40、オマケをめぐる新たな展開(前編)

 八代目の嫁候補のサイは、その華奢の姿とは裏腹に精神的には野太いものがあり、あっという間に我が家の生活を謳歌するようになっていった。

 そうした新入りの日々の変化を楽しんでいた2005年6月14日、三代目のクルが息を引き取った。
 昨年ブレイと同居していた頃から、クチバシの色が芳しくなかったが、その後オマケの求愛で同居するようになっていた。オマケはかなりしつこい性格なので同居を危ぶんでいたが、オマケは祖母にあたるクルの介添えをし、クルもオマケを頼るようにして安穏とした日々が過ぎていた。オマケという文鳥は、ほれた女、自分の女房にはすこぶる優しいのだった。
 それでも、クルは少しずつ段階を経ながら衰弱し、6月には呼吸も開口気味になり、さらにクチバシも青紫にチアノーゼ症状を示すようになっていた。しかし、オマケと別居させるとさびしげに鳴くので、同居させつつカゴをバリアフリー化して対応するに止めた。そして明らかに素人判断ながら、不治の病と見なし、7歳のクルに通院や、投薬によって別居看護する道を避けることに決め、すでにその時が近々にやって来るのを覚悟していたのだった。
 徐々にと言うより段階的に衰弱していき、前日まで放鳥時間には自分で飛んで出てきていたが、14日夜にはそのような力は無く、気づいた時にはすでに下半身が硬直していた。とりあえず、スポーツドリンクを数滴飲ませ、下段のつぼ巣に戻した。9時頃にオマケが帰宅した時には、迎えに出て来て、そしてまた自分でつぼ巣にもぐりこんだので、まだ頑張ってくれそうに思えた。しかし、10時半過ぎに様子をうかがうと、下段のつぼ巣で眠っているとしか見えない姿で亡くなっていたのだった。やすらかに。

 かくしてオマケは三度妻に先立たれてしまった。ハン、ガツ、クル。何しろ自分で選り好みして、年上の女房ばかりもらったのだから自業自得には相違ないが、さすがに哀れだ。しかし、これでゴマ塩が好きと言うオマケ好みにあったメスは我が家にはいなくなってしまった。
 いつもの例では、妻に先立たれると、飼い主に彼流のやり方で甘え
(「オマ、オマ!」と呼ぶと「チィヨン」と返事しつつ左右の腕を何度も往復し、耳元でさえずり、耳たぶと首筋に噛み付く)、やがて自分の本命のメスを決めると、一転して飼い主を完全に無視して追いかけまわすのだが・・・。今回は好みのメスがいない。仕方がなく飼い主にまとわりついて生活するようになった。

 オマケは飼い主を愛ジンと思って生活することは、はなはだしく迷惑であった。何しろオッキやヤッチという、我が家では稀有と言える手のひらの中でくつろぐ文鳥たちと、至福の時を過ごすのを邪魔され、さらに彼の首筋つつきはかなり痛いのだ。
 それでも、以前嫁として同居させたセーユをいびり倒した前歴のあるオマケの相手を新たに探すのは気が進まない。第一、すでにひ孫までいる5歳で「バツ3」のおじさんだ。のんびり一羽暮らしで良いではないか!
 しかし、秋になって事態は容易ならぬ展開を見せ始めた。すでにヤッチはサイと同居しその尻に敷かれ、つややかで美しい毛並みの桜文鳥に成長したハルも、カンと同居するようになり、気づけば一羽暮らしはオマケだけになっていたが、この状況下でオマケはナツ、ソウという多少白い羽の多いメスにさえずるのは想定内だが、なぜか濃い桜文鳥のオッキに付きまとうようになってしまったのだ。どうやら、手のひらにもぐりこむオッキを追い立てているうちに、特別な感情を抱くに至ったらしい・・・。
 思い込むとオマケはしつこい。ゲン・オッキ夫婦がくつろいでいるのを邪魔するし、このまま繁殖シーズンが深まっていけば、一体何をしでかすか知れたものではない。

 オマケの行動がエスカレートしないうちに、うまくいくかどうかは別にして、嫁候補を探してみることにした。白っぽいのが好きなのだから、いっそ白文鳥なら文句はあるまい。もしオマケがえり好みしてペアリングに失敗しても、久々に白文鳥を鑑賞出来るのは飼い主的には歓迎だ。これは繁殖を前提にし桜文鳥の子供を残そうとする我が家では、滅多にない機会と言える。
 しかし、すでに17羽おり、9代目誕生も視野に入っている状況で、数を増やすのは避けたいのが本音であった。そこで、一日探して気に入ったのがいなければ、縁が無かったとあきらめることにして、9月下旬の雨模様の中を出発した。

