21、ひ孫の子供は玄孫(やしゃご)

 五代目の孵化予定日は10月24日、26日、28日だったが、予定日を過ぎても巣箱からヒナの鳴き声は聞こえなかった。毎日耳をすましながら、私はやはりソウとガブでは繁殖は早かったかと思いつつジリジリしていた。28日、何となくヒナが産まれた気配がするので(このへんは勘)、思いきって、夜サムたちの巣箱をのぞいてみる事にする。
 温めているサムに敬意を払いつつも割り箸で押しのける。そこには一つの芋虫三つの卵、ヘイスケに玄孫(ヤシャゴ)が生まれた。これは三つ目か、四つ目の卵が少し遅れて孵化したものだったようだ。それにしても一羽しか孵らないとなると、しっかりと子育てしてくれるかが問題となる。チビとブレイがクルを産んだ時は、ろくに餌をやらずに閉口したではないか。とにかくインドアな主夫のかがみ、サム様に任せる他になかった。
 30日夜、ヘイスケとナツのところものぞいてみる。こちらは預けた二つとも孵っていた。芋虫二つ。ヘイスケはのぞかれることよりも、巣箱に誰もいないということが許せないらしい様子なので、すぐにナツを帰して素知らぬ顔をする。様子をうかがっていたヘイスケはすぐにカゴに飛んでいくが、ナツがカゴの中にいるのでとりあえずOKらしい、ガサガサと買い物ビニールの音をたてたら、なにかもらえると思ってこっちに飛んできた。
 ヘイスケはどうも文鳥ばなれした『思考法』をしている気配があり、奇怪な行動をする。考えてみれば、この前日の夜から巣箱の中で就寝しなくなっていた。去年も同じような行動をとっていたから、ヒナとは一緒に寝ない主義らしい。夜泣きが嫌なのだろうか。あれだけ抱卵にも、育児にも熱心なのに妙だ。
 文鳥がどの程度論理立てて物事が考えられるか知らないし、あんまり考えているようには思えないが、ヘイスケとマセだけは、何か『思考』して『判断』したうえで妙な行動をしている気がしてならない。考えてみればヒナの時からこの二羽は、
 「へっ、お前が飼い主か。」
 といった顔で人を見ていた。先天的にどこかおかしいのかもしれない。それはそれで、実に素晴らしい。ぜひ五世たちにも遺伝して欲しい。
 11月1日の夜、巣箱から孵化しなかった卵と偽卵を取り出した。心配したがさすがサム様、ヒナが一羽でも立派に育児し、数日にして倍の大きさにしていた。
 それにしても三つあるはずの孵化しなかった卵が二つしかない。どこかに落ちたのか、詮索するひまはないので二つをすばやく取りだし、すぐにサム様にはお帰り頂く。変色している二つの卵を割ってみると一つは無精卵(未受精卵)、一つは中止卵(成長途中に何らかの理由で卵の中でヒナが死んでしまった卵)だった。
 はじめの四つに無精卵と中止卵と、孵化したのとがあった(一つ行方不明)のに対し、後から産んだ二つは共に有精卵で孵化した。この結果と、さらに産卵のばらつき、および後の二つの卵は前のものと比べて大きかったことから推して、多分産み始めの二つの卵は未受精で、いわば想像妊娠、中ほどの二つは受精しているものの、まだホルモンか何かの関係で体が産卵出来る状態になかった卵、最後の二つになって始めて出産体制が整ったものと勝手に判断する。
 などとどうでも良いことだが、この考えが正しいとすると、サムが育てているヒナが心配になってしまうではないか。しかし、数日で見違えるばかりに成長させたサム様が後天的にカバーしてくれるものと信じる以外にない。
 それにしても、三羽なら、一羽後継ぎに残して二羽譲れる。わざとらしく思えるくらいに都合良くいった。日ごろの行いが良いからだろう。きっと。

 

22、ゴッドマザーの呪縛

 心配するまでもなかった。生後約二週間、当然のように順調に大きくなった五世たちを、いつものように人間が引き受け、当然のように生後約一ヶ月で飛びまわるまでに育てあげた。この家の文鳥たちも人間もヒナを育てる能力は抜群なのかもしれない。
 五世たちの内、サムが育ててくれたヒナは、頬は白く、クチバシの根元に白い点があった。そこで『テン』と呼ぶことにした。ヘイスケが育ててくれた(どう見てもオスの方が子育てに熱心だったので、このように表現している)二羽のうち、一日生まれが早い様子の方は丸々としているので『マル』とした。このヒナも桜文鳥のヒナにしては頬が白い。両親は濃い灰色の完全無欠の桜のヒナの毛並みだったのに、なぜこれほど白い形質がでたのだろうか。
 桜文鳥至上主義の私は考え込み、すぐにある文鳥の姿が思い浮かんだ。
 『これはフクの呪縛に違いない。』
 きっとこれは母方の曽々祖母にあたる白文鳥のフクの遺伝因子のなせる技に相違ない。婿や嫁の祖先について知る由もないのでそう考えたのだ。
 「あんた、私のことを忘れようったって、そうはいかないわよ。」
  そう言えば、何とか色を濃くしようとたくらんでいる私の行動は、フクの血をかき消そうとしているようなものだから、彼女の血がそれに反抗したのだろう。
 白いゴッドマザーのことを忘れ去ろうとするつもりはなかったが、当然私が三羽の内、家に残すことに決めた末っ子は、唯一完璧に真っ黒なヒナだった。フクの血に屈する気はないのである。
 一目見て、一羽だけ完全に桜となりそうなので、すぐに後継ぎに決めて『ゴン』と名づける。五代目だからゴン・・・、相変わらず安易だ。
 成長してきて性格が見えてくると、テンは最も利発だったし、マルは体質が一番丈夫そうで姿もかわいらしかった。その点、ゴンは末っ子のためか少しのろまに見え、黒いのは良いとしても、ツメまで黒ずんでいて、少し色素異常の疑いも抱かせた。しかし桜文鳥至上主義の信念が揺らぐことはなく、11月末、ほぼ自分で餌を食べられるようになったにテンとマルは、多摩川園という読売ジャイアンツの練習グラウンドが近くにあったロートルな駅でT君に渡した。
 これでゴンは一人っ子状態。もうベタベタに甘やかしていたら、12月20日、どこかでヒナの声がする。
 そんなはずは・・・。
 ソウ・ガブにまたもヒナが生まれていた。
 これは油断だった。もうヒナは一羽もいらないので、産んだ卵は片っ端から回収して偽卵と取り替えていたのだが、忙しさにかまけて、一つだけ見逃してしまったのだ。二・三週間前にソウから6個の卵を回収して安心していたが、あとで一つ産み足したのである。不規則な産卵をする鳥だと気づいていたのにこの始末だ。
 しかしヒナは一羽、両親は手乗り、しかも育児ははじめて(前の三羽は仮母)。これだけ悪条件が重なって成長するものかと半信半疑でいたが、さすが血筋は争えない、ガブも交代で育児に参加しあっさり大きくしてくれた。2000年の正月の始めには引き取らなければならない。うれしいような悲しいような。

 

