横浜瀬谷八福神巡り




厚木街道−中原街道−長天寺(達磨大師)-徳善寺(毘沙門天) -妙光寺(大黒天)-善昌寺(恵比寿神)-
寶蔵寺(弁財天)-西福寺(布袋尊)-西福寺(布袋尊)-宗川寺(福禄寿)-全通院勢至堂(寿老人)-環状4号線




港横浜の外れに広がる瀬谷区に八福神を祭る八つの寺が点在するという。七福神の名はよく聞くが、八福神というのは珍しい。なんでも大黒天、恵比寿神、毘沙門天、弁財天、布袋尊、福禄寿、寿老人という従来の七福神に達磨大師を加えて八福神になるのだそうだ。
地図を広げて指先で道路をなぞり、全ての寺を巡ってみる。
ぐるりと巡って25kmほどの距離だ。ちょうど手軽なサイクリングの距離である。5月だというのに、まるで初夏のような強い日差しの昼下がり、僕は久しぶりに愛機疾風改にまたがって、瀬谷の町に向かってペダルを漕いだ。





横浜から丹沢の玄関口の海老名までを繋ぐ
相模鉄道沿いに続く厚木街道を5キロほど走り
その昔、徳川家康がこの地に休息したという
「二ツ橋由来の碑」で疾風改を降りて一服する。

立派な石碑に家康が詠んだという
和歌が優雅な綴りで刻まれている。

  しみじみと
清き流れの清水川
 かけわたしたる
   二ツ橋かな

清き流れも今は注意深く探さなければ
見つからないほど小さくなり
石碑の横には食欲をそそる
焼肉屋のチェーン店が建っている。




焼肉屋のランチメニューの誘惑になんとか打ち勝って中原街道を横断し、道幅の狭い県道に入って相模鉄道の瀬谷駅を目指す。中原街道を右折すれば、僕がお世話になっている横浜都岡脳神経外科を経て横浜動物園ズーラシアである。県道は狭い道幅の割りに車の交通量が多く神経を使う。

それにしても暑い。

タンクトップに半袖のシャツを羽織り、下はユニクロの半ズボンという、まるで何処かの小僧のような軽装で風を切っているつもりなのだが、気がつくとすでに額に汗を掻いている。まったくセミが鳴き出しそうな陽気である。思わずアゴを出しそうになる急坂を、絶対に足をつくまいと意地になってペダルを漕ぎ、なんとかそれを乗り越えて、校庭の広い瀬谷小学校の手前を入ると、明治22年に瀬谷、二ツ橋、宮沢の三村が合併した際に最初の村役場が置かれたという臨済宗建長寺派相沢山・長天寺にたどり着いた。




疾風改を降り
照り返しの強い白砂利の道を目を細めて歩くと
勇壮な本殿の前に
口をへの字にぐいと曲げた
恰幅の良い達磨大師の石像が現れた。

八福神巡りの最初の神様の姿をカメラに収め
額の汗を拭いながら境内を散策してみる。

本殿の外れに解説板があり
その昔、長天寺の北で
飛鳥白鳳時代の横穴式古墳が発掘されたとある。
高貴な人の古墳らしく
出土品には見事な装飾品も混ざっていたそうだ。

腕組みをして「なるほど」などと訳知り顔で頷く割に
日差しの強さに耐え切れず
解説を最後まで読む事もせずに
僕は傍らの古木が陽をさえぎるベンチにそそくさと退散し
ため息をついて足を伸ばした。

氷がたっぷり入った水筒のお茶が美味い。







新緑の茂る古木の陰で汗が引くのを待ち、再び疾風改にまたがって次の寺を目指す。

今度は七福神の中で僕が一番好きな毘沙門天を祭る、曹洞宗瀬谷山・徳善寺に向かって「よっこらしょ!」と掛け声をかけてペダルを踏む。自転車には疾風改などと格好の良い名前がついているが、肝心のエンジンは相変わらず情けない。

車と人の通りに気を使いながら、瀬谷駅を横目に見て瀬谷中学校を過ぎ、最近急速に店が立ち並び始めた環状4号、通称「海軍道路」を突き抜けて瀬谷柏尾道路に入る。気持ちの良い下り坂を調子に乗って飛ばし、前輪を滑らせ危うく転倒しそうになって「ひぇぇぇぇぇぇっ」と肝を冷やす。
下りきったところで疾風改にまたがったまま足をつき、インターネットで仕入れた瀬谷八福神の絵地図をポケットから取り出した。家を出る時、無造作にポケットに突っ込んだためにクシャクシャである。

