると一羽だけ頭抜けて大きい。ほかの二羽がようやく目が開いた程度なのに、もう羽根が生えてきている。孵化十二日目、もう少し二羽の成長を待ちたかったが、大きいのはこれ以上放っておくと、人を恐がりそうなので取り出す。どう見ても、三日か四日の成長差がある。
 とにかくよかった、一羽でもオスならいいなと思っていたら、チビとブレイのツボ巣からシイシイとか細い音がする。まさか。このやっかいもの夫婦に卵が生まれたのは知っていた。しかしまったく温めていなかった。一時はヘイスケ達の卵とすり替えて、人間によくあるみたいに祖父母に育てさせようかと思ったが、微妙に時期がずれていたので断念していたのだ。夜一時間以上放っておかれた卵がどうして孵ったのだろうか。奇跡だ。やはりブレイの遺伝子には何かある。
 孫が誕生すれば、ヘイスケ達の卵は無理して孵すこともなかったが、ヒナを捨てるわけにもいかない。第一、三羽のうち頭抜けて大きい奴はおもしろかった。餌づけを開始して十日もすると、ほかの二羽がはって歩くのがやっとなのに、ピョコピョコ歩き回り出していた。早熟、ませている。名前はマセとした。他の二羽は灰色と白い部分が半々なのでハン、餌をがつがつ食べるのでガツとそれぞれ名付けた。
 がつがつ食べるといえば、この時は、例のDNA入りから、『マイクロカプセル』の入った餌に主食を替えていた。この餌の粟玉は、いかにもたくさん黄身がまぶしてあるらしい色をしていて、いかにも高級そうで、確かに割高だったから、ヘイスケ達の与える小松菜の多い餌よりおいしかったはずだ。ついでにいうと、防寒のために相変わらず電機アンカを底に敷いていたし、『フンゴ』は衣類のフードを改良したもので包まれいた。まったくこれ以上の過保護はない環境であった。
 チビとブレイは、ヘイスケとフク以上に育児が下手だった。結局、五つあった卵は一つしか孵らなかったので、育児本能が刺激されにくかったのかもしれない。せっかくの一粒種も少ししか餌を与えられないらしく、非常に成長が遅かった。二週間ほど待って、ずいぶん小さかったが取り出した。奇跡、ミラクルな存在であるこのヒナの名はクルとした。
 そのクルをマセ達の『フンゴ』に入れてみる。いじめる様子はないが、何だろうか、と少しつつく。また、マセは面白がって上に乗っかるものだから窒息しないとも限らない。ほんの二週間の違いだが、まるで大きさが違う。やはり別々にしなければいけようだ。私は、ツボ巣を改良して一羽用のフゴ(この呼称のほうが一般的なので、年季もの以外は『ン』を取る)を作った。一羽なので、防寒はさらに厳重を極めた。少し暑くしすぎて、へばってしまったくらいだ。
 正月元旦は、千駄木の祖母の家に集まるのが母方の親戚たちの習慣となっていた。マセは放っておいても死にそうになかったが、ハンとガツは自分で食事できるか心許ない。ましてクルはまだ全然小さい。実は前年のクロ達もこの会合に『フンゴ』ごと同伴していた。今年も連れていくことにする。出発しようとすると、ガツが見当たらない。放っても置けないので、私だけ残って探していると、二階にいた。もう飛ぶことも出来るようになっていた。世話のかかる。三羽を『フンゴ』に押し込め、出発する。祖母の家では、動物愛護精神のかけらすらない非人間的な従兄弟たちの視線など問題にせず、せっせと餌を与える。もちろん自分もせっせと酒を飲む。
 マセ達三羽の腕白に、小さなフゴを占拠されたり、迫害というか、かわいがられ、クルは見る見る大きくなっていった。一月もすると三羽と見劣りがしないくらいなので、一緒のカゴに入れてみる。いじめられるかと心配したが、案外あっさり溶け込んでしまった。見慣れているのでこだわりがないらしい。