23、五代目ゴンはハーフか

 新たな千年紀を迎えて三ヶ月が経とうとしている。
 思いがけず誕生したガブとソウの子供は、オマケと名づけた。体は小さく、桜のヒナのはずだが頬が白く鼻の根元に白点がある。ヒナの時から前例にないくらいに大きな声で餌をせがんでいたが、飛び回るようになってからは、なかなか乱暴で、兄(姉?)のゴンを圧倒気味であった。
 このオマケは近所に住んでいる姉夫婦の元に養子に出した。まだ羽が生え変わっていないが、グチュグチュとさえずりの練習にはげんでいるらしい。オスだったのだ。
 問題は我が家のゴン。生後5ヶ月、ヒナ毛も抜けて我が家では最も美しい容姿の桜文鳥となり、小型回転鏡を回す芸もこなし、手の中で眠り、完全にえこひいきされる存在だが、性別はいまだ不明。オスならすでにさえずっているはずだがその様子はない。メスなら「ゴン」では色気がないので「ナゴン」と呼ぼうと思っていたが、頭も体も大きく、三姉妹の一羽ハンをつけ回したりする様子は完全にオスで「ナゴン」といった風情はない。
 父方の祖父のサムがさえずると、ピ、ピ、と大きな声を出しているので、どうもそのまねをしたいらしい。普通グチュグチュとぐぜりながら、文鳥のオスは自分のさえずりの形を整えていくものだが、その段階を省略しようというのかもしれない。器用なのか不器用なのか・・・。
 メスの疑いもないではない。ブレイとガブに言い寄られたりしている。
 しかし、ブレイは動くものなら何に対してもさえずって迫っていく奴で、過去にヘイスケに交尾しようとしたこともあった。ゴンはそのブレイの血をやたら受け継いでいる孫である。全く当てにならない。
 文鳥に性同一性障害(身体と精神の性が別)はないだろうから、十中八九『さえずらないオス』と思うが、とりあえずニューハーフということにして、繁殖の期待をかけないことにする。すでに五代まで続き14羽にふくれているので、慌てて六代目を目指すことはない。一年間は様子を見てから考えても遅くはない。
 前の文鳥の系統は、五代目の超近親の白文鳥コボに問題があり断絶してしまったが、今回は初代のヘイスケすら健在でメスを追っかけているのだ。
 考えてみたら、前の文鳥の系統と全く同じ経過をたどっていることに気づく。初代に嫁、二代目、三代目に婿を迎えたのも同じなら、四代目は同族の夫婦で、五代目がオスの生殖異常の疑いがあるところまで同じだ。しかし私は運命論者ではないし、歴史は繰り返すことなどあるわけがないと思っているので、家系を断絶させる気はない。四代目は二系統あってまだ二歳未満。五代目はゴン以外に三羽いる。とにかくあわてることはない。
 我が家にはもったいないくらいの容姿ながら、疑惑につつまれたゴンを見ながら、私の心はとりあえず落ち着いていられるのだった。

 

24、養子鳥オマケの里帰り

 五月某日、動物のカワウソに似た姪と、アニメのピカチュウに似た姪がやってきた。これはいつものことだ。お気軽アホ主婦の姉は昨年来近所に住みつき、何かというとこの偏食チビどもを押し付けてくる。自分よりはるかに家事がうまい弟を利用しようというわけだ。苦々しい。
 どうでも良いことだが、姉のカワウソは、ハンバーガーとかピザとかが好きというお子様的な嗜好であるのに対し、妹のピカチュウはキュウリときざみネギが好きという変わりだねのべジタリアンだったりする。どうして同じ物を食ってるはずの姉妹なのにこうなるのか。わずらわしい。
 せっかくなので、養子にやっていたオマケを連れ出した。姉の家は散らかり過ぎていて気分が悪くなるので、数ヶ月見に行かなかったが、その間、ヒナ毛が生えかわったとか、さえずりだしたといった情報を得ていて、気にはなっていたのだ。
 姉宅の玄関でオマケの鳥カゴを受け取り、「どっかで見たような」という顔をしているオマケを家に持ち帰り、早速出してやる。
 彼は、ほとんど戸惑うことなく、飛び、まとわりついてくる。育ての親を忘れることはなかったようだ。賢くかわいい奴だ。容姿は兄のゴンにはまるで劣っているし似てもいないが、立派な桜文鳥で、ゴンより我が家の文鳥の諸要素を含んでいて親近感がわく。
 体が小ぶりで、ほっぺたの白斑の端に茶褐色の混毛があるのはヘイスケ的、少し白い差し毛があるのはフクの影響、目の上の羽毛が盛り上がりうかがうような目つきなのは父のガブ似、人の皮膚をつねるように噛むのは母のソウの癖を倍化させたもので、さえずりは祖父のブレイそのものだったりする。
 遺伝的影響に感心しながら右手に乗せ、左手を広げる。
 「オマ、オマケ!」 「チィョン」
 返事をしながら左手に飛び移る。
 「オマ、オマ!」  「チィョン」
 右手に飛び移る。何回でもやる。姉宅では噛みつく凶暴文鳥とみなされているようだが、愛情過多、人間ベタベタの『ベタ文』なのだった。
 児童の姪カワウソに、こんな芸をするのだと見せてやったら、噛まれないように手を握りながら目を丸くしている(園児のピカチュウの方はオマケに近づきもしない)人間の小僧にはこの愛情過多の小動物を扱えないのであった。何ともったいない話ではないか。
 『ベタ文』であるオマケの本質を見るために、なおさら原色ごちゃ混ぜ服のため鳥カゴに近づくのを禁じられたカワウソを前に(我が家の文鳥は原色系の服を見なれないのでパニックになってしまうが、オマケは見なれているので平気)これ見よがしにベタベタ遊ぶ、くちばしをつまむ、手の中に包み込む、尻尾を引っ張る。尻尾に触ることは箱入りのゴンも嫌がるが、オマケは平気。気づけば、また両手反復飛びだ。
 完全に私は「小鳥使い」の大道芸人のような気分になったが、せっかくだから一緒に育った兄とも遊ばせてやろうと思い、ゴンも出してやる。・・・これはダメだった。独占欲の強いオマケはゴンが人間に近づくことすら許さず、追い掛け回し、ゴンは恐怖で逃げ惑うばかりだ。何とふがいない兄貴であろうか。舌打ちしたものの、かわいそうなのでゴンはカゴに戻す。
 二人の姪は夕方迎えに来たアホ姉に渡したが、『ベタ文』のオマケは一泊させることにした。
 「お泊まり」と聞いて勘違いした天然ボケ傾向のカワウソは喜んでいたが、もちろん人間の子どもには用はない。お菓子でお引き取りいただく。
 夜の8時、夜遊びの時間、14羽とオマケを一斉に放す。どうなるものかと見ていると、オマケは手当たり次第に追い掛け回し始めた。ずいぶんと生意気な奴である。しかし私は静観を決めこみ、我が家の文鳥連も見なれない奴を遠巻きにして、反撃をしないでいる。
 文鳥は顔だか容姿でも個体識別をする。たまに顔の似た文鳥を見間違えたりするくらいだ。オマケは昼間からうろついていたので、はじめから警戒対象になっていたのだろう。私としては、さえずりがブレイそのものだから(覚えていて後から思い出して真似たようだ、つまり格好良く言うとフィードバックだ)色情過多でメスに迫ったりするのかと思っていたのだが、その辺は淡白どころか理不尽につつき払うだけだった。
 しかし、しばらくすると、オマケの人間周辺の防衛にも限界が来た。何しろ相手は14羽、いちいち追いかけていては体力がもたない。さらに、たかが新入りの小僧と見定めたヘイスケ・ブレイ・ガブ・グリといったおとなのオスたちが反撃をするようになり、30分後にはオマケも人間の独占をあきらめ、静かにせざるえなくなった。これこそ集団生活の仁義、掟というものであろう。
 翌日、集団生活を再認識したオマケは、姉の家に戻っていった。
 カワウソとピカチュウと仲良くしてくれれば良いが・・・、やはりたまには実家(我が家)に連れてきてやるのが、彼の精神的健康に不可欠なような気がした。

