連載小説 『天皇と呼ばれた男』         渚美智雄   監修 荻正道


【読者の皆様へ】
この作品は、実在企業をモデルにしたものです。しかし、企業の事業内容や経営状況、経営関係者等の性格、経営観等の一切は、すべて創作された架空のものであることをお断り申し上げます。戦略的意思決定の仕組みや企業統治のあり方を創作を通じて模索する“経営小説”の試みとしてお読みいただければ幸いです。

                                  (第五回)

村中は、国道一号線をくぐり本社の敷地に足を踏み入れた。
守衛が立ち上がり会釈するのをかまわず通用口に向かって歩く。

松木電器の広大な本社では、社員が出入りする通用口と幹部や来客用の正面口に入口が分れている。
かつての村中は黒塗りの社用車を正面口に横付けにして本社に出社していた。
今は一介の顧問職にすぎない。通用口から入るのが常識だろう、と考えていた。

慌てて村中の背後に迫る足音がある。正面口に座る受付業務の女子社員の一人だった。

「村中顧問、どうぞ正面口からお入りください」
わずかに息を弾ませながら言う。
「そうですか・・・」
村中はそれだけ言って素直に従った。相手が幹部社員だったら、村中は通用口から入るといって聞かなかったろう。
相手が女子社員では我を通すことが躊躇われる。村中には現役の社長時代からそういうところがあった。

正面口では、受付の女子社員数名と彼女たちの上司にあたるに違いない男が直立不動の姿勢で村中を出迎えた。

村中の表情が厳しくなった。会社がどうなるか分からないときに、受付にこんなに人数をかけるとは何事か。思わず、そう一喝したくなった。

しかし、何も言わない。出来るだけ口を挟まないことが最善だと村中は心に決めている。

簡単に会釈を返して本社内に入った。すかさず中年の男子社員が村中の前に進み出た。
「本日はご無理をお願いして申し訳ございません。広報本部長は所用により失礼いたしますが、くれぐれもよろしくお願いいたしますとお伝えするように申し付かっております」
「ああ・・・」。
村中はそんなことは気にもかけない。社長時代から、連絡事項は簡潔に携帯メールで済ませるように奨励してきた。つまらぬ気遣いに囲まれることで、最も重大な情報が自分から遠ざかり、余計なオブラードに包まれることを警戒してきたからである。

「私が本日の取材を担当させていただきます長居と申します。よろしくお願いいたします」
事務服姿で小脇にファイルを抱えた男は一礼した。

40代半ばと思われる男を見やりながら、村中はすばやく男の印象を整理した。
大きな鼻に厚いレンズの眼鏡をかけた男の顔には、松木電器の社風に染まり切った落ち着きが見える。張り出したエラには自分の担当する仕事に対する自信が覗いている。

「取材は二時から特別応接室で受けていただきますが、その前に多少の打ち合わせをさせていただきます・・・」。
長居と名乗った男は、村中を会議室に案内しようとして、片手を延ばし手のひらを見せて先の廊下を示した。

本社内は閑散としている。使われていない部屋がやたらに目立つ。社員の姿もひどく少ない。

「本社もずいぶん寂しくなったな・・・」
村中は、歩きながら独り言のように呟いた。
「津田社長が本社を大胆にスリム化されましたので、正直、少し本社としての恰好がつきにくくなっております」
長居がそう返した。そして、こうも付け加えた。

「メディアには、気づかれないように別棟の応接専用棟を使うようにしておりますのでご安心ください」。
村中は気が重くなった。恐らく広報業務一筋で来たに違いない長居のような社員の頭には、会社の問題を糊塗し巧みに取り繕うノウハウと経験しかあるまい。
こんな男をリストラしたら、“能力”を発揮できる場所などどこにもあるまい・・・、そんなことを村中は思わずにはいられなかった。

小会議室に落ち着いた村中に、長居は手短に取材を受ける要領を説明した。

「相手は30才過ぎの女性記者です。記録担当の若い男性と二名になります」。

女性記者と聞いて村中は嫌な顔をした。女性記者は妙に直感的な質問をしてきて、意図を解しかねるところがあると村中は思っている。下手をすると、経営には関係のない私生活上のことにすら話が及びかねない。そういった女性記者特有の好奇心を適当にはぐらかす器用さが村中には欠けている。

「30分程度で終わるかと思いますが、相手の関心は津田社長の経営改革や社長ぶりを村中元社長がどう見ておられるか、というところにあると思います」
村中はうんざりした。
「適当に褒めればいいんだろう。津田改革の成果に期待していると・・・」

「はぁ。基本的にはそうなんですが。多少、村中元社長との改革の違いのようなことも聞いてくる可能性がありますので・・・」
「分かっている。プラズマ戦略の失敗については言い訳などしない」
村中は取材を押し付けられたときからプラズマの失敗が話題にされることは覚悟していた。しかし、長居は大きく首を振った。

「プラズマのことなど相手は全く関心がありません。そんな話題は全くないと考えていただいて結構です。世間は全くプラズマのことなど忘れてしまっていますから何のニュースヴァリューもないと判断しています」。
「じゃ、何を聞きたいんだ」
村中は不快感をあらわにして聞いた。村中には、自分の考えがつまずいた時には顔に不快感が露わに出るところがある。そのことに気づいてから、村中は極力ポーカーフェイスを保つ訓練をしてきたつもりだったが、このときも顔に出た。
そのことは相手の表情の緊張感で分かる。しまった、と思う。こうなると、相手は村中の意中を忖度して自分の考えをそのまま伝えなくなるからだ。

しかし、長居と名乗る社員はひるまなかった。
「相手が聞きたいのは、創業者の経営哲学に対する村中社長と津田社長の考え方の違いのようなところです」

思わず村中は長居の目を見返した。それから呻くように呟いた。
「松木幸之輔の経営哲学・・・何を今さら・・・」。


続く


       戻る