文鳥の歴史、考察の概要


 まさか文鳥の歴史的変遷を追うのに、苦労するとは思わなかった。きっと常識的統一見解があるものと思っていたのだが、それははかない夢で、調べれば調べるほど、混乱してしまうものであった。      ◎ 参考文献

 改訂作業中

 四半世紀前の私は、潜性(劣性)の白因子がどこで生じたのかわからないので、みな弥富で生まれたであろう1羽(「弥富ちゃん」)のなせる業、ということにした。何しろ愛知県弥富には白文鳥発祥地の石碑まであり、それに対してわが地域こそ発祥地だ、との反論も見当たらなかったので、世紀のスーパースター「弥富ちゃん」が存在したと設定した方が楽しいだろうと考えたのである。月日は流れ、老後に文鳥の歴史をたどる気力があるか疑わしくなっていた2024年、その間、何も調べていなかった私の目を覚ましたのは、「やなぎす」氏のご研究であった。何しろ氏のご研究により、1840年代には白文鳥が江戸に存在していたことがほぼ確定的となり、白文鳥の発祥地は弥富、とは言えなくなったのである。つまり、すべての白文鳥の始祖をスーパー文鳥「弥富ちゃん」に求める私のストーリーは、今や木っ端みじんだ。
 
しかし、「やなぎす」氏の論稿は、私がもやもやと曖昧な中で抱いていた白文鳥ストーリー(筋立て)におけるメビウスの輪をつなぐことにもなった。氏は江戸時代の絵画史料に残る背中に灰色部分が広がる姿を、現在の弥富系(顕性白文鳥)と見なし、その起源は弥富ではないとのストーリーを立証されたのだが、私はその姿は弥富系に限らず、潜性白文鳥と有色文鳥(ノーマルもしくは桜文鳥)から生じたF1(雑種第一代)を親に持つための姿で、潜性白文鳥のヒナも同様の姿と推測し、その後の繁殖に関する史料から得られる状況証拠は、むしろ潜性だった可能性を示唆するものと受け止めたのである。
 
結果、現在の私は、江戸時代1840年頃、つまり水野忠邦が天保の改革が実施される以前、将軍家を含めた珍奇趣味、生き物の色変わり個体を珍重することが流行する中で、潜性の白因子を持つ白文鳥が見いだされ、それが幕末に至って輸出品ともなっていったが、明治期に入って弥富で顕性の白文鳥が出現し、先行して存在したノーマル柄の文鳥と繁殖しても白文鳥が生まれるという特殊性から、白文鳥が少ない地域で喜ばれ、生産数を増し、一方で、すでに潜性の白文鳥の繁殖が盛んだった江戸(東京)や横浜一帯では、外見は白でも有色の因子を内在する弥富系は忌避され、そのような地域的な遺伝子の違いを意識されないまま、現在に至った、と文鳥の歴史ストーリーを組み立てるようになった。従って、以前の考えとは大きく変わっており、修正しなければならない。とりあえず概要に手を加え、本文は元の文章を残しつつ、都度修正したい。

やなぎす氏の論考「白文鳥はいつ誕生したのか?」  それを受けての私見は「江戸時代の白文鳥は潜性?」などブログ記事参照

 2025年初頭

 

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 私を含め、一般的に信じられている文鳥の品種が生まれる過程は、はじめ並文鳥から桜文鳥が生まれ、そこから白文鳥を創り出したというものだと思う。それは図にすると、次のような過程である。

プランA
並文鳥 部分変異  桜文鳥 改良 ごま塩 改良 白文鳥

 ところがこの説明にはいくつか弱点があった。

@ 弥富系の遺伝パターンを無視している。
・・・弥富系の白文鳥は顕性(優性)白因子と有色因子の組み合わせを持ち、メンデルの遺伝法則パターンに基づいており、徐々に変化するものではない。
A 品種改良の習慣が日本にはない。 ・・・明治期の「専門家」は手柄顔で品種改良を行ったように書くが、遺伝法則を理解せず、弥富の白文鳥の遺伝パターンを類推する能力を欠いただけと言える。
B 弥富町の特異性が説明できない。 ・・・いろいろな場所で白の選択改良が可能であれば、弥富町が他に懸絶した文鳥産地になる条件がない。

そこで、次のように考えるべき。

プランB
並文鳥 突然変異  白文鳥

  

+
白文鳥 不可避  並文鳥 必然 桜文鳥

 純白の突然変異が出現したのが弥富町であったため、独占的な生産地になり得た。
 純白は個体出現であったとすれば、並との交雑は必然であり、雑種として桜も出現せざるを得ない。

 ただし、弥富における文鳥の生産は、1865年以降であり、白文鳥の出現は明治時代前期以前とは見なしえない。

 一方で江戸においては1840年代に白文鳥を描いた絵画史料が存在しており、それは東京や横浜の繁殖家の種鳥として伝承し、白文鳥同士では白文鳥しか生まれず、桜と掛け合わせると、すべて中間雑種の「ごま塩」となる系統の実在が確認されるので、弥富系に先行した白文鳥の出現があり、それは弥富の白因子に比して劣性(潜性)で、有色因子に対しては同等の性質であったと考えられる。

 なお、桜の出現を白の『先祖がえり』とする説明があるが、
根拠がなく不自然でもあるので、これも否定する。
帰先遺伝
〔隔世遺伝・
先祖がえり]


そしてこれらの歴史的な変遷は、史料と社会状況から判断し次のように推定出来る。


17世紀初頭に、原種〔並文鳥〕が原産地〔インドネシア〕より輸入される。
↓ ↓ ↓
18世紀末までには繁殖技術が確立していたが、輸入も依然続く。
↓ ↓ ↓

文化・文成年間(1804〜30)の需要拡大により、繁殖技術も普及する。
↓ ↓ ↓
さらに珍奇趣味の盛んな江戸で潜性白文鳥が出現、幕末には輸出されるようになる

↓ ↓ ↓
1865年愛知県弥富地方に文鳥〔並文鳥〕の繁殖技術が伝わる。

明治10年代初め頃(1880年頃)、弥富に突然変異(※白子〔アルビノ]ではない)
による白文鳥が出現する。

↓ ↓ ↓
明治・大正期に白文鳥が隆盛し、混血の副産物を桜文鳥と呼ぶようになる。

  

 シナモン文鳥・シルバー文鳥は、最近欧米で品種改良されたものだが、元となった文鳥が何であったかはわからない。ただ目が赤いシナモンは白子現象を利用した可能性があるかもしれない。

並文鳥 桜か 改良 シナモン シルバー


詳しい考察は、文鳥の歴史本文へ


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