連載小説 渚美智雄
『大和ファウスト』
第14回
ヤタガラスは私をじっと見つめていました。鎌倉宮の護良親王が入れられていた土牢の前で、佐田刑事を釣り上げていったオオヤタガラスとはあまりにも大きさが違っていました。しかし、脚が3本あることから同じヤタガラスに違いないと思い、この鳥は、状況に応じて自在に大きさを変えることが出来るのか、と我ながら理不尽なことを考えてしまったものです。
「さっさと開けんかい!」
ヤタガラスはそう言った気がしました。一声鳴いただけだったのかも知れないのですが、私は、ヤタガラスは人間の言葉を話すことが出来るのだと、今でも私は信じています。
私は扉を大きく開けヤタガラスを家の中に招き入れました。すると、ヤタガラスは私の顔に向けて首をのばしてきました。よく見ると、嘴に何かをくわえていることに気づきました。驚いたことに、それはUSBメモリーだった。
私は早速、デスクに置いているノートパソコンをたちあげメモリーを挿入しました。すぐにパソコン画面が真っ黒に変わった。スピーカーから琴や笙が奏でる和雅曲が流れ出した。私は鎌倉宮のあの土牢の前に連れ戻されたかのような嫌な気分になりましたが。
『ファウストより キョウメイ殿へ』
画面に毛筆体の白い文字が浮かび上がった。
『今後、そなたへの連絡はヤタガラスにUSBメモリーを運ばせることによって行うものとする。ネットでメールを打てば簡単だと思うだろうが、それは絶対に避けねばならない。なぜなら、プロバイダー等のメールサーバーからいくらでも、メールを読まれてしまうリスクがあるためである。キョウメイ殿はメモリーを開かれれば、即、内容を消去されたし』
私は、“キョウメイ”などと呼ばれる筋合いはないのだが、文章を最期まで読んでみる気になった。
『指令第一号 “保元の乱”を想起せよ!』
いきなり何だ、と思った。“保元の乱”などと言われてもすぐには思い出せない。私は、パソコンを操り、ユーチューブを開いた。最近は辞書や関連書籍を開くことはめったにしない。何か調べたいときには、パソコンにキーワードを入力するだけで、山ほどの情報が押し寄せてくるからだ。もっとも、その内容の真偽のほどは確認できないのだが。
私は、キーボードで“保元の乱”と入力してみた。すると多くの動画のサムネイルが画面狭しと表示される。パソコンの傍に居座り画面を興味深げに注視していたヤタガラスが一声、スゲェと言った気がした。例によって、ただ鳴いただけだったのかもしれないのだが、私は、不思議なことにヤタガラスの知的レベルは人間並みではないかと、いつの間にか考えていたのです。
動画は様々でした。歴史学のプロを気取る真面目なレクチャースタイルのものから、漫画をふんだんに使ったコミック調のものまで硬軟とりまぜて目白押しなのだ。
私は、漫画の乗っているものをクリックしてみました。『保元の乱をやさしく読み解く』というタイトルに私の衰えた頭脳レベルにマッチしそうだと直感したからです。
セーラー服姿の女の子キャラが初老の歴史学者風のキャラに質問するスタイルだった。
「保元の乱というのはじゃな、平安末期に起こった内乱で貴族社会が崩壊し、武士の世が始まるキッカケになった重大な事件じゃ」
「源氏物語より後の時代なんですね。主人公は天皇なの?」。
「いかにも、白河天皇というのがおっての。この人は権力の亡者で精力絶倫タイプだったと言われておる。この天皇は引退した後も権力を手放したくなくて、自らを上皇と名乗って院政を始めたのじゃ。息子の鳥羽天皇は飾りにされた訳で・・・」
「さぞ面白くなかったでしようね。それで反乱を起こしたの?」。
「話はそれほど単純ではないんじゃ。もっと複雑な事情があっての・・・。あまり詳しく話すのは教育上どうかと思うが・・・」。
