31、野戦病院に通う日々

 オマケとハンは、意外なのか当然なのか、実に抱卵・育雛が巧みだった。さすがヘイスケの血を受け継いでいるといえる。一つしか残さなかった有精卵(あとは擬卵)をいとも簡単に孵化させた。おそらく生まれたのは2002年12月24日〜25日の深夜だ。その一粒種を、子育て経験もないのに、完璧に成長させてくれた。鳴き声がしないので心配したこともあったが、ヒナが飢える間もなくエサを与えていたようだ。
 約2週間後、両親からヒナを引き取り、考えられる万全な体制で餌づけをおこない、ヒナもすくすくと成長してくれた。誕生日が聖夜なので、名前は「セーヤ」とする。
 2003年の1、2月、セーヤは何の問題もなく、甘やかされて育っていった。すべては順調だったが、3月以降連続で不幸が押し寄せてきた。2代目のチビが急死、3代目クルが骨折、6代目の母ハンの腫瘍発覚、3代目クルの夫サムの急死、そしてハンの死とつづく。
 初代ヘイスケが亡くなった時に、十数羽もいて平均寿命が7年程度なら、年に1、2回の別れは必然となると心していたものの、まさかこのように早くまとめ払いがやってくるとは思っていなかった。御祓いしても文鳥に効果があるとは思えないので、適当に哀悼歌でもつくっておこう。
 「 あしひきの 人は我が身に なみだする 君鳥ならば ただ飛びてゆけ 」
 3月10日のチビの場合は、予感があった。前日の夜は普通に遊んでいたし、血色も良かったが、何となくさしせまっている気がしたのだ。客観的な症状はなかったので、『夏を乗り越えられるかな』と考えることにしたものの、翌日カゴの隅で冷たくなっているのを見た時は、不思議に納得のいくものがあった。
 産卵で身体が衰弱していたのではないかと思う。
 悲しむ間もなく同月、クルが脚を引きずっているのを発見。引きずるどころか、ジタバタと這って歩いている。動物病院に行くしかないが、数年前ガツがヘビにかじられ負傷した時、お世話になった鳥類専門(正確に言えば小型哺乳類も診るようだが・・・)の動物病院は、電車で数駅先に移転していた。行けない距離でもないが、そこまでして行く必要性を感じない。
 徒歩30分少々の場所に、小鳥もしっかり治療してくれるとの情報がある動物病院が2軒。特に飼鳥者の評判の良いらしい一軒の住所を見ると、以前クルの兄弟にあたるヒナたち(チビとブレイの子供)を引き取ってもらった小鳥屋さんのある商店街の近くだ。つまり私の生活圏といえるのだが、そのような動物病院を見た記憶がない。生活圏のことを知らないのはシャクなので、その動物病院に行くことにした。
 結局、良く知っているペットショップの並び、ドックフード屋さんの裏手に動物病院は存在していた。何度まも前の通りを歩いているが、その存在に気がつかなかった。それくらい見落とす場所なのだ。第一、有名にしてはずいぶんせまい。前の鳥類専門をうたう病院も広くはなかったが、さらに極端だ。待合いは3人入ればいっぱいになる。お世辞にも清潔には見えない。消毒はされているのだろうが、壁紙などはすすけている。しかし、個人的にこういった雰囲気は嫌いではない。何やら清潔めいてしゃれた待合いがあるほうが、よほどうさんくさい。
 ぼそぼそと話す獣医さんが鳥類専門で、骨折していると診断、手際よくギブスをはめていただいた。脚の治療だけして余計なことは何も言わない。すばらしい。何かといえば飼育者を叱って悦に入っているようなタイプではない。ここをかかりつけにしようと、決める。
 その後、薬を飲ませつつバリアフリーな生活を送ったクルは、約一週間でギブスはとれ、一ヶ月後には普通に動き回るようになった(サムは邪魔にならないのでこの間も同居していた)。
 クルは大事にはいたらず、ほっとしたのもつかの間、同月末にはハンの下腹部に腫れを発見する。思えば、この時点で病院につれていけば良かったのだが、諸般の事情(夫のオマケと別居させるのを避けたいのと忙しかった)でしばらく様子を見ることにした。特に調子が悪い様子もなく、腫れが大きくなるようでもないので、自然治癒するのを期待していたのだ。ところが、4月末には体調が悪化、5月の始めに動物病院へ連れていくことになった。
 卵管炎というものではないかと素人考えしていたが、腫れの原因を特定しかねた獣医さんは、検査的に切開したいという趣旨を遠回りに言っている。検査的とはいえ、小鳥の切開は重大だ。嫌がる飼育者も多いため、歯切れが悪いように思われた。特に止める理由がないのでお願いする。
 小一時間ほどの手術で、近在の犬猫鳥の長蛇の列が出来上がるのを待合いで見ながら、行列の張本人として罪悪感を感じていた。小鳥の手術で待たされることに、犬猫の飼育者などには、割り切れない気持ちの人もいるに相違ない。しかし犬猫病院は腐るほどあるので、ここにこだわるのは料金が安いという理由が大きいのではないか。では、少しくらい待っても良いだろう。などと、毛並みの悪い犬を横目に考えてみる(下町地区の犬猫なのだ)。安くて腕がよいので、行列となる。安くなくても来る人も、安いから来る人も集まるわけだ。このあたりの良し悪しは、単純にはいかない。
 結局、診断は腫瘍ということであった。その後、ハンの闘病は続くことになる。
 ハンの腫瘍が大きくなり身体がやせ細り、今にも消え入りそうで毎日気をもんでいた7月4日、思わぬ事態が起こった。風呂に入っていると、文鳥たちが騒がしい。しばらく湯船で様子をうかがったが、断続的な騒ぎが続いている。これは数年ぶりのヘビの襲来ではないか、あわてて様子を見に行くと、サムがカゴの隅でもがいている。唖然として、すぐにカゴから取り出したが、痙攣してこと切れてしまった。
 テンカンの症状をみせる文鳥がいるというが、その場合は自然に回復するので触らずに放っておくのが良いという。以前衰弱していたクロが、手の上から発作を起こして滑り落ち、拾い上げた時には亡くなっていたのは心臓発作だろう。死んでしまったサムも心臓発作だろうか。
 何年もかかって、ようやく我が家の生活にも慣れ、体格も良くなってきたところだったが、あまり好きではなかったはずの人間の手のひらの中で、こと切れるとは、皮肉な話であった。
 7月はじめののハンは、獣医さんも「痩せてしまった」とあきらめ、延命のリンゲル液を処方する(ようするに他に手だてがない)状態となっていた。リンゲル液に以前から処方されていたメシマコブ(漢方の桑黄、抗癌作用があるとされている、獣医さんはこれをリンゲルに混ぜて与えるように言っていた)、ついでに友人から紹介されたスピルリナ(藍藻の粉末、ビタミンAと食物繊維が豊富で抗酸化作用などがあるという)や、鳥用乳酸菌を加えた混合液を、腫瘍の薬とは別に一日数滴点滴することにした。
 獣医さんの処方でないものを混ぜるには、いちおう理屈はあった。ハンの状態で一番恐ろしいのは、癌に圧迫されての糞づまり。有り難いことにハンは食欲旺盛だったが、青菜は食べない(エネルギーにならないので食べているヒマはなかったようだ)。食物繊維を摂ったほうが便通はよいはず、乳酸菌も便通の助けになるだろう。しかし、理屈よりも、打つ手のなくなった状態では、何でもありだ。その混合液が功を奏したのかわからないが、ハンは一時だいぶ調子を取り戻した。
 ところが8月となると腫瘍の膨張が一段と進み、衰弱、再び危篤となった。8日夜の放鳥、ハンはビスケットを食べ、ひたすら手の中で眠っている(ビスケットはカロリーが高いので、いくら食べても腫瘍に栄養をとられてしまうハンには必要であったようだ・・・それでも痩せてしまう)。カゴに帰すと、開閉口に体を寄せ付けて出てきたそうにする。そんなことは、今までしなかった。夜中に見に行くと、つぼ巣の中でそわそわしていた。9日、早朝見に行くと、つぼ巣で背中にクチバシをつける姿勢で眠っている。生きていることにとりあえず安堵し、7時になってから薬を点滴するため、下段のつぼ巣で丸くなっていたハンを取り出す。死期が差し迫っていることは明らかだった。点滴を吸うのも弱々しい。つぼ巣に戻そうとするが見向きもしない。その時、昨晩から手のひらを待っていたのだと感じた。
 手のひらのなかで眠っている。鼓動は何とも弱々しく、ザワザワとした雑音に過ぎない。尻尾をあげて糞をしようとするが出ないようだ。見れば、お尻の穴が糞でふさがっている。取り除いてやると、下痢便が出た。そのまま手の中でウトウトと眠り続けていたが、一時間ほどたつと、また尻尾をあげる。糞は出ない。そのうち、クチバシを上下に鳴らしながら呼吸し始めた。苦しいだろうといたたまれなくなるが、何も出来ない。
 8時10分頃、ハンは首をあげて目を大きく見開いている。一所懸命気張っているように思えた。十分頑張った、ほめてやるしかない。ほおを指でなぜ、ゆっくり眠るようにうながす。その時に何か抜けていく感じがしたが、首をおろしても目は開いたまま。そのようには見えなかったが、呼吸は停止していたのだった。
 健康が一番だ。今度の動物病院は大変気に入っているが、当分お世話になる事態は起きて欲しくないと思った。