 

25、動物病院に行った日

 2000年8月、雷鳴のとどろく深夜11時30分過ぎ。とっくに寝静まっていた文鳥たちのパニック音が聞こえてきた。何事かとかけつける。ざっと見たところ特に変わった様子はない。一つずつ確認していくと、一番下の三姉妹のカゴの上部奥に異物がありガツに巻きついている。また蛇だ。三度目。
 完全に慣れてしまったので、無意識の内にあっさりカゴから引きずり出し、ほどいてガツを開放してやる。ガツは片脚をかまれたらしく引きずっていて気がかりだが、とりあえず羽毛のついた口を押さえつけられながらも、右腕に巻き付いてくる奴を何とかしないと身動きが取れない。給湯器で75℃のお湯をかけて手早く始末してしまう。ここで逃がすとまたやってくるに相違ないので、やむを得ない。私の文鳥をかじったのが奴の不幸だったのだ。
 おびえるガツを捕まえて様子を見る。左脚に小さなかみ傷があり、少々出血、その脚が突っ張っているのは、しめつけられた一時的ショックかもしれない。ブラブラしているわけではないので骨折ではないだろうと判断する。たいしたことはなさそうなので傷口に『傷ドライ』を吹き付けておく。
 給湯器の餌食となった蛇も、前回前々回とお腹が薄緑なのが特徴的な同じ種類。なんというのか興味もないが、大きさも1m超くらいで同じだ。明らかに胴回りの太さはカゴの格子の倍以上あるのに、どうしてカゴの中に入り込めたものか謎だ。柔軟で器用な奴は蛇にもいるのだろう。油断ならない。
 それにしても気がついたから良いものの、日中人がいない時や、寝ている夜間であったら取り返しがつかない。前回浸入路と思われる洗濯機裏の隙間はふさいだはずだが、もう一度点検する必要がありそうだ。
 翌日の朝、さらに夜になっても、ガツは脚を引きずっている。だんだん不安になってきた。かまれた時逃げ出そうともがいて、本当は骨折か脱臼をしているのかもしれない。脚以外はいたって健康な色つやだが、このまま素人判断にまかせて『不自由』になってしまってはかわいそうだ。この際動物病院に行ってみることにする。犬を近所の獣医さんに診てもらったことはあったが、文鳥を病院に連れて行ったことはなかった。良い機会かもしれない。
 また翌日、前日より少し良くなった感じのガツだったが、やはり念のため病院に行く。午前9時、電話で休診ではないことをやる気のなさそうな女の子の声に確かめてから向かう。タクシーに乗ったのは久しぶりだ。
 その病院はすぐにわかった。鳥の治療が中心の病院だ。初診の受付をして、間もなく呼ばれたので診察室にはいる。受付で案内をしてくれたヒゲづらの若い人とだるそうな小娘、めがねをかけた学究肌調の若い人、この人が院長のようだ。ヒゲの人が応対する。患者(文鳥)を見ようともせず、なぜか生活全般の質問事項をこなそうとする。「いかがしましたか」とは全く言わない。『人間の大病院も余計なことばかり訊いてくるというが・・・』と多少がっかりしつつ、「怪我なのですが」言い、蛇にかまれた旨を説明する。
 続いていつ噛まれたのかと訊かれるものと思ったが、「どんな蛇でしたか」とおっしゃる。どうでも良いではないかと不思議に思いつつ、アオダイショウではないようだが毒のない緑色の蛇だと答える。毒蛇かと疑っているらしく、どんな模様だったかと妙にしつこいお尋ねだ。適当に答えつつ、『俺も以前噛まれて平気だったから毒蛇ではないと断言できるのさ』と多少イライラしてくる。だいたい毒蛇に噛まれた小鳥が無事なわけがないではないか。とにかく蛇はシマヘビということに落ち着いたようだ(どうでも良いことだが、後日図鑑で比較したところ、私の認識不足で実際はアオダイショウだった)。
 ようやくマスカゴの中のガツを引っ張り出し診察。さすがに手馴れている。私など恨まれると嫌なので、あまりしつこく観察できない。ピンセットで大腿部の羽毛をより分けながら「だいぶ裂けている」とおっしゃる。なるほど血は出ていないが縦に切り傷があって結構はれている。蛇の牙が引っ掛かったのだろうとのことで、この傷のために脚を引きずっているという結論であった。
 ようするに外傷のみ。よかった。最悪で切開手術、少なくともギブスかと冷や冷やしていたのだ。ヨウドチンキらしきもので傷口を丁寧に消毒し、化膿止めのためであろう抗生物質を7日分処方してくれた。
 これで私の用事はあっさりと終了したのだが、なぜか続いてマスカゴの中のエサから一粒混じっていたサフラン(高脂肪の種子の名前)を摘み上げつつ、「エサが良くないなあ」と一方的に宣言し、何らの説明も許さぬままに「指導しておきましょう」と勝手に納得して話しはじめた。ヒゲの人が取り出したB5サイズのペラ紙の半面に『飼い鳥の食事について』とある。わかりきった能書き。「結構です」などと言うゆとりもヘチマもない。どうやらこの病院では当然の儀式であるらしく、奥の方で何やらうろついている学級肌の院長も黙っている。
 今はやりのインフォームドコンセント(患者との治療方針についての合意形成)とは明らかに縁がないヒゲの人は、ペラ紙にボールペンで線をひいたりしつつ、外傷の治療にやってきた他は健全この上もない文鳥の飼主に対して、当然のように食餌指導をしてくれる。「皮付きでないとダメだ」「なるべくペレットに換えていきましょう」「青菜は毎日あげないと」「ビタミン剤が必要です」・・・、なぜそうなのかの説明は一切ない。さらに「ヨードをご存知ですか」。・・・「知っております」というと、文鳥は甲状腺障害を起こしやすいと、はじめて手振りをまじえて具体的?な説明をし、「一つ出しておきましょう」とすんなりとおっしゃる。ここで「そんなものいらねえ」と本音を言っては角がたち過ぎ、下手をすると善意の人間を怒鳴りつけるはめになりそうなので、家にイソジン(うがい薬、内容はヨード)か何かがあるとして不用の旨を伝える。