徳善寺の場所がよくわからない。

絵地図を見ると瀬谷柏尾道路に入ってしばらく行くと、左に入る細い道があるはずなのだがそれが何処なのかさっぱりわからないのだ。方向音痴の僕は、見る方向によって地図がまったく違うものに見えてしまう。

上にしたり下にしたり、地図をぐるぐる回して見るうち、仕舞いには自分がいま何処にいるのかさえ怪しくなってきた。疾風改はエンジンも非力だが、レーダーもそれに劣らずオンボロなのである。



首を捻りながらノロノロとペダルを漕いでいたら、道路脇に美味そうなラーメン屋を見つけた。屋号の「山崎屋」のデザインがいい感じだ。そろそろ腹も減ってきたし、徳善寺までの道を聞きがてら、この店でラーメンを食うことにした。

テーブル席がニつとカウンター6席というこじんまりした「山崎屋」の店内には、正午にまだ少し時間があるせいか、客の姿はまったくなかった。

カウンターの向こうで若い夫婦がせっせと具の下ごしらえをしている。和紙にかかれた崩し字のメニューがなかなかお洒落だ。カウンターの端に座り、一杯680円の醤油ラーメンを注文する。威勢の良い返事をして若主人がせっせと料理に取り掛かり、程なくしてカウンターに運ばれてきた醤油ラーメンは鰹ダシがほのかに香る和風スープのいわゆる中華蕎麦だった。




背油が程よく浮いたスープの上に
白髪葱と煮卵、ほうれん草としなちく
そして厚切りのシャーシューが
上品に乗っている。

食欲をそそる具の配置である。

スープを一口飲んでみる。
鰹の臭みがなく、鶏ガラの出汁がよく効き
さっぱりして旨い。

麺は細身のストレートだが
スープとよく合ってこれも旨い。




何気なく入った店だったが、これは掘り出し物だったようだ。

10分程で麺もスープも全て平らげ、腹を摩りながら満足顔で店を出る。

「今度は限定10食という塩ラーメンに挑戦だな」

などと独り言を言いながら
すっかりご機嫌になって鼻歌交じりで疾風改を走らせて
しばらくしてから気がついた。


「あっ!いけね。徳善寺へ行く道を聞くの忘れた」






いまさら山崎屋に戻るのも面倒なので
車の通りが鬱陶しい瀬谷柏尾道路から
適当に路地に入って
古い民家を眺めながら
ふらふらと疾風改を走らせ
右左折を繰り返すうちに
階段の上に立派な山門を備える寺に着いた。

曹洞宗瀬谷山徳善寺と
門に書かれている。

なんだか良く解らないうちに
都合よく目的の寺に
着いてしまったようだ。





見事な彫りの仁王様に睨まれながら山門を潜ると、銀杏の巨木が目も眩む程の高さで立っており、この寺の歴史の古さを教えてくれる。本殿の右に小さな社殿があり、毘沙門天はその中で威光を放っていた。想像していたよりはずいぶんと小さいが、やはり姿形の良い神様である。

「ちょいと失礼しますよ」

僕は軽く頭を下げて、四天王中最強の神の姿をカメラに収めた。







さて次に目指すのは豊饒の神、大黒尊天が祭られる日蓮宗蓮昌山・妙光寺である。

妙光寺は、先ほどまで走っていた瀬谷柏尾道路をまっすぐ北上したところにあるのだが、道幅が狭い上に異様なほど車の往来が激しく、僕は神経を尖らせて自転車を運転する事にほとほとウンザリしていたので、このまま裏道を行ってみることにした。

それにしても、わずかな距離のところに往来の激しい幹線道路があるとは思えないほどこの道は静かだ。

道の端々に巨木が茂り春の風に新緑をそよがせ、日差しを遮っている。車も人もほとんど通らない細い路地には、立派な塀が続き、塀の向こうには武家屋敷のような旧い家が並んでいる。屋敷の奥には漆喰の蔵まで見える。まるで自転車に乗ったままタイムスリップしたかのような不思議な道である。








