2000年7月30日(日) 恐怖の赤ジェミニPart2。
本日も回顧録。
通勤の必要にかられて、私は車の免許を取ることにした。私は運動神経がすこぶる鈍いので、「免許取るまで物語」は、それはそれは悲惨な話になるのだが、まあ、今回はそれは置いといて。
半年かかって、ようやく免許を取ることができる見通しが立ったので、私は車を手に入れようと考えた。が、上記のように、運動神経が鈍いと、免許を取るだけですでに同年代平均の2倍の金がかかってしまう。車のローンの頭金も出ねえ。
そこに、Hの天使の声が。例のドライブに行った、あの車を廃車にしようかと思っているのだが誰かもらってくれるなら5000円で譲るというのだ。
飛びつく私。そして、ヤツ(赤いジェミニ・たぶん昭和50年代頃のお生まれだったかと)は私の物になりました。
さて、初めて手に入れたマイカー♪ 嬉しいものである。
私はいそいそとヤツをなで回し、ふと、そのドアの内側に、普通の車にはあるはずのないものを発見したのであった。緑の模様。結構びっしりと。
「.......?」
なんなのだ、これは?
眼鏡をずいっと持ち上げて、再びじっくりとその模様を観察すると.....
苔だった.....!
そう、ヤツはドアが半開きであるのみならず、窓もきっちり閉まらないので雨が降ると雨漏りを起こすのだった。そのせいで、車内に苔が生えていたのである。私の心に渦巻く大きな不安。そして不吉な予感はもちろん的中することになるのであった。
2000年7月26日(水) 恐怖の赤ジェミニPart1。
今日は回想録。夏なので、ちょっと涼しい話を。
もうずっと昔々の話になるのだが。友人Hの車で、ドライブに出掛けた。 1時間ほど走ったところで、運転手Hが助手席のEに言う。
「E〜。前の信号何色〜?」同乗者全員がギョッ!Hは続けて言う。
「あたし、今日コンタクトしてへんから、信号全然見えへんね〜ん!」
固まる後部座席。叫ぶ助手席「赤や!赤!」
急ブレーキ。
「赤か〜」
ノンキに笑うHに、Kが後から身を乗り出し、
「頼むから、俺と運転代わってくれ。な、頼むから」
大丈夫と言い張るHを全員で説き伏せて、Kに運転を代わってもらう。Kはその日、免許不携帯だったが、たとえそのせいでお巡りさんにKがしょっ引かれたとしても、信号の見えない女が運転し続ける車に乗るより、ずっとよい。
どうやってここまで事故らないで無事に走ってこれたのか、と、震えが止まらない一同。なのに一人H様だけは「大丈夫やのに〜」と、とっても不服そうだった....!
誰もあなたに命を預けることはできません!
全員の背中の冷や汗が乾いた頃、わしらは妙なことに気がついた。後から来る車全部がパッシングしたり、クラクションを軽く鳴らして行くのだ。わしらに向かって?何故に?中には何か叫びながらわしらを指さす人もいる。
信号で止まると、左に来た車の窓が開き、なんか言ってる。こちらも窓を開けて聞いてみると、
「助手席!半ドア!半ドア!アブないで!」と、指さしてる。見てみると、確かに隙間が!
そりゃ確かに危ないわな。で、ドアを開けて、バン!と閉めて、どうかな〜と見てみると、やっぱ隙間があるような気が。そこにHがノンキな声で、
「それな〜、閉まれへんねん〜」
な〜に〜?!
「でも、ちゃんと閉まってるし、大丈夫やし、気にせんといて〜」
気にするっちゅうねん!!!閉まってへんっちゅうねん!!!
結局、半ドアカーはこの後も左から追い越しをかけてくる車全てに「アブないで!」と叱られながら走る羽目に.......
で、そのドライブ。行き先は成田山不動尊(交通安全の神様)だったりして。何故、そこに、そのメンバーでドライブに行ったのかは今となってはもう謎。必死で思い出そうとしているんだが、どうしても思い出せないなあ....
当日のドライブメンバーの皆さん、なんか思い出したら教えて下さい。
ここからは本日の話。
コンコルド墜落。滅茶苦茶ショック.........