 とにかく治療しに来たのに、食餌をめぐってケンカするわけにもいかない。仕方がないので、ヒゲの人には生返事を続けながら、何でこの医療従事者が余計な差し出口をしてくれるのか考えていた。
 「つぶ餌では大変でしょう?青菜を毎日与えなければいけないんですよ。それならこんな物あんな物、いろいろ取り揃えてますよ。」
 というのが趣旨らしい。ようするに商人ではないか。雨後のタケノコのように都市部に増えてきた動物病院だから顧客獲得に必死のはずであり、ヨードなりビタミン剤なりペレットなりを処方し、それを目的に、悪く言えば飼主を病院に縛り付けて常連客としたいというのが本音なのではなかろうか。何しろそういったものを飼主が使い出せば、なくなった時点で千里の彼方からでも、またやってくる可能性が高いではないか。第一ペットには健康保険はないので、人間ほど容易に治療を受けられる状況にはなく、黙っていても患者がやってくるほど甘くはないはずなのだ。このヒゲの獣医さん本人が、そのような俗な商魂を認識してあれこれ言っているかはわからないが、中々うまい商法ではある。
 獣医稼業も大変だなと勝手に同情しているうちに、今度は「黄色い尿(フン)」などと言って疑いだし、顕微鏡をのぞいたりもしてくれている。全然頼んだわけではないが、折角だから黙ってしたいようにさせておく。異常なし。野菜を食べるとそんな色になってもばちは当たらないと思っていると、今度は肝臓を云々言ってお腹の毛を掻き分けはじめた。これも異常なし。続いて飼主に何にも言わずに体重を量り、結果を黙ってカルテに書きこんでいる。のぞき見ると24g、いわゆる平均体重なので何も言わないらしい。私はこれがガブだったりしたら、「28g(想像値)!太りすぎです。飼い方が悪いのです」などと体格も考慮せず言い出したに違いないと肝を冷やした。
 それにしても、外傷の手当てにきて、食餌指導を受けるとはなんとこっけいな話だろう。まるで切り傷で病院に行ったら人間ドックに放りこまれて、結果は全くの健康体なのに長々と食事指導を受けているようなものだ。完全にうんざりしている患者(飼主)をよそに、ヒゲの人はいたってまじめな顔で話し続けている。
 まず外見に精彩がなければ内臓検査などを飼主に薦める(勝手にやるのではない)のが常識だと思うのだが、この病院の流儀は違うらしい。これではこの医療従事者は患者(鳥)の外見での判断という、臨床医療の初歩の初歩にして究極の行為が一切出来ないと自ら宣言しているようなものではないか。
 一所懸命患者の病気を見つけ出す(それも勝手に)のが仕事で、出来る限り患者(飼主)の不安感をあおり立て、健康体だろうと何だろうと、さらに相手の都合など全く考慮せずに、自分の信じる『正義』(ようするにペレットの使用)をまくし立てるあつかましさは何に由来するのだろうか。プライベートな部分にまで口出しする権利など誰にもないというは民主主義の基本原則のはずだが、知らぬ間に異次元に迷い込んだのかもしれない。私は何やら気もそぞろになってきた。
 例えば栄養失調や内臓疾患が認められる鳥の飼主に対して、健康法を説くのは医療行為として当然必要だが、健康体のものに意見するなど医療行為から逸脱したお節介でしかないのではなかろうか。とにかく患者を病気にしたがっているようにも見える姿に、獣医というより飼料会社の営業担当の趣を感じてしまう。
 もしペレットが一般化し近所のスーパーで買えるようになったら、患者を放さないために「いや、実はもっといい物があるんです」などと言って、より希少価値のある会社の製品を、あくまで善意で薦めてくれるような気がしてくる。資本主義とは何と厳しいものだろう。私はかなり皮肉な気分に満たされてしまった。
 それにしても、より新鮮であるとか、からむき運動が必要として、からつきのつぶ餌の方を薦めていたようなのに、その一瞬の後になると、脱穀した上に粉末になってしまった小麦やトウモロコシを主成分とした、完璧な輸入加工食品であるペレット(診療台の上にラウディブッシュ社の物が並んでいる)に「換えていきましょう」になってしまうのだから、注意して聞けば、その主張の中身はずいぶん理屈に合わず頼りない。しかし『獣医』と肩書きがつけば無批判に有り難がる人もいて、獣医さんの方に「指導する立場にあるのだ」などという思いあがった態度を招いてしまうのかもしれない。私はしゃくに障ってきた。
 基本的に治療従事者にすぎない者を全知全能の神のように思いこみ、保険料目当てに患者を薬づけにし、医療事故を多発させている人間のお医者さんが多く存在している現実はどうだろう。その人間性を測りもしないで『医者』という職業の人間なら無条件で『様』をつけてあがめ奉る人間の無邪気さというのは一体何なのだろう。文鳥の話から、ついに日本人について考えるはめに陥った。
 お医者様のおっしゃることは「信じ疑うことなかれ」では一種の宗教だろうが、仏教徒に新約聖書を説いても意味はなかった。結局インフォームドコンセントやらに逸脱した非民主的な善意の一個人の話など、路上の布教活動を無理やり聞かされているように迷惑に聞き流してしまう人間も存在するのであった。
 私としては、つまらないエサの指導などする前に、「いかがなさいましたか」と演技でも患者(鳥)をまず心配する、まともな臨床医には不可欠なはずの姿勢こそが見たかったのだが・・・。
 余計な商売的、宗教的部分は別として、やはりお医者さんがいるのは非常にありがたい。素人が骨折しているのかもしれないと思い悩むのも、診療を受ければ不安解消、その点、実に晴れ晴れとした。初診料1200円、薬代2100円、検査料300円、合計3780円も安いものだ。ケチしたわけではなく、気分が良いので帰りは炎天下を1時間程歩いてしまったくらいだ。