 

32、婿候補はイチ・クン・パー

 2003年の前半は、ただ不幸な事態に身をゆだねていたわけでもなかった。そもそも黙々としていたい気持ちがあっても、我が家の文鳥社会はそれを許してはくれなかった。
 2003年春には、ゴンとケイはわりに仲良くしていた。妻帯者のガブに色目を使っていたゴンはそれをやめ、ケイを夫と見なし始めているようだった。この調子で行けば、予定どおり秋には二世の誕生が見込まれた。この二羽が両親なら、見栄えはよいかもしれない。そんなことを考えていると、思わぬ邪魔がはいった。6代目のセーヤだ。
 セーヤはなぜかヒナ毛の段階から、ケイのことが気に入り、つけまわし、ケイもセーヤの前ではだらしない府抜けた様子になってしまっていた。セーヤが100円鏡をくるくる回したり、部屋の隅に設置したブランコをとんでもない勢いで乗り回したりするのを、ついて行って恐れ入った様子で見ている。確かに普通の文鳥はやらない。もしくはやれない技なので、尊敬するのも無理はない。ヒナ換羽を終わりメスとほぼ確定したセーヤは、もう妻気取りでケイの羽繕いなどしている。はすっぱ姫君は早熟だったのだ。
 クルの骨折騒動に続き、ハンの発病で憂鬱な気分の2003年5月、ややこしいことになる前に手を打つことを考え始める。長じるに従い、セーヤは父親のオマケに外見も性格もそっくりとなっていたから(人をつついたりするところ)、将来、ケイ以外の婿を連れてきても、相手にしないことが、ほとんど確実なこととして予想された。オマケは、嫁として指定されたセーユを徹底的に邪険にあつかい、ゴマ塩三姉妹だけを追いかけ、ついに本命のハンと夫婦となった。一卵性父娘の、娘のほうが同じようにしないわけがないではないか。
 それならセーヤののぞみどおりケイと夫婦にして、ゴンには別に婿を迎えればよい。しかし、なるべく文鳥の数を抑制したい気持ちもある。
 『セーヤには横恋慕させておけばよい。・・・いや、それではゴンとケイの抱卵に邪魔となるに違いない。そもそも新しい婿がゴンと仲良くなるかわからないではないか。・・・しかしそれは毎度のことだ。』
 などと、他人には理解不能な葛藤をしながら、とりあえず、気に入ったオスに出会ったら買うことに自分の意見を集約する。・・・と、そのように自分自身に言い聞かせた時は、すでに婿を迎えることに決まっているのだった。暇を見つけてはペットショップをのぞくことになる。
 そして5月下旬のある日、立ち寄った(本当はわざわざ帰宅の際に遠回りをしている)大型ペットショップ。この手の店は避けたいし、あまり期待もしていなかったが、オスの桜文鳥が売られていた。二羽いる中の一羽は、頭に少々白羽が見られるものの、クチバシの短く太いところは私の好みの文鳥に見えた。色つやも体格も合格点。いかにも若そうな様子だ。もう一羽には無い胸のぼかしが、こちらにはある。見ていると、すぐにさえずりだした。これを買わずにどうしよう!
 店員さんを呼ぶ。ついでに非常に小さな鳥カゴも買うことにして、そこに入れてくれるように言う。運搬に使った後、小さな鳥カゴはハンの通院に使えると考えたのだ。ところが女性の店員さんは、ボール紙の箱に入れることに固執する。その主張は、「今日は寒いし」「室内と気温差があるし」「まだ若い鳥だし」・・・、といったものであった。5月の下旬、外気温も20度はある。これでどうかなってしまう文鳥などいたら面白い。私はいらだちを抑えていたが(早く家に帰ってハンの投薬をしたいのだ!)、ペットヒーターが必要だとまで言っている人物と議論しても無意味だ。好きにしてもらう(鳥カゴの中に文鳥のはいったボール紙の箱を入れるという・・・意味がない・・・)。
 鳥の羽毛というのは保温のためにあることくらい、動物管理士か何かの資格で習わないのだろうか。アフリカ直輸入の鳥とみんな一緒だと思っているのかもしれない。善意には違いないが、こういう人の知っている飼育というのは、所詮ペットショップでのものでしかないのだろう。内心舌打ちしながら、鳥カゴを組み立ててくれるのを見ていた。・・・これにしても、出来上がって展示されているのがすでにあり、値札も付いていないから、それをそのまま売ってしまえば客を待たせることはない。展示用は、後でまた組み立てれば良いではないか・・・。
 などとさらに皮肉な気分にみたされていたら、店員さんは手に消毒液をスプレーしてからその桜文鳥を取りだし、目がどうだ、鼻がどうだと、いちいちチェックをはじめた。さらにご親切にも、こちらに確認を求める。いかにも面倒だが、黙っていると先に進まなそうなので、「はい」「はい」適当に相づちを打つ。箱に文鳥をしまい、体重をはかり、27gと確認する。そして『健康状態チェックリスト』および『販売確認書』なる各一枚のペラ紙をしめし、チェック項目に今一度確認を求め、生体の交換は出来ない旨を告げてくる。いろいろな客がいるから、これも必要なプロセスなのだろう。さらに何か変調を起こした時のために、ある動物病院を紹介したペラ紙も渡された。『この病院と関係あるから、口数がやたらと多くなるんだな』と以前長々とエサなどについて、頼みもしない能書きを言っていた獣医さんを思い出した。もちろんそのようなことは口に出さず、会計。
 レジに向かい、前の客の会計を待ちながら、私は商売人は商売、医者は治療をするのが先で、能書きをタラタラするのは、よほど後に回したら良いなどと考えていた。いろいろと感想が頭に浮かぶ。
 『能書きは、それを聞きたい人にだけやれば十分だろう。ましてその能書きが、聞きたくもない人に聞かせるほど、たいそうなものでは無ければ、なおさらである。』
 『生体の販売トラブルは問題となっているけれど、数千円の文鳥の場合は、病気だろうが何だろうが、買ったら自分の文鳥として(オスメスの間違い以外)最期まで責任を持つしかないのではなかろうか。』
 『このお店の対応は飼育初心者には素晴らしいものだが、ある程度の飼育経験者が、ペットショップの店員程度の者ににわかる異常を見逃すほうが珍しい。』
 『この店員さんはまじめで好印象な人物だが、個人やお店の志がどうであれ、彼らが持っているのは、本来はペットショップ内部における商売用の「もの」管理のノウハウでしかあり得ない。』
 会計4000円ちょっと。・・・何で?桜文鳥オス3480円(3780円だったかも)と書いてあったではないか。鳥カゴは確か1900円だった。6000円払おうと財布から出して待っていた私は正直驚き、不思議な様子で「鳥カゴもあるのに?」とつぶやいてみる。「そうですよ」と言いながら・・・店員さんは不安になったのか確認しに行った。そして・・・、それでよいと言う。本当に1980円らしい。いくら何でも安すぎる。ヒナの値段と間違っているのか、買った文鳥に一羽だけ脚輪があったので、何か安値に理由があるのか(手乗りヒナの売れ残りとか)。しかし、客が何度も支払いを高くしようと試みるのも妙な話なので、請求されただけ支払い帰宅する。
 『センター北』がペットショップの最寄り駅なので、「キタ」と名付ける。「イチ・クン・パー(1980)」ではかわいそうに思ったのだ。
 キタはよくよく見ると妙な顔をしている。頭の上方の黒い部分の面積がせまく、頬の白い部分が広いので、顔が大きく見えるのだ。さえずりは、何とも表現しにくいけたたましい音響だ。非手乗りなので、人間にすり寄ってきたりはしない。
 困った点は、運動神経がないのにパワーだけはあるところだ。キタの飛翔はやみくもに直進するだけで、飛びながら方向を変えたりすることが出来ない。つまりすぐに何かと衝突して落下する。以前フクが激突死した経験があるので、その再現が恐ろしい。風切り羽をかなり間引く。スピードが出なければ、衝撃はすくなくなる。
 スピードが出ないのだから、少し考えながら飛べば良いものを、少し慣れてきたキタはひたすら羽ばたき、家具の裏などに落下する。慣れた油断で、かえって目測を誤るのだ。何度も「あいつは頭の中がイチ・クン・パーのくるくるパーだ!」とののしり、ついに風切り羽をすべて切る。・・・ところが、まだ飛んでいる。ある種の天才かも知れない。
 すぐにゴンと同居させた。正常なオスなので、同居のメスにはすぐに興味を持った。ところがゴンのほうは完全無視。ケンカもしないが仲良くもしない。まるで空気と見なしている。今後夫婦になれるのか、見守るしかない。
 一方、強奪愛に成功したかたちのセーヤは、ケイとの同居に喜んだ。ところが、喜びすぎてかまい過ぎるものだから、ケイの体調がおかしくなる。何しろケイが眠ろうとしているのに、しつこく毛繕いするし、さえずりの練習を始めると体を寄せ付けて、結果として邪魔をする。ケイにしてみれば、自分の時間がもてない。練習できないさえずりは、かすれ声で、調子の整わないものになってしまう。そのような干渉は、実力で排除すればよいのだが、なぜかケイはセーヤを叱ることはない。愛妻だからではない。何しろ、セーヤに対してだけはさえずらないのだ。そもそもメスとは認識していないらしい。不思議な関係だ。
 重大な事態となる前に別居させ、ケイの体調が正常になるのを待つことにする。
 秋の繁殖期に向けて、前途多難を予感させる夏なのだった。