閑静な小道を
気持ちよく走っていると
道の右側に突然
古いが立派な門が現れた。
門の左に解説板が立っていて
「瀬谷銀行跡」と書かれている。

明治時代
この地は養蚕が盛んで
製糸工場が造られ
活気に満ちていたそうで
この銀行もそんな時代に
建てられたのだそうだ。





疾風改を降りて
しっかりと施錠された門の向こうを背伸びして覗いてみる。

広大な敷地の中には
鬱蒼とした古木が茂り
その中に朽ちかけた木造の建物が見て取れた。

施錠された門の向こうだけ
時間が止まっているかのような不思議な景色だった。







幹線道路を走っていた時には
考えられなかったような
爽やかな風が吹き抜ける小道を走り
さっきからちっとも役に立っていない
八福神の絵地図をポケットから取り出し
「たぶんこの辺」などと勝手に見当をつけて
道を曲がってみる。

程なくして車の往来の音が騒がしくなったと思ったら
あっけなく幹線道路に飛び出した。

道の脇に小さな地蔵が建っている。
絵地図にある北向き地蔵らしい。

案の定、わずかな距離で
妙光寺の山門にたどり着いた。


潤平レーダーもたまにはその性能を発揮するらしい。




652年、明光禅尼の開祖と伝えられる日蓮宗蓮昌山・妙光寺は、それから約600年後に日蓮が宿泊し、それを機に改宗され現在に至っていると云う。

境内の梵鐘には正中二年(1324年)の刻銘があり、県の重要文化財に指定されているそうだ。境内に人がいないのを良い事に、歴史在るこの梵鐘をこっそり突いてみたいという欲望をなんとか押さえ込み僕は大黒尊天のお姿をカメラに収めて、早々にこの古刹を後にした。








阿弥陀入来を本尊とする
浄土宗滋光山・善昌寺は
妙光寺からわずか
300メートルほど北に進んだところに
ひっそりと建っていた。

鯛を釣り上げ
これ以上ないと言うほどの
満面の笑みをたたえる
恵比寿神をカメラに収め
山門の脇に建つ
樹齢百余年の大銀杏を見上げる。

前に立つ六体の地蔵とこの巨木は
これまでいったいどれだけの
人間の歴史を見つめてきたのだろうか。








北向き地蔵から脇道に入り、来た道を再び戻って南下する。

つい先ほど参拝し、毘沙門天を拝んだ徳善寺を左に見てそのまま小道をくねくねと走り、相模鉄道の高架を潜ってしばらく行くと車の通りが激しい厚木街道に突き当たった。

街道のすぐ左に弁財天が祭られた高野山真言宗瀬谷山・寶蔵寺が建っている。

「ああ、なんだ。この寺が弁天様だったのか・・・」

疾風改から降りて境内に向かいながら、僕は独り言を言った。

マイカーで厚木街道を走って買い物に向かう時、僕はいつもこの寺の横を通っているのである。
「ぼけ封じ」と大きく書かれた看板を車窓から見る度に、「こりゃ、何時かお参りしなきゃいかんなあ」と思っていたのだった。



木陰の小道から抜け出して
広い街道に面した寶蔵寺の境内は
先ほどまで小道で感じた爽やかな風が
嘘のように蒸していた。

途端に汗が滲んでくる。

祭られた弁財天はふくよかな顔をした石造で
達磨大師を除いた
これまでの七福神達よりもずいぶんと大きく
手に琵琶を持っている。

訪ねた八福神はこれで五つ。
まだ三つの神様が残っている。

午後1時を過ぎ
太陽は僕の真上でギラギラと威張っている。

なんだかだんだん疲れてきた・・・。




厚木街道を横切り、ガソリンスタンドの脇の細い道に入って日陰を選びながら疾風改を駆る。

やはり車の通りが少ないと運転していて気分的に楽である。

こんな所にこんな道があったのかと、長年この辺りをうろつきながら初めて知った道をくねくねと進むと、やがて長い参道の向こうに参門が建つ真言宗豊山派猿王山・西福寺が見えてきた。

参道の脇に鉄骨に支えられた異様な雰囲気を持つ巨木があり「千年椎」の大霊木と書かれている。辺りにかもし出す独特な雰囲気は正に大霊木の名に相応しく、木は千年の月日を経て、霊を宿すと謂われるのもあながち嘘ではないと思わざるを得ないような幽玄さである。その雰囲気に圧倒されそうになりながら、僕は弥勒菩薩の化身と伝えられる腹の突き出た布袋尊の祭られた社殿に歩を進めた。



                 