「知りたいデス!」。
「まぁ、仕方ないのう。・・・実は白河上皇は自分のオンナを息子の鳥羽天皇の妃として押し付けたんじゃ」。
「ヒェ! じゃ、鳥羽天皇はお父さんのお古をお嫁さんにもらったワケ・・・。余計面白くないわよね、それじゃ」。
「息子の嫁にしてからも、白河上皇はちょくちょく、そのオンナのところに行って情を交わしたと言われておる」。
「情を交わす・・・エッチしてたということ。父と息子の三角関係じゃん、それじゃ・・・」。
「話が複雑になったのは、そのオンナが身籠ったからじゃ。生まれたのが後の崇徳天皇。ところが鳥羽天皇は崇徳は自分の子ではなく、父の白河上皇の子供だと信じて疑わなかった。崇徳を見るのも嫌という態度で、崇徳天皇はなぜ自分が“父親”から疎まれるのか理解できないし・・・」。
「グレるよね、それじゃ・・・そこで乱を起こしたのね」。
「そう簡単に乱が起こってもらったら困る。ここで、もう一人、第二のオンナが登場するんじゃ。鳥羽天皇は父親から譲られたオンナを嫌悪しておった。その感情は白河法王が死んでからも変わらず、ますます歪んだ形になって持続したらしい。やがて、そんな鳥羽天皇の屈折した心を癒す美女が登場した。それが有名な美福門院じゃ。鳥羽天皇は美福の優しさと美貌の虜になった。やがて、美福との間に男子が生まれると、この子を天皇にしてしまい、崇徳天皇は上皇にまつりあげられてしまったんじゃな。この頃から、崇徳の取り巻き貴族の間から、“余りのなされよう・・・これでは崇徳天皇は気の毒すぎる”という同情と反発が起こった」。
「だんだん乱の気配がしてきたぁ・・・(笑)」。
「ここで決定的な事件が起こった。美福の生んだ子が突然病死したんじゃ。美福は嘆き悲しみ、誰かが呪詛したからに違いないと鳥羽上皇に泣き口説いた。鳥羽上皇は、呪詛をしたのは崇徳をおいてないと思い込んだ。それほど嫌いな息子だったんじゃな・・・。天皇が亡くなった以上、すぐに代わりの天皇を決めにゃならん。状況からみて、崇徳が天皇に返り咲くのが妥当だと言えるんじゃろうが、美福が絶対にイヤと言ったとか・・・。そこで、若年の弟(後の後白河天皇)の方を天皇にしようとした。これには崇徳の取り巻き貴族達が激高した。兄を差し置き、未成年の弟を天皇にするとは、崇徳の立場を蔑ろにすることはなはだしい、という訳さ。ところが、後の後白河天皇の方にも取り巻き貴族たちがいる訳で、上皇のご意志に背くのか、という崇徳に反発する一大勢力が出来上がったんじゃな・・・」。
「今も昔も変わらないのね。崇徳につく貴族も、後白河につく貴族も、自分の栄達のためにどちらかについたんでしょ・・・」「こうなると、武力行使以外に決着のつけようがない。鳥羽上皇が生きている間はお互いの反目は表面化しなかったが、亡くなると一気に相互の憎悪が噴き出したんじゃ。しかし、貴族連中には武力はない訳よ。そこで自分たちの警護役であった武士たちどうしを戦い合わせるんじゃのう」。
「あの平家とか源氏と言われた連中ね・・・」。
「平家も源氏にも、崇徳につくものがいたり後白河につくものがいたりしていたから、武門内部の骨肉の争いという様相になった。“保元の乱”というのは、貴族連中に仕えた武士階級が“代理戦争”に追い込まれた乱じゃった。この悲劇性から武士が目覚めていく。俺たちは公家たちの飼い犬では終わらぬという社会変革意識が生じた訳じゃな・・・その先頭に立ったのが平清盛だったが・・・」。
動画はまだ続いていたが、私はもうそれ以上、見る気はしなかった。傍にいたヤタガラスもおなじだったと見え、いつの間にか姿を消している。何処へ行ったのかな、と思った時だった。一階で大きな物音がし、ギャーというような女の叫び声が聞こえた気がした。
