旧王朝の物語


第三回

 三姉妹の失敗を教訓にして、次にブクとチャコの間に産まれたヒナは手乗り化に成功しました。ビビとボンチです。これも時期ははっきりしませんが、三姉妹の巣立ち後すぐ、1980年の春のことだったと思います。
 あの頃は「漫才ブーム」で、『お笑いスター誕生』という番組が人気で、そこでは『シティーボーイズ』のオオタケマコトが包丁を振り回し、『小柳トム』だった今のブラザートムはアフロ頭で警官の扮装をし、若き『とんねるず』は落選を重ねるなど、今は昔のことがたくさんあったように記憶していますが、初の自家繁殖による手乗りの二羽の名前も、漫才コンビからのものでした。『ビーアンドビー』と『ザ・ボンチ』。両コンビともいまや有名無実ですが、当時はビートたけしの『ツービート』より人気があったかもしれません。しかし両者を代表する「もみじ饅頭〜」「オサムちゃんで〜す」というフレーズの何が面白いのか、同時代人以外に説明するのは絶対の困難を伴う作業には違いありませんが…。

 児童の私もこの2羽の餌付けに参加していたはずですが、ほとんど記憶にありません。友達と遊ぶのが忙しくて文鳥に多くの関心を持っていなかったのも確かですが、たんに記憶力の問題かもしれません。
 ですから、この2羽にしてもヒナの時から二羽であったのかさえ確信が持てないのです。もう一羽いたような気もします。ヒナの段階で死んでしまったのかもしれません。何しろ当時はヒナを餌付けするのに粟玉すら使わず、普通のむきエサを湯漬けにして与えていました。そしてそのむきエサというのも、カナリアシードなど殻がついたものも混じっている代物だったのです。そのようなもの食べさせれば消化不良をおこすに決まっているではありませんか!
 従って、当時のヒナ段階での死亡率は驚くほど高かった(50%くらい)のです。現在の系統はヒナ段階では1羽も死んでいませんから、いかに無茶な事をしていたかわかります。

 さらにもう1羽いたとして、普通の児童なら、餌付けしていたヒナが死んでしまったことに対して、強烈な印象をとどめるてもよさそうなものです。ところが私の場合、すでに幼稚園段階で亀やら昆虫やらいろいろ飼い殺しにするという男の子にありがちな体験を完全にしており、さらにハムスターが自分の子供を食べてしまうという衝撃的現場を目撃していたり、そのハムスターの謎の絶滅を経験していた(一時20匹近くいたようです)ので、生物の死に対して、かなり鈍感になっていたのでした。

 アホな児童とその家族、無知な飼主のもとでも生き残ったビビとボンチは兄妹だったようです。これも「ようです」なのです。何しろボンチがメスだったのは確かなのですが、ビビがオスだったと言いきれないのです。「ビビはオスだった」とあやふやな記憶があるだけで、明確な記憶を残す前にビビは逃げてしまいました。
 鮮明に記憶しているのはビビが日の光の中に飛んでいってしまった光景です。どういった経緯かこれも覚えていないのですが、とにかくビビは二階の窓から逃げ出し、隣の家(平屋)の屋根に降りて、こちらの様子をうかがっていました。赤茶けたトタン屋根に一羽の桜文鳥。母、姉、私、人間たちは大慌てで名前を呼び、仲間の鳥かごを持ち出し誘おうとしたりしました。彼はこちらを見ながら少し考えている様子でしたが、頭上をスズメ数羽が飛んでいくのにつられて、陽射しの中に消えていってしまいました。飛んでいった方向を探しましたが無駄でした。どこまで行ってしまったのでしょう。それは、おそらく夏の日のことでした。


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