11、意外な急展開

 目の前でクロが死んでしまった。九月の十七日だった。
 その夜も外で遊んでいた。羽毛を膨らませ、団子虫のような姿でチョコチョコ動きまわっていた。しかしその体はやせ細り、私は一目で死期の近いのを悟った。
 「今晩死んじゃうな。」
 九月に入って秋めいて涼しかった陽気が、数日前から暑さが戻り、身体の弱いクロの調子を崩してしまったのだ。しばらくするとテーブルの隅で、うつらうつらし始める。足下がおぼつかない。手のひらに入れてもじっとしている。
 のぞきに来るブレイを追い払っていると、手のひらのクロは痙攣し始め、もがき、下のごみ箱に落下した。急いで拾い上げるが、もうぐったりとしており、やがて目を閉じた。
 心臓衰弱から、発作を起こした感じだ。こんな文鳥の死にかたを目の当りにしたことはなかった。文鳥の死は静かに訪れることが多い。朝起きると、鳥カゴの底で冷たくなっていたりする。ところがフクやクロの凄絶さはどうしたことだろう。ごみ箱で苦しみもがくクロの助けを求める目を思い出すと、小鳥とはいえ悲しい。
 もともと病弱なクロが二度目の冬を越せるとは思っていなかった。去年もヒーター(ヒヨコ電球)と胃薬のおかげでようやく命を繋いでいたような鳥だった。しかし涼しくなり、数日前まで元気よくヘイスケの追っかけをしていたのだ。私は薮蚊に襲われながらクロを土に戻した。
 死んだものは仕方ない。即刻立ち直った私は計画を前進させることにした。クロの死によって鳥カゴが一つ空いたので、四代目計画、つまりクルに婿を迎えようというのだ。これによってヘイスケが孫といちゃつくこともなくなるだろう。
 まず京急K駅に行く。ここのペットショップで前に私の趣味にあった桜文鳥を見かけていた。しかし、今回はたいしたのがいない。眼鏡にかなうのは一羽だけ。特徴的な顔をしたジイさんに桜文鳥のオスはいくらかきく。
 「四千円から五千円くらい。」
 なぜ「くらい」なのか問いつめようと思ったが、四千円でも財布の中身的に苦しいので、何にもいわずに店を出てしまう。
 その時私にはお金がなかった。経済原理に基づき、私は地下鉄でT駅へと向かった。犬と小鳥だけを商うそのペットショップは、以前、文鳥のオス千五百円と貼紙されていたのだ。
 桜文鳥のオスをくれというと、けだるそうに商売している感じのオバさんは、これがオスだと指さす。この店では、桜文鳥は三つのカゴに二羽ずつ入れられていた。つまりオス、メスのペアが三つあるということだから、他にもオスが二羽いるはずだ。しかし、売り物のジャリ犬がけたたましく吠える雰囲気と、この手のオバさんには日本語が通じにくいという印象、そして何より千五百円という経済原理によって、ろくに見ることなく(カゴがかなり上段にあって見にくい)その桜文鳥を買ってしまった。
 勘定の段階で驚いた。三千円だというのだ。千五百円と小さく書かれていたと思ったが、見間違いだったのだろうか。非常に不服だったが、それでも高くはないので、基本的には紳士の私(他人はそう思ってくれないが)は黙って支払う。
 『千五百円と書かれた横に、ミクロ単位でラ2があったのかも知れない。』
 それにしてもこの店は不親切だった。小鳥用の紙製小箱に文鳥を放り込むと、紙袋にも入れずに突き出してきた。不愉快だ。さらに、その箱を大事に抱えてバスを待っていると、どこかのおばさんが、
 「ケーキかと思ったら、小鳥なの? 動くから驚いたわ。」
 なんて話しかけてきた。不愉快だ。
 不愉快な気分で家に帰って、買ってきた『婿』を見ていると、今度は不安になってきた。ずいぶん体が細くて目が非常に大きいその文鳥は、メスのように見えたのだ。くちばしは赤い。しかし、細かく説明しにくいが全体の雰囲気がメスっぽい。
 『これがメスなら、あの店のおばさんにはきつすぎる嫌みを連発してやろう。』
 さらに実は三千円というのは掛け値で、本当は千五百円なのではないかという気もしてきた。それが真実ならただではおかない、死にたくなるぐらいに言葉の暴力をふるってやろう。その点では自信がある。私は不愉快と、不安を、怪しい情念に転化した。
 翌日、別人のようなふりをしてT駅の例の店に電話し、文鳥の値段をきく。桜文鳥のオスは三千円だと例のオバさんが答える。掛け値はなかったようだ。オバさんへの不審は軽減した。
 しかし『婿』はさえずらない。二十日夜、いつものように文鳥を遊ばせる。手のりでない『嫁』も『婿』も、洗濯バサミで開けられたカゴから出てくる。細かった『嫁』はすっかり肉がついた。性格なのか人間を恐がらない。『婿』のほうは人間に近づこうとしない。それにしてもみれば見るほどメスに見える。私はなれなれしく肩にとまっているブレイに命じる。
 「ブレイ!あそこに見慣れない鳥がいるだろう。かわいいネーちゃんかも知れないぞ。ちょっと行ってこい。」
 精力絶倫のブレイをリトマス紙がわりに使おうというわけだ。去年同様ブレイとチビの夫婦は、巣箱が入れられるとすぐさま卵を産み、この時二個の卵があったのだが、やはりまったくの産みっぱなしだった。嫌な夫婦だ。
  ブレイは赤目をぎらつかせ『婿』に近づく。
 「ホエ、ホエ、ホッポポケケチィーヨ」
 『婿』逃げないし、怒らない。ブレイは調子に乗って交尾しようとして背中に乗っかる。逃げない。受け入れる気配すら見せる。これはメスだ。私は確信した。
 翌日また例の店に電話する。
 「環境が変わるとさえずらなくなったりするのよねえ。まあ、取り替えますよ。いつでもどうぞ。」
 何か癇に障る物言いだ。やはり嫌みの二、三個はくれてやるべきだ。私は小型のカゴに『婿』をいれる。楽園のような我が家から、一日中陽の光のささない、水浴びすらできないところに逆戻りするのは気の毒だが仕方ない。
 大体小鳥屋で与える餌なんて、ただのからつき粟オンリーだったりする。そしてたまに放り込まれたキャベツの切れ端を、足で押さえて食べるあさましい姿といったら、悲惨なほどである。
 オバさんは昼飯を食っていたらしい。昼食中と表現したいところだが、そんなきれいなものではなさそうだ。口の中で目一杯つめ込ん飯をもごつかせながら、オバさんはこれなんかどうだと一羽を指さす。オバさんの様子を一瞥して、こんなおババに何をいっても無駄という気になった私は、黙って指し示された桜文鳥を見る。
 赤くて立派なくちばし、やや細いが体格も立派。これは絶対オスだと見当をつける。しかもこの桜文鳥の胸には桜模様の白い斑紋(ぼかし)もある。失楽園の『婿』の胸には一点の斑点すらなかったのとは違う。私の好みの鳥だ。『婿』が異常なくらい大きな丸目だったのに対して、この文鳥はそれよりはいくらか小さめなのも好感が持てる。脚も太いし、羽毛もふくらましていない。一目でずいぶんと気に入ってしまった。
 早速帰って、今朝まで『婿』がいたカゴに入れる。二時間もするとさえずり出した。
 「環境が変わったのに、もうさえずってるよ。」
 嫌みな電話をしてやろうかと思ったが、あの手のおババは、
 「鳥によって違うのよねえ。」
 とか言い逃れるに決まってるのでやめた。
 「チュイ−ン、チュイ−ン、チュ・チョッ・チョッ」
 新しい『婿』は繰り返しさえずる。かなり甲高い音。異質な声音に我が家の文鳥連は驚いている。
 夜、鳥カゴの外に出してやると、リトマスブレイが頼みもしないのにこの『婿』に近づき、さえずり、交尾しようとした。当然オスだから逃げ出す。見境のないブレイはヘイスケの背中にまで乗ろうとしている。奴はリトマス紙にしようとしたのは間違いだったようだ。
 『婿』はハンサムなのでサムと名付ける。一方『嫁』はなつっこいのでナツとする。

