文鳥の歴史、考察の概要


 まさか文鳥の歴史的変遷を追うのに、苦労するとは思わなかった。きっと常識的統一見解があるものと思っていたのだが、それははかない夢で、調べれば調べるほど、混乱してしまうものであった。      ◎ 参考文献

→ 文鳥の歴史 本文へ ←

 

 私を含め、一般的に信じられている文鳥の品種が生まれる過程は、はじめ並文鳥から桜文鳥が生まれ、そこから白文鳥を創り出したというものだと思う。それは図にすると、次のような過程である。

プランA
並文鳥 部分変異  桜文鳥 改良 ごま塩 改良 白文鳥

 ところがこの説明にはいくつか弱点があった。

@ 白以前に桜が存在した証拠がない。 ・・・江戸後・末期の絵画に描かれる文鳥は並。
  白の出現は明治前期と考えられる。
A 品種改良の習慣が日本にはない。 ・・・意識的な品種改良は植物に見られるのみ。
B 弥富町の特異性が説明できない。 ・・・弥富町が他に懸絶した文鳥産地になる条件がない。

そこで、次のように考えるべき。

プランB
並文鳥 突然変異  白文鳥

  

+
白文鳥 不可避  並文鳥 必然 桜文鳥

 純白の突然変異が出現したのが弥富町であったため、独占的な生産地になり得た。
 純白は個体出現であったとすれば、並との交雑は必然であり、雑種として桜も出現せざるを得ない。

 なお、桜の出現を白の『先祖がえり』とする説明があるが、
根拠がなく不自然でもあるので、これも否定する。
帰先遺伝
〔隔世遺伝・
先祖がえり]


そしてこれらの歴史的な変遷は、史料と社会状況から判断し次のように推定出来る。


17世紀初頭に、原種〔並文鳥〕が原産地〔インドネシア〕より輸入される。
↓ ↓ ↓
18世紀末までには繁殖技術が確立していたが、輸入も依然続く。
↓ ↓ ↓

文化・文成年間(1804〜30)の需要拡大により、繁殖技術も普及する。
↓ ↓ ↓
1840年代愛知県弥富地方に文鳥〔並文鳥〕の繁殖技術が伝わる。
↓ ↓ ↓

明治10年代初め頃(1880年頃)、弥富に突然変異(※白子〔アルビノ]ではない)
による白文鳥が出現する。

↓ ↓ ↓
明治・大正期に白文鳥が隆盛し並文鳥を駆逐、混血の副産物を桜文鳥と呼ぶようになる。

  

 シナモン文鳥・シルバー文鳥は、最近欧米で品種改良されたものだが、元となった文鳥が何であったかはわからない。ただ目が赤いシナモンは白子現象を利用した可能性があるかもしれない。

並文鳥 桜か 改良 シナモン シルバー


詳しい考察は、文鳥の歴史本文へ


表紙に戻る