2000年7月25日(火) 寒いってば。
昨夜から本日午前中にかけて、大雨。一気に気温が下がって、秋が来たのかと思ったぜ。ただいまの室温、28度。窓を開けて風を入れたら、寒くて肘が痛むぜ.....。長袖着ないと....。私の体は完全夏仕様。っつーか、は虫類デスカ?!
2000年7月24日(月) 大逃避。
入院している間に、カードの督促状が来ていた。しかも、誰にも気がついてもらえないまま何日も郵便受けで眠っていた。払込期限が過ぎていた。
どうしてよりによって今月滞納デスカ?!先月なら、さっさと払いに行けたものを!いや、先月今月の問題じゃなく、そもそも通帳の残高をきちんと確認しない自分が悪いんだけどね。
小さな手間を惜しんで大きな手間に。とほほい。
で、本日、銀行やら郵便局やら、払い込みモノを一気に片づけに外出した。日の高いうちに外を歩くのは久々だったので、太陽の光を浴びて、疲労困憊してしまった。軟弱者め。しかも、夜になったら日焼けで皮が!ええええ?たった20分表を歩いただけで何故?しかも、日陰を選んでジグザグに進んでいたのに?軟弱なお肌め!
帰宅してから、たまりにたまった手紙類を整理して、なんとかして返事をかかねば、そうだ、暑中見舞いという手があるではないかと、手のひらをポン!大急ぎで作成。ふう〜。一日よく頑張ったね、私。今日は早起きしたし、そろそろ寝ようか。まだお返事3分の1も書けてないけどナ。
...............................ネームは?先週上がっているはずのネームは?
2000年7月23日(日) ネームができねえ...。
それなのに、気がつくと、またしても台所の床とお友だちになっていた俺。今日はそのまま14時間眠り続けてしまった。なんとなく、自分がゴキブリになった気がした。せめて、布団で寝なさい、自分!
2000年7月22日(土) 独自ドメイン取得。
というのを、ここ何ヶ月か色々探ってみたのだが、お値段がお高かったり、英語がイマイチできないので敷居が高かったり。でも、やっぱこの先HPのお引っ越しとかをした場合、URLを皆さんに変えてもらうのも気の毒だし、第一、自分がいちいちURLを覚えてられませんって!
そういったわけで、一つくらいは自分の覚えやすいドメインを作っておいたほうがいいかも、などと考えて。
で、今日、「.to」で良きものをゲット。来週ぐらいに転送サービスがうまくいったら、新URLを公開します。うまくいくのかな.....ちょっと不安。
そして、さんざん悩んだ割には、なんだかんだでやっぱりお値段お高くなってしまってます。バカか俺は!
2000年7月21日(金) 禁断症状。
日本橋へ。プレステのメモリーカードを買いに行く。これがないと、新しいこトロを始めることができないのじゃ。一週間もお別れしていたので、すでに禁断症状が!(空のポケステを見ては「ああ〜〜〜〜!」と絶叫してみたり...)
日本橋に行ってみると、Mac屋は今日もおおはしゃぎさ。現行iMac値下げ。新iMacがごっつい中身になって、お値段据え置き状態で出るみたい。予約もばっちり受付中。いいんだよ、私は俊一さん(iMacボンダイ・Rev.B)すら、まだ使いこなせてないんだから。いいんだよ.....いいのさ....いいんだよ...
ちっとも、よくねえよ!!
欲しいじゃねえかよう!30ギガのHDで無茶苦茶速くなって俊一さんとお値段同じのiMacDVスペシャルがよう!
ちなみに、俊一さんのHDは4ギガ。ほろほろほろり(;_;)
G4キューブなんて、もっと欲しいじゃねえかよう!可愛いんだよ!くそううう!!
入院でいらん金を使って貧乏なので、メモリーカードだけ買って、とぼとぼと帰ってきたよ。ふっ....。ああ、あの金があれば東京に行って、「どこいつお誕生会」にもいけたよなあ....健康の有難味を痛感中....。
2000年7月20日(木) ショック...。
米、炊くの、失敗した。真っ黒焦げ焦げニャ....。いったいこの圧力釜を何年使っているのか、俺。コーヒー断ちして2週間目で頭がボケボケなのか?カフェインは緑茶で充分取れているはずじゃないのか?なんでこんなことになるのニャ?夕べもキーボードの前で書き込み途中でそのままがっくりと頭を垂れて寝てしまったし。(書き込み終わってから寝ろ〜!)