 

12、出産ラッシュ(1)

 孫婿のサムは数日後にはすっかり我が家の環境になれた(夜遊び以外)。そこでクルと同居させ、巣箱を入れることにした。
 一面では適応能力に優れているサムは、巣箱など見たことないはずだが、半日後には中に入り込み、
 「キュイ−ン・キュイーン」
 と鼻声?を発して、クルを誘っている。
 「クルちゃん、クルちゃん。僕の部屋に遊びにおいでよ。ネエネエ。」
 ということか。
 どうしたものか。巣箱の入り口でクルは迷っていると、となりのカゴのヘイスケがそわそわブランコに乗ったりしている。このヘイスケは昨年も一昨年も、巣箱で子育てしたことをすっかり忘れ、入り口で中をのぞき込みながら、
 「えー、誰かいらっしゃいますか」
といった調子で
 「ピー、ピピヨン・ピピヨン・ピピヨン」
 とさえずるだけで入ろうとはしない。小心者なのだ。そのくせ、ナツが巣箱の入り口に来ることすら許さず、ましてこのせっかくの若い後ぞえを目障りにして、隣カゴのクルに一日中色目を使っている。
 私は隣がのぞけないように間仕切りをすることにした。せっかくなので、今までただ鳥カゴを重ねていたのを改め、カゴを乗せる棚を作ることにした。巨大な雑貨屋で材料を購入する。その店で購入した板を計画の寸法に加工してもらっているので、私はこれを釘で打ち付けるだけ。大ざっぱに仕事をしとげる。一時間もかからなかった。
 ナツはヘイスケが好きなようだし、サムはクル以外は眼中にない様子だった。初めは毎晩の逢引を楽しみにしていた様子のヘイスケとクルだが、やがてそれぞれの家庭に帰っていった。実はかわいい嫁と、かっこいい婿と同居していたことに気づいたのだろう。ヘイスケは巣作りを始めた。クルも巣箱に入るようになった。かわいい嫁のナツはヘイスケがさえずると、となりで一緒に跳ねている。かっこいい婿のサムはクル以外はメスでも追い払うほどお堅い。
 十月中旬からは出産ラッシュになった。十三日、チビ・ブレイの巣箱に二つの卵、二十四日にはヘイスケ・ナツに四個、クル・サムに一個の卵を確認した。大体四つ産んでから温め(抱卵)はじめ、十六日後にヒナが生まれるとすると、チビ・ブレイの卵のふ化予定日は十月三十一日、ヘイスケ・ナツの卵が十一月九日、クル・サムの卵が十一月十二日となる。この大量出生を恐怖と楽しみのうちに待つことにする。
 出産ラッシュはあらぬ方向に波及した。未婚のゴマ塩三姉妹まで卵を産みだしたのだ。正確にはマセとハン。ハンはヘイスケに交尾を迫ったり(尻尾を振る)していたので、想像はついたが、マセはハンが産むのを見てつられたようだ。お調子者なのだ。
 マセのつややかすぎる赤いくちばしは色を失っていき、足も細くなった。卵に養分をとられているようだ。こうした場合、巣を取り上げれば卵を産まなくなるが、寒くもなってきているので、産むだけ産ませて偽卵とすり替えて様子を見ることにした。この偽卵は自家製のものではなく、市営地下鉄CK駅の巨大なペットショップで、二個八十円で六つ買っておいたものだ。
 予定通り十一月の一日朝に、チビ・ブレイの巣箱からヒナのか細い声が聞こえてきた。四日にのぞくと芋虫状のヒナが三つうごめき、卵が二つ残っていた。卵は変色し軽いので中止卵と判断して捨てる。十日、ヘイスケ・ナツの巣箱からもヒナの声が聞こえてきた。翌朝のぞくと四つの芋虫。ところが昼になると巣箱の入り口に何か物体が転がっている。ヒナだった。すでに冷たくなっている。事故死したのを親鳥が取り捨てたのだろうか、突然ヘイスケがかんしゃくを起こしたのか、その辺はよくわからない。
 年下の後ぞえとの育児では、昨年までのヘイスケとは違っていた。狂乱しない。巣作りもしたし、卵も交代で温めていたし、ヒナにエサを与えてもいるようだが、落ち着いている。エサをあさったりはしない。何より不思議なことに、夜、巣箱に入らない。寒いのに巣箱の上や、ブランコで一人寝をしている。夜、一度隣のカゴに間違って入り、卵を温めていた娘のチビに、嫌というほど噛みつかれたのにこりているのかも知れない。つくづく変な奴だ。
 十三日にはクル・サムの巣箱からヒナの声が聞こえてくる。四世の誕生だ。三日後にのぞくと芋虫が三つ、卵が二つ、変色して軽い卵の一つは捨てる。
 三代が三羽ずつ孵してしまった。私は頭を抱えながら、それぞれの育児の様子を見守った。ブレイはそれまでの女遊びをやめ懸命にエサを食べ、ヒナに与えている。昨年クルを餓死させかけたのとは違う。夫婦で交代で外に出てきては、エサをあさる。なぜか粟玉はあまり食べない。粟玉を湯づけにしておくと、給餌器でよこせという感じで、給餌器をつついている。給餌器に入れてやると、摘み食いする。手間がかかることおびただしい。ヘイスケ、そしてマセまでも奪い合うようにそれを食べる。
 私の自慢の嫁、ナツは手のりでないにも関わらず、毎晩ヘイスケと交代で出てきて、他の鳥が、ミカンやら甘栗を人の手から奪っていると、大喜びで近づいてきて食べる。屈託がない。婿のサムの方は卵が孵ってからは、外に出ようとしない。クルは相変わらず遊び回り、一時間近く経つと帰っていく。この夜遊び妻を、留守亭主のサムは文句一つ言わずに、
 「ギュルー、ギュルル−、」
 と、おそらく
 「良く帰ってきてくれたねえ。」
 といった様子で出迎え、ようやくエサを食べに巣箱の外に出てくる。エサをついばみながら、外で遊び回っている他の鳥の様子を見て、ちょっと遊びに行こうかと首を伸ばすが、やはり巣箱に戻っていき、ヒナにエサを与える。妻のクルは当然といった様子で、また外に遊びに行ってしまう。いじらしいサム。

