長屋門公園











横浜の住宅街から
わずかに離れたところに
まだ横浜が農村として
毎日を営んでいた頃の
生活振りを再現した公園がある。


横浜瀬谷長屋門公園


紅葉も盛りを過ぎ
そろそろ街に
クリスマスのイルミネーションが
輝き始めた12月の中旬
愛機のMTB疾風を駆って
僕はこの異空間を訊ねてみた。





相鉄線「三ツ境駅」からJR「戸塚駅」へ通じるバス通りから
「長屋門公園入口」と書かれた交差点を左に入ると
道はわずかに下りながら
やがて竹で組まれた塀に沿った遊歩道となり
坂道の終わりに立派な門が現れる。
長屋門と呼ばれるこの重厚な門の向こうに
茅葺屋根の立派な民家が見える。

まるで長屋門自体が現代から
江戸時代の横浜にタイムスリップするための
トンネルのようだ。

門の脇に疾風を置き
僕はこのタイムトンネルを潜ってみた。









門を潜って真正面に建つのは、旧案西家の母屋である。
1695年より和泉村に居を構えている安西家から寄贈を受けた横浜市は
ここ長屋門公園に母屋を移転修復したのである。
ちなみに長屋門は
明治17年建築といわれている。

バス通りからわずかに入ったところに
こんな不思議な空間があるとは驚きだ。





屋内を散策してみると
黒光りする板の間に
立派な囲炉裏も再現されていた。

しばらく室内を見学し
母屋の裏手に回ってみると
素通しになった広間の向こう
縁側で仲良く遊ぶ
小学生達が逆光の中で
歓声を上げており
そのなんとも淡く
そして美しい光景に
僕はそっとシャッターを押した。





開け放たれた土間の窓の向こうに見える
白い壁が眩しい文庫蔵の建築年代は明治後期。

入口横には今はその役割を終えた水車が
静かに時を刻んでいる。

築園内には小さな滝が流れ
池には色とりどりの鯉がのんびりと泳いでいた。。




    




この公園は普通の公園とは少しばかり趣きが違う。
公園の中で野良着姿の人達が
いつも忙しそうに襖の張替えをしたり
果物の仕分けをしたりしている光景に出会うのだ。

はっきり聞いたわけではないのだが
ここの建屋で暮らしているのか
それとも近所に別の家があるのか
どちらにしろ和泉家に関わりのある方々が
今もここを生活の拠点にしているようだ。





暖冬といわれるこの年
しかし12月も20日を数えて
さすがに紅葉も盛りを過ぎていたが
それでも
空を見上げれば
其処彼処に陽を浴びた
楓の紅が輝いていた。

日本列島上空を
強い寒気が覆ったこの日
山は大荒れとの事だったが
ここ横浜の片田舎は
まるで春のような
暖かい日差しに包まれていた。













一度門を出て疾風に乗り
長屋門の脇から続く
せせらぎの水辺と呼ばれる
遊歩道に入った。

公園の敷地は16、000坪に及び
清水の流れる遊歩道は
やがてクヌギやコナラが密集した
雑木林沿いの道へと続く。

街中とは思えない湧き水の小池では
一匹の白鷺がのんびりと
小魚を食(は)んでいた。







整備された木道が
小高い丘に向かって続いていた。

「よいしょ!」と一声掛けて
疾風で木道を駆け上がる。

テッペンは雑木広場になっており
そこには茅葺屋根の
小さな東屋がぽつんと建っていた。

東屋で一服してから
疾風にまたがり
きびすを返して
奇声を上げながら
僕は木道を一気に走り下りた。







せせらぎの水辺からの
雑木林の横についた
静かなの道を
快適に走った。

やがて車止めが現れ
遊歩道は終わりを告げ
車が往来する
現代の道に合流した。






雑木林を後にして
後ろから来る車の音に気を使いながら
自宅へと疾風を走らせた。

途中
思い思いの野球帽を被った
小学生達の自転車とすれ違った。

「長屋門で遊ぼうぜ」

元気な声が僕の背中で叫んでいた。

僕はなんだか嬉しくなって
ペダルを漕ぐ足の裏に
少しだけ力を込めた。











長屋門公園の公式ホームページ


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