大老木の霊が
背中に乗っていないかヒヤヒヤしながら
西福寺を後にして
再び細い道を南下すると
やがて茅ヶ崎まで繋がる
中原街道に突き当たった。

途端にまた日差しが強くなる。

片道2斜線の広い中原街道を
左折してわずかに坂を登れば
福禄寿を祭る
日蓮宗白東山・宗川寺の参門である。

参門の向こうに夫婦銀杏が仲良く並んでいる。
境内には木が多く茂り
その下にベンチがあって一息つくにはちょうど良い。

幸福や長寿の神である福禄寿をカメラに収め
僕はだらしなくベンチに腰掛けて足を投げ出した。

いやはやもうバテバテである。




残すはあとひとつ。福禄寿と同体とも伝えられる寿老人を残すだけだ。2車線の広い中原街道に戻り、境川に掛かる橋を渡る。この橋を左折して境川沿いに細い道を走ると、やがて疾風改に乗って何度も通った境川サイクリングロードに合流するのである。寿老人を祭る全通院勢至堂・徳善寺別院に行くにはこの橋を左折し、境川サイクリングロードに入る前に、今日のスタート地点に近い環状4号線に出れば良いようだ。

境川に掛かる橋を渡りながら、そういえば以前この付近を車で通りかかった時に、街道沿いに大きなジェラードの店を見かけた事を思い出した。自転車で行ってもわずかな距離のはずだ。ちょっと寄り道をして、冷たいアイスクリームでオーバーヒート気味の潤平エンジンを冷やすことにした。




記憶の通り
橋からわずかに行ったところに
大きな看板を掲げたジェラードの店が現れ
ずらりと並んだアイスボックスの中から
僕はグレープ果汁入りのアイスクリームを選び
店の駐車場脇の日陰に腰を下ろして頬張った。

冷たくて美味い。

強い日差しを浴びて乾ききった喉に
グレープの香りを含んだアイスクリームが
染み渡っていくのがわかる。

あっという間に食べおわり
水筒に残ったわずかなお茶で
口の中に残った甘みを消しながら
僕は店の前に並んだアイスボックスに目を向けた。


「もう一本食べちゃおうかなあ」


けっきょくオレンジ果汁のアイスクリームも頬張って
僕は唇の周りを舐めまわしながら
疾風改のペダルを漕いで
境川沿いの舗装道路を走り
八福神最後の寺である全通院勢至堂を目指した。















境川に沿う細い道を離れ、数年前、海老名の職場に車通勤していた頃に毎日マイカーで通い慣れた道に出て、そのまま環状4号線に出る。

道路の脇に高台があり、そこにコンクリートの急な階段がついている。全通院勢至堂はその階段の上にあった。

御本尊の勢至菩薩が十二年に一度、丑年に開帳されるという歴史あるこの寺からは、空気が澄んでいれば丹沢や富士山が一望に見渡せるというのだが、この日はあまりにも気温が高すぎて空にはフェーズが掛かり、残念ながら山を見渡すことは出来ない。

横浜市の指定を受けているという名木「藤の大樹」も今はその季節ではなく、境内には人の影もなくひっそりと静まり返っていて、八福神の最後を締めくくるにしては少し寂しい雰囲気の寺である。1月と8月に開かれるという縁日の頃には、今とはまた違った活気のある寺の顔を見せるのだろうか。



本道の奥で怪しく光る
寿老人をカメラに収め
風に葉を鳴らす銀杏の木の下で
タバコを一本だけ吸った僕は
八つの神様を巡った
不思議な充実感に包まれながら階段を降り
午後の日差しを浴びて
輝きながら僕を待っていた
疾風改にまたがって
横浜瀬谷八福神巡りの旅を終えた。




帰路はかつてマイカー通勤に使っていた狭い田舎道を走ることにしよう。

この先には遠い昔の深夜
この道を始めて知った鳥目の僕が
時速80kmのスピードのままブレーキも掛けずに突っ込んで
2本並んだ杉の大木に激突した
長い直線の末に突然現れる急カーブがあるはずだ。

今は杉の木の前にふたつの反射板がつけられて
そこに急カーブがあることをドライバーに教えてくれている。

「なんだかいろいろな事があったなあ」

マイカー通勤していた頃の自分の生活を思い出しながら
僕はのんびりと疾風改のペダルを漕いだ。


午後3時を回ったというのに

季節を忘れたかのような強い日差しが

まるで後押しするように僕の背中に

何時までも照り付けていた。










2004年5月15日

走行距離26km 平均速度14.0km/h 最高速度25.0km/h
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