 

13、出産ラッシュ(2)

 日に日にヒナの鳴き声は大きくなっていく。十五日朝、チビ・ブレイのヒナを取り出し、フゴ(『フンゴ』を捨て新調した)に移す。かなり大きくなっている。一羽は活発そうでこちらを見ている。一羽は頭が大きくて目が丸く、父親のブレイそっくりだ。一羽は遅れて生まれたらしく、他の二羽より小さい。三羽とも元気で食も太く、たくましい。しかしいずれは手放さなければならない。何しろ後に六羽のヒナが控えているのだ。一、二週間差し餌をして、Y橋商店街のおばさんに売り渡すしかない。
 今度のヒナ用エサには二百グラム三百五十円、『天然ドライ野菜』入りのものに、粟玉を同程度、むいたカナリーシード(カナリアシードとも言う、文鳥の好物で、脂肪分が高い穀物、むきエサの中から耳掻きで選り分ける)少々を混ぜたものを湯づけにし、カキ殻を擦った粉や、小松菜を擦ったもの、気分によってクッキーの粉などを加えたものを与える。見る見る三羽のヒナは大きくなっていった。
 二十四日にはもうバタバタはばたくほどになった。情が移ってしまって手放したくないが、後のことを考えるとそうもいかない。三世代に卵を孵化させたのは間違いだったようだ。売るという行為はつらいので、やはり生ませるべきではない。しかし冬に巣を入れないのも危険なので、産んだ卵を偽卵にかえる戦法をとるのが私にはベストのようだ。
 用事のついでに元I町の小鳥屋さんに行って、巣草と偽卵を求める。何気なくヒナがたくさん産まれて大変だという話を店のおばさんにする。人がよくおしゃべりな上、面倒見の良いおばさんは、それを聞くと偽卵のことを忘れはて、桜文鳥のヒナの仕入れ値が「ヨンパチ(四百八十円か)」に下がってるとか、店賃やエサ代を入れると儲からないとか、しゃべり出した。
 不景気で、あまり手のり文鳥は売れないらしい。売れ残って大きくなったヒナが五羽ほどいる。みんな桜文鳥!
 「こうなると、売れないのよねえ。」
 おばさんため息。なんでも話しそうだが、ここでおばさんの財務経営の相談に乗る気はないので、
 「三羽ぐらいなら、おばさんが引き取ってやるよ、にいちゃん早く持ってきな。」
 という言葉に感謝しつつ(横浜の人は言葉が荒い)、偽卵のことに触れずに外に出る。
 偽卵は帰途別のペットショップで他種用のもの(大きさは同じだが、薄い青緑色をしている)一つ三十円を十個(おまけ一個含む)を買いながら考える。
 『ヒナはあまり大きくなりすぎると売れないらしい、Y橋商店街のおばさんは一月と言っていたが、もう持っていったほうがいいだろう。それにしても桜文鳥は白文鳥より人気がないとさっきのおばさんも言っていた。あの三羽は引き取ってもらえるのだろうか。』
 夕方五時に家に着くと、愛しい三羽を、大きくなったので、今朝からフゴから移しておいた、底にワラを敷いたプラスチック製の升カゴごとナップザックに入れ、それを抱えてY橋商店街に向かう。心では『ドナドナ』を歌っていた。
 「ある晴れた昼下がり、市場へ続く道。荷馬車がごとごと子牛をのせていく。
かわいそうな子牛、売られていくよ。かわいい瞳で見ているよ。
ドナ、ドナ、ドーナ、ドーナー、子牛をのせて。
ドナ、ドナ、ドーナ、ドーナー、荷馬車は行くよ。」
 おそらく題名も歌詞も間違っているが、私の気持ちは実にこの『ドナドナ』調に暗く重いものだった。
 店先には無料で売られている?猫三匹、柴犬の雑種が二匹…、これは五千円だそうだ。雑種の犬に五千円出すお人好しがいるとは思えないが、おそらく委託販売というやつだろう。ずうずうしい飼い主だ。要するにこのおばさんは来るものを拒まずといった姿勢なのだろう。
 ヒナを見たY橋商店街のおばさんは手放しの喜びようであった。
 「まあ、まあ、よく大きく育てたわねえ。これくらい大きいと、安心なのよねえ。何しろお客さんは、いくらおばさんが言ってもヒナに触りすぎちゃうから、小さいと病気になっちゃうのよねえ。」
 おばさんは、上機嫌でプラスチックの升カゴにティッシュペーパーを敷き、愛しい三羽を移していった。他にヒナはいない。私は彼らがいい飼い主に恵まれることを祈りつつ見守った。
 「問屋さんのヒナよりも、自家繁殖のヒナの方が丈夫なのよねえ。エサがいいから。組合で決まってて、一羽五百円しか出せないのよねえ。早速安く売らなくちゃ。」
 千五百円もらって、帰路につく。Y橋商店街は繁華なところだから、閑静な元I町よりも商品動物の回転が格段に早いのだろうか。とっくに売り切れて、一羽もヒナがいなかったのかもしれない。縁日のヒヨコみたいなものだ。乱暴なアホガキなんかに買われたら、と考えると胸が痛む。
 嘆いてもいられないので、夜にはヘイスケ・ナツのヒナを取り出す。チビ・ブレイのヒナに比べるとだいぶ小振りのようだが、三羽とも同じ大きさ、同じ姿で整っている。個体の識別は相当難しい。それらは、ぼんやりした一卵性の三つ子のようで愛くるしい。
 二十六日夜、クル・サムの巣箱から聞こえてくるヒナの声がずいぶん騒々しくなった。数えてみると孵化十二日ほどだが、のぞいてみることにする。例によって夫のサムが抱きかかえて子守をしているが、その脇腹からヒナがはみだしている。かなり大きい。三日早生まれのヘイスケ・ナツのヒナと遜色ない。ヘイスケ・ナツのヒナの方が頭に毛が生えてきているのに比べ、まだハゲてはいるが、体格では、むしろ上回っている。十二日目にして、すでに毛が生えていたマセほどではないが、もう取り出した方が良さそうだ。
 フゴの中に六羽のヒナがうごめく。なかなか壮観だ。エサをあげてみる。
 ヘイスケ・ナツのヒナはこじんまりして口も小さく、給餌器を口に入れるのに苦労するが、クル・サムのヒナ(四代目)はスッポリ入れられるほど大きい。ずいぶん違うものだ。声も四代目たちの方が大きくたくましい。桜文鳥であるヘイスケ・ナツのヒナは、くちばしも真っ黒だが、曽祖母が白文鳥の四代目たちはくちばしの根本が黄色に剥げた感じで、黒くない。混ぜてしまうと、どちらの子供か区別がつかなくなるかと思ったが、その心配はなさそうだ。しかし、この六羽の半分は『ドナドナ』しなければならない。