 

33、さよならの夏とはじまりの秋

 2003年の夏というのは、前年よりはじまった不幸の連続に、サムとハンの死というこれ以上ないくらいのだめ押しをしていったと思っていたが、迷惑なことに最後のとどめも忘れなかった。
 8月28日朝、六代目セーヤのお気に入りで、七代目の父となるはずのケイがつぼ巣の中で冷たくなっていた。それこそ眠っているようにしか思えない姿だった。
 我が家に来た当初は非常に溌剌としていたが、なぜかセーヤと同居するようになるとおとなしくなり、別居させたりもしたが、8月になると軽い運動でも動悸するまで虚弱化していた。それでも、食欲はあり、フンに異常もなく、お腹を見ても内臓肥大の様子もないので、どのように考えて良いものか困っていた。精神的なものなら、巣作りなどをはじめるうちに自信が回復するかもしれない。そんな甘い期待を抱いていたのだが、残念な結果に落胆と失望を味あわされたのだった。

 予想外の展開に痛恨の思いに満たされ、かつ、続く葬列の長さに鬱々となりながらも、えり好みの激しいお姫様であるセーヤのお眼鏡にかなうオス文鳥を探すという、難題に取り組まなければならなくなった。
 何しろ、ケイの姿が見えなくなると、セーヤは祖父の祖父にあたるブレイにすり寄り始めたのだ。ブレイは若い女の子につきまとわれ大喜びの様子だが、この恋愛関係を許すわけにはいかない。繁殖シーズンを目前にしたこの危機に、結局、またもペットショップ巡りをはじめることになった。
 かくして、暇さえあれば行脚すること15軒。なかなか眼鏡にかなう文鳥の発見にはいたらない。セーヤは、色のはっきりした桜文鳥が好みのようで、死んでしまったケイに似ていると申し分ないのだが、毎度のことながら探し出すと見当たらないものなのだ。白羽が多かったり、なかなか良いと思うとメスだったりする・・・。
 9月中旬、久々に鎌倉に遠征する。実際は小一時間で行けるので、遠征と言えるほどのものではないが、とにかく鎌倉駅に降り立つと、ペットショップに行く前に段葛(参詣路)を通って鶴岡八幡宮に参拝する。普段なら、鎌倉に来ても八幡宮は素通りしてしまうのだが、昨年来の不幸やこのたびの文鳥の婿さがしを思えば、この際、神様仏様八幡様にも泣きつきたいところだ。
 参拝後、鎌倉駅にとって返し、江ノ電口側の近くのペットショップに行く。するとそこには、信じがたいほど思い描いたとおりの文鳥が待っていた。ケイに似ていて、それより目が大きく、アイリングが赤く色の濃い文鳥!ペアで9800円と書いてある。どちらがオスで、どちらかメスか、と言われたら、体格などから明らかに一目惚れしたほうがオスだ。「嗚呼、神よ!八幡大菩薩様、感謝致します!」と不信心者も、思わず拝まずにはいられない。
 オスだけ売ってくれるように店員に言う。大型インコの世話をしていた店員のおばさんは、オスだけで売って良いのか、責任者の別のおばさんに聞きに行く。売って良いに決まっている。こちらはオスだけで9800円でも買うのだ。商人というのは、値段が見合えば、何だって売らなくてはならない立場なのだ。
 責任者らしいおばさんが出てきて、文鳥はカップリングが難しいとか、相性でも返品は出来ないとか、言っていたようだが、そんなことは百も承知しているので、右の耳から左の耳へ、適当に生返事する(最近ペットショップの店員と話をする気力が全くなくなっている)。
 明らかに、黙ってさっさと売れという態度を、前面に押し出す客に対して、提示された値段は9800円の半額の4900円だった。文鳥の場合、オスとメスが等価ということは普通あり得ないが、ペアで売るといっているものを片方だけ買うのだから、とりあえず妥当なところだろう。ペアでないと売らないなどと言ったら、その非を改めてもらわねばなるまいとは考えても、値段について文句を言う気はないので、即刻承知して会計する。
 当然、八幡様にお礼参りなどせずに、飛ぶようにして帰宅する。
 鎌倉で買ってきたので、「クラ」と名づける。「カマ」ちゃんは、婿の名前としては不適当だからだ。
 クラは容姿も良く、ケイにも似た顔立ちなので、これでセーヤが気に入らないわけがない。結果は、案の定というより予想以上だった。夜の放鳥時間に一目クラを見たセーヤは、初めての環境にとまどっているクラに積極的に接近し、寄り添い、秒殺で口説き落とした。
 「キタをはじめて見た時は、こづき倒したくせに・・・」
 あくまでビジュアル重視のセーヤは、オスを手なづける点では天才のようだ。我が娘ながら、何ともたくましい。
 数日後には、セーヤとクラを同居させる。ケイが同居後、セーヤに元気を吸い取られたようになった前例があるので、気がかりだったが、クラはケイほどセーヤに従順ではなく、エサ場を譲らなかったり適当に対等に接している様子だった。じゃじゃ馬姫君と付き合うには、ある程度強さがないと身が持たないだろう。その点も安心できそうな婿殿だ。

 

34、交叉する新旧の生命@

 2003年10月となると、まだ若いから産卵は早いと心配する飼い主の気持ちなど、まったく無視して、六代目のセーヤはさっさと産卵をはじめ、初卵の時こそ少し苦しげだったが、教科書どおりの規則正しさで産んでいった。
 しかし抱卵のほうは教科書どおりには始めなかった。5個産んでも抱卵しないので、これはやはりまだ幼くて自覚が足りないのだろうと考えた。仕方がないことだと納得しながら視線を移すと、マセとガツの姉妹が一所懸命巣ごもりしている姿が目に入った。というより、箱巣の前でガツがこちらを威嚇しているのだ。
 ちょうどセーヤと同じ時期に産卵を始めていたこの姉妹、いまだ子育て経験はない。いつも擬卵を相手に無駄な努力をしているのも、かわいそうな気がした。そこでセーヤの卵を一つ移して、仮母をさせる気になる。うまくいっても、うまくいかなくても、それはどちらでも良いだろう。
 ところが翌日、6個目を産卵したセーヤは、一転巣ごもりを始めた。あのお転婆の遊び好きが、放鳥時間も出てこないのだから、ビックリしながら感動する。やはり子育て上手の遺伝子は、しっかり受け継がれていたようだ。

