旧王朝の物語


第二回

 困った挙句、草野球オヤジに助けを求めた文鳥は、放浪していたくせに肉付きが良かったのでブクと名づけられました。先住の2羽のオスを従える腕力もあるきれいな桜文鳥で、人懐っこく、何よりさえずりが素敵でした。きっと前の飼主にウグイスの鳴き声を教わったのでしょう。「ホー・ホケキョ」の要領できれいにさえずったものです。
 隣の長屋に住む植木職人のオジさんは、
 「『ジャイアンツ・ジャイアンツ』と鳴く文鳥がいる。」
 といって大変喜んでいました。熱烈な下町巨人ファンにはそのように聞こえたのでしょう。

 秋になると,ブクをいれた鳥カゴを持って出かけた父が、2羽に増やして戻ってきました。ブクの嫁を買ってきたのです。それは淡い感じの色をした、細面の美しい鳥でした。父はつがいで売っていたのをメスだけ買ってきたのだと、やたら得意げに話していたような記憶があります。ハムスターを飼っていた頃、ヒマワリの種などを買いに行っていたお店で見つけたようです。
 名前はチャコとなりました。サザンオールスターズが『チャコの海岸物語』を歌う以前のネーミングです。『ケンちゃんチャコちゃん』というのもありましたが、何故そういった名前になったのか全く記憶にありません。おそらく小学生だった姉の発案ではないかと思います。

 さて、どうして3羽いるオスのうち、よりによって本来よそもののブクに嫁を迎えることになったのでしょう。おそらくたいした意味はなく、一番愛想が良く容姿も優れていたので人間受けが良かったからではないかと想像しています。よそ者を差別しないのは横浜という都市の人間(ハマッコ)の美点のようですが、この場合は、たんに先住の2羽にさほどの愛着がなかっただけだったと思います。ただ、ピーコとガチャコ兄弟は仲良く2羽で暮らしていたので、それを引き離すより、一人暮しのブクに嫁を迎えた方が自然だったかもしれません。ブクは得をしたわけです。

 ブクとチャコは大変仲の良い夫婦でした。幸運にも、どちらも性格的な難点のない鳥だったのです。父は飼育書にあるとおり巣箱を買うなど、まめに環境を整えました。そして、やりすぎました。どこにあったのか知りませんが、古い流し台を改造して庭篭(ニワコ)を作るという不器用な人間にしてはシャレた事をして、数羽の十姉妹を外で飼いはじめたのです。どうも、飼育書に繁殖にはニワコが有効だとか、十姉妹を仮母にすると良いなどと書いてあるのを鵜呑みにして、深く考えないで表面的に真似したようです。マニュアルの悪い利用例といって良いでしょう。
 もちろん、静かに繁殖させるにはニワコは有効かもしれませんが、肝心な文鳥の方をカゴで飼っているのでは話になりません。第一そのニワコが置かれているのが、車は通る、人は通るの商店街近くの騒々しい道路に面した処でしたから、全く意味がなかったのです。

 無意味に外で寒い思いをしている十姉妹たちの手をわずらわせるまでもなく、ブクとチャコは簡単に卵を産み、孵化させ、成長させました。「仮母にするには十姉妹」という部分は見たものの、どのように卵をすりかえるかといった細かい配慮については読み込んでいなかったので、結局十姉妹は「意味ないジャン」の存在になってしまったのでした。
 さらに、せっかく3羽かえったヒナを手乗りにすることにも失敗してしまいました。家族の見守る中、父が巣箱を開けて取り出した時には、すでに羽は生えそろい、当然人間を恐れヒョコヒョコ歩きまわりだしたのです。その時の様子は鮮明に覚えています。児童の私も随分落胆しました。今考えると、すでに孵化3週間を過ぎ4週間目に近かったものと思います。慎重過ぎたのかもしれません。

 手乗り化の時機を逸した3羽は巣立ちまで子育て上手な両親に育てられ、美しい桜文鳥の三姉妹となりましたが、手乗りでない彼女たちには名前がつけられませんでした。いや、あるいはつけたこともあったのかもしれませんが、人の手に乗らない彼女たちは『名無しの三姉妹』としか呼ばれず、人間に愛されることはありませんでした。やはり文鳥を家庭で飼う場合、孵ったヒナは手乗りにした方が良いのかもしれません。


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