 これ以上ヒナが生まれても困る。かといって産んだそばから卵を取り上げると、去年のように、次から次に産んでしまう。私は偽卵を使うことにした。プラスチック製のそれと取り替えれば、二、三週間は無駄な努力を続けて温めるはずだ。去年あまりにフクが卵を産むので使用してみたが、市販のものは二つしか持っていなかった。偽卵などスーパーで売っているものではないので、この際紙粘土で作ってしまう。十数個も作って置いておくと、外に出てきた文鳥達が喜んでつつき転がしていた。クロやチビはお腹の下に卵を引き寄せる。ためしに、未使用のツボ巣の中に数個入れておくと、
 「あら、こんなところに卵が、大変」
 といった感じで温めだした。完全にだまされている。私はフクやチビが卵を生むと、この自家製偽卵と交換したが、取り出した卵をよく見ると、実は大きさがばらばらなのに気づいた。一番大きくて形の良い卵は戻して、温めさせる。結局、これらの卵は孵らなかったが、卵の段階で個体の選別ができるような気がしてきた。何しろ、マセと他の二羽との成長速度は段違いだった。四月となるとマセは、完全にヒナ毛から成鳥の毛にはえかわっていたが、ハンとガツには多くのヒナ毛が残っていた。驚いたことに、二週間遅れのクルは、この二羽の成長を追い越し、はえかわり、桜文鳥になっていた。同じものを食べているのだから、この違いは先天的なものに違いない。最も単純に考えれば、卵段階ですでに決定しているように思えた。マセやクルは大きな卵から生まれ、ハンやガツは小さな卵から生まれた。このように考えれば、簡単なようだ。
 もっとも、朝礼の一番前に並ぶのが未熟児だったわけがないから、小さな卵から孵ったヒナも、たんに成長が遅くなるだけで、結果的には、あまり意味がないような気もする。
 四羽のちび達は、去年のクロ達同様に遊び回った。そして、台所水浴びはさらに熾烈なものになった。ヘイスケ、クロ、チビ、ブレイ、マセ、ハン、ガツ、クル、八羽が押すな、押すなと殺到する。
 まずヘイスケが来る。手の中で水浴びを始めようとするとクロが近づく、ヘイスケがこれを威嚇すると、ブレイが参戦して、ヘイスケを追い払う。しかしブレイが入ろうとすると、これを無視してクロとチビが先に入る。女性は強いと思っていると、四羽のちびが押し寄せ、阿鼻叫喚の場となる。マセが割り込む、それをハンが上から踏みつける。ガツとクルも頭を突っ込むが、体制を立て直したマセに片足で蹴り払らわれる。追い出されたクロも、負けじとちび達の上に乗っかって割り込もうとするし、その間ブレイも体力にものをいわせて横から押し退けようとするし、チビもすきをうかがいつづける。こうした繰り返し。イモ洗いよりもひどい。ヘイスケは人間肩の上で、近づくこともできずいる。
 「ああ、昔は俺一羽だったのに。」
 ため息が聞こえるようだ。

 

8、逃亡癖の矯正法

 人間も三人いれば派閥が出来るそうだが、文鳥も同じ。マセとガツ、クルとハンがそれぞれに仲が良く、二羽のの代表としてマセとクルは牽制しあっていた。マセは大きく脚も太いし、要領が良く、なおかつ回転鏡をくるくる回す唯一の存在だった。これは亡きゴマの得意技だったが、胡麻塩頭とともに継承したことになる。
 マセに向かって、一度ふざけて大きく口を開けてみせたら、前歯に乗り、口の中をのぞきこみ、奥に入り込もうとした。もう少しで飲み込むところだった。文鳥をのどに詰まらせて死んだら、絶対世界中の三面記事で笑われつづけただろう。じつに油断ならない鳥だった。
 一方の代表クルも油断がならない。一度、私のおしりの下敷きになった。椅子に腰掛けたら、何か違和感があるので跳ね起きると、ぐったりとしていた。驚きあわてて揺り動かすと、ハッと目を開けて逃げ飛んだ。危ないところだった。