 七代目誕生も、案外たやすいかもしれないと思い始めた頃、二代目の婿で最長老のブレイの背中が微妙に盛り上がっているのに気づく。よく見ると、首筋に赤く腫瘍状のできものがある。
 ショックを受けながら考えた。さてどうしよう。ブレイは1997年6月に我が家にやってきたが、その時1歳以上で、おそらく初代のヘイスケと同期生ではないかと想定している。つまりすでに8歳だ。ハンの時は若いし治したいと思ったが、あれと同様のことをブレイで再現して良いものだろうか。そもそも、毎日クチバシに薬剤を点滴されるなど、おとなしいハンなら良いが、無礼なブレイには耐えられないだろう。いや、それでもひょっとしたらこの腫瘍の切除は可能かもしれない、診せもしないで判断するのもどうだろう・・・、しかし患部は首だ。素人考えでも、簡単にいかないのはわかりそうなものだ。
 悪性でなければ、大きくもならずに大丈夫かもしれない。駄目なものならしかたがない。ブレイはブレイらしく生きて最期を迎えるに違いない。結局そういう判断をして、積極的な治療をはじめから放棄することにした。治療する気もないのに、獣医さんに見ていただくのも失礼な話なので、何があっても病院には行かないことに決心する。

 それにしても、2002年のヘイスケ以来の事態には、何か原因があるのだろうか。食生活なら今さら気にしないしあきらめもつく。しかし以前はもっと不健康だったし、まったく健康的な食事しかしなかったサムなど説明がつかない。証拠は何もないが気にかかることはいくつかあり、中でも最大のものはあの年に使用した一部の巣草の刺激臭だ。あれはホルマリンを消毒液に使ったのではないかと思って、とりあえず洗浄してから使用したが、やはり問題があったのではないだろうか。というのも、熱心に巣ごもりするタイプに問題が発生しているように思えるのだ。ヘイスケ、チビ、サム、ハン、そしてブレイ、嫌な気分になる。
 ホルマリンは発ガン性も指摘される毒物だが、水洗いすれば普通問題ないはずとされており、そんなに気にしなかった。しかし案外文鳥には、重大ではなかったかと思えなくもない。そうだとすれば、後悔で一杯になるが、もちろん偶然の一致に過ぎないのかもしれない。とりあえず、以後気をつけたいところだ。

 腫瘍ながら、あいも変わらずメスの尻を追いかけ元気そうなブレイを横目に、悶々としている飼い主などやはり無関係に、抱卵は問題なく行われていった。
 抱卵から一週間弱、検卵をおこなう。マセとガツに委ねたのも含め、6個すべて有精卵。たいしたものだと感激しつつ、全部孵化しても世話しきれないという現実を忘れるわけにはいかない。繁殖期は始まったばかりで、これから長らく望まれたゴンの子ども生まれるかもしれない。また、グリとセーユはいつも無精卵ばかりだったが、今回は違うかもしれない。いろいろ考え、とりあえず今回面倒が見れるのは2羽までという結論に達する。
 本来、ヒナが1羽だけ孵化するのは避けたい。なぜなら、複数のほうが、親鳥を刺激してスムーズに育雛が始まると考えられるからだ。そこで、セーヤが温める卵を2個残すのが妥当なところだが、せっかく独身姉妹ががんばっていたのに、今さら努力を無にするのもかわいそうな気がする。そこで、あえてセーヤの方も1個だけ残してあとは擬卵とかえる。もし育雛出来なくとも、若すぎるくらいだから次があるはず、あわてることはない。
 そうこうするうちに、孵化予定日。マセとガツに卵を預けて16日目となる10月28日の朝となった。カゴをのぞくと、前夜から設置したアワ玉入れの中に、バツ印のついた卵の殻が、丁寧に置かれていた。後からマセたちが産む卵と混じらないように、墨で印をつけておいたのだ。夕方にはシイシイとなく声も確認できた。七代目が誕生したのだ。
 翌日29日は、セーヤたちの卵の予定日。実は前夜、隣カゴのキタが間違ってセーヤと抱卵を交代する事件があり(セーヤの夫のクラはなかなか抱卵を交代してくれない。間違ってやってきたキタを夫と間違えたセーヤは喜んで交代してカゴから出てきたのだった。これを目撃した飼い主は箱巣を開けてキタにお引取り頂いた)、その時はまだ孵化していなかったが、朝にはシイシイと鳴き声が聞こえてきた。本当に規則正しい。

 1羽のヒナを、育雛経験のない親たちがちゃんと育てられるかどうか、非常に懐疑的だったが、セーヤたちの箱巣からは時節、元気な鳴き声が聞こえてきた。一方、マセたちの箱巣は無音で心配したが、確認するたびにヒナは大きくなっていた。おとなしい性格なのだろう。
 思い出になる文鳥もいれば、これから思い出を作っていく文鳥もいるというのは、大きく見れば悪いことでもないと考えることにした。

 

35、交叉する新旧の生命A

 さんざん思い知らされているが、実際世の中一寸先もわからない。

 セーヤとクラの子ども、七代目のヒナたちは、それぞれ仮の親と実の親のもとで、何の問題もなく大きくなり、2003年11月12日からは人間から餌づけを受けるようになった。きわめて順調。
 実の親に育てられた白羽の多い「弟」は、うるさいくらいに元気なので「ゲン」、仮の親に育てられた真っ黒い「兄」は、おとなしいく閑かなので「カン」と名づけた。「カンゲン!」でも「ゲンカン!」でも続けて呼びやすい。どうせ、しばらくしたらイタズラばかりするに決まっているので、連呼できたほうが楽だ。
 カンの脚が軽いペローシス(先天的腱はずれによるは行)で心配だったが、決定的なハンデにもならず、25日には初飛行、元気一杯に成長していった。

 ところが、11月27日、またしても予期しないところから不幸がやってきた。カンの育ての親でもあるマセが、箱巣の中で冷たくなっていたのだ。カンの育雛後また産卵を始めていたが、前日までは変わった様子もなく、当日も朝には気がつかなかった。箱巣をのぞいたのも、産卵していたら擬卵に取り替えようと思っただけで、目の前の状況が一瞬理解できなかった。
 得難いキャラクターの喪失に、原因を詳しく探る気にもならなかったが、お腹に卵が残っている感触はなく、ただ総排泄口が軽く膿んでいる感じは見て取れた。やはり一種の産卵障害だろうか。
 マセと言えば、この夏、ハンが青色吐息であったとき、なぜかゴンとヤクザの抗争のような、仁義なき闘いを毎晩繰り広げ、元気と言うより、どうかしてしまったのではないかと、さんざん笑わせてくれたものだった。あの元気な姿は何だったのだろう。

 それにしても2003年は、ひどい一年だった。チビ、サム、ハン、マセ、気がつけば、我が家の誇る純粋な?ゴマ塩文鳥はガツだけになってしまった。さっさと2004年になるが良い。と、オマケと同居を始めて、案外幸せそうなガツ(オマケはゴマ塩好きなので大喜び)や、ひとり餌になって、好き勝手に闊歩するカンゲンを見ながら念じていた師走、さらに思わぬ事態が待っていようとは・・・。
 それは15日の朝だった。いつものようにエサを取り替えていると、例の「シイ・シイ」が聞こえてくるではないか。冗談ではない、寝ぼけた頭にガツンと一撃である。オマケ以来2回目、予想外の検査もれ卵が孵化したに違いない。問題は、近親交配の子でないかどうかだ。何しろ、ブレイとクルの父娘は同居中なのだ。しかし、心配は杞憂だった。鳴き声はブレイたちの隣カゴの箱巣から聞こえてくる。ナツとノロの子どもだ。
 この夫婦のヒナなら問題ない。当初の目論見では、七代目、次にゴンの子、さらにグリとセーユの子、とりあえずナツとノロの子、と優先順位をつけて、七代目は2羽だったので、ナツとノロは特に慌てなくても良いくらいの感覚だったのだ。むしろ、ナツが1週間以上の間に小さな卵を2個産んだだけという不思議な産卵行動だったので、これは繁殖する気はないものと見なしていたに過ぎない。突然1つ産み足して孵化させたのなら、それもありだろう。孵化したばかりのビックリするくらい小さなヒナを見ながら、そんなふうに目まぐるしく考えを整理し、さて、ナツとノロがしっかり育てられるかどうかとなると、また疑惑がわいてきた。ナツは育雛経験があるが、前夫のヘイスケにおんぶにだっこ状態だったし、ノロときたら、それでも多少まともにはなったが、やはり何を考えているのか頼りないことこの上ない文鳥だ。
 まあ、育ててみることさ、と冷ややかに突き放して見ていると、案外この夫婦もがんばって育雛をした。亭主が今ひとつ頼りないので、ナツが奮闘している様子が良くわかる。ダメ亭主だと、女房がしっかりするもののようだ。
 諸般の事情で、2004年元旦から餌づけを始めたヒナの名前は、「モレ」とした。検査漏れだからだ。モレははじめ餌づけを拒否し、神経質な面を見せたが、親にはあまり似ないで理知的な目つきをしている。よく見ると、右足の外指が途中から欠けていた。先天的なものとしたら珍しいこともあるものだ。羽以外は真っ黒で小柄、人を見る目つきなどは血のつながりのない、初代ヘイスケを思い出させる。そのヘイスケが、孫のクルの指をかじって剥落させてしまったのは、同じ右の外指なので、だんだん話は因縁めいてくる。

