連載小説 『天皇と呼ばれた男』         渚美智雄   監修 荻正道


【読者の皆様へ】
この作品は、実在企業をモデルにしたものです。しかし、企業の事業内容や経営状況、経営関係者等の性格、経営観等の一切は、すべて創作された架空のものであることをお断り申し上げます。戦略的意思決定の仕組みや企業統治のあり方を創作を通じて模索する“経営小説”の試みとしてお読みいただければ幸いです。

                                  (第七回)

「ああ・・・そうでしたか・・・」
村中は思わず目を伏せた。若泉真紀は微笑を一層拡げて村中を見返してきた。

インタビューが始まった。村中は、ペースをこの女性ジャーナリストに握られ続けた。
当たり障りのない質問から始まったが、村中の言葉にぎこちなさが目立つ。心は別にあった。

あのときのことはよく覚えている。しかし、目の前の女があのときの女だったのかどうか全く記憶になかった。
大人げない行動だったと思う反面、あの時代の自分のひたむきさだけは誰にも批判されたくないという思いもある。

「今の会社の姿をみて、かつての社長として、どんな感想をお持ちですか?」
真紀の口ぶりには、そろそろ本題に入っていこうとする構えがあった。

「大きく変わったな、という感じがすべてですな。こまかなことは自分はもうリタイアした立場なんで分かりませんが・・・」
「リタイア? 最高顧問ってリタイアした人の役職なんですか?」
真紀は大きく目を見開いて呆れたように聞いてくる。
村中はあわてた。「いや、それはその・・・」。あとの言葉がうまく見つからない。

横にいた長居がたまらず口を差し挟んだ。
「村中顧問のおっしゃったリタイアというのは、経営の実務からは完全に手を退いているということです」

若泉真紀はその言葉を受けて、すぐに切り込んだ。

「つまり、現役の経営者から、重大な課題が生じた時に相談に応じるお仕事ですよね。村中さんが今の会社のことはよく分からないとおっしゃったのは、津田社長からあまり相談が持ち込まれていない、と解釈してよろしいのでしょうか」。

村中は思わず溜息をついた。その通りだ、と正直に答えて良いのかどうか。
「最近はあまりありません。外部からご覧になってもお分かりのとおり、おかげさまで当社は急速に業績を回復させています。津田社長も自信をもって順調に社長の重責を務めているということですよ」。

「あくまでも一般的な話ですが、日本の会社の社長さんは、かつて上司だった会長さんとか顧問さんとかにずいぶん気を遣っているようですね。村中さんも社長時代はそうでしたか?」

「僕は全然気にしなかった。気にしとったら経営なんてできませんわ」
「創業者の松木幸之輔さんが存命だったらどうですか?」
「そらもう、一日中気にしとったやろね」

この村中の一言で、ようやく笑いが起こった。重苦しい室内の空気がようやく緩んだのである。
「村中さんは事業部制を廃止されたり、ずいぶん幸之輔経営を否定されて会社を改革された剛腕経営者だというのが私たちジャーナリズムの共通した見方なんですが、もし、幸之輔氏が生きておられたらあそこまで出来なかったということですか?」
「そんなことはない。ただ説明というかご理解を得るために動かないかんかったでしょうな。仕事は増えておったとは思う」
「つまり改革の時間がそれだけ余計にかかった、ということですか」
「まぁ、そうなったやろね・・・しかし、大したほどではなかったとも思う」

若泉真紀はそこで一息入れて少し早口に聞いてきた。
「今の津田社長がいろいろ大胆な社内改革を行えるのは、村中さんのそういったご経験からきた、口を挟まないスタンスがあるからなんでしょうね」
「どうかね・・・だいたい僕は課長の頃から部下の相談に乗らない方針でやってきたから。どうしましょう、なんて聞いてくる部下はダメですよ。君に任せとるんだから君が良いと思うようにやれ、としか言わんかった」
「そういう突き放した姿勢がとれないご性格の人もいるんじゃないですか?」
「そらま、人の性格は様々やから・・・」
「その性格の部分は、後継者を選ぶときの大きなファクターになるんでしょうか」
「まぁ、総合的な判断が優先します。評価項目を整理して、性格適性何点で、総合得点何点だから合格なんてやり方は経営者を選ぶときには使えないと思っている」。