 

26、五代目のそれぞれ

 2000年秋には、本来なら六代目を目指して奔走すべきところだったが、すでに15羽、カゴ8つという現状を目の当たりにし、断念せざるを得なかった。何しろ曽々祖父のヘイスケすら現役で元気にさえずっているのだから、自重せねばならぬ。この調子でいくと、ヘイスケは十代孫くらいを見ることになってしまい、毎晩の「群鳥の舞い」は、管理不能の状況となるのは目に見えている。
 毎年このようなことを考えつつ、フラフラと小鳥やさんめぐりを繰り返してきたが、さすがに自制心が働かせ、喉から手を出したいような5代目の嫁候補を見かけても、衝動買いせずに済んでいる。
 それにしても、本来は14羽でカゴは7つのはずなのだが、夏にオマケを出戻ってきて、8カゴ15羽体制になったのだった。
 理由は今思い出しても腹立たしい。
 我が姉が主婦を務める某家は小型の帰化ゴキブリの巣と化し、恐ろしいほどの状況となったらしいので(港湾地区から引越しの際に連れてきてしまった。こういう人間は実に近所迷惑だと思う)、徹底的に『バルサン』を焚くことにした。良識のある弟の私は、徹底的に掃除をしてからにした方が良いとブツブツ言ったものだが、とにかくオマケは邪魔ということになり、我が家で預かることになった。
 某日朝、母がカゴごとオマケを持って来た。オマケを見ようと近づいた私は、そこに新聞紙が敷いたままなので、ひらめくものがあり、その乾燥してちぢれた新聞紙をはがしにかかった。そして目前を、ワラワラと飛び出したいまいましいゴキブリが、あっという間に四散していく光景が展開した。あっという間の出来事であった。
 外で新聞紙を取れば良かったと後悔したが(2、3匹程度はいると思ったが、四散するほど巣くっているとまでは考えなかった)、全然手遅れであった。
 あまりのことに完全に腹を立てた私は、菜指しに枯れて茶色く乾いた小松菜の残骸をそのままにしておくような、ごみくずゴキブリ屋敷には帰さないことに決め、宣告した。
 おかげで、新種のゴキブリが我が家にも住みついてしまい、姉宅のように爆発的に増殖はしないものの(寒さに弱いようだ)、その存在は私を十分イライラさせてくれている。
 しかし、オマケには天国への復帰であった。床にうごめくゴキブリもあまりいない、騒々しい幼児はいない、毎日外に出して遊んでもらえる、青菜が枯れるなどということはない。めでたくストレスゼロ状態の彼は、ゴキブリ屋敷では常習であったつぼ巣破壊行動を止め、ついでに腕の往復というお世辞行為もやめてしまい、さえずり、メスたちを追いかけ、オスと喧嘩し、人間の指に因縁をつけ、手のひら水浴びも習得、一ヶ月で何事もなかったかのようにとけ込み、「チィョン、チィョン、ガオー、ガオー」と好き放題に振舞うようになった。
 「あいつは、ヒナの時からことの他大きな声だったから・・・」
 私は、望まれずに生まれた彼が、人一倍の大声でエサを要求した昔を思い出さないわけにはいかなかった。そして、ちびで白の差し毛が多く、そそっかしく落ち着きがなく、頭の毛を逆立て、いたずらな目をし、執拗にメスを追いかける・・・、ヘイスケやブレイなどの似て欲しくないところばかり、すべてを集めきったようなオマケの様子を眺めつつ、20世紀の「最末」に私の心を占めるのは『こいつが、跡継ぎになるのだろう』との思いであった。
 オマケには『兄』がいる。ゴン。大食漢で立派な体格、大きな目で、実に美しい毛並みの桜文鳥で、ケンカも少なく人間に従順、実におとなしい性格をしている。まさに容姿端麗、当然こちらを跡継ぎにしたいところだが、今だに二重カッコがとれない中性なのだった。さえずらず、ガブ(実は父親)に思いを寄せ、交尾までする始末。それならメスなのかというとそうでもなく、一向に卵を産む気配はない。メスのハンに擦り寄ったりもしている。中学生時代、オカマ言葉の上級生で、いつも特定2人の女の子と行動を共にしていた少年の姿を思い出してしまう。
 この『兄』に嫁を迎えても繁殖は無理ではないか。そうすると、余計者のオマケが跡を継ぐことになる可能性が極めて高いではないか。・・・、余りものには福があるのだろうか・・・。きっとオマケはブレイのように女房の尻に敷かれて、ヘイスケのように巣材探しにチョコチョコ奔走することだろう。
 しかし、嫁と同居すればゴンは心を入れ替え、おっとりと子育てする可能性もないではない。21世紀は不透明なのだった。

 

27、五代目の花嫁探し

 2001年5月末のある日、五代目の花嫁となるメスを買うことにする。とにかく一日でかたをつける決意を固める。
 前に好印象を持った横浜市最南端(たぶん)の小鳥屋さんに行く。ところが驚いた事に3羽いる桜文鳥はすべてオスだった。めげずに京浜急行で横浜方面に引き返しK駅で下車する。裏が大きな金魚屋さんになっているお店には、桜文鳥は4羽いたが2羽ずつのペアになっている。お店のオジさんはペアで売りたい様子であった。
 「この鳥は、相性とかが難しいからねえ」
 能書きを聞く気はないので、回れ右(メスだけ売るように無理押しするほどの魅力はなかったのだ)。
 市営地下鉄からJRを乗り継ぎO駅に行く。いろいろ小鳥屋さんの分布を頭の中で考えた結果、以前フネを購入したお店をのぞこうと思ったのだ。
 いい加減くたびれてきていたが、商店街のはずれの目当てのお店がなくなっているのに気づいて疲労が倍加した。あるべきはずの場所が更地になっている。廃業か建て替えか、何の掲示もないのでわからない。
 結構繁盛しているような気がしたが…、かなり家に帰りたくなったが、せっかくなので近くのスーパー1階玄関口にあるはずのペットショップに歩いて行く。以前冷やかした時に桜文鳥を売っていなかったので、別に期待していたわけではなかったが、せっかくO駅まで来たので、一応のぞいておこうと思ったのだ。
 小鳥屋さんの減少問題に思いをはせつつ、プラプラと駅前商店街の雑踏を縫っていく。スーパーが見えてきた。『一体何で正面玄関にペットショップを置くことにしたのであろうか』ふと疑問に思いつつ、鳥カゴをのぞいていくと、案外な事に、ペアと3羽、計5羽もの桜文鳥を店先に並んでいるではないか。
 みな一見して外見に優れた文鳥たちだった。じっくり見定める幸福を味わう。
 ペアの立派な体格で配色のキレイな方はオスでさえずっている。換羽中でみすぼらしく見える方がメスなのだろう。いかにもメスらしい小ぶりの体格をしている。
 問題は3羽の方で、これは性別がわからない。脚環はないので見た目だけで考えるしかないようだ。1羽は完全にオス、立派な体格、つややかで赤いクチバシ、くっきりした配色、非常に素晴らしい姿をしている。それと仲良く毛繕いなどしている方は、ややくちばしがピンクがかってメスのような気がする。しかし、メスにしてはかなり立派な体格なので断定しがたい。配色は前のものに比べて劣るが非常に良い毛づやをしている。茶羽の残るもう1羽は他の2羽に邪険にされている。ややこぶりでやせた体格をしていて、メスにも見えるが、クチバシの色や全体的な雰囲気からオスではないかという印象であった。
 5分以上見ていたが、完全にオスと見た1羽がさえずりそうな気配を示したくらいで、結論は出そうにない。面倒だが、やはりお店の人間に尋ねなければならない。店内を見ると、犬にドライヤーなどしているおネエちゃんが何人かいる(このお店はトリミングで稼いでいるわけだ)。この人々には何を尋ねても時間の無駄だろう。どうしたものかと思っていたところ、おバアさんがハムスターのカゴを片付けているのに気がついた。訊いてみる。
 ・・・。わからないのでおジイさんを呼んで来た。たぶん店主であろうおジイさんは、一見して、これがメスに見えると華奢な1羽を指す。私は賛同しないで、こっちもメスのような気がすると、ピンクのクチバシを指差す。
 「メスに見えるネエ」
 冷静に見比べはじめたおジイさんは納得し、しばらく二人で3羽を見つづける。しかし、この素人と小鳥の小売歴何十年のおジイさんの判断基準は、ほぼ一緒のようなので、「難しいネエ、わかんないネエ」となり、結論は出ない。
 おジイさんの話では、3羽は普通の家で生まれた文鳥ということだった。それで栄養豊かに大柄なのだろうか。ペットショップの小鳥ではあまり見ることの出来ないつやのある毛並みをしている。
 長いこと売れずにお店に居続けると、経済性が優先されるので(粗食となり)、どうしても毛づやは悪くなってしまう。つまりこの3羽は、お店に来て間もないはずで、それは妙な病気に罹患している可能性が低いことを意味している(他の鳥から伝染しない)。
 また茶色い羽根が残っている以上は、まだ若いと見て、ほぼ間違いない。
 容姿は文句なし、性格的には1羽をいじめていた様子から、気の強さを感じるが、我が家にはその程度の方が良いかもしれない。メスでさえあれば、これ以上は望めないかもしれない・・・。
 完全にオスである文鳥とカップル化している文鳥は、普通に考えれば、メスなのではないか。結局外見よりも、その辺に期待を寄せたい気分になった。
 もしオスだったら取り替えてもらう約束をして、とにかくメスかもしれない1羽(ピンククチバシ)を買って帰ることにした。値札がついていないので、一体いくらするのかもわからなかったが、数千円の枠内には相違ないので、確認もしないで代金を支払おうとする。おジイさんはおジイさんで、家までどれくらいかかるか聞いただけで、紙の小箱に文鳥を入れてしまう。
 ところが、あいにくおジイさんも値段を知らなかった。それどころか店員の誰もが知らなかった。一体どういった商売をしているのかと、妙な客の私は心中舌打ちをする。ようやく4000円と言うことになったので、消費税をいれて4200円をはらいつつ、オスの場合の交換についてさらに念を押しておく。
 「何ヶ月もたってからじゃ困るけど…」、とおジイさんが言うのを、
 「2、3日でわかりますよ」、と言って外に出る。
 家に着くと、すでに夕方になっていた。カゴに移して改めて見ると、今度はオスに見えてきた。3羽の中ではメスのようだったが、個別に見るとオスになる・・・。かなりの不安感に包まれつつ、エサ一式(配合エサ、ボレー粉、青菜、アワ玉)を与える。オスなら栄養十分でさえずり始めるはずだ。
 購入先のスーパー名から『セイユー』と仮に名づけられた彼女?は、2、3日してもさえずらなかった。青菜大好き、粟玉大好き、我が家の配合エサもお気に召したらしく、何でもバクバク食べるのだが、さえずりそうにない。珍しく雌雄鑑定が当たったのだろうか・・・。