 さほど望まれずに誕生したものもあれば、待望の新星もついに誕生した。ゴンの子どもだ。
 飼い主の頭にある系図で、正統な5代目といえばオマケでなくゴンだ。何しろ名前が5にちなんでつけられている。性格はともかく、外見の美しさは群を抜いているゴンの2世を残そうと、一体どれだけ的外れな努力をしてきたことか!まずオスだと思い違いして、セーユを嫁に迎え、産卵合戦を巻き起こし、続いて婿に迎えたノロは、結局邪魔者扱いされ別居、さらに迎えた婿のケイはセーヤの強奪愛を招き、ようやくこの繁殖期から、1980円のキタと夫婦らしい生活をはじめた。思えば何と長い道のりだったことか、キタときたら顔は頬っぺたが大きいし、頭は悪いし、巣作りも下手だが、とりあえずゴンの夫でいるだけでも感謝すべきだろう。
 始めの産卵は全て無精卵だったが、今までの経過が経過なので特に落胆せず、12月末に2度目の産卵を終え、抱卵を始めた時も、それほど期待はしていなかった。ただ、ゴンもキタもしっかり交代で抱卵しているのには感心していた。特にキタは抱卵が好きなようだ。オスとしてはなかなか得難いキャラクターと言え、もともと抱卵のヘルパーを望んでいたゴンにしては、ありがたい相手なのだろう。この夫婦の努力のかいがあったようで、検卵すると7個のうち2個が有精卵だった。
 すでにカン・ゲン・モレの3羽がいたので、もったいないが、有精卵を1つだけ残すことにした。この際「一羽っ子」を我が家の伝統にしてしまうのも仕方がない。もし育てなければ育てないであきらめて、次からは仮母に出しても良いだろうと考えたのだ。
 予定日の14日に孵化。育雛も問題なくおこない、むしろ順調すぎた育雛の結果、おそろしく重量感をただよわせているヒナを、30日から引き取り餌づけ開始。何とこの時点で27gもあった。このままでいくと、ジャンボ文鳥になるかもしれない。それはそれで面白いと思いつつ、「オッキ」と名づけた。たんに、大きいから・・・。
 オッキは飼い主の「大きくなれ、大きくなれ」の呪文にこたえて、孵化3週間ちょっとで32gまで体重を増やした。これは成鳥になれば40gはかたい、と想像していたら、そこから普通の文鳥にもどっていった。みるみる27gまで減っていき安定、ひとり餌後も結局ジャンボ文鳥にはならず、大柄のきれいな桜文鳥に成長した。目論見どおり母似だ。ただ、わがままな性格も母似だが・・・。

 カン・ゲン・モレ・オッキの同期生たちは、個性を怪しく輝かしながら、飛んだり跳ねたり良い運動をしている(小突きあいどつき合いをしていると言う見方も出来る)。何とかヘイスケ流のさえずりを伝授しようとしたが、結局オスはゲンだけで、しかも彼はブレイに師事して、その追っかけまで始める始末だ。
 そのゲンは、巨体で甘えん坊で間抜けで、さらに他の3羽がヒナ換羽が終わって美しい桜文鳥に変身しても、ヒナ毛を残す迷彩色であり続け楽しませてくれた。
 メスの3羽はライバル関係にあるようで、特にオッキはモレを目の敵にし、フライングボディアタック、フライングニードロップといった空中殺法をくりだす。このオッキは、我が家には珍しいベタベタの手乗り文鳥だ。手を出すと遠くからでも飛んで来る。
 将来的には、ゲンとオッキを夫婦にして、さらに新しい世代を拓いていってもらおうと考えている。2羽は片イトコの関係だから(オッキとゲンの母セーヤがイトコ)、わりに血縁は遠く、うまくいけばオマケ系とゴン系を統一できる。明るい未来であって欲しいなあと願う。

 

36、箱根を越えた婿殿

 2004年5月に久々にヘビ(アオダイショウ)が襲来、グリをくわえているのを発見し捕獲、あわれ処刑となった。噛まれていたのが尻尾だったので、グリは「シッポナ文鳥」(尾羽のない文鳥)となったmものの、幸いにも無傷であった。
 侵入路は風呂の排水管くらいしか考えられなかった。そこで、すぐに屋外の配管接合部にあったわずかなすき間を塞ぎ、とりあえず在宅中で運が良かったと安堵していたのだが、夜になってグリの弟、隣カゴに住むガブが冷たくなっている結末が待っていた。
 いったいなぜ、・・・、ちょうど換羽中でもあったので、ヘビににらまれたショックが心臓に負担となったのだろうか。まったく運命は計り難い。

 夏、ガブの5歳半での意外な早世のショックを引きずり、さらに最長老のブレイの首の腫瘍は不気味に膨張を続けており、何とも重苦しい雰囲気のたちこめているかと思えば、一方では、カン・ゲン・モレ・オッキの1歳未満の若鳥たちが、それぞれの個性をきらめかせながら自由闊達に生き生きとふるまっていた。
 4羽の内、最も小さく端正な姿で、胸に一つのぼかしのあるモレは、そのぼかしの一つ星(ローンスター)が象徴するように、孤立傾向がみられた。私の遠大?な計画では、彼女には婿を迎え、その子供とカン、もしくはまだ見ぬゲンとオッキの子が夫婦になる事になっている。個人的には孤高の文鳥というのも好きだが、この際早めに婿を迎えた方が良いのではあるまいか。
 憂鬱な気分を振り払う心情も働き、私は、いつものように婿探しを始めるのだった。

 ところが、これまたいつもの事だが、探し始めると見つからない。7月の東京遠征は空振りに終わった(主目的は亀戸天神の文鳥似のお守りを手に入れる事にあった)。
 そして8月、猛暑の中を、私は東海道線に揺られていた。烏帽子岩を過ぎ、左の車窓に広がる相模灘はキラキラとどこまでも穏やかだ。何回か国境のトンネルをぬけると、雪国ではなく、そこは緑したたる伊豆半島の根元、静岡県東部であった。
 一度確認しておきたい場所があったので、箱根の山の西側まで遠征して来たのだが、当然ペットショップめぐりも兼ねており、その点の下調べも完璧だ。まずはM島駅から、著名な神社へと歩いていく。すると、右手の通りに面して電気会社のような名前のペットショップ(ほぼ鳥屋)がある。古色漂う店内に入り、文鳥を見てまわる。
 ヒナ毛の残るものを含めて、文鳥は散在している。カゴの様子は良くも悪くも昔風だ。シナモンとシルバーの値札に「新種」とあるのは、大都市圏を少し離れた地域性によるものか、それとも十年や二十年前など、この店では最近の出来事なのか・・・。お目当ての桜文鳥は、これは恐ろしいまでに古い鳥カゴ、手作りしたような小ぶりで不思議な形のそれ(竹製のカゴに近い形で金属製)の中に、2ペアいた。♂3500円、♀4800円とあるが、どれがオスかわからない。
 しばらく黙って見ている。いずれもそれなりに健康そうで、色つやも悪くない。私の好みであるはっきりとした桜文鳥の配色をしており、外見上の問題点も見当たらない。特に一羽は嫌でも目についた。おそろしく大きいのだ。何しろ顔が冗談のように大きい。モレの二倍はありそうに思われた。赤々としたクチバシのそのでかい顔を見ながら、これがオスでないわけがないと確信したが、さえずる様子は無い。まだ予定もあるので、帰りに寄ってゆっくり確認する事にして、その店を早々に後にする。

