旧王朝の物語


第四回

 1羽残された母似で美形の桜文鳥ボンチでしたが、1980〜81年の冬には兄弟が生まれました。トドと文次(ブンジ)です。ただ、この家系は3羽ずつヒナを孵したという印象が強く残っているので、ひょっとしたらもう一羽いたかもしれません。この辺は記憶があいまいです。しかしいずれにせよ、この兄弟たちは成長することなく、みな死んでしまいました。
 記憶に残っている2羽のうち、まず文次が死にました。あまり毛が生えていた印象がないので、孵化3週間程度だったのではないかと思います。文鳥で次男だからブンジだったのでしょう。安易な名をつけられ、あいまいな記憶しかない彼の死因は、おそらく消化不良と思います。
 トドの方はかなり印象に残っています。こちらは羽がすっかり生えそろう4週目くらいまで生きていました。脚が曲がった真っ黒なヒナが、エサをせがんで必死に腹ばいでやってきた姿が記憶に残っています。そのしぐさは海獣のトドを思わせ、また羽毛を膨らまし加減にしているので丸く見えたため、その姿は絶滅した(実はみんな人類が食べてしまった)飛べない鳥『ドゥ−ドゥー』を連想させたのでドドと呼ばれたのだと思います。

 「グワ・グワ」いいながら這って人に近づく様子は、実にかわいらしかったのですが、全くかわいそうなことをしてしまいました。今思えば、そんな無理な運動をさせては絶対にいけなかったのです。あれは栄養失調からくるいわゆる脚弱症の症状で(むきエサの湯漬けだけしか与えていなかったので、今までこれにかからなかった方が奇跡なのかもしれません)、とにもかくにも食事の改善が必要だったと思います。ところが、当時小学生の姉弟は、飼育書から脚弱症らしいということはわかっても、曲がった脚を矯正するには添え木が必要らしいとか、そういった二次的な対処法ばかり気にして、結局何の有効な手段も打てぬままに死なせてしまったのでした。
※ カルシウム不足による骨の未形成、ビタミンD不足による人間のくる病と同じ症状、ビタミンB1不足による人間の脚気と同じ症状、こうした諸要因による歩行困難を脚弱症と総称するもののようですが、差し餌段階の文鳥のヒナの場合は、総じて栄養失調と言って良いと思います。
 なお、今あの状態になったら、獣医に行くしかないと思うのですが、当時は小鳥を獣医に見せるという習慣が社会的に希薄で、第一小鳥を診ることの出来るところはほとんどなく、従って『獣医に連れていく』という選択肢がこの家族の頭にははじめからありませんでした。
 あの時、少なくてもボレー粉や煮干や青菜でもすって与えて、安静に気を使っていれば助かったかもしれない、少なくとも市販のあわ玉でも買ってくるくらいのことは出来たのではないかと、さすがに後悔しないわけにはいられません。それだけドドは思い入れの強い鳥となりました。

 さて、ドドとブンジが入っているフンゴ(フゴ)の中には、他にも何羽かのヒナがいたように思います。十姉妹のヒナです。何を思ったのか、例の父は外の流し台改造ニワコで生まれた十姉妹のヒナの餌付けを始めたのです。どうせ何の理由もなく、せっかく生まれたから手乗りにしないともったいない(このままだと十姉妹が存在する意味がない)とでも考えたのでしょう。全く行き当たりばったりなのです。
 文鳥に比べれば、格段に口の小さい彼らの餌付けは耳かきで行われ(給餌スポイトは大きすぎて口に入らない)、面倒この上なかった記憶があります。多分4羽ほどいました。フンゴの中には文鳥2、十姉妹4、都合六羽のヒナが仲良く同居していたわけです。

 そして悲劇が起こってしまいます。

 真冬だったものですから当時はコタツがあって、餌付けが済むとその端にヒナたちをいれ、コタツの上掛けを掛けていました。暖かく暗いところでヒナたちもすやすやと眠っていた事でしょう。そこに重圧が加わったのです。父の足でした。間の悪い人間はどこまでも間が悪いのです。この人物は、気づかずにヒナの眠る上掛けを踏んでしまったのでした。児童の私も姉もその場にいたので注意を促せば良かったのですが、こうした場合、普通なら通る必要もない方向に足を踏み入れたりするから不思議なものです。
 下敷きとなった1羽は我々の目の前でのたうちまわり死んでしまいました。ショックでした。踏んだのが上掛けの端であったので、被害は1羽で済んだのがせめてもの事でしたが・・・。

 かわいそうな十姉妹のヒナは、「キリコ」という名前でした。色彩の加減でやせたように見える顔が、『ブラックジャック』というマンガに出てくる、安楽死の請負人を連想させたので、その人物名からとったのです。名前も良くなかったのかもしれません。

 キリコ事件の後、文鳥の2羽も死んでしまったわけですが、3羽の十姉妹の方は立派に成長し、クロ、クマ、チュウジロ、と名づけられました。クロは顔が黒いから(実際はこげ茶)、クマは全体がこげ茶で熊みたいだから、チュウジロは白い羽毛が多くなかば白い(中白)から、というこれもいい加減な名前です。
 クロがオスで、他はメスでした。彼らの本当の血縁関係はわかりませんが、必然的に夫婦になりました。第一夫人、第二夫人をもつクロと言う奴は、実にユーモラスでかわいい鳥でした。自分の妻よりずっと小柄でしたが、世話好きで、この後、生まれる文鳥や十姉妹たちの面倒を良く見てくれました。人間が文鳥のヒナの餌付けをスポイト(『育て親』)でしていると、そんな手つきではダメだと言わんばかりにやってきて(当時は決まった時間にカゴから出すのではなく、思いついた時に何回も出していました)、首をギコギコ振ってエサを反芻して与えてくれたものです。
 毛糸の端を加えて、二階まで持っていったりもしました。人間はそれをたぐりよせると、一階に戻ってきて再び二階へ、何度も繰り返したものです。
 体を膨らまし首を伸ばした三角の体型で「ギロロロ・・・」とさえずる様子もユーモラスで、風采のあがらないチビながら活動的で、ちょうどチャップリンのオンボロ紳士のようでした。しかし、自分の息子や孫が生まれて大所帯になっても、やはりおのずからボスとして存在し、何となく威厳がありました。十姉妹ながら『徳』もあったのでしょう。そんな彼を、今でも私は尊敬しています。


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