2003年の暮れも押し迫った 12月の下旬 ようやく1年の仕事も終わって 冬休みに入った僕は 青い空に誘われて 折り畳み自転車の飛燕にまたがり 海軍道路を目指して家を出た。 春になると 見事な桜のトンネルとなる 海軍道路は 自宅から約8キロ。 小春日和の のんびり散歩である。 |
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海軍道路はもちろん通称であり、正式には環状4号線の名が付いている。かつて日本海軍が弾薬の貯蔵庫として使用した隧道の脇に作られた約3kmの直線道路で、その後進駐軍に接収された名残で、いまも道路脇には米軍の上瀬谷基地がある。真っ直ぐな道を国道16線に向かうと右には広大な芝生の広場が広がり、休みともなれば愛犬を自由に走り回らせる家族の姿や、凧を空に掲げ、一生懸命に風を捕らえようとする子供の姿などが、あちこちに広がって喉かである。一方道の左に目をやると、そこには相州大山から丹沢連峰の美しい峰筋が青い空の下に横たわっており、大山の肩には富士山も顔を覗かせる。前夜、この冬一番の寒気が関東に流れ込み、街には初雪が降った。飛燕を走らせながら眺めた丹沢連峰は、この時期には珍しく山頂部にうっすらと雪化粧を施していた。 |
広大な芝生の広場で勝手気ままに飛燕を走らせて1時間ほど遊んでいるうちにお腹の虫が鳴き始めた。時計を見ればもう昼だ。天気も良い事だし、このまま海軍道路から国道16号線を走って相模原に入り、母校であるT大S高校の側にある名物の餃子専門店に久しぶりに行ってみることにした。海軍道路から相模原までは約15km。家からの通しの距離を考えると往復で56kmになる。20インチのチビ飛燕で走るのはちょっとキツイ気もするが、幸い吹く風も柔らかで気持ちよい。 「よっしゃ!」と一声掛けて、僕は飛燕のペダルを蹴った。 |
海軍道路の脇に広がる オフロードの畑道を横断して 舗装道路に入る。 国道246号に高架を潜って 急に車の通りが多くなれば そこは国道16号である。 後ろから来る車に気を使いながら 緩やかな坂道を登る。 軽快にチェンジする ギアの音色が心地よい。 やがてうっすらと額に汗をかき始めた頃 中和田の交差点を左に折れて 東林間の市街に入った。 高校の3年間 いっぱしの顔をして うろつき回った頃の懐かしい匂いが 街のあちこちに 今もまだ残っている。 |
東林間の街を抜けて 小田急相模原に入り お腹の虫をぐ〜ぐ〜鳴らしながら 辿り付いた餃子専門店の駐車場に 飛燕を止め 店の中に飛び込んだ。 途中途中に 空白の時期があるにしろ 高校時代から通い続ける僕の顔を この店の主人はさすがに覚えているらしく 店に入るなり 「まいど!」と大きな声を掛けてくれた。 若い者達に店を任せる事が多くなった 無類の祭り好きのここの主人が 店の中で動き回っているのを見るのは 久しぶりである。 |
千葉のホワイト餃子の流れを汲む萬金の餃子は、米俵のような独特な形をしたカリカリの皮をかじると中から肉と野菜の汁がジュっと噴出す。皮が柔らかくなる前の熱いうちに食べるのが一番美味いのだが、気をつけないと口の中を火傷すること必至である。安曇野穂高町にも安曇野の湧き水を使う事を売り物にした安曇野餃子があり、ここでもまったく同じ作りの餃子を出すのだが、中国では餃子は主食ではないからご飯はつけない等制約が多く、また値段も萬金の倍以上して、6年ほど前に一度食べただけで懲りてしまった。 |
カリカリ熱々の餃子とネギがたっぷり入ったスープですっかり満腹し、腹ごなしに相模原の街を飛燕に乗ってぶらぶらと散歩する。もともと学生の町として栄えたはずの相模原なのだが、どういうわけか居酒屋の数が異様に多い。路地のいたるところに飲み屋の看板が下がっており、そのキャパシティはすでに付近の住民の数を越えてしまっているのではないかと思うほどである。 この中でお気に入りの店は2軒。焼き鳥の「五鉄」と富山湾直送の旨い魚を食わせる「蜃気楼」がいい。 駅を隔てた国立病院通り商店街には、修道士が作る珍しいベルギービールを飲ませる「SHIMAY」があるが、ここは居酒屋とは一線を画す、隠れ家的な雰囲気のお洒落な店で、頬を赤く染める寒さの夜、女の子と肩を寄せ合って訪れたくなる店だ。 