 

28、二転三転、今度は婿探し

 セイユと名づけられた嫁文鳥は、異常を超えて滑稽なほどの好奇心の持ち主で、一週間で人に慣れてしまい、完全無欠の手乗りになった。クチバシをつまんでやると喜ぶのだから尋常ではない。
 ゴンと同居させると、あっさり仲良くなり、あっさり卵を産んだ・・・らしい。なぜ「らしい」かといえば、ゴンが産んだものだったかもしれないのだ。その最初の5個の卵はすべて無精卵だったが、次の産卵数は10個を数え、一羽の産卵数としては多すぎた。にわかにゴンも産んでいるのではないかとの疑惑が生じた(一つだけ残した有精卵は孵化したものの育たず)。さらに次の産卵では、一日に2個ずつ規則正しく卵が増えていくのが確認され、『夫婦』ともに産卵しているのが確定し、つまりはゴンがメスであることが確実となったのだ。こうなると、最初の産卵はどちらのものかわからない。
 ・・・、しかしそんなことはどちらでも良い。飼主の勝手な思い込みで、二年間オカマ呼ばわりして嫁を迎えた完全な失策を考えねばならない。
 女の子のゴンは、セーユの毛づくろいをしてやったり夫にしか見えない態度をとり続けているが、このままではいくら仲が良くとも跡継ぎは生まれない。この際、セーユはオマケの嫁にし、ゴンには新たに婿を迎えるのが自然だろうと結論した。2001年も師走の中旬、早速行動を開始する。
 まず、京急K駅の小鳥屋さんに行く。横浜市南端のお店。頑丈そうな桜文鳥が売られていた。見た目オスだ。悪くはないのだが胸にボカシがない。何かゴツゴツした外観をしている。今回は、妻となるゴンが巨大なので、婿は端正な方が良いと思っていたこともあり、とりあえず他も見ることする。
 どうしようかな、と考えながら、京急を戻って今度はS駅に行く。商店街のペットショップに並んだ白羽の多い桜文鳥のペアを横目に通り過ぎ、JRに乗って南下、O駅に向う。ここには前回セーユを購入したお店がある。また、偶然を期待したのだ。
 ところが、というより予想通りに、セーユを買ったスーパーのペットショップには桜文鳥がいなかった。また、以前、四代目の嫁としてフネを買ったお店は、完全になくなっていた。
 さびしい気分になりながら、JRで南下し、K駅に着く。簡単に書いているが、すでにかなりの疲労と倦怠感に包まれつつ、商店街の近くのお店を冷やかし、以前、なかなかきれいな文鳥が売られていた小鳥屋さんに行く。そこには印象深い白シャツでまじめそうな老主人の姿はなく、様子の良い文鳥もいなかった。かなりの落胆を覚えつつ駅に引き返す。
 生体である以上、いつも同じようには売られていない。
 『今日は運がないようだ』
 と北上する横須賀線の中で考えたが、このまま帰宅するのも癪に思えてT駅で降りて、地下鉄に乗り換えG駅に向かい、歩いて馴染み深いペットショップに行く。
 かなりの距離に、もはやヘロヘロになりながら、店の中に入り、ニンジンを切っている店員(見覚えがある人物、おそらく店主)を無視して文鳥を探す。すぐにわかった。お世辞にもうまいとは言えない文字で『桜文鳥ペア6500円』と書かれた紙切れが貼られたカゴが二つあったのだ。以前は、オスもメスも区別なく、値段もわからなかった。次に来た時はオスとメスを分けようとはしていた(結局メスと言うので買ったらオスだったが)。そして、今回はこれだ。よく見ると、一羽は脚輪をしている。オスメスの区分だろう。少しは進歩してきてはいるらしい。
 汚い水入れと糞の固まりのついた底網、とても近づいて中をのぞきたいものではないが、我慢して見定めることにする。片方が脚輪をしているペアは、脚輪をしているのがメスのように見える。ところがオスと思われる方の姿はあまり感心しない。何か不健康そうな気配もする。こういった勘は信じた方が良いと考える。パスしてもう一つのカゴをのぞく。こちらのペアの方が姿(配色)は良い。特に一羽はかなり体は小さいが、胸のボカシもあって、好みのタイプだ。オスなら『買い』なのだが、あいにくどちらも脚輪をしていない。
 『ペアのはずなのに、妙ではないか』
 と舌打ちしながらも、経験上、何も尋ねる気にならないので、自分で観察する。どちらかメスだというのなら、気に入った方がメスのように見える。それでも、しばらくさえずるかどうか見守ることにする。さえずれば、誰が何と言っても99.9パーセントオスだ。頼りない店員に訊くより確実だ。
 ところが、止まり木の端と端に分かれて二羽とも眠っている。いかにも元気がないが、この環境では仕方がないだろう。とにかく、気に入った方に息を吹きかけて起こす。のんびり目を覚ました文鳥は、眠そうな目のままもう一羽の方に近づいて、いきなりきれいな調子でさえずり始めた。彼をこの店から救出することにする。
 「桜文鳥のオスがほしいので、これを下さい」
 まだニンジンを切っている店員を呼ぶ。余計なことまで言ってしまったので、親切な彼は「脚輪をしていないのがオスです」などといいつつ、すでに眼中にない方のペアのカゴをゴソゴソやりだした。面倒なので、「コ・レ!」ときわめて無愛想に指し示す。
 「脚輪をしていないからオスですねえ」
 などと言っていたようだが、知らん顔する。彼は自分で脚輪をしたものではないのかもしれない。
 彼はさっさと渡せといわんばかりの客の様子を感じたのか、カゴからその文鳥を取り出した。取り出した文鳥に噛みつかれ「イテェ!」などと言っているのを尻目に、私は彼がペアのもう一方と間違えなかったかと不安になり、残された文鳥を確認しようとした。ところが、彼は、つかんだ文鳥の横顔が見えるようにして、こちらに突き出し、「どうです」などと訊いてくる。妙な持ち方をするから噛まれるのだ。確認させようというのだろうが、握りつぶしてしまいそうで、肝を冷やす。何か言わないことには、そのままどこまでも握り続けそうなので、
 「ああ、いい文鳥だねえ」
 などと、わけのわからない相槌を打っておく。早くその危険な握り方を止めてもらいたいのだが、彼は片手で握ったまま、片手で包装用のボール紙を組み立てはじめた。その様子はとても不器用で、今までこの過程のうちに何羽かかわいそうな事になったに相違ないと考えつつ、私はイライラ、ムカムカしてきたが、とにかく黙っている。何しろ年齢も値段も尋ねる気もないのだ。
 何とか組み立てたボール紙に文鳥を押し込み、3000円だという。ずいぶんと値段は良心的だ。さっさと支払って、すばやく歩いて帰宅する。
 我が家に来たその桜文鳥は、いかにも華奢だった。体重は22gしかない。妻となるゴンは30g近いのだから、このままではノミの夫婦だ。動きもやたらとスローモーで、どこかボッーとしている。ぼんやりした頭で私を友達と認識したらしく、非手乗りのはずなのに、肩に止まり、耳元でさえずってくれる。
 ノロマなので、『ノロ』と名づけたが、運動神経も栄養失調からくるものなので、数日のうちにピョコピョコ飛び跳ねるようになり、すっかり我が家になじんでしまった。彼にしてみれば天国に来た思いだろう(カナリアシードが食べ放題なんて!)。それもこれも、すぐにさえずったおかげだ。芸が身を助けたといって良い。
 さて、数日後には、ゴンと同居するようになった彼は、6代目の父となることが出来るのか、あまり期待せずに見守りたいと思う。