 最寄り駅は相鉄T駅の小鳥屋(金魚屋)さん。ここは真冬でも店先に鳥カゴを並べて売っている店だが、文鳥のペアの値段が驚くほど安い。いつも売っているわけではないが、桜4500円、白5000円、シナモン6000円、シルバー8500円と言った具合だ。これはよその1羽の値段と変わらない。
 この日は白ペアと桜ペアがいた。白ペアの一方は相方より体格は大きいがメスの顔立ちをしていて、我が家のゴッドマザーであったフクを思い出させる。ちょっと見るうちに相方のほうがさえずりだした。
 オマケは華奢な文鳥のほうが好みのような気がしないでもないが、さっさと決めてしまうことにして店内に入り、店主のジイさんとその娘か何かのおばさんに、白文鳥のメスだけ売ってくれないかと訊く。ところが、入れ歯をどこかに忘れたらしいジイさんは、この客のごくまっとうな申し出を拒絶したではないか。

 「文鳥は片方いなくなると死んじゃうもん。カワイソウだ。」

 この道半世紀以上かも知れぬ人物が、この程度の認識だから困る。確かに、相方に先立たれた文鳥は元気が無くなる。高齢であればそのショックから健康を損なうこともあるだろう。しかし、健康で若い文鳥であれば、明るくさわやかに次の相手を探すのが自然の営為と言うものだ。第一、ジイさんの思い込みが真実なら、三度妻に先立たれたオマケなど、何で生きているのか!
 家庭での飼育とは比べ物にならない粗食と、屋外にさらしっぱなしの展示、このような無茶な環境を前提にしている限り、何かの拍子で病気になれば助かりようも無い。一羽になった一時的ショックの中で、一羽寒風に吹きさらされていれば、病気になるのも不思議はないが、それが普通だと思われたらたまった物ではないのだ。
 当然、これが繁殖目的に桜文鳥を探していて、この店にいたのが意中の文鳥であれば、くだらぬ能書きなどに黙っているはずはなかった。安いのだから2羽分の値段を払って、「死ななければジイさん得するなあ!」くらい言ってのけているところだ。しかし、「これでいいや」程度の気持ちしかないのに、無理押しして、いちおう残された文鳥のことを考えての拒絶を無にするのは気が引ける。ここは、商人らしからぬジイさんの優しさを尊重して
(その場しのぎの遁辞の可能性も疑えるが・・・)、次の店へ向かう。

 最寄り駅は京急I駅の鳥獣店。通路に一羽のウサギがのさばっている。踏んづけないようにしながら文鳥を・・・、嗚呼、素晴らしい桜文鳥がいる!ペアで売られている一方、濃い色と立派な体格を誇りつつさえずっているではないか。しかし、探しているのは何としたことかメスなのだ!その相方に注目すると、こちらは白羽が多く小柄で毛つやも悪くみすぼらしい。白羽が多いと言ってもゴマ塩でもないので、魅かれる点がまるでない。
 その横のカゴには・・・、嗚呼、白文鳥とペアでいるのは、たぶんメスの桜文鳥だが、これが何と素晴らしい胸のぼかしであろうか!まさに理想的な姿ではないか!何で白文鳥を探している時に限って、こういった文鳥たちがいるのだろう!!
 日ごろの行いが良すぎる結果生じたに相違ないこの運命の皮肉を嘆き、この店には珍しく納得いく白文鳥がいないという「幸運」を悪魔に感謝しつつ、次の店に向かう。

 最寄りに駅などないH埠頭近くのショッピングモールはずれのペットショップ。小鳥コーナーの入口横に白文鳥のペアが「特価3800円」「カゴ付」「抱卵中」などと言う文字が書かれた張り紙とともに売り出されていた。おそろしいまでのディスカウントではないか。
 見れば、可もなく不可もないが、クチバシの血色が悪い白文鳥ペアが右往左往している。つぼ巣には2、3個の卵、抱卵中でなく産卵中のようだ。それにしても、その巣は明らかにくびれがきついコキンチョウ用のもので、この巣も売れ残りの二次利用のようだ。
 他は5羽ほど性別不明の桜文鳥。産卵中を特価品とされて、落ち着かない環境で仲良く生きている2羽の白文鳥を引き裂くのは、さすがに出来かねる。彼らの将来の幸運を祈りつつ次の店に向かう。

 

41、オマケをめぐる新たな展開(後編)

