クラス会だより


11期生 4年に一度の定例同期会       永井  廣 

 私達11期は東京五輪の昭和39年に、3組総勢115名が巣立ちました。過去2回正規の同期会を開催し、初回は平成6年6月、写真の第2回は昨年9月26日に挙行されました。小雨降る仲、自由ヶ丘のイタ飯「MOCCO」での一次会に35名が集まり、2組中村良子先生を囲んで旧交を温めました。一頻り歓談後、やおら近況報告に移り、年代を反映してか「バイアグラ」なる言葉が飛び出したり、騒然たる中、皆楽しく語ってくれました。この4年間には阪神淡路大震災もありましたが、幸い神戸在住の同期2名は難を逃れ、元気に出席されました。二次会は、途中参加者が10数名加わり、同じく自由ヶ丘の「いきいき長屋」で、10時過ぎにお開きとなるまで一段と盛り上がりました。以後同期会は4年目毎、サッカーW杯の年に開催予定です。一同、4年後の再会を約し、「青春とは若い心を持ち続けることである」という言葉を胸に、三々五々と夜の街を後にしました。

 

17期合同クラス会    木村  裕 

 子供たちも楽しみにしている春休みも間近の3月22日(月・祝日)、お昼に第17期卒業の1組と2組で合同クラス会を開きました。

 卒業してすでに30年近く経った現在、住所不明者も、かなりおりましたが、当日は井上武司先生、中村良子先生、山本明美先生の3人の先生方を囲み約30人が参加し、楽しいひとときを過ごすことが出来ました。幹事の提案で1年生から6年生までの、お世話になったすべての先生方にご案内をさせていただき、それぞれの先生方の思い出ばなしに花が咲きました。久々に会った顔の中には、面影だけがたよりで、こんな顔の人だったかなあ?などと考え込んでしまいましたが、時間が経つにつれ皆、昔の顔にタイムスリップしたようで、いつしか30年前と同じ顔つきで話に夢中になっていました。次回は、また10年後か?5年後か?これを機にもう少しまめに開催しようかな?などと思いを巡らせながら、再会を約束して2次会へと繰り出しました。

 

21期2組のクラス会    小柳 晶嗣 

 「クラス会のお知らせ」のはがきが、旧6年2組の誇る「万年幹事」の毛利悦朗くんから届いた。彼は今でも九品仏の地に腰をすえ、家業の豆腐屋さんをご家族と営んでいるのだが、自分が少年時代を過ごした場所に、その頃の友達がしっかりと根を張って元気に生活をしているという事は、なんだかうれしい。今でも何かの折りに九品仏に立ち寄ったときに毛利豆腐店を見ると、僕は僕がずっと昔には「こども」だった事を鮮明に思い出す。そしてまたふと気が付けば「おとな」になってしまうに至った、その長いような短いような道のりをも、ゆるやかに懐かしく思い出すのだ。人生を長い航海に例える事は多いが、いってみれば僕達にとって「毛利豆腐店」は、故郷の港の灯台のようなものなのかもしれない。そして彼はいわば「思い出の守人」のような人なのだ。もちろんこれは僕の勝手な思いこみに他ならず、彼もまた人生の航海の渦中にむろんいるのだが、僕は九品仏で彼に会うたびに、申し訳なくもこちらの都合でついついそう思ってしまうのだ。

 クラス会では綱沢先生はじめ18人の仲間が集まった。きっと他のみんなもそうだと思うのだが、会場に着くまでちょっと緊張した。緊張の理由が今でもよくわからないのだが、たぶん「おとな」になっちまったのが照れくさいんだろう。どんな顔をしてどんな話をすりゃいいのかわからないのだ。だけど、乾杯してビールも進み、1人づつの近況報告も終わる頃になるともう大丈夫。綱沢先生のあの頃と寸分違わぬ、威勢のいい話っぷりなどを聞いているうちに、僕たちはちゃんと九品仏小学校のクラスメイトにまた戻る。ほんとは「おとな」のはずなのに、みんなの顔が「こども」に見えてくるから不思議だ。ビールの酔いも手伝っているのだろう。なんだかこのままどこかに遠足にでも行きたい気分になる。綱沢先生がお帰りになったあとも、飲み足りない大多数の出席者で2次会へ。いったい何を話したのかはもう覚えていないが、なにやら「酔い」いや、「良い」雰囲気であったという事だけ覚えている。また皆さんお会いいたしましょう。

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