連載小説 渚美智雄
『大和ファウスト』
第16回
驚きました。私は子供のころから手先が不器用で、3Dプリンターを操ることは出来ても、それを駒子(加田麻里子)の身体にあわせ成形し、そこにぴったりとはめ込むなどということは絶対に出来ないと思っていました。
それがどうでしょう。両手の指は実に精妙な動きを見せ、まるで誰かが私に代わって私の指先を自在に操っているのではないか、と思ったほどでした。全くあっけないほど簡単にそれは出来上がったのです。私はそれを麻里子の股間にあてがい、過不足なく切り取ってはめ込んでみた。接着剤など使う必要もなく、それは見事にフィットしました。乱暴に扱っても歪んだりはずれる心配もないほど見事に麻里子の股間に合体したのだ。
さて、このことを一区切りにして、読者に了解していただきたいことがあります。
今まで私は“それ”を“性器”と書いてきたのですが、あの美福門院の醜聞・・・平安末期に保元の乱を引き起こした名高い高貴な美貌の女性の正体が九尾の女狐であり、人間に化けた時、性器の形状にキツネの特徴を残している・・・という伝承にのっとって私がこのような愚行を行い、これからも“それ”に振り回されていく宿命を書かねばならない以上、“性器”という言葉は不都合に思えるのだ。つまり、“性器”と書いた瞬間に、ヒトのものを想起させてしまうから。そこで、私は“九尾の女狐”の“それ”であることを明確にするため、これ以降、“淫紋(いんもん)”と呼びたいと思う。私は3Dプリンターを使い淫紋を再現し、加田麻里子の股間に植え付けることに成功した、という具合に。
「ふーん、あんたの手は、ゴッドハンドだね・・・」
麻里子は目を輝かせて言いました。そうすると、マネキンだったはずの麻里子の身体が蘇ったのです。腕も脚も滑らかに動き、肌は弾力を取り戻していった。
麻里子は、大喜びで駒子の着物を丁寧に着こみ、出かけようとした。
「・・・何処へ行くつもりだ?」と私は聞いた。
「決まってるじゃない。あんたが作ってくれたものの使い勝手を試しに行くんだ。・・・あんたがしてくれても良いけれど、その年じゃ無理でしょうから」。
私は気分を害した。その通りには違いないにせよ、そうまでハッキリ言われると面白くない。その感情が作用したのでしょうか、私は麻里子が夜の大船の町に出ていくことを止めなかった。勝手にすればいい、といった気分だったようです。
麻里子が出かけた後、私は一階の入り口付近に置かれたソファに深々と身を横たえました。無我夢中で淫紋の模型を造り麻里子の体に合わせることに何時間も没頭していたせいか、急に疲れを感じてしまったのだ。難易度の高い手術を終えた外科医のような状態だったのかもしれません。
ソファに身を沈めると、麻里子の匂いがしたような気がした。香水の残り香の中に、かすかに、淫紋の・・・つまり獣の匂いがしたように思った。
私は二階に上がって、ウイスキーを取り出し、アイスペールに氷を満たして再びソファに横になりながら琥珀色の液体をゆっくり呑み続けました。
どのくらい時間が経っていたでしょうか、恐らく深夜になっていたでしょう、私は目を覚ましました。そこに、狐が・・・いえ、麻里子が今まで見たこともない不機嫌な顔で突っ立っていた。
「いつ帰ったんだ?」
「今よ!・・・」
私は、首尾はどうだったと聞こうとして口をつぐみました。麻里子の顔色を観れば聞く必要もなかったのだ。
「ケッ! 今の若い男はだらしないね、全く!」
麻里子は私が飲み残したウイスキーを一息に呑んで言った。すでに氷は解け切って、生暖かくなったウイスキーに、麻里子はいかにもマズイといった恨めし気な表情を見せた。私はあらためて氷を入れウイスキーを多目に入れて麻里子に差し出しました。麻里子は礼も言わず、それを舐めだした。
「・・・こんない良い女が、タダでやらしてやる、と言ってるのにだよ・・・皆、気持ち悪がって逃げていきやがる・・・まるで私を化け物みたいに見てさぁ・・・」
麻里子は、言葉を切ってしばらく何も言わなかったが、突然、「確かにバケモノみたいなもんだけどさ」と言って涙を流し始めた。私は相当にうろたえたと思う。バケモノという言葉にナイフのような鋭さがあったからです。淫紋を人工的に造り麻里子の生身の体に植え付けたのは私なのです。しかし、そもそも私が施術する前に麻里子は人形になっていたではないか。誰が、麻里子にそんなことをしたのか、私の頭にウイスキーの酔いが蘇り、これまでの不可解な出来事が浮き上がってきたようだった。
麻里子はしばらく泣き続けていましたが、突然、いつもとかわらない乾いた声を出した。涙が枯れる・・・という流行歌の常套句はこういう状態を言うのでしょうか。