 神社への拝礼を済ませると、門前向かいのペットショップ(小鳥屋風)へ行く。その店頭には、小鳥やウズラやウサギなどなどのカゴが積み上げられ、その周囲はおろか、店内にまでドバトが入り込み、拾い食いしている。実にのどかと言えばのどか、不衛生と言えば不衛生な状況ながら、それが何の不思議もなく周囲に調和しているようであった。
 店頭のカゴに桜文鳥が2羽、奥に1羽いる。他の品種は見当たらない。奥の文鳥はまだ幼いので、店頭の2羽を観察する。
 ともに健康そうで、桜文鳥の配色をしているが、一方はやや白い差し毛が多く小柄で頭が目だって小さい。もう一方は均整がとれていて、目元が涼しげというか、アイリングがはっきりしたやや切れ長で、私の好みの顔つきをしている。こちらも胸の白斑が少し目立つが、先ほどの鳥屋の巨顔よりはるかに私のタイプと言える。
 数分の間見ていたが、先の予定を済ませてからまた来る事にして、きびすを返す。

 用事を済ませて、再び神社門前の店頭で、お目当ての文鳥の様子を観察する。
 すでに戻る途中の伊豆急の駅で、マスカゴを組み立て、紙袋の中に入っている。そこには水もエサも用意してある。購入した場合、炎暑の移動となるので、あらかじめ用意してきたのだ。水はコンビニで買ったミネラルウォーターで、残った大半はクーラー代わりになるはずだ。当然さえずるのを確認すれば、さっさと買って一目散に帰る心づもりでいる。
 ひたすら待つが、5分たち、10分を経過してもさえずらない。除外した方はさえずっている。お目当ても、つられてさえずりそうな気配、首を伸ばしさえずり姿勢に入るかのようなしぐさを見せるが、なぜかそこで止めてしまう。猛暑の中で待つこちらの苛立ちをよそに、水浴びをして気持ち良さそうだ。除外した方を邪険に軽く小突いたり、さえずりの一歩手前のようなしぐさは、明らかにオスのそれだとほとんど確実に思えたが、決定的な証拠が欲しい。何しろ、万一メスでも取替えにやって来ることなど、およそ考えつかない「遠隔地」なのだ。
 じりじりしつつ観察を続ける。さらに5分、10分・・・、さえずらない。これは縁がなかったか、仕方がないので巨顔の方を見に行こうと思い始めた頃、よく聞こえなかったが(店の前は交通量の多い道路)ようやくさえずってくれた。

 早速、店内に入り、おそらくいつもの事なのだろうが、近所の知り合い2、3人と世間話に興じている店主とおぼしきおじさんに向かって、例の桜文鳥を指定し、これに入れるようにマスカゴを渡す。そして、おじさんが間違えないかどうか、黙って監視を続ける。
 「いつも噛まれるんだよ・・・」
 おじさんは店頭のカゴからつかみ出した文鳥を、マスカゴに入れようとして、したたかに噛まれている。なるほど痛そうだが、持ち方にも問題がありそうだ。
 「に、がぁすなっよ〜」
 知り合い連中から冷やかされるのも無理はない。それでも何とかマスカゴに文鳥を入れることに成功したので、すぐにマスカゴを受け取り、店主の知り合いの一人が、しきりにプラスチック製のマスカゴに感心してみせるのを、適当な笑顔以外はほとんど無視しながら、マスカゴがしっかり閉じているか確認する。その間レジに数字を打ち込んでいたおじさんは、「ウチにもあるよ」と1000円の値札の付いたマスカゴを勧めるようにして言うのだが、特に買う気のないらしい知り合いは、適当に感心してごまかしている。
 3800円と言われたので、そのとおり支払い、店を後にする。
 「オスかメスかわかんのかよ?」 「わっかんねーなぁ〜」
 と言った会話が背後から聞こえてくる。そう言えば、性別も何も尋ねなかった。分かって買ったのか、少々不審に思われたのかもしれない。

 帰りの電車の中で、名前を考える。M島で買ったのだから「シマ」が適当だろう。

 さて、我が家の文鳥たちと比較しても大柄で物怖じしないこのシマは、すぐさま我が家の生活に慣れ、外付け水浴び器で好きなだけ水浴びを楽しんだ。購入の際はさえずらず困ったが、日がな一日、甲高く大きな声で何とも形容のしにくさえずりを繰り返し、メス文鳥にせまっている。容姿といい、あつかましさと言い、非手乗りのため、さすがに人間の肩でさえずったりはしないが、ブレイが我が家にやって来た当時を思い出す。ようするにあつかましい。
 小柄で神経過敏モレとは、体格も性格も正反対のようだが、果たしてうまくいくものか、楽しみとせずにはいられない。

 

37、ブレイの往生 と8代目

 かねて予測していたことだったが、膨張を続けたブレイの腫瘍が破裂したのは、2004年8月、シマが加入して間もなくのことだった。
 腫瘍を発見して以来、通院も積極的な治療もとらず、メシマコブとアガリクス粉末にスピルリナなどを混ぜた湯漬けエサを放鳥時間に用意するくらいで、大きくなっていくその赤いホオズキ状のそれを、暗澹とした思いで毎日眺めていた。幸いなことに、ブレイ自身は水浴びもメスの尻追いかけにも、相変わらずに張りきっていたのだが、それも「ホオズキ」が破裂したら最期となるだろうと、毎晩冷や冷やし覚悟する数ヶ月間であった。
 そして、ついにその日を迎えた。しかし放鳥の際、気がつくと血まみれとなていたブレイは、案外にも余力があった(つまり指を噛む・・・)。とりあえず『マキロン』で傷口を何度か消毒したのみで、腫瘍の半分がしぼんだ状態で傷口がふさがり回復していった。実に強靭な体力と言う他ない。

 しかし残った腫瘍部分は、秋になると再び膨張を始め、楽観のかけらも許さない。手首でくつろぐブレイを見ながら同情していた11月、思わぬところで異変が起った。
 朝、調子が悪そうに思えたガツが(この時点滴しようとしたら、興奮状態で逃げ惑うので止めた)、夜には危篤状態に陥り、気の強い彼女は、なかば昏睡状態にありながら手のひらにあることを拒み、看護用温室の中に入れると、呼吸困難の状態を示し息を引き取ってしまった。
 抱卵中だったので、極度に手を拒んだのだろうが、いかにもガツらしい態度であった。
 すでに産卵は終わっていたので、卵づまりではなく、2歳年下の夫オマケとの間での産卵による慢性的な衰弱が原因のように思える。また、放鳥時他のオスに追われる事も、心臓に負担をかけてしまったのかもしれない。
 7歳間近であったが、ヘイスケとその子供たちは、腫瘍のハンをのぞいて、同じような最期のように思える。我が家の生活パターンと体質が長生きを阻むのかもしれないが、短い一生で、我が家に生まれ、飛び遊び、食べ、ケンカをし、愛し愛され、子育てをし、それなりに満足してくれただろうか。

 十日後、ガツの墳墓の土も乾かぬうちに、ブレイがついにその一生を閉じた。
 一週間ほど前から徐々に衰弱し、バリアフリー化してあるカゴの底部、保温電球近くでたたずむようになっていたが、亡くなる数時間前には、点滴後抵抗する力もなく、しばらく手の中で静かにしていた。しかし、おそらくそれが気に食わなかったのだろう。つぼ巣に戻すと、こちらにお尻を向けてもぐりこみ、間もなくそのままの姿勢で冷たくなった。
 ブレイの事だから、最期も華々しいものになる(腫瘍の破裂)かと考えていたが、案外幕引きは静かであった。それでもやはり、反逆児の面目は保ったようにも思える。
 我が家にやって来て7年半近く経過しているが、ブレイの実年齢は不明で、9歳にはなっていたと推定している。幼少時の栄養に問題があったようで、片脚が曲がっていた彼であったが、我が家での生活は、まさに好き放題の傍若無人であり、彼なりに充実していたように思える。

 飼い主としてみれば、長生きしてくれた方が、その数値で満足出来る。しかし、人の一生にしても、50年で終わるのも100年長らえるのも、それぞれであり、長ければ良しというのは、周囲の勝手な思い込みに過ぎないだろう。
 100歳でも、今日の死を恐れるのが生き物であり、「100歳なら十分生きたじゃないか!」などと長さだけで云々することなど出来ない。ただ、他人の生死だから単純な尺度を使っているだけに過ぎないのではないか。
 初代のヘイスケと妻のフク、その娘たち、娘の婿、この系譜の草創期を一緒に過ごした彼らは、長生きはしてくれなかった。飼い主としては、長生きをさせてやれなかったと言える。後悔もある。しかし、気がつけば、7世代目の若鳥たちが元気に飛びまわっている。一族の繁栄もまた、一つの大きな生命なのかもしれない・・・。
 一個の長生きのために鋭意努力を惜しまないのも、一族の永続を求めて右往左往するのも、結局、飼い主の身勝手に文鳥たちをつき合わせているような気がしないでもないが、そこまで虚無的にものを考えられない私は、一時代の終焉の感慨に浸ることもなく、と言うより、すでに始まっている新時代への対応に日々追われるのだった。

