連載小説 渚美智雄
『大和ファウスト』
第19回
切り出されたばかりの木材のにおいは、御座所の中を用心しながら進むうちに、消えていった。クスノキの姿もいつの間にか消えていました。やがて、水が激しく流れる音が遠くからきこえてきました。
御座所の中は狭かった。大きな鏡が吊るされた祭壇の奥に小さなドアがありました。ドアノブを握って回すと、ドアは外側に向かって簡単に開きました。
私は一瞬、なつかしさに目がくらんだような気がした。そこは、岩瀬志麻に連れられて行った吉野川の上流が流れる国栖の光景でした。私は振りむいてみました。そこにはあの大和一の家が建っていました。私の大船の家など影も形もないではありませんか。私は自分の家の二階のベランダに突然現れた御座所を通って大和一の家に行ったようなのです。
これは夢であるに違いない、と思いました。ふと、人の気配を感じました。思わず振り返りました。
「・・・久しぶりですね・・・」 大和一が突っ立っていました。
「・・・」 私は何といっていいのか分かりません。大和は無表情のまま、吉野川が削った岩場に向かって歩きました。私も後に続いた。
「少しは慣れましたか?・・・」 大和は振り返らずに言います。何に慣れたかというのか、私には分かりません。
「あなたは突然、トンデモナイ世界に迷い込んだ気がしているはずです。分かりますよ。私もそうだったんですから・・・。何故こうなったのかなんて考え込まないことですよ。そうしたら、この世界にもすぐに慣れますから・・・」
私は、やっと声を出すことがで出来ました。
「あんたも、直ぐに慣れたのか?」。
大和は振り返りました。その顔面に笑みが浮かんでいました。その眼差しは、いかにも懐かしげに私を見ているのです。
「あなたは昔からそういう言い方をよくしたな・・・。相手の言い方が気に入らないときなんか、疑問形で相手に言葉を返す・・・若いころの癖というのは歳をとっても変わらないもんですね・・・」
「昔から、なんて言うが、まるで俺の知り合いみたいな言い方だな。俺はな、あんたなんかに会ったことはないんだ。人違いなんだよ! 全く迷惑な話だ」
私がそういうと、大和一はちょっと寂しそうな顔をしました。
「私を覚えてないんですね。・・・無理もない・・・こんな若作りの顔にされたら、思い出す手掛かりはないでしょうね、確かに。・・・でもね、あなたと私は同学年なんです」
そんなバカな! と私は言いたくなった。どう見ても40台の男盛りにしか見えない。
「人をおちょくるのもいい加減してくれ。俺はもう70台の後半だ。いつ死んでもおかしくない後期高齢者なんだ。あんたは顔も体つきも俺より30歳は若いはずだ!」
「つい数年前までは、私もあなたのように立派な老人でした。オカミの仕事をするようになってから、年々若返って、こんな風になったんです。決して不快なことじゃありませんよ。生まれ変わったような新鮮な感動がありますんでね。・・・あなたもね、素直にオカミの命令に従って成果を上げれば、私以上に若返りますよ」。
あまりのばかばかしさに私は再び返す言葉を失った。
「あのクスノキなんか我々より10年ぐらい若く見えますが・・・我々が生まれる前から生きていたんですよ。そうです、あの戦争末期ですよ・・・。愛国少年で少年航空兵に志願して、ゼロ戦にのってアメリカ軍の空母に向かって突撃するつもりだった・・・。しかし、ゼロ戦が故障して墜落して海をさまよっているときにオカミに救われたんです。とにかく旧日本海軍のシゴキを受けただけあって強靭な肉体と特攻精神はバツグンだった。オカミに気に入られて、様々なミッションをこなすうちに、いまでは私以上の若さをもらっている・・・」。
「オカミ、オカミというが、一体何者なんだ?」。
「それはもう、あなたも気付かれているはずです・・・違いますか・・・」 大和一の頬に再び微笑が浮かんだのだが。
「・・・ひょっとしたら、と思うこともあったさ。しかし、あの革命児のミカドは700年も前の方ではないか・・・」。