 

29、2002年の不幸から

 2002年、初頭、すべての6代目計画は破綻を迎えていた。ノロはゴンに相手にされず、さらに産卵の邪魔「物」としてゴンから排除の対象と見なされてしまった。一方的な虐待となりそうなので、やむを得ず別居。
 しかし、5代目にはスペアがいる。オマケ。オマケとセーユを同居させる6代目誕生計画も同時に進行させたが、こちらはオマケの「好み」によって、完全に頓挫した。オマケはなぜか分からないが、ゴマ塩のメス文鳥以外をメスと認めないため、完璧な桜文鳥のセーユに興味を示さず、邪魔者として追い立てる。居場所のないセーユを、一羽で卵を温めていたゴンが誘う形で、ゴンとセーユの同居が再び始まった。仕方がないので、黙認した。完全なる失敗であった。
 打開策のないまま迎えた3月、突然5代目のグリの妻であったフネが死んでしまった。産卵が苦手な文鳥だったが、卵詰まりの症状を見せるでもなく、巣箱で冷たくなっていた。慢性的に衰弱し、心臓が弱くなっていたのかもしれない。かわいそうなことをしてしまった・・・。
 フネ亡き後、夫のグリが残された。オマケも、ノロもオスの一羽暮らし。それに対して、ゴンとセーユのメスが「カップル」で、独身のメスの三姉妹(ヘイスケの子、マセ・ハン・ガツ)がいる。産卵シーズンが終わり、さらに換羽を終えた7月、秋の産卵期に向けて、この異常な状況の改善を実行する。ゴンとノロの同居、グリとセーユの同居、そしてゴマ塩好きのオマケは、一番慕っているハンと同居させてやる。これで、すべてカップルになる。
 6代目の誕生という面では、オマケとハンでは近親なので、ゴンとノロが夫婦となりその子ども生まれることを期待すべきだが、ゴンもノロもあてにはならないので、この際、グリとセーユの子どもから子孫を繁栄させようとも考えた。
 秋までに紆余曲折あったが、グリとセーユは仲の良い夫婦となった。オマケは当然ハンを大切にしている。カップル化は成功と言いたいが、肝心なところが予想通りうまくいかない。ゴンはノロを異性として意識しないし、ノロもゴンにあこがれているようだが、恐れ多くて近づかない感じなのだ。夫婦ではないものの同居鳥(ルームメート)としてはケンカもせずに問題ないので、放っておき、グリとセーユに期待する。
 この夫婦は期待を裏切らず、見事な卵を順調にたくさん産んでくれた。抱卵も欠かさず、腹が立つほど仲の良い理想的な夫婦であった。フネのように虚弱とは縁のないセーユは、バリバリ食べて産卵も苦にする様子もなく、当然、丈夫なヒナの誕生が予想された。ところが、何の呪いか産んだ卵がすべてが無精卵だった。抱卵に問題があるのかもしれないので、他のベテラン文鳥たちに温めさせたりしたが同じことだった。グリはフネとの間に有精卵があったので、どうも、セーユに問題があるようだ。
 あてがはずれ、前途の見えない11月に衝撃的な事態を迎えた。11月21日初代ヘイスケの死である。7歳となっても、メスの追いかけ、巣材を集め、手のひらで水浴びをし、人間のさえずりにじっと耳を澄まし、・・・何ら変わらず元気であった彼は、調子が少し悪そうだと気づいた翌日には、かなり衰弱し、さらに翌日の朝には、安否確認に巣箱に入れた人間の指を弱弱しくかじるだけとなり、夕方家に帰ると、巣箱の中で冷たくなっていた。眠るような様子であった。
 ヘイスケの亡骸ををつぼ巣に入れて丁重に埋葬した後には、多くの思い出とともに現実の大きな課題が残されていた。ヘイスケの子孫たちも高齢化が進み、血筋の継承に黄色信号がともっている状態なのである。弟のような存在を失い、晩秋の風は冷たく身体を吹き抜け気持ちを滅入らせたが、お家の断絶を放置するわけにもいかない。
 ノロがしっかりして、我がまま娘のゴンをリードできれば良いのだが、ゴンは放鳥の時にガブにつきまとい、巣箱でその卵を産み、巣箱に入ろうともしないノロをまったく無視している。
 一方、夫を失ったナツの一羽暮らしも考えものであった。彼女はもともと浮気性の文鳥で、さえずられると、どんなオスにも尻尾をふってしまう傾向があった。浮気現場をヘイスケに見つかるたびに、強烈な制裁(追いかけてかみ付く)を受けていたが、基本的に改まらなかった。そして、夫を失い後家となったナツは、やはり風紀上よろしからざる様子を示し始めていた。
 ただでさえ、文鳥が死んでしまうと、新しい文鳥を迎え入れたくなる性癖があるらしい私は、ノロとナツと同居させ、ゴンの婿を新たに迎えるという打開策を思いついた。しかし、血統の維持だけなら、より確実な別の手段があった。それが、ハンとオマケの卵を孵化させる禁じ手であった。
 この夫婦は、ともにヘイスケの血を濃く持っている。ハンはヘイスケの娘、オマケはヘイスケの孫であり玄孫でもあった。近親交配は劣性遺伝を発現させやすく、それが健康上の問題因子だと困ったことになる(逆に良い形質が遺伝されやすくもなる)。従って、オマケの「わがまま」でしかたなく夫婦にしたものの、産んだ卵を孵化させるつもりはなかった。
 しかし、他の文鳥たちが高齢のためか無精卵ばかりなのに対して、この夫婦は確実に有精卵を産んでいた。私は少し考え方を変えることにした。叔母と甥とはいえ、ハンはヘイスケとフクの子どもで、オマケはヘイスケとナツの孫、母系は異なる(とりあえずオマケに入るフクの血は無視)。この程度なら、古代日本の天皇家の婚姻関係に比べれば、危険性は薄いかもしれない。近親交配には違いなく、身体も小さく、白羽が多く桜文鳥とはいえない夫婦なので、たくさん孵化させて、他人に譲ったりするのは避けるべきだが、我が家で飼う分には問題ないのではないか。万一健康上問題のあるヒナであっても、それは責任を持って世話をすれば良い。
 そこで、12月初旬、4つほど確認された有精卵のうち、1つを残し偽卵とともに抱卵させることにした。中止卵にならず孵化し、さらに一羽ながら親鳥が見捨てず成長すれば、我が家の次代を担う希望の星になるかもしれない。