いつもなら、真っ黒なところをよけて、焦げ茶色くらいのやつなら根性を出して食べてやるところだが、今回、腸の具合がまだ本調子ではないので、涙をこらえて焦げ飯はゴミ箱に直行させる。
一粒の米には八十八人の米作農民の魂が込められているという。いったいこの焦げ焦げの中には総勢何人の魂が...?
などと思いを巡らせつつ、厚揚げとシロナの煮物&酢の物と一緒に食べる食パンは激マズ!
2000年7月19日(水) ヤな感じ。
昨日の日記を読んだ友人に、
「それは、あんたの鼻が抗生物質の副作用で嗅覚を失ってンじゃないの?」と言われた。
スルペラゾンにはそんな副作用があるんデスカ?!
この、バカッ友!なんの根拠もないのに、そういう恐ろしいガセネタで私をビビラセルのはやめて下さいッ!!思いっきり『黒い家』思い出して、震えたってばよ。
2000年7月18日(火) 警告。食事中なら読むなよ。
なんということだろう、退院して以来、俺のうんこは匂いがない!腸内細菌を洗いざらいとっぱらってしまったせいなのか?!赤ちゃんのうんちみたいに、ほんわかと穀類の香りがするだけなのである!なんだか人間じゃなくなってしまったような、生々しさのない自分。すごく気持ち悪い〜。
そこで提案。一世一代のデートに行く前のあなた、まず憩室炎にかかって下さい。5日半絶食しつつ、毎日朝夕抗生物質を点滴して、そして炎症が収まった頃に注腸検査(いわゆる大腸ファイバー)のために、アセナリン3錠、その30分後にはニフレック一包みを2000mlの水に溶かして飲みましょう約2時間ほどかけてまったりと全部飲みましょう。(でも、ひっきりなしにおトイレに走ることになるから、水溶きニフレックをペットボトルに入れて持ち歩いた方がいいかもね)。排便して、出てくるものが透明になったらいざ検査。これで、腸内のお掃除は完璧!!あ、検査中あんまり息を切らすと、過呼吸で手足どころか耳までしびれるから、ゆったりした気持ちで落ち着いて検査に臨んで下さいね〜。
そして、退院後すぐデートをすれば、恋人のお家でトイレに行くのもぜ〜んぜん気をつかわなくってもよくってよ。
健闘をお祈りするわ〜ん♪
......................誰だよ、俺?そして誰に言っている?
2000年7月17日(月) 復活〜!
憩室炎とかいう、腸の病気にかかってここ一週間ほど入院する羽目になっていた私。無事退院。
私の人生においては、常に家族や親戚の誰かが何かの病気で入院していて、病院と縁のない時期というのは殆どなかった。自分も数回入ってるし、入院という言葉にはインパクトがない。しかも私の入院なんて、家族の皆さんには「ああ、その程度だったの」と軽くいなされるランクなのだ。なんなんだよう、うちは病弱一家かよう。
今回の憩室炎は幸い手術が必要なレベルには至らなかったので、抗生物質の点滴でなんとかなった。これはYちゃんが早く医者に行けと強く勧めてくれたおかげである。自分一人だったら、もう少し我慢して、大変なことになっていたかもしれない。(憩室炎ってのは、虫垂炎に似たような経過をたどる病気なんだね。薬で散らせることもあるし、手術が必要な場合もあるし、最悪、腹膜炎を起こすこともありなんだそうだ)
自分の体はまあいいとして、入院が決定したときには原稿が全然無事じゃなかったんで、それが心配で心配で、胃に穴があくんじゃないかと思った。抗生物質と同時に、潰瘍止めも点滴されていたらしく、胃にも十二指腸にも穴はあかなかったけどさ。それにしても、自分がなんの薬を放り込まれているのかぐらい、詳しく教えて欲しかったな。しかし、空きベッドがない間、放り込まれていた救急病棟では、私みたいなプチ病人、誰も相手にしちゃくれません。走り寄ってきて走り去る白衣のピープル。昼夜を問わずひっきりなしのサイレン。「はよ見てくれや〜!殺す気か〜!」とわめくオニイサン。火のついたような赤ちゃんの鳴き声。横のベッドでは紫色の顔をしたおばちゃんが主治医から「内臓、腐ってるかもしれません、即手術しないと死にます」とか宣告されてるしよ〜。
ところで、私には『人という宝』がたくさんついている。