 この間抜けたところは母のチビに似ている。外見も細面の美鳥系でやはり母似だったが、ブレイの影響か、チビより骨格がしっかりしているように思えた。しかしある日、ふと見ると指が一本もげそうで、血が出ている。たぶん犯鳥はヘイスケだろう。昼間四羽は、鳥カゴのある小部屋に放し飼いにしていたが、この日はヘイスケも出ていた。威嚇で相手の指を狙うのはヘイスケの得意技だ。
 薬をつけても自分でなめてしまう。自然に直るかと思ったが、数日後、傷口が黒くなり、脚は熱を帯びて、元気がなくなった。ふつうなら、獣医さんに見せるべきだが、文鳥に医者は要らないという個人的な主義のため、自分で処置しなければならない。とりあえず、化膿して毒が全身に回ってしまわないように、傷口の付け根を細い糸で縛った。この処置は効いて、クルは元気となったが、指が一本なくなってしまった。
 幼いうちは、なるべく遊ばせるべきだと思うので、四羽は放し飼い状態にして、一日中飛び回らせておいた。おかげでそれぞれ素晴らしい飛翔能力を身に付けたが、やがて四悪は図に乗って、夜になっても鳥カゴに帰らなくなった。逃げ回り、捕まえることが至難となった。
 そこで羽根を切ることにする。まず逃亡癖のあるガツとクルの羽根を一枚おきに切る。バランスをとって、他の二羽も同様に処置する。しかしその程度では態度を改めない。特にたちの悪いクルは、最も外側の羽根を三、四本切って、格段に飛翔能力を落とした。これで、ヘリコプターのように天井を旋回して逃げ回るような芸当は出来なくなった。
 マセなどはヘイスケの芸術的な飛行と違い、スピードを追求したものすごい飛び方をしていたので、よほど筋肉がついているらしく、羽根が半減しても大して苦にならないようだったが、初めのうちは捕まった。ところがしばらくするとすっかり慣れたのか、また逃げ回って捕まらない。
憎らしい。
 天井すれすれを飛び、高くて手の届かないところにいき。カゴの上に追いつめると、やはり手の届かない鳥カゴの背面を滑り下りる。もうすぐ夏だった。何かの拍子に窓が開いたら困る。焦燥と、怒りに震える飼い主は、断固たる処置をとった。
 ヘイスケは、口笛を吹けば手の上に飛んでくるので、鳥カゴに入れるのは簡単だった。従って、彼は一度も羽根を切られたことはない。クロも簡単に捕まるので、一度一枚置きに切られただけだった。それに対して、手のりでないフクは何度も飛べない鳥にしている。ほとんどの羽根を切ってしまうのだ。
 翼の羽(風切り羽)を切られても、鳥カゴの中での生活に支障はないが、ほとんど飛べなくなり、飛んでみても、ドテンと床に落ちることになる。ペンギン化するわけだ。もちろんブレイも一度飛べなくした。いい気になって帰らなかったからだ。チビも人間不信で逃げ回ったとき、飛べない鳥となった。飛べないので人間を頼るようになり、不信感も消えた。
 先に、処置されたクルを除いた三羽もその運命にあった。それぞれの不届き度によって羽を切る。ハンはクル並みで済ませる。マセとガツが問題だ。この二羽は徹底的に逃げ回ったあげく、捕まると、
 「ギャ−、ギャ−」
 と恐竜の子孫の鳴き声を発する。私は蛇ではない。失礼だ。ガツは半分以上、マセはほとんど全部切ってしまう。これでニワトリ以下の飛翔能力、完全なペンギンとなった。
 ペンギン化したマセは、すっかり気落ちしてしまい。お箸でご飯を一粒ずつもらうのが好きだったが、食べなくなってしまった。おとなしくなってしまって寂しい気もするが、いつまでも浮かれ騒いでもいられない。
 そのうち、目標をすばやく歩くことに決めたらしく、マセはチョコ・チョコ・チョコ、と信じられない速さで歩き回り出した。あまりの速さに、つまずいている。どうしても普通ではいられない性格のようだ。

 

9、繁殖シーズン近づく(1)

