旧王朝の物語


 人には触れたくない過去がある。私の児童生徒時代の文鳥の記憶もそれである。今の文鳥の飼い方にしても、正統派の人には怒られそうなものだが、昔の飼い方ときたら、今思えば、ゾッとする信じがたいことだらけ。昔の私は文鳥に対してもまるで無知なうえに関心も薄く、親(父親)の飼育方法を疑いもしなかったのだが、ありのまま記すと気分を悪くしかねないもののように思う。
 しかし、あえて私はここで昔の記憶を掘り起こす。なぜなら悲惨な過去には多くの教訓が・・・、それは私の今の飼育に生きているし、『悪い例』として価値があるかもしれない・・・。

第一回

 それが劇的であれ、平凡であれ、ものには始まりがあるはずです。文鳥との出会い、あれは何時のことだったのでしょうか・・・。

 そうです。我が家が文鳥を飼うことになるきっかけは、父の気まぐれ以外のものではありませんでした。何の相談も前触れもなしに二羽の桜文鳥のヒナを買ってきたのです。大方、珍しくパチンコの出玉が良かったか競馬で少し当てた時に、ペットショップの前を通り衝動買いしたものと思われます。小学生だった姉と私はもちろんこのかわいい生物に大喜びしたものでしたが、子供のためを思って買ったものではなかったようです。
 小さな紙箱から出された灰色のヒナは、かなり大きくなっていて、すでに少し飛んでいたような気がします。何しろ昔のことなので、はっきりとは覚えていません。大体何年のことだったかも確かではないのです。多分1978年の秋、もしくは1979年の春のことだったと思うのですが…、もう歴史の彼方といって良いでしょう。

 以降20年以上同居することになる文鳥たちの、はじめを飾るこの記念すべき2羽の文鳥はピーコとガチャコと名づけられました。何故そのような名前になったのかも今となっては闇の中ですが、もしかしたら『おすぎとピーコ』がテレビに登場していた影響かもしれません。
 さて、名前の由来が原因となったのでしょうか、この2羽の性別も名前に反してオスでした。文鳥の名前は性別がどちらでも問題とならないようにしたほうが安全なようです。

 ピーコとガチャコは手乗り文鳥でしたが、毎日不定時にカゴから外に出して遊んでも人間にベタベタするでもなく、普通のハナたれ児童の私に強烈な印象を与える特徴を持っていなかったようです。外見的にはガチャコのほうが白い差し毛が多い桜文鳥であったような気がしますが、やはりあまり覚えていません。ただ大変兄弟(本当の兄弟かはわかりませんが)の仲は良く、一緒に生活し中性の様子も見せず、お互いにさえずっていたように思います。しかし、一体どんな鳴声だったのかも残念ながらわかりません。

 この二羽をどのように飼育していたのか、当事者は父なのではっきりとはしませんが、むき餌オンリー、ボレー粉は入れっぱなし、ごくたまに小松菜という、貧しい食事に終始していたことはまず間違いありません。当然エサは入れっぱなしで、減ってくると補充するといういい加減なものでした。
 まあ、何となく文鳥を飼う場合は、その程度というのが現実だったのかもしれません。そして、文鳥はそれでも立派に大きくなるわけです。それどころか、結果的に五代も繁殖したのですから、本質的にずいぶん丈夫な小鳥に違いありません。

 さて、いい加減な気持ちにもかかわらず、文鳥の繁殖を企図したらしい父は珍しく飼育書などを買ってきていました。考えてみれば、最初から二羽のヒナを買ってきたのは、繁殖させる目論見があったからかもしれません。どこかで文鳥の繁殖の話を聞きかじり、いつか自分もやってやろうと機会をうかがっていたような気がします。何しろこの人間にしては随分手回しが良いのです。

 当然秋になったら、ピーコかガチャコに嫁を迎える算段だったはずですが、1979年の夏頃、またもこの父なる人間が妙なことをしでかします。草野球をするために出掛けて行ったある日、帰ってきた彼の手には桜文鳥が握られていたのです。
 ルールはほとんど知らないが、とりあえずナイター中継を欠かさない巨人ファンで、バットとグローブを持っている暇な自営業草野球オヤジであったこの人物は、近所の広場でその桜文鳥を見つけたのでした。この放浪文鳥が一体どこから飛んで逃げてきたのかは見当もつきませんが、腹も減って困り果て手乗りであったので、進んでこの怪しい人間に近づいてきたようです。そこで自営業草野球オヤジは貧乏庶民的な「拾い物、得した」という気持ちにあくまで正直に捕まえて、得した気分で家に連れてきたわけです。従って、余計なものを拾ってきたと思っている家族から、他に欲しがった人は現場にいなかったのかと聞かれると、そんなことは考えもみなかったという事実が浮かび上がるだけなのでした。

 遺憾ながら、そこに動物愛護といった精神のかけらすら見出せないのですが、多少の計算はあったのかもしれません。何しろこの放浪文鳥がメスなら、まさにもうけものといえるでしょう。しかし世の中そう甘くはありません。完全無欠にオスだったのです。意地汚い考えは失望に終わったのですが、何と彼こそが初代のオス文鳥になるのですから、まったく世の中は奇怪至極です。


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