連載小説  渚美智雄


『大和ファウスト』
第22回


あれから麻里子から何の連絡もない。クスノキと湯沢温泉に出かけた切りだった。“女狐”を探すなどという無謀な計画が上手くいくなどとは、私は当初から思っていなかった。どうせ一月ほどで諦めて帰ってくると思っていたのだが、二人は数か月以上も探し続けていることになる。

私は手持無沙汰だった。やろうとすれば撮影所から譲り受けた資料をチェックするという膨大な作業がある。しかし、やる気にならなかった。この無気力は年令のせいか、それとも、魔改造同盟に入れられて、やがて異常な仕事をあたえられはしまいかという不安感だったか。

私は、大和一のことを思った。会って少し話をしてみたかった。二階のヴェランダは不思議の通路だ。あの御座所を通り抜ければ大和の国栖の地に行ける。ただ、そのためには人形のようにじっと動かずに座り続けているオカミの傍を通らねばならない。それが疎ましく、少し怖くもあったのだが。

私はある日、意を決して国栖の地に出向いて、大和一に会おうと思った。二階のベランダに出て御座所に入ったが、予想していた通り、恐れていたオカミは全く動かない。人形だと思い無視すれば良いだけのことではないか。私は自分の臆病を笑い飛ばそうとしたいぐらいだった。霊媒師は降霊がなければタダの人間に過ぎない。自分にそう言い聞かせたのだが。
それでも、山伏姿のオカミの傍を通り抜ける時には、忍び足になった。オカミは眠っているのか微動だにしなかった。

国栖の吉野川の傍の岩場に出た。人影一つ見当たらない。激しい川の流れだけが私を囲んでいた。しかし、大和一はいなかった。しばらく川の激しい流れを見つめて待ってみた。何時まで経っても大和一が現れる気配はなかった。多少寒さを感じてきたこともあって、私は大和一との邂逅を諦め、大和の家の入口に向かった。一歩入れば、御座所となり、そこを突き抜ければ自分の家の二階のベランダに戻れる。

再びオカミの傍を通過しなければならない。私は忍び足になって通り過ぎようとした。慣れれば何ということもないのだ。そう思った瞬間だった。オカミの両目がカッと見開かれ、両眉が吊り上がっていた。

「ハジメは居なかったか?」 とオカミの身体から発せられた、人間の身体から出されたとは思えなかった声を聞いた。あえて言うなら機械の声だった。どこかにスピーカーが仕掛けられ、不自然に響く感じだった。 

「あっ! はいっ・・・居りませんでした・・・」
私の声は自分でもオカシイほどに上ずっていた。

「そうか。流石に動きが速い。大和一は朕が見込んだだけのことはあるのう」 掠れた声は漏れる息の方が多く、聞き取るのが難しい。その時、オカミは私に向かって座ったまま回転した。いよいよ作り物臭く感じたが、そのオカミが人形のような手振りで右手をあげ、私を招くよううな動きをしたのだ。私は恐ろしかった。無視してそのまま自分の家に帰ることも出来たかもしれない。しかし、そんなことをすれば、とんでもない厄歳が起こるかもしれないと思った。とにかく素直に指示に従った。

「あれからクスノキから何か連絡があったか?」オカミの顔面が全く動かず表情がないために機械的な印象が強いのだと、私は思った。誰かが細工して作った人形だとしても、出来は良くない。

「何の連絡もありません」と私は答えた。応えてから、オカミもすべてを見通せる訳ではないのだな、と思ったが。

「クスノキに命じたことでこんなに長くかかったことはなかった。あのオンナ(女狐)が湯沢温泉とやらに潜んでいるというのは間違いないのか?」。

「根拠がないどころか、もしかしたら、という程度の仮説に過ぎません。全くの当て外れだったということもあり得ます・・・」

ナニーっ! それはもう言葉というよりも、不気味な音という感じでした。異様な重低音で、オカミの表情は急に怒りを蘇らせました。間違いなく人間の生きた表情に変わったのです。私は思わず自分の身体が小刻みに震えるのを覚えた。

「お前はその程度の話でクスノきを動かしたのか!?」
私が命じたわけではない、ということを必死で弁明しようとしたが、下手に言い訳めいたことを言えばオカミが激高するようにも思えて、私は思わず、申し訳ございません、と言ってしまったのだ。考えてみればおかしな話ですが・・・。私は開き直っていたような気がします。

「あまりにも材料が少なすぎるのです。すこしでも何かあれば探求するしかありません」と私は思わず勢い込んで言ったのです。

「あるではないか! 大和一が仕上げてくれた淫紋のスケッチがあるではないか・・・」

「オカミは片っ端から女性の股間を悉皆調査せよ、とおっしゃっておられるのですか?」 
「当然じゃ。お前の好きそうな仕事だから、お前に任せたものを!」。

「オカミはこの国に何人の女がいるとお考えか?・・・」。

「何人いるというのじゃ、都に限れば5000か1万か?」。

「この国はオカミが帝であられた頃と規模が違うのです。全国で1億以上の国民がおり、女はその半分の6000万人を占めます。都に限っても、この国では一極集中が進んで、その三分の一もが首都圏に住んでいる。それでどうやって片っ端から股間の形状が調べられますか!」。


「6000万・・・」 オカミはしばらく呆然として言葉を失っていた。

「オカミ・・・すべては妄想なのではないんですか? そんな妄想にこだわらず、オカミが本当になさりたいことをなさればいいではありませんか。一体、何をなさりたいのです?」 私は激していたかもしれない。もう恐怖など感じている暇はなかったのだ。すると不思議なことに、オカミの態度が一変したのだ。元通りの静かな顔に戻り、表情は失われていた。 