「SIMAY」に女の子と肩を寄せ合って入る男を頭の中で勝手に自分の姿に置き換えて想像し、ペダルを漕ぎながらむひむひと気味悪い笑いを浮かべているうちに、小田急線の踏み切りに突き当たった。 そろそろ戻ろう。 国道16号から来た道を帰ってもつまらないので、相模原を縦断する横浜水道道から大和歩行者専用道を走って帰路に着くことにした。 横浜水道道は野毛山公園の浄水場から北西に延々と伸びる直線の一本道であり、その距離は44kmにも及ぶ。道の途中に住宅密集地があろうが米軍基地があろうが、とにかく一切お構いなしにその中を貫いて北西に伸び続けているのだ。 水道道の下にはその名の通り、水道管が通っている。この水道は日本初の近代上水道で、1887年に英国人技師、ロバート・パーマーによって設計されのだが、当時、横浜一帯は広大な農村であったため、水道も愚直なまでに直線的に最短距離で伸びたのである。したがってその後建てられた住宅や軍事基地も、水道道の上に建築や構造物を建てるわけにはいかず、その結果、このような奇妙な一本道が残ったのだ。 |
相模原地区の水道道は 米軍座間キャンプの フェンス際から始まる。 もちろんキャンプ内にも 道は続いているのだが フェンスの向こうはアメリカ。 進入する事は出来ない。 ♪ 高いフェンス 越えてみたアメリカ ♪ 柳ジョージ&レイニーウッド 「フェンスの向こうのアメリカ」より |
左右の一戸建て住宅を 分断するように 真っ直ぐ続く水道道は 緑地として整備されており 住民達の憩いの場になっている。 何しろ住宅の軒先が そのまま緑地になっているのだ。 夏になれば 緑地の長椅子に腰掛けて 団扇で涼む 浴衣姿の女の子の姿などもあって 街中とは思えない 風情を感じることが出来る。 芝生の端には 昨夜のなごり雪が 微かに残っていた。 |
水道道を3キロほど走り 小田急線の東林間駅側にある 藤棚のベンチに 腰を下ろして ひと息ついた。 冬とは思えない日差しが 枯れた藤のひさしを通して 麗らかに差し込んでおり 100円ライターで火を点けた 煙草の煙が 逆光の中で 紫色に溶けて消えた。 |
東林間の地下道を潜って 小田急線の線路を反対側に渡り 大和歩行者専用道に入る。 相模原から遠く藤沢まで続く この遊歩道は 人と自転車以外通行禁止の 快適な道で そのまま境川に沿えば 江ノ島にたどり着くことができる。 沿線にはその昔 農地として開拓された 雑木林が多く残り 冬も盛りのはずなのに 野鳥のさえずりが賑やかである。 |
まだわずかに 紅葉が戻る歩道には 本格的な装備のロード車の若者や ウォーキングを楽しむ初老の夫婦の姿が そこかしこに行き来しており 木々を隔てた車道とは明らかに違う ゆったりとした 時間が流れている。 飛燕に乗って 舗装された道を 軽快に駆るつもりで 海軍道路を出発したはずが 何時の間にか 走っているのはのんびりとした 遊歩道。 気がついてみれば 山歩きの時と同じ マイペースのぶらり散歩である。 |
マイペースは良いのだが 素敵な光景を見つけては 飛燕を止めてカメラを向け 土の公園を見つけては シーソーやブランコに腰掛けて 煙草を燻らしているうちに 何時の間にか 陽が傾き始めてしまった。 ここはつきみ野。 大和で遊歩道を下り 厚木街道を経て 自宅にたどり着くまでには まだ20km以上の距離がある。 |
そんな事を考えながらも 一面に枯れ葉が敷き詰められた木々の間から 夕日が差し込む雑木林で また飛燕から下りてしまった。 オレンジ色の陽の光に 枯れ葉の絨毯が焦げそうだ。 僕はその素敵な光景に 一度は口にくわえた煙草を 思い直してポケットにしまい 絨毯の上に 夕日が引いた 何本もの光の線を 目を細めて 眺め続けた。 この分だと 家にたどり着くのは 夜になりそうだ。 |
走行距離56km 平均速度14.6km/h 最高速度20.0km/h |
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