 

14、出産ラッシュ(3)

 第二次『ドナドナ』を実行した日は冷たい雨が降っていた。六羽のうちの三羽をY橋商店街に連れて行く私の心は暗かった。
 それにしても、この三羽を選ぶ作業は困難なものであった。とりあえず、ヘイスケ・ナツのヒナを一羽、クル・サムのヒナを二羽残すことにしたものの、ヘイスケの子供たちは、一卵性の三つ子のようで外見上見分けがつかない。皆、小さくて利発そうな顔つき、少々行動力に違いがあるようだが、それも格別の個性といえるものではない。選ぶ基準がなく、どれも同じに思える。何か判断材料がないものか、子細に眺め比べ、ようやくひとつの相違点を見つけた。三羽とも全体に濃い灰色だが、翼に数本の白い羽が混じっており、その羽の数が異なっている。一番白い羽の少ないヒナを残すことにする。
 クル夫婦の子供のほうは、外見的にもそれぞれ特徴的だった。成長が早く長仔らしい一羽は、父親のサム似で、目も大きく端正な姿をしている。次仔と思われる一羽は、翼にすら白い羽がなく真っ黒で、泣き声がしゃがれている。末仔らしい成長の遅れぎみの一羽は、丸目で、なんとなく祖父にあたるブレイの雰囲気を感じさせる。当然端正な長仔を残すとして、残りの二者択一が問題であった。私は、ハスキー声で真っ黒な次仔を選択する気持ちに傾いていたが、一応ほかの人間の意見も聞いてみると、手近にいた母親は末仔の方を推奨する。特に推奨する理由がないところが、かえって気にかかる。さらに成長の遅い末仔を『ドナドナ』する不安もあったので、結局そちらを残すことにした。
 雨の中、またしても『ドナドナ』を頭の中で熱唱しながら、例の小鳥屋さんに向かう。
 「まだ、前の三羽も残ってるのよ。」
 意外というか、大不況下にあって当然というべきか、第一次『ドナドナ』の三羽は売れ残っていた。見せてもらうことにする。
 「ガア・ガア」
 やかましい。ずいぶんと大きくなり、皆、丸々肥えている。特に一羽、大きくて父親のブレイを彷彿とさせるのがいる。思わず欲しくなってしまったが、そんな馬鹿な話はないので、グッとこらえる。
 「(前のヒナが)売れ残っているんじゃあ、申し訳ない。」
 私は、この上三羽も引き取ってもらうことに恐縮した。
 「あら、大丈夫よ。こういうのは正月に出る(売れる)のよ。」
 お年玉でふくれた子供のポケット、おとそ気分の大人の衝動買いを当てこんでいるらしいオバさんは、あくまでも強気だ。が、そううまく運ぶだろうか。
 ともあれ、また一羽500円、三羽で1500円を茶封筒に入れてよこす。『ドナドナ』に精神的苦痛を感じている私は、もうヒナは孵さないようにするというと、オバさんはいかにももったいないといった様子。卵を産ませないと、かえって体に悪いものだとか言って、春にはまた孵したらと薦める。適当に相槌を打ち、御礼を言って帰路につく。
 それにしても、オバさんの話をどう解釈すべきであろうか。本当に、卵を産ませないと体に悪いかはわからないが、その点は卵を産むだけ産ませ、片っ端から偽卵に替えてしまう方式をとっているので、問題ない。しかし、「春」といったのはどうだろう。深読みすれば、ヒナは当分要らないという意味ではないか。要するに孵さないほうが良い。と、歩きながら結論する。

 

15、充実する環境

 大枚を投じ、数ヶ月前に自作した文鳥棚だったが、我が家のきれい好きな文鳥たちの、連続水浴び攻撃の前に、早くも朽ち果てる兆候が見られるようになった。わざわざ化粧板を用い、表面にはビニールコーティングまでしてあるのだが、無駄であった。このままでは二年で崩壊すると私は判断し、とりあえず水浴び被害を減らそうと、フード付の水浴び器、『アウターバードバス』を導入することにする。
 せっかくの浴室になかなか慣れない文鳥を見ながら、手狭にもなってきたし、将来はステンレス製の棚にでも替えないといけないと思っていたら、目の前の広告に理想どおりの品物が載っている。高150cm、幅90cm、奥35cm、可動式の格子状棚は、50kgの過重に耐えるとある。鳥カゴは高45cm、幅・奥30cmくらいだから丁度いい。五千円、先着20名なんて書いてある。男のわりに物価にかなりさとい私は、即座に安いと判断し、購入する。重荷を担いで家に運び込み、早速ガチャガチャ組み立て、鳥カゴを配置する。五つの鳥カゴの並ぶ姿は、さながら団地かマンションであった。2DKバス付、新婚夫婦向きといったところか。飼い主の惨めな生活をよそに、贅沢になったものである。
 こうした環境の元で、ドナドナを免れ当然のようにすくすくと育った三羽は、それぞぞれソウ・グリ・ガブと名づけた。例によって深い意味はない。ヘイスケの仔で、聡明そうな顔立ち、チビで『総身が知恵』といった雰囲気なのでソウ、父のサムに似て目が大きいのでグリ、ガブガブ言いながらエサをねだっていたたれ目の遅生まれがガブとなったのである。
 生後一月弱で飛びまわるようになった三羽は、例によってめまぐるしく群れ飛び遊ぶ。昨年のマセたちを放し飼い状態にし、帰宅拒否症にしてしまった反省から、遊び時間は朝と夜に限ったが、この三羽の行動範囲は広く、危険であった。歯ブラシをかじり、たれさがっている電気コードの上に乗り、揺らして遊んだりしている。感電したりしないかと気が気ではないが、事故は起こらず、三月になると、他の二羽以上に堂々たる体格に成長した末っ子ガブが、早くも手のひらの中でグチュグチュと言い出した。生後四ヶ月足らず、さえずりの練習のぐずりを始めるには早過ぎるのだが・・・。
 このガブは、全体的な雰囲気が祖父にあたるブレイに似て間が抜けている。例えばある日三羽がカーテンレールの上に乗り、カチャカチャ、いろいろつついて遊んでいるうちに、悲鳴が起こった。何事が起こったのかと見上げると、ガブがもがいているのである。よく見ると頭がカーテンレールに挟まって抜けなくなっているようだ。大変。救いに行くが、自力で抜け出す方が早かった。頭がでかいから挟まるのだ。私は呆然としているガブを捕まえ、異常はないか調べてみる・・・異常であった。顔半分がふくれて、お岩さんのような状態になっていた。
 幸い腫れが引くと跡も残らず、元のたれ目に戻ったガブは、相変わらず手のひらで、グチュグチュ言い続ける。祖父のブレイも人の耳元で、何やらグチュグチュ言うで、こんなところも似てしまったのだろうと思っていたが、四月になると兄のグリと一緒になって、本格的にぐずり始めた。非常に早熟だったようだ。ブレイの遺伝子ははかりがたい。
 とにかく、ヘイスケ以来初のオス文鳥なので、私は張り切ってさえずりを仕込にかかった。
 「ピー・ピピヨン・ピピヨン・ピピヨン…、どうだ素敵だろう。君たちもこのようにさえずりなさい。」
 ところが二羽は感動しない。無関心。それどころかブレイのさえずりの真似を始めた。よりによって、「ホッポポケケチーヨ」とは。私はあせったが、強力な隔世遺伝の力の前には屈服せざるを得なかった。
 さて、五月にはまたお客さんがきた。二年前と同じ1メートル以上の奴が、大きすぎて中に入れず、鳥カゴの周りを徘徊し、文鳥たちを恐怖のどん底に落としているのを朝食中の私が発見した。蛇である。二度目なので、今度は慌てず取り押さえる。さてどうしたものか、未遂だから逃がしてやろう。いらぬ殺生をするものではない。仏心を動かしかけた時、奴は運悪く私の手をかじってしまった。傷害犯の末路については、多くを語るまい。

