連載小説 『天皇と呼ばれた男』         渚美智雄   監修 荻正道


【読者の皆様へ】
この作品は、実在企業をモデルにしたものです。しかし、企業の事業内容や経営状況、経営関係者等の性格、経営観等の一切は、すべて創作された架空のものであることをお断り申し上げます。戦略的意思決定の仕組みや企業統治のあり方を創作を通じて模索する“経営小説”の試みとしてお読みいただければ幸いです。

                                  (第二回)

2013年度上期(4月〜9月)の業績発表が行われ、メディアは久しぶりにポジティブな反応を示した。
メディアだけではない、株価もこれを境に上昇カーブを描くようになった。
2013年度通期の利益見通しを大幅に上方修正したことも好感されたが、それ以上に、前日、村中にわざわざ了解の電話がかかった「例の件」の発表が効いた。プラズマ事業からの撤退の件である。

一年前の津田社長の就任のときから既に方向を示していたにも関わらず、経済紙や雑誌の多くが大きく報じていた。

今さら何だ・・・マスコミはよほどネタ枯れなのか・・・。村中は苦々しく思った。
中には、村中が液晶ではなく、あえてプラズマを採った戦略の妥当性について相当に詳しく論評しているものもあった。

そのニュアンスもメディアによって微妙に違う。戦略の方向が完全に的外れだったというものもあれば、失敗の本質は液晶技術の可能性について過小評価したことだと言うものもあり、中には自前主義のモノづくりに拘泥し過剰な設備投資をしたことこそ最大の誤算だというものもある。

いちいちもっともなことだが・・・、俺にも言いたいことがある、という思いに村中は耐えた。
済んだことではないか。すべては俺の失敗にしておけばいいではないか・・・、村中はそう吐き捨ててパソコンの画面を閉じたくなった。
ほとんど出社しない村中の自宅のパソコンには、広報部門から会社に関連する報道記事がまとめて配信される。
一応目を通すが、今の村中にとって、一日で最も不愉快な時だと言って良かった。

これが「失敗した経営者」が受けねばならない引退後の罰なのか・・・。
しかし、村中が社長の座を専務だった大辻文雄に譲って会長に退いたときには、プラズマ戦略は最盛期にあり最高益が見通せる状態にあった。
メディアはこぞって村中の手腕を賞賛し、堂々たる勇退として褒めちぎり、中には大辻新社長に最高益達成を譲った村中の「人間性」を持ち上げる報道すらあった。
それが今では一転してこのざまだ。いっそ、あのとき会長などにならずに足を洗ってしまっていたら今頃は「名経営者」として、精神的にも悠々自適の日々を過せたかもしれない。

発表の前日にわざわざ経理担当常務が電話してきたのは、このようなメディアの反響の大きさを予想して、村中に不意打ちをくわせない配慮だったのだと改めて気づいた。その裏には、大辻の気配りがあった。
俺のことなどどうでもいいのだ、大事なのはお前自身の名誉の方だろうが・・・、村中はそう言いたかった。

今回が最後だ、と思えばいいことだ。村中はそう思い直した。もうプラズマのことなどメディアが問題にすることはない。それは完全な過去になり、これからは津田社長の方針と戦略の時代に完全移行していくのだ。

そう思えば、村中の気持ちも晴れた。
パソコンを切ろうとしたとき、村中の指先が止まった。著名な中央紙に今回の事項に関連した社説があることに気づいたのである。これは読んでおかねばいかんな、と村中は直感的に思った。

論旨は次のようなものであった。

「政治の世界においても経営の世界においても指導者は引き際を誤ってはならない。日本社会では、功成り名を遂げた人に引退勧告することはない。当人がその気にならなければ死ぬまで「現役」を続ける事態まであり得る。
そのことが現役世代の裁量を狭め、国家や企業の未来を誤らせることになる。今最も必要とされている構造改革も、「偉大な先人の業績」の聖域化が実行を阻む要因になっている。
たとえば、著名な家電会社で先日発表されたプラズマテレビからの撤退も、誰の目から見ても失敗であった当該事業の整理がここまで遅れた背景には、この事業を進めたトップが会長として居残っていたことにあると見て良い」。

ここまで読んで村中は体中の血液が脳の奥に押し寄せてくるのを感じた。

「昨年6月に就任した津田新社長は、プラズマからの撤退を急がなければ致命傷になるという危機意識を持っていたと言われる。しかし、プラズマパネル事業を、電子黒板等の新用途を探究するなどして継続せざるを得なかった背景には、会長に就任した大辻前社長への遠慮があったと思われる。先般、同社がこの事業の完全撤退をようやく決断できたのは、一月前に大辻会長の“遅すぎた引退”が実現したからであった。もし、津田新社長就任時に引退がなされていたら、同社の復活への道はもっと早く開けていたはずである」

何ということを言う!
他所の会社はいざしらず、うちの会長職は対外業務だ、経営の責任も権限も社長にある。津田新社長が大辻に遠慮するなどあり得ない。
村中はデスクを拳で強く叩いた。これは社長時代からのクセである。
思わず、広報部門長に電話しようとしてコードレス電話を引き寄せた。

受話器を強く握りしめながら大きく深呼吸して思いとどまった。
大辻が会長を辞めたいと言ってきた何か月か前の電話のことを思い出したのである。

・・・やはり自分がこのまま会長でいることは、この会社のためにならんように思います・・・。

例によって良く通る声で大辻は言った。
この男は弱音を吐いたことがない。苦しい立場にあればあるほど明るい顔をし元気のいい声を出す。その男が村中に初めて弱音を吐いたのだ。

会社を危機に陥れた社長が会長に昇格するとは何たることか。そんな罵声が株主総会で浴びせられたことも村中は聞いていた。

そんなことで負ける男ではない、村中は楽観視していた。
社長を辞任したいと相談してきたときにも、大辻は社内の雰囲気を鋭敏に感じてか、自分は会長に就かずケジメをつけたいとも言った。
それを村中は一蹴した。
社長を辞めるのは良いとしても、会長に就任しないということだけはイカン。

村中の一喝で、大辻は会長の座につきたくないという本音は二度ともらすことはなくなった。
それからの大辻は、社内で快活を装い、幹部には委縮してはいかんぞと明るく発破をかけ続けた。表情には努めて笑みをたたえるようにして。

そのような行動が社内外に、反省能力欠落症、懲りない経営者ナンバーワン・・・などと呼ばれ非難された。
大辻の意向を聞いてやるべきだったのだろうか、村中はもう一度深呼吸して思った。

松木電器では、社長を務めあげたあとは会長として新社長を見守るのが慣例なのだ。創業者、松木幸之輔が社長を退き会長になり、やがて相談役として経営の第一線から退いて行ったことが、この不文律を生んだのである。
逆に言えば、それはその社長が“合格”であったことの認証でもあるのだ。
大辻が会長ポストにつかないことは、社長不合格であることを自ら宣言するに等しい。

大辻ほど健闘した男を伝統の花道からはずして退かせることなどあり得ない。村中は胸の鼓動が落ち着くまで長くパソコン画面の社説を睨みつけていた。


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