連載小説  渚美智雄


『大和ファウスト』
第15回


「まさか、駒子人形の中に隠れていたとはな・・・」
私はつぶやくように加田麻里子に言いました。それからハンカチで麻里子の顔に流れている血をふいてやりました。そうです、あのヤタガラスがつけた傷からにじみ出ていた血を、です。麻里子は放心したように黙っていました。

血がようやく止まったとき、ようやく麻里子が言いました。
「ねえ・・・ウイスキーが欲しいわ・・・」。

私は二階に急ぎ足で昇り、アイスペールに多めの氷を入れ、スコッチのボトルとグラスを小脇に抱える形で1階に戻った。麻里子は既に階段の登り口から離れ、玄関近くの応接用ソファに腰かけていました。初めて麻里子がここにやってきた時と同じようだった。もっとも、あの時の黒いコート姿ではなく、駒子の着ていた着物姿になっていたのでしたが。

麻里子は黙ってスコッチをロックで呑み続けました。私は何も話しかけないようにしました。アイスペールから氷をつまみ、ハンケチに包んで麻里子の傷口付近の腫れにあてがったりしていたのですが。

「あぁ・・・ようやく意識が戻ってきた気がするわ・・・」
「よかったな。じゃぁ、キミがここにきて、こうなるまでのいきさつを話してほしいもんだね」。
麻里子は、黙って私のグラスに氷を入れスコッチを大胆に注ぎ込みました。

「あんたも少し呑みなさい。しらふで聞けるハナシじゃないからさぁ・・・」

私は麻里子が作ってくれた水割りをゆっくりと口に運び続けた。そして、辛抱強く、麻里子が話始めるのを待ったのだ。

「ここに来た次の日、私は約束通り、またここに来たのよ・・・。あんたは二階にいて私が来たことに気付かなかったようで、私はあがりこんじゃったのよね・・・。そしたらなんか意識がふうーと持ち上がるみたいになってね、気が付いたら駒子人形の中に私はいたのよ。それからは人形の中にとらわれたままで、あんたも気付かないまま・・・。あの、佐田刑事が私の捜索のためにここへやってきて、あんたと話してるのも全部聞いてたよ。・・・姪の岩瀬志麻が私の捜索願を出しているのも、そのとき知った。私はもう人形にされている感じで声も出せないし、歩き出すこともできないし・・・。あぁ、私は死んだんだなぁ、と思ったね・・・。駒子に変身してあの世に引っ張られていくんだと思ったよ」。

私は麻里子の独白を興味深く聞いていた。そのとき既に私の頭も普通じゃなかったようだ。あの国栖の大和一の家に足を踏み入れて以来、私はこの世から離れて別の世界に生きているという感触があった。生身の女が人形に変えられる程度のことは、よくある話だと思ったぐらいだった。

「頭は加田麻里子に戻ったじゃないか・・・。そのうちカラダも元に戻るんじゃないのかな・・・」
私は麻里子を慰めるつもりもなく、そのように人間が復元されるものだと思っていただけなのですが。 

「無理だよね、自分の体がこんなにコチコチじゃどうしようもないね・・・」
麻里子は口元に皮肉な笑みを浮かべ、それから駒子人形の帯を解いて着物を脱ぎ捨ててしまいました。

全裸になった麻里子の姿は奇妙なものでした。首から下はマネキンの身体なのです。身体というより物体というべきでしたが。
「これじゃ、男も手の出しようがないからねぇ・・・。しかし、不便なもんだね、女は身体を失うと考え一つ出来ないもんなんだね・・・」
「しかし、頭は元のあんたのものになってるじゃないか。考えることは出来るはずだが・・・」

麻里子はまたしても皮肉な笑みを浮かべた。こんどは私への多少の蔑みが含まれているとも見えましたが。

「センセイも男だね・・・まるっきしオンナを知らないんだね。男はアタマでものを考えるようだけれど、オンナは違うよ。身体で考えるんだ。特に股間にあるものが大事なんだよ。そこから何かを取り込んで、その奥にあるオンナ特有の器官で練り直して考えるのさ・・・。せめてそこだけでも元に戻らないと、全く私は何にもできない人形のママだよ・・・。センセイ・・・何とかしておくれよ」
「俺にそんなことが出来るわけなかろうに・・・」。
そのとき私に不思議な思い付きが降ってきたのです。ひらめいた、という感じではなく、天井のほうから埃のように降ってきた、というしかない感じでした

「少しの間、ここで呑んでいてくれ」
私は麻里子にそう言いおいて二階に戻りました。パソコンを開き、もう一度、ヤタガラスが置いていったUSBメモリーを装着しました。

「キョウメイ殿、保元の乱を想起されたなら、重要なミッションを遂行してもらわねばならぬ。おかみは、あの美福門院の末裔が再びこの国に潜り込んで“令和の保元の乱”をおこし、国を滅亡に向かわせようとしているとおおせなのじゃ。私は、おかみの指示されるままに、美福の末裔であるシルシをあのスケッチブックに何度も描きなおされ、ついにおかみがこれだ! とおおせになられた美福女狐の陰部の外形を掴むことに成功した。それを3Dデータにして添付しておいた。キョウメイ殿には、これを手がかりにして、これと同じものを持つ魔物を探し出してもらいたい!」。