こういう緊急の事態が起こっても、原稿は無事に仕上がったのであった。 毎朝、YちゃんBちゃんが、病院へ原稿を取りに来てくれる。指定の入った原稿を仕事場に持って帰ってひたすら背景とトーン処理をやってくれる。夕方、Kちゃんが病院にその原稿を持ってきてくれる。ほんでもって、私も検査の合間をぬって、消灯時間以外はずっと下描きとペン入れをして指定を入れる、というパターンで、総力戦を展開。
そして、このチームの中で一番楽をしていたのは、さして体が辛いわけでもないのに、心地よい空調の中、上げ膳据え膳で、ノンキに日々を過ごしていた私なのであった。皆が炎天下を原稿を運んで汗だくになって日々往来しているというのにのう....。
アシーズ、すまん。本当に有り難う!仕事場に戻ってきて、殆ど出来上がった原稿と優しいメッセージを見たときにはマジ泣きしたです。
そして、掲示板やメールでも、たくさんのお見舞いをいただいて、ほろり。THE破れ笠にいつも来てくれる皆さんも本当に有り難う。
今回もまた、自分が回りの人々にものすごく恵まれていたことを再確認しました。私が時々病気にかかるのは、こうして自分の幸せをしみじみ振り返るため、そして、漫画の描ける喜びをみずみずしく蘇らせるためなのかもしれません。
2000年7月5日(水) 初体験。
夕刻、Yちゃんがそろそろ帰宅しようかという頃、雷が鳴り始めた。どうやらまた今日も夕立らしい。で、窓を開けてみると、信じられないほど大粒の雨が。そのとき「カキン!」と音がして、なにかが部屋の中に。
Yちゃんがそれを拾い上げてみると、直径2センチのギザギザした氷の固まりが。
雹。初めての体験。
えらい音をたてて、ひとしきり降った後、普通の夕立になった。Yちゃんはちょいと残業の後、小雨の中を帰っていったのであった。
2000年7月3日(月) 連日30℃(夜)
iMac型のパチもの時計がiMac俊一さんの横にある。液晶に、カレンダーと時計と温度計が表示されるようになっている。ここ数日、夜10時の気温は30℃。俊一さんを起動させると31℃になる。
扇風機を回すが、自分には風邪が当たらないようにして(だって腕が痛むんだもん)、俊一さんに当てている(だって俊一さんとTAが調子悪くなるんだもん、トホホ)。
暑さに強い私はこの程度ではクーラーを使わない。アシスタントさんに来てもらうようになるまではクーラーを使う生活をしたこともない。たぶん、前世は常夏の国生まれなんだろう。
さて、夕べも大阪は暑かったわけだが、Yちゃんはあまりの暑さで眠ることができず、足の裏にアイスノンを張り付けて寝たらしい。
そのころ、数キロ離れたこの家では、私が長袖を着込み、足下が寒いと、布団をかぶって眠っていた。布団はタオルケットではなく、薄手の冬布団である。夜の気温が33℃を越えるまではこのスタイルで寝る予定。と、Yちゃんに言ったら驚愕された。
真冬に裸足で過ごすYちゃんと比べられてもなあ.....。Yちゃん、前世はシベリア生まれか?
ところで、仕事部屋のホットカーペット、いい加減片づけないと.....。これは寒いからじゃなく、仕事が続いて、机をどける暇がないままずるずると7月になっちまったせいなんですケド......。ううう、暑苦しいのう....。
2000年7月2日(日) もう1年経ったのか?!
THE破れ笠、開設一周年。
いつの間に?!しかし、つい昨日のような気もすれば、50年ぐらい前のような気もするのであった。
ここまでやってこれたのは、いつも励まして下さる、友人、家族と、そしていらして下さる皆様のおかげです。本当に有り難うございました。そして、これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
2000年7月1日(土) もう半年おわったのか?!
という日記が、ここ以外にもあちこちで見られるだろうな。
今日はKちゃんがHPを作りたいというので、ジオと鳥ぽっどでKちゃん用のスペースとメルアドを取ってあげた。尊敬してもらえたようだ。まあ、2時間もかからず、やってあげましたからね。たいしたものかもね、ふふふふふ。ええ。自分の時は数ヶ月かかって泣きそうになりながらやったことですがね....。
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