 最寄の駅は京浜東北線(根岸線)I駅の小鳥屋さん。すでにかなりくたびれたので、ここにいなければあきらめようかと思案しつつ店内に入る。文鳥は一羽だけいた。しかも白文鳥だ。換羽中のようだがかわいらしい姿をしている。と、5秒と経たないうちに店主のオバちゃんが斜め後方に接近して来て、その文鳥について説明を始めた。もちろん文鳥を探しているなどと一言も言っていないのだが、このサービス精神こそこの御仁の本領なのだ。
 その語るところによれば、この白文鳥はメスで生後10ヶ月、メスが一羽で売られることは珍しく、頼まれてもオスばっかりで困ってしまっているのだ云々かんぬん、であった。メスで10ヶ月、可憐な感じのその姿、いったい何の問題があろう!買いだ!しゃべり続けるオバちゃんに、値段も訊かずに「これ、買います」と告げる。
 すると、オバちゃん今度は飼育上の諸注意に話を転換させた。曰く、しばらく「長いの」を与えて、外には出すな
(温度変化で体調を崩すから)云々かんぬん。「長いの」とは一包み持ってきたのを見れば、カナリアシードであった。「ああ、カナリアシードか」と思わずつぶやく。そんなもの嫌と言うほど食わせてやるし、第一、我が家の場合、新入りのエサには乳酸菌だって混ぜてしまうのだ。しかし、そんなオバちゃんの知らない世界の話を持ち出し、話を長引かせるのは得策ではない。ひたすら寡黙を押し通す。
 オバちゃんは、話の合間ごとに、何度も何度もその白文鳥がきれいだろうと相槌を求めるので、その都度、確かに「かわいらしい」と答える。その文鳥はやや華奢で、頬の下広がりの顔、目はやさしげで、可憐な印象を持たせるが、凛とした美しさは感じられない。ウソはつけないのである。

 話しながら、値段を言わなかったことに気づいたようで、3500円で消費税はまけてくれると言う。価格も良心的過ぎるくらいだ。これでようやく無駄話は終わるかと思ったが、さらに「菜っ葉」はお宅で使ってるので良いとか何とか付け加え、件の白文鳥をカゴから取り出した。そして、さらにその白文鳥の頭を示しつつ、頭がひらたいからメスだとか、クチバシが細いのがメスの特徴だとか、一部眉に唾すべき説明を始めるではないか。実に念が入っている。仕方が無いので、なるほど、なるほどと適当に相槌を打っておく。
 はっきり言えば、個人的に何の役にも立たない長講釈だが、これだけ熱心なのは飼育初心者には貴重だ。また、この御仁のおしゃべりは嫌味が無いので嫌な気分にはならない。下町オババの世話話とは、本来こんな雰囲気のものなのである。
 勘定をしようとしたら、また不安になってきたのか、「長いの」をやってくれて再び言う。口を塞ぐ意味で「それも下さい」と言って、カナリアシード一包み200円も買うことにする。家にはたくさんあるが、そう簡単に腐るものでなし・・・。

 店の世話焼きオバちゃんかわいがられた白文鳥は、カゴに入れ隔離部屋に移されると、緊張のため身動きもしなくなった。名前は、もう面倒なのでシロとした。分かりやすくて良いではないか。
 そのシロは一夜明けても固まったままなので、これはまわりに文鳥がいないと駄目なのかもしれないと考え、また購入先がさほどひどい衛生環境でもないので、我が家の文鳥たちの居住スペース「文鳥団地」の左隅の空スペースに移動させた。シロは他の文鳥の声と、隣カゴの文鳥の姿に安心したようで、水浴びなども始めくつろぐようになった。
 さらに次の日の夜、放鳥デビューさせてみた。カゴの入口を開けて放っておいたのだが、他の文鳥たちの姿を追って自分から出てきた。しかし、まるで飛べず、鳥のくせに這い歩いてカーテンにしがみつき、必死によじ登ろうとする。
 危険飛行防止のため、あらかじめ両翼の風切りを3枚ずつ1枚ごとに間引いておいたが、その程度で飛べなくなることは無いので、根本的に筋肉が不足しているようだった。確かに飛ぶ以前に羽ばたくことすら満足に出来ておらず、拾い上げてみれば体はフワフワしていて頼りない。動きももっさりしていて、文鳥らしい機敏な様子は見られない。これは、長らく
(もしかしたら生まれてからずっと)せまいカゴで生活していた結果なのだろう。良く言えば深窓の令嬢、悪く言えば・・・いや例えはやめておこう。

 運動神経ゼロの鈍くさいシロを、オマケがどう扱うか、それが問題であった。しかし、この点はまったく問題なかった。カーテンをよじ登ろうともがいて拾われたシロは、置いてやったテーブルの上から近くのすだれにしがみついて何とかよじ登り、カーテンレールで一息ついていたが、他の文鳥たちがみな無視する中で、オマケのみが接近を試み、カーテンレールにクチバシをこすりつける「照れのポーズ」をとりはじめた。明らかに一目で気に入ったのだ。やはり彼は色白が好きだったのだ。
 これが娘のセーヤだったら、押しの一手で気に入った新入りをあっさり手なずけたに相違ないが、オマケはなぜかシャイだ。今ひとつ接近しきれず飼い主の元に報告に来る。シロにさえずれば良いのに、なぜか飼い主の肩に飛び降りてきてさえずる。「きれいな子がいるけど、どうしたらいいのか?」と聞いているように思われた。そんなこと知るか、実に歯がゆい。
 そういった状況が2、3日続いた。しかし、何となく近づいて行為を示すオマケの誠意は、シロの鈍い頭にも通じたらしい。放鳥3日目には少し飛べるようになったシロが、オマケの後を付いていくようになり、4日目には一緒につぼ巣に入るようにまでなった。
 その様子を見てカゴでの同居を始め、すべてはめでたしめでたしであった。


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