 

16、ゾロ目の年の行動(1)

 考えてみれば、1999年だった。テレビでは盛んにノセテハダマスとかいうのの予言をやっている。七月にアンゴラウサギの大王が降ってくるらしい。見てみたいものである。
 そんなヨタ話をしている場合ではなかった。何しろ同居中の三羽のうちグリ・ガブがオスで、ソウだけがメスだったのだ。これは旧王朝時代、血で血を洗う兄弟喧嘩を起こした時の構図と同じだ。あの時は一羽のメス(妹)をめぐって、兄弟が決闘し、兄が死に、弟が片脚になった。グリとガブの決闘、これは私にとって、終末予言なんかより重要かつ確実に悲惨な未来といえる。
 それでも六月まで、この兄弟とソウは仲良く暮らしていた。兄弟はお互いに切磋琢磨して、ブレイのさえずりの真似をしている。たれたコードのうえで三羽並んで、ピョンピョンはねている。注意深く観察すると、祖父似の巨体で父に似た配色を持つたれ目、おっちょこちょいのガブが、父似の大きな目、母方からの影響によって白い差し毛がゴマ状に頭に生えたグリを、調子に乗って挑発するものの、優等生タイプの兄が相手にしないようだ。従って、小さいながらも均整のとれた体系、きれいな毛並みの桜文鳥に成長したソウをめぐる争いはなかなか起きない。しかし、動物の本能はこの仲の良い兄弟の上にも確実に影を落とし、六月も半ばに差し掛かると、いよいよ険悪な雰囲気になってきた。明かにソウを間にはさんでけん制しだしたのだ。
 兄弟を引き離すことにする。まずガブを別の鳥カゴに移す。色の濃い桜文鳥が好きな私としては、将来的にこのガブに外部から嫁をとって、さらに代を重ねようという構想だったのだ。
 ところが,一羽になったガブは大騒ぎ、一方のグリとソウはけんかを始めた。というより、グリがソウをいじめている。これは意外だった。優等生のグリがなぜ…。どうも直接的にはブランコの所有権をめぐる争いのようだが、もともと三日早生まれで、姉貴風をふかし、女王様然とふるまっているソウに、グリとしては含むところがあったらしい。
 翌日になっても、変わらないので、グリとガブを交代する。ガブは大喜びで、ソウにかしづきベタベタしている。この組み合わせが正解のようだ。
 考えてみれば、ソウとグリ・ガブは結構血統的に遠い。兄弟にとってソウは、祖母の腹違いの妹となる。つまり大叔母。大叔母と同じ年というのは、人間に置き換えるとわけがわからないが、ようするに同じ祖先はヘイスケだけ。子供が生まれると、ヘイスケが祖父であり曽々祖父でもあることになってしまうが、この程度なら問題ないだろう。ヘイスケの血が濃いなんて、うれしいくらいだ。何も嫁など買わずに、ソウ・ガブのペアに期待すれば良かったのだ。グリには独身貴族を気どってもらおう。
 …と、そのような結論に達したはずだったが、気がつくとまたもや趣味となった小鳥屋めぐりを始めていた。梅雨時の習慣となっているらしい。グリだけ一羽というのはかわいそうだと、極めて珍しく財布に余分があった私は思いついてしまったのだった。
 東奔西走。その行動範囲は周辺市域にまで及んだが、ゴマ塩ばかり、眼鏡にかなうものがいない。南武線のMN駅に行く。ここには馬まで売っているペットの総合卸会社がある。のぞくと、さすがに種類、性別ごとに数十羽ずつもいる。しかしここは日曜日以外には小売をしないという。最終手段と考えておく。
 京浜急行I駅が最寄駅と思われるペットショップに行く。ここはヘイスケの嫁探しの際、オス・メス分けずに売っていて、腹を立てたところであったが、歩いていける範囲なので、期待せずに事のついでに寄ってみる。関心にも、値札はないが今度は「♂」「♀」分けて売られている。「♀」マークのついた鳥カゴの中の三羽を見てみる。一羽は白い毛が多すぎ、なおかつ元気がないので除外。残りの二羽は基準内。ところがそのうち一羽がさえずっている。
 『「♀」というのはメスの意味のマークだったと思うが、「♂」がメスマークだったかなあ。』
 しかし、「♂」のカゴの鳥たちもさえずっている。だんだんあいまいな気持ちになった私は、店主らしいアンちゃんに、こっちのカゴがメスかどうか尋ねる。そうですというので、さえずっているのがいると指摘してやる。アンちゃんはデヘ、と笑い、
 「おととい入ったんですけど、いい加減なんですよね。」
 と卸し元に責任を転嫁した。いい加減なのは、お前だと思いつつ、適当に相槌をうって、多分一応の本支店関係にあると思われるH駅の店(名前が同じ)と卸し元が一緒のためであろう、ナツに似ている「♀」を3500円で買う。
 「文鳥は暑さに弱いんで、早く鳥カゴに移してください。」
 などとアンちゃんが、デヘ、デヘというのを無視して帰路につく。道々、あの人間は完璧なボンクラだが、先天的な知恵遅れの可能性もあるのでいじめてはかわいそうかもしれないなどと考えていた。
 家に着き二時間もすると粟玉などを食べた新入りはすっかりくつろぎ、気持ち良く澄んだ声のさえずりを披露してくれた。
 そんな気がしていた私はまるで落胆せずに、夕闇の中を鳥カゴを振りながら、再びペットショップに向かった。近いといっても、片道30分以上はかかるのだが、舌打ちの合唱をしている間に着いてしまった。店が閉まっていたら、たたき起こしてやるつもりだったが、まだ開いていた。オスである旨を告げ、
 「ひどい卸しだね。」
 とだけ言う。例のアンちゃんが、相変わらずデヘ、デヘしながら、
 「取り替えましょうか、換金しましょうか。」
というので、
 「換金してください。」
と冷たくはっきり申し渡す。本当は、
 「お前、卸しになめられてんだぜ、メスといわれた三羽のうち二羽がメスで笑ってられんのかよ、エー。」
 と言いたかったのだが、それは親切過ぎるので、言葉を飲み込んだ。デヘ・デヘは先に指摘したさえずりの一羽を別にしておらず、さらに返却した♂君も「♀」のカゴに入れてしまった。一体何を考えているのだろうか。