 1998年の七月、八月が過ぎても、結局マセ達は一羽もさえずらなかった。クルもメスだった。メス腹というのか、メス家系というべきか。こうなるとさえずりを伝授できるオスを、意地でも手に入れたくなる。しかしすでに三世代九羽、鳥カゴも五つとなっっている。順番的には三代目クルに、婿を迎えなければならないが、さすがに、これ以上増やすのには二の足を踏んでしまう。
 『どこに鳥カゴを置くのだ。また多産系だったらどうすりゃいいんだ。』
 秋の繁殖シーズンを前に、私は八羽の文鳥に枝豆を強奪されながら考え込んでしまったが、とりあえず今年は婿を迎えず、一年間様子を見ることにした。まさか手のりによる繁殖が、こんなに上手くいくとは思っていなかった。これはうれしい誤算というべきか。
 ところが思いもかけない誤算は別にも起きた。ゴッドマザーのフクが事故死してしまったのだ。
 八月三十一日の夜の遊び時間、バサバサ、と落ちる音がして、
 「キュー、キュー・・・」
 と鳴く声が聞こえたので驚いてかけつけると、鏡のかけられた壁際で絶命していた。どうも鏡の反射と、隣部屋の明かりを間違えて、全力で激突してしまったらしい。ある程度飛行能力が回復していたのがまずかったのかもしれない。何しろ間抜けな鳥だったから・・・。
 不器量な二千五百円鳥などと呼び、飛べない鳥にしたり、強制洗浄をしたり、フクを散々な目にあわせてきたが、私はこの手のりでない間抜けで丈夫な白文鳥が好きだった。しかし事故の翌日、独り者になったヘイスケを見ていた私は、財布の中身を確認してから、早くも後妻を買いに出かけた。
 女房のいないヘイスケ(妻が死んだことなど理解できるはずもない)は隣の鳥カゴのメス達、実は自分の娘や孫であるマセやクル達に色目を使っていたのだ。文鳥に親戚関係の自覚がないのは仕方がないが、人倫の道に背くことを許すわけにはいかない。
夜遊びを止めさせるには結婚が一番だ。
 あのブレイでさえ、今では女房のチビの尻に敷かれてずいぶんとおとなしくなったくらいだ。
 まず歩いていけるY町のペットショップに行く。隣が鶏肉専門店と言う恐るべき舞台設定を持っているこの店では、桜文鳥メス四千円、オス二千五百円とあった。白文鳥はこれより五百円ずつ高い。値段は普通か、オスは少し安い。桜文鳥のヘイスケに白文鳥の嫁を迎えて、また胡麻塩の子供が生まれるのは、もう勘弁して欲しいので、桜文鳥のメスを探す。
 「脚環をしているのがメスですか。」
 きわめてぶっきらぼうに店のおばさんに尋ねる。そうだという。七、八羽入れられたカゴの中にはめぼしいのがいない。脚環をしているのはみんな羽毛をふくらましている。これは病弱の証拠と思える。しかしペアで六千五百円と書かれ、二羽で小ぶりのカゴに入れられているのの一羽は華奢だがなかなか姿がいい。ところが脚環をしていない。一緒にいる一回り大きく、くちばしも赤い、オスにしか見えない方に脚環がある。外見では判断しきれないが、ノミの夫婦ではないから、これは間違いだと見当をつける。この脚環はないがたぶんメスの桜文鳥なら、買ってもいいと思ったが、とりあえず他も探すことにする。
 京浜急行S駅へいく。ここは前に高価で立派な白文鳥を見かけたところだ。相変わらず破格に高い。桜文鳥のオスで五千円以上、メスでは六千円以上する。容姿はいいが、感動するほどではない。次に行く。
 バスで横須賀線T駅。もの寂しい商店街に二軒ペットショップがあったが、一軒は『シナモン』しか置いていなかった。一軒は桜文鳥メス五千円、オス千五百円とあった。
 まったく小鳥の値段は基準がないとはいえ、店によって差がありすぎる。それにしてもここのオスの値段は破格に安い。容姿も悪くない。この際三代目クルの婿も買ってしまおうかと心が動くが、我慢する。五千円ならはじめの四千円のほうが私の好みだ。
 無駄なところで行動力を発揮して、再びY町。
 「桜文鳥のメスがほしいんだけど、このペアで売られているのは脚環のない方がメスなんじゃないの。」