「村中さんが後任に選ばれた大辻さんは、村中さんと反対でいろいろ細かく相談に乗ってあげるというか、それだけ見方によっては、仕事に口をはさむタイプだと見えるんですが・・・」
「そうですか・・・」
ここで村中は言葉を切った。あらためて大辻という男を見直すような沈黙がわずかにあった。それから考えをまとめるようにゆっくりと言葉を継いだ。

「やってきた仕事の性格もあると思いますな。大辻は長いこと製造現場にいた。モノづくりが何よりも好きな男でした。そういう製造現場は戦争で言えば最前線や。ラインにトラブルが起きて班長が血相を変えて相談に来たら、現場に飛んで行って、こうせい、ああせいと命令しますわ。それが出来ない男は逆に信頼されない。大辻というのは、そらもう熱血の現場指揮官やった」

口ぶりに、大辻への評価に誤りはなかったのだと自分に言い聞かせるようなところがあった。

「おっしゃっておられることはよく分かります」
若泉真紀は目を輝かせて相槌を打った。ジャーナリストが核心の言葉を相手から引き出す時の常套手段である。
「取材させていただいたことがありますが、本当に熱く語られる方ですね。でも、こんな風に言われたら、下の人は違う意見を出しづらいだろうと思ったことがあります」
それから真紀は意を決したように聞いた。

「外部から見ておりますと、大辻さんが結果として大きな赤字を出されたのは、そういうこともあったのでは、と思うんですが」
村中は嫌な顔をした。たいていのジャーナリストは村中の不機嫌顔に出くわすと追求の矛先を鈍らせる。しかし、真紀はそうではなかった。村中の自分に対する負い目を計算に入れていたかもしれない。

「経営者は結果やから。言い訳なんかするものやない。しかし大辻クンの場合は経営環境があまりにも悪かった。無念な気持ちが強いと思う・・・」

「そういう無念さは、会長に退かれてからも、新社長からの相談の場面でついつい踏み込んで口をはさむことになっていったんじゃないでしょうか」

「そらま、彼は僕ほど無口やないから。相談にこられれば僕みたいに突き放すことはせんやろ。いろいろしゃべったことは事実やろな。しかし、あくまで決めるのはお前や、ということも言い含めたと思いますな」
「今の津田社長にしてみたら、やりにくかったんじゃないでしょうか?」

「そんな気にする男やったら、この会社の社長は務まらん。そう思いますよ」
「それが村中さんが大辻さんの後任に津田さんを選ばれた理由なんでしょうか? つまり気にしない性格という点が」
「私が選んだ訳じゃない。大辻が社長を辞めたいと言ってきたときに、後任はどうするんだと言って、二人で相談して決めた」。

「津田さんの名前を最初に出されたのは村中さんだと言われてますが・・・」
「古い話でよく覚えていない。ただ、二人の間に他の候補者の名前は一切出なかった。二人とも津田しかいないという認識を共有していたと思います」。

「大辻さんは会長には着きたくないと言われたとか・・・」
「そらね、業績がああなったら気が弱くなるから、人間は誰でも・・・」
「それを慰留されて大辻さんを会長にされて、村中さんが会長を辞められた。
意地悪な見方で恐縮ですが、責任をとるという“名誉”を村中さんは大辻さんに与えずに自分でとってしまわれた、とも言えますね。それからの大辻さんは我々外部から見ていても気の毒でした。居座っていると受け取られましたからね」

真紀は微笑を維持したまま、さらにこう聞いてきた。

「新任の津田社長もやりにくかったでしょう。大辻さんへの同情がありましたから。だから、ついつい改革計画においても、これ以上、大辻さんに恥をかかせたくないという気配りが働いていたように見えます。大辻さんの会長辞任は、村中さんの御意向じゃなかったのでしょうか。もう赦してやろうというお気持ちとでもいいますか。それに、これ以上会長にしておいたら、津田社長の改革に影響が出るという・・・」

村中は不機嫌な表情のまま何も答えようとはしなかった。

質問に対して沈黙で応えることは肯定をするに等しい。若泉真紀の表情に手応えを得た満足感が拡がっている。
長居は不安を感じた。ある種のジャーナリストはあらかじめ記事のストーリーを用意した上で、言質をとるために取材するものだ。
村中は致命的な言質を与てしまったのではないのか・・・。


続く


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