 

17、ゾロ目の年の行動(2)

 私は藤沢市を歩いていた。横浜市の中心部から直線距離で20キロ程度に過ぎない、いわゆる湘南のこの町も、横浜の隣接市町村の一つだが、横須賀線(通称スカ線)利用者だった私には、『鎌倉のとなり』と言うイメージが強く、縁遠い。
 実はここにくる前に、二十歳を前になくなった級友の墓参を、数年振りのゲリラ的突飛さで果たしていた。この墓は東海道線(地域名湘南電車)の藤沢のとなり駅、『辻堂』という、どうにもロートルなところにあるのだが、どちらが本題か明確にわかるすばやさで線香を置き、藤沢で文鳥の嫁探しを始めたのであった。
 この日は、藤沢、および鎌倉市の小鳥屋さんをしらみつぶしにする覚悟であった。鎌倉、江ノ島、辻堂、とくれば、烏帽子岩が見えるところまで行くのが、サザンオールスターズ(桑田佳祐)の世界観なのだが、そこまでは行かない。
 「エボシ岩が見えってきた〜、俺の家も近い〜」
 茅ヶ崎市民はそうなのだろうが、横浜市民の私は、烏帽子岩を見た途端、旅情を感じてしまうのである。
 一、ニ軒冷やかしたあと、H本町の方へ歩いていく。もちろんこんなところに来た事はないので、住所標識を見ながら、きわめて適当に歩いていく。迷い、迷い、歩いていくと、人気のない国道のかなたに『小鳥屋』と書かれた看板が見えてきた。いや、看板と言うような立派なものではなく、板切れに適当に白ペンキを塗り、その上に、きわめてぞんざいに、素人が赤ペンキで殴り書きした代物を、国道沿いの歩道に放置しているに過ぎなかった。
 徐々に近づき、その場末の焼き鳥屋のような看板の正体がわかってくると、私は、怖いもの見たさに足早になっていた。どんどん近づくが看板の前に店らしき建物はない。ついに看板まで達して、右側を見ると、道からやや奥まったところに、よしづで覆われたバラックがあった。ひなびた浜の、さびれきった海の家、『浜茶屋』と言った風情である。
 はっきりとした扉も敷居もないので、どこからが店先で、どこからが店内なのかもあやふやなくらいだが、三方がよしづで覆われ、古道具が端につまれ、そこここに鳥カゴがつる下がっている店先には、文鳥はいない。そこで奥の、とりあえず屋根のある建物の中に踏み込む。当然のように薄暗く雑然とした店内には、いろいろな鳥がいたが、文鳥は、地べたに置かれた巨大な古びた鳥カゴの中に、白・桜・シナモンがすべて一緒に入れられている。
 もちろんオスとメスの区別などなく、値札だってない。店内の最奥部の机の上で、この鳥屋のオヤジが、何やら帳簿をつけている様子が、なんとも怪しい。客が入ってきても、見ようともしない。何やらズルあつかましげに、多分小ざかしさと、虚偽に満ちている(と勝手に想像する)帳面に向かっている。BGM?のAMラジオの音が、実にうるさい。
 こういった素敵な雰囲気の鳥屋に、実は内心関心しきりなのだが、全く目に入らないと言った態度で、私は大カゴの中の文鳥を、ためつ、すがめつ、長々長と見入っている。そのうち、上目づかいに様子をうかがっていたらしいオヤジが座ったまま、単発的に声をかけはじめてきた(なめきった接客態度だが、個人的には嫌いではない。いちいちまとわりつかれるよりましである)。
 「何か目的はあんの。」
 「桜文鳥が欲しいんです。」
 少し愛想笑いを浮かべてみながら、間髪いれずに答える。
 「色の濃いのか…。」 
 独り言のように言うオヤジ。知らん顔で文鳥を見つづける私。しばしの沈黙。
 「何羽飼ってんの。」
 「十…十二羽もいますね。今のは四代続いています。」
 言葉遣いは丁寧な感じだが、明かに態度は大きい私は、ここで文鳥にうるさいところを示しておこうと考えたのだ。今度は初めてこちらから話を切り出す。
 「メスが欲しいんだけど、見た目じゃわからないんですよね。」
 その瞬間、オヤジの目が光ったような気がした。
 「簡単さ。フッ、と吹けばすぐわかる。」
 何かつぼにはまったらしいと思った私は、即座に応じる。
 「えっ、さえずらなくてもわかるんですか。この間もメスといわれて買ったらオスで、返したりしてるんですけど…。」
 「そらぁ〜、こっちはプロだもん。フッ、吹けばすぐわかる。さえずりゃ、誰だってわかるさ。こっちはフッと吹けばいいんだ。」
 『プロ』のオヤジは、完全無欠のアマの客を前に、勝ち誇っている。別に鳥を商品として扱うプロになる気はないので、その点はどうでも良かったが、「フッと吹く」性別鑑定など、聞いたことがなかったので、私は正直驚いてしまった。
 確かに、鳩の性別は肛門のかたちで判断するし、ヒヨコの肛門鑑定には免許だってある。小鳥とはいえ、文鳥も鳥だから、肛門鑑定ができるのではないかと、以前ふと思ったことがあったが、実行してみたことはない。しかし「フッと吹く」のが肛門とは限らない。他にどこを…。
 頭であれこれ考えながら、オヤジには疑惑の沈黙で応じた。アマの客の不信を察したオヤジは次の手を打ってきた。
 「プロだからな。そこを見てごらん。」
 と言って、壁際を見るようにあごをしゃくり加減にうながす。そこには、安い額に入った古びた二枚の証書がかけられていた。とりあえず適当に見てあげる。愛玩動物なんとかの、農林水産なんとかの、八級とか何とか書かれてあるようだった。オヤジは己がプロである証を、二枚の紙切れの中の権威に求めたわけだ。
 ところが、私はあいにくそう言った紙に興味はなく、第一、頭の中は別の事で占められていた。何しろ、その「フッと吹く」という実演を見てみたいのだが、このオヤジの目が狂った場合、この遠隔の地(これも私の主観上の表現)まで、文鳥を連れてきて、返却するのは、地獄なのだ。さらに重要なことには、鳥カゴの中の数羽の桜文鳥のうち、私の眼鏡にかなうのは一羽だけなので、もしそれが実演の末に、オスと判断された時、
 「そんじゃ、いらない、バイバイよ。」
 と言えるかどうか。…多分その場に立てば言ってしまうのだろうが、それはなるべく避けたい。
 いっこうに、証書についての反応を示さずに、無言でまた文鳥を見始めた怪しい客に対して、オヤジは、
 「桜は四千円だよ。」
 と、少しムッとした様子で言った。性別は関係ないらしい。何とアバウトで素敵な料金設定であろう。しかしマイナス要因が多すぎるのと、他にも見てまわる小鳥屋の当てがある私は、
 「他も見て、また来ます。」
 と、いかにも社交辞令の嘘八百丸出しに言い捨てて、店を出る。「フッと吹く」を見てみたかったが、仕方あるまい。