 とおばさんにいう。おばさんはたしかにそう見えるというが、断定し切れずに困っている。他の鳥では駄目なのかときいてきた。
 「これ以外なら、いらないなあ。」
 私はそっけない。おばさんは話題を転じる。
 「お見合いさせたほうがいいんだけど。」
 「そうですか、あんまり意味がないんじゃないですか。(ペットショップに)連れてきても、落ち着かないで相性なんて分からなかったですよ。」
 「そんなことはないんだけど・・・」
 私は何も答えない。そっぽを向いている。おばさんはこのずいぶん文鳥のことを知っているらしい失礼な客がしゃくに障ったらしい。再び話題を転じる。
 「手のり文鳥ですか。それじゃあ繁殖は出来ませんよ。うちのお客さんでもうまくいったことはないですよ。」
 「そうですか、うちはそれで五代以上(旧王朝を含む)も続けてますけどね。」
 おばさん言葉を失う。私としてはおばさんをからかう気はなかったが、客である私がメスかどうかきいてるのに、答えないのだから仕方がない。
 それにしても、オスの値段で本当はメスだったら、売り手は損するが、メスの値段で売ったものがオスであっても、商売上何の問題もないはずだ。この場合、客の私はメスだといっているのだから、その値段で売っておいて、もしオスだったらお取り替えするとか何とかいっておけば良さそうなものだ。どうもおばさんにはこういった傾向がある。商売人なのに算盤勘定を忘れて、良心的だが融通がきかない。
 おばさんの困り顔を見ながら、しかたないので、とりあえずメスということで売るようにおばさんに提案してあげようと思っていると、折よく、どこかに行っていた店主らしいおじさんが戻ってきた。普通おじさんは商売人だから話が早い。おばさんからペアで売られている文鳥の脚環が逆らしいといわれると、ひょいとのぞいて、
 「ああ、こりゃ間違ってるなあ。」
 と極めて簡単にいう。
 「じゃあ、そのメスをください。」
 私も間髪入れずにいう。即座におじさんは、ギャア、ギャア、騒ぐ鳥を、
 「よし、よし」
 なんて、小鳥を追いかけ回す残酷さをごまかしながら捕まえ、紙箱に入れる。会計。実にスムーズに事は運んだ。おばさん唖然。
 しかし脚環はなかったのだ。オスの疑いもある。それにペットショップで買った小鳥にはダニなどがたかっている可能性もある。この鳥は羽毛が全体に薄く、これは害虫のため、一度丸裸になった疑いがあるようにも思われる。家に帰ると、すぐにヘイスケの鳥カゴには入れず、二、三日、予備の鳥カゴに入れ様子を見ることにする。
 ただ、夜の遊び時間には出入り口を開けてやる。喜んで出てくるが、すでに風切り羽が三、四枚、ぞんざいに切られていたのでよく飛べない(店で切られたのだろうか)。我が家の手のり文鳥軍団の近くまでつれてくると、にじり寄っていく。鳥なつっこいようだ。手のり軍団のほうが新入りを恐れて遠巻きにしている。

 

10、繁殖シーズン近づく(2)

 案の定ヘイスケは、若いメスである我が子や孫に気をとられていた。八月の下旬から粟玉を与えられた彼のくちばしはつややかに赤くなり、となりの鳥カゴにしきりにさえずる。夜、外に出ると、真っ先に若いメス達に近づいていく。特に孫クルとは相思相愛であるらしく、くちばしをつつきあったりベタついている。前にそのクルの指を噛み切ったことなど完全に忘れている。
 せっかくの『嫁』に関心を向けない。ハーレム状態を楽しんでいる。何しろブレイすら追い払うほどの充実ぶりだ。クルといるときは私がさえずっても無視している。
 「なんて奴だ。」