「あの方はアマテラスから受け継がれた神道の資質に加えて、弘法大師に帰依され密教の千年呪法を身につけられた。千年の寿命を生きておられるのです・・」。
「・・・もしそうなら、その呪法を使って何をしようとしているのだ!? 確かに一度は天下を取られたことがあったが、わずか3年で政権は瓦解したではないか」
「そこですよ! オカミは何故、“建武の中興”が未完に終わったかを身を削るようにして何年も考え続けられた。そして、ついにその原因を突き止められたのです。オカミにとって辛い発見だったでしょうが・・・寵愛された一人の女人・・・」
私は懸命に太平記の時代を思い起こしていたのですが。
「・・・河野廉子」。
「さすがにあなたは歴史に詳しい。そう、あの方はオカミがあまりの美しさに魅せられいずこかからさらってこられ、皇后にされた特別な女人・・・。その女人を傍に置かれるようになってから、オカミの心身に変調が生じた。ご嫡男の護良親王に謀反の兆しありと疑われ、敗戦必死の足利方との戦の先頭に立たせ、囚われの身にされても救出にも向かわれず、鎌倉宮の牢で死を迎えさせられた。すべては、やがて生むことになる我が子をミカドにするための河野廉子の策略だった。・・・普通の女人にならオカミはそこまで狂われる方ではない。オカミはやがて、その女人が魔性の女狐であったことをさとられた。あの保元の乱を引き起こした美福門院(玉藻の前)の血族だったことをです。・・・そして、この国にその女狐の末裔が再び迷い込んでいるのではないかと気付かれた。すべては密教の秘法ですよ。オカミは懸命にその河野廉子の淫紋の形状を思い起こされ、俺に描かせられた。あなたがその女狐を探す手がかりにするために・・・。その出来栄えにオカミは満足されたのか、気が付いたらこの若さを頂戴していたのだ・・・」。
「・・・俺はそんな話は信じないがね、ただ話の辻褄だけは合っている・・・。そこで聞きたいのだが、オカミはその女狐を駆除して二度と邪魔されぬようにしたあと、何をたくらんでいるのだ?」。
私はまっすぐに大和の目を見つめて聞いたのでした。大和には睨みつけられているような印象を与えたかもしれません。
「決まっているだろうが。オカミはもう一度、“建武の中興”をやりなおそうとされている。もっとも元号が変わったので、“令和の中興”と言うべきかも知らんが・・・」。
「天皇親政か・・・民主主義体制を破壊してか!?」。
大和は何も答えない。私は、クスノキが言った“NMD”という言葉を思い出しました。
「お前たちの仲間は何人ぐらいいるのか? クスノキが“NMD”という名を口にしたが、どういう意味なんだ?」。
私は早口になって質問を矢継ぎ早にぶつけていたようです。
「同志が何人ぐらいいるのかは俺も知らないがな・・・“NMD”というのはホントさ・・・。まだ仮称かもしれないが、“ニッポン魔改造同盟”というのが正式なんだ・・・」。
私は思わず噴き出したくなった。マカイゾウ・・・あまりに幼稚ではないか、コミックの世界でもあるまいに。
「マンガチックな名前だと思うかもしれんが、日本改革同盟なんて言っても誰も振り向かない。幼稚であろうがSNS映えするネーミングでないとな、誰も関心を示さない。最近のこの国の選挙を見たら分かるだろう。日本はいつの間にか、そんな国になってしまったのさ・・・」
「だから、オカミが御一新をされるという訳か・・・」
「さすがに理解が早い。オマエは学校でも頭の動きだけは早かったものな・・・。これからはMNDの同志として共に働こうじゃないか・・・」
大和一は“学校でも”と言った。同級生だったというのか。それは高校なのか、それとも大学なのか・・・。オカミの呪法によって若返ったその顔からはなにも思い出せない。
大和は、岩の上から吉野川の急流を真下に眺めながら、呟くように言った。
「この川はな、結界なのさ・・・。ここを超えればオカミの御霊地だ。・・・やがてこの川を挟んで戦が起こるかもしれない。そうなったら、俺はここで討ち死にするつもりだ。・・・何の悔いもないさ。俺は昔から革命の中でこそ死にたいと思っていたからな・・・」
(来月号に続く)