 

18、ゾロ目の年の行動(3)

 「フッと吹く」プロの店を後にした私は、その後小田急線で片瀬海岸(有名らしい江ノ島の対岸)まで行き、砂混じりの湘南海岸沿い(なんて言うとかっこいいのかもしれないが、そんな名前の海岸はないのだ。ここは砂混じり、塩混じりの風の吹く片瀬西浜に過ぎないのが現実である)を、そぞろ歩いたりしたが、その方面は期待はずれに終わり、夕方になっていたので帰宅した。
 いい加減疲れたのだが、翌日には鎌倉市街を歩いていた。
 私にとって鎌倉は愛着のある場所だが、神社仏閣、古跡めぐりをした事はあっても、ペットショップに行った事はなかった。しかし電話帳で二件の目的地を検索しておいた。目的地は駅近くと少し遠く。
 駅前商店街のはずれにあるペットショップの方の桜文鳥は姿が良かった。入り口で水槽の掃除をしている、パリッと糊のきいたきれいな白シャツを着た品の良い白髪の老人が店主らしい。小鳥屋のおじさんというより、隠居の経済学部名誉教授といった印象だ。
 桜文鳥は、それぞれ小さい鳥カゴに三ペア、キチン・キチン、といった様子で置かれていたが、残念ながら性別、および値段の表示はない。そこで老紳士に桜のメスが欲しい旨を伝える。
 老紳士は一番姿の良い文鳥たちが入れられている一つの鳥カゴに近づき、マジマジと、眼鏡を上げたり下げたりしながら見定めて、こちらがメスだとおっしゃる。
 その様子を見て、私は一抹の、いや100%の不安に満たされたが、指摘された文鳥自体は気に入った。ちょっと角張った感じの顔つきで、足も太いが、どこか上品だ。それに私には数日後鎌倉に来る予定があった。もしオスであっても、その時返却すればいい。
 かなり乗り気になって、今度はいつの生まれか聞いてみる。生真面目な老紳士はしばしの考慮時間に入ったあと、
 「昨年の春だと思います。」
 とお答えになる。わざわざ「思う」とつけるところに誠実さがにじんでいる。
 続いて、老紳士は私が飼っている文鳥が何月生まれかお尋ねになるので、去年の秋生まれの旨ご返答申し上げる。しばし沈黙。
 通常文鳥のペアリングでは、オスが少し年長の方がうまくいくとされているので、半年の姉さん女房は少し問題とも言えた。さらに頭に文鳥飼育マニュアルが搭載されている私にとって、「春生まれは体が弱い」という文句も思い出される。
 それでも、値段によっては買ってしまうつもりで、お尋ねする。老紳士はまたしても考慮時間に入り、さらに帳面を取り出すと静かにめくり始めた。
 「…四千五百円……。メスの方が高くなってしまいますね。」
 と丁寧なお言葉。これもずいぶん前に作った授業ノートの文字を、完璧に黒板に再現しようとする大学教授を思わせる。
 それにしても四千五百円。高すぎはしない。五千八百円などというところもあるのだ。しかし安くもない。三千五百円のところもあるのだ。数日後にまた来る予定なので、それまで他を探して、見つからなければ、その時に買うことにする。
 「また参りますので。」
 と、丁重に老紳士に挨拶して、駅に戻った。

 

19、ゾロ目の年の行動(4)

 鎌倉駅にひしめく修学旅行や、遠足の児童、生徒、学生、および団体のおジジ・おババを、煙たくにらみかき分けつつ、スカ線で大船に行く。ここも一応鎌倉市域だが、こちらには闇市場のようなごちゃごちゃと入り組んだ繁華な商店街があり、断然日常生活のパワーに満ちている。
 何軒かあるペットショップを冷やかしてまわり、最後に商店街のはずれにあるO鳥獣店というところにやってきた。ここは店先の棚に整然と鳥カゴが並べられており、その中の一つに桜文鳥が六羽ほど入っている。さらに値段も貼られている。
 『オス3500円・メス4000円』
 何ら問題なし。しかし、残念なことにどれがメスなのかわからない。ジィーと観察する。
 みな、足が太く、つやも良い。健康で丈夫そう、この点では問題なさそうだ。しかしゴマ塩傾向のあるグリの嫁としては、色は濃い方が個人的な趣味の上で望ましいのだが、その点二羽は少し白い毛が多すぎた。それでも残る四羽のうち二羽はボーダーライン、二羽がとても望ましい文鳥であった。それに、どの文鳥も目がまん丸ではなく、頭も扁平ぎみ、全体的な雰囲気が我が家のヘイスケに似ており、実に私のタイプの顔立ちをしている。
 色の濃い鳥がメスなら文句なしだ。私は店員のおネエさん、髪を染め、ピアスをし、美容師然としたその人に、桜のメスが欲しい旨を伝える。おネエさんは桜文鳥のカゴを引き出しながら、オスを飼っているのかと訊くのでうなずく。
 「脚環をしているのがメスなんですけど…、今、一羽しかいませんね。」
 うかつにも気がつかなかったが、確かにボーダーラインと判断した一羽が脚環をしている。その一羽を良く見る。我が家のクルに似ている。死んでしまったクロにはさらに似ていて、ほっぺたが膨らんでいる。体はあまり大きくないが、血色が良く、くちばしがつややかで、さらに足が太い。少し白い毛が多いが、その点は妥協することにする。
 とにかく、いつの生まれか訊いてみる。
 「この子達は、この間入ったばかり、去年の秋、一年たっていないです。」
 「それをください。」
 間髪がない。このへんの判断は軽率なくらいに早いようだが、本当はしっかりといろいろ考えている。
 ・・・目がまん丸なのは、先天的なものだけではなく環境にもよるものだろう。その証拠に我が家のブレイなどは、買った当初、まん丸の目をしていたが、徐々に目じりが細くなっていった。おそらくこれは陽があたらない店内から、陽のあたる環境に移った結果に違いない。文鳥を一日中ひなたにさらすのは危険だが、日陰暮らしが体にいいはずがない。大概のペットショップの文鳥が丸目で、くちばしの色が薄いのは日光浴の不足の証明で感心出来ない。
 となると、この店の文鳥は、程よく陽射を浴びて健康な生活をしていたのが、目と、くちばしに現れていることになる。さらに足の太さは、体質の丈夫さをも物語ってくれる。しかも見ていた限り、他の文鳥にいじめられるような、性格的にいじけた鳥でもなかった。
 そして決定的なのは、「この子」と店員が表現した事であろう。オジさんなどがこの表現を使った場合、首をしめたくなるが、女性が言うと、文鳥を商売動物と考えず、生物として接しているような好印象を受ける。
 ざっとこんな事を、一羽の文鳥の購入にあたって考えていたのである。
 店員のおネエさんは、返事の早さにかえって「この子」の将来が不安になったらしく、文鳥は気が荒いので大丈夫だろうかと心配しだした。暗に、見合いを勧めているのかもしれないが、それについて私は無用論者だから、
 「大丈夫だと思います。」
 と、推量形にしては、断定的な言いきり方をする。何を言っても無駄と了解したおネエさんは、その紅一点の文鳥を捕まえ箱に入れる。会計。消費税なしのジャスト四千円。実に素晴らしい。けなす余地がなくて、残念なくらいだ。

