正月明けの3連休。雑煮と酒でモタレ切った太鼓腹がようやく正常に活動し始めた途端、何故かサザエが食いたくなった。焼き網の上で磯の香りをたっぷり放出したところに、さっと醤油を垂らしたアツアツのサザエだ。 近場でサザエを食える処といえば三浦半島か湘南海岸だ。保土ヶ谷バイパスから横浜横須賀道路を使えば、時間的には三浦半島までわけはないが、どうせならば自転車に乗って食いに行きたい。横浜横須賀道路は自動車専用道路だから自転車が走る事はできない。 自宅から、4kmほど行ったところに流れる境川沿いに、橋本から町田を経て藤沢まで続く境川サイクリングロードがある。藤沢まで行ってしまえば、後は国道467号線を6kmほど走れば江ノ島にたどり着く。さっそく地図で確かめてみると自宅から江ノ島までは片道約30km。 延々30kmペダルを漕いでサザエを食いに行く。 正月早々、バカらしくて楽しいではないか。 「サザエは江ノ島にあり!」 まるで明智光秀のような顔をして、僕は26インチの疾風にまたがった。 |
自宅から 東海道新幹線沿いに続く県道を走り ゆるい下り坂を鼻歌交じりで 下った先に辿り付いた境川。 津久井の城山湖を源流にしたこの川は その昔、一面水田地帯だった 相模原から大和を通って藤沢まで続き やがて相模川からの支流と交わって 湘南の海へ注がれる。 元旦からずっと快晴続きだった 2004年の正月だったのだが 僕が外に出れば いきなりの曇り空である。 天気に関しては 今年も前途多難なようだ。 |
歩行者と自転車だけが 走る事を許された 川沿いの専用道路は 登る事も下る事もほとんどなく 実に快適に風を切ることが出来る。 途中 疾風を止めて川を覗き込めば ノンキな顔をした鴨が 川面にのんびり波を立てて 泳いでいたりする。 対岸の草地では 一匹のシラサギが まるで僧侶のような顔をして ひとり遠くを見つめていた。 |
川岸に 季節外れの菜の花の群れを見つけて 思わず疾風から下りてカメラを手にする。 出発してからというもの なんだかんだと すぐに疾風から下りてしまう。 山を歩こうが ペダルを漕ごうが けっきょく行き着く先は ぶらり旅になってしまうということか。 |
まっすぐ続く道の右には 扇のように田園地帯が広がっており 港横浜といっても ビル街をわずかに離れれば まだまだ長閑な景色に 出会う事が出来る。 夏の青々とした 勢いを感じる田園も素敵だが 僕はこの季節の 枯れた色合いの広がりも 好きなのである。 |
やがて道は戸塚に入り 枯れた銀色の景色の向こうに 異様な形をした 二十一重の塔が見えてくる。 かつて栄華を誇りながら 入場者の激減によって 2002年に閉館した 横浜ドリームランドに隣接していた ホテルエンパイアの廃墟である。 |
霞ヶ関ビルもサンシャインビルもまだ存在していなかった当時、日本一の高層建築としてその名を馳せたこのホテルに、僕は5歳の時に両親と泊まっている。遊園地の入口に立ち、銃を掲げたままピクリとも動かない衛兵の前で記念写真を撮り、アトラクションの潜水艦で滝の下を潜って歓声を上げ、ジャングルクルーズで水面から飛び出したカバに悲鳴を上げて、その興奮も冷めぬままに泊まったホテルも、今は周りを塀で囲まれて、森の上にひっそりと佇む、つわものどもの夢の跡である・・・。 |
ちょっぴり干渉に浸り 境川のせせらぎを聴きながら ペダルを漕いでいたら 細いタイヤが 地面を滑る音が後ろから近づいてきて 一台のロード車があっという間に 抜き去って行った。 「さすがに本格的な自転車は早いなあ」 などとノンキに関心して どんどん小さくなる ロード車を見ながらペダルを漕いでいたら 今度はジャッジャッと 賑やかな音か後ろから聞こえて ローラースケートを履いた子供が 僕の疾風を追い抜いていった。 さすがは酒冷一気筒1958型潤平エンジン。 恐ろしいほどパワーがない。 |
境川沿いを1時間半ほど走り 右に藤沢市民病院の立派な本館が見えると 突飛にサイクリングロードは終わりを告げる。 この先は御殿橋を右に入って市街地を走り 引地川の川沿いに付いた サイクリングロードに繋ぐ道もあるようだが 方向音痴の僕は そこまでたどり着ける自信がなく 自動車の排気ガスに顔をしかめながら ひたすら国道467号の車道を走った。 今日は祭日、成人の日。 街には色とりどりの艶やかな振袖を着た 綺麗な女の子の姿が溢れていて それに見蕩れた僕は 運転を誤り 危うく縁石に乗り上げそうになった。 |
やがて路面に頼りない線路が現れ 藤沢と江ノ島を結ぶ 通称江ノ電のレトロな車両が見えると 湘南の海は近い。 近年 新車両が何台か登場して その趣きが少しずつ変わり始めている 江ノ電であるが やはり江ノ電には この古臭い色合いが一番似合う。 オリーブ色の車窓を挟んだ 深いグリーンの中に 僕は高校時代の 淡い想いを思い起した。 |
鎌倉への道を分ける分岐を右に大きくカーブして、ゆるい坂を下ってしばらく車輪を回すと、波音が聞こえて突飛に湘南の海原が目の前に広がる。正午を過ぎて、ようやく空が青くなり始めた砂浜には、思いもよらぬほどの人々が訪れており、連休の最後の1日を楽しんでいた。 僕は、ここまで頑張って走ってきた疾風をエッチラオッチラと押して砂浜に入り、山高帽のような江ノ島をバックに一枚の記念写真を撮ってやった。 レンズの中に納まった愛機疾風も、心なしか誇らしげに見えるのは気のせいか。 |
寄せる波の向こうに 色とりどりのウィンドサーフィンの帆を眺めながら 人込みに混じって疾風を押し 橋を渡って江ノ島に渡った。 すでに三が日を過ぎたとはいえ さすがは正月である。 江ノ島神社に向かう参道には 人が溢れて波となっていた。 テッペンに行くためには 江ノ島の山をくり貫いて作られた 昔ながらのエスカレーターに乗れば良いのだが ここまでペダルを漕いできた僕は 珍しくその誘惑に打ち勝って 古い階段を一段一段ゆっくりと登った。 |
神社で参拝を済ませ すっかり明るくなった青い空の下に広がる 湘南の海を見下ろしながらタバコを2本吸ってから 僕は来た道を引き返した。 忘れてはいけない。 サザエを食いに来たのだ。 参道の脇に連なる店を吟味し 美味そうなサザエを網の上に乗せる店を探して つぼ焼きと串焼きをひとつづつ買った。 橋の手前で はふはふ言いながらサザエにかぶりつく。 磯の香りと 独特のコリコリとした感触が 口の中いっぱいに広がっていく。 30km走って辿り付いた味だ。 まずいわけがない。 「でもなあ・・」 これを食い終わったら またペダルを漕いで 30kmの道程を帰らなければならないのである。 サザエの最後のひと欠片をかじりながら 僕は 急に疼き出した 自分の尻をそっと撫ぜた。 |
走行距離60km 平均速度16.8km/h 最高速度30.7km/h |
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