 あきれた私の前で、連夜奇妙な行動が繰り返された。ヘイスケはクルのそばに擦り寄り二羽だけになろうとする。ところがそのヘイスケに憧れているクロが追いかけ回して邪魔をする。当然ヘイスケはこの邪魔者を威嚇して追い払う。一方クルには親友のハンが一緒にいる。ヘイスケはこれにも色目を使う。それを気に食わないらしい追っかけのクロは、ヘイスケに相手にされない八つ当たりもあってハンをいじめる。クロとしてはヘイスケがクルといちゃつくのは許せないが、これには手が出ないらしい。何か人間にもありそうな話で、クロの態度はいじらしい。
 ハーレム王ヘイスケはガツにも言い寄るが、マセにはあまり近づこうとしない。ずいぶんボーイッシュな鳥なのだろう。マセは割とクロと仲がいい。九羽もいると鳥模様も複雑になってきた。
 いかに相思相愛でも、孫との仲など許すものではない。私はヘイスケのカゴに『嫁』を放り込んだ。相性は悪くないようだ。ヘイスケはいじめはしない。ただ隣のカゴの、ネーちゃん達に気をとられている。これではまずいので、ヘイスケ達のカゴとクロの独りカゴを上下入れ替える。ところが斜め下の四羽のカゴは連結式。クル達は出っ張ったほうのカゴに集まり、斜め上を仰ぎ見ている。ヘイスケものぞき込む。
 そこで、ヘイスケ達のカゴを四羽の上に置く。四羽の横にはブレイとチビのカゴを移動させ、さらにブレイが若いメスの色香に惑わされないように厚紙で目隠しした。
 これでとりあえず落ち着くだろうと思い、次の行動に移る。繁殖するにせよ、しないにせよ、巣箱を用意しなければならない。つぼ巣の中に卵を産まれると、取り出しにくいのだ。
 私としてはあまり卵を捨てたくない。しかし増えすぎては手におえない。一番いいのは、産まれたヒナをペットショップで引き取ってもらうことだ。『嫁』で繁殖が成功するか分からないが、ヒナの引き取り先を探しておかなければいけない。
 これも歩いていけるY橋の小鳥屋さん。私は、このなかなか感じはいいが、いつ休むか油断のならない小さな店で、巣箱に入れる皿巣や巣草を買いながら、おばさんにきいてみる。
 「文鳥なんだけど、たくさん生まれたら引き取ってもらえるのかなあ。」
 おばさんは安くて申し訳ないけど、引き取るという。私としては、文鳥で商売する気はないのでその点不満はない。
 「ヒナが大きくなったら持ってきてもらえばいいのよ。」
 というので、
 「(孵化後)二、三週間くらいですか。」
 ときくと、おばさんは驚く。
 「二週間じゃ、小さすぎちゃって死んじゃうわよ。」
 とりあえず応答する。
 「え、でも飼育書には二週間と書いてあるし、実際元気に大きくなってますよ。」
 おばさんはさも感心したらしい。
 「今は餌も良くなっているから早く(親鳥から)出せるのねえ。私が二十五年前にこの店を出したときは、一カ月が目安だと手引書にも書いてあったんだけどねえ。」
 私の持っている飼育書(手引書)が二十年前のものだなどとは、面倒になるので決していわない。適当にあいづちを打って、とにかくよろしくお願いしますといって帰ってくる。
 たぶんおばさんの言っているのは販売の手引書だろう。一カ月くらい経ったヒナは丈夫になっているし、羽毛も生え、見た目もかわいらしくなっていて、ペットショップを飾るのに丁度いい。しかし、もし孵化後一カ月も親鳥のもとから取り出さずにいたら、そのヒナは人を怖がって、決して手のりにはならない。例えば、マセなんて、生後一カ月では、もう自分で餌を食べていた。つまり絶対に、店頭に並べられる前の二週間ほどは、繁殖家なりが餌づけしなければならないのだ。しかし小鳥屋さんのおばさんは、繁殖家から卸されるヒナを売ればいいんだから、そんなことは知らなくてもまったく問題ない。
 ともあれ、これで生まれすぎても問題はなくなった。私は買ってきた皿巣を二回りほど小さく加工して、巣箱の中に入れ、その巣箱をヘイスケ達とブレイ達の鳥カゴに据え付けた。


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