 ガツもブレイも健在であった初秋、モレと婿シマの同居は、モレの困惑、小康状態、モレの小換羽、シマのつぼ巣独占と、波乱含みの展開を経ていた。しかし、最終的には箱巣に切り替えたことが功を奏したらしく、モレは10月の中旬に無事産卵をはじめた。2世が誕生し、もしオスならカンの婿にしたい・・・などと考えていたが、抱卵に失敗してしまった。残念。
 一方、ゴン系六代目オッキとオマケ系七代目ゲンも、いちおう同居させていた。これはカンとゲンの姉弟を引き離すのが主目的で、ゲンとオッキの子、我が家の8代目となるヒナは、飼育数抑制のため来シーズン誕生させる予定にしていた。何しろこの両者、特にオッキは手のひらで眠る「握り文鳥」なので、抱卵・育雛でそれを止めて欲しくないという飼い主側の思惑が、強く存在したのだ。しかし、11月になると、まったく夫婦愛といった様子を見せることもなかったにもかかわらず(交尾はしていた)、当然のように産卵をはじめてしまった。
 その頃は、ガツの急死、ブレイの衰弱といった状態にあり、モレが抱卵を失敗してもいたので、8代目の誕生を望む心境に変わりつつあった。どうしたものかと考えていたら、セーユが、オッキと同じ産卵周期になっているのに気がついた。グリとセーユの夫婦は、無精卵しか産まず(他の文鳥に仮母に出しても無精卵)、育雛経験がない。せっかくがんばって抱卵するのだから、一度くらい育雛の機会を与えてみても良いかもしれない。
 そこで、オッキの産んだ卵のうち、何となく様子の良いもの一つに墨で印をつけて、セーユたちの巣に入れる。翌々日さらに2個託してみた。約一週間後確認すると、2個が有精卵だったので、はじめから託していた卵をそのままセーユたちに任せることにした。
 巣篭もりするオッキに比べれば、ルーズな抱卵に見えるグリとセーユに不信感を持たされたが、11月29日、予定通り8代目は孵化し、案外しっかりと初めての育雛をこなしてくれた(セーユはゴンとの同居の際育雛失敗経験有り)。しかもこの夫婦は、放鳥時に10分程度箱巣を留守にしてくれるので、ヒナの成鳥をほぼ毎日観察する事が出来た。実にありがたい養父母であった。

 

38、痛快と痛恨と

 オッキとゲンの子で、グリとセーユに孵化16日目まで育てられたヒナは、8代目なので「ヤッチ」と名づけられた。
 孵化20日目には30gに達したヤッチは、鳴き声をまったく発しないが健康優良児で、何の問題もなく成長していった。そして、特徴的だったクチバシのピンクと黒の虎縞模様が消えると、実父のゲンを師匠と仰ぎ、そのさえずりを真似し始めた。つまり、幼少の頃からヘイスケ流のさえずりを口笛で聞かせ続けた飼い主の努力は、何ら報われず水泡に帰したのだった。
 物の本(『小鳥はなぜ歌うのか』)によると、若鳥はいじめられた鳥のさえずりを習う傾向があると言う。なるほど、そう言えばブレイは他のオスよりも、若いオスたちを邪険に扱っていた。ゲンのヤッチに対する扱いも過激だ。そうすると、ベタベタに甘やかす飼い主のさえずりを覚えてもらうのは難しいだろう。しかし、ベタベタに甘やかしたおかげで、ヤッチは実母のオッキ同様の「握り文鳥」となった。こうなると、さえずりなどどうでも良くなる。
 生後3ヶ月で早々にヒナ換羽を終えたヤッチは、クチバシの根元の白点が印象的な31gの堂々たる巨体に成長し、左の手のひらにもぐりこみ、右手で軽く叩いてやるとさえずりだす「カスタネット文鳥」となり、飼い主を大いに喜ばせた。

 そのヤッチの飼い主独占を脅かす事態が起きたのが、2005年の春、3月12日だ。モレとシマの二世が誕生したのだ。
 と言っても、抱卵し孵化させたのはゲンとオッキであった。何しろ、モレは前年秋より産卵・抱卵するものの、孵化直前に抱卵放棄を繰り返し、夫のシマも箱巣に巣材を入れては出してを繰り返し、ろくに巣作りが出来なかった。何度目かの失敗の後、ようやく孵化予定日まで抱卵を続けたと思ったら、なぜかその卵は蒸発してしまうという事件まで起きた。
 それに比べて、同期のオッキは「握り文鳥」なのに、産卵すれば完璧な巣篭もりをし、その夫のゲンは巣作りの名工でもあった。ところが飼い主の余計な計らいで、ヤッチはグリ・セーユの養父母に育てられ、この両名は子供はいるが育雛経験は無い。ちょうど産卵周期が重なったため、今度はモレ・シマの卵の養父母になってもらう事にし、そして難なく孵化させてくれたのだった。
 華奢なモレの産んだ卵は、オッキのそれより二周り小さく、当然孵化したヒナもかなり小さかった。心配性の飼い主には、あまりエサを与えていないように見えて成長を危ぶんだが(オッキは巣篭もりするので毎日は様子を見られない)、しっかり育ててくれた。そして、人間がさし餌をするようになると、むくむくと成長し、28g程度のやや大柄にまでなった。小さく生まれて大きく育ったのだ。

 春生まれなので「ハル」と名づけられたこのヒナは、メスならヤッチの嫁にしようと、暇さえあればヤッチと2羽で遊ばせていた。そして、ヤッチに小突かれつつ追い掛け回すハルの成長を楽しんでいた5月8日、思いもかけない死が訪れた。6代目のセーヤが急逝。

 前日、抱卵3週間たち、ついにあきらめたセーヤは、巣篭もりをやめて遊びに出てきていた。その時はいたって元気だったが、翌朝ややけだるげな様子を見せていた。抱卵明け早々に軽い卵詰まりになったのかと安易に考え、その後つぼ巣にこもったので中をのぞきこまずにいた。ところが、正午になっても姿が見えず、異常を感じてつぼ巣の中に手を入れると(つぼ巣の位置は頭の上)、いつもなら手のひらを強烈につつかれるはずが、反応無く、踏み台に乗り奥まで手を入れると、冷たい物体に触れることになった。
 唖然としながら亡骸を取り出し、卵詰まりか確認したが、卵は無かった。何ゆえの急逝だったのだろう。セーヤは私の感覚ではかなり近親交配の子であり、頭を逆立て、いつ寝ているのかわからないようなハイテンションな文鳥で、あまり長生きはしないようには思っていたが、まさか、2年4ヶ月で命数が尽きるとは思ってもみないところであった。
 聖夜に生まれ、幼い頃は鏡回しがうまい芸達者で、箱入り娘として甘やかした飼い主のことなどあっさり捨て、ヒナ毛の頃からオスのケイに強奪愛を仕掛け、それでいてビジュアル重視で、他のオスには見向きもせず、ケイが亡くなり、彼女の意を汲んで選んできた婿のクラを、まさに『秒殺』で口説いたオス文鳥キラー、そして抱卵育雛となると、一切放鳥時間にも出てこない、徹底的な巣篭もりをする文鳥であった。

 すさまじく個性的なセーヤは、疾風怒濤の勢いで一生を終えてしまった。後に残された飼い主は、セーヤが巻き上げていった砂煙の中で、一人でぼんやりしていたい心持ちであったが、セーヤの連れ合いが若いやもめになっている現実を忘れるわけにはいかなかった。
 このクラ、姿は凛々しい桜文鳥だが、やはり性格は奇妙だ。女房が巣篭もりしていて相手にされないと、ブランコの端をクチバシでつまんで放り投げ、大揺れさせてからそれに乗り、さらにボレー粉入れをガチャガチャさせつつ放り捨てるといった、かなり迷惑な芸当を披露してくれる。何を目的にするのか知らないが、「アチョ・アチョ」と掛け声を出しつつ自主トレをしているようにも見える。
 セーヤの個性にすら圧倒されなかった、この若いオスが一羽でいるのは、少々問題では・・・。
 途端に元気が無くなったり、逆に妙な方向に自主トレの成果を現したりしないようにするには、再婚が一番だ。ひとり暮らしのメスは2羽いる。昨年夫に先立たれたソウと、クラの娘カン。血縁関係の無いソウと同居させるのが順当だろう。このソウと言う文鳥も変わっていて、夫に先立たれてから奇妙なさえずりもどきをするようになっているくらい元気だから、若いオスと同居すれば喜ぶかもしれない。何しろ、父違いの妹モレの夫シマに色気を見せていて、迷惑しているところだったのだ。
 しかし、前妻の祖母と言うのはまだしも、年齢差4歳と言うのはどんなものだろう。半信半疑でソウのカゴのクラを放り込む。・・・両者ともに大喜び、あっさり仲良くなり、ソウはさえずりもどきをやめた。・・・ソウには特に長生きしてもらいたい。
 


39、百貨店のご令嬢?