「・・・すべては、国栖の大和一の家に行った時から可笑しくなったのさ・・・。あそこは呪いの家だったんだ。私も“シニア・ライフ・パートナー”なんていいかげんな思い付き仕事が意外に上手くいって好い気になってたんだね。大和一から電話が来て二つ返事で受けてしまったのがマチガイのもとだったのさ・・・」。
「何かひどいことをされた?」と私は聞いた。
「まったくないよ。ただ、気味は悪かったね、あの男は。まったく喋らないんだからね。口がきけないのかと思ったぐらいだよ。それに時々ヘンなのがやってきたからね」。
ヘン? と私は聞いたと思う。
「あんた、“拝み屋さん”って聞いたことがあるかい。私の子供のころには田舎では珍しくなかったけどね。家々をまわってね、あんたの家には憑き物がおる、ワシがお祓いをして追い出してやるなんていうて、家に上がりこんで何やかやと呪文を唱えて祈祷するのさ。それでなにがしかの礼金を受け取って生活しておったのよ。まぁ、上がらせる家も少なくなかったなぁ。村社会では霊能者というのは、一種の“まれびと”なんだよ。大事にすれば何事も無事で、邪険に扱うと不吉だと皆、信じて居ったんだ。・・・そういうのがな、大和一の家に来ておったんだ・・・」
私は身を乗り出すようにして聞いていた。何か口をはさむのは厳禁だと思った。女が秘密の話をしはじめたら遮らないことだ、ということを、私も知っていたからだ。
「大和の家に来ていた拝み屋は薄汚い山伏の恰好をしておった。普通、拝み屋は初老のオンナが多かったから、少し違和感を感じたが、大和一は実に丁重にもてなしておったよ。ふだん、ちっとも喋らないくせに、山伏が来る日はよく口を効いた。上等な茶菓子を用意させ、茶は特別の上等なものを入れさしたりな・・・。まぁ、そんな接待はこちらはお手の物だからね、どうということはなかったけれどね。私が台所の流しで洗い物をしていると祈祷が聞こえてきてな・・・。あんた、下北のイタコのことは知っているだろ・・・。死人の霊を自分の体に乗り写させて、死人に代わって喋るやつだ。その山伏はどうもそれをしているようだったね・・・」
「誰を呼び出していたんだろう・・・」。
「分からんね。ただ、死んだ肉親や身内の者じゃないと思う。山伏に憑依した者は相当に高貴な者なんだろうね。大和の奴は臣下のような態度でひれ伏して聞いていたからね」
「山伏に憑依した高貴な霊がどんなことを言っていたか覚えているかい?」。
「霊の世界の言葉なんてこっち側の人間にはわかりゃしないよ。ウッウーという呻き声にしか聞こえない。ただところどころ、ちょっと分かる言葉があった気もするね。“ギョッコツ”という言葉は妙に力が入っていて何度も言うもんだから、それだけははっきりと聞き取れたけれど・・・」。
ギョッコツ・・・何のことか分からない。麻里子も喋るのを止めた。私が考え込む表情をしたのがよほど異常な気配に感じられたのか。
コツは“骨”だろうか。憑依してきた者は骨になった者だろうから、自分のことを“骨”という言葉で表現しようとしても可笑しくはない。ならば、ギョッとは何か。“骨”に対する修飾語・・・枕詞というべきか。
麻里子はウイスキーを煽り、もう一度、“ギョッコツ”と言った。その瞬間、私はひらめいたのだ。ギョッツとは“玉”ではないのか。高貴な霊だとすれば、自分のことを“玉骨”といっても許される。
そこまで考えたとき、私の脳裏に、次のような文句がすらすらと浮かんできたのだ。
『たとい玉骨は南山の苔に埋まるとも 魂魄は常に北閥の天を臨まん』。
やはり、そうだったのか! “鎌倉の宮”に導かれ、護良親王の名を聞いたとき、ひょっとすれば、大和一が“おかみ”と呼び敬っていた人物は、歴代上のの帝の中で最も過激な思想と行動を持った“あの帝”だったのか。歴代の帝のすべてが南の方向に陵が作られている中で、この帝の陵だけが北を向いて作られたのは、“北閥の天を臨まん”という遺言を尊んだためだろう。
奈良の国栖にある大和一の家に憑依してくるのが、あの帝だとすれば十分に納得が行く。吉野の地に無念の思いを抱えたまま亡くなったあの帝の霊なら国栖は領内と言っても良い近さだからだ。しかし、何故、彼は九尾の狐の淫紋に異常に執着するのか。再びこの国に九尾の狐が舞い戻り、この国を破滅に導こうとしているというのなら、これを駆除したうえで、この国をどうしようというのか。
私は思わず“ゴダイゴ・・・”と呟いたらしい。
麻里子が、何よそれ、といいたげに私の顔をみたことを、私は今も鮮明に覚えている。
(来月号に続く)