 

30、お騒がせゴンの婿候補

 12月中旬、ハンとオマケはまじめに抱卵をしていた。孵化予定日はクリスマス近辺だが、孵化する保証はどこにもなく、孵化したところで育つかは疑わしい。ゴンとオマケの関係は改善せず、ゴンは卵を産んでは放置して遊び、一羽暮らしのナツはオスに尻尾を振り・・・、もしゴンに新たに婿を迎えて、うまくいくとは限らず、夫婦ではないにしても、ノロはゴンにあこがれている様子(手は出さない)で同居は出来ているのに、波風を立ててよいものか、などとかなり思い悩んだが、事態打開には行動あるのみと結論した。
 12月、京浜急行を南下する。向かう先はK駅。横浜市のはずれに位置するこの地は、「八景」の名が示すように、江戸時代には景勝地としてつとに有名であったが、今やその面影を求めるのは難しい。
 国道16号線沿いの歩道橋脇にある小さな小鳥屋さんは、一年前にも見にいった時に、丈夫そうな桜文鳥が売られていたお店だ。あの時は、ゴンの相手にスマートを求めていたので、とりあえず買わなかったが、今回はごつくても何でも買うつもりであった。
 排ガスと騒音の店先に置かれた鳥カゴに、4羽の文鳥の姿があった。2羽が桜文鳥で1羽が白文鳥、残る1羽がゴマ塩化したシナモンであった。桜文鳥の1羽は白羽が多く、小柄ながら生意気そうな顔、我が家のオマケに似ていた。もう1羽は、きれいな毛並みの完全な桜文鳥だった。オスかメスか分からないのでしばらく様子を見ていた。オマケ似は胸をのけぞらし、ボス然としている。完全な桜の方はゴマ塩化シナモンに少しけん制されている。4羽の中では弱い立場のようだ。
 少し気が弱くとも、頭が弱いらしいノロとは違うだろう。オマケ似よりも体格はしっかりとしているし、少しけんかに弱いくらいの方が「婿殿」にはふさわしいかもしれない。文鳥の嫁や婿を迎える際にはルックスを重視する私は、完全な桜の方がオスなら「買い」と判断した。
 沿道は陽だまりで暖かかったが、それでも冬は冬なので、さえずるのを待たず店内に入った。店内にも数羽の文鳥がいたが、以前見かけたようなごっつい文鳥はいなかった。1羽でカゴに入っている桜文鳥は、素晴らしい外見をしている。とにかく、店主のおじいさんに聞くことにした。
 「桜文鳥のオスが欲しいんですが・・・」
 「手乗りでなくていいんだよね?」
 というので、そのとおりと答えると、おじいさんは外に2羽いると言いながら店先に出て行く。
 オスとメスを分けて、オス集団を日光浴のために外に出してあったようだ。それなら「買い」を実行するだけだ。
 「色の濃い方をください」
 と告げて、少々ぼけているのか、とぼけているのか、天然なのか分からないおじいさんに、「婿殿」候補を何回も指差す。
 何も聞かなくても大丈夫そうなので何も聞かない。何十年になかば趣味で小鳥屋さんを始めて、老後の今は完全に趣味で、近所の鳥好きおじさんたち相手に続けているような店、店内はすすけているが清掃は丁寧にされており、鳥カゴの敷物は新しい、エサは質の良さそうな殻つきの混合エサで、水浴び容器にきれいな水も、日光浴までさせている。オスメスの区分をしっかりしているのは、暇でもあるのだろうが、観察してさえずりを確認してると証拠と言える。このような店なら、信用してもめったに裏切られることはあるまい。年齢は見た目にも1歳であるし、第一、いらない話を大きな声でするのは面倒ではないか。
 おじいさんは店内から、ずいぶんと年季の入った竹製の追い込みカゴと、小さな紙箱を持ち出してきた。カゴから1羽追い込みカゴに移して、そこから紙箱に入れようと考えたのだろう。どうせなら、店内にカゴを入れてからにしたら良さそうに思いつつ黙って見ていたら、途中で面倒になったらしく、4羽のカゴに直接手を入れて「婿殿」候補を取り出して、紙箱に入れた。
 さすがに捕まえ方がうまいと感心しつつ、おじいさんの後から店内に戻りお金を払った。恐ろしく高いことなど想像も出来ないので値段も聞かなかったが、3500円だった。消費税なし。なぜならレジもないので%の外税計算など出来るわけがないのだ。実にすばらしい。何か備品も買えばよかったと、軽く後悔しつつ、家路についた。
 「婿殿」は八景で買ったので「ケイ」と名づけた。家でゆっくり見ると、思った以上に私好みの文鳥だった。目の周り(アイリング)が太くて赤い。胸にボカシもしっかりあり、毛並みはつややかで体格が立派だった。片脚の後ろ爪が欠損しているが、展覧会に出ない限り問題とならない。
 さらに、うれしいことなのか微妙だが、彼も初日から手乗りになってしまった。文鳥の夜遊び時間に、何の臆面もなく出てきて床に着地したケイをテーブルの上にのせてやると、しばらくこちらの顔をジーッと見つめる。何かに驚いた拍子に手の上に乗り、そのままくつろぎだした。さらに肩で眠りだす始末。わざわざ、おじいさんは手乗りではないと言っていたのに、不思議な話である。
 数日して、完璧に手乗りとなり指とじゃれるケイだったが、彼はゴマ塩文鳥が好きであることが判明した。ゴマ塩のメスを追いかけるどころか、グリやオマケといったゴマ塩的なオスにまで求愛する。
 それでも、とにかくゴンとの同居を実行してみる。ノロはナツと同居、こちらはケンカをしながら何とかなりそうだが、ゴンとケイは箱巣をめぐって、壮絶な抗争を繰り広げ、ついにはゴンが片脚筋肉痛となり、行事差し止め水入りとなった。別居。
 ノロがまったく箱巣に入ろうとしなかったのに比べれば、ケイは積極的(というより子供の恐いもの知らず)で良いと思うのだが、この2羽はうまくいくのだろうか。


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