 2005年5月の中旬、セーヤ急逝の余韻の残る中、メスなら八代目ヤッチの嫁にしようともくろんでいたモレとシマの子ハルは、しっかりオスであることが判明した。グチュグチュとぐぜってしまったのだ。
 かくしてこれ以降、飼い主が吹いて聞かせるヘイスケ流のさえずりなど聞き流し、血のつながりはまったく無いブレイ流のさえずりを、師匠のヤッチを付け回し伝授されることになったのだった。我が家生まれのオスはすべてブレイ流、腹立たしいが、奴の影響力には敬意を表さねばなるまい。

 かくなっては、ヤッチの嫁を探さねばならない。思い立ったら早い方が良い。否、遅くてもかまわないと理性は反論するが、やはり早めに決めてしまうのだ!
 今回の目標は「小柄で端整で色の濃いメスの桜文鳥」である。具体的な理想像は我が家のモレだ。なぜなら、ヤッチはかなり大柄だから、小柄な相手の方が釣り合いがとれる可能性が高いように思えるのだ。何しろモレは、大柄なシマとの間で小さい卵を安産し続け、その小さい卵が適度な体格に育っている。この例に倣いたい。
 目標を決めたら、見つかるまで探し続け、見つけたら万難を排して手に入れる。そのようであらねばなるまい。かくして、嫁探し作戦が始動する。

 これはまったく自慢にならないことだが、私ほど多くの鳥を売る店を見て回った人間というのも珍しいだろう。また、一店あたりの滞在時間の短さも、尋常ではないと思われる。何しろ、文鳥の姿が無ければ、一秒もとどまらないのだ。ちなみに、嫁や婿探しと言う目的が無い限り、わざわざペットショップに近づくと言う趣味は無い。総じて汚く、総じて店員が無知なので、長居したところで楽しくも何とも無いのだ。
 今回も、次々とすばやく見て回る。未踏の近隣市町村を含め、『タウンページ』の「ペットショップ(鳥)」に掲載された店を中心に、しらみつぶしにしていく。当然さっさと見つかれば苦労しないのだが、探している時には、簡単に見つからない。探していない時は、やたらと見栄えの良い桜文鳥に、ごく近所でしばしば出会うにもかかわらずだ。これは、日ごろの行いが良すぎるために相違ない。

 横浜市中部から見て西方面(海老名市まで)、南方面(横須賀市まで)の探索は空振りに終わった。周辺探索では、昔から良く知っている日の出町の鳥獣店(ナツを購入したお店)が閉店していたのは、痛恨事であった。この店は右隣が鶏肉屋、左隣が鶏料理屋という、得がたいロケーションの店であったものを!

 気を取り直し、北方面。何軒か経巡り、東海道、京浜東北、南武線及び京浜急行などが絡み合うK駅前の老舗百貨店にたどり着く。
 七階にあるペットコーナーには、さまざまな成長段階の文鳥のヒナ達がいた。実に素晴らしいと感動しつつも、探すのは成鳥の桜文鳥だ。ペアが売られていた。顔が大きくもっさりした感じで配色のはっきりした文鳥と、華奢で目が驚くほど大きく配色のはっきりした文鳥。普通に考えれば、華奢な方がメスだが、それなら目標ラインに十分達している。しかし、ペア販売なので、買うとなればメスだけ売るように交渉せねばならない。まだ、この日訪問を予定していたお店が5軒ほど残っていたので、すべて見てからにする。

 東急東横線の各停しか停まらぬS駅という、何とも中途半端なところには、なぜか2軒も小鳥屋さんが存在している。ごく至近距離なので、手前の東急東横線と南武線の接続駅であるM駅から、ぶらぶら歩いて行くと、まず古風な鳥屋然としたお店がある。雑然とした感じの店内に、なかなか良い姿の桜文鳥がいたが、当たり前のように値札もなければ、オスかメスかもわからない。K駅の文鳥により魅かれるので、わざわざ訊くまでもないので、パス。
 続いて線路沿いのペットショップだが、こちらは実にきれいに管理されていて好印象だ。店内でペアで展示されている桜文鳥は白羽が多く基準外であったが、店頭のくくりつけのカゴに、なぜか一羽で入っている桜文鳥は、まさに私のタイプであった。タイプ、私の場合は、やや小柄で、頭が少々平べったく、ほっぺたがふっくらして、目は大きからず小さからず、色ははっきりした胸に桜のぼかしがある文鳥 。

 じっと観察する。私の目にはオスともメスとも判断しがたく、それでも外見的には60%メスの印象を持った。5、6分さえずるかどうか見ていたが、その様子は無い。店内に入り、店主と思しきおじさんに、「桜文鳥のメスが欲しい」のだが、店頭の桜はメスかオスか尋ねる。
 このおじさんは、誠実な人格の人に相違ない。確かにそう見えるし、店頭に行き、件の桜を取り出して、ためつすがめつ悩んでいるのを見れば、その生真面目さは疑いようも無いのだ。

 「これはオスですね」

 ・・・。その誠実な御仁が悩んだ末に下したさわやかな決定を、あだやおろそかに出来ようか。まして、「メスの方が高いのだからメスと言う事にして売れ!オスだったら返金すれば済むではないか!」といった商売上まっとうだが、人として誠実かどうかは怪しいかもしれない提案を、客の方から持ちかけるのもいかがなものだろう。わざわざ、「メスを探している」と言ったのは、わからなければ、メスの値段で売ってもらいたいと言う意味だったのだが・・・。私はほぞをかむ思いであきらめざるを得なかった。

 その後数軒めぐったが、めぼしい文鳥にめぐり合えず、次善の策、K駅の百貨店に戻る。
 万一にも華奢な方がオスだと困るので、もっさりしたのがさえずるのを確認しようとカゴの前で待つ。このペアはなかなか仲が良い。普通に考えれば、一方がさえずれば、一方はメスの可能性が高いはずだ。
 ところが、この文鳥がなかなかさえずろうとしない。かたわらで店員のおネエさんが、インコ好きオババ2人に絡まれつつオカメインコに餌付けをし、さらにオババたちが帰り、今度は店奥から持ち出してきた文鳥のヒナに、おそろしく高速で餌付けする様子を、『なかなか良い手さばきじゃわい』と横目で感心しつつ・・・、つまり20分はたたずんでいたが、さえずらない。
 いい加減じれて、おネエさんが成鳥たちに並んで展示してあるヒナたちを餌付けのために取り出しに来たのを幸い、どちらがメスかわかるか尋ねてみた。すると案外あっさりと、目の大きな方を指してそちらがメスだと言うではないか。それなら話しは早い。メスだけ欲しい旨を伝える。店側がメスだというのだから、万一オスなら取り替えてもらうのに何ら支障がなくなる。
 この客の申し出を、その店員のおネエさんは、上司だか責任者に電話で伝えて指示を仰いでいる。その間、ようやくもっさりした方がさえずった!これでかなり安心だ。

 まともなお店だったので、ペアでないと売らないなどとは言わず、値段もペアで9450円のところを、メスのみで5250円であった。こちらが無理を言うのだから、6000円くらいは当然、7000円でも文句なし、それ以上の提示なら「責任者を呼べ!」と言わねばならないと考えていたので、非常に上首尾といえる。
 抜かりなく、「万一オスなら取り替えてもらえますよね」と念押しして購入した。名前は、百貨店の名前をとってサイカ、略して「サイ」と呼ぶことにする。

 


次へ進む       戻る