確かにメモリーには、3Dデータが添付されていた。これを3Dプリンタにインスツールすれば精妙な立体模型が出来る筈であった。

このとき私は何故か、それを作って、加田麻里子の股間にはめこんでやろうと思ったのだ。私は、パソコンでネット通販のサイトを探し、3Dプリンタを発注した。このサイトで買い物をすれば、首都圏地区では翌朝に配達されるという。私は、マネキンの素材の樹脂材料もあわせオーダーした。うまくいけば、最短で明日には加田麻里子は彼女の言う“考える拠り所”となる身体の一部を手に入れることになる。私は一階に戻り、麻里子の前に座り込みウイスキーを一口呑み込むと、麻里子に言った。

「何とかなるかもしれない・・・」。

麻里子は信じられないような顔をしていたが、少し落ち着いたのか、ウイスキーを旨そうに呑んだ


私もウイスキーのグラスを重ねた。麻里子は全裸のままでいる。女の生首を乗せた“人形”を見ながら私は酔ったらしい。
上手くいけば、こいつの股間に性器が蘇る。私はそれを想像しながら呑み続けた。今まで経験したことのない深い酔いに襲われそうだったが。

私はヘンに納得していたのだ。美福門院の正体が九尾の狐であったなら・・・人間の女に化けるとき、化けきれぬ部分が残るのかもしれない。“九つもある尻尾”は切り落とすにせよ。尾を支える腰部から下腹部にかけて何らかの痕跡がのこるのではないか。性器においてそれが認められるとすれば、確かに魔性の狐を探し出す決め手になる。

その特殊な形状を確認するために、大和一は何枚ものスケッチを描いたに違いない。都度、ここが違う、外陰唇はも少し厚かったとか・・・陰核の形状はもっと尖っていたとか・・・。私は完全に悪酔い状態になっていたのだろう。グラスを重ねるたびに、麻里子の何もないツルツルの股間を凝視ながら、私はそんなことを考え続けていたのだ。

さすがに麻里子はけげんな顔をした。

「男って不思議だねぇ・・・こんなツルツルの股を見ても発情するものかねぇ・・・」。

発情か・・・確かに私は発情していたのかもしれない。後期高齢者の私には欲情などとっくになくなっている。しかし、このとき私を襲った欲情は、思春期の少年が女体の神秘な部分に抱く瑞々しい好奇心に満ちたものだったような気がする

麻里子は、嫌だねぇ、と言って脱ぎ捨てていた駒子の着物をはおり前を隠した。
「良いじゃないか。しっかり見せてくれなきゃ、アレは戻ってこないよ」と私は笑った。麻里子は、妙に納得した顔になって、着物の前をはだけ、私に股間をあらためてさらした。その顔が微妙に朱に染まっている。凝固しつつある血のせいでそう見えただけなのか、それとも、アレをなくしながらも、女というものは記憶に沈む羞恥心を蘇らせるものなのか。

私はグラスを重ねながら瞑想を続けた。大和一は幾枚ものスケッチを描かされて、ついに正解にたどりついたのだ。まるで凶悪犯のモンタージュを目撃者に執拗に細部を確認しながら仕上げていくように。

しかし、その“目撃者”とは誰なのか? 大和一が“オカミ”と呼ぶ者だとしても、一体誰のことなのか。目撃者は、白河法王や鳥羽上皇の末裔なのか・・・。それとも後の世の誰かなのか。

そいつは、美福門院と交情したのか、それとも、後の世に美福門院のDNAを継ぐ女狐に遭遇し、この国を危険にさらしたことで悔いているのか・・・。今の時代に、“令和の保元の乱”の兆しをかぎつけたということなのか。私は一連の想像を楽しんでいた。いや、酔いに翻弄されるままに妄想の迷路を彷徨っていたと言う方が正しかったのでしょうが。

その“おかみ”に私も一度会ったことがある。大和一の指示でまともに“お顔”を見ることは出来なかったが、稀有な気高い気配は今も忘れられずにいる。よほどやんごとないお人であったに違いないということでしょうか・・・。

思えば、“鎌倉の宮の梅はいかほどか?”と仰せになったではないか。そして私は、鶴岡八幡宮に出かけ、あの佐田刑事に尾行されて、まぎれこむかのように鎌倉宮の裏山に入った。考えようによっては、あそこに“導かれた”と考えられなくもない。

あの場所こそ、“おかみ”がおっしゃられた“鎌倉の宮”ではなかったろうか。あそこは、護良親王が足利尊氏の弟によって土牢に幽閉され、ついには命を奪われた場所と言われる。今の鎌倉宮は、後にその護良親王を祀った神宮である。

そのことを承知で“鎌倉の宮”とおっしゃったとすれば、“おかみ”は護良親王に極めて近い人物だったに違いない、。私はあの宮の裏山で佐田刑事に付きまとわれ、巨大なヤタガラスに跨ったクスノキによって救われたことを思い出したのです。

なぜクスノキはあそこに飛来したのか。それは私を警護するためではなく、護良親王への追悼のためだったのではなかったか。あの佐田刑事をオオヤタガラスに命じて空高くに掴み上げどこかに“処理”したのなら、それは私を護るというより、護良親王の聖地を汚す者として制裁を加えたのだったのかもしれない。

とすれば、“おかみ”の正体はおのずから知れる。史上最も過激な帝とされるその“おかみ”が、700年後のこの国に再び降臨し、空前の国難の到来を予言しておられる、と言うことか・・・。厄歳をもたらす獣を駆除し、この国をどこに導こうとされているのか。・・・私に何をせよと仰せなのか。

そこまで考えて私は大和一からのメッセージを思い出した。私に九尾の女狐の末裔を探し出せ、と書いていたではないか。
「そんなこと出来るはずがない!」 
私は思わず大きな声を出してしまったらしい。

「やっぱりダメなのね・・・」 酔いつぶれた麻里子がまわらない呂律で言ったものでしたが・・・。


(来月号に続く)

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