 

20、生産ラインは五つ+α

 1999年秋の繁殖シーズンを前に私は悩んでいた。四世代五つのペア。さらに三羽の独身姉妹。これがフル稼働したらどうなるのか、恐らく春まで百羽以上に増えてしまう。とりあえず代重ねが継続されれば良いので、五代目となるはずの卵以外は、孵化させる必要はない。しかし産卵できないように巣を取り除くのは今までの習慣と、環境から感心しない。また産むだけ産ませて偽卵とすりかえることにする。ともあれ偽卵を豊富に用意しておかなければなるまい。
 非常にふざけた残暑が続いていたが、20個以上の偽卵を手にし、九月の中旬に巣箱を五つ設置する。実に壮観。ブレイは待ってましたとばかり、巣草をせっせと運び、続いてヘイスケとサムも巣作りにいそしむ。まだ生後一年未満の四代目ガブも、生意気に巣材を運んでいる。しかしいっぺんに全部持っていこうとしてこんがらがっている。奴はどこまでも祖父のブレイに似ている。
 同じ四代目でもグリは父のサム同様、巣材のシュロの毛を一本一本丁寧に運んでいる。サムの場合、あまりに慎重で丁寧なので、じれったく思った妻のクルが出てきてタバで運び巣箱に運び込み、
 「あんた、トロくさいのよ。」
 といった様子で夫をにらんでいたりするが、グリの妻であるフネ(大船で購入したのでフネ、どこまでも安易なのだ)は巣作りの意味がわからないようで、面白そうに見ているだけ。グリは、芸術家さながら、一本のシュロの毛を加えて、いちいち置き場所を考えている。この二羽が卵を産むのは先の事になりそうだ。
 ふざけきった暑さがさらに続いていたが、そんなことは問題とせずに9月29日にチビが産卵開始。計四つ(一つは巣箱外で割れてしまっていた)、即刻、偽卵に替える。
 四季の存在が疑わしい暑さが続いていた十月上旬、いよいよ三つの生産ラインが稼動した。5日クル産卵開始。6日ナツとソウが産卵開始。
 まさかソウがこんなに早く出産するとは思わなかったが、さすがにブレイ似だけあって夫のガブは早熟だった。この卵は後継ぎ候補だが、卵を産もうと、夜な夜な手乗りの両親は遊びまわると思ったので、この際育児の天才、良夫賢父のインドア鳥、サム君に仮母になってもらうことにした。彼に任せておけば、有精卵である限り確実に孵し育ててくれるはずだった。
 本来私の主義では、無理せず、子育ての自覚が出来るまで待つのが本当で(チビなどは、夜も一歩も出ず卵を温めるようになった)、第一、もう十分に数がいるので、あわてて後継ぎを生ませる必要も感じていなかった。ところが、この時は何とヒナを譲ってほしいという奇特な人物がいたので、多少の無理を実行することにしたのだった。
 そのカモ、いや御仁は私の大学時代のパシリ、いや親友のT君。母上が昔文鳥を飼っていて、また欲しくなったと言う。息子はアンポンタンだが、母上は立派な方のようだ。ニ、三羽とか言っていたが、彼は市民楽団なんかで『ラッパ』を吹いており、顔は広いはずなので、ガブ・ソウの仔で、気に入った一羽を後継ぎとして残して、残りは四羽でも五羽でもみんな彼に押し付けることに、私は一方的に決めてしまっていた。男の友情とはそう言うものである。
 8日、一日一個とすると卵は三つのはずだが、ソウの巣箱を留守にのぞくと二つしかなかった。サムのところには四つあり、すでに彼は温め始めていた。卵をすり替えることにする。まぎれないようにソウの卵に墨で小さく印をつけ偽卵二つを加えて、クルの卵は処分した。そして、
 「サムよ、人間のジジ・ババ(祖父母)も孫を育てることは多いのだ。君もがんばりたまえ。」
 といいわたした。
 クルの産んだ卵は、やたらと立派だが、ソウの卵はずいぶん小さい。初産のためか。しかし母(ナツ)の卵も小さいから体質なのかもしれない。さらに産み方が不自然だった。10日にようやく四つ目を産卵、温め始めた。一日中休みがあったらしい。後から産んだ卵もサム君にお願いする。クルの五つ目の立派な卵があったが情け容赦なく捨ててしまう。
 そのうち感心なことにソウは、夜遊びせずに、巣箱にこもって卵を温め出した。これはヘイスケの遺伝だろう。立派だ。そのヘイスケとナツの夫婦は、夜はニ、三十分ずつ交代で遊びと抱卵を交互に行っている。こうなると、もはや人間でも真似できないほどに偉大だ。これに比べて、ブレイとガブときたら遊びまわって帰らない。ごくたまにブレイは帰ろうとするのだが、良妻賢母のチビに、
 「あんたは遊んでていいわ。当てになんないし。」
 と、冷たく言われて交代してもらえないらしい。信用がないのだ。良く似た孫のガブのほうは、まだ若僧で自覚がなく、何でソウが一緒に遊んでくれないのか、良くわかっていない様子だ。
 さて11日にソウ・ガブの巣箱をのぞいて四つのままなので、打ち止めと油断していたら、14日に二つ増えていた。この卵は前の卵に比べて格段に大きくて立派だ。ソウは妙な産卵行動をとるようだ。夫のガブの方の育児能力が怪しいのでやはり偽卵と取り替える。そして、二つの卵もサムに任せると、孵化日にかなりずれが生じるので、今度は母方の実家(ヘイスケ・ナツ)に任せることにした。


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