Kankoro アメリカ旅日記 第4日目2月27日土曜日

アメリカに来て、もう2回目の朝なのにカンコロ時差ぼけで、フラフラだ。日本では朝は 比較的強かったはずなのに、朝起きるとなんだか、血圧が上がらないと言う感じで、気分が悪い。 日本であれほど朝が弱かった相棒が、やたらと元気だ。LA Timesを読み、散歩に行く。 朝食も日本では抜かしていたのに、しっかり食事をとる。カンコロ食べられないぃ〜!!
しかし、LAは暖かいと聞いていたのに、昨日も今日も日の当たらない所はとても寒い。 

きよ子さんから10時に電話があり、小東京(Little Tokyo)に行きましょうと誘ってくださった。
午後、きよ子さん宅で待ち合わせをして、義姉えみ子さんと四人で小東京にいく。 全米日系人博物館(Japanese American National Museum)は、日系人の寄付でできたもので、 きよ子さんみよ子さんえみ子さんや、家族の名前が記念碑に刻まれていた。 日本から見知らぬ土地に渡り、懸命に働いてようやく軌道に乗り始めた矢先、第二次世界大戦と なり、すべての財産を没収され、布袋と毛布と上着だけを与えられて強制収容所に入れられた。 当時の収容所の建物がそのまま博物館の中に移築されていたが、外からは中が、中からは外が透けて見える 粗末な小屋。夏は日中50度にもなる、また、冬は氷点下になるような環境の土地に建てられ、 6畳程度のスペースに一家6人が住んでいたそうだ。トイレもお風呂もしきりのない粗末なもの。 食事も一度の配給では到底たりないので、何度か並ばなくてはならない。きよ子さんはあまりの 暑さに倒れたお父さんをうちわであおぎながら気がつけば自分も気を失っていたと、ニコニコしな がら話してくださった。想像しても想像しきれないものがそこにはあった。
博物館に勤めている日系二世の男性は、すべてを失って収容された父親がその後廃人の様に なってしまったと話してくださった。今、生きている日系人はたくましくて当たり前だと思う。 厳しく、つらい歴史を自らの足で歩んできたのだから。
多くの写真と一緒に木の馬車や、着物などもあった。今ではもう見る事のない、我々の親より 上の世代の人達が使ったものが、大切に保管されていた。  

リトルトーキョーの風景

博物館の近くには多くの日本の店があった。最近では、空き店舗や、店を売ってしまった 日本人の話などきよ子さんやえみ子さんは寂しそうに語った。
しかし、なんでもあるものだ。日本食や日本の衣料店、玩具屋さん。風月堂と言う和菓子屋さん もあった。日本の本だけを売っている本屋もあった。スーパーに至っては、日本食の素材が 盛だくさん。日本のスーパーで売っている弁当まであった。海苔弁だぁ!!
日本食ブームの今でこそ、近くのアメリカスーパーで何でも手に入るが、20年以上も前なら なかなか手に入らず、LAの日系人がこの小東京に集まってきたのだろう。

帰りに持ちかえり専用の御寿司屋さんで御寿司を買ってもらって夕飯にした。巻き寿し、稲荷寿司、 伊達巻、鯖の生寿司。どれも、日本の子供のころの懐かしい味がした。それにしても、鯖が美味しい。 身が分厚く日本でもこれほど美味しい鯖の寿司は食べたことがない。アメリカで美味しい御寿司を食べた。

きよ子さんの家からの帰り道に衣料品のスーパーに行ってみた。カンコロ、ナイキの運動靴が 欲しかったので、早速買って履いてみた。アメリカ人は足の幅は細いんだね。
LAのスーパーもだいぶ馴れた気がするが、レジの女の子がやたらに話しかけてくる。 何処でもそうだから、きっと、社交辞令のような事なのだろう。今日は天気が良いわね。 これ良いわね。など、など、しかし、カンコロその度に心拍数が上がってしまう。

☆一言アドバイス☆アメリカのスーパー
会員制のスーパーが多くて、カードを作れば、毎回レジでそのカードを提示して、ポイントを 加算して行く。ある程度ポイントが貯まるといろいろと特典がある。例えば、合計20%引きになる とか、金券になるとか。他にも、会員価格というのがあって、カードを提示すれば、その金額で 購入できるとか。ただし、いきなりレジでカード作らない?といわれると度胆を抜かれる!!


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