連載小説 『天皇と呼ばれた男』         渚美智雄   監修 荻正道


【読者の皆様へ】
この作品は、実在企業をモデルにしたものです。しかし、企業の事業内容や経営状況、経営関係者等の性格、経営観等の一切は、すべて創作された架空のものであることをお断り申し上げます。戦略的意思決定の仕組みや企業統治のあり方を創作を通じて模索する“経営小説”の試みとしてお読みいただければ幸いです。

                                  (第一回)

その朝、村中國男はいつものように自宅の書斎で本を読んでいた。
妻を亡くし大阪の郊外に一人住む村中は、彼のキャリアを知らない周囲の住人からは70才を超えた口数の少ない老人にしか見えない。

食事や洗濯等の身の回りのことは派遣会社を通じて、家事ヘルパーに依頼している。
毎日、村中の食事の世話をしに担当者がやってくるが、この日の朝食はキャンセルしていた。

最近、食欲がなく食卓に座って摂る食事は気が進まないことが多い。
この日も、自分で入れた紅茶をすすりながら少量のビスケットを口にする。そして、ゆっくりと読みかけの本をひろげる。

村中の朝は早い。
あたりは静かだ。タイマーで起動させる空調装置によって書斎の温度は既に快適な状態になっている。
村中は毎朝洗顔を済ませて書斎に足を踏み入れる朝のこのひと時が好きだった。
かつて、松木電器の社長だった頃から、村中は朝が早い。
わずかな秘書しか出勤していない早朝から社長室に入り、報告書類に目を通すひと時だけが自分のペースで仕事出来る時間だった。

やがて就業時間になり、続々と重役たちが報告事項をもってやってくるようになると、村中の表情に険しさが浮かぶ。自分の時間を奪われる忌々しさが心のどこかにあったからかもしれない。
実際、朝の心地よい静けさが喧噪に呑みこまれていくのは疎ましかった。これ以降、社を離れるまで自分のペースで動ける時間など皆無なのだ。村中は定時退社を心がけていたが、自分を取り戻さねば、自分の思考がおかしくなるような気がしたからである。

今はあの頃のような焦慮がない。心行くまで好きな本の世界に入り込んでいられた。経営書は読まない。昔から好きだった宮本輝の小説をはじめ、随想や真言系の仏教哲学書などが愛読書だった。

どれほどの時間が経っていたろう。村中の至福の時間は一本の電話によって破られた。
書斎のデスクの隅に置かれたコードレス電話を取り上げる。

「お早うございます。○○でございます」
会社の経理担当常務からだった。

「ああ、お早う・・・」
経営概況報告など聞きたくもなかったが、村中は、今でも「名誉顧問」の肩書が付けられている。本社の一角に個室まで用意されている以上、出社するのが本来だったが、村中はめったに会社に足を運ばなかった。
そのために、○○からは報告電話が来ることが多い。

「上期の業績の発表を明日させていただくことになりました」
「ああ、そうですか・・・」
村中にすれば、そんなことはどうでも良いことだった。

「その席上でございますが、今後の方針を二三、社長の方からしていただくことになりまして・・・」
それもまた当然で、いちいち自分の耳に入れてもらう必要などない、と村中は思わず言ってやりたくなる。
経営は現経営陣が責任をもって進めればいいのである。

「実はその・・・」
○○のどこかおどおどした声がとぎれる。

「何なんだね」
村中は若い頃ほどではないが、今も相当に気が短い。用件をさっさと済ませる人間でなければ評価しなかった。

「は、その・・・。明日の記者発表の席上で、津田社長から、今期いっぱいでその・・・プラズマパネルの事業を終結することを発表していただくことになりまして・・・」。

「そうか」
村中の言葉はそっけない。それが何だと言うのか、といった声の調子は○○にも伝わったはずだ。

「は、一応、お伝えしておくべきだと思いまして・・・」
○○の声は、すぐさま釈明の調子を帯びた。

プラズマの件になると、決まって気づまりな空気が漂う。会社が巨額の赤字に陥った主因は村中が進めたプラズマ事業の誤算にあるとされていた。
既に撤退方針を決めている以上、今さら発表することに遠慮する必要などないではないか。

腹立たしさは受話器の向こうにも伝わったのだろう。すぐに○○の緊張した声が届いてきた。
「は、お忙しいところ、わざわざお耳に入れるのもどうかと思っておりましたが、実は昨日、この件で大辻相談役にご報告申し上げましたところ、村中顧問のお耳にも入れておくように言われましたもので・・・」。

「・・・ああ、そうか・・・、用件はそれだけかね、ご苦労さん」
村中は電話を切った。

大辻がか・・・、村中は一人つぶやいた。

大辻文雄は、村中が社長を譲った男である。長年、村中の片腕として働きづめに働いてくれた右腕だった。

製造畑一筋のキャリアで、量産技術に関してこの男の右に出る者はいないと今でも思っている。
村中からの指示に異論を口にしたことは一度もない。指示された瞬間から、どうすれば村中を満足させられるかだけに集中してきた、そんな直線型の男だった。

村中が社長当時、DVDレコーダーの世界同時立ち上げを指示したときも、AV部門の長の立場にあった大辻は困難の大きさを一言も口にせず、村中自身も驚くほどの成果を見せたものだった。

限られた生産設備で世界市場に同時に供給するとなれば、それだけ先行して作りだめをしなければならない。
だからこそ、国内から販売し、アメリカ、欧州と順次、市場を拡げていくのが従来からのやり方だった。

しかし、デジタルAV商品は他社の追随が早い。自慢の新製品も数か月で他社の追い上げにあい、価格を下げなければ売り負けてしまう。価格の下げは当然に利幅の圧縮につながり、一年もすれば赤字にすらなることも珍しくなかった。

その意味で、世界同時販売は村中の悲願であった。世界中で一斉に販売を開始できれば、他社が追随するまでに利益を独占することが出来る。他社が追随してきたときには、深追いせず次の商品を準備すればよい。

しかし、そのためには商品の開発計画全体を見直し、設計段階から相当の前倒しをしなければならない。
その困難なプロジェクトを大辻は血眼になって取組み見事にやり遂げたのである。

薄型テレビのブームが来た時も、村中は他社が先行していた液晶方式を後追いするのではなく、付加価値の高い大型画面の市場を狙い、あえてプラズマ方式の選択を決断したのだった。

むろん、大辻は何も言わず遮二無二プラズマパネルの量産に立ち向かった。歩留りの改善を続け製造コストを圧縮し、大画面サイズでなら他社の追随を許さない優位性を確保した。
そのスピード感は村中の期待以上のものがあった。
プラズマ戦略の成功で、村中は“業績をV字回復させた名経営者”として声望を高めた。

しかし、その戦略に潜んでいた巨大なリスクは、村中が社長を退き、代わって大辻が社長になってから一気に噴き出した。巨額の赤字を出した無能な経営者として大辻が社長の座を追われたことを、村中は複雑な思いで思い起こす。

プラズマ事業撤退を発表するだけのことに、大辻は今でも俺に気を遣うのか・・・。

村中は苦々しい表情で大辻の顔を思い浮かべていた。


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