「この国を“天皇統治国”に戻したい。願いはそれだけじゃ・・・」 その低く響く声は荘厳ですらあった。私の興奮は直ぐには収まらない。矢継ぎ早に問い続けた。

「“令和の親政”ですか! あなたは700年も前に同じことをなさった。結果はどうでした。民は飢え武士は不満だらけで、オカミの政権はわずか3年で終わったではありませんか・・・」

「3年はそんなに短いか? 今のこの国では3年もつ政権など珍しいのではないか。この前の岩場政権など1年ももたなかったではないか。今の高腰政権など、どこまでもつか分からんぞ・・・}。

私は流石に返す言葉を失った。確かにその通りだったからである。しかし、そのまま黙っている訳にもいかなかった。私は、もう少しツッコミをいれたくなった。

「オカミの目指される“天皇統治国”というのは、資本主義国なんですか、それとも社会主義国なんですか?」。

「社会主義だろうが資本主義だろうがどっちでもよろしい。共産主義でも一向に構わん。最近の言い方には、“権威主義国”というのがあるそうではないか。朕の理想は天皇の権威によって秩序づけられている国家とでも定義出来ようか・・・」。

「民主主義国家という考え方ではない?」。

「民主主義国が国民主権国という意味なら違う! 国民に主権があり何でもかんでも国民が決められるという考えほど恐ろしい状態はないぞ。まるで面白半分で投票がなされ、当選した人間が万能の権力を持つなどというのは、どう考えても不健全じゃ・・・国が亡びる形じゃ」

「・・・しかし勝者の独裁を避けるために立憲主義がある訳です。憲法や法にすべての成員が従うというのが大原則です」。

「そんなタテマエで国民を欺く政治を続けてきたのが、この国の戦後であったのではないか。憲法万能主義がいかに脆いか、国家が非常事態になれば直ぐに分かる。最期は国のために命を懸ける国家指導者の指導力と胆力と・・・そして真心じゃ。世界中を見渡しても、そんな指導者は我国の天皇だけではないか」

「しかし、今の天皇は憲法でそのようには位置づけられておりません。天皇は“国民統合の象徴”とされています」。

「天皇は権威だけで、権力は限定的だと言いたいらしいのう。国民統合の象徴というなら、その文言を盾にいくらでも動ける。それを何にもしなくていい存在のように解釈するから、この国は際限のない堕落過程に入ってしまったのじゃ。まぁ、しかし、お前も今の天皇を真正の天皇と心得ておるから、天皇とはあの程度のものと思うのも無理はない。今の天皇と名乗る者どもは北朝の天皇の系譜じゃ。偽の三種の神器をかざす偽者どもぞ。真の天皇は朕の一族である南朝の血を引く皇統でなければならん。朕のいう真の“天皇統治国”は、あくまで南朝の天皇が統べるものでなければならん!」

「それを実現するのが国家魔改造同盟の使命であると・・・」
「そういうことじゃ。お前も同志として励んでくれねばならぬ」というなり、オカミはゆっくりと右腕を肩の位置まで持ち上げて、人差し指をまっすぐに私の目に向けたのです。私は何やら妙な気持ちになりました。私も今の日本の政治では先行きが見込めないと思っていたからでしょうか。“令和の親政”もそれほど悪くないのではないか、と思えてきてしまったのです。今思えば、私もまた、この得体のしれない山伏姿の“天皇”に支配され始めていたのでしょう。

「かつての“建武の新政”の失敗の本質はどこにあったとお考えか?」と私はまっすぐにオカミの目を見つめて聞きました。

「武士という新勢力の力を侮ったからじゃろうの。史上最初の武士の政権である鎌倉幕府など何の権威もない武力にのみ頼る政権だった。しかし、これを倒すには武力が必要だったから、朕は各地の幕府に不満を持つ武士を集めて、これを滅ぼした・・・。問題は、朕が考えていた以上に武士はわがままで利己的なものだった。やつらは自分の欲望を充足させるために朕を利用しよったんじゃ。今は幸いなことに武士は滅びよった。国家魔改造はカンタンじゃ。国会の議席の多くをとったら、憲法も法も好きなように変えられるではないか」。

私は、国家魔改造同盟も合憲的な政治活動に終始するのかと安心したことを覚えています。しかし、オカミは次のように言い出したのです。
「国会が万能などというのも幻想に過ぎん・・・。行き詰れば解散総選挙を繰り返す。これではどうしようもないからのう。国会で行き詰れば、最期は武力抗争で決着するしかない」

「オカミは武力をお持ちなのか?」
「持っておらん。それは古代の豪族の時代を超えて、天皇が権威によってこの国を統べるようになってから変わらぬ姿じゃ。したがって、武力を朕のために使えるようにしなければならぬ。簡単なことじゃ。この国には警察と自衛隊しか武装組織はない。これを自在に動かせば済む。もう質の悪い武士などはおらんのじゃ」

「警察と自衛隊・・・それらをどうやって自在に動かすのですか?」 私がそう聞いた時、オカミは自信ありげに言ったものです。
「既に手は打っておる。大和一を自衛隊に潜り込ませた。昨日命じたのじゃが、既に国栖の地を離れたことがお前によって確かめられた。さすがは魔改造同盟の同志じゃ。頼もしい。お前も負けずに励まねばならぬぞ・・・」。


(来月号に続く)

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