あわてて階段を駆け下りました。信じられない光景だった。
ヤタガラスがあの等身大の駒子人形に襲い掛かっているではありませんか。驚いたことに、駒子の顔・・・それは演じた岸景子の顔そのものなんですが、血だらけになっているのです。人形が血を流すはずはありません。しかし、その時の私はそう冷静に考えられなかった。ヤタガラスを止めなければ、駒子を殺してしまうのではないかと思ったのだ。
「止めろ! 止めないか!」
私はヤタガラスの身体を鷲掴みにして駒子から引き離しました。
「怪しい! こいつは怪しい!」とヤタガラスは叫んでいた気がします。もっとも今考えれば、単に鳴いていただけなのかもしれないのだが。
「乱暴するな! お前の用は済んだはずだ。さっさと帰るが良い!」
私がそういうと、ヤタガラスは身をこわばらせ直立不動の姿勢をとったかと思うと、三本のうちの中央の脚をまっすぐに私に向かって直角に上げたのです。まるで、あのナチスの“ハイル・ヒトラー”の敬礼のようにだ。
私は両手でヤタガラスの身体を押さえ込み、階段を急いで上がり、ベランダに出る扉を開け、そのままヤタガラスを宙に放り出しました。
その場で私は何度も深呼吸し落ち着こうと努力しました。思えば、こんなに興奮したことは、この家に越してからなかったと思う。ようやく気が鎮まってデスクの上を確認すると、パソコン画面にはユーチューブの画像が並んだままになっていました。電源を落とそうかと思ったのですが、『保元の乱の黒幕は誰か?』というタイトルの画像に気づき、思わずそれをクリックしたのです。
『保元の乱の遠因を作ったのは、白河上皇だと言わねばならない。しかし、自分のオンナを息子の妃におしつけるという異常な騒ぎに目を付けて、内乱の火種にしようと考えた者がいました。これこそ保元の乱の黒幕だと言えるでしょう。それは美福門院です。彼女の正体は九尾の狐だったと言われています。この女狐は最初、古代中国の殷の王朝の皇后になり悪行を繰り返し人民を苦しめた後、天竺(古代インド)の王子の妃となって暴虐の限りを尽くし、再び中国に戻り、周の王朝の皇后になり王朝を破滅させた後、日本に渡ってきた。“玉藻の前”と名乗り女官として鳥羽上皇に近づき、その官能を激しくかき乱し、側室となって鳥羽上皇と交わりを重ねた。やがて、上皇は病に伏しがちになり、怪しんだ陰陽師が正体を見破ったとされていますが、時すでに遅く、時代は狂相の度を濃くし、やがて保元の乱を引き起こすにいたりました』。
九尾の女狐・・・。私は強くその伝承に魅かれてしまいました。今思えば、私もこの時から、鳥羽上皇のように精神を病み始めていたのかも知れない。
あのファウストの奴(大和一)が、私に保元の乱を想起させた意図が何だったのか、その時は分かりませんでしたが、今思えば、“九尾の女狐”の存在を私に意識させるためだったのかもしれません。
ゴトッと階段の下で鈍い音がした。私は、ヤタガラスが戻ってきたのかと思い、階段の降り口まで行ってみました。するとどうでしょう、階下の登り口のところに駒子人形が立っていたのです。顔には血の跡が残り、鮮やかな唇の紅と溶け合って深紅の能面を被っているようだった。私は、一瞬、美福門院か・・・と思い身体が硬直したことを覚えています。
駒子の顔面を覆う能面のような樹脂が歪み始め、かすかな笑みが浮かんで見えた後、顔面はひび割れていき、やがて生身の顔が露になった。それはあの行方不明になっている加田麻里子だったのです。麻里子は私の顔を仰ぎ見て、溶け出すような笑みを浮かべたのです。私の身体は恐怖でわなわなと震えはじめ、立っていることさえ出来なかった。
(来月号に続く)